初めての癒し
少女勇者とヒールが使えない治癒師の旅は始まった。
勇者の剣を背負うチエが前に立ち、全身甲冑に盾、メイスを装備しているヒロシが後ろである。
二人は特に話を交わすこともなく、森の中の道を進んでいる。
既に人里離れた危険地帯であり、獣型のモンスターに襲われても不思議ではなかった。
まだ出発して一日も経過しておらず、まだどこに向かうのか話も聞いていない。
そのような状況で、ヒロシは既に同行すると承諾したことを後悔していた。
(いくら勇者だからって、コイツは見た目通りの年齢だろうし……勇者の装備が盗まれているわけだし。そんなに強いのか?)
現在二人が歩いている場所は『上級者向け』とされる上から数えて二番目に危険な地帯である。
仮に護送任務を請け負う場合、スキルビルドを終えただけではなく、キャラクターメイクを完成させた一流パーティーでようやく適正とされる危険区画だ。
これより上は『超上級者向け』とされる、一流パーティーでも護衛対象を連れ歩けない地域しかない。
如何にガチガチに防御を固めていても、攻撃力の乏しいヒロシでは戦力になることはない。
であれば彼女は、単独で一流パーティーに比肩する実力を持っているということになる。
フル装備でスキルビルドを完成させた後ならともかく、現在の彼女にそこまでの力はあるのだろうか。
巨大な剣を横にして背負う彼女をじろじろと見てしまう。
この少女にそこまでの戦闘能力があるのだろうか?
そのように考えているところで、木々をへし折りながら巨大なモンスターが現れる。
象などよりも圧倒的に巨大な、熊の如き獣。
圧倒的に高い物理戦闘能力に加えて、魔法防御力も備えているだろう。
真っ向から戦えば、一流パーティーでも手こずる怪物だ。
「下がってください」
「……!?」
当然だが、チエはヒロシに気を使いながら前に出る。
わかり切っていたことではあったが、反発心が湧いた。
だがそれでもヒロシは大きく下がる。
全身甲冑の成人男性が退き、巨大な剣を持っているだけの少女が前に出る。
なんという異常。羞恥も覚えながら後ろに下がると、彼女は背負っていた剣を抜いた。
「スキルツリー、開放」
この世に存在する特別な武器の中でも最強とされる勇者の剣。
それがまさに『起動』した。
ただの武器から神々しい光を放つ『祭器』へと変貌する。
それを構えた彼女は、ただ上段から振り下ろした。
目もくらむ閃光、耳が聞こえなくなる爆音。
何もかもが一瞬で終わり、巨大な熊は切断されて地面に倒れていた。
この熊は痛みを感じることもないまま死んだに違いない。
(ウソだろ……こんなの、一人で出していい攻撃力じゃねえぞ!?)
今の熊を一撃で倒す、ということができないわけではない。
攻撃士とされる攻撃特化型の前衛職が、支援師と呼ばれる味方を強化する後衛職から支援を受けたなら、できなくはないだろう。
しかしそれは一流パーティーに参加するような、キャラクターメイクを完成させた者たちの話である。
彼女はまだ勇者の装備を揃えていないにもかかわらず、たった一人で『理論値』に追いついていた。
(コレが勇者……レアクラスの頂点とされるクラス!)
「もう大丈夫です。さあ行きましょう」
こともなげにチエは剣を収め、再び歩き出していた。
彼女にしてみれば危険なモンスターを倒したというだけで、感慨を覚えることもないのだろう。
それでいい。この危険地帯のモンスターを一体倒すだけで大喜びしているようなら、それこそ引き返した方がいい。
(俺がどれだけ望んでもできないことを、コイツはなんとも思ってないのか!?)
この後も『首を斬られてもしばらくは暴れまわる蛇』や『非常に統率の取れた行動を行う狼』や『物理防御、魔法防御が両方高い大虎』などが現れるが、彼女は一撃で仕留めていった。
流石は最強の剣、流石はレアクラスの頂点。
およそ戦いというほどのことが起きるまでもなく、鎧袖一触の戦いは続いていった。
※
その日の夜。
危険地帯のど真ん中で、二人は野営をすることになった。
勇者がもつ最高級の結界石により安全を確保したうえで、二人は腰を下ろす。
この時のヒロシは、全身甲冑の中で激情に震えていた。
(俺は強くなったはずだ。俺は強いはずだ。周囲だってそれを認めている! 錯覚でもおべっかでもない! この間だって最上位のサキュバスを倒した! 三重のローカルルールを展開する草の妖精も圧倒的に殺した! 数えきれないぐらい俺の武勇伝はある! それは目の前のコイツにだってできないことだ! なのに、なんで!)
焚火を前に腰を下ろしている勇者は、すこし眠そうですらある。
戦いに勝利した高揚感すら見受けられない。
剣を背負っているだけの小娘だった。
その小娘に劣等感を感じるという屈辱にヒロシは震えたのだ。
(俺はなんで、この小娘に対して劣等感を覚えているんだ!? 俺は強いはずなのに、強くなったのに!)
鍛冶屋のビーチが心配していたことがそのまま起きていた。
調子に乗って仕事を受けてたものの、仕事のさなかで激情が膨れ上がる。
なんとも歪で呆れかえる心の在り方だが、これがあるからこそヒロシはここまで強くなれた。
それは本人も自覚している。だからこそ、より強く、どこまでも強く、妄執は膨れ上がっている。
(クソ……クソ!)
葛藤に震えるヒロシに、チエは声をかけた。
「あの……回復をお願いしたいんですが」
「……そうか」
どうやら彼女は傷を受けていたらしい。
体調が悪かったのもそれが原因だろう。
アイテム係をお願いしたのだから気付くはず、と思っていたのに何もしてくれないので自分からお願いしたようだ。
ヒロシもそこまでバカではない。
ここで怒鳴る方がみっともないと判断して、篭手や兜を外してからチエに近づく。
「塗り薬でいいか? どこに傷が?」
「背中です」
少し恥じらいながらも、チエは背中を向けた。
もちろん服を着たままである。
(この服、市販されていない最高級の布の服だな。軽くて頑丈……金属製の武具の上位互換と言っていい代物だ。こんなガキが……!)
駆け出しのころの自分と比べて、彼女は恵まれすぎている。
己がキャラクターメイクを完成させるまでに、どれだけの苦難を越えてきたのか彼女は知らないし、知ることもないのだろう。
それでも、なんとかこらえて処置をしようとする。
布の服で隠れていた彼女の『背中』を見て……。
(!?)
ヒロシの表情は愕然としたものに変わった。
少女の背中に、大きなあざがある。
彼女の申告通りのことが起きているだけなのだが、実物を見ると脳を殴られたかのような衝撃があった。
(こいつの背中……こんなに小さいのか。こんなに大きなアザが……!)
自分が十歳の時のことを思い出す。
いい思い出ばかりではなかったが、少なくともこんな大けがをしたことは無かった。
「あ、あの、どうかしましたか?」
「なんでもねえ……いや、酷い傷だな。すぐに治すよ」
「お願いします」
持ち込んでいた最高級の傷薬を、少量、指に付けて塗る。
それだけで彼女のアザはたちどころに消えていった。
だがそれでも、ヒロシの眼には痛々しい背中が焼き付いていた。
「もう平気か?」
「はい、よくなりました。ありがとうございます」
「おう……」
劣等感、嫉妬、羨望、憎悪。
それらの感情がすべて吹き飛び、罪悪感が脳内を満たしていた。
相手が少女である、というだけではない。
ヒロシはヒーラーでありながらソロであり、他人の傷を見る経験に乏しかった。
自分を守るために傷を負う仲間、というものを知らなかった。
だからこそ、実際に傷を見た時には衝撃を受けていた。
ヒロシは久しぶりに、自分の中のモラルによって苛まれていた。
※
それから数日、ヒロシとチエの旅は無言のまま続いた。
必要最低限の会話はするのだが、それ以上話をすることもない。
危険地帯なので緊張感を保つことは良いのだが、それでも異常なことと言えるだろう。
危険なモンスターが大勢現れる森の中で、チエはひたすらモンスターを斬りつけ続け、ヒロシは彼女に守られ続けていた。
そんな日々の中で、ヒロシはついに彼女へ話しかけていた。
「勇者ってのも、大変なんだな」
「え!?」
ヒロシが声を出したことに、彼女はとても驚いていた。
彼女自身もまた感情を表に出している。
「あの、いま、なんと?」
「勇者ってのも大変なんだなって言ったんだよ。それがそんなに不思議か?」
「いえ。貴方は、その、女性が嫌いと聞いていたので……気遣いをされるとは思ってもいませんでした」
「まあな」
女嫌いであることは否定しない。
だがそれ以上に、目の前の少女は子供だった。
子供が使命を背負って試練に向かっている。
その事実にヒロシは大変だなと言ったのだ。
「今更だがよ、お前にはレアクラスの超強い仲間がいるんだろう? それこそ勇者のためのダンジョンを突破して装備を持ち帰るほどのな。そんな素敵な仲間を連れていくな、なんてご神託を受けちまって……その、なんだ。俺みたいな偏屈を一人連れていくだけってのは……大変だろう」
晴れた森の中で、ヒロシは自分でも驚くほど赤裸々に慮った。
ぶっきらぼうな言い回しだったが、まっすぐに伝わる言葉だった。
「神託……」
ここで彼女は、なぜか申し訳なさそうな顔をした。
明らかに罪悪感を受けており、年齢相応の、子供が隠し事をしている顔をしていた。
「それは……嘘、なんです」
「な、何が、ウソなんだ?」
「勇者の装備がどこにあるのか教えてもらった、というのは本当です。でも仲間を連れて行ってはいけない、というのは嘘なんです」
最強無敵だと思い上がっているのならわかるが、実際はそんなことがない。
攻撃力は文句なしに最強だが、防御面ではそこまででもない。
勇者に準ずる強さを持った仲間と一緒なら、傷を負うこともないだろうに。
「嘘をついて、ごめんなさい。本当はもっと早く言うつもりだったんですけど……」
「嘘をついていたことよりも、なんでそんな嘘をついたのかの方が気になるんだが」
勇者に選ばれた十歳ほどの少女は、まさに十歳の少女としての話を始めた。
「私は勇者です。仲間はいるんです。でも家族はいないんです」
私は勇者です。
この言葉がどれほど重いのか、彼女は静かに説明する。
「私はもともと、身寄りのない子供でした。五歳の時には周囲に『大人』と『子供』がいるだけで、他には何もありませんでした」
今度こそ嘘ではないとわかる。
彼女の境遇は、彼女の持つ雰囲気とあまりにも合致していた。
「何かの役に立つかもしれない。そう思われて、私を含めた子供は御神体……スキルツリーの前に連れていかれました。戦士や治癒師のような最初から役に立つクラスに選ばれた子だけが残って、支援師や防御士のような役に立つまで時間のかかる子は……」
ヒロシの心に罪悪感が積み重なっていく。
彼女を勇者としてしか見ていなかった自分を殴りたくなっていた。
「そんな中で、私が勇者に選ばれました。すぐにエデンという街に連れていかれて、そこで大神官様や仲間の人たちに会って……良くしてもらいました」
良くしてもらいました、という言葉に込められた重み。
彼女の全人生がそこにあると伝わってくる。
「みんな、素敵な人でした。でも……仲間、なんです。勇者の仲間なんです。私が勇者に選ばれなかったら、あの人たちは私に会うこともなかったんです。私が勇者として一生懸命頑張っているから、あの人たちは私のことを褒めてくれるんです。そうでなかったら、きっと……」
無償の愛など彼女は信じていない。
有償の愛、条件が適合したからこその愛だった。
「それでも、私にはあの人たちしかいないんです」
本当は無償の愛がほしい。勇者であることと無関係に愛してほしい。
それでも彼女には唯一の愛であり、大切なものだった。
「そのあの人たちは、とても強くて優しいんです。だから、勇者のダンジョンを私の代わりに攻略すると言ったときも、きっと大丈夫だと思ったんです。だけど、みんな、ボロボロで……あの人たちがまた酷い目に遭うなんて、イヤなんです!」
「だからウソを言ったのか」
「はい……貴方には、関係のない話ですよね」
泣きながら謝るチエに何を言うべきか。
ヒロシは迷った。
主人公、ヒーローならば、きっとこういうだろう。
仲間を信じてやれ。今からでも戻って、一緒に旅をするんだ。
そう力強く言うはずだ。
だがその言葉は口から出なかった。
(俺は主人公じゃないんだろうな)
彼の口から出た言葉はエゴイズムの塊だった。
「俺もそうしただろうな」
「え?」
「俺も駆け出しのころは、スキルツリーの神官さんの世話になった」
今でこそ人生を謳歌しているヒロシだが、駆け出しの時は常に不安や危険と隣り合わせだった。
勝てる相手には絶対負けない、というスキルビルドに至るまでは小型肉食獣のように、周囲に怯えながら小物を狩る日々だった。
装備を新調するどころか、日々の糧を得ることにも難儀していた。
身寄りも仲間もいないヒロシを支えてくれたのは、スキルツリーの神官だった。
彼は個人的な好意でヒロシを支援してくれていた。
「恩人だ。もしもあの人が戦うことになって『一緒に頑張ろう』とか言い出したら……なにがなんでも、どんなことをしてでも、あの人が戦場に行かないようにしただろうさ」
「ヒロシさんにも、そんな人がいるんですか」
「ああ、おかしいか?」
「いえ……でも、わかってくれるとは思っていなかったです」
「わかってないのは俺の方だったよ」
「なにが、ですか?」
「お前のことをなんにもわかってなかった」
生まれも育ちも違う二人は、しっかりと心でつながっていた。
「お前の気持ちはよくわかった。そういうことならこれからも協力するぜ」
「……ありがとうございます!」
不安が吹き飛んだ顔で、控えめに笑うチエ。
彼女を見るヒロシの顔に、もう劣等感はなかった。