出会い
エデンという街があった。
非常に大きく、流通の拠点であり、たくさんの人々が行き来している。
特筆すべきはスキルツリーに関する多くの施設だろう。
レアクラスのスキルビルダーを集める組織の本部なども多数あるが、やはり一番の目玉は『スキルツリーの大神殿』。
スキルツリーに選出された今代の勇者が、過食者を倒すために修行をしているとのうわさがある。
また大神殿には誰も知らない『かみさま』の神像や、スキルツリーの本体があるという伝説も語られている。
とはいえそんなものは一般人には関係ない。
ただの大きい豊かな街というだけのこと。
人々はありがたがることもなく、ただ日々を過ごしていた。
そのエデンの鍛冶屋通り。
多くの鍛冶屋、個人商店が並ぶ中に、『ビーチ鍛冶屋』という看板の下げられた小さな店があった。
店主というには若い女性が、スキルビルダーたちから特殊な鉱物を納品を受け取っていた。
「ビーチさん、いつもありがとうございます」
「ちょっとちょっと、なんでそっちがお礼を言うのよ。納品してもらっていて助かってるのは私なんだから」
「俺たち駆け出しなもんで、あんまり割のいい仕事が回ってこないんです。だからその……この仕事が飯のタネでして」
「でも変な話ですよね。普通のスキルビルダーなら自分で鉱石を採取して、それを鍛冶屋に持ち込んで加工してもらうじゃないですか。他のスキルビルダーに採集依頼を出しているのってここぐらいですよ」
まだ二十代にもなっていない若きスキルビルダーたちは、鉱石採集の仕事をありがたく思いつつも、しかし不思議に思っていた。
普通の鍛冶屋なら『てめえの命を預ける武器の素材ぐらい自分で集めろ!』『自分で採集できる素材で作る武器が、お前の身の丈だ!』とか怒鳴ってくるものだ。
そうでなくとも自分で素材を持ち込んだ方が安上がりなので、普通のスキルビルダーは採集した鉱物を持ち込む。そして鍛冶屋もそれが当たり前なので、他のスキルビルダーに素材収集を依頼しない。
その意味でこのビーチ鍛冶屋はおかしかった。
「ああ、言ってなかったっけ。私はあの『ソロヒーラー』がお得意様なの。あの人は採集とか無理……じゃなかった、専門外だからさ、こうやって依頼してるんだ」
「……スモモ・ヒロシですか!?」
おかしい理由を説明されて、スキルビルダーたちは驚愕した。
スキルビルダーなど星の数ほどいるが、『ソロヒーラー』と呼ばれる人間はスモモ・ヒロシ一人しかいない。
治癒師と言えば数多のクラスの中でも、最もソロに向かない後衛職。
にもかかわらず駆け出しからキャラメイクの完成まで、徹頭徹尾ソロを貫いた『狂気の男』。
皮肉なことだが、この世でもっとも有名なヒーラーと言っていいだろう。
「だ、大丈夫なんですか!? あのソロヒーラーって言えば、極度の女嫌いって話じゃ……」
「この間なんて、女性の救助任務を受けたうえで完遂して、その後依頼人に『こんな依頼するんじゃねえよ』とか言って逆切れしてぶん殴って報酬を受け取らなかったとか……」
「悪い女に騙されたとか、母親に悪い思い出しかないとか、そういう噂でもちきりですよ」
「はははは! そりゃまあ、偏屈なところもあるけど、そこまで悪い人じゃないよ。ちゃんとお金も払うし、私自身は殴られたことも暴言を浴びせられたこともないしね。まあ……女嫌いってのは、本当だけど。そのあたりはちょっと、こだわりがあるだけなんだ」
「……ってことは、俺たちが納品した素材の武具をつけて、仕事に行っているってことですか?」
悪い意味での有名人と深くかかわっていたことに、新人たちは驚いた。
一方でビーチは淡白なものである。
「イヤなら仕事はもうやめる? 別に私はそれでいいけど」
「え、そ、それは困ります!」
「おい、もうこの話止めようぜ! 機嫌損ねたらヤバいって!」
「そうそう! ソロヒーラーって言えば、ギルド専属のスキルビルダーが護衛している、ギルドお気に入りだぜ?」
「ギルドに睨まれたら仕事なんてできねえよ!」
ここで喚いたらその分余計に面倒になりかねない。
食い扶持が減ることも恐れて、若手は足早に去っていった。
見送った彼女は、呆れたような笑みを浮かべた。
「お気に入り、ねえ? それは少し違うんだけどなあ……」
彼が重用されていることは事実であるし、依頼をこなす際に護衛をつけてもらっていることも事実ではある。
ギルド専属ビルダー以上の待遇を受けつつ、ギルド専属ビルダーとしての重責も負っていない。なんともいいとこどりをしている、異例の好待遇を受けている。
だがお気に入りかというと明らかに違うのだ。
手に余るほどの問題児、というのが実情である。
そして噂をすれば影が差すというもので、その問題児がビーチ鍛冶屋に現れた。
出発前には完全武装であったにもかかわらず、今は盾とメイスしか持っていない。
そのうえで得意げに笑うスモモ・ヒロシがそこにいた。
このとき二十五歳、全盛期である。
「よう、勝って帰って来たぜ」
「お待ちしておりました。私の作った装備はお役に立ちましたか?」
「おう。鎧と兜はぶっ壊されちまったが、弱らせるまで持ちこたえてくれたぜ」
がらんと、拳の跡が残っている、へこんだ盾を渡してくる。さらに何度も使われた後のある曲がりかけたメイスも預けてきた。
これ以外の武器防具はすべて破壊されたのだろう。
彼女も鍛冶屋であり、彼の装備を作って長い。
だからこそ何が起きたのかわかった。
(闇魔法耐性の強いぶん、物理攻撃には少し弱い装備だった。物理攻撃力の弱いサキュバスがそれを壊したということは、いつものようにダメージレースの長期戦をしたってことよね。それで、余裕で、勝ったってことよね……無茶苦茶だわ)
モンスターと戦うのならば、戦闘は二種類に分かれる。
強い攻撃により速攻で倒すか、防御を固めてじっくり戦うか。
必ずしも前者の方がいいというわけではないが、状態異常特化型……その中でも今回のサキュバスのような上位個体と戦う時は速攻でなければならない。
竜さえ屠る上位スキルビルダーのパーティーであっても、状態異常特化型のモンスターを相手にすれば事故が起きかねないからだ。
そんなことは上位のスキルビルダーならば誰でも知っている。彼らは成長のさなかで状態異常の恐ろしさを学んでいく。
自分の体や仲間の死によって痛感するのだ。
だからこそ、倒せるとしても請け負いたがらない。
十中八九は瞬殺できるとしても、一割の確率で逆に瞬殺されかねない。
仕事を選べるからこそ、上位のスキルビルダーたちも状態異常特化型の強いモンスターを討伐することは嫌がる。
そしてこの男は、対状態異常特化型を極めた治癒師。
速攻で倒すことは難しいが、時間をかけて殴り殺す……状態異常特化型モンスターに対して無敵を誇る者。
他人の嫌がる仕事しかできないが、だからこそギルドは彼を特別扱いし、それを咎める者もいない。
そんなに強くないくせに、傲慢不遜な態度が看過されている者だ。
「聞きましたよ。今回の仕事、ギルドを通して契約を結んでないそうですね」
「ああ。ギルドの前で泣きながら『街がサキュバスに襲われているんです!』って泣いている子がいてな。周囲から『厄介すぎる案件だ』って嫌がられていたから……こりゃ面白そうだと思って引き受けたんだよ。俺に殺させてくれってな!」
「ギルド長、怒ってましたよ。依頼者とスキルビルダーが直接やり取りをすると問題が起きるって。報酬内容の契約とかどうしたんですか?」
「……そういや、そもそも報酬を受け取ってなかったな。成功報告もしてねえや」
「ええ……じゃあただ働きじゃないですか。装備が壊れた分、大赤字じゃないですか。経費分だけでも払ってもらうよう交渉したほうがいいんじゃ?」
「いいのいいの。見た感じ貧乏そうだったし、面倒だし」
(あの装備、滅茶苦茶高価なんだけど……出世したもんねえ)
楽しい狩りができたから無報酬でいい。
なんとも剛毅な発言だった。
出会ったとき。まだ出店したばかりの自分の元へ、涙を流しながら金貨の袋を持って『俺用の装備を作ってくれ』と頼みに来た時とはエライ違いである。
彼は狂気によって己に苦難を課し、それを乗り越えて成功者になった。
調子に乗っていても咎められまい。
そう、調子に乗っている。上機嫌になっている。
彼の逆鱗に触れるようなことが無ければ、むしろ扱いやすい相手だ。
それはビーチにとって触りようのない逆鱗である。
だからこそ彼女は安全圏にいた。
そしてそれにわざわざ触ろうとする者だけが……彼の怒りを買うのである。
それは大抵愚か者であるが、今回は違った。
「失礼します。ここはスモモ・ヒロシ殿がよく訪れる鍛冶屋と聞きました。彼は今いらっしゃいますか?」
とんでもなく大きな包みを背負った『子供』が、鍛冶屋に入ってきたのである。
年齢は十歳になったばかりのようで、顔をすっぽりとフードで隠しており、如何にも訳ありという雰囲気であった。
もちろん、こんなところに子供が来るなど異様である。ましてヒロシを探しに来るなど変どころではなかった。
「おう、俺が広だが?」
「ああ、よかったです。貴方を探しておりました」
彼女はフードを外すと、深々と頭を下げながら名乗った。
「私はチエ。スキルツリーに選ばれた勇者です。この度は貴方に依頼をしにまいりました」
ビッグネームであったこと、相手が子供であったこと。
ビーチもヒロシもまったく信じていなかった。
適当に追い払おうと、何か言葉を発しようとした時である。
チエと名乗った少女は名刺を差し出すように、背負っていた荷物の梱包をほどいた。
「私しか持つことを許されていない、勇者の剣です。これで信じていただけますか?」
異様に分厚く、異様に幅広な『剣』であった。
どう考えても少女が背負える重量ではなく、偽物の張りぼてとしか思えない。
だがガワの話である。
その武器が発する威光はこの鍛冶屋に置いてある『市販の高級品』とは次元が違う。
ビーチもヒロシも、ここまでの武器は見たことがない。
であれば彼女が勇者であるというのも本当なのだろう。
勇者の剣は確かに名刺として機能していた。
「本物の勇者様がこんなに可愛いとはな。それで俺に依頼をしたいって? 面白いねえ、言ってみてくれよ」
「ちょ、ちょっと! 大丈夫ですか!? それこそギルドを通さないと、後で大問題になるんじゃ!?」
「その点は大丈夫です。私はギルドより偉いので」
チエのパワーあふれる言葉は、しかしビーチを安心させなかった。
本当に問題なのは、勇者が女子、女であること。ヒロシより圧倒的に強いであろうということだ。
場合によっては逆鱗に触れかねない。否、確実に逆鱗に触れることになる。
「ごほん……スモモ・ヒロシさん。これから話すことは他言無用にしていただきたいのですが……」
「お、なんだ。言ってみろ」
「この勇者の剣以外の勇者の武具が、すべて盗まれているのです」
(はああああああ!?)
ビーチが疑問や危機感をはさむ暇もなく、とんでもない爆弾発言が飛び出していた。
「元々勇者の武具は、勇者にしか開けられない扉で封鎖された四つの特別なダンジョンに安置されていました。しかしその……私のことを守るべく選ばれた勇者四天王は、私に気を使って……私の負担を軽くするために、私に扉を開けさせたうえで、それぞれ一つずつダンジョンを攻略し、勇者の装備を持ち帰ってくれたのです」
「なんだそりゃ。そんなんでいいのかよ」
勇者にしか開けられない扉で封鎖されたダンジョン。
普通なら勇者一人で攻略するものだろうが、勇者には扉を開けさせるだけで中に入らせず、仲間たちが攻略して装備を回収してきたという。
確かに文章に矛盾はないが、ヒロシもビーチも『それでいいの?』と思っていた。
「ですがその……持ち帰った勇者の装備が、過食者に盗まれてしまいました」
「普通にダンジョンに置いておいた方がよかったんじゃねえか?」
「ですよね……」
「はい。私の負担を軽くするために大神官様が許可を出したのですが、結果がコレなので大問題に発展しました。もちろん知っている者は私を含めて少数です」
さらりと極秘情報を知らされてしまった二人。
口封じに殺されても不思議は無さそうである。
「とはいえ、致命的な問題ではありません。勇者の装備はこの剣も含めて、人間が壊せるものではありません。そのうえ勇者である私には勇者の装備がどこに隠されているのか神託が降りてくるのです」
「それなら、問題ないじゃないですか。過食者がアジトとかに保管しているんでしょうし、勇者様と四天王様で攻め込んで奪い返せばいいでしょう?」
「それは過食者もわかっているようで、もっと厄介な場所に隠してしまいました。どこにあるかわかっていても、そうそう取り戻せません」
ここでチエはうつむいた。
「そして……『かみさま』は今回の件でお怒りです。ダンジョンに潜って勇者の装備を手に入れることは、私が真の勇者になるための試練でした。それを別の者にやらせ、さらに奪われるなどありえないと」
「そりゃそうだ」
「なのでその……神託が下りました。四天王やスキルツリーの神官が、私に手を貸すことはまかりならぬと」
「まあそう言われてもおかしくはないな」
「そうですよね……」
うつむいていた彼女は、ここで顔を上げた。
「勇者の装備が置かれているのは、勇者である私でも一人でたどり着けない場所です。なので……貴方に! 私と同行してほしいのです!」
勇者であるチエは、彼の逆鱗を思いっきり逆撫でした。
「状態異常に対して無敵を誇る貴方に、アイテム係になってほしいのです!」
「ふざけんああああああああああ!!!!」
つい先程まで上機嫌だったヒロシはいきなり噴火した。
ビーチは「ああやっぱりと」思いながら、大きく距離を取った。
「俺に! お前の! サポートをやれだと!?」
(言っちゃいけないことを……!)
そもそも治癒師は、初心者のパーティーでも上級者のパーティーでも絶対に一人は必要な存在である。
文字通りの回復役であり、モンスターとの戦いで傷つく仲間を癒すパーティーの要だ。
もちろん他のクラスでもヒール……他者を癒すアクティブスキルは獲得できる。
だがヒールに特化したクラスである治癒師は、回復量も使用可能回数も射程距離も段違い。さらに全種の状態異常を治療可能ときている。
他のクラスでは何人いても担えないの回復を一人で担えるのだ。
逆に言えば、普通の治癒師はヒールしか使えない。
サポートしかできないのである。
サポートをしたくない、という者にとっては地獄みたいなクラスである。
そしてヒロシはまさにそれだった。
ヒーラーでありながらヒールを忌避し、ヒール以外のスキルを網羅した結果、対状態異常特化型ビルドに至ったのである。
「俺は何が何でもサポート役なんてやらない! ましてお前女だろ!? 俺に女のサポートをしろってのか!?」
その上彼は公言するほどの女嫌い。
彼の故郷は女が強い土地柄であり、ヒロシはそれに反発していた。
だからこそサポート、特に女性へのサポートを嫌悪している。
「貴方が女性を嫌っていることは存じています! でも、お願いします! 貴方しか頼めないんです!」
「が、ぐ……!」
女のサポートをしたくない、という一方で、女に頭を下げられるのは気分が良かった。
まして女勇者、この世界の頂点の一角である。
誠心誠意お願いされれば悪い気はしなかった。
元より調子に乗っている時期であったため、強硬に断ることはできなかった。
「まあたしかに、俺は完全耐性を持っているし、治癒系のアイテムの効果を増大させることもできる。絶対に行動不能にならないアイテム係ってのは務まるだろうよ。けどなあ……」
やりたくないというだけで、向いていないわけではない。
目の前の少女が一生懸命お願いしてくることもあって、だんだん前向きになってきていた。
「ところで、お前の四天王って、男女比どうなってる?」
「……全員女の人です。その、気を悪くしますか?」
「俺がお前に同行すれば、その四人はさぞ悔しいだろうなあ」
勇者の仲間、それも四天王と呼ばれるほどの戦力であれば、全員がレアクラスの上位者であろう。
そんなこの世界最強の女性たちが自分に嫉妬する。
想像するだけで悦に浸れた。
「いいぜ、乗ってやる。ただし俺がお前に『仲間にして』と頼んだんじゃなくて、お前が俺に同行を頼みに来たってことは忘れるなよ? 俺はアイテム係だが、お前の仲間じゃねえんだ」
「……はい!」
(大丈夫かなあ……今は良くても、後で揉めないかな)
かくて。
ただの鍛冶屋にすぎぬ一般人の前で、なんとも不安なパーティーが結成された。
この二人がより厳しくなった『勇者への試練』に向かうことの本当の意味を知る人間はまだ一人もいない。