帰るべき場所へ
本作はここで終わります。
皆様、一か月の間お付き合いくださり、ありがとうございました。
その日、光の帯が世界を通り過ぎていた。
陰に潜み日向にまぎれていた過食者たちはあぶりだされ、神の手によって漏らすことなく集められた。
裁いたのは神の代理人、勇者とその相棒。
神の法に触れると知って犯した者たちは、想定以上の地獄に飲まれた。
無理もあるまい。彼らは二柱の樹を敵に回したのだ。
通常の倍の地獄が待ち受けているのは当然なのだ。
千人もの過食者が蓄えていた膨大なスキルの実は、すべて解放され本来の持ち主のもとへ飛んで行った。
若い者にも老いた者にも、可能性が戻ってくる。
十年という長い年月を待ったものもいれば、一年も待っていない者もいるだろう。
だがそれでも、しかるべきものに裁きが下された。
ティアが言っていたように、悪しきものが暴かれ報いを受けたと知って、奪われた者たちは全員が感謝していた。
かくて、凱旋が始まった。
※
エデンに存在する知恵の大神殿。
勇者凱旋の報せを受けたため、神殿を挙げての祭りを準備していた。
チエが五歳から十歳まで世話をしていた者たちである。
彼女が使命を成し遂げたと聞いて、大いに喜び飾りつけなどをしていた。
祭りといっても厳かなものではない。そういうのはあとで正式にやればいい。
今回は無礼講ともいうべき大騒ぎをする予定である。
そのような状況で浮かない顔をしている者がジュラムとガイアであった。
魔剣士と豪鎧士の頂点に立つ者たちは、もやもやを抱えた顔をしている。
「ジュラム、ガイア。いつまで拗ねてるんだい? これからチエが帰ってくるんだ、湿気た面をしていたらあの子が悲しむじゃないか」
「ですがですわ! ワタクシたちは結局……最後の決戦にも呼ばれなかったんですのよ!? 私情としてものすごく嫌ですし、仕事としてもどうかと思いますわ!」
ティアが挑発気味にたしなめるが、ガイアは猛烈に抗議をしていた。
彼女は勇者を守る使命にやりがいを感じていた。
自分たちを引き取ってくれた家族がそれを望んでいたし、選出された勇者であるチエにも同じ境遇であるが故の守りたいという思いがあった。
そのために努力をしてきたのに、無為に終わってしまった。
彼女の半生はほぼ無意味になってしまったのだ。
「ジュラム様もそう思いますわよね!?」
「……仕方がないだろ」
すねた顔をしているジュラムだったが、頭ではこの状況を受け入れようとしていた。
「ボクらはあの子にとって、最強無敵のヒーローだった。五歳のあの子は、ボクらが傷ついたり血を流すなんて考えもしていなかった」
魔剣士ジュラムは、最高位魔剣『スパイラル』の所有者である。
彼女がレアクラスに選ばれたのはただのランダムであったが、最高位魔剣を得たのは競争の結果である。
選出された魔剣士たちは神殿の下部組織である『落月』に集められ、スキルツリーへ奉納することなく純粋に剣技の修行をしていく。
そして同期同士で戦いをして、より優れた者に優れた魔剣が預けられる。
最高位魔剣を持っているということは、同期と切磋琢磨し、そのうえで勝ち抜いた証なのだ。
レアクラスに選ばれたことは単なる幸運であるが、最高位魔剣を得たことに関しては己の才覚と努力の結果。
彼女にとっての青春とは最高位魔剣を得るための日々であった。
最高位魔剣スパイラルは彼女にとってトロフィーであり、己の最強さの証明であった。
そこにぽんっと、たった一人、勇者に選ばれたという幼女が現れた。
同じような勇者候補と戦って勇者になったとかではなく、この世でたった一人、たまたま勇者に選ばれ、自分よりもはるかに強い武具を与えられる少女。
はっきり言って不愉快だった。
彼女も『レアクラスは勇者を守るためにいる』という 大義名分は知っていたが、本当に自分の代で勇者が現れるとは思っていなかった。
本当にただのランダムで最強になることが決まっている。
そんなのがいきなり現れて面白いわけがない。
自分だって負けていないと対抗意識を燃やしていたのだが……。
『ジュラムさんって、とっても強いんですね! 魔剣士の中でも一番だって聞きました!』
『えだは……最強の魔剣を使わなくてもそんなに強いなんてすごいです!』
『私に剣術を教えてください!』
素直な五歳の少女にほだされた。
彼女自身も自分が強いと思っておらず、周囲の近しい大人に親しみを持つのは当然。
それに対して敵意を持ち続けることは難しかった。
だがそれはそれとして、対抗心はあった。
いずれ彼女と肩を並べて過食者と戦うときも、チエ以上に大暴れをしてやろうと競争意識を燃やしていた。
そんな彼女にとって、勇者の装備が保管されているダンジョン攻略はいい試金石だった。
自分は勇者に、チエに負けていない。それを証明できるいい機会だった。
試験の結果はぎりぎりのズタボロ。
回復アイテムを使い切ってギリギリ生還できたというもの。
自分が装備を持ち帰った時の彼女の顔は忘れられない。
「ボクらは実際に実力を試したうえで彼女を不安にさせた。一緒に連れていけないという、あの子の気持ちもわからないでもない」
仮に……。
ジュラムを慕う一般クラスの者がいたとしよう。
自分もあなたと同じステージで戦いたいと言ったとしよう。
レアクラス相当の試験を実際に受けさせたとしよう。
ズタボロになりながらなんとか生還したとしよう。
一応合格だったとしよう。
連れ歩けるだろうか?
否であろう。
「もちろん、諦めたわけじゃない。だからガイアと一緒に鍛えてきた。でも本当はわかっていた……あの子にとって、ボクはもう無敵のヒーローじゃないってことは」
「そこまでわかってるなら、もう十分だろ。アタシらは確かにあの子にとって、背中を預けられる仲間じゃなかった。でも帰るところにはなっている。そうだろ?」
「……文句は言う」
「ワタクシも文句を言いますわ! いつも身を呈して、この身、この命に代えてもお守りすると言っていたのに! なんで置いて行ったのか苦情を伝えますわ!」
(多分その極端な言葉があの子を追い詰めたと思うんだけどねえ……でもそういう仕事だから突っ込みにくいねえ)
せっかく勇者が帰ってくるというのに、四天王の半分が怒っているというのは良くない。
もう一人……切れ者であることが判明したクエスチにも何とかしてほしいところであるが……。
「そういえばジュラムは『ボクは神なんて信じない。ボクもボクのスパイラルも、神に選ばれただけの勇者や神が作った勇者の剣より強いんだ』とか言ってましたよね。ぷぶ! ぶぷ! 今にして思うとすげ~滑稽! チエちゅわんにそれを言ってなくてよかったでちゅね~~! もしも言ってたら困らせたよね~~! 貴方の持ってる剣も神の枝葉ですよって内心突っ込みいれまくりでしたよね~~!」
「お前の記憶力は人をおちょくることにしか使わないな……その不愉快な頭を今潰してやろうか」
「きゃ~~! ガイアお嬢様、私を守って~~! 私の代わりに傷ついて~!」
「ちょ、ちょっと! こういう時にワタクシを頼らないでくださいまし!」
(ダメだ……アタシの限界を超えてるよ)
結構な情報漏洩寸前の四人だったが、やがて周囲の空気が変わったことに気づく。
五年もの歳月を経て、勇者が帰還してきたのだ。
神殿内がより一層の喧騒で満ち、お帰りなさい、という声があちこちから聞こえてくる。
大勢の人がこちらに集まってきていた。
「ほら、アンタら。バカみたいなことはやめな。勇者様が戻ったんだ、迎えてやろうじゃないか」
バカなじゃれあいをしていた四人は、声のする方を向く。
そこにはこちらへ向かって歩いてくる二人組の姿があった。
片方はメイスを持った成人男性であり、もう片方はすっかり大人になったチエであった。
勇者の装備を完全にそろえている彼女は、四天王のことをしっかりと意識している。
気まずそうで申し訳なさそうで、こちらに踏み出す勇気を出せずにいるようだ。
「……」
そんな彼女の背中を、成人男性が優しくたたいた。
チエは一度彼の顔を見上げて、勇気を取り戻し、四天王のもとへ笑顔で、泣きながら……。
「ごめんなさい~~~!」
謝って走ってきた。
これにはジュラムもガイアも文句を言えない。
「ヘイ、カモン!」
クエスチはそんな彼女へ逆に走っていく。なぜか唇をアヒルにしていた、
「おいこら! 待て!」
ティアがそんなクエスチの襟を使って引っ張ろうとして……。
しかしそんなクエスチの胸に、チエは抱き着くのであった。
周囲の神官たちが、拍手と歓声を上げる。
ウソつき勇者のワガママな冒険はここに終わったのだ。
「めでたしめでたし……よかったな、チエ」
五人の尊い姿を見届けたヒロシは、本当に満足な顔をしていた。
ずっと一生懸命頑張ってきた彼女の最高の笑顔を見て、この上なく満たされていた。
そんなヒロシの後ろから、浮かない顔の女性が近づいている。
とても沈んだ顔の彼女は、神妙に声をかけた。
「失礼します。貴方がスモモ・ヒロシ様ですね? 私は……」
「大神官様、だろ? チエからよく聞いていたんだ。貴方をお母さんみたいに慕っていたよ。ティアって人のこともそうだけど、いい笑顔で話してくれたんだ」
「そうですか……それでは、その……」
大神官は『真実』について話すべく、ヒロシを連れ出そうとする。
彼に対して大恩があることは事実だが、だからこそ慎重にならなければならなかった。
(まかり間違っても……チエ様とこの人が戦うようなことになってはいけない!)
もはや過食者以上の脅威になっている、役目無き代理人。
穏当に話を進めようと、彼女は細心の注意を払っている。
「貴方には、その、特別な話があるのです。別室を用意しておりますので、こちらへ来てくださいませんか?」
「は? 俺に?」
「はい! 貴方が神を調伏したことについて、大事なお話が……」
「コレのことか。まあそりゃ怖いわな」
ヒロシは何でもなさそうに、古代神を召喚する触媒となったメイスを大神官に渡した。
「は……!?」
間違っても落っことしてはいけないため、彼女はそれをつい両手で受け取ってしまう。
結構な重さがあるため、彼女の細腕では持っているだけでも大変であった。
「俺にはもう必要ないもんだ。勇者の剣の隣にでも飾っておいてくれ」
「は、あの……え!?」
彼の視点においてすら強大な力を持つメイスを置いて、彼は背中を向けて去っていく。
あまりの事態に、大神官は混乱しきっていた。
「一家水入らずに入り込む気はねえよ。俺は帰るさ」
「そ、そうです……か」
もう何が何だかわからない。
心配していたことがすべてぶっ飛んでいき、理解が追い付かないまま、彼女はヒロシを見送った。
※
知恵の大神殿があるエデン、その鍛冶屋通り。
多くの鍛冶屋、個人商店が並ぶ中に、『ビーチ鍛冶屋』という看板の下げられた小さな店があった。
ソロヒーラースモモ・ヒロシ御用達の店であり、チエと初めて出会った場所である。
五年ぶりにそこを訪れたヒロシは、一切の武器防具を持たないまま入店した。
「よう、元気か?」
「……ひぇ!? ヒロシさん!?」
個人事業主であるビーチは、店に入ってきたヒロシを見てびっくりしていた。
彼が大業を成し遂げて帰還したことは聞いていたが、この店に行きなり来るとは思っていなかったのだ。
「え、ええ!? 貴方はたしか、大神殿で歓迎パーティーに参加していたのでは!?」
「あの子が楽しそうすぎてな、場違いだから出てきたんだよ」
ビーチが慌ててお茶を出すと、ヒロシは軽く礼をしてから飲み始めた。
その姿には、五年経過した、というだけでは説明がつかないほど余裕と落ち着きがある。
なまじヒロシのことをよく知っている彼女からすれば、別人かと疑うほどだが……。
「あの勇者様との旅は、そんなにすごかったんですか?」
「ああ。あの子との旅が、俺を変えてくれたよ」
「……洗脳されたみたいですね。効かないのはわかっていますけど」
「失礼な奴だな、お前。まあ俺自身変わった自覚はあるんだけどな」
軽い調子で話すヒロシは、ここに来てよかったと実感していた。
あのままあそこにいたら、こんなにもリラックスできなかっただろう。
「それで、勇者様と旅をして、報酬はどれぐらいもらったんですか?」
「……そういえばもらってないな」
「またですか!?」
「いや、前回と違って経費はもらってたぜ。鎧の製造とか宿泊費とか、面倒見てもらってたし」
「それでも実質ただ働きじゃないですか! 今からでも大神殿に行って、要求しましょうよ!」
「……いや、いいよ。俺は帰ることにしたんだ」
寝ても覚めても、チエのことばかり考えていた。
笑っているときもあった、楽しんでいる時もあった、興奮している時もあった、怒っている時もあった。
だがそのいずれも、思い出している時に連鎖で苦しんでいる姿が浮かんだ。
古代神によって状態異常に陥り苦しむ彼女の顔が、焼き付いて離れなかった。
夜中に飛び起きることもしょっちゅうだった。
そのたびに、一緒に寝ているチエを起こしそうになってしまった。
だがもう、彼女が苦しんでいるところを思い出さずに済んでいる。
仲間に抱き着く彼女を遠くから見て、それが一番焼き付いた。
彼女は一人の少女として輝いていた。
「帰るって……故郷である異世界に帰るってことですか?」
「ああ。ずいぶん前に帰る方法は手に入れていたんだが、ソロヒーラーとして戦うのが楽しくて帰る気なんてなかった。でもまあ……もういいんだ」
スキルビルダーが引退するというのは、心身ともに再起不能になるというケースが多い。
だが彼はそうではない。掲げていた目標を達成し、戦う理由がなくなったという顔だった。
「俺にとって故郷は窮屈で、つまらなくて……まあ最悪だった。だからここにきて、色々あって……ネームドに成れた。俺はそれで満足していたんだよ」
「……そうでしょうねえ。普通はそうだと思いますよ」
「だろ? チエに会わなかったとしても、もう何年か戦っていたら飽きてやめていたさ」
ヒロシにとってこの世界は非日常であり、この世界にいるということは冒険をするということだった。
冒険をしないというのなら、この世界にとどまる理由がない。
「俺はもう十分、いや、過分なぐらい満足した。それにチエが仲間のところに戻る姿を見たら、俺も故郷に帰りたくなっちまったんだよ」
「でも異世界って、一度帰ったら簡単には戻れないんじゃなかったでしたっけ。いいんですか? あの勇者様にもう会えなくなるんですよ?」
「俺は、勇者の相棒だ。あの子はもう勇者を辞めるんだから、一緒にいる理由がない。俺とあの子は旅の仲間であって、帰る家は違うんだよ」
特に別れの挨拶をしたわけではないが、そういうのはいらないだろう。
察しの悪い自分と違って、チエはとても察しがよかった。
自分の考えなどお見通しに違いない。
いやそもそも……彼女のそばに自分がいれば、彼女はずっと、あの古代神との闘いを思い出し続けることになる。
それはきっとよくないことだ。
「そういうことで、挨拶に来た。俺の装備とかがこの店に残っていたら、鋳つぶしてリサイクルでも何でもしてくれ」
「頓珍漢なことをおっしゃいますねえ。ソロヒーラー、勇者の相棒。二重のネームドを達成した貴方の装備なんですから、うちにとっては看板なんですよ。今後も飾らせていただきます」
「ヤルもんだ……じゃあな」
長々話を続けるべきではない。
ヒロシは立ち上がって、もう二度と振り向かなかった。
チエを家に帰す。
そのために一生懸命頑張ってきた。
一生分の情熱を使い切っていた。
成し遂げた今の彼に、もはや未練も心残りもない。
多くの業を抱えていた男は、すべてを捨てて、裸一貫で店を出ていく。
彼の旅は終わった。あとはもう家路につくだけである。
最高のお得意先を見送ったビーチは、様々な思いを巡らせていた。
やっぱりとんでもない男だった。
だがそれでも人間だった。
でっかいことをやり遂げて、満足して引退する。
夢を成し遂げた、超一流のスキルビルダーだった。
彼に関われたことは、一生の語り草になるだろう。
「彼が抜けたんだから、ギルドはきっと大変だろうなあ……なんてね」
再び仕事に戻ろうとしたときである。
「ちょっといいかな?」
男とも女ともつかない者だった。
顔も服装も華美だが、わざとらしいほどに中性的である。
声も話し方も、性別がわかりにくい。
意図してのことであるとわかってしまう。
「ここ、スモモ・ヒロシ御用達の鍛冶屋さんかな」
「ええ、そうですが……貴方は?」
危険な雰囲気で笑う者は、さらりと名乗る。
「スズキ・イチジク……鈴木無花果だよ。よろしくね」
彼女の物語はここから動き出す。