生きている
命を実感するとき、というものがある。
現在チエは複数の数値的状態異常によって指一本動かせない状態に陥っている。
周囲の情報、自分の肉体がどのようなダメージを受けているのかすら危うい。
そのような状態で彼女は命の実感を得ていた。
とりえあえず自分は生きている、死んでいない。
このような危険地帯で殺されそうになって動けないのになぜ生きている。
生かされているからだ。
相棒であるスモモ・ヒロシが自分を生かすために必死になっているからだ。
生を実感する。
死がそばにいるからこそ生きていることを意識する。
盗み聞きをした相棒の言葉を思い出す。
『……あの子には大切な人がたくさんいる。俺もその中に入っている。でもあの子にとって、一緒に戦って、傷ついていい奴は俺だけだ。理屈じゃないんだ、差があるわけじゃないんだ。でもそうなってるんだ』
まったくそのとおりだった。
仮に勇者四天王や大神官がこの場にいて、自分のために命懸けで戦って死にかけたとして、生を実感できるだろうか。
助けてもらっていることに感謝や感動を覚えるだろうか。
今彼は、自分のために必死であらがっている。
それがうれしいのはなぜだろうか。
うまく説明できないが、彼だけがそうなのだ。
そのうえでこう考えた。
なぜ自分は生きている?
※
まず諦めない。
ヒロシは疲れて諦めそうになる自分を叱咤し続けながら、チエを抱えて走り回っていた。
勝算なんて贅沢なものはない。
とにかく今をしのぐことしか考えていない。
子供に潰されそうになっている虫と同様に、とにかく逃げることしか考えていない。
それは賢いことだ。
生きようとすることが愚かであるはずがない。
(俺たちはハメられている。これがRPGなら詰んでいる。だけどRPGじゃないから俺たちは生きている、だから勝てる!)
まだ詰んでない。
まだやれる。
空に浮かぶ円環の上で走るヒロシは、チエを癒すための手立てを考えていた。
(俺は一手間違えて片手を失った。だがまだ生きている。俺が生きて行動できる以上、詰んではいない!)
心の中を塗りつぶそうとする敗色を押し返そうと、ポジティブなことを考えようとする。
チエが重い、勇者の装備が重い。
投げ出してたまるか、あと少しなんだ。
(そうだ、手はあるはずだ……手、手、手……一手……!?)
ここでヒロシの脳に浮かんだのは、元の世界のRPGプレイ動画だった。
それも低レベルクリアなどの縛りプレイ動画である。
(逆だ! RPGなら勝てる! むしろRPGより確実に一手打てる!)
ヒロシの中の経験と過去の情報がかみ合った。
「チエ……今何とかする!」
『こうみょう!』
『ひょうけつ!』
『どかん!』
再び、ヒロシは防御結界を展開する。
バリアとは異なり、魔法で周囲に壁を作るという原始的なものだが、それでも三重のローカルルールによってそれなりに堅牢な結界が構築された。
『かみなりおろし!』
しかしそれも、先ほど破壊したばかり。
オオミカヅチは風と雷を振り下ろし、その結界を破壊した。
「うぐっ!」
『二度やろうが三度やろうが同じことだ! 浅知恵が!』
(……そう、でも、ない!)
ヒロシが結界を構築した内部で行ったことは、懐から薬を取り出し、倒れているチエのそばに薬瓶を近づけること……までである。
彼はまだ薬をチエに飲ませていなかった。
(状態異常特化型モンスターであっても、相手が状態異常にかかっているかどうかは把握できない! そりゃそうだ、毒蛇が噛みついた相手の健康状態を把握できないのと同じだからな!)
オオミカヅチはチエを行動不能にすることを戦術の基本としている。
よってチエが回復したと見たときは、結界を破壊するための破壊力を残しつつ、チエを一瞬で行動不能にするだけの異常攻撃力を高めた魔法を叩き込んでくる。
そしてそのあとに、本格的な攻撃を再開するのだ。
その場合、ヒロシに数値的状態異常がまったく通じないことも加味して、ほぼ数値的状態異常のない純粋な魔法攻撃を仕掛けてくるのだろう。
(お前は最善手を打ってきている! だがそれなら……)
『我が一旦数値的状態異常を強めた技を撃った後でスキルツリーの王を回復させればいい……といったところか?』
「!?」
ヒロシがチエに薬を飲ませた瞬間に、オオミカヅチはヒロシの作戦を看破し説明していた。
『二度繰り返すほどお前が愚かだとは思っていない。そして我は風と雷を操る……やろうと思えば、数値的状態異常に特化した風と、破壊力に特化した雷を同時に展開できる』
「……!」
『特化型相手に熟練していても、駆け引きは初心者のようだな……あれあらし!!』
チエに薬を飲ませた瞬間、風と雷の巨大な塊がヒロシとチエに迫っていた。
なまじチエに薬を飲ませた後だからこそ、彼は次の行動への移行が遅れてしまっていた。
(間に合わない……!)
二人の姿は、大自然の猛威に飲み込まれた。
それも一瞬のことではない。
およそ三分間、風と雷は二人を飲み込んでいた。
攻撃が終わったあと、輪を構築する塵が舞い上がり、視界は塞がれていた。
オオミカヅチは自分のもとへたどり着いた二人の死体を改めるべく、ただ待っていた。
「行動不能になっているとき、私が考えたのは『なぜ自分が死んでいないのか』でしたよ」
塵が収まるより先に、内側から声が聞こえてきた。
「数値的状態異常というのは、当然ながら防御力も下げるはず。行動できなくなるほど数値的状態異常に陥っているのなら、多少の傷でも肉体が崩壊するほどのダメージを私は受けるはずです。それなのになぜ、私は死んでいなかったのでしょうか」
塵が収まった時、そこには腕を失ったままのヒロシと、立ち上がり臨戦態勢に入っているチエがいた。
「貴方のお力を以てしても、勇者の装備の防御力を下げることはできなかった。威力に特化させた風と雷であっても、勇者の装備に守られた私を倒すことは簡単ではない」
行動不能から一時回復したチエが即座にやったこと。
全身でヒロシを抱きしめ、覆いかぶさり、彼を保護することだった。
もちろんその直後に行動不能に陥ったが、それでも彼女の装備は彼女自身とヒロシを保護していた。
ヒロシの腕がちぎれていたことで、彼女の体でも隠しやすかったこともあるだろう。
攻撃が止んだ後、ヒロシはチエを回復させた。
それが今である。
「チエ……俺を、身を挺して、行動不能になりながら守るなんて……」
「アレ? ヒーラーを守るのはパーティープレイの基本では?」
「それも、そうだな」
『あそこから体勢を立て直したか。見事だ』
オオミカヅチはヒロシの作戦には対応していた。
だがチエの作戦には対応できなかった。
神は素直に人の勇気と知恵を称賛する。
「ヒロシさん……相手は古代神です。もうこの手は二度と通じないでしょう」
「それはこっちも同じだ。なあ?」
「はい!」
二人は神を見上げる。
この壁を越えなければ、自分たちはどこにもたどり着けない。
「スキルツリー……解放!」
「やれ、オオカグツチ、オオワダツミ、オオハニヤス!」
『ひうち!』
『うずまき!』
『どそう!』
チエの持つ勇者の剣……知恵の樹の剣が古代神の魔法を帯びる。
ただでさえ強力な勇者の剣に、さらなる力が乗っていく。
『……らいじんふうじん!』
オオミカヅチはすべてを悟ったうえで、敬意をもって戦闘を再開する。
さきほど同様、一瞬で行動不能に陥らせるほどの風と、純粋な破壊力に特化した雷がチエに向かう。
「でぃやああああああ!」
裂ぱくの気迫をもって、チエは勇者の剣をふるった。
風も雷も何もかも、その一太刀で押し返す。
「このローカルルール内にも数値的状態異常に陥らせるルールもあるでしょうが、それは微々たるもの! 貴方は私に攻撃を当てなければ行動不能にできない! そして……その攻撃は全力でなければならない!」
神といえども全力で攻撃すれば、しばらくは無防備になる。
チエは速やかに直進し、追撃を叩き込んだ。
「今まで私たちが積み重ねてきた力は、もはや貴方を凌駕している! だからこそあなたは全力で私たちを陥れた! ならばそれを脱した今……私たちの勝利は動きません!」
チエの一太刀は深々とオオミカヅチに食い込む。
一撃で倒れることはないとしても、確かなダメージであった。
『その通りだ。このまま戦ってもお前たちが勝つだろう』
一撃をもらう前から、オオミカヅチは悟っていた。
だがそれでも、一撃を受けてからでなければ負けを認めることはできなかった。
さんざん人間をいたぶった神として、それが礼儀と心得ていたのだ。
『お前たちは神の殺意に打ち勝った。もうこれ以上痛めつける意味はない……お前たち二人に王の資格があると認めよう』
そして、その瞬間が訪れた。
巨大な風と雷の神が縮小、凝縮した。
そのすぐ隣には、勇者の護符が浮かんでいる。
『ええ、本当によく頑張りました。私は貴方たちの戦いをずっとそばで見守っていましたが……本当に辛いことばかりでしたね』
勇者チエのもとに、知恵の樹の根幹神器が五つ、すべてそろった。
彼女の手元には知恵の樹の剣、知恵の樹の兜、知恵の樹の盾、知恵の樹の鎧、そして知恵の樹の護符がそろったのだ。
セットボーナス、完全耐性が解放された。
さらにスキルビルダーへの特効効果がさらに増加する。
『こういう形で王を選ぶことになるとは思わなかったが……いや、今更だな。負けた身で偉そうなことを言う気は無い。お前たちは我に勝ったのだ、その力を好きに使う資格がある』
ヒロシのもとに、アメノミハシラの根幹神器が四つ、すべてそろった。
オオカグツチ、オオワダツミ、オオハニヤス、オオミカヅチがそろったのだ。
セットボーナスにより、召喚強度4が解放された。
今まで倒した四柱の古代神を召喚使役できるようになった。
『とはいえ……まだコンプリートボーナスは解放されていません。奉納は忘れないように』
『こういう時は黙っておくべきだろうに、商業主義者め……とにかくしばらくは浸れ。この神所もしばらくはとどめてやる』
ファンファーレもなにもなく、二人は成し遂げた実感もないまま二人きりになった。
すぐそばには神がおわすのだろうが、存在感はまるでない。
「ヒロシさん……ほら、腕」
「ああ……」
しばらく呆けていた二人だが、チエは落ちていたヒロシの腕を拾ってきて、切断面にくっつけた。
ヒロシは少し苦痛に顔をゆがめていたが、それでも気がはっきりとはしていない。
「あの、薬使いませんか? もういらないじゃないですか」
「いや、でも……ほら、もったいないだろ?」
「そんなことないですよ、ティアさんだって……きっと怒りませんから」
「もったいない気がしてさ……はは、もう終わったのに」
涙がこぼれた。
ヒロシは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「よかったなあ、チエ……よかったなあ! チエ……! もう、神様と戦わなくていいんだぜ……!」
自分の腕をくっつけているチエに、残っている腕で抱き着いていた。
チエはしばらくどうしていいのか迷っていたが、それでも自分が泣いていることに気づくと決壊した。
「はい……はい! ありがとう、ありがとうございました! 本当に、もう、何度も……何度も、死んじゃうかと思いました!」
二人の王は子供のように抱き合って泣いていた。
恐怖から解放されたからこそ、二人は恐怖を思い出して泣いていたのだ。
勇者とも王とも程遠い恥部と醜態をさらしあう。
「よかったなあ……よかったなあ!」
「はい……はい、はい、はい!」
ウソつきな二人のワガママな大冒険は……。
ついに終局へ向かう。