ネームド
神殿でのお祝いは、前半こそ厳粛な祭事であったものの、後半はチエを中心とした和やかなパーティーであった。
彼女自身が言っていたように、二人が主役であるためなかなか食事に手を付けられなかったが、それでもごちそうは格別の味であった。
二人は装備を更新すると、再び旅に出る。
人気のない山道であったが、足取りは軽いものであった。
そのような状況であったため、チエは先日のちょっかいを思い出しつつ質問をする。
「そう言えばなんですけど、なんでヒロシさんみたいなビルドの治癒師さんは他にいないんでしょうか」
「は?」
チエの素朴な疑問に、ヒロシ自身ですら『何をバカなことを言っているんだ』という顔になっていた。
この反応はわりと普通なものであり、仮に彼以外の誰かに聞いても同じ顔をするだろう。
しかし彼女は心底から疑問のようである。
「だって私、ヒロシさんと一緒に旅をしていて、貴方が足手まといだって思ったことがないんです。むしろ絶対に行動不能にならないアイテム係って、とっても頼もしいですよ」
MPをすべて重消費装備に使用することで後衛らしからぬ防御力を獲得し、完全耐性によって行動不能を防ぐ。
ヒロシ自身の立ち回りの巧みさもあるだろうが、彼女の足手まといになったことは無い。
悪い気はしないが、それでも愚かなスキルビルドではあるのだ。
「そのアイテムが一番の問題なんだけどな」
自分で自分の愚かしさを語ることになり、ヒロシは少し恥ずかしそうである。
「俺たちが使っているアイテムって、めっちゃ希少な高級品だからな。神殿のバックアップがなけりゃ早々使えねえよ」
「……それはそうですね」
どんな状態異常も、肉体的ダメージも、さっさと治す高級薬。
これが手軽に購入できるのなら、それこそ治癒師など必要あるまい。
治癒師が必要ということは、つまりそういうことである。
「二つ目。パーティーへの貢献度がない。完全耐性は確かに強力だが、自分が状態異常にならないだけだ。仲間とパッシブスキルを共有できるスキル、とかでもあれば別だがそんなもんないしな」
仲間がいれば完全耐性を獲得するビルドのヒーラーも育成しやすいだろうが、その恩恵が仲間全体に及ぶわけではない。そのうえ完全耐性を獲得するまでは本当にお荷物だ。
どう考えても普通にヒーラーをやっていた方がパーティー全体の利益になる。
よって仲間からは理解を得られず、見捨てられるか普通のスキルビルドをしろと怒られるだろう。
「でだ。そもそも俺みたいな完全耐性が必要になるケースが少ない。この間会ったやつらみたいに、ガチ構成の超一流パーティーなら大抵の相手に勝てる」
ガチ構成。
前衛にガチ受けビルドの防御士。
後衛にこれまたガチ受けの結界師、王道ビルドの治癒師、そして瞬間火力支援特化ビルドの支援師。
これら必須とされる四種のクラスを含みつつ、後衛と同数以上の前衛を含んだパーティーをガチ構成と呼ぶ。
攻撃に偏るにしても防御に偏るにしても、このガチ構成ならそうそう事故は起きない。
大抵の敵に高確率で勝てる。
「俺が担当していたのは、そういう奴らでも『負けるかもしれない』っていうレアな敵……状態異常を通すことに特化したモンスターだ。が、コレの数は少ない。だから俺の仕事は……移動ばっかだったな」
状態異常特化型モンスターがたくさんいるのなら、チエの言うようにヒロシのようなビルドが推奨されたかもしれない。
その場合はヒロシも特に異常とは認識されなかったが応援もされたはずだ。
逆にまったくいなければ、ヒロシは名を売ることができなかっただろう。
実情は『各地に時々湧く』『リスクが高いので放置されている』というもの。
そのような状況であったため、ニッチな捕食者であるヒロシが有名になったのである。
「そういうものですか」
「そういうこと」
ヒロシは自分で説明していて、冷静になったもんだと自嘲する。
自分の仕事は需要が小さい。緊急性も低い。専門性は高いが他の者でもなんとかできる。
事実であるし内心わかってはいたが、素直に言えるようになったのは成長だろう。
妥協したとか丸くなったとかではなく成長と思えることもまた……チエと一緒に旅をしたおかげだろう。
「まあもっとも……」
「なんですか?」
「なんでもねえよ」
自分の弱さを認めるヒロシではあったが、矜持はまったく損なわれていない。
こと状態異常特化型モンスターと戦うのであれば、自分以上の適役はいないと今でも思っている。
(なんか昔みたいに悪い顔をしているけど……自信満々で格好いいなぁ)
彼の内心を知らずとも自信を感じさせる表情に、チエはうれしそうに見ていた。
そのように歩く二人の前に道が現れた。
あんまり舗装されていない、長年放置されているかのような道である。
二人は一度顔を見合わせた後、言葉を発することなくそちらへ歩いていった。
大した理由があったわけではなく、少し気になった程度のことである。
これがもしも『どうぞこちらへ』などの文章が看板に書かれていれば話は違っただろう。
本当にただ道があっただけなので、二人はそちらに向かって行った。
仮になにかがあったとしてもなかったとしても『なんだ』で元の場所に戻ったに違いない。
だが二人の耳に助けを呼ぶ声が聞こえて来た。
「助けて……助けて……助けて……」
人里から離れたはずの森の中で、助けを呼ぶ女の子の声。
二人は不審に思い、警戒心を上げて近づいた。
そこにあったのは古びた洋館でああった。
檻のような鉄柵に囲まれた庭があり、その奥に大きな豪邸がある。
真昼なのでただの廃墟に見えるが、夜に来ればお化け屋敷のように見えるだろう。
そのような洋館の、鉄柵の門の向こう側に小さい女の子がいて泣いていた。
「ああ! お客様が来てくれた!」
「お客? 店って感じじゃなさそうだが……どうなってるんだ?」
「お店じゃなくて、お宿なんです!」
泣いている女の子は、着ている服も綺麗だった(過去形)。
元は上等なのだろうが、かなり着古している。
「お願いします! 助けると思って、この洋館に泊まってください! そして宿代を恵んでください!」
(普通宿代を恵むって、宿側が言うセリフじゃねえと思うんだが……)
「お嬢さん。一人でここに住んでいるの? お父さんとお母さんは?」
自分より年下の少女。それも髪すらぼさぼさの少女ということで、チエは視線を合わせながら訪ねる。
少女は涙目で応えていた。
「お父さんとお母さんは『キンサク』に行くとか言って、もう一週間も帰ってないんです……」
(キンサクって、金策だよなあ……借金の申し込みとかだよな)
「商売が失敗したとかで、もうこの古いお屋敷しか財産がないとか……」
(聞かなきゃよかった……)
「お前は残って、通りかかる人を泊めて、宿代を稼げって……」
チエとヒロシは互いの顔を見る。
もちろん苦笑いである。
どう考えても、客寄せをできる環境ではない。
それなのに彼女はずっと客寄せをしていたのだ。
「お食事も出せませんし、本当に屋根と壁と古い家具があるだけなんです。でもお安くするので、泊っていきませんか?」
「……ヒロシさん。一泊だけお世話になりませんか?」
「お前がいいなら、まあいいんじゃないか?」
「ありがとうございます! 大したサービスもできませんが、とりあえず雨風はしのげますので!」
どう考えても宿側の言っていいセリフではないが、正直な説明だったので受け入れた。
二人は鉄柵のような門を開けて中に入る。
そう、門を越えて中に入った。
そのまま古びた洋館へ歩いていく。
「一泊と言わず、どうか末永くお泊りくださいね」
歩いていく二人には見えなかった。
今まで屋敷の敷地の外を向いていた少女の首が百八十度回転し、人形のように笑って二人に微笑んでいたことを。
※
洋館の中はとても暗い印象だった。
窓から入ってくるわずかな外の光しかなく、照明などはまったくない。
そのような室内には、みっしりと人形が飾られていた。
棚の上、家具の上、とにかく人形が詰まれている。
どれもが高級そうな人形であったが、年数の経過したものであり、保存状態も良くなかった。
そのような人形が適当に並んでいる。
「こりゃあ完全に人形邸だな。しかしもったいない、この世界じゃこの手の人形も高級品だろうに。ちゃんと保管していれば財産になっただろ?」
「お金がある時って、物を大事にしないんですよ……」
「なるほど、そうかもな」
ヒロシの考えに同調しつつ、少女は涙目になっていた。
「それにこの人形って、私のおばあちゃんやその前のおばあちゃんとかが遊んでいたものもあるんです。だからもうどれもボロボロで、修理に出したら売値より高くつくとか……」
「ある意味で、ちゃんと遊ばれた人形なんですね」
高級そうなアンティークドールから視線を感じつつ、二人はぎしぎしと揺れる階段を登っていった。
三階建ての洋館であったが、三階への階段は封鎖されている。
二階に登ると、いくつかの部屋に入るための廊下があった。
やはり大量の人形が置かれている。
「それでは、その……お二人は同じ部屋がイイですか?」
「え、ええ!?」
「出来れば別の部屋にしていただきたいんです。そっちの方がたくさん宿代が入るので」
「それならそっちにしてもらおうぜ。お前もそっちの方が気楽だろ?」
「そ、そうですね!」
「あの、それから……もしもベッドとかを汚したら弁償してくださいね」
「は、はぁ!?」
「そっちの方がありがたいので、是非……」
少女はやはりがめつかった。
(コイツ……俺たちがベッドを汚したら新品を買い替えるだけの弁償金を請求してくるぞ)
さすがにそれは厚かましいのではあるまいか。
仕方ないことかもしれないが、ヒロシはすっかり呆れていた。
とはいえ気持ちが分かることも嘘ではない。貧困を知っている彼は今更引き返す気にもならなかった。
「それでは男性の方はこちらで、その隣を女性の方で……お代は明日で構いませんので、どうぞごゆっくり」
「ん~~……なんか変なことになっちまったが、野宿よりはマシだよな。さっさと寝てお代を払って出ようぜ」
「は……はい。ところであの……もし同じ部屋で寝てくれないかと言われたらどうしていましたか?」
「相棒次第だな。相棒が嫌ならすぐに断るさ」
「そ、そうですか……」
ヒロシに質問を投げたチエは、返答を聞いてすぐに自分が借りた部屋に入った。
照れているのか、恥ずかしがっているのか、というところだろう。
一拍置いてヒロシも自分の部屋に入ろうとしたが、そこで絶叫が耳に入った。
「きゃあああああああ!」
「どうした相棒!?」
何事かと思って急行する。
もちろん武装したままであり、部屋の中で戦う準備もできていた。
しかし部屋に入ってみると、そこには腰を抜かしているチエがいるだけだった。
「マジでどうした」
「それが、その……」
彼女が指した先には、やはり古びたアンティーク人形が並んでいた。
やはり不気味だし大量にあるので、怖いのは当たり前である。
「なんだよ、古代神にも退かないお前が、こんなのを怖がるのか?」
「そりゃ怖いですよ! いきなり来たら虫にだってびっくりします!」
「でもまあ怖いのは当然だよな。俺も昔に幻想的状態異常に特化したモンスターの屋敷へ襲撃を仕掛けた時には、こんなふうに大量の人形が置いてあってな……それが全部元人間で、実は意識もあったんだよ。で、そのモンスターが俺に襲い掛かってきて……俺のことを人形にしようとしてきたのさ」
「そういう怖いこと言うのやめてください!」
へらへら笑っているヒロシは去っていき、チエは頬を膨らませる。
「どうしても怖かったら俺の部屋に来ていいぜぇ~~」
「行きませんよ、いじわるっ!」
チエは一人になった部屋で鎧や武器を外した。
人形のほかにはベッドしかないような部屋だったため、床へ置くことになる。
ふと外を見れば空は暗くなり始めていた。
「……」
改めて部屋の中を見ると、不気味な人形たちが何かを訴えているかのようだった。
多分気のせいなのだろうが、このまま夜になるともっと怖く、不気味に思えてしまうだろう。
彼女はさっさと寝ることにした。
※
古い元豪邸の中は、隙間風も多い。隙間風が多いのだから夜も静かではないし、室内の家具もかなり朽ちている。それこそ売り物にならないし、普通の宿屋で使えないレベルのひどい寝具であった。
そんなベッドであっても野宿よりはまし。ヒロシのほうはもうすっかり寝ていた。
一方でチエはなかなか寝付けなかった。
(怖かったら俺の部屋に来ていいぜぇ~~……いいぜぇ~~……俺の部屋に来て一緒に寝ていいぜぇ~~……俺の部屋に来て一緒に寝て朝まで過ごしていいぜぇ~~……ってことだよね?)
現在彼女の脳内では情報改ざんが行われていた。
彼女自身もヒロシに他意がないことはわかっているし、むしろあったほうが嫌なのだが、それはそれとして欺瞞は盛り上がっていた。
(正直怖いけど、いや正直怖いから、いつ行ってもいいんだよねえ? ベッドを汚してもいいんだよねえ?)
実際にやる気はないが、いつでもできる状況というのは気分がいいものだ。
幸せというのは、好きな人と特別な時間を過ごすことだけではない。
いつでもその状態に持っていける関係であるというだけで幸せになれる。
今ヒロシのもとに行けば、想像通りの展開になる。それでも嫌われることがない。
そう確信しているからこそ、彼女は眠れない夜を楽しく過ごしていた。
風が吹いた。
そんな気がした。
今までとは明らかに違う風が、ベッドで寝ている自分の真上……天井から風が吹いたのだ。
今まで閉じていた目を開いて、寝ている姿勢のまま天井を見る。
「あら、やっぱり起きていたの?」
そこには、天井に張り付いている『しゃべる人形』がいた。
それは自分たちをこの屋敷に招いた少女に酷似していた。
「きゃ、きゃあああああああ!」
寝る前と同じく悲鳴を上げるが、今度は交戦しようとする。
すぐ近くに勇者の盾と勇者の剣、ほかにも最高級の武装がある。
それを装着すれば、相手がドラゴンでも負けることはない。
いやそもそも、彼女は勇者である。
素手で殴ってもたいていの敵は倒せるはずだった。
だが彼女の手足はまったく動かない。
感覚はあるのだが微動だにしないのだ。
「あらあら、はしたないお客さんねえ。それじゃあどうなっているのか見せてあげましょうか」
人形のモンスターは慇懃無礼な所作で、チエの上にかかっていた毛布を外した。
そこには両手両足が木偶人形……球体関節のデッサン人形のようになっている彼女の体があった。
「人形化の状態異常!?」
「その通り。私は風の魔法を異常経路にする、状態異常特化型モンスターなのよ。風を浴びせた相手を人形にするってことよね」
人形型モンスターはけらけらと笑いながら、室内であるにもかかわらず自由に風で舞い踊る。
もはや体が動かないチエを全力であおっていた。
「強さとしては中の下ぐらいらしいわ。そりゃそうよね。ローカルルールを使うわけじゃないし、耐性を突破する特別な手段があるわけじゃない。それこそ普通に戦えば駆け出しのパーティーにも負けちゃうでしょうねえ」
自分を卑下する彼女はそれでも尊大であった。
もう勝っているのだから、勝ち誇っていると言っていい。
「でもそれはね、私を討伐しに来た場合の話なのよ。たまたま偶然訪れたお屋敷で寝るってなったら、そりゃもう……たいていの奴は油断するわ。耐性を上げる薬、魔法を防ぐバリア、強い武器防具……全部外して無防備になるのよ」
チエはすでに状況を完全に理解していた。
もしも彼女が町のど真ん中で同じことをしていれば、もうとっくに退治されているだろう。
だがここは人里離れているうえに、人が住んでいるとは思えないほど朽ちている。
たまたま偶然迷い込んできたものだけを獲物にしている分には、討伐対象になりえない。
パーティーが行方不明になるなどよくあることだし、長距離を移動中ともなれば捜索範囲が広すぎてどうにもならない。
彼女は強大ではない、狡猾なのだ。
「ああ、一応言っておくわね。この屋敷で泊まった人の中にも、まともな危機感を持っている人はいたわ。一か所でまとまって寝るとか、バリアを張って寝るとかね。そういう時は私もすんなりあきらめて、翌朝には送り出しているのよ。つまり……わかるでしょう? 貴方達はどうにかできたのに、間抜けすぎて出られなくなっただけなの。ぷふふふ……あはははは!」
バカだったせいで自分のごとき雑魚に負けている、と人形は煽る。
抵抗したいがチエは何もできない。もう完全に詰んでいる。
「まだ……相棒がいます。ヒロシさんなら貴方なんて……」
「そうねえ、もしもフル装備でくれば勝てないでしょうねえ。あの人もあなたほどじゃないけどいい装備をしていたし。でも……」
こんこんこんとノック音がした。
この部屋のドアがノックされたのだ。
「おい相棒、夜中だってのうるさいぞ。いくらボロいからって、この宿の子に悪いだろ……?」
騒ぎを聞いてやってきたヒロシがドアを開けて入ってくる。
フル装備ではなく、むしろ寝巻のままだった。
彼もまた警戒を解いており、夜中の騒ぎも違和感を覚えなかったのである。
「間抜けの相棒は間抜けよねえ」
宙に浮いている人形の体から突風が吹き荒れる。
ドアを開いたままの姿勢で驚いていたヒロシを廊下に吹き飛ばし、そのまま窓を破って庭へ落としていった。
ここが二階ということもあって、かなりの落下音がしている。
「ぐぁ!?」
「ヒロシさん!」
「あ、あはははは! 弱すぎて逆にびっくりしちゃったわ! 武装からして凄腕の前衛職だと思っていたけど、装備が立派なだけの雑魚じゃない!」
屋敷の敷地内にある荒れた庭で立ち上がろうとしているヒロシの頭上に、人形とチエが浮かんでいた。
混乱していたヒロシは事態を把握し、鋭くにらんでいる。
だが人形型モンスターはすっかりバカにしており、ヒロシの視線を受けてもひるむどころかあきれていた。
「弱すぎて笑っちゃうから、チャンスを上げましょうか」
人形が指を鳴らすと、体の半分以上が人形になっていたチエの全身が一気に人形へ変わる。
「助けて……ヒロシ、さ……」
「相棒!」
「さあ、ゲームをしましょうか」
再び指を鳴らすと、屋敷の中から大量の人形が飛び出してくる。
もはや嵐となってヒロシを中心に回転し始め、完全なる包囲網を形成していた。
「この中にあなたの相棒が紛れているわ。本物を見つけることができたら、逃げ出すことを許してあげる。ただしチャンスは一度だけ、それに……」
人形型モンスターは、自らも大量の人形にまぎれながら攻撃を仕掛けてくる。
無防備なヒロシの体を風で切り刻み始めたのだ。
それも一撃で倒すのではなく、痛めつけるように、じわじわと傷を増やしていく。
「……!」
ヒロシの顔が苦悶にゆがむ。
大量の出血が庭に滴り始めた。
夜の闇でもわかるほど地面が赤く染まっていく。
「見つかるまで死なずに済むかしらね? まあ死んだほうが幸せかもしれないけど」
「……この中から、相棒を見つける?」
どこから聞こえるのかもわからない声に促される形で、風の刃に耐えるヒロシは周囲を見た。
自分を中心とした風の渦に乗って、大量の人形が回転し続けている。
おそらくはこの屋敷にあったすべての人形……それも幻想的状態異常の被害者たちだ。
この中から正解を見つけるなど不可能、奇跡の域だ。
「相棒、相棒! 返事をしてくれ! どこだ、どこにいるんだ!」
風に耐えながらヒロシは叫ぶ。
もはや彼の声すら風に掻き消えるようだった。
この状況で声を出しても、やはり消えてしまうのではないか。
「助けて……助けて……」
そんなときである。
ヒロシの耳に助けを求める声が聞こえた。
風の中でわずかに手足を動かす、物言わぬはずの人形。
それが声を発していたのだ。
ヒロシは風の中で、その人形を特定する。
「そこかぁああああああああ!」
血まみれのヒロシは肉食獣のようにその人形に接近する。
赤く染まった右手でその人形の顔面をつかむと、そのまま風の渦を突破しながら……屋敷の壁にたたきつけた。
「おおおおおおおおお!」
そのまま何度も何度も屋敷の壁にたたきつける。
健康な男子の肉体で、レンガ製の屋敷へ殴打していく。
ほどなくして風は止まり、渦が止み、人形たちは落ちていった。
それでもヒロシは手を止めない。
レンガの壁に人形の頭を押し付けながら、削るように走っていく。
「おおおおおおお!」
その勢いのままに庭の地面へたたきつけた。
その直後である。
声を発していたアンティーク人形は、人形型モンスターへ変身していた。
元に戻った、というべきかもしれない。
「あ、あ……」
明らかにダメージを負っている。
人形の体の半分近くがひび割れていた。
「おおおおおお!」
「こ、このぉ!」
「……!?」
追撃で踏みつけようとするヒロシを、人形型モンスターは突風で吹き飛ばした。
ヒロシは持ちこたえることもできず、屋敷の壁に自らも激突した。
大量の出血がレンガの壁に染み付くが、それでもヒロシは立ち上がって対峙する。
「な、なんでよ! なんで私が私だってわかったのよ!」
「しゃべったからだ」
クールダウンでもしたのか、ヒロシは冷静に返事をする。
「お前みたいな輩はこっちが弱音を吐けば面白がって茶番を始めるからな。ちょっと付き合ってやれば尻尾を出すと思ったんだよ。案の定だったな」
「で、でも! あなたの相棒だとは思わなかったの!?」
「全身が人形になったってのに、しゃべったり動けるわけないだろうが、ばかばかしい」
ヒロシは出血しながらも人形型モンスターへ近づいて行った。
その恐怖に人形型モンスターは思わず制止する。
「……ま、待ちなさい! それ以上近づけば、あなたの相棒を自爆させるわよ!?」
「できもしないことをよく言うな。それも案の定だ。自爆させるってのはエンチャント系の技……状態異常とは全く別系統だ。お前ごとき雑魚にできるわけがない」
口ぶりから、人形はすべてを察した。
この男は自分のようなモンスターを相手に慣れている。
習性や思考、できることやできないことを把握しきっている。
理解したうえで彼女は怒った。
「ああそう! それならこのまま人形にしてやる! それもアンティークじゃない、安いぬいぐるみにね! 私にやったみたいに振り回して腕や足をちぎって、縫い直してやるわ! 人形になっても痛覚が残ることを味わわせながら、たっぷり楽しんであげる!」
今までの純粋な風魔法とは違い、チエへやったような状態異常を乗せた風をヒロシにたたきつけた。
これで勝った、と思うより早く目の前の異常に気付いた。
「……なんで、人形にならないの? 何の装備も、アクティブスキルのバフも、バリアもないのに……。まさか、パッシブスキルを状態異常耐性に振っているの!?」
「その通りだ」
「うそでしょ……そんなやつ見たことがない! 装備や薬で簡単に上乗せできる状態異常耐性を、変更の利かないパッシブスキルで対策するなんて、ありえないにもほどがある! それこそ私みたいな状態異常特化型モンスターと戦うことを専門にしているのならいざ知らず……あ!?」
狡猾なるモンスターは先ほどの気づきと自分の発言を結び付けていた。
自分はたまたま訪れる客を餌食にしてきたが、その獲物がたまたま自分のようなモンスターを退治する専門家だったのだ。
「幻想的状態異常を使うのは最低でも中級モンスターだ。この魔法の威力を見るに中の下ってところか。装備を取りに戻るまでもねえ、このまま素手で簡単に殴り殺せるな」
人形になって地に落ちたチエは、動けないままにヒロシの姿を見ていた。
普段から頼もしいと思っていた相棒が、普段以上に頼もしい姿をしている。
そう、彼女はこれから幻想を見る。
今まで彼に救われた人と同様に、ネームドまで上り詰めた男の真骨頂を目と脳に焼き付ける。
「あ、ああ……」
「俺の相棒を怖がらせてくれた罰だ。しっかり苦しんで死ね」
モンスターは幻想を見る。
何があっても絶対に勝てず、降伏することも許されない殺人鬼を見る。
※
あるスキルビルダーは、自分の冒険を本にしたためたとき、彼に救われた時のことをこうつづっている。
救出任務だった。
とある村が植物型モンスターの群れに襲われ、人々が幻想的状態異常『樹木化』により拘束されているとのことだった。
我らは万全の備えをして任務にあたった。
だが敵は凶悪だった。
植物型モンスターの群れは、共同体として我らを追い込んだ。
その葉はバリアの強度を下げる数値的状態異常を。
その花粉は注意力を下げる精神的状態異常を。
その種子が寄生という肉体的状態異常を。
その種子を寄生させることを異常経路として、幻想的状態異常『樹木化』を発生させてくる。
私たちはその悪意にからめとられ、全員が樹木になってしまった。
状態異常により樹木となる体で、仲間は叫んだ。
私たちは負けたが、誰かがお前を倒す。
完全に動けなくなったとき、はっきりとしたままの意識でこう考えた。
それはだれで、いつなのかと。
こんな厄介きわまるモンスターを、誰が、何時倒しに来るというのか。
そんなときである。
スモモ・ヒロシが現れた。
彼はあらゆる状態異常をはねのけながら私たちを救助し、一人ずつ安全圏へ運び出してくれた。
二度と踏み込みたくないであろう危険地帯を土足で踏み荒らし、何度も何度も往復し続けた。
全員を救助した後、上機嫌に歌いながら油をまいてすべての植物型モンスターを焼き殺した。
すべてを終えた後の彼に、なんの安堵もなかった。
彼は徹頭徹尾、恐怖と無縁だったのだ。
私と仲間たちは知った。
誰かとは彼であり、何時かとは彼が来たときである。