第33話
『そうか…キルトがねぇ…やはり念を入れておいてよかった。』
「ムーン様,やはり貴方の考えは間違ってはいませんでしたのね。しかし,研究所の爆破…貴方を知る唯一の者であっても,古き友を消してよかったので?」
『シュレーゼ,その事には触れるなと言ったはずだが?…まぁいい。元々奴が俺たちを裏切ったのだから…こうなる事もまた定め。俺は裏切り者に“死”という罰を与えたに過ぎない』
「フフッ,ごめんなさい。相変わらず非情ですのね,ムーン様は。素敵ですわ。」
女性と男性の会話が入り混じる,暗いロウソクで照らし出された部屋。空はまだ茜色に明るいというのに,その部屋は真っ暗な鉄の窓で光を遮っていた。
淡い光に照らされ,見えたのは古い木の机と椅子だけ。殺風景で不気味な気配漂うその空気は,異様な色を生み出している。
流れるような亜麻色の髪,猫のように吊り上がった真っ黒な瞳の女性,シュレーゼは,先ほどから鋭く光る短剣の剣腹を丁寧に磨いていた。
「それにしてもムーン様,どうしてあのルピスを従わせることに成功したのですか?あの娘は絶対に悪に手を染める者ではないでしょう。」
シュレーゼが短剣の刃をロウソクの火にかざした。木の机らしきものに映ったその刀の影の色は,黄色を帯びている。
『闇だ。それと逆らう事の出来ない血』
「…と申しますと?」
男性のフィルターを潜らせたようなくぐもった声に質問し,シュレーゼがまた短剣の刃を磨き始める。真っ白な絹のように輝く布に擦られた刃は,時折物の掠れるような微量な音量でパチッ,パチッと鳴いている様だった。
『心の闇。それは誰でも持っているものだ。そして人は,どんなに偉くなろうと,どれだけその事実から逃げようと,自らの生い立ちを変える事は不可能だ。それはその者の中にその血が流れているから。』
「血筋…という事ですわね。よく分かりましたわ。もう…これ以上考えるのはよしましょう。まだ計画は始まったに過ぎませぬものね。あのアルクードとかいう貴族を上手く利用して,後は貴族を皆殺し…計画は順調ですね。」
しばし間を取った後,低く静かに男性の声が響いた。
『…そう上手く行くかな。』
「は…?」
シュレーゼの手が止まる。そして驚きを隠しきれないのか,静かにロウソクに目を落とす。
が,すぐにその口元には不気味な笑みが浮かんでいた。
「貴方様にしては随分と弱気ですのね。まさかルピスがあんなおぼっちゃんにやられるとでも?」
不意にロウソクの火が揺らいだかと思うと,そのまま白くたなびく白い煙を一本,残して消えてしまった。
辺りが真っ黒な闇に包まれる。
『太古の聖玉を甘く見てはいけない…相手が誰であろうと,全力で潰しにかかれ。万が一という場合もある。いいな,シュレーゼ。』
「了解しました。ムーン様。」
それっきり会話は断たれた。しかしシュレーゼの短剣の鳴き声は,それからもずっと,止まる事無く響いていた。
「どういうことだっっ!もう一度説明しろ!!!」
「で…ですから…紅薔薇が潰したのは殺し屋の本部では無くて支部だったんです。そこから考えると,先日処刑したマスター ハーデルは偽者かと―」
「私が知りたいのはそのことではないっ,王子の事だ!」
鎧に身を包んだ新米兵士の胸倉を引っ掴み,一方的に質問を浴びせているのはハルトだ。
それを必死にレルビィとクルーラが止めようとしているが,興奮状態のハルトに通用するはずが無い。
「ハルトさぁん,落ち着いて!」
「―っ!」
レルビィの言葉に,このままでは拉致が空かないと判断したハルトが兵士を突き飛ばす。そして先ほどまでフィリスが居たであろう部屋に向かった。
『くそ…今日は何故こんなにおかしなことばかり起こる!今日ではなければならない何か理由でもあるのかっ!?』
―もし あるとしたら?―
ハルトの足が止まった。
「まさか…」
震える唇から放たれた言葉も同じく震えを帯びている。
「奴…が…!?」
「うん?やっと気が付いたか。これで運命は少しはいい方向に転がってくれればいいんだが。」
茜に染まる夕日の中で,少年は笑っていた。
風に揺れる銀髪が,夕日を浴びて銅に染まっている。
「感じる…木々が…花が…震えている…奴らが動くのか…なぁ,シルフ。」
サワサワと風が木々を揺らす。少年が耳を澄ますように,静かに目を閉じた。
「悪魔が動くのか。悪魔と天使の激突はもはやもう避けられんな。争いに興味は無いが…今回ばかりは首を突っ込まずにはいられない…なぁ,ハルト。」
何処からか吹いた,どこか生暖かい風が少年の銀髪を巻き上げた。
長い…
長い…
そして長い…