最終話 猫なんて被らずに
ガチャッ
「ただいまー」
私は自分の部屋の扉を開ける。
「遅かったね、恵美」
やっぱりそこにクロは居た。部屋の窓にちょこんと座り、クロは私の帰りを待っていた。
「うん、ただいま。クロ」
「あれ、どうしてボクがここにいる事に驚いてないのかな? 普通ボクがここにいる理由を聞くんじゃないの?」
「さぁね。女の勘ってやつじゃないかな」
「はぐらかさないでよ、悲しいなぁ」
クロは大袈裟に首を振る。でも、クロは私の心の中がわかっているのだ。
「そもそもクロは私の心が読めるんだから話さなくてもわかるでしょ」
クロがこの部屋にいると思った理由は単純だ。クロは私の心の中を読むことができるからだ。私の心の中を読めるクロなら、私が今日感じた心の揺らぎや変化も感じ取っていただろう。だから、再び私の前に現れると思った。
私の選択を聞く為に。
「クロ、私、このお面をクロに返すよ」
私ははっきりとクロに伝える。想像とは違い、クロは驚いた顔や不服な顔を全くしなかった。ただ、「本当にいいの?」と言いたげな顔でクロはニヤッと笑う。
「本当にいいのかい? 君は友達との会話に困っていた。そして、このお面のおかげで上手く関われるようになった。それは事実だろう? どうして返そうとするのかな?」
「確かにお面のおかげで洋子達と上手く関われるようになったよ。でも、これじゃダメなんだよ。私がそうありたい、って思う私にはなれないから」
「抽象的だなぁそのことのどこが悪いのかな」
「私、周りに合わせて人を傷つけなきゃいけないコミュニケーションなんてしたくないの。そんなの間違ってるし、嫌だよ」
「でも人と関わる上で、〝皆仲良く〟なんて出来っこないって君もわかっているだろう? それに、仲間はずれが怖いんじゃなかったのかい?」
「皆仲良くなんて出来っこないよ。だから、私は〝皆〟の方につくのをやめる事にしたの。仲間はずれは今も怖いよ。でも、何にも悪くない一人を犠牲にしていじめなきゃいけないのはもっと怖い」
「綺麗事だね。仲間はずれは大変だってわかってるはずなのに、君は正義感の方を優先させるんだね」
「別に正義感みたいなカッコいい感情じゃないよ。そういう空気が私に合わないだけ。私はそういうタチなんだよ」
クロはいまいち感情の読み取れない真顔で私の目をじっと見つめる。クロが私を試そうとしているようにも思えた。
「だけど、私は間違ってた。仲間はずれが怖いって言って自分の良心に蓋をしてた。私はこのお面を通して、物理的にも他人にもそして、自分の心にも猫を被っていたんだよ。だから返すよ、このお面。もう猫を被らなくてもいいように」
私をじっと見つめるクロの吸い込まれそうな深い金眼から目を逸らさずに、私は自分に正直に自分なりに本音を伝える。
「そっか。なら、ボクは恵美の判断に従うよ」
私の心が伝わったのか、しばしの沈黙の後、真顔だったクロは穏やかな笑みを浮かべた。
「それが恵美の選択なら、ボクはそれを妨げる権利は持たない。それに、ここまで考えた上での決断ならきっと上手くやっていけるさ。さて、これで用は済んだ事だし、ボクは帰るとしよう。ありがとう、恵美。君のおかげで久々に楽しい経験ができたよ」
そう言って、クロはお面を咥えて受け取る。
「私こそありがとう、クロ。クロのおかげで大事なことに気がつけたから」
「そうか。君の力になれたのなら嬉しいよ。じゃぁ、ボクは帰るね。それじゃ……」
「待って!」
私はもう帰ろうと外に飛びかけたクロを呼び止める。
「クロが私の名前をなんで知っているのかずっと気になってたの。最初はそれも化け猫の力なのかなって思ってた。でも、穂花や洋子の名前は知らなかったから、もしかしたら一度会ったことがあったかもしれないってずっと思ってたの。それに、クロの顔に何か見覚えがあった気がして……もしかして、クロってあの時の……」
「これが少しでも恩返しになったのなら良かったよ、さよなら」
「ねぇ!」
私の呼び止めも虚しく、クロは窓から飛び降り、夜の街へと溶けていった。
「クロってやっぱりあの時の……」
だが今となっては確かめる術もない。私はただ窓の外を、クロが消えていった夜の街をただ眺め続けた。
……
このことが少しでも恵美の力になったのなら、ボクは純粋に嬉しい。ボクは夜の街を駆けながらそんなことを思う。恵美とボクの最初の出会いは恵美が小学校一年生の時だ。
あの日、虎吉との戦いで苦戦したボクは、なんとか勝ったものの、霊気を使い果たして動けなくなっていた。〝猫パンチ〟も虎吉の部下と戦っていて、すぐに駆けつけられる状態ではない。霊気も使い果たし、傷だらけで、至る所から出血したボクは、ただ死を待つ事しか出来なかった。
そんなボクを助けてくれたのが恵美だ。恵美は道路の端でぐったりとしていたボクを見つけて、健気にも駆け寄ってくれたのだ。
「猫ちゃん、痛そう。大丈夫? 今お水持ってくるね」そう言って恵美はよちよちと公園から水を汲んできてくれた。ボクはこの水を少しずつ飲んだ。水を飲み、一息つくと体が一気に楽になるのを感じられた。
「大丈夫? そうだ! 今ウインナー持ってくるね」
恵美は家から幾つかの食べ物を持ってきてボクに食べさせてくれた。恵美のおかげで、ボクは命をつなげたのだ。その後〝猫パンチ〟と合流して、なんとかボクは回復することができた。生死を彷徨っていたボクを助けてくれた小さな生命に、ボクは恩を返さなければならない。
だから、その日からボクは恵美を陰ながら見守るようになった。そして、恵美は歳が上がるにつれて周りとの会話に苦労しているように感じられた。
恵美は優しい。誰よりも親切で正義感が強い。そして素直だ。そんな恵美が苦しんでいるのはボクも心苦しかった。
ボクはそんな恵美を助けたいと思った。
だから、機会を伺ってボクはこのお面を恵美に渡した。予想外の又吉の件もあって、予想通りにことが進んだわけではない。それどころか良かれと思って作ったこのお面も、結局逆効果だったみたいだ。
「でも、恵美は吹っ切れた顔をしていたな……」
ボクの力が必要ないくらい恵美は、強くなったのだろう。きっとこの先、恵美一人の力で障壁を乗り越えて行くのだろう。
「幸せになってね、恵美」
ボクは家々の屋根を颯爽と駆け、夜の街に溶けていった。
……
私は穂花の机に近寄る。穂花は暗い顔で窓の外を眺めていた。私は勇気を振り絞って穂花に話しかける。
「ねぇ、穂花、あのさ、一緒に外で遊ばない?」
「……!」
穂花は目を丸くして私を見つめる。
「でも……恵美には洋子も居るし、他に遊びたい人もいるでしょ。いいよ、無理して気を使わなくても」
「いいよ、とにかく一緒に外に出ようよ」
私は笑顔で穂花に手を差し出す。
「いいの、本当に?」
「いいよ、全然! だって私から誘ったんだよ」
穂花が花のような笑みを輝かせる。穂花に暗い顔は似合わない。だって、笑顔の穂花はまるで天使みたいに可愛いから。
「わかった、じゃぁ一緒に行こっか」
そう言って穂花は席を立つ。
「うん!」
私は穂花の手を取って教室の外に飛び出す。背中から私達を照らす暖かな陽光が、私の背中を押しているような気がした。
おわり
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