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あるべき場所

「説明してもらおうか」

 よく通る朗々たる声が、宮殿を貫いた。

 暗く空虚な冥府には不似合いなほど輝かしい神が、全天を照らす星がごとくに立っていた。

 天地のどこを探しても、冥府の主にそのような言葉を投げられるのはただ一人しかいない。

 生命と光の神たる至上の君、アルヒだ。死と宵闇の神エンデとは双子の兄弟でもあり、その神格は等しい。

 その神が、わざわざ冥府を訪れ兄弟を責め立てる理由はただ一つ。失われた神鳥を彼が隠し持っていたことが分かったからだった。


 大抵の神族は美しい容姿をしているが、その頂点に立つ神も、当然というべきか美しかった。その性質のためか、エンデとは真逆の印象を受ける美でもあった。

 エンデが重々しく引力を感じさせるのとは対照的に、暁の光のように軽やかな姿である。明るい金の長髪はほんのわずかな風にも舞うほどに細く柔らかで、同じ色の瞳は陽光のごとく眩い。

 多くの神族は引きずるほど長い衣を好むが、アルヒは天使の動きやすい軍装を豪奢にしたような雰囲気の衣服を身に着けている。


 彼が妻である黄昏の女神シャレムを従えて乗り込んできてからというものの、死の王はほとんど言葉を発していない。

「いつ、どのように手に入れた。なぜ私に伝えなかった。探していたことを知っていたはずだ」

 重ねて問い詰めるのを、リーシュは人の形でエンデの背後からはらはらと見守っている。自分が答えるべきかと思ったが、前に立つエンデがさりげなく制するので、ひとまず黙ったままでいる。

 それでも死の王が反応もなく黙しているので、しびれを切らしたシャレムが口を挿んだ。

「答えないならば、認めることになってよ。私たちへの意趣返しで、神鳥を奪ったのだと。結局あなたは、冥府へ下ることに不満があったのだと」


 どうやら、リーシュの知らない過去にまつわることで、この三人には遺恨があるらしい。リーシュを火種にしておきながら、本人とは関わりのないところで争っている。

「事実と異なる」

 ようやく死の王は言葉を発した。

「過去の出来事は関わりない。小鳥は傷つき、死を願ってここに来た。だが時が経てば、生きる力を取り戻すと思った」

「説明になっていないな」

 アルヒは苛立ちもあらわに兄弟をねめつけた。誰もが恐れる、燃えるような金の瞳を、闇の王は静かに受け止めている。


「見たところ、神鳥はよく懐いているようだが、単にお前が最初に出会ったからだろう。私たちが神鳥に辛く当たるとでも? 天上で手厚く保護し、何でも最良のものを与えたものを、お前はその機会を奪ったのだぞ!」

「雛鳥は最初に見たものを親と思って従うそうよ。あなたはその習性を利用したんだわ。もしかして、自分以外誰も信じるなとでも言ったの?」

 違う、何一つ合っていないと叫びたかった。決めつけ、責め立てる言葉は聞くに堪えない。

 しかし、彼らはリーシュではなく、死の王に語り掛けている。初めから小鳥の意見など、求められてはいないのだ。

 リーシュはエンデの服をぎゅっと握った。

 小鳥の姿ならたやすく捕まえられかねないが、こうして人の姿でエンデを掴んでいれば、そう簡単には引き離されないはずだ。


「このような虚無の地で、癒し手もおらず、死霊を相手にしながら、生きる気力をどう取り戻すというのだ? ひどい怪我をしていたのだろう。治るまでにどれだけ苦しんだことか」

「その子は全ての者に愛し愛されなくてはならないのよ。この数百年、天は祝福を失っていたの。それを再び奪う権利が、あなたにあるの?」

 二人の言い分は、間違っていないように聞こえる。よく事情は分からないが、おそらく正しくはあるのだろう。リーシュのことも、心底心配しているのかもしれない。

 それでもリーシュは、二人のことを好きになれそうになかった。険しい表情も、強い語調も、有無を言わせぬ態度も、その場から逃げ出したいほどに嫌だった。

 そんな中で静寂をまとい続けているエンデの存在だけが、リーシュをその場にとどめている。


「返す言葉もないか。当然だ、元々神鳥は我らに与えられたものなのだからな」

 勝ち誇るようなアルヒの言葉に、リーシュは思い出した。

 遠い昔、リーシュが半妖に奪われたのは、誰かのもとに結婚祝いの贈り物として送られる途中のことだったことを。

 それはアルヒとシャレムのことだったのだ。

 だとすると、死の王の分は悪い。相手は全天を統べる最高神だ。その上、正当な主でもある。返せと言われて断る術が、どこにあるだろう?


「責めは受けよう」

 夜を思わせる深い声は、いつにも増して重かった。

「だが、小鳥の前で、そのように荒げるな。いらぬ記憶を呼び起こす」

 死の王の言葉にはっとした様子で、アルヒとシャレムはようやく口をつぐんだ。

 こんな時にも、死の王はリーシュを思いやってくれる。心まで守ろうとしてくれる。

 それでも、悪い予感は止められない。

 リーシュは王を振り仰いだ。闇の瞳と視線が合う。


 微妙な間の後、落とされた死の王の声は、まるでため息のようだった。

「そなたの、本来の主だ。そなたを愛し慈しむという。あるべき場所へ戻りなさい」

 聞きたくないと願っていた言葉だった。だが他ならぬ死の王に言われては、リーシュに抗うことなどできようがない。彼は、彼の言葉は、リーシュの全てだ。

 これから永遠に、傍に在りたいと願った神なのに。この神のためだからこそ、死よりも生を選び取ったのに。

 リーシュは掴んでいた衣服から、のろのろと手を離した。

 ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ、それは地に落ちる前に黒いダイヤと化した。しゃがみこんでそれを拾うと、愛しい神に差し出した。せめて何か、二人でいた証を残したかった。自分を思い出してほしかった。

 何も言葉が出てこない。言いたいことはたくさんあるはずなのに。

 嗚咽とともに差し出された宝石を、死の王は同じく無言のままで受け取った。


 心のこもった別れの場面に、アルヒとシャレムも来た時の勢いを失っている。まさか、反論もなしにすんなりと返されるとは思っていなかったのだろう、どこか気まずそうな表情だ。

 そこまで悪い神ではないのかもしれない。

「……いらっしゃい。天の世界を見せてあげるわ」

 シャレムに腕を引かれて、歩きだした。死の王から、少しずつ離れてゆく。

 一歩一歩が、針の上を歩くように辛かった。

 何度も振り返り、愛しい神の姿を刻み付けようと思っても、涙で視界が歪み、まともな像を結ぶことさえ難しい。

 そんなうちにあっという間に宮殿を抜け、最愛の影は見えなくなった。漆黒の宮殿が、虚無の荒野が、二人で過ごした何もかもが遠くなる。


 神々が座す天の車に乗り込んでもリーシュが泣き止まないので、アルヒとシャレムは見るからに困った顔をしていた。

「あの方は、あなたに優しかったのね」

 先ほどまでとはうってかわって優し気な声で、シャレムが語りかける。

「全てを、与えていただきました」

 寝台で羽毛を撫でられるとき、去り行く魂を二人で見送るとき、歌声に優しく微笑んでもらうとき、咲かせた花の中で眠るとき、名前を大切に呼びかわすとき、リーシュは確かに満たされていた。祝福し、祝福され、間違いなくこの世に生きていた。

 そして自分の存在が、彼の世界をほんの少しでも彩っていることが、嬉しくてたまらなかった。


 だがその全ては過ぎ去った。

 これからどう生きてゆけばいいのか、まだリーシュはわからずにいる。



 始めの印象こそ良くなかった二人の神々は、しかし言葉をたがえはしなかった。白と白金を基調とした壮麗なる天の宮殿に着くと、広々とした一室をリーシュに与え、下にも置かぬもてなしを妖精たちに命じた。ソワンという癒し手を派遣し、まだ傷が残っていないか確認もさせた。


「さすがは恩寵の神鳥、傷跡はもう残っていませんね」

 おっとりとした雰囲気のソワンは、診察で乱れた羽毛を丁寧に撫でて直した。

「ですが、冥府には癒しの手段がありません。どのように治したのですか」

「ただ、長く眠っていました。二か月と、半年くらい」

 それでソワンは得心した様子だ。

「夜の君が、甘き眠りをくださったのですね。神鳥の回復力ならば、十分な時間です」

 耐えがたい痛苦の中、あれだけ深く長く眠れたのは、死の王の力のおかげだった。

 それなのに、思えば自分は死なせてほしいというばかりで、彼にお礼を言ったことさえなかったことを思い出す。今の命は、死の王に与えられたも同然なのに。


「声も問題ありませんし、大丈夫でしょう。もし体調を崩されたら、いつでもお呼びください。他に何か知りたいことはありますか? 話したいことでも構いません」

 人のよさそうなソワンについ気を緩めて、リーシュはおずおずと疑問を投げた。

「あの……聞いて良いのか分からないのですが。至上の君と闇の君は、仲が悪いのでしょうか」

 ああ、と微妙な顔つきになったソワンは、曖昧に微笑んだ。

「実のところ、そのお話は暗黙の了解と申しますか、ほとんどの神々が知っていることなのです。ですから、お話しいたします。ですがもちろん、ご本人がたに直接お話しにはならないでください」

 丁寧な前置きをしてから、ソワンは話し出した。


「あのお二人がこの世にお生まれになったのは、まだ原初の神がおわす頃。まだ世界は完成されていませんでしたが、原初の神はこの世をお二人に任せて、ご自分は眠りにつこうとお考えになりました。

 そこで命を育む真昼の支配者と、命を終わらせる宵闇の支配者を、それぞれどちらかに任じるつもりでおられました。ですがお二人とも、生きとし生けるものを愛しておられたので、死を与える役割を望んではおられませんでした。

 しばらくが経った頃、黄昏の君がお生まれになりました。至上の君は黄昏の君を深く愛されましたが、黄昏の君は闇の君を慕っておいででした。三人の間にはしばし、ただならぬ空気が流れたといいます。

 結局闇の君は、二人のお心に影が差すことを恐れ、死と宵闇の支配者を引き受けられました。地下深くに冥府をつくり、あらゆる生命を拒絶する強力な呪いをかけました。神々であっても許可なしには立ち入れぬようにして、一人閉じこもられてしまったのです。

 黄昏の君は明確な拒絶と受け取り、悲しみつつも闇の君をあきらめることになさいました。そして原初の神が眠りにつかれ、数万年を経た後に、とうとう至上の君とのご結婚が決まったのです」


 至上の君の態度については、理解ができる部分もある。彼らの中にはまだ、わだかまりが残っているらしい。

 だが黄昏の君については、かつて愛していた相手にあれほどとげとげしい態度を取るものだろうかと、リーシュには不思議でならない。それほど、拒絶されたことが許せなかったのだろうか。


「闇の君は、黄昏の君を愛してはおられなかったのでしょうか」

「それはご本人以外、誰にも分りません。ですが、拒絶なさったということは、おそらくそういうことだろうと思われています」

 あのお方は優しい方だから……とリーシュは考えた。

 黄昏の君を愛していたとしても、身を引くことは考えられる。けれど今日の黄昏の君への態度を見る限り、何か特別な感情があるようには思えなかった。

 いずれにしても、過ぎたことだと、死の王ならば言うだろう。


「教えてくださって、ありがとうございます」

「いいえ」

 ゆったりと首を振ったソワンは、気がかりそうにリーシュを覗き込んだ。

「気落ちしておられるのですか。お別れが辛いのですね」

「はい……何のお礼もできませんでした」

 自分の不甲斐なさを悔やみ、再び泣き出したリーシュにソワンは焦った様子でいたが、リーシュの涙が宝石に変わるのを見ると、あら、まあ、と興奮をあらわにした。

「これが神鳥の涙なのですね。申し訳ありません、あまりに美しくて……まさか拝見できるとは」


 慰めたり驚いたりと忙しいソワンの隣で泣いていると、部屋にシャレムがやってきた。

 赤みを帯びた金の髪は、白を基調にした宮殿のどこにいても際立って目を引く。豊満な肢体が長衣の隙間から見え隠れし、大ぶりの耳飾りやアンクレットが歩くたびに音を立てた。

 雄弁な芯の強いまなざしに、ゆったりと優美な身のこなし。出会いの印象こそあまり良くはなかったが、こうして見ると、至上の君の妻にふさわしい威厳と品格を感じさせる。

 シャレムに深く頭を垂れたソワンは、その姿勢のまま滑るように退出した。問題ございませんでした、とだけ、完結に報告を済ませて。


「あら、せっかくのサファイアを踏んでしまうところだったわ」

 シャレムは床に散らばった宝石を拾い上げてテーブルに置くと、幼子に語り掛ける時のように腰をかがめた。それでようやく、止まり木にいるリーシュと高さが合う。

「そうね、悲しい時は泣くしかないわ。時間しか解決できないことってあるものね」

 ほんの少し迷ってから、冠毛を慣れない手つきで撫でた。どうもしっくりこなかったのか、じきにその手を引っ込める。

「先ほどのこと、謝るわ。あなたを取り戻さなければと息まいていて、何もかも間違えた気がするの。あんなに責めなくても、きっとあの方はあなたを返してくれたのにね」

 リーシュが返事をしなくとも、かまわず話し続けている。


「分かっているの。過去にこだわっているのは、私たちの方。あの方はもう気にしておられない。私への態度だって、見知らぬ他人のようだった」

 その違和感は、確かにあった。二人と闇の王の間には、明らかに温度差があり、齟齬があった。

「こうして慌ててあなたを連れてきてしまったこと、許してちょうだい。でもね、こういうことって時間をかければかけるほど、辛くなるものよ。あの方の優しさは泥沼のよう。そばにいればいるほどに、足を取られて抜け出せなくなる」

 その言葉には、追憶というには生々しさがありすぎるような気がして、リーシュは返事ができなかった。そして、どこか理解できる気がした。

 シャレムが自分で言った通り、闇の君は彼女の中でまだ過去にはなりきれない存在なのだろう。振り返ればまだそこにいて、心を引きずり寄せてくるような。


「……余計なことまで言ったわね。ね、あなたって名前は何というの? 何と呼べばいいかしら」

 無理やり気持ちを切り替えるかのようにして、シャレムは明るい声を出した。

 リーシュはまたも言葉に詰まり、逡巡ののち、「小鳥と呼ばれていました」とだけ告げた。大切な名前は、エンデにだけ呼ばれたい。

「そうね、確かにそう呼んでいたような気がするわ。あなたにはまだ名がないのね。では、至上の君に相談しておきましょう」

 きっと美しい名をつけてくださるわ、と微笑み、シャレムは部屋を後にした。綺麗ね、と無造作に琥珀をひと粒つまみあげて。


 小さな神鳥に与えるにしては広く豪奢な部屋に、リーシュは一人になった。ふっくらとした寝床、金の止まり木、山もりの果実や蜜を垂らしたミルク、水浴びのできる小さな噴水まである、何一つ不自由のない部屋だ。窓の外には緑豊かな中庭があり、色鮮やかな小鳥たちが飛び交っている。

 天は祝福を失っていたと黄昏の君は言ったが、ここはリーシュが歌わなくとも、十分すぎるほどに美しい。

 それでもリーシュはあの大きな漆黒の寝台しかない、暗く空虚な冥府の宮殿が恋しくてたまらなかった。自分をリーシュと呼ぶ、あの低く静かな声が聞きたくて、心は千々に裂けていた。


 来る日も来る日もその涙が止まらないので、大きな籠に宝石はあふれるほどにたまり続けた。

 神鳥の涙は美しいだけでなく、神力を増幅させる力があるらしく、神々はそのおこぼれを欲しがった。半妖と違って痛めつけてはこないものの、自分の悲しみが誰かを喜ばせるのは、やはりどこか妙な気分にさせられる。

 アルヒとシャレムは時間を作り、天上の世界をあちこち案内してくれた。多くの神族が物珍しそうにやってきて、適当な慰めの言葉をかけてゆく。その顔も言葉も、何一つ覚えられず、心にも響かない。

 悲しみは日毎に増し、癒えることがなかった。いつ見ても泣いているかぼんやりしているというので、小鳥はやがて、悲嘆の神鳥とひそかに呼びならわされるようになったのだった。



 シャレムに紹介された中に、ヴェリタという女神がいた。神々の中では珍しく、着飾ることにも美しいものにも興味がない。好奇心の強そうな顔には化粧気がなく、ぼさぼさの髪を梳かしもしないで雑にまとめている。

 代わりに本にはまるで目がなく、居室は足の踏み場もないほどの本であふれていた。

 他の神々と違い、リーシュの機嫌をとったり、祝福を見せるよう願ったりしてこないので、一緒にいて疲れない貴重な相手だ。時折彼女を訪れ、本がもはや寝台のように敷き詰められた上で、話をした。

 ヴェリタは常に本を読みながら話をするので、たまに返事がトンチンカンだったり、とてつもなく脱線したりするのだが、そのいい加減さがかえって気楽で良い。


 シャレムが彼女を紹介したのは、ヴェリタが千里眼の持ち主であり、アルヒたちの神鳥捜索に力を貸していたからだ。

「まあ私の千里眼なんてものは全く不完全な、噓くさい占いみたいなものだけれどね」

 ヴェリタ自身は、その能力をさして評価していないようだったが。

「だって、あんたを見つけるまでにどれだけかかったと思う? 五百年だよ。あれ、三百年だっけ……八百年? まあどっちでもいいけど、あんな半妖のしょうもない妨害魔法でやられちゃうほど、ろくでもない力だってわけ。もう二度と、あんな捜索には協力したくないね」

 シャレムが同席していないのをいいことに、言いたい放題のヴェリタが面白かった。彼女はしきりに、神鳥捜索に割いた時間があれば何冊の本が読めたかということを、粘着質に計算している。

 そのくせ、神鳥が失われていた期間を正確に覚えていないものだから、その計算は千里眼同様、怪しげなものであるらしかった。


「しかしあの半妖、まあまあできるやつだったんだよね。並みいる神々が数百年見つけられなかったっていうのは、なかなかだよ。デキる協力者もわんさかいたらしいし。正直天上にも色々あったから、ずっと全力で捜してたってわけでもないんだけどさ」

「結局、どうやって私を見つけたんですか」

 思い返すも、不思議なのはその点だ。

 認識阻害魔法のたぐいは死の王も得意だったから、来客のある時にはリーシュの身を隠してくれた。天使スフェルも正義の女神オルディネも、リーシュの存在には気づいていなかったのに、なぜ突然アルヒたちが乗り込んできたのか。


「あれね。まあ正直言うと、カンだね」

 ヴェリタの回答は、がくりと脱力するほどいい加減なものだった。

「あんたが半妖の根城を脱出したほんの一瞬、神鳥の魂の輝きを至上の君が感じ取ったんだ。それで、打ち切られていた捜索が大々的に再開された。

 でも、ポンコツ千里眼で地上と天上をくまなく捜しても、あんたはいなかった。しかも半妖はひどくあんたを痛めつけていたらしいから、もしかして肉体が限りなく死に近づいて、冥府に引き寄せられたんじゃないかって推理になった。つまり、千里眼は関係ないんだよね」

「そう……だったんですか」

「そ。でも冥府ともなると、簡単には入れないうえに、上級神でないと魂が傷つくでしょ。だから至上の君が直々に確かめに行ったんだ」


 あの日死の王がリーシュを隠さなかったのは、至上の君に対しては無効になると思ったからか、あるいは本来の主から隠すことを良しとしなかったのか。

 どちらにしても、物々しい一行が威勢よく乗り込んできた時点で、死の王はもう、リーシュを手放す覚悟を決めていたのかもしれない。


「でもさ、聞いたところによると、あんた冥府でも結構幸せにやってたんでしょ? こっちに来てから、毎日泣いてるって聞いたよ。だからさ……悪かったなって思ってるよ」

 ヴェリタはふいに神妙な顔になると、開いていた本にしおりを挿んで、ぱたんと閉じた。

「もっと早く、あんたを助けてあげられれば良かったのにね。それか、もう一生見つけなければ良かった。うまくやれなくて、ごめんね」

 リーシュを見つけたことを謝ったのは、ヴェリタだけだ。

 ヴェリタが謝ることではない、と思う。誰一人、間違ったことはしていない。アルヒやシャレムのことも、責めることはできない。彼らは元々自分たちであるはずのものを、取り戻しただけだ。


 リーシュだって、彼らを恨んでいるわけではない。

 ただ抑えようもないほどに、死の王が恋しいだけなのだ。

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