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懐かしの日々 想い出

初めて見た悪夢を今もハッキリと覚えている

作者: 池畑瑠七

 軒を連ねた古びた長屋。黒なのか、或いはこげ茶色なのか…幾枚もの格子戸が、黒く湿った道の奥までずっと続いている。


 雨降りのような、夕暮れのような、薄暗い空。

 どうしてそこに居るのかは、わからない。遊んでいて迷い込んだような、何時も通っていたような、その一角に住んでいたような。


 ともかくその格子戸の前に、3歳かそこらの幼い私は、立っている。蛇に睨まれた蛙みたいに、格子戸の前に立ち尽くしている。

 少し離れた奥の格子戸から、誰かがじっとこちらを見つめてるからだ。


 黒と赤の縁取りある白い着物を纏い、雪みたいに薄青く滑らかな肌、すっと筆で描いたような、月型に曲がった細い目と、眉。

 そして、不自然に口角が上がり妙に赤くて薄い唇。一見笑っているようで、でも冷たいその目の奥は獲物を狙うかのように妖しく禍々しく光り、全く笑ってはいない…。

 それは人形のように感情が存在しない、お面のような顔だった。

 

 今思うと、「小面」(コオモテ)と呼ばれる能面とその衣装を身に着けた、そんないで立ちだったかもしれない。

 首もとの重ね部分、白い肌白い衣に一筋走ってる赤い線が、毒々しい唇の紅と共に際立つ。


 薄笑いを浮かべているようなのに、かえってそれが一層怖くて、足がすくんで私は一歩も動けない。


 なんで私を見てるの?だれ?知らない!


 逃げ出そうとしても、スローモーションフイルムのように足は虚しく浮き上がって、空を切る。何度も、何度も。

 怖さと焦りとで泣き出しそうな私に、ニンマリと冷たいうすら笑いを浮かべたままその人?は徐々に近づいてくる。

 動いてる様子モーションは何もないのになぜか、滑るように少しずつ少しずつ、その顔は近寄って来る。


 逃げなきゃ。

 ……怖い、嫌だ!

 怖い……助けて…怖いよ、おかあさあん!


 とうとう泣き出して、喉の奥でずっと詰まったまま出てこなかった声を、お腹を絞り出すようにやっとの思いで音にして、叫ぶ。


 その瞬間に、ハッと目が覚める。怖さ心細さに私は、泣いていた。


 まただ……


 時には黒い服に身を包んだもう一人の男がいて、そのふたりにじわりじわりと追われることもあった。どうしてかわからない、物心ついたばかりの幼い自分にそんな経験は有るわけが無かったし、テレビだってまだ、我が家には無かったころ。なんでそんな色付きの悪夢を繰り返し見るのか、一体どこからこんな映像が湧きだしてくるのか?

 

 3歳かそこらの幼い私にはその訳なんてさっぱり、わかるわけがなかった。今に至っても、思い当たるものはない。ただただ怖くて、心細くて、泣いて目覚めた時には母に、そばにいてほしかった。


 一番覚えているのは、そうやって目覚めた時に隣に母の姿が無いと、気付いてくれるまでずっと布団の中でクスンクスンと泣いてたこと。

 そんな私に気づき奥の台所から見に来てくれた母に抱きあげてもらって、その温もりに触れやっと、泣き止んだことだ。


 時にはコタツでうたた寝して同じ夢を見、やっぱり泣いた。泣きながら、たいていは薄目を開けて母を待っていた。母はそんな私を抱き上げ、川の字になって家族が寝る隣の部屋のせんべい布団へと運んでいってくれた。

 小学生と並んでも肩が揃う位に小柄な人だったから、今思うとそれは結構な重労働だったかもしれない。


 3歳か4歳か、覚えてないけどおそらく人生最初に刻まれた恐怖の記憶ってものが、この「得体のしれないモノに追いかけられる悪夢」だったんじゃないかと思う。

 そしてこの夢は、その後も同じようなシチュエーションで大人になってからも時たま、見ることがあった。


 いつのころからかこの夢は見なくなった。けれど、それでも今もハッキリ覚えている。

 あの顔、あの恐怖。そして、目覚めた私を抱き上げてくれた母の温もりを。


 エッセイってやつを書いてみようかな、じゃあ何を?って考えた時一番最初に浮かんできたのが、この夢の映像だった。私の人生の根っこに、良い悪いじゃなくこの記憶がずーっと横たわっている。

 何故なんだろう。


 推しアーティスト「米津玄師」さんの「アイネクライネ」という大好きな曲に、こういう歌詞がある。「生まれてきたその瞬間にあたし、消えてしまいたいって泣き喚いたんだ」


 母のお腹の中に居た、絶対的な安らぎのとき。それが出産という酷く苦しい衝撃的な体験を経て、突然「未知の外界」へと押し出され絶対的だった安心の世界の全てを、赤ん坊は失うのだ。

 無垢な、まるはだかの赤子にとってそれがどれほど恐ろしく不安なものであるかを、この一節は思い起こさせてくれる気がする。


 幼き私のこの悪夢は、ある意味そんな体験に近い感覚があるのではと思う。

 他方、おびえる私を包み母が与えてくれる絶対的な安心感は、あたたかな「光」だ。

 曲中ではこの「光」を「名前を呼んでくれたあなた」として、二人の行く末を温かなものと思わせる、優しく繊細なストーリーを紡いでいる。


 わが身の半生を振り返ってみた時。幼児期の、人格形成根幹の部分でこの悪夢(影)と母の無償の愛(光)が、陰陽成すかのようにワンセットで刻み込まれたのかもしれないな。


 初めてのエッセイ、第1稿になぜこの悪夢を書こうと思ったのか?

 我ながら不思議だったが、なんとはなしに今、腑に落ちた気がした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 白い着物を着た女性と目が合い、立ちすくんでいる時の情景描写がリアルですね! 背筋が冷たくなるような不気味な怖さを凄く感じました。 うわぁ〜コワイ話〜!と思い読み進めていくうちに、いつの間に…
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