お花代
これは、世間では我慢の夏、勝負の夏などと言われていた頃の出来事です――
これは、世間では我慢の夏、勝負の夏などと言われていた頃の出来事です。
「帰省はするなって言われちゃってさー」
まあこの御時世だからねーと続ける彼女は、明るく振る舞うものの、落胆しているのがわかりました。帰ってくるなと言われたことがやはりショックだったのでしょう。
今にして思えば、彼女の実家は、彼女のことを思って遠ざけたのだと思います。
大学進学のために上京してきた彼女とは、同じサークルで知り合いました。祭り好きを豪語する彼女は、明るい中にも育ちの良さを秘めた、どことなく「華」がある存在でした。
彼女の祭り好きは、これまで地元の祭りに出られなかった反動だと言っていました。家の方針で、うんと幼い頃に一度しか参加したことがないそうです。箱入り娘のイメージがぴったりだと思ったのを覚えています。なので東京の祭りには絶対に参加すると意気込んでいましたが、その矢先に自粛が相次ぎ、仕方ないと言いながらも残念がっていました。
そのようなこともあってか、彼女は誰かと一緒に歩いていても、「祭囃子が聞こえる」と言ってはふらりと皆の輪を離れ、しばらくして「勘違いでしたー」と戻ってくることがよくありました。おいおい禁断症状出てんじゃねーの、とイジられるまでがワンセット。私も笑っていました。冗談だと思っていたので。
ある晩のことです。彼女から『祭囃子が聞こえるの』とスマホにメッセージが届きました。
最初は「またか」と思い、様子見で既読スルーしていました。このあたりの祭りも先日中止が決定していました。そんなものが聞こえるはずがない。しかし二度目の『やっぱり聞こえる』というメッセージに、彼女の動揺を察し、何だか嫌な予感がしてきました。
心配になって電話をかけると、彼女は「聞こえる、聞こえる」と言いますが、電話の向こうから聞こえるのは彼女の声だけでした。祭囃子なんて私には聞こえません。
『聞こえるの、家の外から。だんだん近づいてくるみたい』
通話はやがて切れました。
慌てて自転車を彼女のマンションに走らせると、彼女はすでに家を出た後でした。
きっと祭囃子に誘われていったんだ。非現実的な話ですが、これまでのことがあったので不思議には思いませんでした。だから、簡素ではあるけど、コンビニで調達した物を頼ることにしました。
持参した物をぎゅっと握り、強く目を瞑ったところで、私はそこで初めて、彼女と同じものを聞きました。太鼓の鼓動、笛の音、ワッショイの掛け声。遠ざかっていく祭囃子を聞きました。きっとその先に彼女もいる。そう確信し、その華やかな喧噪の名残を追いかけました。
遂に追いついたと曲がり角に飛び出た私が見たものは、神輿でした。
祭囃子を伴った荘厳な神輿が、何人もの担ぎ手により躍動していたのです。神輿の上には彼女の姿がありました。思わず目を奪われましたが、こんなものは幻だと腹に力を込めました。
私は神輿に向かって、持ってきていたポチ袋を投げつけました。
神輿と担ぎ手は掻き消え、祭囃子は次第にカンカンという踏切の音に変わりました。
間一髪で、黒と黄色のバーを越えようとしている彼女を引き戻すことができました。
顔のすぐ横を電車が走っていく恐怖はしばらく忘れられそうにありません。
祭りには、神輿の担ぎ手にポチ袋で包んだ寄付金を渡す「お花代」がつきものです。
以前に彼女から聞いていた話ですが、彼女の地元の祭りではそれが特に熱心で、若衆が街の隅々まで練り歩き、カンパを募る風習があるそうです。
それを知って私は、前に大学の図書館で読んだ「お花代のルーツ」の話を思い出しました。
本来の形は寄付とその徴収ではない。神輿を担ぐ男衆は嫁のなり手として娘を見初めようとし、それは勘弁をということで金を握らせていたのが、いつしか金そのものが目的に変化していったそうです。
文字通り、「お花の代わり」だったのだと。
これは私の想像でしかありませんが、ルーツの話はそこで終わらないのだと思います。
祭りとは神事です。主役を差し置いて嫁探しにかまけていたというのはあまりに罰当たりなので、嫁探しはもともと、祀られる存在のために行われていたと考える方が腑に落ちます。
彼女はうんと幼い頃、祭りに出た際に、本物の怪異に見初められてしまったのではないでしょうか。
彼女の家族が祭りに出ることを禁じたのも、上京を止めなかったのも、彼女を隠すためだったと思われます。しかし、家を出たことが裏目に出て見つかってしまい、ここまで追いかけてきた怪異に遂に娶られそうになったのでは。
帰省も叶わない今では、それを確かめる術も、どうすればいいのかもわかりません。
なので今回、相談するつもりでここに投稿いたしました。
自粛二年目の夏。彼女がまた「祭囃子が聞こえる」と言い出したのです…。