公爵令嬢の王太子殿下から裏切られた恋…
ああ…わたくしがいない間に…なんて事でしょう。
わたくしの居た場所に、あの女が居る様になったのは。
愛しい王太子殿下の隣に、あの女が…
わたくしに向けられた王太子殿下の笑顔を、わたくしに囁いてくれた熱い愛の告白を…
全て全て、フィリス王太子殿下の全てはわたくしの物だったのに…
ああ…ああ…許せないわ。許せない…殺してやりたい。あの女を…
美しきアイリス・フォリアテリス公爵令嬢は、この国のフィリス王太子殿下と幼い頃から婚約を結んでいた。
二人は仲睦まじく、王立学園に入学してからも、仲良く机を並べ、共に勉学に励み、
時には励まし合って時には慰め合い、周りから見ても、微笑ましくなるくらいの仲が良い二人だったのである。
だから、当然、フィリス王太子殿下と結婚し、既に妃教育も終えているアイリスが将来の王妃であると、皆、思っていたのだが。
メルティア・アイルガーナ公爵令嬢。ライバルの派閥のトップに立つアイルガーナ公爵家の令嬢である。
その令嬢が急速にフィリス王太子に接近してきたのだ。
10歳の時に、フォリアテリス公爵家とアイルガーナ公爵家どちらの令嬢と婚約をと言う話が出たのだが、どういう経緯かアイリスが選ばれたのだ。順調にフィリス王太子殿下との愛を深めて、何もかも幸せだったのに。
メルティナも、美しかった。
アイリスが黒髪碧眼の美女なら、メルティナは金髪ですみれ色の瞳をした可憐な美女で。
勉学も甲乙つけがたく、令嬢としてのマナーもダンスも、妃教育を受けて来たアイリスと同等の物をメルティナは持っていたのである。
クラスがフィリス王太子と一緒になった途端、彼女は急接近してきたのだ。
アイリスが体調を崩して一月程、学園を休んだ時があった。
そして、戻って来てみたら、二人の仲は深まっていたのである。
これ見よがしに、いちゃつくフィリス王太子とメルティナ。
酷い酷い酷い…
あの女を殺してやりたい。でも…
向こうも公爵家。手を下そうにも護衛が優秀で、それにわたくしがやったという事がバレてしまうわ。
ああ、でも、あの女の胸を、フィリス様の目の前で、ナイフで抉ってやったらどれだけ、気持ちのいい事でしょう。護衛だって学園の中まで入ってこられないですもの。警備員だって駆けつけるのに時間がかかるわ。
わたくしの愛の深さをフィリス様に見せてあげるのよ。
わたくしはずっとフィリス様の事だけを思って生きてきたの。
わたくしの全てはフィリス様なの…解って解って解って…
とある日、耐えきれなくなったアイリスはナイフを忍ばせて、窓辺で仲良く話をしているフィリス王太子とメルティナの傍へ近づいていく。
さぁ…わたくしの愛を見せてあげるわ。フィリス様。
すると、アイリスの目の前を通り抜けて一人の赤毛の令嬢が、名はサルリアがメルティナに向かってナイフを振り上げた。
「お父様の敵。覚悟しなさいっ。」
ああ…いけないわ。わたくしがメルティナを殺すのよ。
逃げるメルティナ。追うサルリア。フィリス王太子は何も出来ないみたいで。ただただ立ち尽くしている。
騒ぎを聞きつけて駆け付ける警備員。
思わずアイリスが二人の間に割って入った。そこへ、サルリアのナイフがアイリスの腰に突き刺さる。
フィリス王太子が叫ぶ。
「アイリスっ。」
警備員の男性達がサルリアを取り押さえ、イボーク・オルレッド公爵令息がアイリスを抱き起して、「医者をっ。急いで。呼んで。」
そして、アイリスに向かって、
「医者が来るから。気をしっかり持って。いいね?」
フィリス王太子はメルティナを抱き締めて、震えているだけだった。
アイリスは一命をとりとめた。
ああ…何でこうなったのかしら。おかしいわね。わたくしがメルティナを殺すはずだったのに。
あの時、サルリアが飛び出していかなかったら、自分がメルティナにナイフを振るっていただろう。
彼女を助けた事になってしまった。
震えて何もしてくれなかった。フィリス王太子。
わたくしは、何であの方が好きだったのか…
よく考えてみたら、結構、臆病で移り気で…何で好きだったのか…アイリスは解らなくなった。
兄のウォーレンが。
「花がお前に届いている。」
「わたくしに?」
まさか王太子殿下?いえ、そんなはずはないわ。
イボーク・オルレッド公爵令息からの赤い薔薇の花束で。
- 貴方の勇敢さは尊敬に値します。どうか、私とお付き合いをしてくださいませんか。
出来れば婚約を結びたいと思います。-
ああ、わたくしは…まだフィリス王太子殿下と婚約解消をしてはいない。
でも、そのうちに婚約解消されるでしょう。
イボーク様はあまり目立たない公爵令息。
将来、騎士になりたいと言うだけあって、大きな身体の男性で。
わたくしは勇敢ではないのよ。わたくしが本当はメルティナを殺そうと思ったのよ。
フィリス王太子殿下から見舞いの品と、メルティナの家、アイルガーナ公爵家から、礼状と見舞いの品が届いた。
アイリスはなかなか身体が回復せず、鬱々とベッドで過ごす日々。
その間にも王家からフォリアテリス公爵家に婚約解消の申し出があり、
もう、フィリス王太子には何の未練も感じなかったけれども、アイリスは何とも言えない寂しさを感じてベッドで一人泣いた。
しばらくして、イボークが訪ねてきてくれて、
アイリスの身体も大分回復した頃で、歩けるようになったので、テラスで共にお茶をすることになった。
イボークは開口一番に、
「お身体は如何ですか?婚約解消されたそうで、ああ、どうか私と婚約して頂けませんか?」
「どうしてわたくしと?」
「貴方の勇敢さに惚れました。メルティナ嬢を庇って、刺されるなんて。どうか、私と婚約を。お願い致します。」
「お断りします。」
「どうして?」
「わたくしは勇敢ではないからですわ。」
アイリスは立ち上がる。目の前の何も解っていない男の肩に手を添えて、
「わたくしは汚い女なの…本当はわたくしがメルティナを殺したかった。
だってそうでしょう。愛するフィリス王太子殿下を盗られたのですもの。
ああ…愛想が尽きたと思っていたけれども、わたくし、まだあの方が好きなのね…
サルリアの家、メルティナの公爵家によって潰されたらしいわ。恨んでいたのね。
サルリアがメルティナに襲い掛からなかったら、わたくしが襲っていたわ。
メルティナを。何で庇ったかって?わたくしがメルティナを殺したかったからですわ。」
席に戻り、紅茶をゆっくりと飲んで、イボークを見つめる。
「うふふふふ。今のは戯言。忘れて下さいませ。」
イボークはにこやかに、
「お気持ち解ります。私が何故、今、婚約者もいない。結婚してもいないのは解りますか。
婚約していた令嬢に裏切られたからです。それはもう傷つきました。
ですから、貴方の気持ち、解ります。メルティナは公爵令嬢ですから…手の者を使って殺すわけにもいきませんから。私は闇に葬りました。ふふふ。戯言です。忘れて下さい。」
あら…この人、さりげなく怖い事を言ったわ。でも…それだけ傷ついた気の毒な方。
「わたくし、貴方の事が好きになりそうですわ。」
「私もです。アイリス。」
「わたくしは貴方の事を裏切りませんわ。」
「私も貴方の事を裏切らない。もし、裏切ったその時は…貴方の手で…」
「わたくしも同様ですわ。貴方の手で…」
アイリスは幸せを感じた。
イボークは自分に似ているのだ。
きっと…彼は自分を大切にしてくれるだろう。
フィリス王太子は後に事故死した。
イボークが手を下した訳でも、アイリスが手を下した訳でもなく、
彼が弱かったからに他ならない。証拠がないが、弟王子が殺したのだという説が有力だ。
後に弟のフォードが新たに王太子になった。
そのフォード王太子の婚約者にメルティナがなり、彼女は後の王妃になってしたたかに生きた。
王都中央は殺伐と荒れに荒れたが、
アイリスはイボークと後に結婚し、中央のいざこざに巻き込まれる事も無く、領地に籠って子供にも恵まれ幸せに暮らしたと言われている。