珈琲
父は、物静かな人である。
食事中もほとんど話さないので、
おしゃべりな母が居ないと、我が家の食卓は、お通夜みたいになる。
小学生の頃は、キャッチボールの相手をしてくれた。
しかし、私が社会人になってからは、ほとんど会話もない。
お互い酒を飲まないので、酒を酌み交わしながら語り合う、
なんて親子のコミュニケーションも、ほとんどない。
そんな父の唯一の趣味が、珈琲である。
10年位前だろうか、都内の専門店で、珈琲を淹れる道具を、一揃い買ってきた。
それまでもインスタントコーヒーをよく飲んではいたが、突然目覚めたらしい。
それからというもの、休日は朝から父が豆を挽く音が目覚まし時計になり、
淹れたての珈琲のアロマが漂ってくるのがお決まりとなった。
珈琲豆にもこだわりを持っているらしく、
様々な豆を、通販で取り寄せては、父独自のブレンドを楽しんでいるようだった。
私はというと、「珈琲は苦い大人の飲み物」という先入観があり、
30歳くらいまでは、所謂甘い「コーヒー飲料」しか飲んでこなかった。
しかし、やはり父の子、友人から美味しいから飲め、
と勧められたコンビニの珈琲に、ハマってしまい、珈琲好きになった。
ネット通販で調べてみると、手挽きコーヒーミルのセットが、
手頃な価格で販売されており、私も自分で珈琲を淹れてみることにした。
学生の頃は、テストで良い点を取っても、ほとんど父に褒められたことなどなかったから、
いつしか、父が「美味い」と言ってくれるような珈琲を淹れるのが目標になっていた。
ある休日、いつものように珈琲豆を挽く父に、
「俺も珈琲淹れてみたんだけど、飲んでみてよ。」
自分の淹れた珈琲を勧めてみた。
父は、少し驚いたようにカップを見つめ、
「お前が淹れたのか?」
「そうだよ。ブレンドもオリジナルだよ。俺は苦いのが得意じゃないから、
マイルドな味になるように調整したから、気に入ってもらえるか不安だけど・・・。」
「・・・そうか。」
父はカップを鼻に近づけ、
まずは、ゆっくりじっくりと香りを楽しんでいた。
今まで見たことがない、父の幸せそうな微笑みに、
私も嬉しくなり、なんだか少し胸が熱くなった。
「いただきます。」
父はそのコーヒーを、一口すすった。
「苦っ。」