国を繁栄させる四つの道具
国を治めるうえで一番大切な事と具体的な方法を考えるための逸話
市営住宅集会所へ講演会を聞きに行った。
演題は「兵法書を読んで『生き方』を考える」。内容の要点は次の通りだった。
韓非は、今から2300年ほど前に生まれた韓の貴族。隣国秦の圧迫に苦しむ祖国を救うために兵法書を書いた。韓王様は、その兵法書に興味を示さなかったが、隣国秦の王様政(後の始皇帝)は、兵法書に書かれている内容に感動していた…兵法書に書かれている方法で富国強兵を実現し、戦国の乱世を終わらせることができると思ったから。
秦に韓を自国の一部にしようとする動きが有ったので、政を説得して韓を秦とは別の[国]として認めてもらうために、韓非は秦に行かされた。
政が韓非を信頼して大臣に任命したら自分は大臣を辞めさせられると考えた李斯は、悪口を言いつけて韓非を牢屋に入れさせるようにした。そして、政が考え直す前に韓非を自殺させた。「拷問で苦しむ前に毒を飲んだ方が楽」と親切心を装いアドバイスする振りをして…
韓非が書いた内容は、次の四つ。
1)国を豊かにし軍隊を強くするための四つの道具
2)国を滅ぼす五つの害虫
3)家来や家族の心を見抜くのに役立つ六つの徴
4)家来や国民をコントロールするための七つの技術
[国を興すための道具]のうち主なものは、次の四つ。
1)[国の法律]を実行するための組織
2)[国の法律]:国民が行うべき事やしてはならない事を書いた文章
3)布令:[国の法律]を国民に知らせるための立て札など。「貧乏を無くす」「搾取階級を討つ」「差別を許さない」「弱者を救う」「自由と民主」などのスローガンも、これの一種。
4)信賞必罰:富国強兵に役立つ行いをした者には必ず褒美を与え、[国の法律]に違反した者は必ず処罰するという[国の法律]の運用
以下は、韓非が書いた兵法の要旨
〖国を治めるうえで一番大切なこと〗
行うべき事としてはならない事を法律で決めて、国民に法律を守らせる。
王様が[法・術]を駆使して富国強兵を実現すれば、望みのもの全てを手に入れることができる。富国強兵の方策とは、法律や禁令を明らかにし、計略をよく心得ることである。法律が明らかであれば、国内に事変が起こっても混乱することなく、計略が当を得ておれば、国外で戦死したり捕虜になったりする恐れもなくなる。
いつの時代でも、徳のある人が采配をふるって民衆がそれを見習うことで一国が治まるとは限らない。腹が減っているとき目の前に米をみつければ人目を避けて盗り、貧しいとき目の前に金塊をみつければこっそり盗む人間が多い今、仁徳だけでは国を治められない。
私利私欲の許されない国家運営の場面において、チェックや監視がしっかり行われなければ、社会は乱れ政治は腐敗して、国が滅亡に向かう。
昔の秦国では、だれも国法を守らず、仲間うちの掟を勝手に作ったり、好き勝手に行動していたので、国は乱れ、軍隊は弱く、王様はバカにされていた。
大臣に任命された商鞅は、王様に、国法をキチンと決めて皆に守らせる方法を提案した。
五軒組と十軒組をつくって、国民に密告させあい、連帯責任をとらせる。
詩経や書経などの書物は焼き捨て、法令を明示する。
大臣の請願を聞き入れず、国のために働く者を大切にする。
当時、秦の国民は、罪を犯してもうまく逃れ、功績もないのに讃えられる古い習わしに慣れきっていたので、新しい法が出ても軽視して守ろうとしなかった。しかし、新法を犯す者に必ず重罰を加え、密告者に褒美を取らせるようにしたら、密告と受刑者が増えた。
新法に反対する世論が盛り上がったが、王様も商鞅も、構わず、新法を適用して犯罪者を取り締まった。
その結果、犯罪は減り、国は良く治まり、軍隊は強く、国土は広く、王様の権威は高くなった。
また、商鞅は、商工業よりも農業を大事にすべきだと提言した。
国民が家を離れて仕官を求めることを禁止し、事あるときに兵役をつとめる農民を表彰する。
魏の昭王は、自分で政務を手がけてみたくなった。
そこで、孟嘗君に言った。
「ひとつ自分で政務をやってみたいが」。
「政務を手がけられるのでしたら、まず法律を勉強為さることです」。
昭王は法律の本を読みだしたが、いくらも読みすすまないうちに、眠ってしまった。
そして、「私には法律の勉強はできない」と嘆いた。
王様は、権力のカナメをおさえていればよい。家来にまかせておけばよいことまで自分でやろうとするのでは、眠くなるのは当然だ。
「どうも法というのは、うまく使えない」と、韓の昭王が大臣の申不害に愚痴をこぼした。
「法は、功績によって賞を与え、能力に応じて官を授けることです。あなたは法を定めておきながら、身近の者の請願を聞き入れていらっしゃる。それでうまくいかないのです」。
「なるほど、これで法の使い方がわかった。もう誰の請願も聞き入れないぞ」。
ある日、申不害が従兄の仕官を願い出た。
「おまえは、そうは教えなかったはずだ。願いを入れて教えを捨てたものだろうか。それとも、願いを断ったものだろうか…」。
申不害は謝って引き下がった。
市場に出かけようとする母親に子どもがついてきて泣いた。母親は「家にお帰りなさい。お母さんもすぐ帰ってあなたのために豚のごちそうを作るからね」と言って子供をなだめた。
母親が市場から帰ると、父親が豚を殺そうとしていた。母親は父親を止めながら、「あれはただあの子に冗談を言っただけのことですから」と言った。
父親は、「子供は冗談だと思っていないぞ。子供には冗談が分からないのだ。だいたい子供というものは、両親からいろいろなことを学ぶもの、両親の言うことにちゃんと従うものだ。今もし子供をだますようなことをすれば、それは子供に人をだますことを教えることになる。第一、母親が子供をだませば、子供は母親を信用しなくなる。それでは子供に教育なんぞできやしないではないか」と言い、豚を煮た。
〖国法を守らせるための条件整備〗
斉の桓公がお忍びで民間を視察したときのこと。
鹿門稷という男がいたが、彼は七十になっても妻がなかった。
桓公がお供の管仲に聞いた。
「しもじもには、年寄りになっても妻を持てない男がいるものだろうか」。
「ございます。鹿門稷という男は、七十だというのにまだ妻がありません」。
「どうしたら妻を持たせることができるだろうか」。
「こういう言葉があります。王様が財産を作りすぎると、しもじもの暮らしは貧しくなる。宮中にひとりで寝る女がいると、しもじもには老いて妻なき男が出る」と。
「わかった」と、言って、桓公は、まだ手をつけていない宮中の女を、みな嫁に出した。
それから次のような命令を出した。
「男は二十で嫁をとること。女は十五で嫁にいくこと」。
こうして、宮中には、ひとり寝の寂しさを歎く女はいなくなり、民間には妻のない男がいなくなった。
何の準備もなしに命令だけ出しても守られるはずがない。
〖信賞必罰〗
母の幼子に対する愛情は、何よりも深い。しかし幼子が良くない行いをするようならば、先生につかせて修養をさせるし、悪い病気にかかるならば、医者にみせて治療をしてもらう。もし先生につかなければ刑罰を受けることにもなりかねず、医者に見せなければ死んでしまうかもしれない。母がいくら我が子を愛しても、愛情などは、刑罰から、また死から救うのに役に立たない。つまり子供を無事に育てるものは、愛ではないのである。子と母とを結ぶ絆は愛である。また君臣関係を結ぶものは計算尽くである。母でさえ愛を以って家庭を無事に存続させることができないのに、どうして王様が愛などと言うもので国家を保持することができようか。
仁者は恵み深く、気前よく財産をばらまいてしまう。暴者は心が強くて動かされず、簡単に罰を与えてしまう。慈しみの心が深いと、厳しく罰することができず、気前が良いと、人に与えることを好み、心が強いと、臣下どもに対して憎しみの心が現れ、簡単に罰を与えると、むやみに人を死刑にしてしまう。その結果、厳しく罰することができなければ、罪を多めに見ることが多くなり、人に与えることを好めば、功績の無い物にまで恩賞を与えてしまう。また、憎しみの心が現れれば、下々の者はおかみを怨むようになり、むやみに人を死刑に処したならば、民衆は謀反を起こそうとする。
だから、仁者が王様の位につくと、下々の者は好き勝手に振る舞い、軽々しく法律に違反して、お上に対して一時の幸福をむさぼることを望むのである。また暴人が王様の位につくと、法律は気まぐれで王様と臣下の仲は不和になり、民衆は怨んで謀反の心を生じる。そこで私は、仁者にしても暴人にしても、ともに国を滅ぼすものだと主張するのである。
親や近所の者や先生がいかに怒り、責め、教え諭しても、少しも改めようとしない子供でも、法律を以て悪人を摘発する巡査が来たら、恐くなって変節し、良い子になる。
民衆は愛情に対しては図に乗ってつけあがり、威嚇にはおとなしく従うのだ。
政治を知らない者は、「刑罰を重くすると、国民を傷つける。刑罰を軽くしても悪事を予防できるのに、どうして重くする必要があるのか。」と言うが、軽い刑で悪事をしない者は、重い場合にも当然悪事に手を出さない。
重刑は、悪人にはプラスになるところが小さく、お上が下す罰は大、民はわずかの利益のために大きな罪を犯すことはしない。
軽い刑は、悪人が得る利益は大きく、お上の下す罰は小、民は利益を目当てにその罪を見くびるから、悪事は防ぎようがない。
20㍍の城壁を、身軽な者でも越すことができないのは、そそり立ってけわしいから。黄金30㌕が道に落ちていても拾う者が居ないのは、必ず罰を受けるからだ。
高山で羊を飼えるのは、山がけわしくないから。2㍍の布が道に落ちていれば拾う者が居るのは、罰を受けるとは限らないからだ。
功績のあった者に必ず賞を与えて讃え、犯罪者は手心を加えず罰して不名誉に晒せば、能力のある者もない者も全力をつくすだろう。
荊南地方にある麗水という川には金が出る。金を採ることは法令できびしく禁止されており、捕まれば衆人の前で磔の刑に処せられる。処刑された死体はおびただしい数にのぼり、川の流れをせき止めるほどになったが、金を採る者は、あとを絶たなかった。衆人の前で磔にされるほど重い刑罰はないのに、それでも金を採る者がいるのは、絶対捕まるとは限らないからだ。
「お前に天下をやる。その代わり、お前の命はもらう」と言われたとする。それでも天下をもらうという馬鹿者はいないだろう。天下をもらうほど大きな利益はないのに、それをもらう者がいないのは、必ず殺される、とわかっているからだ。
魏が武王のとき、呉起は西河の長官となった。
国境近くに在る敵国秦の小さな砦が農民に害を及ぼしていた。といってそれを除くためにわざわざ軍隊を集めるのは大げさすぎる。
考えた末、車のかじ棒を一本、北門の外に立てかけ、布令を出した。「このかじ棒を南門まで運んだ者には、上等の土地と上等の屋敷をとらせる」と。
布令を信じかねて運ぶ者がいなかったが、あるとき、それを運んだ者が出てきた。すかさず、布令どおりの賞を与え、今度は一石の赤豆を東門の外に置いて、布令を出した。「この赤豆を西門まで運んだ者には、前と同じほうびをとらせる」と。人々は先を争って運んだ。
そこで呉起は布令を出した。「明日、砦を攻めるが、一番乗りした者には、大夫の地位を与え、上等の土地と上等の屋敷をとらせる」と。人々は先を争って砦に攻め込み、あっという間にこれを占領してしまった。
〖国益と私利〗
王様が国民の利己的行為を許せば、国の利益は害される。
王様が賞罰を加える対象と、国民が名誉・不名誉とする対象は、往々にして一致しない。
功績をあげて爵位を与えられた者が世間では評価されなかったり、農業に励んだ者が賞を与えられても農業はつまらない仕事と思われたりする。
その一方で、招請に応じない者を排斥しても、彼らが俗世を超越するものとして尊敬されることがある。世間の評判を気にして、自分で働かずに衣食を得る「有能者」や、戦功をあげずに高位にのぼる「賢人」を横行させれば、国土の荒廃と兵力の弱体化をまねく。
学問によって世を乱す儒者を赦してはならない。
大臣が魚好きであることを知った国中の者たちが、争って魚を買い求め、彼に献上してきたが彼は受け取らなかった。弟が理由を聞くと、大臣は「魚が好きだからこそ受け取らない。献上される魚を受け取って判断に影響し、法を曲げれば、大臣を辞めさせられる。献上される魚を受け取らず、大臣を辞めさせられなければ、安心して自分の力で魚を得ることができる」と答えた。
楚の国の正直者が、羊を盗んだ自分の父を、令尹大臣に訴え出たが、令尹はこの正直者をつかまえて死刑を宣告した。王様に忠義だてして親不孝の罪を犯したものとして断罪したのだ。令尹が、父親を訴え出た息子を罰してからというもの、楚の国では罪人を訴え出る者がいなくなった。
魯の国が戦ったとき、三度出陣して三度とも逃げ帰った男がいた。どうして逃げてばかりいるのかと孔子が尋ねると、男は答えた。「わたくしには老いた父があります。わたくしが死んでしまったら、養う者がおりません」。その孝行ぶりに感心して、孔子は彼の位をあげてやった。孔子が、敗走した兵士の位を上げてからというもの、魯の国民は敗走を恥としなくなった。
「仁義」を身につけた者を信頼して登用したり、学問を修めた者が先生と呼ばれて名声が得るような風潮を許せば、国は乱れて王様の地位がおびやかされるようになる。
国を富ます農業や敵を防ぐ兵士にたよりながら、同時に飾りたてた儒者の服装を喜ぶのは、チグハグな行動だ。国法を敬わずお上をおそれない遊侠、刺客のたぐいを養うのも、チグハグな行動だ。チグハグな行動をしていたら、働く者が勤めをおろそかにし、働かず学問する者が日ましに多くなる。そして、世の中が乱れる。
宋の崇門の町で、あまりに真剣に親の喪に服したため、ひどくやせ衰えてしまった者がいた。親を思う心が深いからだとして、お上は彼を官吏にとりたてた。
次の年には、喪に服したため身体をこわして死ぬ者が、十人以上も出た。子が親の喪に服すのは、肉親の愛情に発することだが、それすらも、恩賞によってこのように奨励できる。
家来が王様につくすことにおいては、恩賞による効果が大きいはずだ。
昔、蒼頡は、文字を創るにあたって輪になった形の「ム」によって「私」を表し、それに反するという意味の「ハ」を加えて「公」という字にした。公私が相反することは、既に蒼頡が知っていた。未だに公私の利害が一致すると思うは無知の極致。
〖国法と人情〗
良く治まってる国は、国法が人情に通じており、国を治める道理にかなっている。
小さな悪事は、村人に連帯責任を負わせ、相互監視させる。禁令で自分に連座するものがあれば、村人は監視せざるをえない。監視する者が多ければ、悪者は悪事を謀れない。
ウナギは蛇に似ており、蚕はいわゆる毛虫に似ている。人は蛇を見ると、びっくりし、毛虫を見ると身の毛もよだつ。だのに、夫人は平気な顔をして、蚕を摘み上げ、漁師はウナギをわしづかみにする。利益があるとなると、人が嫌うことなどは忘れてしまって、みんなあの孟墳のような勇士となる。
だれでも自分の知らない物事には警戒するが、よく知っている物事には進んで為そうとするものだ。なぜならそうすることが自分にとって得になることが容易に推察できるだからだ。
子綽は、「左手で四角を画きながら右手で丸を画くことはできない。肉でアリを追っても集まるだけだ。魚でハエを追っても群がるだけだ」と言った。道理に逆らった行為は、うまくいくはずがない。
《禁止と奨励、賞と罰、その原則を逆にしたら、どんな神業をもってしても、政治はできない。条件を与えながら進ませないのは、乱の起こる元である》。
〖損得感情の働きを知る〗
人は幼児期に親に疎かにされると成長して親をうらむ。成人となった子供が老いた両親を粗略に養うと親は怒って子供を責める。本来、子と親の仲は、利益を度外視したきわめて親密な関係であるはずなのに、相手をうらんだり非難したりするのは相手が自分に報いてくれるという打算があるからだ。得すると思えば仲よくなり、損すると思えば、親子の間にもうらみの気持ちが生じる。
君臣関係では、肉親関係以上に打算が働く。まっとうなやり方で身の安全が保障されるならば、臣下はそれなりに力を尽くして主人に仕えるだろうが、そうでなければ私利私欲に走り、上に取り入ろうとする。王様は、何が得で、何が損なのかをはっきり天下に示したうえで、役立つ臣下に官爵を与え、臣下はそれに対して己の知力を提供するようにしなければならない。
カラスを飼いならすには、まず羽を切る。羽を切られてしまえば、カラスは人間に餌をもらうほかない。どうしたって馴れないわけにはいかないのだ。
[法・術]に長けた王様の家来飼育法も、これと同じだ。
ポイントは、俸禄に頼らざるを得ず、与えられた職に務めるほかないように仕向けることだ。家来は否も応もなく服従するだろう。
〖王業の基礎〗
王様が家来を評価するとき、世間の評判に惑わされて、成果を確かめなければ、口先ばかり達者で実際の役に立たない者が増える。昔の聖人を讃え「仁義」を口にする者が朝廷にあふれれば、実力と実行力を兼ね備えた人材は世に埋もれ、国力が衰えていくことになる。
商子、管子といった政治書を読む人々は多くても、内容を活用する人は少なく、農業の議論はしても実際に鋤を手にして耕作する者が少なければ、国は貧しくなる。
孫子、呉子といった兵法書を備えていても、実際に鎧兜をまとって戦う者が少なければ、軍隊は弱くなる。
[法・術]に長けた王様は、無用な議論が国力を弱めることを知っており、実用にのみ価値を認める。そうすれば、国民はそれに従い、国力は充実していく。
田畑で働く骨の折れる仕事に国民が従事するのは、富を手にすることができるからだ。
戦で死ぬ危険があっても国民が兵役につくのは、高い身分を求めるからだ。
学問や言論を修めれば畑仕事で骨を折らなくても富が手に入り、戦で死ぬ危険を冒さなくても高い身分が得られるとしたら、誰が骨を折ったり危険を冒すだろうか。頭を使う者が多くなれば、法の権威は失われ、力を尽くす者が少なくなれば、国は貧しくなる。
[法・術]に長けた王様が治める国に書物は無用、[法]が[教え]なのだ。
聖人の言葉も無用、官吏が先生なのだ。遊侠の私的武力も無用、国の戦で敵を斬ることが勇気なのだ。
国民は、法にはずれた言論を為さず、働くときは実績をあげるように働き、勇気は戦で発揮する。このように王業の基礎をかためれば、太平の世に国は富み、戦となれば強い軍隊が国を護る。
⦅亡国五害[韓非]に続く⦆