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人生の目的  作者: 月路です
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部下を管理する七つの技術

 情報源(じょうほうげん)複数化(ふくすうか)符節照合(ふせつしょうごう)で家来の言行不一致(げんこうふいっち)を見ぬいたり、意外(いがい)なテストで本心を確認したりして、(だま)されないように注意し、信賞必罰(しんしょうひつばつ)で家来たちをコントロールする方法

⦅洞察六兆[韓非]から続く⦆

挿絵(By みてみん)

 「術」は、[法]の運用のしかた。王様が胸の中に仕舞い込んで臣下をコントロールするもの。

 王様は、無数の部下、巨大な組織を制する権力者だが、生まれついての超能力者ではない。ひとりの人間が絶対的な権力者となるには、法(機構)の確率と運営のための術(徹底した人事管理)が必要なのだ。


〖王様が使うべき七つの[術]〗

01_臣下の行動と言葉を検証して、言行の不一致がないかを判断する


 [法・術]に()けた王様は、証拠のないことは取り上げず、普段食べない食事は口にしない。遠くのことはよく聴き、近くのことはよく見て、家来がどこにいようと、その落ち度は見落とさない。家来たちの言葉の食い違いを調べて、彼らの派閥をさぐり出す。さまざまな角度から家来の申告を成果とつき合わせて、食い違いを許さない。最初の言葉と後の成果を一致させる。法を基準として、言行を数多く見くらべて、家来を統率する。まぐれ当たりの成果には賞を与えず、職分を外れた行為は許さない。処刑すべき者は必ず処刑し、罪ある者は赦さない。

 相手がどんな悪者でも私欲をとげさせない決意を()らがせてはならない。


 (えい)()公は、家来の一人を旅人にしたてて、関所を通過させた。

 関所の役人は、彼をきびしく調べたが、金をやるとすぐ見逃してくれた。

 その後、嗣公はその関所を通るとき、くだんの役人にこう言った。

 「これこれのとき、お前の関所を旅人が通り、お前は金をもらって見逃してやったろう」。

 役人は嗣公が何もかも見通していると思い、ふるえあがった。


02_罪には必ず罰を与えて、威厳を示す


 何か事件が起こったとき、それによって利益を得る者があるならば、きっと、その者が仕掛けた。損害を受ける者があるならば、その人間と利害反する者が怪しいと見なければならない。

 したがって、[法・術]に()けた王様は、国が損害をこうむる事件が起こったら、それによって利益を得る者を調べる。家来が損害をこうむる事件が起こったら、その家来と利害の反する者をさがす。


 (しん)(ぶん)公のときだった。

 料理番が焼肉を文公にさし出した。

 その肉に髪の毛が一筋ついていたので、文公は料理番を呼んで追及した。

 「お前はこの髪の毛でわしがむせるのを望んだのか。でなければ、なぜ髪の毛をつけたのか」。

 料理番は何度も地面に額をこすりつけてあやまった。

 「わたしは死に価する罪三つを犯しました。包丁は砥石でよく砥いでありますので、名剣干将(かんしょう)のようによく切れます。肉はよく切れたのに、髪の毛が切れていません。これが第一の罪です。串に肉をさしたとき、髪の毛が見えませんでした。これが第二の罪です。炉の炭を真っ赤にして(あぶ)ったので肉は焼けたのに、髪の毛が焼けませんでした。これが第三の罪です。もしや、わたしを憎む者が、お側にいるのではないでしょうか」。

 「なるほど、わかった」。

 文公が側に仕える者たちを呼び出して取り調べると、はたして真犯人が見つかったので、それを処刑した。


03_功績を挙げた臣下には、然るべき褒美(ほうび)を与える


 名御者の王良(おうりょう)が馬を愛するのは、走るから。

 越王勾践(こうせん)が人を愛するのは、戦うから。

 医者が患者の傷を吸い血を口に含むのは、金が儲かるから。

 車職人が金持ちの増加を望むのは、車が売れるから。

 棺桶職人が人の死を願うのは、人が死ねば棺桶が売れるから。


 呉起(ごき)()の将軍となって中山(ちゅうざん)(国名)を攻めたとき、できものをつくった兵士がいた。

 呉起は自ら(ひざまず)いて、その兵士の(うみ)を吸った。

 それを聞くと兵士の母は泣きだした。

 「将軍が子供に親切にしてくださったのに、どうして泣くのですか」。

 と尋ねた者に、母はこう答えた。

 「呉起さまはあの子の父親のときにも、膿を吸ってくれた。父親は、その恩に死で報いた。あの子もきっと死ぬでしょう。それでわたしは泣くのです」。


04_情報は自分の目と耳で確認し、臣下の伝聞に頼らない〔符節を合わせる〕

《参伍の道》

 三人を一単位としてそれぞれの意見を聴取し、五人を一組として過失に対し連帯責任を取らせる方法。王様が臣下の意見を聞き行動を見るのは、馴れ合っている者を罰し、しっかりした見解を持っている者を賞するため。邪な者や罪を犯している者を知っていながら告発しない者も、馴れ合っているとみなして罰する。

 三人を単位として一つのことを相談させたときに意見が割れないのは、馴れ合っている証拠。

 五人を一組として連帯責任性にすれば、一人が罪を犯した場合、他の四人は怒って必ずこれを責めるはず。四人全員が責めないようなら、他にも罪を犯した者が居るということ。

 相談が始まってすぐに意見が割れれば、各人の能力の違いが分かる。ほんの過失程度の罪でも怒るようなら、他に悪事を犯している者はいない。

《四つの評価基準》

 [地の利][天の時][物事の道理][人情]の四つの評価基準で各意見の符節を合わせれば、是非善悪を判別できる。

 そもそも王様は、臣下の注視するところであるから、ふだんの態度を変え、親近の者を疎遠にしたり、疎遠の者を親近にするなど恩沢を改めてみても忠誠の度合いが分かる。

 注意すれば臣下の持ち物、行動など、目にみえるものからも、推察しにくい点(かくれた悪事など)を見ることができる。

 馴れ馴れしくなりあれこれ他人の仕事まで手を出しがちな近習たちには、謹んで本務を遂行するようにさせる。

 遠くに使いするものとの関連のあるものを特に用がないのに再三呼び出して使者に何となく恐怖の念を持たせ、出先での悪事を牽制(けんせい)する。

 臣下の過去を調べ上げて、その前歴を知り尽くす。

 臣下を近習の地位につけて心の内側を知り、地方官などに任命してその外に対する態度を知る。

 全てを承知しながら、とぼけて尋ねてみると隠れた面が分かる

 (はかりごと)を以って人を送り込み、相手の悪事や秘密を握って(あなど)りを退ける。

 何か疑いがあるときは、使者に誉めるところをけなし、けなすところを誉めるなど、反対のことを言わせて、疑問を確かめる。

 事が起こった場合、背後にあって利益を得た者を探し出して調査すると隠れた悪事が出てくることがある。

 (いさ)(ただ)す官を設けて、独断権を持っている役人の専横を取り締まる。

 忠誠とは言えない人間を登用して、(まわ)りの(よこしま)な動きを観察する。

 法が公平無私なものである(むね)事細(ことこま)かに説明して、仕事を(おこたり)りがちな者やでしゃばりがちな者を指導し、ときにはへりくだったり迎合したりして、正直か、おべっか使いか、人間を見極める。

 小耳にしたことやちょっとした噂話を利用して、それとなく探りを入れると思いがけないことが分かる。

 偽の情報を流して臣下を対立させれば、馴れ合いになっている仲間を解散させることができる。

 ある事に精通することによって、臣下を恐れ入らせる。

 極秘事項がもれそうな場合は、わざと別のことをもらして相手のねらいをそらす。

 欲望、私怨、出世、保身などのために他人を陥れるような複雑で紛らわしい問題が起こったときは、同じようなでき事を参考にして詳しく調べ、罪を告白したらその理由を明らかにし、罪を確認した上で処罰する。

 時々隠密の使者を派遣して地方を巡視させ、民がまじめに働いているかどうか調べる。働いていないようなら(仲間を使って横着を決め込んでいるのであるから)、だんだん制度を改革していって、横着の元(仲間)をばらばらにする。

 下部から上部へと徐々に管理体制を整えていけば、宰相は高官を取り締まり、高官は部下を取り締まり、将校は兵士を取り締まる。使節はその福祉を取り締まり、県令は配下を取り締まり、近習は左右の者を取り締まり、そして皇后は侍従の女官を取り締まるようになる。

 話が間違って広がったり、大事がもれるようでは[法・術]による統治は難しい。


 叔孫(しゅくそん)()の宰相で、実権を握り国政を思うがままに動かしていた。

 その叔孫の寵愛(ちょうあい)を受けていたのが豎牛(じゅぎゅう)であり、彼も叔孫の名を使ってやりたい放題にふるまっていた。

 叔孫には(じん)という子供がいた。

 豎牛はその壬を(ねた)んで殺してしまおうと考えた。

 そこで策をめぐらせ、あるとき、壬を連れて魯王の御殿へ遊びに行った。

 そのとき、魯王は壬に玉環(ぎょくかん)を与えた。

 壬はそれをうやうやしく受け取り、すぐに身につけようとせず、豎牛を通じて叔孫の許しを求めた。

 ところが豎牛はその依頼を伝えもせずに、「わたしがこのことをお願いしたところ、つけてよろしいとのことです」。

 と言って、壬をだた。

 壬が玉環を身につけるのを見ると、豎牛は叔孫のところへ行って、こう切り出した。

 「そろそろ壬さまを殿様にお目見えにお連れしてはいかがです」。

 「子供だからな。まだ早すぎるだろう」。

 「いえ、壬さまはもう何回かお目見えになっています。

 この前も殿様から玉環を賜り、さっそく身につけていらっしゃいます」。

 叔孫は壬を呼び出した。

 見れば、はたして玉環を身につけているではないか。

 叔孫は怒って壬を殺した。

 壬には(へい)という兄がいた。

 豎牛はその丙も妬んで、殺してしまいたいと思った。

 折よく、叔孫が、丙に(しょう)(楽器)をつくってやった。

 鐘はできたが丙はすぐに打ち鳴らすことをつつしみ、豎牛を通じて叔孫の許しを求めた。

 ところが豎牛は壬のときと同じように丙をだた。

 「わたしがお願いしたところ、よろしいとのことです」。

 丙は鐘を打ち鳴らした。

 それを聞いた叔孫は怒った。

 「わたしの許しも得ずに勝手に鐘を打ったな」。

 そして丙を国外に追放した。丙は(せい)の国へ逃れた。

 それから一年ほどたって、豎牛は丙のために叔孫にわびを入れた。

 そこで叔孫は豎牛に、丙を呼び戻すように伝えた。

 ところが、豎牛はそれを伝えもせずに、叔孫にこう報告した。

 「お呼びしたのですが、丙さまはまだご立腹なさっているようで、帰ってこようとはなさいません」。

 叔孫はかんかんに怒って、人を使って丙を殺してしまった。

 こうして二人の子供が死んだのち、叔孫は病気になった。

 すると豎牛は、自分だけで看病し、「叔孫さまは、人の声を聞きたくないとのことだ」と称して、誰も病室に入れなかった。

 そして、叔孫に食べ物を与えず、とうとう餓死させてしまった。

 こうして叔孫も死ぬと、豎牛は葬式もせずに、倉から重宝をありったけ盗み出すや、斉に逃滅してしまった。

 信用する者の言葉を鵜呑みにしていて、親子もろとも殺される結果になったが、それというのも、家来の言葉を事実と照合することをしなかったからだ。


 龐恭(ほうきょう)()の太子に従って、(ちょう)の都の邯鄲(かんたん)に 人質としてやられることになった。

 出発するとき、彼は魏王にこういう質問をした。

 「もしも、誰かが『街に虎が出た』と言ったら、お信じになるか」。

 「信じないな」。

 「では、二人が『街に虎が出た』と言ったら、どうでしょう」。

 「いや、信じない」。

 それでは、三人が『街に虎が出た』と言ったら、どうなさいます」。

 「そうなると、信じるだろうな」。

 「街に虎が出ないことはわかりきったことです。それなのに、三人が同じことを言ったらお信じになる。邯鄲ははるかに遠い外国です。それだけ邯鄲のことはわかりにくいのです。その邯鄲に行く私のことを、留守中とやかく言う連中は、三人どころではありません。どうか、このことをお忘れになりませぬように」。

 しかし、龐恭が邯鄲から帰国したとき、大勢の言うことを信じこんだ王様に、彼は二度とお目見えを許されなかった。


 (せい)(せん)王は()(笛の一種)を吹かせるときは、必ず三百人に合奏させた。

 あるとき、南郭(なんかく)(地名または姓)の処士(しょし)(学問を修めたが、現在任官していない士のこと。処は家(民間)に()るの意)が、宣王のために竽を吹きたいと言ってきた。

 宣王は喜んで禄を与えた。この例にならった処士は数百人に達した。

 やがて宣王が死に、(びん)王が即位した。

 湣王は独奏曲を聴くのが好きだった。

 独奏すれば下手なのがばれるため、それらの処士はみな逃げ出してしまった。


 (そう)(殷(=商)の滅滅後、その祭祀(さいし)を継がせるためにつくられた国)の宰相は、少庶子(しょうしょし)(官名)に市場の見回りをさせ、彼が帰ってくると、尋ねた。

 「市場で何を見つけた」。

 「いいえ、何も」。

 「しかし、何かは見つけたろう」。

 「そういえば市場の南門の外側は牛車がいっぱいになっていて、やっと通れるくらいでした」。

 「よし、わしがお前にきいたことは誰にも言ってはいかんぞ」。

 宰相はさっそく市場の役人を呼び出して叱りつけた。

 「市場の門の外側は、牛糞でいっぱいではないか」。

 役人はいつの間に、宰相がこんなことまで知っているのに驚いてしまい、以後は職務を怠らくなった。


 (せい)(かん)公が孤竹(こちく)を攻めたとき、管仲(かんちゅう)隰朋(しゅうほう)が従軍した。

 出発が春、帰りは冬になったため、景色がまったく変わってしまい、道が分からなくなった。

 このとき、管仲が言った。

 「ひとつ老馬に知恵を借りましょう」。

 老馬の(くら)をはずして先にやり、その後について行ったところ、道を見つけることができた。


 山岳地帯で水がなくなったことがあった。

 このとき、隰朋(しゅうほう)が言った。

 「蟻塚の下に水があります。蟻は冬は山の南側に、夏は山の北側に巣をつくります。高さが3糎の蟻塚なら2㍍下に、水があります」。

 蟻塚を掘ったところ、果たして水を得ることができた。


 (そう)の国のある金持ちの家で、ある日、雨のため土塀がくずれた。

 子供が「このままにしておくと、泥棒が入るよ」と言い、隣家の主人も同じことを言った。

 その夜泥棒が入って大金を盗まれた金持ちは、息子の聡明(そうめい)さに感心する一方、隣家の主人を疑った。


05_不可解な命令をあえて出し臣下を動揺させて試す


 ()荘王しょうおうは即位して三年のあいだ、命令を出さず、昼も夜も楽しみにふけり、「諫める者は死罪とする」と国中にふれを出した。

 伍挙(ごきょ)が諫めるために参内した。荘王は左に鄭の姫を抱き、右に越の女を抱いて、鐘と太鼓に囲まれて座っていた。

 伍挙が言った、「謎かけをいたしましょう。丘の上に一羽の鳥がおります。三年の間飛びもしなければ鳴きもしません。何の鳥でございましょうか」

 王が答えた、「三年も飛ばないのだ。飛べば天まで届こう。三年も鳴かぬのだ、鳴けば人々を驚かそう。伍挙よ、下がれ、わしにはわかっておる」と。

 それから数ヶ月、王の放埒(ほうらつ)はますますひどくなった。そこで大夫の蘇従(そしょう)が諫めに参内した。

 王が言った、「そちは命令を聞かなかったのか」

 「この身が殺されることで、王様にお分かりいただければ、本望でございます」

 王は放埒をやめると、政務を取り始めた。

 三年間観察し続けた結果に基づいて、数百人を誅殺し、数百人を昇進させた。伍挙と蘇従に国政を任せ、楚の人々は大いに喜んだ。


06_知らないふりして質問し相手の知識や考えを観察する


 (かん)昭侯(しょうこう)(つめ)を切り、その一つを手の中に隠しておいて、「爪が一つなくなった。早く探せ」。と、そばの役人たちをせきたてた。

 すると、ひとりが自分の爪を切って、「見つかりた」と、差し出した。

 昭侯は、こうして役人の中からウソつきを見つけた。


 子之(しし)(えん)の宰相であった。

 あるとき、家の中に(すわ)ったまま、まわりの者たちをたぶらかしてこう訊いた。

 「いま門から外に走っていったのは、白馬ではなかったか」。

 「見えませんでした」。

 と、みな答えたが、一人だけ、走って追いかけた。

 帰ってくると、「白馬でした」と、報告した。

 子之は、こうして役人の中から不誠実な者を見つけ出した。


07_思っているのと逆のことを言って相手の反応を見る


 昔、(てい)()公が()を征伐しようとしたときの。

 武公はまず自分の娘を胡の王に嫁入りさせ、機嫌をとっておいて、家来に尋ねた。

 「これから、どこか国を攻めようと思うが、どの国がいいだろう?」

 大夫(たいふ)関其思(かんきし)が答えた。

 「胡を攻めるのがよろしいかと存じます」。

 武公は怒り、「胡は親類の国ではないか、それを攻めろとは何事だ」と言い、関其思を死刑にした。

 それを伝え聞いた胡の王が安心して鄭への備えを解いたので、鄭は胡を攻め取ることができた。


⦅余談[韓非]に続く⦆

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