悪巧み知らせる六つの兆候
家来が悪巧みしていないか見ぬく方法
⦅亡国五害[韓非]から続く⦆
〖王様が見抜くべき亡国の兆候〗
聖王堯にしても、かりに同時代にもう一人の堯がいたとしたら、どちらが王になったかわからない。また稀代の暴王桀にしても、もう一人の桀が存在していたら、どちらが滅ぼされていたかはわからない。
誰が王となり誰が滅ぼされるか、これはそれぞれの治乱、強弱の度合いによって決まる相対的な問題。
虫に食い荒らされた樹は倒れ、隙間だらけになった塀はくずれるが、それだけでは、あくまで可能性が生じたにすぎない。実際に倒れたり、くずれたりするには、強風が吹くとか大雨が降るとかいう、きっかけが必要。
[法・術]を身につけた大国の王様が、亡国の兆候が顕れた国々に強風を吹きつけ、大雨を降らせたならば、容易く攻めとることができる。
自分の国で亡国の兆候が見当たらないか、不断に注意を怠らないことが重要。
01_王様の権勢を家来が自分のために使っている。
佞臣が力を持てば、多くの人々を操れる。
国外の王様は、佞臣を通さないと交渉がうまくいかないので、これを誉めたたえる。
国内の諸官は、佞臣に頼らなければ出世できないから、その手先となる。
王様の側近の侍従たちは、佞臣に睨まれたら王様のそばにいられないから、その悪事をかばう。
学者は、佞臣のひきたてがなければ、俸禄も少なく待遇もわるくなるから、佞臣の宣伝係をつとめる。
佞臣は、四重の防壁のかげに正体を隠しているので、佞臣の正体を見破ることができない。仲間や手下が多いから、国全体が佞臣を誉めたたえる。
南の果ての越は、国も豊かだし兵も強いが、中原の覇者を目指す王様たちは、「越のような遠い国は支配できない」と考えている。
[法・術]が不足すれば、自国も、[越]と同じように支配できない国になってしまう。
佞臣に、耳目をふさがれ、実権を奪われないよう、不断の努力をしなけれなならない。
「斉が滅んだ。」というとき、滅んだという意味は、国土や首都がなくなったということではない。呂氏が支配権を失い、家来であった田氏がそれを握ったということ。
同様に、晋が滅んだというのも、晋の国土や首都がなくなったというのではなく、姫氏から六卿の手に支配権が移ったということ。
斉や晋の轍を踏みながら、国の安全を望んでも、それは不可能。
・大臣の家の規模が王様の家より大きくなり、家来の権威が王様の権威をしのぐ。
・家来の進言が気に入ればすぐ爵禄をあたえ、仕事の成果とつき合わせることをしない。取次役を特定の家来にやらせ、外部との接触をまかせてしまう。
・佞臣にとり入れば官職に就くことができ、賄賂をつかえば爵禄が手に入る。
・王様が凡庸で無能、何事につけ優柔不断で、人まかせにして自分の考えというものがない。
・王様の人物が薄っぺらで簡単に本心を見すかされ、またおしゃべりで秘密が守れず、家来の進言内容を外にもらす。
・民心が王様を離れ宰相に集まっているのに、王様は宰相を信頼して辞めさせようとしない。
・後継者たる太子の名声が高まり、強力な派閥ができて、大国と結びつく。このように、早いうちから太子の勢力が強大になる。
・軍の指揮官や辺境の守備隊長に、大きな権限を与え、彼らが王様に相談なしに、勝手に命令を出し行動を起こす。
・大臣があまりにも尊ばれ、強力な派閥を形成して、採決を王様に仰がず、思いのままに国政を動かす。
・大臣をはじめ有力な後ろ盾のある家来ばかりが登用され、功臣の子弟が冷や飯を食わされる。市井の小さな善行だけが表彰され、官職についている者の労苦は評価されない。総じて「私」が貴ばれ、「公」がないがしろにされる。
・国家の財政が底をついているのに、大臣の家には金がうなっている。戸籍のある正規の国民、農民や兵士が恵まれず、利益を追って流れ歩く商人や末梢的な仕事にたずさわるものが、利益を得ている。
・王様の兄弟親族、あるいは大臣が、功績を上回る俸禄・爵位を受け、生活ぶりが分を過ぎて派手であるのに、王様はそれを放置しておく。この結果、家来の欲望に際限がなくなる。
・王様の婿や孫が民間に住む場合、彼らが威光をかさにきて、隣近所の住民に対し、わがもの顔にふるまう。
斉は呂尚を開祖とする名門であったが、田常が呂氏の簡公を殺した。その後、田氏は斉の実権を握り、田常から三代目のとき、斉の王様になった。
晋の王様であった姫氏が、六卿(韓・魏・趙・范・中行・知の六氏で、卿とは有力な氏族の長で大臣の職についた)に実権を奪われたのは、前六世紀中頃のこと。
その後、六卿のうち、韓・魏・趙の三国が勢力を得て、前403年、晋を三分割してそれぞれの国をたてた。
呉起は、楚の悼王に国の現状を説いた、「大臣が幅をきかしすぎる。領地を持つ家来が多すぎる。このままでは彼らは上では国王の権力をおかし、下では国民を苦しめるでしょう。国は貧しく兵は弱まるばかりです。領地を持つ家来には、子孫三代限りで位と禄を返還させたらいいでしょう。諸官の俸給は削減して、不要不急の官職は廃止し、その分を選ばれた優秀な者にまわすことです」と。
州侯が楚の宰相になると、すべてを意のままに切り回すようになった。
楚王は彼のやることに疑念を抱き、まわりの家来に尋ねた、「宰相の行動に非はないか」と。
家来たちは、「ありません」と判で押したように答えるだけだった。
権勢は家来に勝手に使わせてはならない。王様が一を失えば、家来はそれを百にして利用する。家来が権勢を借り受ければ、家来の勢力は増大する。そうなると国の内外の者が、家来のために働くようになって、王様は隔離された状態におかれてしまう。
02_王様と利益の異なる家来が、外部の勢力を利用している。
・他国者が、家族も連れずに財産もたずさえずに、単身で売り込んできたあげく、国家の秘密計画から国民対策に至るまで、国政全体に関与する。
・国内の人材を無視して他国の人間を登用し、その際、実際の功績を吟味せず、名声の有無によって採否を決める。この結果、はえぬきの家来をさしおいて、他国者が高位につく。
・有力な大臣が二人、勢力を競いあって譲らない。双方とも有力な親類縁者の数が多く、たがいに徒党を組み外国の援助を受けて、自勢力を伸ばそうとする。
・王様が法による政治を軽視して策略にたより、その結果、内政の混乱を招いて、外国の援助にすがろうとする。
・遠くの友好国をあてにして、近隣諸国との外交をおろそかにする。
・強大国の援助にたよって、隣国からの脅威を軽視する。
・王様の家系が代々短命で、即位してもすぐ死んでしまい、ついには年端もゆかない幼君が立たざるをえず、かくて実権は佞臣の握るところとなる。こうなると彼らは自分が使いやすいように、他国者を登用して派閥をつくる。その結果特定国との関係が深まって、ついには領土を割いて援助を乞うにいたる。
趙の宰相大成午が、韓の宰相申不害に送った手紙の一節。
「韓の力で趙におけるわたしの地位が重くなるよう、ご協力ねがえます。こちらは、あなたが韓で重きをなすよう、趙の力で協力しましょう。こうすれば、あなたには韓が二つ、わたしには趙が二つあるのと同じ」。
衛のある夫婦が、お祈りをした。
妻がこう祈った、「どうか平穏無事でありますよう、そして百束の布をお恵みください」と。
「ばかに少ないな」と、夫が言うと、「それより多いと、あなたが妾を持つようになるからです」。
03_家来がトリックを用いている。
・王様が、女たちの頼みを唯々諾々と聞き入れ、おべんちゃらの進言ばかりを採用し、それに対し世論の非難が高まっても、あくまで横車を押しとおす。
・王様が、腹を立てた気配を示しながら、その後何の処置もとらない。家来の罪がはっきりしているのに、誅罰を加えようとしない。このため、家来の方は、いったいどうなるのかわからず、びくびくしながら密かに王様を恨むようになり、そのまま宙ぶらりんの状態に置かれる。
燕の国のある夫が、予定より早く外出先から帰ってきた。
困りはてた妻に、小間使いが知恵を貸した、「あの方を裸にし、髪の毛をふり乱させて、表の門から出しなさい。わたしたちは何も見えなかったことにしますから」と。
間男は、計略通り門から駆け出し、夫とすれちがった。
夫は妻に尋ねた「どういう客だ」。妻は「お客様などいらっしゃいませんよ」と言う。回りの者に聞いても、口裏を合わせたかのように居なかったと言う。
妻は「貴方、物の怪に取り付かれておかしくなったのではありませんか」と言い、当時の迷信に従って、犬の糞を使って夫に行水させた。
晋国の大臣の中行文子が亡命しようとして、或る代官の領地を通った。
従者が言う、「ここの代官はご主人様の昔からのお知り合いではございませんか。どうしてここでしばらくお休みになって、後から来る車をお待ちにならないのですか」と。
中行文子は、「以前私は音楽を好んだ。すると、彼は私に琴を献上した。私が珮(腰にさげる玉おびだま)に興味をもつと、彼は玉環(腰にさげる飾り)を献上した。彼は、私に取り入って過ちを助長させる人物だ。彼が、私を捕らえて別の人にとりいるのを恐れる」と言って、立ち去った。
代官は遅れてきた二台の車を捕らえて王様に差し出した。
子圉が宋の大臣に孔子を紹介した。
孔子が帰ったあと、子圉は大臣のところへ行き、孔子に会った印象を尋ねた。
すると大臣はこう言った。
「孔子に会ってから貴公を見ると、まるで貴公がノミかシラミのように見える。ひとつあの人物(孔子)を主君に紹介しよう」。
子圉は孔子が自分より重く見られることを恐れ、大臣にこう言った。
「主君が孔子にお会いになれば、今度はあなたがノミかシラミのように見えるでしょう」。
大臣は紹介をやめることにした。
曾従子は剣の鑑定に定評があった。
彼は衛王が呉王を恨んでいると知って、衛王にこう申し出た。
「呉王は剣には眼がありません。剣を見るのはわたしが得意とするところです。どうか呉王の所に剣の鑑定に行かせてください。剣を抜いて見せておき、わが君のために刺し殺してごらんにいれます」。
「しかし、お前がその気になるのは、忠義のためではなく、おのれの利益のためだろう。呉は豊かで強い国、わが衛は貧しく弱い国だ。お前が呉に行けば、きっと寝返ってその手でわたしを殺そうとするに違いない」。
衛王はそう言って、曾従子を追放した。
04_利害の対立に家来がつけこんでいる。
妻と世継ぎの一派が王様の死を願うのは、憎いからではなく、自分たちの勢力を伸ばしたいから。
王様にとって、自分の死で利益を得る人々への警戒は必須。
・嫡出の公子をしかるべく待遇せず、そのため他の公子たちが同等の勢力を持っている。こんな状態で、正式に太子を決めないまま王様が死んでしまう。
・すでに太子立てておきながら、王様が強国から新しい后を迎え、これを正夫人にした場合、太子の地位が危うくなり、太子派と夫人派のどちらにつくべきか、家来の間に動揺が起きる。
・王様が亡命し、その間に反王様勢力が新王を擁立する。
・あるいは太子が他国に人質となっている間に、王様が太子を代えてしまう。こうして、国内に二勢力の対立が生じる。
・夫人と太后、ともに淫乱で乱行を重ね、これがもとで男女の別が失われて大奥が政治に関与するようになり、ついには夫人派と太后派の並立、いわゆる両主の状態が出現する。
05_上下の秩序が混乱し、内紛が起こっている。
・大臣高官が羽振りをきかせ、互いに反目しあって、ついには他国の力を借り、領民を動員して、私的な戦を始める。ところが王様はこれに誅罰を加えず、手をこまねいている。
・王様よりも傍系のおじや兄弟の方が、人物が上。太子に権威がなく、他の公子が対抗して勢力を張る。役人よりも国民が強い。いずれの場合も、国の秩序は混乱に陥る。
・正夫人よりも側室の権威が重い。太子よりも庶子の方が重んじられる。大臣がないがしろにされ、取次役が実権を握る。かくて、大奥と宮廷との間に対立が生じる。
・王様が王様としての孝を顧みず、一般人なみの孝にひきずられる。すなわち国家の利益を優先させず、母親たる太后の言いなりになり、その結果、女が国政を動かし、宦官が重用される。
・古参が格下げされ、新顔が昇進する。優秀な人材が押しのけられ、無能者が実権を握る。実際に苦労している人間の地位が低く、功績のない人間が高位につく。こうして下積みにされた者の怨みが積み重なる。
・家来が学問に熱中し、その子弟は空理空論をもてあそぶ。商人は脱税のため財産を国外に持ち出し、一般庶民が私的武力にたよる。
晋の孤突が言った。
「王様が女色を好めば、相手の女が自分の子を後継ぎにしたがり、太子の地位が不安定となる。一方、王様が男色を好めば、相手の男が実権を奪い、宰相の地位が不安定となる」。
06_家来を陥れようと敵が謀略をしかけてきている。
晋の叔向は、周の萇弘を殺すためにニセ手紙を書いた。
それは萇弘から自分にあてた手紙になっている。文面は、「晋王にお伝え願いたい。かねてのお約束の時期がまいりたから、すぐ軍をさしむけていただきたい、と」。
叔向は、その手紙をわざと周王の宮廷の庭に落とすと、急いでその場を去った。
はたして、その手紙を見つけた周王は、萇弘を売国奴として処刑した。
春秋時代、晋の士会が秦に亡命した。晋は士会が有能な人物なのを惜しんで計略によって彼を呼び戻そうとした。秦の繞朝はそれを見抜き、士会を返さぬよう進言したがとりあげられず、秦は士会を返してしまった。自国の計略を繞朝が見抜いたことを知って、晋は繞朝の才知を恐れ、スパイを送りこんで工作した。その結果、秦は繞朝と晋の関係をあやしんで、彼を殺した。
斉の中大夫に夷射という者がいた。
あるとき、王に招かれて酒を飲んだが、すっかり酔ってしまったので、外に出て門によりかかり風に吹かれていた。
門番は、前に足切りの刑を受けた男だったが、「お酒が残っていたら、お恵みのほどを」と、彼に懇願した。
「しっ、あっちへ行け。囚人あがりのくせに、この俺様に酒をねだるつもりか」。
門番は引き下がったが、夷射がいなくなると、門の雨落としのあたりに、小便をした形に水をまいておいた。
翌日、王が門に出てきて、怒鳴りつけた。
「こんなところでやったのは、誰だ」。
「それは見ませんでしたが、昨夜、中大夫の夷射さまがそこに立っておられた」。
そこで王は、夷射を死刑に処した。
斉の中大夫に夷射という者がいた。
あるとき、王に招かれて酒を飲んだが、すっかり酔ってしまったので、外に出て門によりかかり風に吹かれていた。
門番は、前に足切りの刑を受けた男だったが、「お酒が残っていたら、お恵みのほどを」と、彼に懇願した。
「しっ、あっちへ行け。囚人あがりのくせに、この俺様に酒をねだるつもりか」。
門番は引き下がったが、夷射がいなくなると、門の雨落としのあたりに、小便をした形に水をまいておいた。
翌日、王が門に出てきて、怒鳴りつけた。
「こんなところでやったのは、誰だ」。
「それは見ませんでしたが、昨夜、中大夫の夷射さまがそこに立っておられた」。
そこで王は、夷射を死刑に処した。
呉子胥が楚から亡命するとき、国境で警備の兵に捕まってしまった。
子胥はとっさに、「政府がわたしを追っているのは、わたしが宝玉を持っているからだ。
しかし、途中でそれを失くしてしまった。もし、わたしを捕まえたら、お前が奪って呑んでしまったと言うぞ」。
警備兵はあわてて子胥を釈放した。
⦅操縦七術[韓非]に続く⦆