昏い樹海にて
ざわざわという不気味な音、枝を踏み折る音、何かの甲高い鳴き声、冷たく湿った風。
日は高く登ってるはずなのに、日光は木々によって遮られており、暗い。
そのせいか、足元には苔こそ生えているが、草花はほとんど生えていない。
「……ごめん、おぶってもらっちゃって……」
「気にすんな。これくらい平気だよ」
僕は今、エリアスにおんぶして貰っている。
自己紹介をしあい、彼の手を握って立ち上がろうとした僕はーー
歩くことはおろか、上手く両足で立つことすら出来なかったのである。
転生すれば立って歩けるようになるんじゃなかったのか。
あれは、嘘だったのか。
一瞬そう思ったのだが、僕はある変化に気がついた。
立つことは出来なかったが、足を動かすことが出来たのだ。
あちらの世界では、脚を動かすという感覚そのものがなかった。でも、こちらでは動かす感覚がある。
ということは……リハビリをすれば、また歩けるようになる、という事だ。
そんな僕を不思議そうに見つめていたエリアスだったが、少し苦笑いすると黙って僕をおぶって歩いてくれた。
彼は道中、色々なことを教えてくれた。王国のことやおとぎ話、魔法や精霊、果ては魔獣や魔物についてなど、時に面白く、分かりやすく話してくれた。
彼は一見適当そうだったり、自信過剰なナルシストっぽい雰囲気があるけれど、本当は優しくて面倒見が良く、努力を惜しまない人だということが分かった。
そして、今に至る。
「そういえば、ここってどこなの?」
「ああ、樹海だ」
エリアスによると、ここはウィンドミリナ王国、という国から西へ進んだところにある樹海だそうだ。
なんでも過去にドラゴンが住んでいた山の麓にあるらしく、討伐された今でも、危険な獣が住み着いていて、大人でも一人で来るのは危険らしい。
……ディオ……あなたは何で僕をこんな危険なところに送ったんだ……気を失っている間に死んだらどうするんだよ……
あの似非神様のことだ、適当に送ったのかもしれない。
次会った時に問い詰めてやろう、そう心に誓った。
「それにしても、暗いね」
周りの木々は確かに巨大だ。でも、明らかに光が届かないだけではなく、この空間自体が暗くなっている気がする。
「……ちょっと不味いのがいるかもしれない」
「えっ……?」
小さく呟いた声は距離が近いこともあり、ハッキリと聞き取れてしまった。
その表情は見えないが、何か危険なものが近くにいるような、そんな焦燥感のある声だった。
「大丈夫だ。もう少しで樹海の中にある安全な村だ……大丈夫」
それは僕を安心させるために言っているというより、自分自身を勇気づけているような……
今僕にできることはなんだ?
どうすれば彼を安心させてあげられる?
「……そう言えば、なんでエリアスは樹海に来たの?それも一人で」
結局、僕にできるのは話題の提供くらいだった。しかも、単純に僕の疑問。
僕は、どうしようもなく無力だ。
「え? ああ……俺は探し物をしに来たんだよ」
「探し物……?」
「俺は……精霊を探しに来たんだ」
帰ってきたのは信じ難い言葉。
精霊なんて言うものが……この世界には存在するのか。
「なんで……」
もっと詳しく聞きたい、そう思って話しかけた瞬間。
ドン、と突き飛ばされる。
ふわっと一瞬の浮遊感の後、地面と衝突する。
「ぐっ……」
痛みでくぐもった声が漏れる。
エリアス、何で僕を急に突き飛ばしたりなんか……
痛みを堪えて、視線をあげる。
「ーーえっ?」
舞い散る紅の花弁。
暗いせいでよく見えづらいが、あれがエリアスの血液であることは何故かハッキリとわかった。
胸部を深く切り裂かれたエリアスは、背後の気に叩きつけられ、倒れる。
そこに立っていたのは、黒く大きな影……そう、クマのような獣だ。
「な……」
圧倒的な存在感、そして威圧。
体の震えは止まらず、ダラダラと冷たい汗が流れる。
声を出すことすらままならず、逃げることも出来ない。
「かはっ……に……げ」
か細いエリアスの声が聞こえる。
しかし、僕はまだ歩くことさえままならないのだ。
体が動いたとしても、逃げられない。
「グゴルルルル……」
赤く光るクマの瞳が、次はお前だと告げている。
僕は……どうしたら……
頭をはたらかせて、解決策を考えるも、何も思い浮かばない。
音もなく現れたそいつは、その巨体ではありえないほど小さな足音で近づいてくる。
……僕はそれを、ただ待つことしか出来ないのか。
エリアスも助けて、クマを倒して、生き延びることは……出来ない。
僕は……なんで無力なんだ。
心の底から感じる無力感と共に、僕は目を閉じ、死の恐怖に怯えている。
すぐ側までやってきた。
クマの息遣いがハッキリと聞き取れる。
空気の動きで、腕を振り上げたことがわかった。
僕を、切り裂くために。