幕間:残された始まり。
雲はいつしか綺麗に消え去り、赤い夕日が部屋を照らしている。
車椅子の銀色のフレームがキラリと反射し、美術商の目に当たる。
「……ぅく……」
ゆらりと立ち上がり自らの体を確認する。
傷一つ、負っていない体。
ギルは美術商を殺すことなく放置していったのだ。敵だというのに。
「ふふ……あはっ……」
突然笑い出す美術商。
しかし、その笑い声にはどこか自嘲的な感情を含んでいた。
「……だから、貴方は咎人なんですよ……」
一番星が瞬いた。
部屋にはもう、誰もいない。
◯
ガチャリと重厚な金属扉を後ろ手に閉める。
退廃的な忘れられた旧い都市の更に下、今では使われていない地下水道の管理施設跡を利用して造られた聖堂だ。そして、ギル達保守派の拠点でもある。
科学が急速に発展し始めた頃から始まった、「神秘の否定」。
それは、あらゆる宗教的文化を蹂躙した。結果、宗教的な活動を表立ってすることができなくなり、あらゆる信教者たちは地下へと潜って密かに活動をせねばならなくなった。
この聖堂もそのために作られたものだった。
寄せ集めの破片で作られた十字架や、拾ってきた不揃いの長椅子、埃の積もった地面が目立つこの聖堂はお世辞にも立派とは言いがたい。
しかし、この場所が重要なのはそこではなくさらに奥にある拠点だ。
今では最早聖堂としてではなく、拠点を隠すための隠れ蓑として用いられている。
現在では、宗教的文化も守られるべきものとして保護の対象となったため、彼等は薄暗く閉鎖的な地下に潜る必要はなくなったのだ。
「あんたもお人好しだね、ギル」
明るく照らされた部屋には大きな机とホワイトボード、奥の壁面にはいくつものコンピューターやモニターが設置されている。
機械の前に張り付いて画面とにらめっこしていたボサボサの伸ばしっぱなしの黒髪の女、ヴェス。
キャスター付きの椅子ごと体をこちらに向けて呆れた顔でそう言った。
「なんのことだ」
「またまた、わかってるくせして何を言うんだか。咎人さん」
椅子から立ち上がると、小さい体にはおられた大きな白衣の裾が床へ落ちる。
翡翠色の瞳は雄弁に、全てを見ていたぞ、と語っていた。
ギルはため息をつき、何も言い返さずにそのまま机に並べられた椅子の一つに腰掛ける。
内ポケットから葉巻を取り出し、火をつけ紫煙を燻らす。
煙は真っ直ぐに排気用のダクトへと流れていく。
「まったく、今の時代にどこからそんな代物仕入れてくるんだか」
ぼそりと呟くと機械のそばを離れ、奥の部屋へと入ろうとする。
言外に監視役を変われと言っているのだ。
それを察したギルはヴェスの座っていた椅子に座り、モニター達と向き合う。そして、背中越しに彼女にある疑問を投げかけた。
「ヴェス、お前はなんで保守派に居るんだ?」
「……どうしてそんな事聞くのさ?」
彼女は言わば研究バカだ。魔法具に対しての興味しかなく、あらゆる事は二の次、そんな人間。革新派の目的である、イデアへの進出に同行した方が、明らかに目的を果たしやすいはずだ。
それなのに、彼女は保守派に居る。何故なのか。
モニターが表示しているのは、あらゆる地点の監視映像、メンバーから送られてくる情報や写真、動画。それだけではなく、世界中の気象やニュース、宇宙ゴミや放射線の測定値など様々だ。
リアルタイムで変動するそれらを無表情で眺めつつ、返答を待つ。
「私は確かに魔法具や魔法に関することが一番大事だけど、別にそれ以外を切り捨てたいわけじゃないんだよ」
ヴェスは奥の部屋へ続く扉の取っ手を捻り、引く。
少し錆び付いた扉はギギギ、と音を立てながら開く。
小さいからだを開いた隙間にねじ込み、後ろ手に扉を締める。
「あいつらは何も知らないし、分かっちゃいないんだ。目的を果した先に待つ世界も、イデアのことも」
1人取り残されたギルは葉巻を手に持ち大きく息を吐き出すと、火を揉み消して吸殻入れに仕舞う。
再び数多あるモニター達と向き合い、その中の一つのモニターに注目する。
そこに映し出されているのは、他とは違ってやや荒れた映像。
薄暗い、小屋のような場所で、暖炉の炎がゆらめいているのがわかる。
そして、ソファーに横たわる一つの影。
ーーー河野碧が、映っていた。