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時計の針が重なる頃には。

「我々《神聖省》が一枚岩でないことは知っているな」


 インターホン越しに会話を続ける訳にはいかないので、とりあえずギルさんに家に上がってもらい、7年振りに対面する。


 既に朝の青空は雲におおわれ、薄暗くなったリビングは自動的に照明の輝度が上がり明るく照らされる。


 ギルさんは、時間がない。手短に話すぞ。と前置きをして話し始めた。


「ええ。確か『保守派』と『革新派』でしたっけ」


 《神聖省》とは、彼の大宗教の中心である某国にある、表向きは宗教的活動の管理と世界で起こっている『奇跡』と呼ばれる類のものの調査を行う組織だ。

 しかし、彼らの仕事はそれだけではなく、ほとんど知られていない裏の仕事がある。

 それは、『魔法具』の回収、魔法により起こされた事象の調査と隠蔽。

 それひとつで奇跡を起こせる魔法具。その存在が明らかとなれば、その魔法具をめぐって争いが起こる。それを防ぐ為に動いている。


 僕は7年前に、魔法具の関わる騒動に巻き込まれた。その時僕を助けてくれたのが、このギルさんだ。


「ああ。革新派が本格的に動き始めた。奴らの動向は監視していたんだがな……ギリギリまで気付けなかった」


「えっと……確か革新派の目的は《イデア》への進出、でしたね」


 《イデア》

 曰く、理想郷。

 魔法が存在する世界であり、人口もこの世界より圧倒的に少ないらしい。

 革新派の目的は、こちらの世界の人間をあちらへ送り人口問題の解決、そして大量の魔法具を手に入れ、それらの世界の主権を握ること。


 彼らが動き始めた。確かにそれが危機的状況なのは分かるが、それが僕に一体なんの関係があるのだろうか?


「革新派は、碧の能力に目をつけた。君の、絵に描いた物を取り出す能力にな」


 ポツリポツリと雨が降り始めやがて大雨となり、雨音が無音のリビングに響く。


「我々保守派としては、君を革新派の手に渡す訳には行かないんだ。だから私はここに来た。君を保護するよう、命令を受けてな」


 僕を保護?それは僕の能力を取り込むための大義名分だろう。

 ふざけるな。僕は誰のものでもない、僕自身のものだ。

 突然の再会に対する動揺を抑えた僕だが、流石に懐疑的な視線は隠せなかった。


「僕を、どうしようというのですか?」


 悔しいことに、僕は全く抵抗が出来ない。この身体では満足に逃げることすら出来ない。

 今この瞬間、僕の運命をギルさんが握っていることを悟った。


「懐疑的になるのも分かる。当然の反応だ。だが───」


 一瞬言い澱み、口を開きかけたその瞬間。

 リビングの空気が一気に冷え込んだ。

 重く、圧迫される感覚。


「……不味いな。もう来てしまったか」


 ガッシャン!!


 部屋中に響き渡るガラスの砕ける音。

 割れたガラス窓からぬるりと入ってくる影。


「なんで僕たちよりあなたの方が早いんですかねぇ……あなたの動きは常に監視していたのに」


 つばの広い帽子を黒の革手袋をつけた手で外すと、オレンジ色の髪が露わになる。

 漆黒のロングコートについた数滴の雨粒を払うと、ニコッと屈託のない笑顔を見せる。

 中性的な声と容姿。そして何処か胡散臭い喋り方。


「あなたは……」


 僕は目を疑った。

 そいつは紛れもなく、僕の絵をいつも買い取ってくれた美術商だったからだ。


 青い双眸が僕を射抜く。

 現実を受け入れられない動揺、浴びせられる絶対零度の視線。

 体の奥から溢れ出てくる震えが止まらない。


「……認識阻害の魔法具か。そんな代物を持っていたとは……」


 苦虫を噛み潰したような表情のギルさん。


「これだけ用意周到に隠してきたのに気づくあなたの鼻も予想外でしたよ。まさかここで鉢合わせるとは思いませんでしたよ」


 どこか嬉しそうに笑って言う美術商からは、底知れぬ不気味さを感じる。

 風向きが変わったのか、激しい雨が部屋内に吹き込んでくる。

 先ほどの衝撃のせいか、いつのまにか照明は消え、薄暗い部屋を雷光が照らす。


「さて、本題に入りましょう。河野碧さん、僕と一緒に来てもらえますか? もちろん選択肢はありませんが」


「碧の意思に関わらず、渡すわけにはいかない。貴様らの思い通りにはさせんぞ」


 ひたひたと僕の方に歩み寄ってきた美術商の前に立ちはだかるギルさん。

 いつのまにか取り出していた短剣をだらりと下げている。

 力が入っていないのに、隙を全く感じさせない。

 僕は、背中から感じる威圧感に圧倒されて話すことができずにいた。


「こうなるのが嫌だったんだけどねぇ……しょうがないか」


 帽子をすっと掲げ、落とす。

 ゆっくりと落ちていく帽子。

 ひらりひらりと重さを感じさせないその帽子は音も立てず床に着地する。

 ハッと気がつくと、美術商の姿が消えていた。


「伏せろ!」


 沈黙の空間を破るギルさんの怒鳴り声。

 あわてて腰を折って伏せると、頭のあった位置を黒い影が通り過ぎていく。


「チッ」


 どこからか舌打ちの音が聞こえるが、依然姿は見えない。


 僕はどうすればいいんだ。

 僕は自分のことすら自分で守れない。

 この脚では逃げることも不可能。


 僕に、選択肢はないのだ。


「……碧、すまない」


「えっ」


 不意に前方の影がゆらりとゆれ、僕の背後へと回り込む。


 首筋に当たる冷たい感触。

 視線を下げると、鈍い光が反射して見えた。


「大人しく引き下がってもらおうか。我々は碧を傷つけることを厭わない。これ以上続けるならこの子の命はないぞ」


「なっ……!」


 信頼していた人物の裏切り。

 先ほどとはまた違った恐怖を感じる。


 喉元に当てられた短剣は鋭く、少しでも動けば僕の細い首は切れてしまいそうだ。


 どうして。

 なんで。


 ギルさんが僕の命を奪う理由がわからない。

 見た目は怖いけど、心の優しい人だったはずだった。


 それも、僕を手に入れるための嘘……だったのか?


 すると、姿の見えない美術商が鼻で笑って答える。


「慣れないことはやめなよ。君に彼は殺せないよ」


 煽るようなセリフ。

 なんで? 彼は僕が欲しいんじゃないのか? なのになんで僕の殺害を煽るようなことを……?


 そうか。

 美術商はギルさんが僕を殺せないことを確信しているんだ。

 組織とか関係なく、ギルさんというひとりの人間が。


「それはどうかな」


 仄かに芽生えた淡い期待はあっさりと裏切られ、僕の喉元に押し付けられた短剣の刃をゆっくりと引き、傷をつける。


 ピリっと冷たい刃が通って皮膚を切り裂いていく感覚、血が流れてく喪失感。


「へぇ……」


 興味深そうに声を漏らすと美術商はぬるりと影から這い出してきた。


「なん……で……」


 僕の口は凍りついたように動かず、やっとのことで漏らした声を無視してギルさんは喉元に切っ先を突きつける。


「さぁ、帰ってもらおうか」


 美術商はゆっくりとした動作で床に落ちた帽子を拾う。

 頭にちょこんと載せると、ニヤッと笑って。


「帰るわけないじゃん」


 一瞬にして距離を詰め、ギルさんに掌底を繰り出す。

 虚を突かれ、肩口にまともに受けたギルさんはなすすべもなく吹き飛ばされる。


「ぐあっ……!」


 後ろの壁に勢いよく衝突し、苦しそうな声を上げる。


「咎人もこの程度か。たかが知れていますね保守派の戦力も」


 つまらなさそうに言い放つと、僕にその暗く青い双眸を向ける。


「さぁ、邪魔なものもいなくなりましたし、僕と一緒に来てもらいましょう」


 瞬く間に車椅子の持ち手を握られ、もはや逃走も出来ない。


 ああ、結局僕は1人虚しく意味の無い絵を描き続けて、最後には利用されるだけ利用されて捨てられるのか。

 もはや助けてくれる人は誰もいない。

 僕は、どこまでも孤独だったのだ。


 ゆっくりと視界が揺れている。

 耳がどんどん遠くなっていき、激しい雨音も雷も聞こえなくなってきた。


 すっ、と力が抜け、何かに引っ張られる。


 ああ、気を失うのか。

 貧血や数日の徹夜明けの時に何度も気を失ってきたので、何となくわかる。


 やがて感覚と呼べるものはなくなり、視界も真っ暗になった。

 急に足元の地面が消え去ったかのように、急降下するような感覚。当然五感は働いていないので夢か幻覚か……


 起きた先はせめて生き地獄ではないことを祈ろう。

 僕に、選択肢はないのだ。


 そうして、意識を手放した。






 ◯





「……おい。お前、何しやがった」


 美術商は普段の余裕ぶった胡散臭いキャラを作ることを忘れてしまうくらい動揺していた。


 外から吹き付けてくる冷たい風と、激しい雨は未だにとどまることを知らず、その場にいる人間により強くなっている錯覚さえ抱かせるほどだ。

 薄暗い部屋には、テーブルとイス、壁に衝突したまま起き上がらない黒い塊……ギル。

 そしてーーー持ち主をなくした車椅子。


 それは一瞬の出来事だった。

 碧が少しふらついたかと思ったら、瞬きをする間に忽然と姿を消したのだ。

 まるで、神隠しにっでもあったかのように。


「ククク……」


 すっと何事もなかったかのように立ち上がるギルは微笑んで言い放つ。


「残念だったな。私の方が何枚も上手(うわて)だったようだ。」


 青い双眸はこれまで見せることのなかったどう猛な光をたたえ、ギルを睨みつける。


「これで、私の任務は完遂した。帰らせてもらうよ」


「待てよ! ここで大人しく帰らせると思ってるのか!」


 ギルは感情の見えない、冷ややかな灰色の瞳で美術商を見据える。

 ガクッと膝を崩して倒れこむ美術商。


「帰るさ。貴様程度に用は無いからな」


 手に持っていた短剣の刃を煌めかせ、宙に投げだす。

 金色に光る(つば)は緩やかなカーブを描き、先端は鋭く尖っている。

 グリップの先端には大きな宝石。その輝きはまるで血の色のようにも見える紅い色。


 弧を描いて地に、コトン、と軽い音を立てて着地した瞬間、空気に溶けていくかのように消えていった。


 力の入らない体を無理やり起こしてその様子を見ていた美術商は、やっと先ほど起こったことを理解した。


「その短剣……そうか、お前……クソッ……」


 意識を失った美術商は糸の切れた人形(マリオネット)のように地に倒れ臥した。


「……彼の世界が、君にとって正しく《イデア》でありますように」


 次の瞬間、部屋から霧が晴れるかのようにギルは消え去っていた。

 後に残ったのは割れた窓と美術商、持ち主のいなくなった車椅子。


 いつのまにか荒れていた天気は快方へと向かい、雲間から漏れる陽の光が水滴にあたり、キラキラと反射して輝いていた。

 まるで、門出を祝うかのように。

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