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Guardian’s Sky ―女神の空―  作者: Sky Aviation
第12章 ―数ヶ月後 A few months later―
87/93

12-1

「戦争が国家の利益になることはない」


 ――伊藤博文(日本 / 政治家・初代内閣総理大臣)

≫11月29日 AM13:16 東京都 新国立競技場≪




 ――空は、冬にありがちな少し白くかすんだ青空を見せていた。薄い雲が何重にも重なり、その青色の空に雑なペイントを施しながら、風に乗って東の空に流れていく。

 東京都内、新国立競技場――普段は、多くのスポーツ選手らが熱い名勝負を繰り広げ、著名アーティストが熱気溢れるライブを開催するこの場所は、今、厳かな空気に包まれていた。会場正面には大きな慰霊碑が、その奥には日の丸の国旗が、目立つ場所に設置されている。



 そして、慰霊碑の真正面にある、習字フォントで『先島諸島紛争殉職者之霊』と書かれていた――



 本来は、防衛省の慰霊碑地区でやる『自衛隊殉職隊員追悼式』。今回は、この紛争において海上保安庁職員から出た殉職者の追悼式と合同で行うことになった関係上、毎年行っている追悼式とは別でということになったのだが、追悼式の参加者が余りに膨大な数となってしまったために、急遽広い敷地を確保でき、尚且つ使用予定がなかったこの場所で執り行うことになった。

 大量のパイプ椅子が用意され、大きな献花台に、慰霊碑、中央に縦長の木製の標柱が置かれている。慰霊碑の左右には、小さな『陽光桜ヨウコウ』が1本ずつ飾られていた。元々、第二次大戦終戦後、平和を願った元教師、高岡正明氏が、日本と台湾の桜を交配させて作った環境適応力の高い品種。今の、平和を願う追悼式には打ってつけというわけであった。


 殉職者は、自衛隊・海保合わせて述べ“1125人”。日本の戦後史上、そして、両組織発足以来最大の年度殉職者数であり、その衝撃は容易に全国に行き届いた。会場には、内閣を構成する各大臣、自衛隊・海上保安庁の関係者、OB、各国大使館代表、殉職者の遺族、及び関係者らなどといった面々が集い、グラウンドをほとんど埋め尽くす“3万人”が出席した。その中には、羽浦らを初めとした警戒航空団の面々、そして、蒼波たち第309飛行隊の一部パイロットらといった現役自衛官の姿もあった。


 追悼式が始まり、天皇皇后両陛下が入場され、慰霊碑で静かに一礼なされる。着席後、モーニングスーツ姿の萩山官房長官が登壇し一礼すると、厳粛な空気の中、感情をどうにか押し殺したような冷静な表情を浮かべながら、開式の辞を述べた。


「――只今より、防衛省、国土交通省合同、『先島諸島紛争殉職者追悼式』を、挙行致します」




 ――あの戦争から4ヶ月の月日が経った。


 極東革命軍との戦争は、無事に終戦の時を迎えた。伊良部島・下地島の奪還後、J-20を含む敵航空部隊はその8割の戦力を撃墜され、残り2割は撤退中に韓国西岸沖で燃料切れなどで不時着した。航空優勢を確保した多国籍軍は、艦隊の損害を最小限に抑えて宮古海峡を無事に通過。北朝鮮西岸に近接しながら、艦載機による空爆を実施し、『天摩山基地』の機能を完全に破壊することに成功した。結局、迎撃に上がってきた戦闘機は1機としておらず、現地の対空迎撃網も、北朝鮮正規軍から分捕ってきたものをまばらに置いただけの“付け焼刃”でしかなく、最新鋭テクノロジーを駆使する米軍航空部隊の相手ではなかった。


 その後、米海兵隊による空からの強襲制圧が行われるも、守備隊はほとんどおらず、総司令官に当たる人間もJ-20の特攻で戦死したため、組織的抵抗もなく事実上の“もぬけの殻”だった。「新兵訓練にもならない」とは、現地の作戦指揮を執っていた海兵隊指揮官の弁である。


 結果から見ると、極東革命軍は、あの宮古海峡での熱核兵器攻撃に全てを賭けていたわけである。しかし、その目論見は数多くの勇敢な人間たちによって破壊され、その場で力尽きることになった――



 ――その後、徐々に追加の部隊を上陸させていったものの、基地の内部構造がやけに複雑で、アリの巣のような拠点を地下に想定以上の規模構築していたことから、完全制圧までに1週間弱の期間を要した。さらに、伊良部島と下地島に残されていた地雷や不発弾などといった兵器の解体処理にも時間をかけることとなった。ぬいぐるみにIEDを仕掛けたり、民家を弾薬庫代わりにしていたりなど、テロ組織やゲリラ部隊がやるような手法を島全体で行っていたことから、最終的に2ヶ月もの期間を消費した。


 その間にも、近隣諸国は直ちに復興に着手していった。韓国は、砲撃を受けたソウルを中心に被害規模を把握した後、修繕に取り掛かったし、台湾も、離島に発生したゲリラの銃撃被害を補填するべく政府が慌しく動いている。


 しかし、中国の事情はそう簡単ではない。北京では、初日に受けた爆撃の被害は大きく、人民大会堂だけではなく、天安門広場周辺の国家中枢を担う建造物や、中南海も広範に被害を受け、さらに、投弾ミスとなった爆弾の流れ弾が、隣の紫禁城や民間の建物などに落下して大きな火災被害を発生させるなど、現場は混乱の極みと化していた。肝心の防空システムも、よもや味方が何の音沙汰も無く爆撃しに飛んでくるとは思っていなかったらしく、ただの演習か、外にいるメディア向けの示威飛行だと思ってスルーしてしまっていた。その結果どうなったかは、もはや語るまでも無いであろう。

 爆撃現場での救出作業は夜を徹して行われ、日本を含む諸外国からの有志も参加した。しかし、徹底的な爆撃は中国共産党の主要幹部の大部分を殺傷するという結果を導き出し、現体制の首脳陣は軒並み瓦礫の下敷きになり全滅。秦副主席は幸運にも救出されたものの、救出までに日数がかかったこともありまだ意識が戻らない。他の党幹部はそのほとんどが息絶えた後に引っ張り出される格好となり、生還できたのは、4ヶ月経った現段階でもたったの12名と、中国共産党の歴史上トップクラスの“大災厄”となった。


 当然、こんな状態で国家中枢がまともに機能するわけが無い。しかし、中国の党上層部はこうした展開を予測してか、被害が明確に判明していない初日の段階から、石家莊シーチャーツゥァンに臨時の司令部を置いて、応急的な統合司令部とすると同時に、国内統治の陣頭指揮を執っていた。ここには元々、中部戦区の陸軍機関があり、北京司令部が機能しない今、代替としてここに白羽の矢が立ったわけである。別件で北京を離れていたことで、幸運にも災厄を免れていた党中央軍事委員会の副主席を中心とした軍事委の面々が臨時政府を構成し、今も海外との連絡を担当している。


 言うまでも無く、今回の事件を引き起こした中国は国際的に大きな非難を浴び、軍の管理責任を問われることとなった。国連安保理では、この“戦争”によって発生した被害の大部分は中国が補償すること、迅速な軍事組織管理システムの改革の必要性から、今後、最低3年は国連の監督を受けること等の決議が採択された。あのロシアすらこの決議に賛同したあたりから、かの国の思惑が透けて見えるようであるが、とにもかくにも、これによって中国は、事実上、国連主導で“国際的に管理”されることとなったのだ。

 今の中国にとってこれは、実質的な“政府首脳部に限定した占領政策”に他ならない。しかし、事実としてそう要求するに値する言い分は向こうにあるし、これらの要求を蹴る権利が自分らにあるわけもなく……。国際世論からの強い要求もあり、彼らは泣く泣く決議を受け入れるしかなかった。自分らが進んで仕掛けた戦争でないにも拘らず、あまりに手痛い仕打ちを喰らうことになったわけである――。



 ――そうした経緯を経て、9月2日、多国籍軍総司令官がメディア向けに出した『極東革命軍壊滅宣言』、同日、国連安保理で採択された『終戦宣言(国連安保理決議2721)』、及び、日本政府が発表した『“先島諸島紛争”終了宣言』により、極東革命軍との戦争は正式に終了した。

 さらに、1ヵ月後の10月18日に島の安全が確認され、『伊良部島・下地島安全化宣言』が出された。同時に、開放された地域から地元住民の帰島が許可され、政府が頭を下げて用意させた民間のチャーター便を使って、希望者から順次島へと戻っていった。

 久しぶりの故郷であるが、戦争の傷跡はいろんなところに残っている。建物は壊れ、土地は荒らされ、電柱は倒れ……地域によっては、3.11レベルの震災があった時と遜色ないような被害をも受けていた。勿論、有事緊急補償として国から補償金が全島民に無条件に支払われることになったが、それでも、復旧には相当な日数かかることが予測された。



 しかし……一番の問題は、亡くなった人々と、残された遺族に対する支援だった。



「――ッ」


 ふと、羽浦は自身の列の左側を横目に見る。幾つか離れた同じ列の場所には、黒い喪服を着た若い女性が立っていた。彼女には見覚えがあった。交戦禁止令が出された時に撃墜されたパイロットの一人、ベア隊の野球坊主と名乗っていた彼の、奥さんだった。追悼式が始まる前、新田原の人事課に頼み込んで奥さんの情報を教えてもらい、森光スパークとともに、事前に待ち合わせをしていたのだ。

 旦那が亡くなったことは本人も知っていたが、その時、自分が管制していたこと、撃墜が認められない中、彼は懸命に仲間を守ろうとしたこと、そして、貴女を愛していると伝えてほしいということ。全てを包み隠さず伝えた。森光も、彼が最後、どんな行動に出ていたのか、自らの目で見た全てを伝えると、案の定、奥さんは溢れんばかりの涙を目に浮べていた。


「……あのバカ……ッ、最後まで私のことを置いてけぼりにして……ッ!」


 溢れ出る涙を手で押さえながら口にしたその言葉に、一体どんな真意があったのかはわからない。しかし、並々ならぬ思いがあったのは間違いない。人目も憚らず号泣しながら、右手薬指にはめていた綺麗な銀色の指輪に、涙が滴り落ちて光を反射する様を、羽浦は一生忘れることはできないだろう。そして、自らの非力さを詫びる森光に対する、彼女の言葉もまた印象的だった。


「……あの人のしそうなことです。昔から……、いつもそうで……」


 そう語る彼女の目は、どこか、懐かしい過去を思い出しているような、遠い目をしていた。今の羽浦たちに、それに対して返す言葉が、あるはずもなかった。


 ――他の3人のパイロットについても、家族がいれば直接会って事情を説明して回った。幸いにして、誰もが親切に対応してくれ、罵倒などをしてくるのは一人もいなかった。ただ、それより記憶に残る顔や泣き声を、目の前で聞くことになったのは言うまでもない話である。

 偶然にして、野球坊主の旦那の奥さんが同じ列にいたらしい。彼女は、式の前に会った時と同じように顔を手で多い、やはり瞼から大量の涙を流しているようだった。そして左手は、自らの腹に当てている。


「……お子さんか……」


 彼女はつい数日前、妊娠していることがわかったらしい。彼が生きていれば、夫婦水入らずで元気な子供を育てる未来があったであろう。しかし、その親の片割れとなる夫は、もうこの世にいない。幸い、遺体として引き上げられはしたが、今の彼女にとっては、何の慰めにもならなかった。


 彼女だけではない。いたるところから、すすり泣く声や、子供の泣く声、亡くした人の名前を呼ぶ声、取り憑かれたように亡くなった人に語りかける老人の声――親しき人間を失った人たちの悲嘆の声が、重く、木霊のように反響して羽浦の耳に入ってくる。全てがトラウマとなるには十分なものであり、今すぐにでも耳を塞ぎたくなった。しかし、一自衛官として参加している羽浦は、数ミリの姿勢の乱れも許されず、ただ黙って、目の前で行われている菅原総理の追悼の辞に耳を傾けて、気を紛らわせるしかなかった。


「――この度、新たに奉られた御霊は、自衛隊、海上保安庁合わせて、1125柱であります。我が国の戦後史上、類を見ないこの大きな犠牲は、誠に痛恨の極みであり、哀惜の念に耐えません。この場をお借りして、改めてご遺族の方に――」


 ただ、その言葉さえも、羽浦の内心を複雑にさせていた。1125柱の犠牲、そのうちどれほどが不必要な犠牲だったのだろうか。奇跡的なことに、一般の国民からの犠牲者はでなかったものの、その代償は大きかったのではないか。戦争の経過の過程で、どれほど犠牲を抑えることができただろうか。中には、本来出るはずが無い犠牲まで出してしまったのではないか……。

 いや、総理を責めても仕方ないのだろう。彼の言葉に間違いはないのだろうし、考え始めたらキリが無い。しかし、純粋な気持ちのままにその言葉を聞くことができず、そんな自分に嫌気が差し、小さく鼻でため息をついた。

 菅原総理と大郷防衛大臣、山井国交大臣の追悼の辞は、毎年行っているものより若干長いものとなっていた。多くの犠牲に胸を痛め、それでも、国家防衛のために全身全霊を賭けて職務を遂行したこと、その尊い犠牲を決して無駄にしてはならず、必ずや復興し、平和への実現を約束する旨の内容で締められた。

 天皇陛下からのお言葉も賜った。このような戦争が起きてしまったことを残念に思いながらも、国民の犠牲者が出なかったことに安堵し、国民を守るために命を張ってくれた全ての人々に深く感謝し、御霊の安寧を祈る内容であった。先の3人と大体は同じものであったが、仮にも陛下からのお言葉である。身に沁みる思いとはこのことであり、背筋も自然と上から吊り下げられたように綺麗に伸びていた。


 そのまま、統幕長、海上保安庁長官、衆参両院議長、最高裁判所長官、沖縄県知事と、追悼の言葉が静かに語られる。一様に陰鬱とした様子で、それでも、どこかこみ上げるものを強引に押し殺し、無理に冷静さを装うような声でもあった。遠すぎて、彼らの表情がどうであったのかは、羽浦にはわからない。


 最後に、遺族代表として、一人の男子高校生が慰霊碑の前に置かれたマイクの元に足を進める。スーツではなくブレザーであるため、高校の制服をそのまま着てきたのだろう。追悼の場に、ベージュのブレザーに灰色のスラックスというのも珍しいと思いながら、羽浦はその若き遺族代表を目で追った。

 手に持っていた式辞用紙をゆっくりと開きながら、数秒の間をおいて、口を開いた。


「――初めに、未だ、ご遺体が見つからない方々のご冥福を祈り、ご遺族の皆様に、深く、お悔やみ申し上げます。今ここには、極東革命軍という大きな脅威に対し、国や、私たち国民を守るべく、命を落としていった方々の魂が、静かに眠っています。その中には、僕の、父もいました。当時、護衛艦『たかなみ』の、艦長職を担っていました――」


 高くなく、低くなく、声優にいけそうな透き通った男性ボイスを会場全体に響かせる。護衛艦『たかなみ』は、初日の敵艦隊の襲撃時に撃沈。乗員は数人しか生き残ることができず、艦長も殉職していた。半数が行方不明になる中、彼の父は、幸いにして遺体として引き上げられており、彼の目にも入ることとなっているはずだ。

 通常の追悼式でもよくある、家族の死に直面し、涙しながらも、それでも前に進む――そういった内容だろうと、誰もが思っていた。


「――はっきり言って、僕は父が嫌いでした」


 ……そんな言葉が出てくるまでは。


「……え?」


 その後に彼から出てくる言葉は、父に対する不満ばかりだった。母親を小さい頃に亡くした父子家庭で育ったが、その頃から高圧的であったこと、仕事に明け暮れて家族との時間をほとんど取らなかったこと、それのせいで、互いの関係がどんどんと悪くなっていったこと、それでも父は厳格で、学校の成績や生活の面で厳しいことばかり言い放ってきたこと、そして、そんな生活が嫌で、逃げるように東京の高校に進学したこと――。

 大よそ、追悼式の場で言うべき内容ではない。周囲はかすかにザワつき、余計に彼の言葉に注目が集まった。口から飛び出す言葉一つ一つが、父への不満と、それに耐えて生活せざるを得ない自分の暴露大会の様相を呈していた。脇にいた司会も、本来の知らされていた内容と違ったのか「あれ?」と首をかしげながら、バックにいるスタッフと一言二言言葉を交わしている。

 数分で終わるはずの『遺族代表のことば』であるが、そのうち1分前後はその話に割かれてしまった。動揺する会場、スタッフ。そんな後ろにいる面々の動きなど知ったことではないと、彼は背中で語っていた。


「そんな父が、有事に借りだされると聞いたときは、「ざまあみろ」とすら思いました。これで、さっさと死んでいなくなってしまえばいいとも、思っていました――」


 おいおい、それ追悼式で言う内容じゃ……。羽浦が呆れて頭を抱えそうになった時、



「――本当に、そう、思っていました。……父が、本当に死んだと、聞かされる時までは……ッ」



 ……声が、変わった。今までの冷徹な声ではない。わずかに震え、感情が混じっている。強引に心の奥底に押し込めるように、より低い声になって続けた。


「紛争が終わった一週間後、父が乗っていた艦が初日で沈んだことを知り、さらに、生き残った乗員の方から、艦長は、最後まで艦に残って、乗員を一人ひとり外に脱出させるために、肩を貸していたことを知りました。ボートが破損し、全員が乗れないことを理解した父は、体全体に負った怪我を引きずって、若い乗員たちを優先させる形で、海に次々と投げ飛ばしたそうです。そして、艦にさらに砲弾が命中し、爆発する直前、艦の側面通路に力尽きて倒れ込んだ父が、声を張り上げて言いました――」




「――「息子に伝えてくれ。こんな親父にはなるな」と。そして、「精一杯生きろ」と」




 そう語る彼の言葉は、いよいよ涙が混じってきていた。気がつけば、式辞用紙を持つ手は大きく揺れ、肩は時折小さく跳ね、次の言葉が中々出てこない。それでも強引に捻り出した言葉は、最初の雰囲気とは完全に一変していた。


「――父は、最後まで、自分の仲間のために、自分の職務のために、不器用なまでに素直で、厳格で、愚直であり続けていました。僕のような、大した、親孝行もしていないバカ息子のために、僕に内緒で……、遺書を、残し、何かあった時の生活費や、今後の生活に必要な書類などを残してくれるほどに、“子煩悩”でもありました。しかし、それに気づいた時には、もう、父は…ッ、この世から去っていました。佐世保の基地で、父の亡骸を見て、ようやく、父の死を理解し……ッ、初めて、僕は、親に対して、情けない泣き顔を見せました……ッ」


 そこまで言って、彼は、その亡骸を思い出したのか、静かに泣き始めた。一時的に止まった言葉。しかし、その涙は、会場全体にも伝播し始めていた。同じような境遇にあったのか、それとも、つられて親しい誰かの亡骸を思い出してしまったのか。いたるところからすすり泣く声が聞こえてきていた。普段、よほどのことが無い限りは、たとえ涙腺崩壊などと銘打っている映画を見ても泣かなかった羽浦も、感情移入して瞼に涙を浮べ始めた。

 だが、羽浦だけではない。少しはなれたところにいる蒼波に至っては、同じ自衛官の父を持つこともあってか、すでに頬を伝う程度に涙を流していた。隣にいた近藤が、静かにハンカチを差し出すが、その様は、羽浦からは見えようもない。

 涙を拭き、改めて式辞用紙の中身を読み始める。その声は、まだ震えていた。


「――本来、僕の今の服装は、追悼の場に着てくる服としては異様なものだと思います。しかし、僕は、この場をお借りして、父に、高校の制服姿を見せたく思いました。考えてみれば、高校に入学して以降、一度も、父に見せたことが、なかったのです。

 ……ごめんな、父さん。こんな、鈍感すぎるバカ息子になったせいで、せっかくのカッコいい制服を見せる機会も、互いに腹を割って話す機会も、まともに謝る機会も与えられなくなった。だから、ここで、謝らせてください。そして、“ありがとう。お休みなさい”と、言わせてください。

 ……僕は、国防や、安全保障、戦争について、詳しいことはわかりません。偉そうなこともいえません。しかし、一つだけ、確かなことは言えます。奪われる時は、一瞬だということです。そこに、慈悲の心は一切ありません。誰であろうと、どんな人間であろうと、その命は、情け容赦なく、一瞬にして奪われるのです。それが、戦争、紛争という、現実の一側面なのであり、平和を守ることの難しさなのであり、誰しもが、理解しなければならない事実なのだと思います。……それでも――」


 彼は、震えていた声を消し去るためか、一拍置いて、一息入れる。


「――そんな現実に立ち向かい、自分の信じる何かのために、守りたい誰かのために、文字通り、命を賭けて、その使命を全うした父を、僕は、心の底から誇りに思います。勿論、こちらで奉られている、1125人の自衛官、海上保安庁職員の皆さんについても、自らの守るべきもののために、最後まで職務を全うし続けてくれたことに対して、一人の国民として、感謝の念に尽きません。今、僕の声が彼らに届いているかはわかりませんが、しかし、それでも言わせてください。皆さんは、目の前にいる3万人弱の同胞を含め、日本中の、世界中の人々を、その手で守り抜いたのです。遺族の、いや……、“守られた人たち”を代表して、最後に、お礼を、言わせてください――」


 そして彼は、手に持っていた用意を折りたたみ、一直線に慰霊碑を見た。




「――ありがとうございました。あとは、僕たちが引き継ぎます。今は、ゆっくりと、お休みください。


  11月29日 先島諸島紛争殉職者 遺族代表  堂林 慶介」




 そう言って、式辞用紙を目の前の白い布が敷かれたテーブルに置き、深々と、慰霊碑に向けて一礼する。その姿勢だけで、彼の持つ感謝の心全てを表現しているようで、頭を下げたまま、5秒は上げることはなかった。

 場が場なので、拍手が起こることはない。だが、彼に対する敬意、感謝、誇らしさなどといった感情は会場内を容易に支配し、大いに称える目線を彼に向けていた。その目線に気づいていたかどうかはわからないが、彼は壇上から下りる時、何かに気づいたように、深々と、参列者に向けて、深く一礼していた。


「(これが、俺たちの守るもの……、か)」


 一人の自衛官として、心から実感していた。彼のような、未来を見据えることができる人たちを守る。それが、自分たちの使命なのだろうと。彼のような若人らを、命を張ってでも守ることこそが、国を守り、国民を守り、そして、未来を作っていくのだろうと。

 決して壊してはならない、何があっても守らなければならない存在を守る。そのための自衛隊、そのための自衛官。羽浦は、自らの職務に、改めて向き直ることができたように思った。


 その後、代表者数名及び海外からの賓客による献花がなされ、参列者全員がその場で起立する。深々と拝礼し、前方に整列した儀仗隊による弔銃が行われると、最後に、ブルーインパルス6機編隊によるミッシングマンフォーメーションと、平和祈念としてハトの放鳥が行われる。会場真正面から聞こえてくる、練習機らしい細く鋭い轟音が、編隊の接近を知らせていた。


『それでは皆様、会場正面をご覧ください。ブルーインパルス、6機編隊によるミッシングマンフォーメーションです――』


 司会の声に導かれるように、参列者の視線は慰霊碑より前方の空に向かれる。轟音が一際大きくなった時、ようやくデルタ隊形を組んだ6機が、演技に使われるスモークを引きながら普段よりゆっくりと低空で飛んできた。

 すると、1機がスモークを引いたまま編隊を離れ急上昇。それを合図とばかりに、大きな鳥かごが開放され、大量の白いハトが、空に向けてバサバサと音を立てながら放たれた。全ての参列者の視線は、ハトと急上昇していく1機のT-4に向く。後ろを振り返りながら首は上に向けると、5機はそのまま屋根の陰になるが、1機だけは、文字通り天に昇るようにスモークを空高く伸ばしていき、参列者の視界からも見える位置にい続けた。

 それは、現世を生きる者と、この世から別れを告げる者を示唆するようで、そして、ハトは、現世を生きる者たちを追うように、5機のT-4が飛んでいったスモーク目掛けて集団で羽ばたいていった。


 しかし、天に昇っていった白いスモークが途中で途切れることは無かった。天高く上りながらも、その存在を主張する様は、亡くなった人たちの記憶を現世に留めておいてほしいというメッセージにも思える。スモークの先に、亡くなった人たちの面影を照らす人だっているだろう。

 だが、それでもなお、自分たちが進むべき道は、上にはない。前にある。羽浦は、決意を新たにしたその視線を、天に昇ったスモークから、そのまま低空を飛び続けた、5機が引いた密集した太いスモークの束へと向けた……。





 ――追悼式終了後、羽浦は人ごみの中から蒼波を探し出した。


「おーい、咲!」

「ん? ……どしたの? そんなに息切れして」


 通路で暇していた蒼波を捕まえると、息を切らす呼吸を整えながら聞いた。


「お前、この後暇?」

「え? ええ……帰りは明日ってことになったから」


 蒼波たちの予定では、那覇に帰るのは明日の朝一番のチャーター便でということになっていた。羽浦も同様で、特別に取っておいた新幹線の臨時便を使って、明日の朝に浜松まで帰るという手筈であったが、その関係上、今日はこの後自由時間で、予約で取っておいたホテルへの集合時刻まではまだ時間が余っている。


 ちょうどいい。羽浦は、「よし」とホッとした様子で、蒼波をある場所へと誘った。




「ちょっと、付き合ってくれないか。行きたいところがあるんだ」


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