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Guardian’s Sky ―女神の空―  作者: Sky Aviation
第11章 ―8日目:午後 Day-8:Afternoon―
86/93

11-10

≫那覇基地 自衛隊那覇病院≪



 ――1時間ほどもすれば、空はスカイブルーの展望に徐々に茜色が混ざり始め、西の空は白っぽい印象を持たせ始める。今日の分の夕時が近くなってきたことを知りながらも、那覇基地は今なお戦闘機が轟音を撒き散らして下りてきては、入れ替わりで、別の戦闘機が鋭い爆音を響かせて空の彼方に消えていく。

 その頃には、那覇救難隊の手によって救助された近藤も基地内の自衛隊病院に送り込まれた。幾らか外傷はあったものの、基本的にはピンピンしており、ベイルアウト時に不安視される脊椎への損傷度合いも、現状調べた限りでは大したものではないようだった。


 生還の祝福を受けるやいなや、彼の目下の関心は蒼波のその後にあった。ベイルアウト後、パラシュート降下した先の海上で、自動展開された救命ボートに乗り込みながら空の戦況を見守っていた。蒼波機と神野機が低空での空中戦を展開しているのを見ながら、神野機を無事撃墜したところまではわかっていたが、そこから先は距離が遠すぎて判然としておらず、なぜか大型機が低空に下りてこようとしていたのはかすかに見えた程度だった。通常ではありえない状況であり、その後何回か爆発はあったが、それっきり情報は何も得られず仕舞い。サバイバルキットに入ってある無線機も、周波数が違うために状況がわからなかったのだ。


 ――そんな彼に、その後の状況を全て伝えた後の顔ときたら。驚愕なんてものはとうの昔に通り越してしまい、どこぞの燃え尽きたボクサーのように真っ白になって口からは魂が抜けていった。生還したはずなのに、陸に足をつけていながら気絶する寸前へと追い込まれた彼が最初に発したのは、


「……俺、もう教官やんなくていいよな……?」


 どこか、懐かしむような遠い目をした上で出た、呟きのような言葉だった。

 一応病人という扱いなので、フライトスーツから白い病衣姿に着替えていた彼だったが、宛がわれた個室のベットに座りながら、切谷と大洲加を前にして完全に燃え尽きた某ボクサーの格好をしていた。その隣には、警戒航空団を代表して、重本と新代も付き添っていた。重本が、軽く興奮した様子で蒼波の健闘を称えた。


「貴方の部下は素晴らしい仕事をしてくれました。まさしく、妖精という呼び名どおりに空を舞うように飛んでいました。女性だから、などという偏見はもはやパイロットの世界では通じないことを彼女は知らしめてくれたのです」

「309の風神とはよく言ったものです。まさに風神の如き活躍ぶりで、軍神の呼び名を持つタケミナカタに照らして差し上げるべき存在でしょう」

「そ、そこまでですか……」


 押し売り商売をする売人のように顔を物理的に前に迫らせてベタ褒めする重本と新代に、近藤は遠慮気味な返事をするのみ。その前の話で完全に圧倒されすぎたので、何か気の利いた返しをすることすらできなかった。代わりに、あまりにも現実味のない話に、苦し紛れな苦言を口にする。


「幾ら大好きな幼馴染のためとはいえ、無駄に命張りすぎだろうあいつも……」

「まあ、俺らが止めるまでもなく勝手に行ってましたからねぇ」

「ですが、そのおかげで命が救われたのは間違いありません。あとで礼を言いにいかなければ」

「切谷、あいつは、まだ無事なんだな?」

「ご安心を。着陸時のショックで気を失っただけです。医官の方も、大したものじゃないので何れ起きるだろうと」

「そうか……」


 蒼波が無事であるということに関しては、近藤も心底安心したような表情を浮かべていた。

 着陸時、対処要員から引っ張り出された時まともに動いていなかったのは、単純に気を失ったからであった。ノーズギアが折れて前のめりに倒れた際、コックピット全体に大きな衝撃が加わったせいで蒼波の体にもそれが伝播し、今までの戦闘や飛行の疲れもあって気を失ってぐったりしてしまったというわけである。つまり、ギアが折れてからは完全に蒼波の手を離れて機体は暴れていたというわけであり、本当に、横転も火災も起きなかったのは不幸中の幸いという他はなかった。

 しかし、それでも外傷そのものは大したものではない。気絶から覚めるまでは時間をかけねばならないが、それまでは病室のベットで寝かせたままということになった。この事態に際し、誰一人として死者がいないのは本当に幸いだったとしかいいようがない。


「結局、最後は風神が勝ったわけか」

「神話の通りにはいきませんでしたね」

「もとより、ここは神話の世界じゃなくて現実だろって言いたいがな」

「神野二尉の遺体については現在捜索中ですが、機体も大部分が水没してしまったそうで、放射性物質のリークを考慮して、暫くは延期するという情報が入っています。もしくは、多国籍軍による熱核兵器捜索という名目で、米軍がさっさと持っていくという噂もありまして」

「いずれにせよ、彼は生きて帰って来れそうにないか」

「はい、正直、残念ではありますが……」


 そう告げる切谷の表情は暗かった。確かに、彼は相当に悪辣な男であったに違いない。だが、そうは言っても同じ空を飛んだ仲間であったこともまた事実である。彼を失うことによる抵抗感がないわけではない。

 未だにわからない。なぜ彼があんな暴挙に出てしまったのか。一人の若き、心優しき女性まで手にかけてしまったのか。ここにいる人間には、その答えを見つけることはできないだろう。結局のところ、彼にしか、その真意を教えてくれる者はいないのだ。だが、そんな彼の口はもう、自らの力で動くことはない。


「何れ調査されることです。今は、全員の生還を祝いましょう」

「ええ、そうですね……」


 失ったものを悔いていても仕方がない。重本の言葉に頷いて返した近藤をは、打って変わって、別の話題へと移った。いつもの朗らかな笑顔を見せて、重本と新代に向けて言った。


「いずれにせよ、我々は貴方がたの管制に色々と助けられました。この場で、皆を代表して、ぜひお礼を」

「いえ、これが仕事です。至らぬ点があったかもしれませんが……」

「とんでもない。今までの管制の中では、貴方がたがトップクラスで的確でした。特に、“彼”は」


 名前を言うまでもない。彼らの頭の中にあったのは、一人の若き男だった。親しき女性を思う、心優しくも、気骨のある秀才。重本と新代の表情も、自然と崩れていく。


「自慢の部下ですよ。彼に、あの空域を立てた重本三佐の判断は正解でした」

「前日のブチ切れた件もありましたが、だからこそ、彼に任せようと。彼に、判断力でも、精神力でも対抗できる人間は、彼ぐらいです」

「切れた件が、むしろ決め手だということですか?」


 大洲加がそう聞くと、含みのある小さな笑みを浮かべ、窓の外から見える基地の建物と、奥にある滑走路を見やった。未だに、戦闘機や大型の輸送機などが飛んでいき、その轟音はこの病室にも響いてくる。


「……このドでかい空を指揮管制するのは、基本的に我々人間です。フライトシミュレーションゲームのAIとは違います。機械的に指示を出すだけなら、人工知能にでも任せて置けばいいのです。しかし、それでは満足な支援はできません」

「これは、人間にしかできないと?」

「ええ。人間を指揮管制するなら、人間の心を持たねば意味がありません。つまり、人間をやめていない者。人間である者。そういった人間でなければ、“人間を殺す人間の心”を読み取り、何が必要で、何をさせればいいのか。そして、どのような行動を“止める”べきか。そういった判断ができません。人工知能に、こういった人間の持つ機微な心の変化を感じとることはできないでしょう。だから、私は“人間”を欲したのです」


 なるほど。なら、彼は適任だ。ここにいた全員がそう納得した。あのような感情を発露することができるのは、彼がまだ人間をやめていない証拠だ。これは、彼本人にも言ったことであった。無人機などの台頭によって『戦場の無人化』が進む中で、未だに人間が後方指揮の舞台から消えないのは、こういう理由がある。

 人間を殺す人間の心を読み取るのは、人間のみ。「確かに、ぽっど出のAI如きに、人のことなどわかるまい」と、近藤も小さく何度も頷きながら理解を示した。


「時に、『アイ,ロボット』という映画をご存知ですか?」

「前に見たことがあります。2、3回ほど」

「なら話が早い。あの映画では、主人公がロボットを毛嫌いする理由として、過去にあった事故の経験が取り上げられます」


 『アイ,ロボット』は、名優ウィル・スミスが主演する著名なSF映画であり、ロボット系SF好きの人間ならば、一度は見たことがある映画として取り上げられることも珍しくはない。

 あの映画の主人公は大のロボット嫌いであるが、その理由は、過去に起きた交通事故にあった。この事故によって命を失いかけていたが、そこに一体のロボットが通りかかる。隣には一人の付き添いの少女がおり、必死にその少女を救うよう命令するが、主人公のほうが助かる確率が高いという計算結果から、命令を無視して主人公を救出。しかし、これのせいで少女は命を落としてしまう。以来、“数字”で全てを判断するロボットを毛嫌いするようになったと、本人の口から語られていく。

 重本に言わせれば、ロボットが何時までたっても戦場を指揮する立場になれないのは、これが原因だと言う。曰く、“数字で判断する機械”に、“非数値的な人間”を支配はできないというのだ。


「時として、人間は非論理的であり、非合理的です。戦場であってもそれは変わりません。そういった理屈に合わない心理的現象を、数字で全て表現することはできません。“理論的に”不可能です。そこを埋め合わせるのは、いつも人間の心です。それこそ、今日空の上であった、彼の「上に行くか下に行くか」の判断もそうです。彼は、結局は論理的に見て、「“この状況”なら、下を選ぶ」と判断してそう説明しましたが、それぐらいは機械にだってできます。判断基準はそれだけではありません」

「それが、“神野の心理分析”だと?」

「そういうことです、三佐。彼は同時に、「“彼”なら、“下”を選ぶ」という判断もしました。これは機械にはできません。先ほどいった理論的な判断だけでは、逆に上に行く理論だって出来上がってしまいますし、そっちを選びかねません。ですが彼は、理論に拠らない、神野の非合理的な心理をも考えて、下に行く判断に自信を持った。理論的な結論は肉付けに過ぎません。これこそが、私の求めている“後方指揮”であり、後方から、人間がいなくならない、いや、いなくなってはならないと考える理由です」


 何かを考えるように目を細める重本の目線の先で、また1機、“人の手によって”戦闘機が飛び立っていった。そしてその戦闘機は、空の上で“人の手によって”管制を受け、任務を実行していく。この関係こそが、重本の考える理想の戦場の世界であり、重本が考察する、無人化の流れが中々最前線に進出しきれない理由である。

 戦争を行うのは人間である。ならば、戦争の行動は、基本的には人間の心理的事象をも考慮に入れねばならない。それは、全てが数字で表現できるものではなく、そこは人間が判断しなければならない。その判断をする人間は、どれだけ前線から離れようとも、少なくとも後方からいなくなることはないし、いなくなってはならない。その“非論理的な”考えが、重本の中にはあった。


「戦争が人間の行う政治的行為の結果であるならば、人間はその現場を見届けねばならない、という“非論理的で道義的な”持論もあります。何れにしましても、神野という“実に心理的な”存在を抑えるには、その心理面を考察できる、人の心をまともに持った人間でなければいけないわけです」

「そうなれば、彼しかいないと」

「そういうわけです。結果を見るに、その判断は間違っていなかったようで」


 そうしたり顔でいう重本の目線は、近藤のその衣服に向いていた。傷は負ったが、生きて帰って来た。結局のところ、これも彼の管制の恩恵でもある。最悪、あそこで熱核兵器が起爆して、全員が海の底に叩きつけられていたかもしれないという状況下で帰ってこれたのは、間違いなく彼のおかげだ。

 やはり、今のうちに礼を言っておかなければ。そう考えた近藤は立ち上がろうとするが、すぐによろけてしまう。すかさず抑えた切谷が、咎めるように言った。


「あぁ、待ってください。今はまだ無理はせずに」

「心配するな。ちょっと足に傷を負っただけだ」

「ですが、脊椎にも本当に損傷はあるって医官の方が……」

「フライトには問題ない程度だろ? そんな気にするもんじゃないって」

「いや、ですが……」


 切谷と近藤の押し問答が繰り広げられる中、「まあまあまあまあ」と両手を広げて仲裁するように重本が割って入った。


「そう急がずとも。彼は逃げませんよ。今は彼女の部屋にいますから」

「彼女? ……あぁ、“彼女”ね?」

「そそ、彼女彼女」


 何かを察したような顔の近藤に対して、眉を広げて「そういうことです」と小さく頷いて返す重本。今は一緒にいますと新代が伝えると、「じゃあ邪魔するわけにはいかんわな」と、近藤も諦めてベットに再び腰を下ろした。

 さらに、重本は妙に目を細めて、口をわずかに吊り上げながら続ける。


「それに、貴方がたにはもう少しお付き合いいただかなければなりません」

「お付き合い? なんです、今後の予定の調整ですか?」

「あ、もしかして宴会スか? 俺冷蔵庫から缶ビール持ってきますけど」

「おいこら」


 大洲加のボケに切谷が「ぺしっ」と大洲加の後頭部を軽く叩くと、重本と新代は小さく口元を歪ませてた。


「いえいえ。ちょっと、ご相談ごとがありまして」

「といいますと?」

「あ、歓迎会やってくれって話すかッ?」

「んなわけねえだろ」


 と、またもや「ぺしっ」と叩く切谷だが、近藤は首を傾げるばかり。そんな三人を、したり顔で見つめ、「しっしっし」と、これからいたずらを仕掛ける子供のような表情を浮かべている。

 二人からのサプライズ。生還のご褒美にと、とっておきのプレゼントを用意していたが、はてさて、どんな反応をするのやら。彼らは楽しみでしょうがなかったが――。



 ――その1分後、今度は近藤だけでなく、他二人まで完全に白くなって魂が抜けてしまうことになるのだが、それはまた別のお話である……。




 ――所変わって、近藤の病室からは少しだけ離れた別の病室。そこは、近藤の部屋とは打って変わって静かだった。窓は開けられ、南国の空気が涼しい風となって室内にゆったりと入り込んでくる。白色基調の部屋は、一般的な病院の病室とそこまで顕著な差はない。窓際に置かれたベットの上には、一人の女性が横になっていた。


「……ん……ッ」


 彼女は、まだかすかに体と頭に痛みを感じながらも、その瞼をゆっくりと開けた。最初に視界に入ったのは白い天井。最後の記憶がコックピットであったことを考えると、どうも、自分は病院にでも運ばれたらしいとすぐに結論付ける。点滴などがされているわけではないのを見るに、大した怪我ではなかったらしい。

 とはいえ、恐怖がなかったわけではない。最後の最後、思いっきりギアが壊れたらしいことを感覚で理解したときは絶望しかなかった。あの後どうなったかは知らないが、少なくとも機体はただでは済んじゃいないだろう。仰向けに寝たまま、彼女は小さくため息をついた。


「はぁ、ちょっと無茶しすぎたかなぁ……」


 もう少しうまく飛べたんじゃないかと思ったものだが、今の自分にはあれが限界。その結果がこれなら潔く受け入れようと思いなおすと、とりあえず誰かを呼ぼうと右手の方向を見た。


「……ん?」


 誰かがベットの上で腕枕を組んで寝ていた。ちょうど顔が見える向きで寝ており、その造りから、一発でその人の正体を見破る。


「雄ちゃん……?」


 どうやら見舞いに来ていたらしいが、途中で寝てしまったようである。まだ体の節々が痛むので、右腕を少し伸ばして、彼の腕と頭をぺしぺしと叩いてみる。


「おーい、起きろー」

「……」


 反応なし。熟睡の模様である。


「おーい、私起きたぞー。起きんかこらー」

「……」


 反応なし。夢の世界に滞在中。


「おーい、誰か呼んでってばー。私起きたんだってー」

「……」


 反応なし。現在夢の中でエースパイロットになっている。


「うぉーいッ、真面目に起きてってばー。どこに呼び出しボタンあるかわからないんだってばーッ」

「……」


 反応なし。どうやら1機撃墜したようである。


「いやいい加減起きてって。何の夢見てんのか知んないけど私起きたんだって。呼び出しボタンどこよ?」

「……」


 反応なし。さらに2機落として、今度はトンネルくぐってこいと言われたようだ。


「ちょっと待ってこんなに寝起き悪かったっけ? 私こんなに叩いてるのにッ、もうここから先は殴るしかないのにッ」

「……」


 反応なし。トンネルくぐってみたら思いのほか長くて某戦闘機ゲームを思い出している。


「……、イラッ」

「……」


 反応なし。やっとトンネルの出口がみえ――



「起きろっつてんじゃゴラァ!」

「ひぃやいッ!!!」



 時間切れ。ゲームオーバーである。

 病人であるはずの彼女の怒鳴り声に反応し、腕から頭だけ飛び起きる羽浦。寝たままの彼女だが、大声を出してしまったせいか少しだけ息切れしている。

 「あれ、トンネルの出口はどこ?」等と意味不明なことを口走っていた羽浦だったが、ハッとした様子でベットのほうを見ると、たった今怒鳴り声を上げた本人が恨めしい表情で見つめていた。


「雄ちゃん、そんなに寝起き悪かったっけ……?」

「さ、咲! 起きたのか! 体の具合はどうだッ?」

「まだ色々と痛いけど、折れてはないんじゃない? ギプスとかついてないし……」

「待ってろ、今医官を呼ぶ!」


 そう言って、羽浦は蒼波の頭の右上にあるボタンを乱暴に押して医官を呼び出した。「あ、そこにあったのね……」と呟くやいなや、30秒としないうちに二人の白衣の中年の男女が入ってきた。すぐ後ろには、


「……おぉ、蒼波!」

「蒼波! 起きたか!」


 医官の動きをかぎつけてあとをつけてきた、近藤や切谷らといったパイロット数名、そして、重本に新代ら管制員組数人もいた。そこには百瀬も混じっており、目を覚ました蒼波の顔を見るやいなや、胸に手を当てて心底安心したような、ホッとした表情を浮かべていた。


 蒼波の状態を確認した医官はその場で説明し、「もう大事に至ることはない」と結論付けた。

 着陸時のショックによる気絶の後遺症も当然なく、外傷も、1ヶ月もしないうちに完治する程度のもので、ほとんど“無傷”といっても差し支えない。あそこまでの激戦を潜り抜け、そして、最後の最後の試練も、こうした形で収めることができたというのは、まさしく“奇跡”以外に何とも表現しようがない。

 蒼波がいた部屋に詰め掛けた飛行班員たちからは万歳三唱が沸き起こり、流石に恥ずかしくなった蒼波が慌てて止めに入る始末。その隣にいた数名の管制班員らが「愛されてるなぁ……」と、その様子を苦笑しながら見つめていた。

 ……といった様子を、羽浦は「ここ、一応病室だよな……?」と疑問を浮べながら、何ともいえない微妙な表情で見つめていた……。


 ともかく、一通り騒ぎきった彼らは、流石に今までの疲労もあったのか「またあとでくるからな」と言い残してさっさと部屋を出てしまった。管制班員組も、「帰りの日程の調整してくるから」といって部屋を後にした。

 気がつけば、また羽浦と蒼波、二人っきりの静かな空間へと変わる。先ほどまでの喧騒はどこ吹く風。数十分前のような、涼しい風が開いた窓から優しく吹いて来る心地よい場所へと元通りになる。そこに残っているのは、最初座っていた場所から変わらず、何ともいえない苦笑を浮べている羽浦と、未だに赤面した顔を俯かせて震えている蒼波の姿があった。


「……お前、愛されてんだな」

「あんのバカ共、あとで一人ずつぶん殴ってやるゥ……ッ!」


 その右手には拳が作られ、今にも何かを殴り壊しそうなぐらいにはっきりと震えている。こりゃあ、彼らは限度を超えてしまったようだなと、後々彼らに起きる“惨事”を頭に浮べて、同情の念を今のうちに送っておいた。


「ま、まあまあ。少なくとも喜ばれてんだからよかったじゃん、な? 近藤さんも無事だったしさ」

「そりゃ、そうだけどさ……」


 近藤の名が出ると、納得いかないといった様子ではあるものの、少しだけ蒼波は安堵の表情浮かべた。生きた近藤の姿を見たときは、蒼波もホッと胸をなでおろして心底安心した様子であったが、彼が率先して万歳三唱をやり始めたあたりから、逆に今までいらなく心配した分まで思いっきり殴り飛ばしたい衝動に駆られていた。次に会ったらただではすまないことは羽浦にも察知できていたため、あとで彼を避難させておこうかと計画し始めていたりする。


「まあ、無事でよかったには違いないけどさ。雄ちゃんも」

「あぁ、まあな……」


 そう優しげな表情で言われた羽浦だったが、腑に落ちないといった様子で返した。


「でもさ……、頼むから無茶はしないでくれよ」

「え?」

「いや、あのさ。気持ちは分かるけど、あまりにも危ないことはしてくれるなよ。スライスってなんだよスライスって。お前がそれで死んだらどうすんだよッ」


 今まで心配してた分もあってか、少し強めの口調で言った。エプロンで散々泣いたからか、もう涙を流すことはないようであるが、その目には、安堵と、非難と、困惑と、様々な感情が入り混じっていた。


「まあ、でも、助かったからいいじゃない。あのままじゃ死んでたのはそっちよ?」

「それは確かにそうなんだが、その解決策があれってのはな……」

「危ないには違いないけどさ、私にはあれぐらいしか思いつかないし、何もしないのは、なんか見捨てたみたいに……、って」

「ん?」

「なんか……こんな感じの会話、前にもやったわよね?」


 懐かしむような目をした蒼波を見て、羽浦も「あっ」と思い出す。そうだ。確かに、同じような会話を前にもした。今から十何年も前。最初に、本当の意味で出会ったあの日。とある病院の病室で、初めて二人っきりになった時の会話……。

 何もかもが懐かしい。いつの間にか、二人であの時の再現をしていたようだと、互いに懐かしさを感じていた。ただ、男女と立場は全くもって逆であるという違いはあるのだが。


「記憶はちゃんと残ってるもんだな。ま、忘れるわけもないか」

「やっとわかったでしょ? 私があの時あんなにキレた理由」

「あぁ、今ならよくわかるよ。……よっぽど危ないことをしてたらしいな。俺は」

「でしょお?」


 「やっとわかった?」といった様子でドヤ顔を浮べるが、「でも謝ったりはしないぞ?」といわれると、一転して「あれ?」と肩を抜かしてしまう。


「え、しないの?」

「いや、だってそこは“おあいこ”ってやつだろ? あれしなければお前どうなってたかわからないのも事実だし」

「そ、それはそうだけど……」

「それに、過去は過去、今は今だぞ? 昔のことで一々謝ったりしてもしょうがないってもんよ。わかるかい?」

「ぐぬ……」


 うまいこと言いくるめられてしまい、喉元まで出たものがうまく口にできなくなってしまう蒼波の悔しげな表情。羽浦はそれを見てドヤ顔をして返すが、妙な見詰め合いの後、蒼波は小さくため息をついて、また懐かしむように目を細めた。


「……まあ、気持ちが分かったのはこっちも同じかな」

「え?」

「無茶なのはわかってても、思わず体が動いちゃったのよ。見捨てたくもなかったし。……助けてもらったのに、怒鳴ったのはちょっとマズかったかなぁ……」

「……謝罪はいらんぞ。俺の立場がない」

「わかってるわよ。謝ったりはしないから。でも……」

「ん?」


 蒼波は、いつも見せるような朗らかな笑顔を向けて、


「……結局、昔からこれっぽっちも変わってなかったってことね。私たち」


 「……ああ」。と、羽浦は癒されたような涼しげな表情で返した。大人になっても、自分たちは何一つ変わっていなかった。気のせいか、その事実こそが、二人に奇妙な安心感を与えている。何も変わってない自分たちが、また、ここで再会することができた。考えてみれば、二人っきりになったのは、何時以来だっただろうか。ここ数年、周りに誰もいない、本当に二人っきりになったことはないかもしれない。そういった事実も、二人により深い懐古心を抱かせた。


「色々と話したいことはあるけど……、一つ、確認していい?」

「なんだ?」

「……私、ちゃんと生きてるのよね?」

「え?」


 唐突に妙なことを聞くもんだと思った羽浦だったが、蒼波のほうを見れば、窓の外を見ながら、うっすらと涙を浮べていた。「ぎょッ」とする彼を横目に、彼女は涙を瞼の上に留まらせて続けた。


「ごめん、私、さっきまで戦争してたんだって思うと……、生きて、雄ちゃんにまた会えたのが……、嬉しくて……ッ」

「……咲……」

「……ごめん、せっかく再会できたのに、湿っぽいことはしたくないわよね……、笑って過ごしたいのにねぇ……ッ」


 下を向く顔の角度が徐々に大きくなり、肩が震えてくる。確かにそうだ。今まで、生と死の狭間を生きてきたのであり、いつ永遠の別れをしてしまってもおかしくない場所に、自分たちはいたのだ。多くの仲間が死に、二度目の出会いが永遠に叶わなくなった者たちが数多くいる中、自分たちはまた再会の時を迎えることができた。これほどの幸運は、もしかしたらないのかもしれない。

 そう思うと、羽浦も俯かざるを得なかった。蒼波は、今までその気持ちを抑えていたのだろうが、生死のギリギリの場所から生還し、親しき幼馴染と再会して、その顔を見て、その声を聞いて、改めて、それを実感したのだ。それは、羽浦も共有する気持ちであり、痛く実感するものでもあった。


「……そういやさ」

「え……?」


 ついに瞼から涙が溢れそうになったとき、羽浦は思い出したようにいった。


「小3のあの時、俺が起きた直後、思いっきり抱きついて泣いてたよな?」

「な、泣いてなんかッ……、いや、あったわね。思いっきり泣きついてたわね……」


 少し意地を張ろうとしたが、事実を思い出してあえなく諦めた蒼波。羽浦はそれに構わずさらに続けた。


「女に抱かれたのなんてあれが初めてだったけどさ……、一つ気づいたんだよ」

「なによ?」

「いや……、考えてみれば、俺から抱いたことって、なかったよなって」

「え?」


 いきなりなに言って……、と、羽浦のほうを見たとき、



「――ましてや、泣いて抱いたことなんて、絶対になかったよな……ッ」



 俯きながら、静かに頬を涙が伝っている彼の顔だった。

 一瞬涙が引っ込んだ蒼波だったが、しかし、構わず彼は続けた。


「……おかしいな、エプロンで、あれだけ泣き喚いたつもりなんだけどな……」

「え……ッ」

「お前が生きてるって聞いた時、降りた先のエプロンで、人目も構わず思いっきり泣いたはずだったけどな……、まだ、泣ききってなかったらしいな……ッ?」


 無理やり苦笑しながら、その涙を瞼の上で抑えようと頬を軽く痙攣したときのように動かしている。しかし、それで収まるような量ではなかったらしく、徐々に、溢れ出る涙の量は増えていった。羽浦の、自分に対する思いを感じてまた泣きそうになった時、羽浦は涙ながらに言葉を紡ぐ。


「この病院も用意が悪いな……、今タオルが必要だってのに、どこにも見当たんねえんだわ……」

「……アメニティ、今ないみたいだしね……ッ」

「布もいいのがねぇ……、どっかにねえかなぁ……ッ」



「……涙拭くのに、ちょうどいい布ぉ……ッ」



 そこまで来て、ついに我慢ができなくなったのか、蒼波が羽浦に抱きこうと腕を広げた。が、その前に、羽浦のほうから抱きついてきた。蒼波の顔を自らの胸板にうずめさせ、すすり泣きながら、二度と離さないと言わんばかりに感情任せに抱きしめる。それに答えるように、蒼波も彼の背中に腕を回した。


「……結局、最後まで変わらなかったな……ッ」

「ええ……そうみたいね……ッ、あの時と、やっぱり同じね……ッ」

「生きててよかった……本当に、よかったぁ……ッ!」

「ええ……ッ、お互いにねぇ……ッ!」


 子供の時から変わらない。そんな自分たちに呆れながらも、



 二人は、その場で、“大人らしく”、静かに、何時までも泣き続けていた……。



 涙が流れていることを二人に実感させるように、その頬を、窓から流れる冷たい風がなぞっていく。




 窓の外は、一日の終わりを告げる夕焼けが、空を支配しきっていた……

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