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Guardian’s Sky ―女神の空―  作者: Sky Aviation
第11章 ―8日目:午後 Day-8:Afternoon―
85/93

11-9

 蒼波機のブリップとPL-21のブリップが重なった瞬間、羽浦は完全に息が止まりかけた。


 よもや、近藤さんと同じことはするまいとは思っていたが、この機動。どう見てもそうにしか思えない。生きて帰るという約束であったはずだし、自分から命を投げ出すことをついさっき暗に批判していた彼女が、完全にブーメランが突き刺さるようなことはしないはずだ。一体何がどういうことなんだ?

 羽浦をはじめ、レーダー画面を祈るように見つめていた管制員たちが、次の動きを固唾を呑んで見守っていた。たったの数秒。だが、その1秒1秒が深く頭の中に入り込んでいき、異様に長い数秒に感じさせる。



 ――次の瞬間、片方のブリップが消えた。



『――撃墜……ッ!』



 ――“PL-21が、消えた”。



 蒼波機のブリップは、まだ飛んでいる。蒼波機を示すブリップは、レーダー画面から消えずに残っていた。そして、無線で飛んでくる、



『……いい切れ味じゃない、この主翼……ッ!』



 勝ち誇ったような、親しき友の透き通った美しい声。蒼波機は若干左方向に向いている。ミサイルに当たったせい……、というよりは、何かがおかしい。反射的に、羽浦は無線で聞いた。


「おい、今何したんだ?」

『スライスチーズならぬ、スライスミサイルってね。こっちは見えてないんだもの、真っ二つにすれば完璧でしょ』


 真っ二つ……!? 羽浦たちは、彼女がなぜPL-21にそのまま突っ込んだのかをようやく理解した。ミサイルも機銃も使えないなら、鋭利な翼の先を使って、ミサイルそのものを破壊してしまえばいい。当然、相対速度は音速を超えており、タイミング合わせはコンマ数秒なんて甘い世界ではないだろう。言うまでもなく、そのような場面を訓練したことはないし、そもそもとして、ミサイルと真正面からすれ違ったこともない。もし当てるなら、ほとんどを自らの感に頼るしかない。それでも、何もしないで死ぬよりはマシだと、最後の最後で、賭けに出たのだ。


 ――そして、それは奇跡的に、成功を収めた。


 直後、機体の天井あたりから数回何かが落ちてくる音が響く。タイミングから考えて、先ほどの撃墜した2発のPL-21の破片であろう。ほぼ真上で撃墜したため、そのまま慣性の法則にしたがって降り注いでしまったのだ。


「コックピット、状況は?」


 重本が機体状況を確認させるが、パイロットからはそれといって切迫した声は聞こえてこない。


『胴体と右主翼に破片が落下。大きめのが右主翼のフラップの一部に当たったようです、油圧の反応が消えました。右主翼に若干の穴が開いたかもしれません』


 主翼に穴。一瞬、管制員らはヒヤッとしたが、重本は冷静に続けて聞いた。


「操縦できるか?」

『操縦に異常はありません。このまま飛べます。今から高度を戻していきますが、破損を考慮して2万フィート前後で南に針路を取ります』

「……つまり、飛べるんだな?」

『大丈夫です。まだE-767コイツはぴんぴんしてます。頑丈な大型機でよかったですよ』


 呆然とする重本の手から、コックピットと連絡するのに使っていた受話器が卓の上にズレ落ちる。2発のPL-21を撃たれ、もう後がないと思われ悲観していた数分前。だが、終わってみれば、一人の勇敢な妖精によって、救われた。まだ、自分たちは生きている。


「……敵は、敵はどうだ? ゴーストの部隊はッ?」


 新代の声に、警戒管制中だった百瀬が、呆けたその顔を慌てて戻し、レーダー画面に映っている状況をそのまま伝える。


「え、えっと……、ゴーストの戦力は7割から8割が損失。未だに残存していますが、戦闘機動を取っていない模様です。回避ばかりしています」

「こっちの損害は?」

「我が方は損害機15機を超えましたが、交代部隊がCTFと嘉手納、那覇から飛んできています。新田からの援軍も来ました。まもなく管制域に進入」


 つまり、敵は完全に壊滅した、ということだ。こちらも少なくない損害を被ったが、しかし、補充が利くだけ有利に進んだ。追加の戦闘機が各地から飛び立ち、フル装備で彼らを援護している。


 ――状況は明らかだ。重本は、ここでようやく、


「……やった……ッ」


 顔をほころばせて、感情を爆発させた。



「――やったぞ、俺たちは生き延びた!!」



 その瞬間、室内はライブ会場と間違えるような大歓声に包まれた。手に持っていたマウスやファイルなどを感情任せに投げる人が続出し、隣り合った人と肩を抱き合ったりするなどして喜びを分かち合う。羽浦も、隣にいた管制員らに肩を揺らされるなどして歓喜の声を浴びていたが、ただただ、自らの幼馴染のしでかした、その“剛勇な行動”に、唖然とするほかなかった。


「……あ……ッ」


 そして、手に持っていたスマホを目の前の卓に落としながら、


「……咲……、咲……ッ!!」


 静かに、涙を流した。恐怖。後悔。懺悔。その他色々なマイナスの感情が、その涙とともに一気に流れていき、そこを埋めるように、安堵、信頼、希望などのプラスの感情が彼の心の内を支配していく。やってくれた。よくやってくれた。その感謝の念が、彼の心の中から消えることはなかった。


「よぉし、決まったぞ! 来週にでもいいから帝国ホテルを予約してやる! バイキングたらふく食わしてやるぞ!」

「全員、宴会費1万円徴収だからな! 最低でも5000円からだ! 帰ったらすぐに回収して予約するからな!」

「足りねえ分は上の連中から分捕ってきてやる。ぶん殴ってでも経費で落としてやるぞ!」

「もう金なんざいらねぇ! 俺の給料全部くれてやらぁ!」

「羽浦、お前とんでもねえ友人持ったな! アイツは最高だ!」


 静かに泣き崩れる羽浦の横で、歓声ついでに宴会が決定した管制員たち。鳴り止む気配はほとんどなく、管制業務をしながらも、その喜びは、花火大会終盤の花火の乱れ打ちのように、何時までも爆発させている。

 ようやく気持ちを落ち着かせた羽浦が、無線機のスイッチを入れた。しかし、すぐに言葉は発しない。後ろからドでかく聞こえてくる、歓声の声を、マイクにずっと送り続けた。


「……聞こえるか? この歓声を。聞こえねぇとは言わせねぇからな……」


 歓喜の声を背景に、ようやく羽浦は蒼波に声を届けた。『えぇ……』と、静かに返されると、羽浦は、泣いているのがバレないように取り繕いながら、呆れたような笑みを浮べた。


「バカげてる、翼にミサイルを当てて物理的に落とすなんて……神様でもできやしねぇ……」

『あれだけ集中したのは始めてよ。おかげで、右主翼から白いの吹き出てるわ。たぶん燃料ね』

「今すぐに降ろさせよう。那覇基地への連絡はこっちでしておく。針路を東に取れ。10分前後で着けるはずだ」

『オッケー。今日はもう疲れたわ、帰って寝ましょ……』


 蒼波機のブリップは徐々に東のほうへ針路を変えた。すぐさま切谷と大洲加を呼び寄せ、蒼波の護衛につかせる。彼らもまた、何とかこの激戦を生き延びた。弾薬はほぼ全て使い切り、那覇から飛んできた交代の部隊にバトンタッチし、命からがら逃げおおせたというわけである。


「那覇基地に連絡入れました。すぐに受け入れ態勢整えるそうです」

「南西SOCからです。後任の0-3がまもなく到着。機体損傷を鑑みて、那覇基地にダイバートしろと。受け入れ準備もしてくれるそうです」

「よし。じゃあさっさと帰ろう。帰ったら全員で彼女を胴上げするからな。そこで帝国ホテルへのご招待だ。新代、段取り決めといてくれ」

「え゛え゛、私が決めるんですか!?」

「ミッションコマンダーの資格試験再来月受けるでしょ? だから頼むよ、陣頭指揮の練習だと思って」

「えぇ、そんな理由で……」


 想定外のお願いに渋々といった様子で受け入れた新代。「えっと、まずは下りてくるところを全員で整列して出迎えて、シゲさんが敬礼すると同時に皆も最敬礼して――」と、既に下りてからの予定を組み始めていた。


『バザード0-3よりアマテラス、俺たちもう帰っていいか?』

「ああ、いいぞ。帰りはお前が指揮を取れ。妖精さんをちゃんと見張ってろよ」

『あたりめぇよ。こんな大英雄さんを帰り道で落とした日にゃぁ、地上で皆からなぶり殺されちまう』

「んな大げさな……」


 そんな切谷の声も、相当に呼吸が乱れた中で出されていた。よほど体力を使ったのだろう。大洲加にたっては、まともに声を出すことすらしない。もはや、飛ぶのが精一杯といった様子だ。


『アマテラス、隊長はどうだ? 救助は?』

「今那覇から飛び立った。ビーコンの発信位置からして、距離もそんなに遠くない。30分以内に到着できる。波は比較的穏やかだから大丈夫だろう」

『隊長のやつ、帰ったら色々と言ってやらねえとなぁ、こりゃ』


 違いない。彼は最後の最後で無茶をしてしまった。少なくとも、編隊を組んでいた同僚たちには、一言言う権利ぐらいはあるだろう。

 蒼波機の左前と右後ろをそれぞれ押さえるように、切谷と大洲加が並ぶ。同じく那覇基地へ帰還する他の味方機の群れに混じって、那覇に向けて降下を始めた。E-767も、さり気なくその群れに混ざり始める。

 蒼波機の速度が遅かったため、下りれる機体は先に降ろすことになった。複数の戦闘機がどんどんと那覇基地に急いで下りていき、“破損機”である蒼波機の受け入れの前に最大限の戦闘機を回収する。E-767もその中に混ざり、間もなく着陸の順番になろうというところだった。地上が近づいたため、レーダーも止めるべく、停止前のチェックを進めている。

 止める前に再度画面を見ると、後ろからやってくる蒼波機と、その周りにいる切谷と大洲加がしっかりと映っていた。主翼を包丁代わりにしたにもかかわらず、まだちゃんと飛んでいる。やはり、これを奇跡と言わずして何と言おうか。羽浦は呆れ果てるしかなかった。


「ったく、アイツ、帰ったら覚えてろよ……」


 自分らの後を追って那覇基地へ飛ぶ蒼波機のブリップを見ながら、レーダー画面のスイッチを切ろうとした。



『――うわぁッ、ちょ、なに!?』



 ――無線から飛んできたのは、甲高い女性の声。蒼波だ。これは、悲鳴だ。


「ど、どうした? 何があったッ?」


 しかし、蒼波からの返答がない。レーダー画面を確認すると、蒼波機のブリップだけ、編隊を離れて高度を落とし始めている。普通の動きでないのは明らかだ。すると、大洲加が切迫した声で代わりに無線を繋いだ。


『バザード0-4からアスター0-1! マズイっす、右主翼が半分くらい折れました!』

「折れた!?」

『そうッス! 右主翼、もう耐えられなくなったみたいッスよ! 錐揉み状態になってるッス!』

『フェアリー、ハイドロは生きてるなッ? スラストをアフターバーナー(A/Bレンジ)に入れろ! 揚力を増やせ!』

「いや待て、そこまで重症ならもう飛ばないほうがいい! すぐにベイルアウトしろ、那覇基地はすぐそこだ。海保でもヘリでも何でも来る。海の上で待て!」


 無理にでも飛ばさせようとする切谷たちを抑え、羽浦はすぐに緊急脱出を進めた。蒼波も同意し、「どうせなら基地まで行きたかったけど……」と名残惜しさを感じながらも、脱出レバーを引っ張った。


『……、あれ?』


 しかし、何時までたっても脱出しない。脱出を示す、スコークス“7700”を示していない。その間にも機体は急降下していく。羽浦の周囲も、更なる異常事態に気づき、ざわつき始めた。


「どうした? 高度がもうないぞ」


 その問いに対して返ってきたのは、悲痛な叫び声だった。


『ヤバイ! レバーが反応しない!』

「反応しないッ? 脱出できないのか!?」

『たぶんそういうことよ! さっきの爆発の時にイカれたのかもしれない!』

「冗談じゃ……ッ」


 ここまで来て、この締めだと? 冗談じゃない。基地は目の前。今俺たちが下りれば、すぐに降りられるというのに! 羽浦は内心で憤慨した。なぜこのタイミングなんだ。もう少し耐えてくれてもいいじゃないか!

 しかし、いずれにせよ、助かるための道は他になかった。最後の最後にやってきた、天からの試練。ただでは返さないという、亡き神野の意地を感じるようでもあったが、それでも、彼女は必死に機体をコントロールしていた。錐揉み状態という、飛行機の世界では絶対に遭いたくない場面であっても、蒼波は必要以上に声を上げることはしない。

 無線交信の内容から状況を把握した重本は、青ざめた様子で那覇管制に直通で状況を伝える。滑走路は36。LとRどちらを使ってもいいが、最後は彼女の判断に任せるしかないとのことだった。もう、高度がほとんどない。那覇管制との交信を終えた重本は、パイロットに早口で指示内容を伝える。


「こっちが先に下りることになった。ランウェイ36R。下りたらすぐに誘導路に入って近場のスポットに入れとのお達しだ。タラップは向こうで用意してくれる」

『了解。急いで降ります。ちょっと衝撃出ますんで備えてくださいッ』


 パイロットがそういったのと同時に、若干速度を上げた。加速に伴うGを感じながら、切谷が必死になって蒼波に回復のための指示を出している。


『そうだ、機体が安定してきたな? イスラエルの事例を思い出せ。A/Bレンジは切っていい。あとは速度をそのまま維持して、着陸寸前になったら少しでもいいから減速しろ。もうそれしかない!』

『どっかの片羽の妖精にでもなれってのッ? 私男じゃなくて女よ!?』

『本当の意味での妖精になれるチャンスだ! 36Rライトのほうが滑走路は長い。可能ならそっちにいけ! 左右のスラスト調整も忘れるな、右は目一杯前に押せ!』

『ッあぁ、もう……ッ』


 ここまできて死ぬわけにはいかないという焦りもあってか、彼女の声に焦燥感が漂う。マズイ。目の前に基地があるという事実が、彼女から冷静さを奪っている。


「羽浦。もう着陸だ。レーダー切ってくれ」

「あぁ、待ってください。すぐ終わります」


 羽浦は無線スイッチを入れ、蒼波に向けて言った。


「咲、あと10分前後で降りる距離だ。そのままのコースでいけ。大丈夫だ。お前の腕を信じてる」

『そう簡単に言うけど……ッ、これ、結構操作きっつッ……!』

「心は熱くても頭は冷静にな。左手、右のスラストはスリットが言ったように前に押しっぱでいい。焦るな。風を操る風神の腕の見せ所といこうじゃないか」

『そうかっこいいような寒いようなこと言うけどさ、こっち今ピンチなの知ってるッ? 割かし死の瀬戸際なのわかってるッ?』

「わかってるさ。だから――」



「――ちゃんと降りて来い。焦らずとも、俺がちゃんと下で見守っててやる。エプロンで待ってるぞ」



 もう管制することはできない。だが、この声を届けることはできる。今の蒼波が安心できる、優しく諭すような声を届けることは、今もできる。蒼波にとっての精神安定剤たるその声は、しっかりと、彼女の声に届いてくれた。


『……えぇ、また後で。降りたらなんか奢ってよ? 腹減って仕方ないんだから』


 約束しよう。そう返して、無線を切った。レーダー画面の電源も落とし、ベルトがついていることを確認して、姿勢を正す。


「……まさか、待ってるのが帝国ホテルとは思わんよな」

「アイツ、それ聴いた瞬間たぶん気絶しますよ。ジュース1缶ぐらいかけていいです」

「じゃあ俺は、喉がつぶれるぐらい叫ぶほうに5缶でいこう」


 そうけらけらと笑いながら、重本は自分の座席に戻った。着陸態勢に入った機内で、羽浦は、後ろから追ってきているであろう蒼波に向けて、静かに祈った。


「……ちゃんと降りてこいよ……」



 ――E-767は少し荒めの着陸を行い、さっさと滑走路から出て行った。近くの高速誘導路から空自のエプロンに入り、指示されたスポットに止まると、タラップがすぐに横付けされる。羽浦は、基地の勤務隊に会ってくるためにいち早く降りた重本の後を追うように、荷物をまとめ、早足で出入り口からタラップの踊り場に出る。

 滑走路を見ると、ちょうど2機のF-15Jが普通に着陸してきていた。恐らくスリットとオスカーの二人だろう。E-767のすぐ隣に駐機するべく移動してくるが、その機体も随分ボロボロで、先の空戦の凄まじさをこれでもかと物語っている。


「降りてきました? どこにいます?」

「あそこです。ライトが見えます」


 心配そうな表情を浮かべた百瀬が後ろから声をかけてきたのを、羽浦が空を指差して返す。南の方角には、自らの存在を主張するように、強く眩い白い光が一つ点っている。

 既に緊急車両が大量に待ち構えており、空自だけでなく、民間の航空局の消防車両も動員され、滑走路脇に満遍なく配置されていた。さらに、救急車アンビまで待機しており、例えどこで機体が爆発しようとも即行で火を消して助けださんという、万全の体制を整えている。エプロンには、状況を聞きつけた飛行班員たちが、物珍しいE-767の見物ついでに集まってきていた。


「もうすぐ降りるぞ。機体はそこまで不安定じゃないが……」

「フックも降りてる。ヒットバリアする気だ。うまくつかんでくれればいいが……」


 続々と管制員が踊り場に出ては、心配そうな声を上げながらタラップを降りていく。しかし、格納庫などには行かず、エプロンに留まって、滑走路が見える位置から南の空を向いていた。


「大丈夫……、ですよね?」


 心配しすぎて顔が青ざめてすらいる百瀬だが、羽浦は、少しでも平静を装って取り繕っていた。


「……アイツの腕は確かですよ。空の上でそれは実証されましたし、大丈夫でしょう」

「でも、片羽ないんですけど……」

「イスラエルじゃ、訓練中の事故で右翼が消えたのに帰還したパイロットだっています。同じF-15。同じ事を繰り返すことだってできるはずです。俺は、アイツを信じます」


 そう言って羽浦はタラップを降りた。イスラエルでは、数十年前に訓練中に接触事故を起こしたF-15が、右翼を失っても15km離れた基地に帰還した記録があり、これが、F-15の戦闘機設計の優秀さを語る上では欠かせなくなっている。羽浦は信じていた。あの時の、イスラエルの事故の時の状況を再現できると。

 タラップを下り切った時、隣に駐機したパイロットが降りてきた。ボロボロの機体から降りてきた彼は、ヘルメットを取りながら疲れを追い払うように深いため息をつき、もう一人、その隣に駐機したパイロットと合流する。


「あの、すみません」

「え、はい?」


 羽浦はすぐに彼らに声をかけた。この返事の声には聴き覚えがある。羽浦の推測どおり、この声はスリット、切谷一尉で間違いなかった。とすれば、隣にいるのはオスカーこと、大洲加二尉だろう。


「切谷一尉で間違いないですか?」

「え、ええ、そうですけど……。あれ?」

「待ってください、その声、もしかして……」

「空の上で会った者です。十数分ぶりですね」

「あぁッ! 貴方だったんですか!?」


 二人は羽浦を指差して驚いた表情を浮かべた。言うまでもなく、二人は羽浦とは初対面である。それでいて、蒼波から度々話には出てくるし、空の上でもしょっちゅう声を聞いていただけに、実際会ってみたときの喜び混じりの驚きは隠せなかったようだ。

 だが、今の羽浦にとってそれは大した問題ではない。切谷の肩をつかんで、迫るように問いかけた。


「アイツは、咲はどうなったんですッ? まだ大丈夫なんですよねッ?」

「お、おぉ落ち着いてくださいッ。アイツの誘導は、移動統制車両モーボと管制が引き継ぎました。上からは、スパークがフォローしてくれます」

「機体制御に手間取ってて、先に降りてくるよう管制から指示があって降りてきたってわけッス。幸い、風も強くないし、極端に制御が荒くはなってはいないので、着陸自体は何とか――」


 切谷と大洲加が羽浦を落ち着かせるべくそう諭すが、その羽浦の後ろについてきていた百瀬が、滑走路の方向を指差していった。


「そのモーボ……、戻ってきますよ?」

「……え?」


 拍子抜けした声が切谷から発せられた。離着陸時の機体の状態を確認するなどの支援を行うモーボであるが、指差した先を見ると、確かに、ガラス張りの小さな馬車のような車両が、小型車に牽引されて自分たちのいるエプロンに戻ってくる。基本的には何があってもそこに居座るモーボが戻ってくる、その意味は、パイロットたちならばすぐに理解した。


「……滑走路逸脱を想定した?」

「本当に大丈夫なんですよね!?」

「だ、大丈夫ですって! 貴方が心配してどうするんですか!?」


 顔面を物理的に近づけてくる羽浦を押し返しながら、切谷はそう強い口調で説得する。もはや我が子の無事を心配する親の如し。蒼波は相当優しいやつを友人にしたらしいと、切谷と大洲加は改めて実感した。


「羽浦さん、ここは落ち着いていきましょう。自分で言ってたじゃないですか」

「うッ……、そ、そうっすよね……」


 確かに、落ち着いて降りて来いといったのは自分であり、そんな自分が慌てふためいていては世話がない。そわそわしながらも、羽浦はそろ~りと南の空を向いた。

 2機の機影がそろって滑走路に向かって降りてくる。片方からは右主翼から白い煙がスプレーのように噴出しており、左右に時折揺れている。もう片方はそのさらに上のほうから、蒼波機にぴったりくっついて並走していた。切谷らの話によれば、事情を聞きつけたスパークが、自らフォロー役を買って出てくれたらしい。

 燃料がダダ漏れ状態なので、リトライする余裕はないし、機体の状態から考えても再上昇は困難だ。チャンスは一回だけ。その一回に、全ての神経が集中されているはずだ。徐々に高度を下げていった蒼波機の輪郭は、ただの光る黒い点からごつごつした戦闘機らしい形へと変化し、はっきりと形が区別できるほどに近づいていく。高度はもう、1000フィートを完全に下回っているだろう。


「ヤバイな、進入速度速くないか?」


 切谷がそう不安そうに呟いた。確かに、戦闘機が通常下りるときに出す速度ではない。通常は150~120ノット程度で降り立つが、どう見てもあれは200ノットを裕に超えている。右主翼が消えたせいで、強引な機体制御をするために速度が必要となり、減速しずらくなったのだ。このまま降りて、ギアが耐えてくれるかどうか……。


「……頼む……」


 徐々に滑走路の地表に降り立つ蒼波のF-15J。ボロボロになりながらも、強引にも滑走路に向かおうとする様に、蒼波なりの意地が感じられた。声も顔も聞こえないが、その動きに、感情が乗り移っている。

 進入灯の上を通り過ぎ、ギアもフックも降ろした蒼波機が滑走路に降り立とうとしている。上からフォローしていたスパークのF-15Jが撒き散らす轟音を耳にしながら、その意識は、全て蒼波機のほうに向く。周囲で無駄口を叩く人間はいない。誰もが、蒼波が無事に降り立つことを、静かに見守っていた。


「(そうだ、そのまま降りろ……、頼む、そのまま……)」


 羽浦は内心でそう何度となく繰り返す。その思いが、せめて彼女にだけは通じてほしいと祈りながら。機体はさらに減速したらしく、少し急降下気味に機体が滑走路に向かって降りていった。スパークの機体は、基地の管制塔と同じぐらいの高度を保ちながら、滑走路に進入した蒼波機を見守り始める。周囲の空間に反響する二つの轟音の発信源を中心に、那覇基地は、もはや一つの“戦場”と化したような緊張感に包まれていた。



 ――程なくして、蒼波の操るF-15Jのメインギアは、滑走路に接地した。



「――ッ!!」

「降りたぞ!」

「ダメだ、バウンドしてる!」


 周囲が一気ザワついた。タッチダウンした直後、やはり降下角度が急すぎたか、一時的に宙に舞い、また「ドシンッ」と力強く接地する。しかも、通常より高速なので、1回のバウンドで結構な距離を稼いでしまっていた。

 2、3回バウンドした後、今度はノーズギアが勢いよく滑走路に接地した。ハードランディングになったせいで、機体尾部にあるフックが火花を上げながら何度も滑走路上を跳ねている。最初のワイヤーは滑走路中央にあったはず。そこでつかみさえすれば、たとえこの速度であっても多少は速度を抑えてくれるはず。


「――くるぞッ」


 ワイヤーの展開されている場所に来た。高速で滑走路上を突っ走る蒼波機は、果たして、そのワイヤーをしっかりと掴んでくれた。フックが一気に跳ね上がり、ワイヤーが凄まじいスピードで地中から伸びていく。


「よし! 掴んだ!」


 だが、その大洲加の喜びもつかの間だった。高速で伸びるワイヤーは、通常の2倍以上の進入速度で降りてきた戦闘機の速度に対応しきれず、すぐにテンションが高まりきってしまう。その時、ワイヤーのほうではなく、フックのほうが、機体から外れてしまった。


「な……ッ!?」


 羽浦は自らの目を疑った。ワイヤーではなく、フックが外れた?

 実はこのとき、蒼波機の進入速度が、フックと機体とを繋いでいた部品の想定強度を大きく上回ってしまい、結果、フックが根元からはずれ、滑走路上を自由に飛び跳ね始めてしまったのだ。そして、一時的にワイヤーに強く引っ張られた結果、ノーズ部分がまた軽く上を向き、ギアも地を離れる。

 全員が「しまった!」といった表情を浮かべた直後。制御されるまでもなく重力に任せて思いっきり地面に叩きつけられたノーズギアは、ついにその衝撃に耐え切ることができなくなり、根元から折れて、機首部分を滑走路にこすり付けながら滑走し始めた。


「ッッ……!!」

「や、ヤベェ! ノーズギア壊れた!」

「もう制御できないぞ! 早く止まれ!!」


 誰もが息が止まる思いをする中、機体は滑走路上で右回転をはじめ、それによる横スリップのせいで、今度は右のメインギアも折れてしまう。右に回りながらどんどんと破壊されていく機体は、減速はすれど、未だに「早い」と表現するのが適切な速度を維持している。このままでは、機体は滑走路上で暴れ始め、横転することだってありえた。

 それだけは、それだけはなんとしても……! そう必死に願う羽浦だが、ここまでくるともう蒼波にもどうしようもない。運を天に任せ、神が、自分たちに救いの手を差し伸べてくれることを待つしかなかった。


「頼む頼む頼む頼む頼む――」


 もう見ていられなくなり、目を閉じて必死に祈り続ける羽浦。青ざめた表情で固まっている百瀬。滝汗を流しながら行く末を見守る切谷と大洲加。その周囲も、息を潜め、食い入るようにその機体を目で追っていた。

 ――散々に滑走路を荒らした後、機体はようやく動きを止めた。滑走路の北端から50m程手前。本当にギリギリというところで止まった蒼波の乗ったF-15Jは、横転もせず、火災も起こさず、戦闘機と呼ぶにはあまりにも無残な姿で、その場で力尽きて倒れていた。

 すぐに消防車が駆けつけ、近くにいた航空局の車両から放水が始まり、空自の車両もそれに加わり、機体の摩擦熱やリークした燃料への引火による火災を事前に防止する。救急車も横付けし、一通り放水が終わると、整備補給群のトラックが現場に到着して、乗せていた非常事態対処要員が蒼波の救出に取り掛かる。ここに至る前に、そのキャノピーはこれっぽっちも開かなかった。


「だ、大丈夫なんですか、あれ……ッ」

「あ、あの、パイロット的に見てあれは大丈夫な奴なのか、それともマズイやつなのか……ッ!」

「え、えぇっと……何分経験したことがないので、何ともいえないというか、その……」


 大洲加が返事に困っていると、隣の切谷が、唐突に大声を張って近くにいた手空きの飛行班員に聞いた。


「な、なあ! アイツ無事だったら、ベースオペレーションから何か連絡あるのか!? 教えてくれねえとこっちも気が気じゃねえ!」

「え、えっと、そこの窓からサインくれるって話は聞いてますけど……」


 彼が指差した先には、一つの白く四角い簡易な建物の2階の窓。そこにはベースオペレーション――即ち、基地の機体の運行管理を司る部署があり、今は飛行場勤務隊が緊急着陸の事態を統括していた。そこに、重本もいるはずである。

 その部屋がある窓は開いており、一人の隊員が時折顔を外に出していた。外へ向けての伝令担当というわけであろう。蒼波の状態がどうなっているのかがわかれば、彼があそこから伝えてくれるはずだ。勿論、普通はそんなことはしないのだが、事が事であるために、隊員らの収集がつかなくなってしまったのである。


 蒼波の救出は続いていた。双眼鏡を持ってきた飛行班員から借りて、羽浦は機体のほうを見る。

 キャノピーは外されたようで、そこに男二人掛りで引っ張り上げようというところだった。しかし、出てきた蒼波の体に力が入っているようには見えない。そうはっきりと見えるわけではないが、蒼波が動いている様子が見て取れなかった。


「(頼むよ、動いてくれ、頼む……)」


 もうどれほど同じことを祈っていただろうか。そう感じるほどに羽浦は必死に祈っていた。機体から引っ張り出された蒼波は、担架に乗せられ、少し離れたところにいる救急車の車内へと入っていく。少しして、サイレンを鳴らしながらターミナルのほうへと消えていくのを見届け、羽浦の視線は、ベースオペレーションのある部屋の窓のほうに移った。


「まだか、もう情報は届いたはずだ」

「生きてるのか、死んでるのか、もうはっきりしてくれよ……」


 他の者たちも同様だった。もう機体の状況には興味がない。彼らの関心は、彼女が無事であるのかどうか。情報はすでに、現場の要員から伝わっているはずだ。何かしら教えてくれてもいいだろう。

 少しばかり時間が経って、また一人の男性隊員が顔を出した。室内にいる誰かと話して、「伝えていいか?」というようなジェスチャーを送っている。許可を得たらしく、羽浦たちのほうを向き直り、



「(どっちなんだ……どっちだ……ッ)」



 ――彼は、全員を見渡すと、




「――やったぞ畜生! 妖精が帰って来たあああ!!!」




 頭の上に、大きな丸を作って、すぐさまガッツポーズ。体全体で喜びを爆発させた。


 ――帰って来た。妖精が、帰って来た。これが意味するところは、もはや説明する必要はない。彼らは瞬時に理解した。


「……生きてる……ッ!」


 その瞬間、切谷の“叫び声”が響いた。



「――やったぞ!! 蒼波のやつ生きてやがる!!!」



「うぉぉぉぉおおおおあああああああ!!!!!」



 刹那、延長で自チームがサヨナラホームランを打ったときの観客席のような、空気を直接揺らすような大歓声が鳴り響いた。隣同士で抱き合う者、ただ一人喜びを爆発させる者、静かに神に祈りを捧げる者、様々な反応を示す隊員たちでごった返していた。


「……あぁ……ッ」


 そんな中、情けない声をあげて、体の力が抜けるような感覚を覚えて、百瀬に支えられている男が一人。


「……咲が……ッ」

「うん?」

「咲が……生きてる……ッ!」



「アイツ……、生きて帰って来たぁ……ッ!!」



 ――羽浦は、百瀬に支えられたまま、人目構わず、“泣き崩れた”。

 今まで我慢してきたものがついに決壊し、百瀬だけでなく、切谷や大洲加らから肩を叩いて励ます声に答えながら、彼は溢れんばかりの涙を流し続けた。手で押さえても止まらない。袖で拭こうとも止まらない。蒼波がまだ生きているという安堵感、安心感は、今まで抱えていた漠然とした不安などを、一気に目の前の南国の海に投げ捨ててくれた。気がつけば、多くの隊員が彼の周りに集まって、羽浦に激励の言葉を送っていた。中には、もらい泣きする人までいたようでもあった。

 しかし、羽浦はそれら全てに答えることはできない。「生きてる……生きてる……ッ!!」と、そう連呼しながら、今はただ泣くことが仕事だといわんばかりに、百瀬に支えられて大粒の涙を流し続ける。挙句の果てには、百瀬の肩に頭を落としたと思ったら、彼女の服をハンカチ代わりにし始め、本人から苦笑を買ってしまう始末だった。

 だが、そこは流石に子供を持っている人妻といったところ。母性溢れる表情で受け入れ、泣く我が子を宥めるように背中をさすってあげていた。「(暫く泣き止まないやつだなぁ……)」と、自らの経験則から導き出した結論に対して困ったような表情を浮かべながらも、満更でもないような、優しげな表情へと代わっていく。




 ――歓喜と安堵が混じったこの空気は、暫くの間、このエプロン内を支配していた……

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