11-7
――1000フィートにも満たない低高度を、比較的穏やかになった海面を眼下に捉えながら、マッハ0.9という高速度で一直線に突っ走る1機のF-15J。その機動に、一切の迷いは見られない。全ての雑念を振り切るように、高速で、彼女の機体は一本線を描いて飛んでいく。
蒼波の表情は何時になく険しかった。決意。悲壮。覚悟。感謝。その全ての思いを一緒くたにして心で感じながら、その視線を、目の前にいる黒い大型機へと向けていた。
『まだ、そこまでしてくるか……ッ』
憎々しげな神野の声が聞こえてくるが、彼女は表情一つ変えない。ただ、彼の声に、若干の動揺があったことには気づいた。そういえば、近藤が体当たりする直前、彼は動揺した声を小さく口にしていた。さしもの彼も、近藤がここまでしてくるとは思っていなかったのだろう。
熱核兵器を止めるという、ただ一つの行為に対する執念。彼の心に、わずかな戸惑いが起きていることは、間違いなかった。
『どこまでも、何をしてでも邪魔をするんだね……ッ?』
「熱核兵器を使って国を改革なんて、そんなことは絶対にさせないわ。大人しく落とされなさいッ」
蒼波の決意の雄叫びとともに、挨拶代わりのAAM-5Bを1発放つ。IIRシーカーは的確にJ-20の姿を捉えるも、フレアを炊きながら寸でのところでかわし、ミサイルを海面に突っ込ませる。重たい熱核兵器を抱えた状態でのこの俊敏な動きに、蒼波は思わず目を見張った。
「(重量増を感じさせない回避機動……、人が乗ってるとは思えない。誰かが言ってた、寄生してるって表現は間違ってないわねッ)」
去年の夏の演習で飛び出た、彼の腕前を一言で表現した奇妙なジョーク。この言葉に嘘偽りはないと、蒼波は改めて実感する。人が乗った上での機動にしては、あまりに機敏。高速。まるで、空を飛んでいるのではなく、“踊っている”ようでもあった。だが、先ほど加速した時は大した動きではなかったのに、今になって動きが急変したのは妙な話にも思えた。最初からそうすればよかったのに、と。
――つまり、彼が本気を出した。そう判断するのが自然である。残り5分にも満たないこの時間内に、その本気になった彼の逃亡劇に、終止符を打たせねばならないという、この重責を理解できない人間はいないであろう。しかし、今の蒼波に、そこまでの重責を感じている余裕はなかった。頭の中は、全て、彼を落とすことに使い切っている。
「(ミサイルを何度も使ってられない。なら!)」
ミサイルの数が少ないなら、機銃。人差し指でトリガーを押すと、鈍い連射音とともに大量の20mm機関砲弾が真正面に向かって放たれていく。それでも神野は、重くて動きにくいはずの機体を、蝶が舞うようにひらりと動かしてかわしていく。照準の修正も間に合わないように、必要最小限、かつ効率的な機動を即座に計算しながら。そして、速度をほとんど犠牲にしないように配慮しながら。
『フェアリー、4 o'clock high、敵の残骸が落下中。右に1機分ズレろ』
羽浦の細かすぎる指示にも、蒼波は完璧に答えた。無線ではなく、機体の動きでもって。
ラダーを右に蹴り、言われたとおり機幅1つ分右にズレると、すぐ左隣を燃え盛る日の塊が右後方から左前方に向かって落ちていった。破片の形からH-6の残骸であるらしいが、一歩間違えれば衝突していたような状況であっても、蒼波は、残骸のほうに視線を一瞬向けるだけで、驚くそぶりも見せなければ、そもそもとして興味すら示さなかった。その間にも、照準があった瞬間、機関砲弾をJ-20に向けて断続的に放つ。
『残り4分。外縁の駆逐艦が爆破効果範囲に入ってきた』
「援護射撃ってないの?」
『周りにわんさかいる敵味方の戦闘機が邪魔で打てない。誤射の可能性がある。サポートのAEWも攻撃を恐れて後ろに下がっちまった』
「最初から盾のつもりだったのね……ッ」
蒼波のすぐ上は、下りてきた敵味方の戦闘機でごった返していた。艦隊周辺を守っている駆逐艦からの攻撃の可能性は最初から想定済み。故に、敵味方の戦闘機の空戦場をJ-20の周りに持ってくることで、満足な支援ができないようにしたのだ。戦闘機を攻撃したくても、味方が邪魔で思うように打てない。だが、味方が引けば、一気に蒼波たちに遅いかかるという頭の抱える状況であった。
ここまでは、神野もしっかり想定していた。だからこそ、この特攻に自信を持ってすらいた。
『……クソッ……』
しかし、彼の発する声は、一様に焦燥感を匂わせるものだった。
『ここまで、ここまでしててもとめるのか……ッ!』
何時しか、追い込まれているのは、敵ではなく自分自身であったということに、気づいたせいで。
『なぜそこまでして守るんだ……ッ。ここまでして守る価値があるとなぜ考えるッ!』
機銃弾を器用にかわしながら、神野はその胸の内に抱いた疑問をぶつける。誰かに投げるわけでもなく。誰かに答えを求めるわけでもなく。ただただ、その疑問を吐露するに過ぎない。その声は、今までの挑発的な声とは違う。一人の平凡な男が、崖に追い詰められた時に発するものと同じだった。
「なに? こんな時に演説聞く気はないわよ」
『うるさい! 君もそうだし、近藤さんも、そして、上にいるAWACSの連中だってそうだ! なぜそこまで命を賭ける!? 自分たちの国にそこまで命を賭ける!?』
「勘違いも甚だしいわね。私は、アンタのやり方が気に入らないだけよ。それ以上の説明をしている気はないわ」
『意味が分からない! 変化を忘れて衰退するだけの国を変えようとしただけなのに、変わってほしかっただけなのに! なぜ誰も理解しないんだ!』
計画通りに行かず、自暴自棄になりかけてきたその彼の怒りは、機体の動きにも現れた。比較的大型で鈍重になっている機体を強引に減速させ、猛スピードで飛行していたF-15Jのすぐ上を通り過ぎ、真後ろを捉える。オーバーシュートだ。
『もう後戻りはできないんだ! 組織の目的など関係ない、君たちを巻き添えにしてでも成功させる!』
神野は、側面ウェポンベイから1発のIRミサイルを発射。F-15Jのコックピット内に接近警報が鳴り響くが、しかし、やはり蒼波の表情は変わらない。
『後方ぴったりくっついた。だが動きに鈍さがある』
「かわすわよ。命中までの時間」
『信管作動まで5秒』
「今」
必要最小限の言葉から繰り出される、必要最小限に抑えた無駄のない動き。フレアを炊きながら小さくバレルロールすると、海面ギリギリのところに降り立った時、沸き立った水しぶきに阻まれたミサイルが飛行制御を失って墜落する。神野のやった回避術をさらにグレードアップさせたような動きは、まさに自由に空を飛び回る、風を得た“風神”の姿そのものだった。
『……戦闘機の動きじゃねえ……』
そんな幼馴染の唖然とした呟きに、蒼波も、ドヤ顔をまじえた小さな笑みを浮べて見せた。蒼波は海面スレスレを飛行しながら、機体を左右に不規則に、かつ鋭く振って見せるが、しっかりと神野はついてきていた。大型の戦闘機とは思えない、少々大げさな機動をしながら。
大して良い状況とはいえないが、しかし、蒼波は、そこに神野の心理的弱点を見出す。神野に散々揺さぶられた恨みを晴らすついでに、今度は蒼波は揺さぶってみせた。
「どうしたの? 打てば良いじゃない、IRはもう捉えてるでしょ?」
『ッ……!』
「まあ、無理っちゃ無理よね? IRあと1発しかないものね? 機銃も装備してないし、腹には熱核兵器抱えててミサイルないものね? 撃てるの、そんなんで?」
『ィッ……!!』
歯軋りするように唸る神野の声を聞くと、蒼波はここぞとばかりに、神野の真正面に横スライドするように躍り出て、
「――ほら」
そこで、大した速度を出さずにまっすぐ飛び始めた。回避機動も取らず、ただただ、神野の目の前で、まっすぐに。
……それは、
「――いいの、撃たなくて? チャンスだよ?」
まさに、昨日、神野にしてやられたことの、“意趣返し”であった。
『ッぁぁぁあああああ!!!!』
今の神野にとって、これほどの屈辱はない。否、屈辱なんて言葉では済まされない。侮辱、精神的な虐待にも等しい。
そして、冷静さを一時的に失った神野の指は、ミサイル発射のスイッチを感情任せに押し込んでいた。側面ウェポンベイからせり出していた最後のIRミサイルが、蒼波機目掛けて豪速ですっ飛んでいく。
「(バカね、それを待ってたのよ!)」
駆け引きの勝利を確信した蒼波は、力いっぱい操縦桿を手前に引き、スロットルもMAXギリギリまで押し込む。海面を飛んでいたF-15Jは一気に機首を上に向け、見る見るうちに急上昇を開始。しかし、操縦桿を引いた位置から動かすことはない。
「ッ……ギィィ…ィィィッッ……!!」
真正面から体全体にかかる体重の何倍もの圧力を感じながら、瞼を力任せに閉じて、急旋回する機体を維持する。聞こえてくるのは、羽浦の声のみだった。
『そのまま引っ張れ。間もなく頂点、エンジンアイドル』
「アイドルッ!」
『オーケー、今頂点いった。降下開始……』
急上昇をした時点で、蒼波が急角度のループ機動を繰り出していることを察知した羽浦は、制御に専念する蒼波に変わって、適切な操縦タイミングを指示していた。計器類を満足に見てる暇がないであろう蒼波に変わって、その計器類を見る目となったのである。目を開けているのさえ辛い蒼波にとって、これほどかゆいところに手が届く指示はなかった。
大体の平衡感覚で、機体が高速で降下しはじめたことを感じながら、ガンガンと鳴り響く地表接近警報を聞く。何時しか、ミサイルの接近警報は鳴りを潜めていた。しかし、彼女はその音に耳を傾けない。聞くのは、一つの男性の声のみ。
『……よし、今だ。スラストフル。フラップ展開。4秒後に水平ッ』
ほとんど指先の感覚でフラップを展開し、揚力を増大させさらに上昇角を上げる。4秒後に操縦桿を戻し、Gの圧力から開放された蒼波が、ようやく瞼を開けてみたのは、
「……ぴったしね。やるじゃない」
海面ギリギリ、高度100フィートの上空を水平に飛びながら、神野機の真後ろを捉えた光景だった。羽浦の指示と誘導は完璧だった。レーダー画面だけを見ながら、ここまで的確な動きを実現させるその空間把握能力。友は持っているものだと、蒼波は改めて、神様の導いた運命に心から感謝した。
ループしている間も、彼は一切の進路変更をしなかったようだ。やはり、目的に執着しすぎているらしい。それこそが、彼自身の弱点であることは、本人だってよくわかっているはずなのに。
そして、それ以前の問題もあった。神野の発射したミサイルは、これが最後のものだった。つまり、
「(もうアイツに、攻撃手段はない)」
これ好機とばかりに、蒼波は機銃の照準ピパーを神野機に合わせる。当然、左右に機体を振ってかわしにかかるが、本当に寸でのところでの回避になっており、余裕が感じられない。次第に、動きそのものにもムラが見られ始めた。
それでも、執拗な攻撃を俊敏な動きでもってかわしていくさまは、仮にも雷神の名を冠した天才が乗っていることを改めて痛感させる。蒼波はその神野の機動に必死にくらいつき、時折20mm砲弾を放っていく。時たま命中したらしい火花が散るが、大したダメージにはなっていないようだった。
ここまで来ると、もはや誰かが介入する余地など何もない。完全に1対1の直接対決。逃げ切るか、落とすかの二者択一が両者に与えられた決戦の舞台が整っていた。
『おいおい、あの動き、本当にフェアリーの奴なのか?』
『冗談きついぜ、イーグルがあんな機動してるの見たことねえ。本家本元の米軍でもやってねえぞ』
『これが、アイツの本気だってのか……』
蒼波の機動を見たパイロットたちが一様に絶句している中、ただ一人、羽浦だけは、安心したような、何かを確信したような、そんな自信を込めた、誰に届けるでもない一言を無線の電波に乗せていた。
『――これが、何かを守るために本気で戦う、美しき“妖精”の姿か……』
その言葉からは、誇りを感じられた。自らの見知った人間が、ここまで進化した存在になれたという事実そのものに。何よりの誇りを得たように。そして、その誇りは、周囲にいる人間たちに、自信と勇気を与えるには十分だった。
それでも、神野は引き下がらない。必死に逃げながら、何が何でも空母上空まで到達しようと躍起になっていた。諦めが悪いと感じた蒼波は、降伏勧告というわけではないが、その矛をいい加減収めるよう促してみる。
「もう諦めなさい。こっちはまだ攻撃手段を残しているわ。あと4分もないのよ」
『何度も言わせるな! 失敗なんてできないんだ! この祖国に、変わってもらわないといけないんだよ!』
「なんでそこまで極端なやり方に走るのッ、他にやりようがあったはずでしょ!」
『ないんだよ! どんな生ぬるいやり方を使ってもダメだ、この国の人間は、大きな痛手を受けないと、変わろうという気持ちすら湧かないんだよ!』
もはや、わがままを言う子供のような声ですらあった。何が彼をそこまで引き立てのかはわからない。しかし、普段の神野からは想像もつかないような狼狽っぷりに、蒼波は正直気が引ける思いすらしていた。だが、神野の口は止まらない。ここぞとばかりに、いろんな不満をぶちまけ始めた。
『何時までたっても変化をしようとせず、どこかの国におんぶに抱っこで、しかも成長はほとんど見込めないときているのに、何時までも、何時までたっても変わろうって声が出てこない! だから僕が代わりにそのきっかけを与えようとしたのに! 今の日本ができたあのきっかけを、もう一度再現しようとしただけなのに!』
「それが熱核兵器を使ったものであるって時点で、アンタは歴史から何も学んでないわ。世界を混乱に巻き込もうとしている癖して、悲劇のヒーローを気取るのもいい加減にしなさい!」
『だまれェ! お前に何がわかる! 僕が、小さい頃からどんな仕打ちを受けたのか知らないくせにッ! この国が何も進歩していないことを一番実感したのは僕なんだよ! 変わるきっかけがないだけなら、せめてその機会だけでも作ろうとしていることの何が悪いんだ!』
「自惚れもここまでくると芸術ねッ。ありがた迷惑ってことばを辞書で調べてきなさい、今すぐ!」
呆れ果てて何もいえなくなってきた蒼波だったが、依然として神野のその“喚き声”は止まらない。これでは埒が明かない。これも彼の考えた遅延作戦だったらマズイということもあり、彼の声をいい加減シャットアウトしようとした。
『――そこまでして守る価値がある国なのか!? 僕は、変わってほしかっただけなのに! この国を救おうとしているだけなのに!!』
――この言葉が、一人の男の“失笑”を買った。
『――プフッ、冗談抜かせ。テメェみてえな“化け物”が救世主なんて笑わせんなや』
あとは俺が引き継ぐと、そう宣言するような、威圧と嘲笑が混じった声が飛んでくる――
――その時の羽浦の顔は、笑ってはいたが、“笑っていなかった”。矛盾するようなこの一文でもって表現するしかないような、そんな顔を、彼はしていたのである。笑ってはいるのだ。しかし、嘲笑というには、あまりにも彼を馬鹿にしすぎているであろう笑顔だったが。
「熱核兵器を使って、核戦争の危険性を極限まで煽っておいて、僕は祖国を救おうとした愛国者ですってか? 愛国者バカにするのも大概にしろ化け物がッ」
もはや、ほぼほぼ死ぬことが決まったようなものである彼の気分は、一転して晴れやかでもあった。プレッシャーもクソもない。何をしても大してお咎めなしとくれば、言い換えれば究極的な“自由”が与えられたも同然だった。そんな彼を止める者は誰もいない。いや、止めようとすらしない。各々で最後の管制業務に励みながら、羽浦の言葉にも耳を傾けていた。自分たちの言葉を代弁してくれることを期待するような表情を、わずかに顔に浮かべながら。
「青くせぇ正義感振りかざして、熱核兵器なんつー死神の鎌持って大量の人間を殺しにかかって、「僕は大好きな日本を助けようとしたんですぅ~」ってか? 小学生のガキのほうがまだマシな言い訳思いつくわアホ」
『随分と馬鹿にしてくれますね……ッ』
「しょうがねえだろ、ガキにすら敵わねえ頭しかもってねぇバカなんだからよ」
『貴方は疑問に思わないんですかッ? こんな国の現実を、実態を! 貴方だってその目で見てきたでしょう!』
「ああ、見てきた」
『数日前の撃墜禁止令だってそうだし、そもそも動画で出した熱核兵器の写真だってそうだ! 北朝鮮の写真を流用しただけなのに、動画で言ったことをあれだけで鵜呑みにした! 即興で編み出しただけの簡単な策だったのに!』
「あれ、お前の策だったのか」
ここまで来ると、案の定、といったように納得できた。曰く、試したかったのだという。動画を使わず、単に「熱核兵器あります」といっただけの動画を、どこまで信じるかを。効かなかった時のために動画版も用意したのだが、その必要が無かったのは説明するまでも無い。戦略的意図は無い、単純に神野が試しでやってみただけのものだったのだが、彼はそれを見て、ひどく失望したと嘆き始めた。
『僕の編み出した策にまんまとはまったと同時に、悲しくなりましたよッ。あれは根拠不足のただの写真だったはずなのに、それだけでこんなにも非合理的な選択しかできない国になったのかと! この国の人間はこうも感情的なことしか考えられなくなったのかと!』
「そうか。それは災難だったな」
『命の分別どころか、大事なものは何かをまともに考えることすらできなくなった、何を守るべきかさえ考えようとしなくなった祖国に、もう一度一からやり直させようとしただけなのに! なぜそこまで命を張れるんですッ? そこにいる全員が!』
すっかり冷静のれの字すら消え去ってしまった神野の言葉に、羽浦は「だりぃ~……」といった様子で呆れ果てたため息をついた。蒼波が言うところの“芸術”とすら表現できる“独善的正義感”。自らの行動は、正しい道へと導いているのだという“確信”。そして、それを最後まで信じようとする“純粋さ”――。
だが、羽浦には、そんな神野が“若々しく”見えていた。年齢という意味ではなく、精神的な意味で。
「……まだまだ青いな、お前も」
『な……ッ!』
これもまた意趣返しである。羽浦はさらに続けた。
「アンタ、俺のこと“青い”って言ってよな? だが、俺に言わせればアンタのほうがまだまだ青い。周りより国のことを考えていると信じ、それを疑うことなく純粋に捉え、そして、それを改善させる愛国者を名乗り、大多数の人間を巻き込む戦争を引き起こし、そして、それでも自分の行いは正しいのだと崇拝する……。だがな」
『……』
「そんなの、自分の編み出した正義に酔っただけの“幼いガキ”の我侭でしかない。そんなもののために、この国、この世界の未来がぶっ壊されてたまるかってんだ。それよか、テメェを巻き込んで一緒に死んだ方がマシだ」
『正義感ぶってるのはどっちなんだ! 僕が一体どれだけの仕打ちを――』
「仕打ち仕打ちうっせぇんだよ! だから悲劇のヒーロー気取りだって言われんじゃねえか!」
羽浦の堪忍袋の緒が切れた。ここまで我慢してきたが、神野の純粋なまでの独善っぷりについに耐え切れなくなったのだ。一瞬萎縮した神野だったが、羽浦は構わず続けた。
「アンタが過去に色々とあったのは重々理解してる。俺だって一部ではあるが聞かされた。国に絶望するのも自由だし、変わってほしいと思うのも自由だ。……アンタが、東京の夜景を見て、その美麗な光景の裏にある深いこの国の闇を強く感じていたのも、結局はその闇を肌身で感じて知っていたからだろう」
『そこまで知ってなぜ……ッ』
「だがな、勘違いするな。それはこの国を“ぶっ壊していい理由”には決してなりえない。外圧だなんだと謳ってはいるが、結局は、日本人が今までに作ってきた秩序をぶっ壊して愉悦に浸りたいだけに過ぎない。そんなの、救済なんていわない。“破壊”って言うんだ」
『ッ!』
「何度でも言うぞ。この国の未来は、俺たち自衛官が勝手に結論付けていいものじゃない。きっかけを含め、全国1億2000万人の日本人一人ひとりが決めなければ、まともな将来なんてやってこない! 日本をぶっ壊してそれで放置して、それで本当にまともな未来がやってくると思ってるなら、アンタは相当に無責任だ。違うか!?」
神野は何も言い返さなかった。何か返そうとしても、どれもこれも感情的な返しにしかならず、明確な反論にはならない。それだけ、羽浦の言葉には重みがあった。
これは、ガラス工芸と同じでもある。透明な液体を自由自在に、かつ入念に時間をかけて加工することで、多様な芸術品へと昇華させることができるが、結局はガラスであるため、ハンマーなどで簡単に破壊することができてしまう。あれだけ苦労して作ったガラス工芸品も、たった一瞬の衝撃により簡単にガラスの破片と化してしまうのだ。
破壊と創造――この難易度の差を、羽浦はかつて、あの経験でもって体験していた。蒼波が誘拐された時、助けはしたものの、当の本人から怒りを買ってしまった。それはひとえに、命というものが、簡単に破壊することはできても、創造することはとても難しいことを、よくよく理解していたからに他ならない。
何世代にもわたって作ってきたものを、たった一度の悪しき選択によって破壊されること……これほど、人類史にとっての汚点はないであろう。頑張って作ってきたものを、唯一つの悪行の末に破壊した先にあるものは何か。今までの歴史は、それをいやというほど示してきたはずだ。
そう訴える羽浦の目は、うっすらと、涙が浮かんでいた。失いたくないものを失ったときの辛い気持ちを、よくよく理解できる“人間”であったからこそ流せるものだった。
「――日本人が、今まで連綿と作ってきた全てを、誰かのくだらない正義なんかのために破壊させない。それこそが、俺たちが自らの手で署名した、自衛隊員の“服務の宣誓”の意味だ!」
守りたいものや愛国心が何だと悩んできた羽浦が、レーダー越しに遠い何かを見つめるような決意の表情を浮かべて発したこの一言こそが、彼が抱いた、自衛官たる自分が実行すべき使命だった。国民は、お先真っ暗な破壊を望んではいない。それだけで、羽浦たちが、この行動に出るのには十分すぎる根拠になった。国民誰もが、明るい未来を切望しているはずであり、それに応えることこそが、自分たち、自衛官に与えられた“使命”でもあるのだと。
そして、最後に、彼は締めるように、宣言するように伝えた。
「お前はもう、天才なんかでも、雷神なんつーいっちょまえなあだ名を貰うような傑物でもない。祖国に勝手に絶望し、世界を巻き込んで、祖国どころか世界の未来を真っ暗にさせておきながら、そんな自分の正義に泥酔して後はそのまま放置するような、そんな身勝手な“子供”でしかない」
『……ッ!!』
「……教えてやるよ。この大きな女神の空の下は、常に安全空域だ。この女神の目が黒いうちは、お前の好きにはさせない。そして――」
「――この国の、世界の未来は渡さない。“俺たちと一緒に墜ちろ”」
その直後だった。神野から返ってきたのは、小さな悲鳴の声だった。この会話に夢中になりすぎた神野は、後方の警戒が若干ルーズになっていた。その隙に、蒼波がタイミングよく放ったらしいAAM-5Bが、神野機の後部に命中。正確には、近接信管作動により破片の被弾のようだが、動きが極端に鈍ったのには違いなかった。
高度を保つのが精一杯らしい神野の動きに、羽浦は小さく口元を歪ませる。よし、狙い通りだ。蒼波は、ここまで話を持ってきた自分の意図を正確に読み取ってくれたようだ。
「CTF防護線到達まで、あと1分を切ります!」
「上の敵の動きを抑えきれない。そろそろ決めよう」
「羽浦ッ」
重本の呼ぶ声に、羽浦は小さくサムズアップをして返した。視線はレーダー画面に向いたまま。そして口元からは、端的な指示が蒼波に伝えられる。
「あと1分。咲、制御を奪え。遠慮は要らない」
『了解』
まるでロボット同士の会話のような受け答えをすると、蒼波機のブリップの隣にある高度の数値がわずかに上昇する。熱核兵器の起爆は、コックピットから手動で行われることがわかっていた。トドメを刺すべく、そして、起爆を完全に阻止するべく、上からの攻撃にシフトしたのである。
ここまで来ては、もはや起爆なんてしている場合ではないであろう。あと1分で起爆できる範囲ではあるが、もうほとんど落ちてもいい場面である。
『……雄さん……ッ』
「なんだ?」
唐突に聞こえてきた神野の声に、一切の覇気は感じられない。状況は、彼も理解するところだった。
今になってもそのように呼ばれることに少なくない不快感を感じながらも、羽浦は神野の声に耳を傾ける。いずれにしたって、彼はこれが最後だ。辞世の句ぐらいは聞いてやろうという慈悲の心であった。
『最後に……、一つだけ、聞かせてください……ッ』
「ああ」
『……本当に、守りたいんですか……こんな国でも……?』
ここまで言われても、最後まで疑念を晴らせなかった、この疑問。幼少期から抱いていたであろうその問いの答えを、最後は羽浦に求めた。その問いに答える羽浦の声は、先ほどまでの気迫のあったものとは一転して、普段と同じような、涼しげなものになっていた。
「……正直」
『え?』
「国を守るとか、愛国心とか、そこらへん考えるの苦手なんですよ。だって、考えてたら疲れるでしょう。自分の持つ愛国心なんてものも、咲の受け売りでしかないことは結構前に話しましたし、第一、自分は“親友”の後ろを追って入っただけの人間ですよ? 大して、命を張るとかって覚悟も、満足にあるとは思えないんです」
『だったら、なぜ……』
「……俺が守りたいのは、勿論、国とか国民とかもそうではあるんですが、何より――』
「――純粋に“個人的に何があっても守りたい何か”、そのものなんです。今、貴方の後ろにいる奴とかが、その典型例ですよ」
優しげなその視線は、レーダー画面上にある蒼波機のブリップに注がれていた。高度を上げ終えた彼女は、今度は一転して、緩めの降下に映っていた。機銃の照準も合わせ終えたであろう。
神野機はもうほとんど動かない。ただゆっくりと、まっすぐ飛ぶだけのデカくて黒い標的機と化してしまっている。単に漂っているだけともいえる神野のブリップに、思わず、神野の顔を重ねてしまう。迷いがないわけではない。ここに来ても、彼を落とすことへの恐怖心がないわけではなかった。彼の言っていたことは、決して蒼波だけには限らないのかもしれない。
だが、その迷いも、一時のものにすら、ならなかったが。
『恐怖はないんですか、貴方もここで死ぬんですよ?』
「ないわけじゃないですよ。それに、咲をもう見れなくなると思うと、後悔しかありません」
『なら――』
「でも、もう覚悟は決めましたよ。なに、普段から高い空を飛んで、アイツを見下ろしていた身です。もうちょっと高度が高くなるだけですよ。やることは、大して変わりません」
その表情に、一切の迷いは確かになかった。彼だけではない。この室内にいる誰もが、その表情に恐怖はほとんど窺い知れない。あの百瀬ですら、何かを覚悟したように、険しい表情を浮かべて椅子に腰掛けていた。
かつて、能登半島沖不審船事件の際、近接戦闘の訓練をこれっぽっちもしていない若い隊員らが、まともな防弾装備すらなされず突入することになっても、死ぬ覚悟を受け入れた表情を浮かべていたのを、時の航海長が哀愁を漂わせてブログやテレビなどで回想していた。言うなれば、今の彼らはそれと同じ状態なのである。
時間は無情に過ぎる。照準がなされ、今にも攻撃が行われることを悟った羽浦は、最後に、一言添えて言った。これが、この世で神野と交わす、最後の言葉になる。
「……よく逃げてきたな。黄泉比良坂にようこそ。ここからは俺たちが――」
「――黄泉の国に案内してやる。道案内は得意だ。“一緒に行こうぜ”」
その直後。無線から透き通った声で「FOX3」と伝える声が届いた……




