2-1
「戦争は決して地震や津波のような天変地異ではない。
何の音沙汰もなく突然やってくるものではない」
――石川啄木(日本 / 歌人・詩人)
≫7月20日 AM06:12 静岡県 浜松基地≪
――例の東京観光から数ヶ月後。
この日も、浜松基地では日中の警戒監視任務に赴くための、ミッションクルーの朝のブリーフィングが行われていた。
彼らの朝は早い。事前に今日の日程や現場空域の天気、民間機のトラフィックのうち特記すべき事項のチェック、周辺航空情勢の情報、その他諸々――。警戒監視飛行において必要な全ての情報を、このブリーフィングで確認する。
羽浦も当然参加していた。ある程度は事前にフライト資料として渡されてはいるが、重要そうなものは片手でメモするべくボールペンを走らせる。隣にいる百瀬に至っては、学生よろしくキャンパスノートを持ってきてそれに大量に書いていた。そんなに書いても全て見ることはないと思うが……と、横目で見つつ、ブリーフィングは天気の確認に入った。
「――えー、次に、今回現場に入る空域の今日の天気となりますが……」
浜松基地気象隊の担当予報官が、室内前方のスクリーンにプロジェクターで投映された、今日の地上天気図に赤色のレーザーポインターを指しながら説明していく。
「今回のフライトでは、東シナ海東方を重点的に監視しますが、現在、南方から接近中の熱帯低気圧が当該空域に接近しており、ミッション時間にちょうど差し掛かると思われます。低気圧の詳細データは資料でお渡しした通りですが、気象状況が不安定なため、これが今後成長するか、逆に衰退するかどうかについてはまだ判然としていないのが現状です――」
説明を聞きながら、羽浦はスクリーンの天気図を見つつ、右手に置いておいた資料を何枚かめくり、今日の担当空域の雲画像を見る。白黒の赤外画像であるが、確かに南西諸島のさらに南西部に、白い雲の一群が確認できている。速度から計算すると、ちょうど、自分の担当する時間帯に東シナ海の東部に到達する見込みのようだとわかった。
「(うぇ、俺のいるタイミングかよ……)」
内心で小さく悪態をつく羽浦。「今日は“あれ”もあるんだがなぁ……」と、面倒くさいという感情を小さく顔に出した。
その後、重本が今日のフライトについて説明する。今回は東シナ海東方の警戒監視ではあるが、少しだけ、事情が違っていた。
「――んで、今回はただの警戒監視だけではなく、“スクランブル機の誘導”も担当する。事前に説明した通り、今担当の那覇DCが、定期的な無線設備の修繕作業を行っているため、アラート誘導が出来ない状態にある。今日の夕方頃には終わるので、それまでは我々が代役を務める。担当時間のシフトは既に資料で渡してるので、自分の担当をしっかり頭に入れて置いてくれ」
と、言われた通りに羽浦は資料を何枚か再びめくって、シフトを確認。午前11時半から13時まで。自分だけではなく、他の数人もシフトに入っているみたいではあるが、ちょうど昼飯時間帯に当たってしまった。
「(おのれ、誰だシフト決めたのは)」と、再び羽浦は内心で愚痴る。
さらに、重本は最後に、「あと、これも言っておくか……」と前置きして、このことにも触れた。
「えーっとー……どこまで影響があるかは不確定ではあるが、お隣中国で開催されている、5年に一度の、全国代表大会が、今日で閉幕する。中国が大きな政治的活動を行うため、全世界が注目をしているが、我が国も同様だ。この最終日に際し、軍事的に何かしらの行動がないとも限らないとして、防衛省より、特に注意し監視せよとお達しが来ている」
“党大会”か……。羽浦は、昨日見たニュース映像を思い出しながら、重本の説明を聞いていた。
『中国共産党全国代表大会』。所謂“党大会”と称されるものであり、中国共産党の最高指導機関である。党としての今後の政治方針の決定や、党規約の修正、重大問題に関する討議、中央委員会委員の選任等々、中国の政治中枢としての役割を果たす一大イベントである。
よく間違わられるが、“全国人民代表大会(全人代)”とは別物である。全人代は日本で言う国会に相当するものであるが、中国では、その全人代のほとんどが共産党員で占められており、最重要事項は党大会で決定しているという現状から、実質的に国の上に共産党が存在するという政治システムとなっている。そのため、共産党の最高機関である党大会が、事実上の国の最高指導機関とされており、これのせいで、「中国の政治システムは分かりにくい」と言われたりするのである。
今回の党大会は、前回のそれとはわけが違うぐらいに大々的なものとされている。というのも……。
「ニュース見た奴らは知ってると思うが、今日の中央委員会委員選任に伴い、次期国家主席に内定される“新中央委員会総書記”も発表され、さらに、新総書記の所信表明演説と基本的な政策方針が、ここで大々的に正式発表されることになっている。大まかな内容は関連項目の欄に簡単に記載しておいたので目を通しておいてもらいたいが、それに、軍事的な面も大きく関わっていると言われている以上、防衛省としてもそれに呼応した動きに警戒心を持っている。油断はできないと心せよ」
右手に持った資料を掲げながら、重本は重ねて言った。
先に述べたように、中国は国の上に党が存在する政治システムを有する。即ち、党大会で選任される共産党のリーダーである“総書記”は、自動的に国のリーダーである“国家主席”をも兼任することになり、それは、今回選ばれる新総書記は、来年の全人代で選出されることになる次期国家主席の位をも自動的に得ることを意味する。
故に、世間はここまで大々的に取り上げているのだ。誰が選任されるかは、もうほぼ決まっているとされており、各国マスコミがその当人を大きく取り上げているが、この党大会で正式に発表される。本来は、翌日の中央委員会第一回総会、所謂“一中全会”で選任されるのだが、正式な選任は確かにその時であるとはいえ、発表を事前にこの党大会内で行い、さらに、“就任演説”まで行うのは、少し変則的であるといえる。
防衛省は、今回の党大会において、軍事的な意思表示とともに、それを実行に移す部隊がいた場合を想定していた。アメリカや日本、韓国などの旧西側に比較的融和的である言われている新総書記(=次期国家主席)の態度が、どの程度のものであるかは事前のリサーチから判明してはいるものの、それを正式発表する場で、それに呼応した行動を早速とらないとも限らない。融和的ではあっても、軍事的妥協を進めるとは限らないのだ。
それの部隊が、空であった場合は迅速に対処せねばならない。そうなった際の早期発見の担当は、自分たちである。
「おそらく我が国だけではなく、アメリカや韓国、台湾あたりも警戒しているだろうと思われる。他国との偶発的な事故を避けつつ、何かしらの事態が発生した場合には、迅速に対応できるよう準備をしておくように。……じゃ、今日も何事もないことを願って。女神さんとの優雅なフライトを」
最後に洒落たジョークで締めると、全員が起立して一礼。ブリーフィングが終わると、各々で荷物をまとめ、今日の飛行任務に出発である。
「……党大会ねぇ……」
その場で手荷物をまとめつつ、羽浦は資料の最後のページをめくった。この日が近づくたびに、日本はもちろん、世界各国はこぞってこのニュースを取り上げまくっていた。羽浦も、夕方ごろに見るニュースが最近こればっかりだったこともあり、意識していないのに内容は頭に入っている。そして、今回渡された資料の最後のほうにも、A41枚分だけ、この点について触れられていた。
「お隣さん、ちょっかい出してきますかね?」
そういいながら、羽浦の持つ紙のほうにひょこっと顔をのぞかせる百瀬。呑気な彼女の声とは裏腹に、羽浦の声は少し低めだ。
「まあ……いくら融和的とはいえ、前政権の“核心的利益”を手放すわけではありませんし、「勘違いするなよ」ってメッセージついでに何か送ってきそうな感じはしますけどね」
「政治詳しくないんですけど……今回の政権ってそんなに融和的なんですか?」
「らしいですよ。その手の論壇に言わせれば、少なくとも前政権よりはそうだと」
羽浦は、昨日までのニュースやネットでの情報を思い出した。
脅迫型外交能力を中心として、軍事と経済の両面でアジアでの影響力拡大を推し進めていた前政権であるが、その結果、アメリカとの関係に少なくない齟齬が生じてしまったこと、急速な軍事的拡大を押し進めておきながら、近隣諸国との積極的な相互信頼醸成措置を怠ってきたことなどが原因となり、海外、特に旧西側諸国との関係に問題が生じてきていることがにわかに問題視されていた。
共産党内で次期総書記の選定に向けて派閥争いが繰り広げられていた数年前から、数ある勢力の中で、国際協調主義的な新興派閥が、「国際社会との相互信頼なくして中国の発展なし」と声を挙げ、西側勢力の援護もあって、徐々に発言力を拡大していった。
現総書記の国家主席の任期撤廃の企みを阻止すると、世間でもこの派閥の名がにわかに知られるようになり、前政権の後継者として、この勢力から選出された候補者が次期総書記として党内で事実上の内定を受けた。そしてその候補者は、旧西側諸国との融和政策を実行すると明言し始めたのだ。
経済的な協力をはじめ、魅力提示型外交能力を中心とした積極的な国際協調政策、軍事的交流の促進、様々な問題における対話路線の構築、等々……。もちろん、中国の国益としてどうしても譲れない一線である“核心的利益”の保持は前政権を引き継ぐ形となっているが、この新政権においては、他国との国益の衝突回避に向けた外交政策も掲げており、全体的に旧西側諸国に歩み寄る姿勢が見て取れていた。
当然、ロシアあたりは懸念を示していたのだが、しかし、政権誕生前後から事を荒立てなくなかったのか、強く入ってはこなかった。言うまでもなく、旧西側諸国は歓迎の姿勢を示し、アメリカは早速、首脳会談の日程の調整に入ったというホワイトハウスの動向が日本でも報道されていた。
今回の新政権は、今までとは少し違う姿勢を示すであろうことは、日本でも大きく報道され、今後の中国との歩み方に注目が集まっていたのだ。
「明言はしていませんが、日本は一応中国を仮想敵国とした防衛計画組んでますからね。南方重視戦略とかその典型例です。でも、今後の中国が少しの間脅威度が減っていくとなると、そこら辺の対応も変わるかと」
「戦闘機とか爆撃機とか出しまくるのやめてくれますかね?」
「さあ……そこはどうでしょ……」
前政権下での中国では、領空接近や領海侵犯がほぼほぼ常態化しており、冷戦時代を凌ぐ数となっていた。平均で見れば、多い年では1日3回以上スクランブルがどこかで起きている計算になるほどで、特に南方の那覇や築城あたりはスクランブル多発、いや、“乱発”する基地となっていた。そして、その対象となる航空機の大半が、中国とロシアであった。
大抵は領空に入らずに済むのだが、時たま入るものに関しては統合幕僚監部がまとめ、必用に応じて公表する手筈になっていた。棒グラフで見ると、冷戦時代とどっこいどっこいな数に上っていることがいやというほど理解できる。
「何だかんだで軍事的にも融和政策をとるなら、このスクランブルも少しは減らしてほしんですが……でも」
「でも?」
羽浦は小さくため息をついて言った。
「……俺的に一番心配なのは、中国じゃなくて北朝鮮のほうですよ」
「北朝鮮ですか?」
手に持っていた資料をバックにしまいながら、羽浦は今度はスマホを何回かタップし、ある画面を見せる。それは、今の北朝鮮国内の状況を伝える、韓国メディアの日本語版の記事だった。
「最近、内政ひどいことなってるじゃないですか。“前指導者が急死”してから、臨時の指導者をでっち上げて強引にまとめようとしたものの、今度は内部の勢力争いが表に出始めて、それが軍をも動員したものになって……って感じで。そのうちこっちにも飛び火しますよマジで」
はぁ、やだやだ、と言わんばかりに羽浦は首を小さく振って顔をひきつらせた。百瀬も「あー……」と苦笑を浮かべて目を逸らす他はなかった。
中国の政情変化もそうだが、ある意味一番の問題は、確かに『北朝鮮』にあるといえるだろう。
というのも、数年前、北朝鮮を長年支配してきた指導者が突然“急死”してしまい、国内では大混乱が生じていたのだ。
北朝鮮の国営放送によれば、原因は「栄養バランス崩壊による急性心筋梗塞」というもので、ここでいう栄養バランス崩壊とは、要は肥満のことだと言われている。これは北朝鮮政権にとってはあまりにも突然すぎる事態だった。まだ本人が指導者としては若く、最低でも十数年ぐらいは安泰であろうと思われていた矢先の出来事であり、それ故にこれっぽっちも後継者の準備していなかったということが、前指導者の急死後に脱北に成功した北朝鮮高官の口から明かされた。
彼が韓国当局に語ったところによれば、これによって政府内はもちろんのこと、国民の間でも混乱が生じているらしく、軍による統制もままならないほどだという。また、これを絶好の機会だと捉えて脱北を図った大量の北朝鮮国民が、遅かれ早かれ撃たれまくるという死屍累々な事態が北朝鮮内各地で多発している。彼もその一群に紛れて脱北した身であったが、本来ならそれを阻止するはずの軍人たちが、突然の指導者の急死に浮き足立ってしまい、使い物にならなくなっている光景を目にしたという。国営放送は、相変わらず臨時で立てた指導者を神様の如く扱っているが、実態はひどいもののようであった。
この件に関して、韓国をはじめ各国メディアが暴露すると、一日と経たないうちに、
「これは我が人民共和国を崩壊せしめんと画策する憎き米帝政府とその傀儡一味による愚かな対内工作であり、何れ、奴らは愚作を以て我が人民の誇り高き団結心を分断させることは不可能であることを思い知るであろう」
……と、相変わらずパワーが溢れるワードを連発した強烈な非難声明を発表、同時に、脱北を図る国民らに対し強く警告を発した。この時点で、告発を受けた韓国政府の正式発表すらまだない。そもそもこの報道自体、ただの韓国当局が漏らしたものを流しただけの速報でしかなかったにも関わらず、反論があまりに早すぎることもあって、「図星を突かれて焦ったのだ」と主張する論者は大勢いる。
何れにせよ、北朝鮮の前指導者の急死は、北朝鮮国内に大きな治安面での混乱を巻き起こしただけでなく、その後の支配力回復の過程で発生した政権内での勢力争いに、自分たちが手駒にしている軍の部隊すら動員し始めたことで、その緊張度は大きく増した。臨時の指導者を立てた後も、政権内での自らの影響力を拡大させるため、自らが支配している部隊を他の勢力の威圧に使ったのをはじめ、時には銃撃戦が発生するにまで発展し、最悪このまま内戦に突入しかねない状態になってきているという。
数ヶ月前に、ロシアが北朝鮮監視のために電子偵察機を“護衛付き”で差し向けたのも、この勢力争いにおいて、航空戦力を含む北朝鮮軍戦力がどのような動きをしているか等を、各種電子情報から調査する意味合いもあったし、日本も最近、何度か北朝鮮機に領空侵犯されかけた。韓国は、在韓米軍とともに軍の警戒レベルを引き上げたままだし、アメリカは弾道ミサイルを警戒し、つい最近完成したばかりの辺野古基地にRC-135S“コブラボール”を護衛機付きで常駐させるなど、軍事的脅威度だけでみれば、中国よりむしろ北朝鮮のほうが高いといえる。北朝鮮の軍の支配が行き届いていないばかりか、一部政府高官らによって半ば私物化され始めているところは、非常たちが悪いといえるだろう。
……羽浦に言わせれば、今現在一番怖いのはむしろこっちなのだ。
「軍隊を私物化し始めてるんですよ、あちらさんは。幾ら“将軍様”の指導が行き届いていないからって、自分の勢力争いに手駒の軍隊を使うとか、お前らいつの時代に生きてんだって話で」
「もう21世紀も4分の1過ぎる直前なんですけどね」
「全くですよ、ほんと……」
お前らだけ別の時代からタイムスリップでもして来たのかと、羽浦は呆れ果てつつ、同時に、かの国民を気の毒に思い始めた。これによって、一番の被害をこうむるのは誰でもない北朝鮮国民であり、また、手足に使われている普通の北朝鮮の軍人もそうである。偉い人たちによる勢力争いは、治安維持という名目で自らに反旗を翻す“恐れがある”国民の弾圧に使われ始めており、それに逆らった軍人も問答無用で処刑されているらしいとの情報も、メディアを通じて仕入れていた。
そりゃあ、誰だって国を捨てて逃げたくなる。その先でどんな扱いを受けるかはわからないが、少なくともここよりはマシだと考えたなら、命を賭けてでも脱北を図るだろう。ここにいたって、どのみち死ぬか、それに近しい現実しか待っていないのである。今頃、国境には命からがら逃げてきた北朝鮮国民らが、我先にとお隣の国に足を踏み入れようとしている最中であろう。
「今の北朝鮮国内は暗黒の世界そのものですよ。これのせいで、数年前の朝鮮戦争終結宣言の件や米朝首脳会談後のセントーサ宣言の内容履行の話も有耶無耶になりましたし、拉致問題も未だに解決してないですけど……現地があのザマじゃ、この話もたぶん進まないでしょうね」
「いつになったら終わるんでしょうか、あれ」
「終わりあるんすかねぇ、あれ……?」
あの混乱が収まる時は、恐らく北朝鮮が崩れ去る時だとネット上ではよく言われるが、正直そうなってもおかしくないぐらいの末期症状をかの国は起こしている。羽浦は、もうあの国の将来の好転を半ば諦めてすらいたのだ。
「(頼むから、せめてこっちには飛び火すんなよ……?)」
羽浦は、そう願うしかなかった。彼はただの自衛官であり、政治家ではない。願うぐらいしか、できないのだ。
「……そろそろ行きますか。機内の準備もあるし」
「ですね」
フライトの時間が迫っている。もう人もまばらになっていた室内を荷物を持って退出し、外で待機している、今日の搭乗機へと向かった。
今日の空は悪くない。雲が幾つか出ているが、晴れ間は充分。雲量は5~6ほどか。ブリーフィングでは、南方方面では低気圧が接近している関係で、夕方から弱い雨がぱらぱらと降り始めると言っていたが、今はまだその様子は余り見られない。
エプロンには、2機のE-767が駐機されている。1機は今日の訓練に供されるものだが、自分が乗る機はさらにその隣。綺麗に機体を拭いたのであろう、太陽に照らされ表面がてかっているのが遠目でも確認できる。女神さんの今日のおめかしは万全だ。
既にタラップ車が設置され、早い者はもう乗り込み始めている。後追いで乗り込み、自分の座席に座ると、スマホを機内モードにし忘れていたことを思い出し、急いでバックから取り出した。
「……ん? LINE?」
いつの間にか、LINEに通知が入っていた。送り主は蒼波である。開くと、通知欄には、
『ゴーヤチャンプルーくっそうめえええええええええ』
……と、その一言に付け加え、ゴーヤチャンプルーを笑顔で食す蒼波の写真があった。両手が画像に収まっているので、たぶん誰かに撮ってもらったのだろう。さらに、その下には、
『八重山そばああああああああああああああああ』
……という一言と、八重山そばの入ったお椀を手にして、笑顔でそばを啜っている蒼波の写真が添付されていた。なぜそこまでテンションが高いのだ。うまかったからか。そのうち某グルメリポーターよろしく「お口の中が宝石箱や~!」とか言い始めるんだろうか。自衛官やめたら本当にやり始めかねない。元自衛官のグルメリポーターという結構謎な職歴を想像してしまった。
送信時間からして、今日の朝食時のものだろう。どうやら沖縄の郷土料理が提供されたようだ。那覇に行って以降、時たまこういうのが送られてくる。自慢話ついでに、自身の近況報告ということであろう。確かにうまそうだ。
「……楽しそうだな」
那覇に配置転換されてから早半年。既に彼女は現地に大分慣れたようである。この前は、休日が取れたのか、現地で知り合ったらしい女性航空自衛官たちと共に海水浴に来た際の画像が送られてきた。なお、その時送られてきたのは、
『ほら、水着だぞ。抜けよ』
……という一言と、砂浜で、海をバックに水色の水着を着て艶めかしいポーズをとる蒼波の写真だった。具体的にどういうポーズだったかはご想像にお任せするが、これを見た羽浦は何と返信してやればよいのかわからず、とりあえず「可愛いっすねその水着」と返信しておいた。あとで電話で「抜けよ! ポーズ拘ったんだぞ!」と怒られた。この上ない理不尽を感じた。水着が可愛かったのは本音だったのに……。
「『普通にうまそう。俺も食いてえ』……、っと」
とりあえずそう返信した。しかし、本当においしそうな画像である。グルメなブログにでも使われそうだと羽浦は思った。
「こーら」
「いてっ」
軽く何かの冊子で頭を叩かれた。振り返ると、そこには苦笑を浮かべた重本がいた。
「さっさと携帯仕舞いな。のろけ話は後で聞いてやるから」
「す、すみません……、って、ちょっと待ってください。なんですかのろけ話って」
「その画像とコメントから察するにのろけ話だろ?」
「ただのアイツの自慢話ですよ……」
というか、後ろから見てたんかい中身……。これ以上は余りみられたくないというのもあるので、面白がるように笑いながら去る重本を横目に、さっさと機内モードに設定しバックに仕舞った。
自身の担当コンソールの機器類をチェックし、無線機、マスクの動作確認などを行うと、ベルトを締めて離陸を待つ。重本が全員の離陸前チェックの終了を確認すると、パイロットに伝え、さらに、外にいる整備員らに、タラップ等の機体に張り付いている車両などの切り離しがパイロットから命じられる。
そして、エンジンが始動する。少しして、体が少し揺れた。機体が移動を開始。滑走路に向けて機首を向け、誘導路を進む。滑走路が空いていることを確認したパイロットは、離陸前のチェックをこなし、準備を整える。
『ASTER 0-1, runway 27, cleared tale-off.(アスター0-1、滑走路27からの離陸を許可する)』
「Runway 27, cleared take-off. ASTER 0-1.(アスター0-1、滑走路27から離陸する)」
浜松管制からの離陸許可を受けたE-767は、滑走路に進入。滑走路上に障害物がないことを確認し、離陸を宣言する。
「ASTER 0-1, take-off.」
キャプテンが右手でスラストを前に押し、機体が離陸滑走を開始。両主翼下に1基ずつ備えられたCF6-80C2エンジンは、ファンを高速に回転させて強制的に空気を取り入れ、強大な推進力を機体に与える。体が後ろにもっていかれる感覚を覚えながら、80ノットを超え、さらに加速。朝早くから厳島神社付近の駐車場に陣取った、その道の写真家や航空ファンから動画や写真を撮られつつ、機体は離陸決定速度に到達した。
「ローテート」
操縦桿を引くと、エレベーターが上を向き、機体を上に向けさせ、地上を離れた。機首をさらに上に向け、ぐんぐんと上昇していくE-767は、抵抗となるギアを全て格納する。
『ASTER 0-1, contact channel 3. GOOD LUCK.(アスター0-1、周波数チャンネル3にコンタクトせよ。いってらっしゃい)』
「Contact channel 3, ASTER 0-1. Thank you.(アスター0-1、チャンネル3にコンタクトする。行ってきます)」
浜松基地と一時的な別れを経たE-767はさらに上昇を続け、そのうちに、雲を抜け遠い空の向こうへと入ってしまった。彼らはそのまま、南方の空域付近にまで進出し、いつも通り空の監視を行うこととなる。
――いつも通りの日程。いつも通りの任務だった。
終わりもいつも通りであろう。誰もがそう思っていた。
……そうなるはずだった。“あの時”がくるまでは……