表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Guardian’s Sky ―女神の空―  作者: Sky Aviation
第1章 ―数ヶ月前 A few months ago―
7/93

1-6

 ――何かしらの人生相談か何かだろうか。羽浦は直感でそう考えたが、どうももっと深そうな悩みでもありそうだった。

 夜景に向けている視線はそのままに、神野は重い口を開く。


「いえ、大したことではないのですが……たまに、わからなくなる時がありまして」

「というと?」

「僕は自衛官です。国に、国民に命を捧げる覚悟を持っています。貴方と同様に」

「ええ……」


 羽浦の脳裏には、すぐにあの言葉がよぎる。


『自衛隊法 第3節 服務の宣誓』


『 一般の服務の宣誓

 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。』


 自衛官であるならば、例外なくこの宣誓を胸にし、それを言葉通り実行することを求められる。当然、羽浦も、神野も、そして、蒼波もこの宣誓書に自らの名前を書いた。この宣誓をした者たちは、一つの同志であり、仲間である。

 神野も、それを念頭に先の言葉を述べたのであろう。しかし、彼は言った。


「でも、たまに迷うんですよ。自分が守っている国は、どこに行くんだろうかと」

「なんかクーデターでも起こしそうな言葉ですね」

「ハハ、まさか。そんな勇気ないですよ」


 そういって右手をひらひらさせつつ、


「残業の光でできた、こういう夜景みたいに、一見素晴らしいものに見えて、実際はそんな単純なものではない、闇を抱えているものなんて、この国にはたくさん存在します。国民は少なくない闇を抱えてるんです。国民の負託に応えたくとも、こうした闇までは晴らせないのが、何とも……」

「……重いなぁ」


 大したことないなんて前置きしていながら、随分と重苦しい話を突っ込んできた。ここに蒼波がいなくてよかったというか、たぶん彼も、今だからこそ話したのであろう。幸い、彼女はまだ長蛇の列の半ば。随分といら立ちを隠せない顔が、羽浦からわずかに見えていた。まだ少しの間は、戻ってきそうにない。

 神野は続けた。


「国防や安全保障に関してもそうです。今や北朝鮮の国内は混乱状態。トップが弱腰だと見るや、体制内の反発勢力との権力争いが顕在化しています。その影響は軍隊にも」

「暴発の危険性は増す一方ではありますよね」

「ええ。それに、中国の方も、まもなく党の指導者が変わりますが、アメリカを含む旧西側に対し宥和的なかじ取りをすることを明かすと、兼ねてから起きていた派閥争いが激化しています。国外に影響が来ないとも限りません」


 そうした、近隣諸国の動きに、自衛官たる神野も敏感だった。特に、日本の仮想敵国とも言われている、北朝鮮や中国の方は、最近不安を抱くような動きをしており、事故かそうでないかに関わらず、日本にその火の粉が降りかからないと、確信できなくなってきていた。

 もし、日本にその影響が、悪しき形で向かってきた場合、その矢面に立たされるのは、自分達であるが……。


「……代わり続ける世界で、自分自身、果たして国民の期待に応えられているのかが、たまにわからなくて……」

「別に、一人でどうこうできるものでもないでしょう」

「ええ、その通りです。ですが、一人の力って、この組織の中じゃ結構重いもので……。ただでさえ、不安定な立場にあるこの自衛隊という組織で、限られた力の中で、どこまで応えられるのか。仮にも幹部自衛官ですが、最近、こういうことばかりが頭に浮かびましてね」

「熱心なお方だ……」


 幹部自衛官としてパイロットになって、守るべき国民にこたえられるかというプレッシャーを感じているのだろう。羽浦は、彼はやはり理想的な自衛官であると改めて実感した。

 彼はもとから、愛国心が強く、国民の負託にこたえることに熱い思いを持つ人間であった。部隊内でも一目置かれ、有能でもある彼の将来は約束されており、その意思は周りにいい影響を与えているということを、羽浦は蒼波から度々聞いていた。

 別に、親が自衛官であるわけでもなく、むしろ、幼少期に両親を亡くして、祖父母の家、そして後に、児童養護施設に預けられたような身である。今は亡き両親や祖父母の期待に応えるべく、この思いを、生まれ故郷である日本の国防に捧げる決心をしたのが、彼であった。半ば適当な成り行きで自衛官になった自分とはわけが違う。羽浦は、神野との格の違いを感じていた。


「(……真面目さんゆえだな)」


 努力家で、生真面目である神野の悩みは、それに起因するものでもある。羽浦はすぐに理解した。国を守りたいという思いが強すぎるがために、重苦しい悩みを抱えてしまったのだろう。

 さらに、彼は続けた。


「それだけじゃありません。自分の守ってる国が、今後どのような道を歩むかわかりませんが、どうなるにせよ、僕は、国や、国民と命を共にせねばなりません。その国民や国が、今後しっかりいい方向に進んでくれるのか……」

「将来の日本、ですか」

「できればいい方向に進んでいってほしい。ですが、それが今の日本で担保されているとは、正直言い難いのも事実です。自分みたいな自衛官が守っていく、良くも悪くも国や国民が、本当にこのままでいいのかと……」


 一幹部自衛官らしいとは思うが、そこにここまで熱心に思いを馳せる人ももしかしたら珍しいかもしれない……。羽浦はそう考えつつ、ショコラの最後の一切れを口に入れた。


 自分の守る国と、その国、国民の現状……。守るべきものがこれでいいのかと、神野は言いたいのだろう。

 羽浦は内心で悟った。悩んでいるのだ。このままでいいのかと。神野の視線が、残業の光でできているであろう東京の夜景に向かっていることが、何よりそれを物語っていた。

 正直、そこは政治家なり将官なりが考えることではあろうと思うが、それでも、彼みたいな人間にとっては、非常に重大な問題なのかもしれない。しかも、幹部とはいえ、一個人ができることはあまりにも少ない。自らの初期の思いと、現実でできることや、現状とのギャップ。自らが率先して守らねばならないという職務の精神と、その守るべき国の実態という事実が、乖離した状態。

 これらの板挟みは、神野に大きなストレスを与えているのだ。


「……強い愛国心だ」


 羽浦は、そんな悩みをこう表現した。呟くように零したその言葉を、神野の耳はしっかり拾っていた。


「愛国心、ですか……。確かに、一言でいえばそうでしょうね」

「国を守る上では、多かれ少なかれ必要なものでしょうね。人によっては、愛国じゃなくて、愛人やら、

愛金やらになるかもしれませんが」


 自衛官とていっぱいいる。神野のような人もいれば、単に愛人を守りたいという人もいるし、金稼ぎついでに給料がいい自衛隊に入っただけの人だっている。羽浦の知り合いの何人かは、「仕事先探すのめんどくさいから」と言って、比較的入りやすい自衛隊に入っていた。そんな人もいる。

 羽浦も、そこまで深く考えて自衛隊に入ったわけではなかった。ただ、仮にも自衛隊に入っている以上、元々にわかのミリオタでもあったこともあり、そういった職務精神について、考えたことがないわけではない。


「貴方にとって、愛国心ってなんですか」

「俺?」


 唐突に、神野は言ってきた。

 愛国心の定義。日本国内においては、極端なものを含め、非常に多種多様な議論を呼ぶこの概念。右翼から左翼まで、保守から革新まで。政治思想やらなんやらに関わらず、本当に多種多様な見解をもたらすこの概念だが、いざ定義を聞かれると、はっきりと自分なりの答えを出せる日本人は、思ったより少ない。

 羽浦の言うように、国を守る職務に携わる以上、多かれ少なかれ持っていて損はない精神であるが、これもまた、自衛官の中でも満場一致の概念というわけではない。

 神野の悩みの根源でもあるこの概念を、羽浦はどう捉えているのか。羽浦は、それを聞いてきた神野の意図を察する前に、自分なりの考えを述べることにした。半分くらい残っているリンゴジュースを、氷ごとストローでかき混ぜつつ、静かに答えた。


「……細かいことは考えませんよ。文字通りです」

「文字通り?」


 羽浦にとって、愛国心とは至極単純なものだった。


「いろいろな考えがあるでしょうが、俺はそのまんまの意味で考えてます。俺はこの国が大好きですよ。単純に。生まれ故郷が好きってだけです。そういう気持ちさえあれば、もうそれで別にいいんではないかと」

「それが……貴方にとっての、愛国心」


 妙に呆気ない回答だったのであろう。神野の顔は少し呆けていた。


「遼さんにとってはもっと深く難しいものかもしれませんが、俺はそこまで考える頭がないもので……。なので、文字通りで解釈してます。国を愛する心。国が好きであるならば、理由は問わず、それは広義の愛国心ととらえて良いと思います」

「それさえあれば、愛国心であると」

「ええ。ただまあ、これが絶対唯一だとはもちろんいきませんよ。ただでさえこんな抽象的な概念は、非常に多くの解釈を産み出します。三島由紀夫氏みたいな人だって産み出す一方、教育方針も理由にあるだろうとはいえ、愛国心とは何なのかを、自分なりに答えることができない日本人は膨大な数に登るでしょう。絶対唯一の定義は出しにくい概念です。なので俺は、自由に解釈して、自由な定義を採用して使っていきます。俺にとっての愛国心は、文字通りかつそのままの単純な意味です」


 羽浦は、夜景に視線を送りながら、流すようにそうすらすらと述べた。

 自衛官になって以降、羽浦も愛国心についてはある程度調べていた。どういったものがそうであるのか、明確な定義はあるのか、どういった見方があるのか……。周りの自衛官にも、度々聞くこともあった。

 だが、あまりに多種多様で、中々整理が付かないというのが、彼の第一印象だった。否定的なものから肯定的なものまで。極端な意見も含め、実に多種多様な解釈があり、細かい定義を考えようとするのは無理があると、すぐに悟ったのである。辞書で出てきた定義など意味がない。それらは大抵、様々な解釈を生み出す土台にしかならないのであり、ほとんど参考にはならないのだ。


 ……しかし、一つだけ、羽浦はある共通点は見つけた。これだけは、どの意見にも、全てではないかもしれないが、大抵はつながることであった。


 それが、“皆、この国を思ってのその考えなのだ”ということである。


 この国を滅ぼそうとして、愛国心を述べているというわけではない。この日本という国が好きであるか、もしくは、もっとよくなってほしいと思うからこそ、そうした定義を自分たちでつけるのであり、基本的にはそれが根底にあるのだ。“彼女の言った通りだ”と、羽浦は確信したのである。

 なら、自分も深く考えず、この根底にある基本に忠実になろうとした。羽浦は、そうした結論を出して以降、これをずっと守っている。


「深く考えすぎたら余計答えはでませんよ。そうした概念って、別に単純なものでいいと思います。職務の精神的な支えが、あまりに複雑じゃ疲れますからね」

「なるほど……」


 半ば感心したように頷いた神野は、少し考えて、


「……咲ちゃんは、なんてこたえるんでしょうかね」


 そんなことを聞いてきた。当の本人は、ようやっとドリンクバーの目の前まで来ていた。イライラは最高潮に達する数秒前のようだと、羽浦は彼女の表情から大体察した。


「あれ、聞いたことないんですか?」

「難しい話ではあるので、正直聞きにくくて」

「あー……」


 彼氏であろうとも聞きにくいことではあるのか。尤も、当の羽浦も聞いたことはなかったのだが。


「でもまあ、たぶん俺と同じ感じだと思いますよ」

「そうなんですか?」

「ええ。今いった話は、あいつの受け売りみたいなところありますから。あと、こうして自衛官目指したのも、アイツに半ばついていく形でしたし」

「え、最初は違ったんですか?」


 目を見開いて驚いたような表情を見せる神野。それを見た羽浦は、「あ、そういえばまだ話してなかったな」と思いつつ、ちょうどいいということで、軽く昔話を始めた。


「元々は、造船業にいこうとしてたんですよ。大手の」

「造船業ですか……意外ですね」

「両親が、大手造船会社に勤めてるんです。OMUってわかります?」

「あー、護衛艦造船受注で大手の」


 OMUは、かつての大手造船企業二社が合併してできた巨大造船企業である。小型船舶から大型艦船まで、実に多様な艦艇の建造を担っており、日本造船界トップを突っ走る。防衛産業にも深く手を入れた企業であり、防衛省は自分らにとっての大口顧客であった。

 羽浦の両親は、そこの経営幹部だったのである。


「親の影響もあって、俺もそっちに行こうとしたんですが、高校の時、進路の話題でアイツは自衛隊にいくといいだして。それもパイロットです。戦闘機パイロット」

「確か、年代的にはちょうど戦闘機パイロットの女性解禁がされたばかりだったような」

「ええ。ですんで、それに乗っかる形で」


 元々、航空自衛隊は女性の戦闘機パイロットを採用していなかった。母体保護やら、被撃墜後の敵地での捕虜としての扱い等々、様々な理由があった。しかし、数年前にその制約を取り払った。ちょうど就職や進学の時期と重なった蒼波は、すぐにこれに名乗り出たのだ。

 しかし、羽浦は「でも……」と前置きし、


「それ聞いたときは「さすがにお前には無理だろ」と思ってまして」

「どうして?」

「アイツ、親が自衛官だったこともあって、自衛隊自体にはいきたかったらしいですが、体力とかが微妙で。パイロットは嫌っていうほど疲れる職業でしょ?」

「毎回汗だくですよ」


 苦笑を浮かべながら神野は答えた。毎回Gやらなんやらのせいで無駄に体力を使う職業である。ヘルメットをとるとすぐにパイロットは手で額や髪の汗を拭うのは、もはや日常茶飯事であった。


「だと思います。正直、そんな職場に女性は辛いだろうし、よほどの精神力とかがないとやってけないだろうと。それこそ、所謂愛国心みたいな土台でもないと」

「ふむ……」


 その時まで、羽浦は彼女にとっての愛国心を聞いたことがなかった。しかし、その時になって、初めて聞いたのである。それは、先ほど羽浦が言ったものと、ほぼ似たようなものであった。


「釈迦に説法かもしれませんが、アイツは細かいことや難しいことを考えるのが苦手なやつですからね。自分なりに解釈して、自分なりに納得する形で持ってたんです。その時すでに。自衛官が持つべき精神を、余り曲解しすぎない程度に、自分なりに解釈して」

「それに、貴方は共感したと」

「まあ……」


 羽浦は控えめに頷いて返して、さらに、


「それを聞いた後に、アイツは言ってきたんですよ。「細かいことは抜きで良い。単純に、私の好きな、人たちや故郷を守りたい。それだけ。私には、それだけで十分でしょう」、って」


 深く考えることが苦手な蒼波なりに出した、自分だけの答えであった。自衛官になって以降もそれは変わっていない。羽浦も、愛国心の定義を先のように調べても、結局はこの結論に戻ってきた。彼女の言っていたことは、あながち間違いでもないのだと、羽浦は考えたのだ。

 神野も、自らの彼女の、思ったより深い理屈に、感心したように頷いていた。


「咲ちゃんらしいですね」

「全くです。それを聞いた瞬間、俺も実践してみたくなったんですよ。好きな人たちや故郷を守りたいという気持ちだけで、どこまでやれるのかを」

「それで、貴方も自衛官に」

「今まで親や進路の先生に言い続けてきた進路先を、思いっきり変える形でね。アイツもいってましたが、自分の手で、どこまで守れるか。 お互いに、自分なりの形でやってみたくなりまして」

「限界を見てみたい、的な?」

「というよりは、やってみたい、的な。国を守ってるということを、一番直感的に感じ取れる場所と言えば、間違いなく自衛隊ですからね」


 羽浦は、視線の先を、夜景からその上の夜空へと向けた。今日は満天の星空のはずであるが、地上は明るいため、星があまり見えない。店内も明るいうえ、ガラスに反射するので見えにくい。

 しかし、自らのいる場所は、間違いなくあそこなのだ。あそこで、自分の国を守る気持ちを実践しつつ、どこまでやれるかを試してみたくなった。


 志は同じ。そうして、羽浦と蒼波は、同時に自衛隊の門を叩いた。そんな経緯があったのだ。


 一通りの昔を終えた羽浦は、リンゴジュースを一気に飲み干した。もう腹も満杯であるため、今日はこれで終わり。「ごちそうさまでした」の一言の後、手拭いで手を吹きながら、目を細めて感慨深さを感じつつ、羽浦は言った。


「今では、俺は管制官としてAWACSに乗り込むに至りましたし、アイツはまだ指で数える程度しかいない女性ファイターの中ではトップレベルの成績を誇り、将来のトップガン候補生みたいな立場になりましたし、同じくトップガン候補生な貴方にも出会えた。最高じゃないですか」

「いや、そんな……」


 手を軽く前に出して否定しようとする神野に、小さなニヤケ面を浮かべながら、羽浦はその言葉を遮るように言った。


「謙遜する必要はないでしょう。傍からみても、お二人は理想的なカップルです。この世の中、理想的な男女が出会う確率なんて絶望的に低いんです。約60億人強といる人類のなかで、相性の良い男女が出会うだけでも限りなく低いのに、それでも、時として長続きしない関係もあります。だから、別れ話なんて出てくるし、離婚などという制度もできている。……でも、これらは貴方方には似合わないものです」

「そこまでですか」

「何度も言ってるじゃないですか。貴方方は考えうる限りの理想的なカップルだと。よくまあ出会えたものだと、感心しますよ。昔からの幼馴染みがこうして幸せにしているのを見ることは、俺にとっても最上級の幸福です」


 実際、二人の時間は幸せそのものである。時たま二人が一緒にいる光景を目にするたびに、いつもの仲睦まじい時間が二人の間には流れていた。間違いなく、世の男女が羨み、少子化対策に頭を悩ませて男女の婚約を勧める政府が、「これを目指してください」と言って見本に挙げそうなぐらい、絵にかいたような仲良しカップルであった。

 初恋の成就は叶わなかったが、しかし、蒼波があそこまで幸せそうなら、もうそれでもよかろう。こんな“奇跡”を逃してはならない。絶対に二人は結ばれるべきだ。そうした考えは、羽浦の中でガッチリ固まっていた。


「愛国心も結構ですが、それが難しいならもっと簡単な理由でもいいと思いますよ。咲を守りたいとか、そういうのでも俺はいいかと」

「彼女を、ですか」

「ちょうど同じイーグルドライバーです。姫君を守る騎士とかかっこいいじゃないすか」

「そして、貴方はそれを上から導き、見守ると」

「そういうわけです。なに、二人は死なせませんよ。空から丸見えですからね」


 そういって羽浦は得意げに口元を吊り上げながら笑った。それを見る神野も、どこか優しげな笑みを浮かべて小さく頷いていた。


 二人の行く末を見守ることができる立場に、ちょっとした“優越感”を感じつつも、やはり気に入っている今の職業。羽浦も、今の職が自身の性にあっていると考えていた。そして、今の自分の立場にもピッタリだと。


 自分こそが導く者である。この二人の更なる幸せを導き、見守るのは、自分なのだ。そう羽浦は自負していた。


「……そういや、その姫君さん遅いですね」


 一通り話を終えたとき、神野は思い出したように言った。そういえば、そこそこ時間が経つが、蒼波はまだ戻ってこない。思ったより列が長かったのだろうか。


「そういやまだ来ませんね。どこにいt――」


 そういって羽浦がドリンクバーの列を見ようとした時である。


「いやー、お待たせお待たせ」

「お?」


 ドリンクバーのある方向から聞こえてきたのは、蒼波の声であった。ようやく戻ってきたかと、二人が彼女のほうを見た――


「「…………、え?」」


 ――が、すぐに固まった。開いた口をふさぐことができず、自らの目の異常を疑いながら、一直線にその視線を一点に向けていた。神野に至っては、今まさに食べようとしてフォークで掬ったチーズケーキの一片を「ボトッ」と皿に落としてしまっていたが、彼女はそれに気づかず呑気な声を上げる。


「いやぁ、ごめんごめん。あンのクソババァの団体客共がどのジュースにするかいつまでたっても決めなくてさー、そんなんテーブルにいるときにさっさと決めて来いやクソ老婆共って話なんだけどね? たぶんあれ中国人団体客だよぉ、流暢な中国語話してたもの。爆買い爆食いはいいんだけどさ、日本に来るならマナーの一つや二つぐらい……、あれ?」


 長々とした愚痴を早口で述べつつテーブルの前まで来ると、ようやく蒼波は男性陣二人の異変に気付いた。石像のように固まっている二人を見て、蒼波は「?」と首をかしげる。


「どしたの二人とも。時間でも止まっちゃった?」

「止まるかい。いや、それよりだな……」


 羽浦は、若干震えながら、その指を……


「お前、それはなんだ」

「え、これ?」



「アイス抹茶ラテとアイスココアとアイスアールグレイティだけど?」

「お前まだそんなに腹に入れるのかよ!?」



 3杯それぞれに注がれた各種のドリンクである。しかも、全部アイスだし、サイズも妙に大きい。神野が震える口を強引に動かして聞いた。


「さ、咲ちゃん、それ、もしかして……、大きいやつラージサイズ?」

「うん、ラージサイズ」

「お前馬鹿じゃねえのか」


 ついに本音が漏れた羽浦であった。しかもズバッと、日本刀で一刀両断するかのように、はっきりと。

 パスタと、ドリアと、ピザとを平らげ、食後のデザートにケーキ二つとアイス抹茶ラテ二つ(レギュラーサイズ)を胃に流し込んだ後に、これである。腹を壊すなんて話では済まない。最悪病気になる。お前は戦闘機パイロットじゃなかったのか。健康管理は厳しいはずじゃなかったのか。同じ戦闘機パイロットである神野も、体調管理のために注文するときはちゃんとバランスを考えて食べる量と種類を選んでいるというのに。

 しかし、彼女はどうも納得がいかないらしく、頬を小さく膨らませながら不満を垂れた。


「馬鹿とは失礼な馬鹿とは。これでも押えてるんだからね?」

「嘘つけドアホォ! これのどれに抑えた要素あるんじゃ!」


 羽浦は全力でツッコまざるを得なかった。どう考えても常人には食べきれない量を、彼女は一人で平らげている時点で、まず押えてはいない。いや、彼女にとっては押えているのかもしれないが、押えたと豪語できる量ではない。

 そんな、腹のキャパは“通常”である羽浦にとって、彼女の言い分は到底理解しがたい。いや、してはならないような気すらした。


「違うのよ、本当はあと5杯ぐらいアイスコーヒー一気飲みしたかったんだけどね? 炭酸でしょあれ? 私だって太りたくないのよ」

「少し前に自分太らないし的なこと言ってたじゃねえか!」

「炭酸5杯も飲んだらさすがに太るでしょ」

「今この時点でも十分太るわ!」

「その前に病気になるんじゃ……」


 しかし、そんな神野からの心配をものともせず、蒼波は最終的にすべてを飲み干した。男性陣二人が「嘘だろ……」と唖然としてしまったのは言うまでもない。ここまでして、やっと彼女の腹は満たされたようであった。


「(……相変わらず、大食いだなぁコイツ……)」


 昔からそうではあったが、久し振りに見るとやはり唖然とする。パイロットなんかやらずに、大食い芸人の道を歩んでいた世界線もたぶんどこかにあるんだろうなと、羽浦は密かに想像していた。




 ――そんなこんなで、東京観光旅行は無事終了した。あと、心配されていた食後のトイレの件であるが、ホテルで用は足したにせよ、別に腹を壊したわけではなかったらしい。一体彼女の消化器官はどうなっているのだ。他の男性陣二人の脳内はその答え探しで躍起になってしまい、真面に寝ることもできなかった。


 翌日の午前中には、東京駅でお別れである。移動に時間がかかるので、午後まで東京にいられないのだ。お互い、別々の行き先の新幹線に乗って帰るが、蒼波と神野の乗る金沢行きが先に出発するため、羽浦はホームで見送ることにした。


「今回はお世話になりました。またどこかで」

「ええ、どこかで」


 神野の礼儀正しき別れの言葉に、羽浦も丁寧に答える一方で、


「じゃ、またどっかで」

「おう、どっかでな」


 蒼波に対しては、何時ものラフな感じで。彼女と別れるときはいつもこれである。

 新幹線車両に乗った後も手を振っていた二人に、笑顔で手を振り返す羽浦。発車後も、見えなくなるまでお互いに手を振りつつ、蒼波が帽子もないのに挙手の敬礼をしてきたのに、同じく帽子はないが挙手の敬礼で返していた。


 金沢行きの新幹線が去ったホームでは、同じように見送りをしていた人たちがその場を去り始める。

 もう、暫くは二人に会うことはない……。正直、寂しさがないわけではないが、なに、何れ会うこともあるだろう。いつかテレビ電話とかでもしてやろうか。そう考える羽浦の視線は、新幹線が走り去った先の方に向いていた。


「……俺も行くか」


 新幹線の時間が迫っている。別にこの電車に乗らなくても、次の分も、その次の分もあるので余裕があるのだが、帰るなら早めに帰ってゆっくりしたいのが本音。足を階段の方へと進め、自分の乗る新幹線へと向かった。




 ――楽しい4日間だった。次がいつになるかはわからないが、こういう日もたまにはいい。


 新幹線の車内から外を眺めつつ、そんな気分に浸っていた羽浦。空はまだ明るい青空だが、帰る頃には日も少しは傾いているだろう。


 ……車内は静かだ。何事もない、何にも起きない時間。退屈と言われればそれまでだが、羽浦はそんな時間が好きだった。


「(平和だなぁ……)」


 誰に向けるまでも無い声を、心の中で呟く。


 自衛官という立場ではあるが、何事もなく、静かであるのが一番なのだ。この平和な日々は、いつまでも続くことを祈ってやろう。


 羽浦はふと、そんなことを頭に浮かべていた――






 ――暫くして、あんなことが起きるとも知らずに――

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ