8-8
≫17:45 静岡県 浜松基地≪
静岡は夕方になっても濁った灰色の曇天模様だった。厚い雲は空を覆い、太陽の光を早々に遮断してしまう。その灰色空に混ざって降りてきたE-767も、見てくれだけはいつも通りを装っていた。
――その機内だけは、何時までも喧々諤々としていたが。
「――それで、実際に聞いたのは間違いないのだな?」
深刻なほど暗い表情を浮かべた一人の将校の向けた、釣り目気味の厳しく鋭い目線は、羽浦の額を汗だくにして硬直させるには十分だった。
無事に、護衛艦隊が佐世保方面に向かい、蒼波たちも那覇基地に降り立ったことを確認しながら帰還しが、嬉しさはほとんどない。動揺を隠し切れない乗員たちが機を降りていく中、未だに空の上で体験した衝撃を忘れることができず呆然としていた羽浦は、降りた先で重本とともに会議室に呼ばれた。
神野の件は、既に浜松基地にも伝えられていた。もう横須賀のJTF司令部や防衛省、さらには首相官邸にも連絡が行ったとされているが、改めて事情を聞くべく、当事者を召喚させたというわけである。本来ならばミッションコマンダーたる重本が説明すれば十分であったが、事が事である上、しかも、彼のことを知っている乗員がいるというのであれば、その本人からも直接話を聞くのが一番であるというのが、基地首脳部の判断だった。
そのため、羽浦はただの尉官でありながら、浜松基地司令をはじめ、基地に所在する各部隊首脳陣が集まる会議室に重本と共に呼び出され、そして、質問攻めにも等しい“事情聴取”を受ける羽目になったわけである。この基地の指揮統制を司る錚々たる面々を前にして、羽浦は直立不動のまま汗水たらして小さく震えていた。
「は、はい! 若干のノイズが混じっておりましたが、声、口調ともに彼のもので間違いないと考えますッ」
「で、状況証拠でしかないが、彼がJ-20に乗っていたことはほぼ間違いないと?」
「はいッ。交戦したF-15パイロットの操縦の特徴を無線で語っており、実際にその目で見ることができるのはJ-20パイロットのみですッ」
「そして、彼はこの戦争の初日に、ミサイルで撃たれてMIAという名の事実上の殉職扱いと。記録はあるのか?」
「当日の管制、及び交信履歴に電子、紙媒体共に記載がありますッ」
「その日のうちに、本省より通達された訓令に基づき、私が作成しました。個別のボイスレコーダーデータも添付しております」
横から重本が補足で説明すると、その将官は眉間を押さえて深く落胆したようなため息をついた。「もうよい、座れ」と呟くように促されると、羽浦は軽くカクつきながらパイプ椅子にドスッと座った。
「……少し落ち着け。固まりすぎだぞ」
「す、すいません……」
呆れたように苦笑しながら、他には見えないように足を拳でつついて緊張をほぐさせる。背もたれに少しだけ背をつけると、妙に湿った感覚を覚える。全身汗だらけ、というのは比喩ではなかった。
その一方、集まった将官たちはそんな二人を無視して深刻そうな顔を浮かべていた。当然であろう。他の部隊とはいえ、同じ自衛隊から敵に寝返っていた人物が現れたのだ。その気持ちは、羽浦も共有するところである。
「敵方に合流していたばかりか、あろう事か最新鋭機に乗り込んでいたとは……」
先ほどまで羽浦に質問攻めをしていた『谷濱』警戒航空団司令は、小さく首を振りながらそう言った。続くように、不満げな顔を浮かべた『今伊』統幕連絡官が愚痴混じりに漏らす。
「面倒なことを起こしてくれたものだ。ただでさえこんな忙しいときに、離反などとは」
「J-20の件で市ヶ谷は大慌てだというのに、余計な仕事を増やしおって」
「今頃那覇は大騒ぎだぞ。まともに作戦を進められるのか?」
「進めてもらわねばならん。もう時間がないのだ」
「一体どこの誰だ、あんな男を自衛隊に入れたのは……」
幹部らの口から次々と出てくる不満の声。仕事が増える面倒を嫌う声もあれば、単純に、神野に向けられた憎悪による悪口もあった。敵に寝返ったのは事実であるため仕方がないとはいえ、親しい人がこうも問答無用で憎たらしく言われまくるのは、羽浦には耐え難いものがある。ひざの上に乗せた拳が、小さく震えていた。
「(……なんで、ここまで言われなきゃならねんだ……)」
だが、当然それを口にすることはしない。立場上はもちろん、不満そのものは、間違っているとはいえないのだ。もうすぐ奪還作戦に入ろうという大事な時期に、とんでもない爆弾を放り投げてきたのは事実なのである。
軽い不満暴露大会になりかけたところを、一言冷静に待ったをかける男が一人いた。
「もうよい、諸君。ここで愚痴を吐いても始まらない。既に起きたことは覆らんのだ」
羽浦と重本の真正面に対面し、一人だけ少し金がかかっていそうな大きな椅子に座っているダンディなおっさん。第1航空団司令にして浜松基地司令『岩城』空将補である。だが、その顔はやはり厳しいものだ。彼に関する情報は、既に関係各所に出回っている。官邸からは、一つの方針も打ち出されていた。幾ら敵に寝返ったとはいえ、少々気が引けるものでもあった。今はまだ、言葉にはしないが。
「理由はさておいても……、神野といったか? 彼が極東革命軍の側についたのが事実であるならば、事は単純に収まらない。官邸も政治問題化を恐れている」
「既に、那覇には市ヶ谷からの調査官が現地入りしたとの情報もあります。できる限りの情報をもってこいとのお達しも」
今伊の言葉に、岩城も喉を唸らせた。動きが素早い。こういうときは腰は軽いなと、羽浦は心の中で呟いた。絶対に口にはしないが。
「一先ずは情報だ。佐波人事部長、彼のプロファイルは?」
岩城に指名された『佐波』第1航空団司令部人事部長は、手元にあるファイルを捲りながらその中身をすらすらと述べ始める。手元にあったのは、第1航空団の人事ファイルから持ってきた、神野に関するデータプロファイルである。
「神野遼河。27歳。階級は2等空尉。第72期航空学生。その後は各教育課程をほぼ最短時間でパスし、去年から一人の女性パイロットと共に、第309飛行隊に配属されています。教育隊時代の優秀な成績は歴代でもトップクラス、操縦センスも天才的だったと、当時の教官たちの評価記録があります。別名、『航学72期の雷神』と」
雷神――いつの間にそんな二つ名で呼ばれていたんだ。羽浦は初耳の情報に思わず耳を傾けてしまう。一人の女性パイロット、というのは間違いなく蒼波のことであろう。同期の中で309に行ったのは、この二人だけだったらしい。
「初っ端から熟練揃いの『鷹組』に配属か。よほど優秀だったんだろうな?」
「実際、先ほども申し上げたように優秀なパイロットだったようです。72期の中では、技能、筆績共にダントツで優秀だったパイロットトップ2を構成していました」
トップ“2”? 滅茶苦茶優秀だったパイロットが二人もいたのか。教官をして「天才的だった」と言わしめるパイロットの片割れって一体どこに――。
「もう一人は?」
「309に行った女性パイロットです」
――え? マジで?
「元々、この雷神というのは風神雷神の片方を言った言葉で、もう一人の女性パイロットのほうは『風神』と呼ばれたそうです」
「(えッ、マジで!?)」
これまた初耳だった。あの二人、確かにコンビで309に行ったとは聞いていたが、揃って二つ名をつけられていたのか。蒼波の口からは風神のふの字すら出てきてなかったのに。「そうなの?」と横から小声で重本に聞かれても「さぁ……?」と首を傾げるしかなかった。
さらに、プロファイルの紹介は続く。勤務態度は良好、いじめ等の問題行動をした形跡はなく、むしろ先輩からのいびりを受けていた同期学生を助け、その先輩の行動を上官に訴えるなどの生真面目な人間であった。また、件の女性パイロットとは特に優良な関係であった模様だとも。まあ、これに関しては「そらそうだろうな」と納得するところ。あの二人見てれば誰だってそんな結論にたどり着く。
第309飛行隊に配属になってからも特に目立った問題行動はない。そして、彼の出生を見てみても……。
「――身寄り、ないですね」
「ない?」
「親がいないのか?」
と、谷濱から目線で「どうなんだ?」といわれた羽浦。いきなり質問されたことに少し肩を強張らせつつも、「言って大丈夫なのかこれ」と思いつつ答えた。
「あぁ、はい。幼少期に両親を亡くしたようで、祖父母が親代わりとなっています。しかし、その祖父母も神野二尉が小学5年生の時に病気で亡くし、以後は児童養護施設に預けられました。兄弟もいなかったので、完全に独り身です」
「航学入隊時のデータでは、経済的理由による高認を受けて入ったとありますが、理由もそれで?」
「はい。施設の都合で、中学卒業後は独り立ちを強いられたため、飲食店でアルバイトをして資金調達をしながら受験可能年齢に達するまで待ったそうです」
「ですが18歳の時に受験をした記録がありません。20歳で初めて受験をしています」
えぇ、そこも言うのか……。本人から聞かされた事でもあるので知ってはいるのだが、口にするのが少々憚られるぐらい胸糞悪い話でもあった。しかし、メガネの位置を直して向けられる佐波の矢のような目線には勝てず、一先ず大人しく言うことにした。
「えっと……アルバイト先が、えー、世間で言うところの『ブラックバイト』というものだったようでして、人手が足りないからと、「退職しようとしたら給料を出さない」と脅して受験をさせてもらえなかったそうです。受験資金が集まった時にほぼ逃げるように退職してやっと受験にこぎつけたと、本人から聞いています」
「こりゃあひどい……」
『増之』警戒航空団副司令は、同情するような哀れみの表情を浮かべた。しかし、その横から妙に納得したような表情を浮かべたのが、谷濱である。持っていたボールペンをもって空を指しながら、半ば断言するように言った。
「だが、これで大体読めたな。大方、幼少期から散々な目に会い、そして施設やブラックバイトを通じてこの国の現実に絶望した人間が、あえて自衛官になってこの計画に参加した、というところだろう。よくいる勘違いしたバカ野郎だ」
ば、バカ野郎って……。少しだけ羽浦の口が引きつってしまい、気がつけば、相手が一佐であることを無視して口を挟んでしまう。
「し、しかし――」
「ん? なんだね?」
「お、お言葉ですが、彼は普段から国防に対し真剣に向き合う模範的な人間でした。数ヶ月前にあった時も、国を守ることについて自分なりの考えを持って相談を持ちかけてきたほどで、このような行動に走るようには思えません。きっと別の理由があって――」
「あのねぇ君、“犯罪者”っていうのは表には本性を出さないもんなんだよ。わかるかね?」
は、犯罪者……。バカ野郎に続き、犯罪者とも言ってのけた谷濱に、羽浦は再び言葉を失う。さらに、谷濱は呆れ顔で諭すように行った。
「テレビとかでよくあるだろ。凶悪犯罪をした犯人について親しい近隣住民に取材したら、誰もが「そういうことをするようには見えなかった」と口を揃えて困惑する光景は。何年前だったっけか? 愛知の松山市中心街を1時間も車で暴走して逮捕されたアホがいただろう? あの犯人だって、普段は大人しくて真面目だったって近所の人がテレビで言ってたしな」
「それ、母親後ろに乗せてた奴ですよね。結局は精神的に不安定になったみたいなオチでしたっけ?」
「あぁ、それだそれだ。結局人間っていうのは、普段の温厚な面とは別に、凶悪な面も持っているもんだ。今まで君が見たのは、彼の中にある複数の側面のうち、至って穏やかな一側面に過ぎないというわけだよ。人事評価でも、どうやらそっちのほうが目立っていたらしいがね」
得意げにそう話す谷濱に、羽浦はなんとも返すことができなかった。確かに、人間は複数の側面を持っていて、表に出ている性格がその人のすべてを物語っているというわけではないだろう。誰にだって別の顔がある。だが、あの神野の紳士的な側面は、ただの表面的な“建前”に過ぎなかったというのか? あれは、人から良く見られるための“演技”でしかなかったというのか? 理屈の上では説明できても、それでも納得しきれないような、もやもやとした心持ちを抱いてしまっていた。
しかし、そんな羽浦の内心事情などどこ吹く風。彼らの議論はさらに過熱の一途をたどる。
「大体、施設側の事情で独り立ちを迫られたとはいえ、違法労働について何ら相談をしたわけでもなく、ほぼ3年間ずっと大人しくバイトしてたのも妙な話だ。最近じゃ、養護施設も世間で騒ぎになるほど劣悪な施設に成り下がっているものも多いと聞く。そういう施設に入った結果、後ろ盾を失ったのだろう」
「友人がどれほどいたかもわからんが、施設出身となると友人関係を作ってる余裕もなさそうだしな」
「唯一の頼りの施設が使えないんじゃ孤立無援ですね。兄弟もいないらしいですから」
「親戚ぐらいはいただろう。どうしたんだ?」
「いたにはいたんだと思いますよ。ただ、劇的な改善を促すほどではなかったようですね」
「まともに使えなかったってことか?」
「それで日本に絶望しきった時に、何らかの形で極東革命軍と接触したわけか? 迷惑な話だ」
「ったく、“そんなことで”こっちを巻き込むなって話だ。それに――」
――羽浦の正面10センチぐらいから先が、徐々に薄暗くなり、遠くに行ってしまうような感覚を覚えた。すぐ近くにいるのに、どこか全くもって別の世界の話をしているように思えた。彼らのこの事件に対する視点が、完全に“他人事”なのだ。それ故に、侮辱とも取れる言葉も簡単にボロボロと出てくる。羽浦自身にとっては、親しい人間の犯した一大事件なのに……。
「(……なんだ、こいつら……)」
確かに、彼らが何かしたわけではないし、はっきり言って被害者の部類だ。だが、自分の身内から出たさびに対して、ここまでの仕打ちを堂々と、しかも、その友人を前にして何の躊躇もなく実行していることに、羽浦は怒りを通り越して、呆然としていた。これはマズイと思ったのか、重本が議論に横入りする。
「お、お待ちください! 今は推測の段階を出ないため、断定的な議論は――」
だが、彼がそれを言い切る前に、佐波が何かに気づいたようにファイルを数枚捲りながら言った。
「そういえば、この女性パイロット……蒼波咲三尉と言いますが、先ほども話したように、二人は親しい関係にあるようですが、羽浦三尉は彼女について何か知っていますか?」
再び、佐波の目線が羽浦に向けられる。呆然としていて羽浦は、さらに弓矢で指されて身動きが取れない動物の如く固まってしまう。言葉に詰まった。蒼波とは小学校以来の幼馴染であることは、もはや重本ですら知っている事実。それもあってか、隣にいた重本も「げェ……ッ」と顔を強張らせていた。
「え、えっと……知っているというか……」
「知っているのだな?」
「え……ッ」
「知っているんだな? 何かあるなら話したまえ。彼女とも知り合いなのかね?」
佐波の隣にいた今伊の目からは、「さっさと言え」という高圧的な雰囲気が醸し出されていた。このまま黙っていては何を言われるかわからないと諦めた羽浦は、やはり大人しく告白することにした。
「えっと、蒼波三尉とは、小学校からの付き合いで……」
「なんだ、やっぱり知り合いなのか?」
「知り合い、といいますか、互いには幼馴染と自覚しておりまして……」
「じゃあちょうどいいじゃないか。何か知ってるだろう? 彼とその蒼波三尉は、ただの親しい友人関係なのか?」
そ、そこも言うのか!? さすがに恋人同士です、なんてことを本人の許可も得ず暴露して大丈夫なのか……?
「……ただの関係ではないんだな?」
それでも、この高圧的過ぎる今伊の目線に勝つことはできなかった。一言、心の中で蒼波に謝罪しておくと、あの二人は恋人同士であることを明かした。
「……二人は、付き合っています」
「付き合ってる?」
「恋人同士なのかッ? いつからだ?」
「さ、3年ほど前からだと聞いています。結婚とかはしてないみたいですが……」
今から3年前の年代と二人の在籍時期とを瞬時に照合する佐波。二人は恋人同士だった、というのは少なくない衝撃だったようで、室内が少しだけザワついた。親しいだけではなく、将来を共にするべく互いの時間を高度に共有する関係にあったとは。いい歳したおっさんたちが20歳中頃の女性の恋愛事情に狼狽する光景というのも、こうしてみると少々笑いを誘うものであるが、羽浦の内心は複雑である。
「3年も付き合って結婚してないのか? 割と長いな」
「うちの娘なんて1年と経たずにさっさと結婚したというのに」
「だが、相当長い年月だ。繋がりは結構強いはずだな――」
そりゃぁ、繋がりは強いのは当然だろう。俺だって何回も結婚を勧めたぐらいだからな。羽浦はそうツッコミを入れながら、果てさてこれどう本人に説明してやろうかと考えていた。だが、その後に飛んできた谷濱の一言は、暢気にそんなことを考えていた羽浦の思考を完全に硬直させた。
「――てことはあれだな。そいつも“グル”の可能性はあるよな?」




