8-3
――最初の一報は、護衛艦『しらぬい』から、海上作戦センター、南西SOCを通じて入ってきた。昨日の戦闘により一旦佐世保に帰って弾薬等を補給し、また東シナ海に帰ってきたばかりの彼らの元に、国際緊急周波数に無線が入ってきたのだ。
「本艦、フリゲート『慶陽』は、日本軍に投降する」
――昨日の今日である。一度ならず二度までも。無線を聞いた全員が、「そんなバカな!?」と耳を疑ったのはしょうがないことである。かの組織の足元が、徐々に崩れてきていることを何より示唆する事態を、今目の前にしているのだと、誰もが感じ取った。
当然、罠の可能性は考慮した。向こうは白旗を掲げることを約束してはいたが、元よりルール無用の戦闘ばかりしてきているので信用できない。ならばと、彼らは自身の艦に、自衛隊の人間を乗艦させることを求めた。複数人で我が方を監視する部隊を編成するならば、無条件で受け入れるというのだ。そして、彼らに危害が加わった、もしくは、連絡が取れないような事態となれば、即座に撃沈してよいというものだった。
JTF司令部はしばしの間逡巡した後、那覇基地に待機させていた、海上自衛隊の特別警備隊2個小隊総勢40名を、2機のMCH-101掃海/輸送ヘリに分乗させて派遣することを決定した。相手方の同意を得て、沖縄本島東部沖を巡航していた護衛艦『ひゅうが』から2機のMCH-101が派遣され、那覇基地で部隊を積み込み燃料を補給した後、1時間かけてフリゲート『慶陽』へと向かった。これに先立ち、近隣にいた『しらぬい』と、護衛艦『てるづき』、米駆逐艦『ジェイソン・クリフォード』が急行し、監視を行う手筈になっていた。最初に到着した『しらぬい』からは、接近してもこれといった攻撃はしてこないことが報告されており、宣言通り、マストには白旗も掲げられているらしい。
――そして、東シナ海の空を飛んでいる2機のMCH-101。視界を悪くさせている大雨に打たれながら、厚い雲の下を縦一列のトレイル隊形を組んで一直線に向かう先には、3隻の艦船の姿があった。
中央にフリゲート『慶陽』、左舷側に『しらぬい』、右舷側に『てるづき』が陣取り、斜めの梯形陣を組んでいる。MCH-101からのファストロープを受けるために一時的に停止し、ヘリ甲板に降り立ちやすいように艦の揺れを押さえている。
「AMATERASU, this is SEA-HORSE 0-1, we pass through the IP-3. Target visual I.D.(アマテラス、こちらシーホース0-1、IP-3を通過。目標を視認)」
『This is AMATERASU, roger. 現場風吹いてますんで、ホバリング気をつけてください。現在西南西の風17ノット。誤差はプラスマイナス2、3ノットで収まってます』
「了解。このまま南から直行してアプローチします」
コックピット内でかわされた内容は、後ろから飛んできている2番機にも共有され、機体は部隊の降下に備えるべくさらに海面に近づかせる。海面は濃紺色に濁っており、しかも、白波がいたるところで立っている。ワイパーはせわしなく左右に動き、真正面から無数に降りかかる雨粒を掻き分けていた。
「降下3分前!」
「よし、降下3分前だ! 全員装備を再確認! ついたらすぐにいくぞ!」
第1小隊長『遠藤』二等海尉は、機内に甲高く響くエンジン音に負けない大音声を部下に届ける。この機内にいる青黒い重武装の部下19名を率いる彼は、その額に小さな汗を浮かべていた。これから自分たちが“武装解除”のために乗り込む船舶が、当初想定していたものより遥かに高レベルなものだったからだ。
「(フリゲートか……本当に戦闘艦を制圧するとはな……)」
遠藤らが所属するSBUは、海上での特殊作戦に従事することを念頭に置いた海自唯一の特殊部隊であるが、その中にある不審船対処は、基本的には北朝鮮が使う漁船大の工作船のような、比較的小型の船舶を想定していた。訓練でならば、何度か廃棄前の旧式護衛艦を仮想敵に仕立てて、強襲制圧等の訓練を行ったことはある。だが、まさか本当に戦闘艦であるフリゲートに乗り込むことになるなど、考えはしていても、実現するとは思ってもみなかった。
小型の工作船のように、少数の乗員で運用されているわけではない。百数十人という大人数だ。それを、幾ら降伏を申し出ているとはいえたったの40人で押さえろというのだから、司令部も無茶な要求をしてくると、遠藤は内心愚痴を吐いていた。
ゆえに、その顔は険しい。緊張の度合いの高さを物語っている。
「いいか。向こうは降伏を宣言してはいるが、決して油断はするな。改めて言うが、上の連中はまだ罠の可能性を完全に排除していない。少しでも不審な動きをしたならば、こっちの判断で即座に撃ってよいとのお墨付きを得ている。万一の際は遠慮するな。躊躇ったやつから死ぬと思えッ」
改めて、遠藤はそう檄を飛ばす。その視線の先にいる部下たちの顔も、緊張が混じった硬い表情を浮かべた。そして、誰もがその自らの緊張を内心で覆い隠すように、あごに引っ掛けていた目出し帽の口元の部分を鼻先まで引っ張りあげて、顔を覆い隠す。遠藤もそれに倣うように顔を隠し、さらに、破片防御用のゴーグルも目にかける。誰もが、素肌が見える部分はゴーグル越しの目元のみという黒ずくめの容姿に変貌する。
「――よし、位置についた。あけていいぞ」
「ドアオープン!」
ヘリが所定の位置に着き、機体右側のスライド式カーゴドアを開放する。大量の雨粒を連れた冷たい強風が機内の空気をかき乱す中、遠藤は顔を覗かせ、降下ポイントを確認した。
灰色の空に浮かび上がる、もう少し薄い灰色の船体。その下に、円と四角、さらに十字を組み合わせ白線の着艦マークをその目で確認する。真上でないのを見るに、パイロットは艦尾のすぐ真上に機体を持ってきたらしい。波が荒いせいか、艦尾はゆっくりと上下に揺れている。着艦マークの少し艦尾側をめがけて、ファストロープが放り投げられた。
「甲板上、複数の人影を確認!」
一人の部下がそう叫んだ。指差した先には、ヘリ格納庫の手前、3名ほどの人が見えた。オレンジ色の救命胴衣に、青いデジタル迷彩と思しき服を着ている。おそらく乗員だ。さらに、真正面に見える格納庫の扉も開いており、その中から、さらに十数人ほどの乗員らしき人影が、こちらを一様に見上げている。
「(武装は……していないか)」
事前に、SBUが乗り込むにあたって武装は絶対にしないよう求めていたが、一応はその通りにして出迎えしてくれたらしい。拳銃すら確認できなかった。出会い頭に戦闘にでもなったらどうするかと一抹の不安を抱いていた遠藤だったが、杞憂に終わったようだ。
「2番機、援護位置に付きました」
「急いでくれ、風が強くて場所を維持しきれない」
「了解。よし、全員降下! いけいけいけいけェ!」
機内にいた20人が、順番にファストロープに体を預けて素早く降りていく。強風にあおられながらも、一人、また一人とどんどんと甲板に降り立ち、直ちに89式小銃を構えて警戒陣形を整えていった。
最後に遠藤も手際よく降下し、甲板に足をつけた。ファストロープを巻き上げながら、自分たちをここまで連れてきてくれたMCH-101は上空へと離脱。機体後部の機銃座をフリゲートのほうに向けながら、先ほどまで援護射撃の体勢にあった2番機に場所を譲った。
2番機に乗っている第2小隊の降下が終わるまで、遠藤ら第1小隊はヘリ甲板中央部で、左右に開けて銃口を乗員らの方向に向け続けた。万一の妨害行動に備えてのものだが、彼らは誰一人として物動じず、服屋に置いてあるマネキン人形のようにその場にただ突っ立っていた。
「(抵抗もなし……、やはりちゃんと降伏するのか?)」
とはいえ、油断はできない。ルール無用な戦いをするやつらだったのだ。裏では着々と自分らを襲撃する準備を進めているかもしれない。元より、ここは彼らにとってはホームグラウンドも同然であり、この艦のことなら彼らが一番よく知っている。流石に最新鋭の054A型の艦内図など入手できず、ほぼ文字通り、未開の地に踏み込むが如ぎ心持ちで乗り込まざるを得なくなっていた遠藤たちにとって、艦内で戦闘が起きたら劣勢は必至であった。
遠藤たちの目の前にいるフリゲートの乗員たちは、誰もが緊張しているのか、妙に強張って表情を浮かべていた。中には、敵対している国の人間がこのような形で堂々と足を踏み入ったことに対して複雑な思いを抱いているのか、色々と言いたそうな目を向ける者もいた。だが、目隠し帽とゴーグルでうまいこと隠してはいるが、遠藤たちも、彼らと同様に、強張った表情を浮かべ続けていたのである。
第1、第2小隊全員の降下が完了し、ヘリはそのまま引き上げていった。2機の白い機体が灰色の雲間へと消えていくのを見届けた遠藤は、第2小隊長『乾』二等海尉とも落ち合う。若々しい切れのある敬礼を見せた乾は、気の張った声で報告する。
「第2小隊、降下完了。欠員なしッ」
「了解。手筈どおりいけば、第2小隊は機関室を押さえ、また、艦内各部を点検して回ることになる。彼らと話してくるから、そのまま警戒を維持しててくれ」
「了解ッ」
またもや切れ味鋭い敬礼を見せる乾に少し引きながらも、遠藤は向き直り、格納庫前で待っている、おそらく案内人役であろう乗員の下に歩み寄る。部下に命令を伝達した乾も隣から付き添い、さらに、念のための護衛として2人の部下を引き連れていく。
近づいていくにつれて、一人以外、今にも逃げ出しそうなぐらい怯えた表情を浮かべる乗員たちだったが、遠藤は、武装をおろしながら彼らの前に立ち、
「――敬礼ッ!」
先ほどの乾に負けないぐらいに、切れ味のいい敬礼をした。乾や、護衛の部下2人も、武装を下ろして、遠藤に続いて敬礼する。
「――ッ?」
いきなり敬礼されたことに少なくない動揺を見せていた3人だが、海の人間の性か、反射的に敬礼を返した。遠藤らは敬礼を解き、さらに遠藤は、雨風に負けないぐらいの声で“報告”した。
「日本国海上自衛隊、特別警備隊です。貴艦の、佐世保入港までの監視、及び“護衛”任務を、仰せつかりました。本日は、よろしくお願いします」
そして、4人で軽く一礼。組織として敵対しているとはいえ、あくまで“海の人間”としての気概を重視する遠藤なりの、彼らへの配慮であった。1から10まで敵対するつもりはないというメッセージである。
少なからず緊張した様子ではあったが、中央にいた幹部らしき乗員が小さく礼を返していった。
「ご足労頂き感謝いたします。本艦、フリゲート『慶陽』航海長、黎“少佐”であります」
「お出迎え、感謝申し上げます。第1小隊長、遠藤“中尉”です。こちらは、第2小隊長、乾中尉です。此度は、私ども2個小隊を以って、任務に務めさせていただきます」
これも、礼儀を重んじる遠藤のやり方だった。少なくとも、積極的な戦闘を求めていないならば、こちら側も積極的に撃ちに行くことはない。むしろ、ちょっとだけ“隙”を見せるぐらいが、相手の信頼も得やすくなると言う、彼なりの思想に基づく行動だった。
……何より、彼自身、別に骨の髄から嫌ってるわけでもない中国人とピリピリした空気を過ごしたくなかったのだ。可能ならば少しでもフレンドリーにやりたいという、何とも典型的な日本人らしい欲求でもあった。
それでも、表情は厳しいものである。態度に隙はあっても、行動に隙があってはならない。
「事前に通告があったと思いますが、まずは、この艦と乗員すべての武装を解除させてもらいます。本艦の動力部である機関室、戦闘部署のCIC、あと、艦橋ですね。そこに、我々の人員を配置いたします。また、乗員全員の武装を確認いたしますので……あー、格納庫でいいでしょう。そこに人員を可能な限り集めていただきたく思います」
「今すぐですか?」
「今すぐです。どうしてもはずせない人員がいた場合は、事前にこちらに報告してください。こちらの隊員が直接出向きます。あと、名簿の用意もお願いします。できればチェックマークをつけられるやつで」
遠藤から立て続けに発せられる要求に対応するべく、黎は隣にいた部下に、すぐに手空きの乗員を集め、名簿も持ってくるよう命令する。遠藤が言ったように、ある程度は事前に情報が伝わっていたので準備はすぐにできるし、今格納庫内にいる乗員もその一部である。
必要事項を伝達した後、遠藤は念を押すように黎にいった。
「……こちら側の都合で申し訳ありませんが、何かしらの不審な行動を行った場合は、こちらの判断で攻撃を行うことがございます。自衛的な行動に制限することは約束いたしますが、くれぐれも、不必要な行動はなさらないよう、重ねてお願いします」
「……わかりました」
少し気落ちしたように返す黎。下手したら部下が殺されるとなれば、肩も落としたくなる。実際に落としているあたり、彼の人柄が見て取れた。それを見た遠藤も、演技の可能性を念頭に置きつつも、一先ずは後ろにいる部下たちに武器を下ろさせることにした。これも、彼なりの配慮である。
――その後、第2小隊の第1班には、乾の指導の下、格納庫で乗員の武装解除をさせることにし、艦内にある武器類も、指定した乗員を使って格納庫に持ってこさせることにした。さらに、第2班には機関室の監視を任せ、第1小隊は艦橋とCICの二手に分かれていく。
遠藤たち第1班は艦橋の方に行くことにした。海保の巡視船を思わせる、緑色の床に白色の壁に覆われた無機質な通路を歩く、青黒い防弾装備を身に纏った遠藤たちの姿はあまりに場違いな感覚を覚える。だが、基本的にはどれも海自の護衛艦と似たような雰囲気だ。所々に中国語の注意書きや、何らかの表彰を受けたときに貰ったらしい記念賞……。そして、共産党を称える、デカデカと飾られたプレート。今では、このプレートがこのフリゲートに存在していること自体が、ある種の皮肉のように感じられた。
艦橋に上ると、当直仕官と思しき思しき人物が中央に立って航海指揮を執っていた。ヘリが離れたのを受けて、再び動きだしたばかりのようである。全体的に白色で統一されたこの艦橋は、知ってはいたが護衛艦とはまるで違う。コンソールの大体の配置があっているぐらいで、天井も、管などがないほぼ真っ平らな板になっているためか、若干の圧迫感を感じた。
「ここでは、基本的に私が指揮を執ります。今は彼が執っていますが」
「では、ここで我々は任務につきます。あぁ、作業の邪魔にならないようにしますので、ご安心を」
「ご配慮に感謝します。少し狭いですが……」
彼の言うように、ここに遠藤ら10人全員が入るには少しだけ狭苦しさを感じる。ここだけでも、大体十数人ほどの人員がいるのだ。追加で10人である。体験航海の時の護衛艦の艦橋かともいえるような手狭さだ。しかも、遠藤らは武装している身である。ただでさえ狭い艦橋内が、自らのガッチガチの装備によってより動きにくくなっていたりするのだ。
……少し外に出よう。ちょうど、他の3班から、それぞれの持ち場での異常はないらしい旨の報告も入ってきており、第2小隊第1班が実行中の武装解除作業も順調のようである。監視のために、左右のウイングにも二人ほど部下を出す。自分も、左舷側にでる一人として外に出た。
新鮮な空気を吸おうと、ゴーグルを額の上に置き、目出し帽の口の部分を顎の下にどかす。大雨にもかかわらず深呼吸。多少雨粒が入っても関係ない。冷気であっても、空気は空気だ。張り詰めた空気よりは幾分もマシである。
多少靄がかかっているが、この艦の左舷側には護衛艦がいた。艦首に白くペイントされている艦番号は120。あさひ型2番艦の『しらぬい』だ。『慶陽』の護衛を行う日米艦船3隻の指揮は、あの『しらぬい』がとる手筈になっていた。
「『ヤーギー』、こちら『働きアリ』。指定4箇所の制圧完了。監視続行中、異常なし。オーバー」
『『ウォーカー』、こちら『ヤーギー』。了解。このまま佐世保まで監視を続行せよ。オーバー』
だろうな。了承の旨無線で伝え、軽く肩をもみながら、ふと、上方向に視線を向けた。
「……」
ある一点を見つめ、少し、安心したような表情を浮かべる遠藤。その隣から、様子を見に来たらしい黎が声をかけた。
「どうしました?」
「いえ……少し、安心しまして」
「安心?」
「あれですよ」
その視線の先には、『慶陽』がメインマストに掲げた白旗があった。強風に煽られ、今にも千切れそうなほど忙しくバタバタとはためいているその旗は、黎に複雑な思いを抱かせるには十分だった。
「まあ……確かに、そちらにとっては安心したでしょうね。攻撃はしませんから」
「いえ、まあ……それも、確かにあるんですが……」
「はい?」
遠藤は、安心した表情の中に、今度は少し悲しげな目を浮かべ、ひとつの思いを抱きながら、白い旗をじっと見つめていた。
「この……戦争と呼ぶには、どうもルールらしいルールが見受けられないような“無秩序な戦争”ですが……、やっと、“秩序の存在”が、この目で見れた気がして」
「あぁ……」
遠藤の言わんとすることを理解した黎も、その白い旗を目を細めて見つめた。
人間同士の殺し合いとはいえ、そこには、一定のルールや秩序のようなものがあるのが当たり前だと思っていた遠藤だったが、ここまでの問答無用な“戦争”を目の当たりにして、少なくないショックを受けていた。戦争の実態とは、実はこういうものなのかもしれないとも思ったが、そう考えれば考えるほど、悲痛感は増すばかりだった。
――そんな中で、ようやくルールに則った行動をしてくれる“敵”が現れてくれたのは、不幸中の幸いだった。敵の中にも、ルールをしっかり守ろうとするやつがいたということだ。やっと、多少は“安心して”矛を交えることができる。
「(――まあ、殺し合いなんてないほうがいいには違いないんだが……)」
単純だ。死にたくはないのだ。その次に、どうしても死ぬなら、何かのために死にたい。それは、人間として何もおかしくない欲求である。だが、その舞台が、こんなにも何でもありな戦場ではありたくない。それが、遠藤の抱いた切実な思いでもあった。どうせ殺しあうなら、正々堂々と殺しあって、その中で死にたいのだ。
だが、黎はそれを反故にした側の人間である。最終的にはその組織から袂を分かつ決断をしたとはいえ、そうなるくらいなら、最初からこんなことしたくなかったと思うのも当然であろう。黎の少し落ち込み気味の表情は、それを裏付けるには十分だ。
「複雑な立場には、違いないと思います。敵対組織の側である私が、何かできるとはいえませんが……」
「いえ……ただ、今は部下たちがどうなるか……」
「うちの上の連中も決して鬼ではありません。取り扱いは厳重にするはずです。私からも、言っておきましょう」
そういって、肩に手を乗せて小さく笑みを浮かべた。悪いやつではないらしい。黎も感謝の言葉を述べて、小さく頭を下げた。中国人にとってお辞儀とは、日本とは違い、深い感謝などをする際にすることが多いという。この場面でお辞儀をしたあたり、相当部下のその後に頭を悩ませていたのだろう。特殊部隊員は、単に敵を殺すプロフェッショナルなのではないという自負を予てから現実にしたがっていた遠藤は、この安心した顔に、少しだけ救われた気がした。
その時、一人の部下が左舷ウイングに顔を出して報告した。
「隊長、艦長の姿が見当たりません」
「艦長?」
「はい。2班の連中と、あと第2小隊も見ていないといっています」
遠藤はてっきり、艦橋かCICのどちらかにはいるだろうと思っていたし、見かけたらすぐに無線で報告し、艦橋に来ていただくよう伝えるように命令していた。そういえば、確かにこちらにも無線が来ていない。
「すいません黎少佐、艦長はどちらにおられますか? こちらとしても、一度お会いして今後の手順をお伝えしたいのですが……」
流暢な中国語でそう聞くが、黎は一瞬言葉を詰まらせた。まさか、ここにきて何か隠しているのかと思い、半ば諭すように問いただすが、気まずそうにゆっくりと口を開いた。
「……艦長は、士官室にいます。今は、手当てを受けておりまして」
「手当て? お怪我をなさっているのですか?」
だが、情報によれば艦長は極東革命軍の首謀者側の人間だということだったが、まさか内ゲバでも起こしたのか? 事情を聞く前に、黎はその士官室へと案内し始めた。「見てもらったほうが早い」と言い、艦橋の中に入る。急いで遠藤も、別の部下にここの指揮を任せ、適当に選んだ二人の部下を連れて彼の後を追った。
――士官室にはすぐに着いた。医官らしい数名の乗員らが出入りをしており、奥からやってくる遠藤らの姿には目もくれず、小さな機材やら手ぬぐいやらを持ち出したり持ってきたりとせわしなく動いていた。
「こちらです。どうぞ」
士官室の中に入ると、護衛艦と似たような造りで、士官用の長いテーブルやイス、テレビなどが置かれていた。そのうち、長いソファの周りに、数人の乗員が群がっている。黎が少しどくよう乗員たちに命ずると、そこに横たわっている一人の人物がいた。
――腹部が、血みどろだったが。
「ッ!」
「こ、こりゃあひどい……」
後ろにいた部下が言葉を失っていた。迷彩柄の服装の腹部分は完全に赤黒く染まっており、今はその部分をめくって、素肌の上から止血作業を行っているようだった。見るからに、50はいっているご老体だ。彼がこの艦の艦長と見て間違いないだろう。
だが、傷の手当をしているというから、てっきり切り傷でも受けたのかと軽く見ていたが、年齢も考えると思った以上に重症だ。実際、手足すら満足に動かせる様子ではなさそうだ。
「一体何があったのです?」
その問いに答える前に、黎は艦長の下に歩み寄り、腰を低くして、遠藤たちが来たことを知らせた。すると、先ほどまで瞑目していた老人が目を開け、遠藤のほうを見やる。弱々しい目線を向けながら、やはりか細い声を出す。
「……こられたか」
「日本国海上自衛隊、特別警備隊の遠藤です。艦長殿でよろしいですか?」
「いかにも……。艦長の、汪だ」
「艦長殿、一体何があったのです? 状況をご説明いただけませんか?」
身をかがめて、汪と同じ目線に立って事情を聞きだす。彼は言葉ではなく、その指先で返事をした。「彼を」という言葉とともに向けられた先には、もうひとつの、もう少し短めのソファがあった。その上に……。
「――なッ!?」
――後ろ側にあったので気づかなかったが、もう一人、血だるまになって横たわっていた。胸部を中心に赤黒く染まっており、そちらには、誰一人として近づく人間はいない。変わりに、胸部には包帯が巻かれ、そして、上を向いている顔面には、一枚の手ぬぐいが開いた状態で置かれていた。
唖然とする遠藤ら3人をよそに、汪は細いかすれた声で言った。
「――政治委員の、宋だ。彼も、私と同じ、同志だった」
「まさか、彼は……」
「……そうだ」
「――彼は、死んだ。私が“殺した”のだ」
「殺したッ?」
まさか、本当に内ゲバでもやらかしたのか? だが、一体なぜ?
「一体、何があ――」
その事情を、聞きだそうとしたときだった。
「航海長!」
通路を全速力で走ってきたらしい一人の乗員が、焦燥感全開の顔で士官室のドアの前に立っていた。怒鳴り声を出すなと嗜める航海長だが、それを無視して、彼は大音声で報告してきた。
「緊急事態です! CICから、目標探知との連絡が!」
「何ッ? 日本やアメリカじゃないのか?」
「違います! すぐ隣の日本軍の艦も捉えたといっています! CICから、戦闘配置命令を出す許可をくれと!」
すぐ隣の日本軍? まさか、すぐ近くを護衛している護衛艦かッ? 直後、その護衛艦から無線を貰ったらしい部下が、遠藤に伝えた。
「隊長、今『しらぬい』から報告が来ました」
「なんていってる?」
「……奴ら、裏切り者を始末しに来たようです」
「――複数の、極東革命軍と思しき潜水艦を、探知したと言っています……!」
監視任務どころではない、大きな危機に、『慶陽』は追いやられた……




