5-4
人気のない廊下に向かいながら、LINEの画面を閉じ、電話帳から蒼波の電話番号を引き出した。彼女に電話をかけ、右耳にスマホを当ててじっと待つ。
すぐには出ない。コールが7回ほど鳴った時だった。
『あー、もしもし?』
でた。だが、聞こえてきたのは男性の声だ。しかも、どこか聞いたことがあるような気がする。
だが、自分は蒼波の携帯にかけていたはずだ。間違えたかと思い、画面に表示されている宛名を見たが、『咲』の名前がふられている。番号も間違いなく蒼波のものだ。
「あぁ、すいません、どちらさんで?」
『あー、すまない。例の幼馴染さんだろ? 彼女は今ちょっと席を外してるんだ。無礼に値するのは承知だが、代わりに自分が出させてもらった。俺は近藤って者だ』
「近藤さん?」
まさか、前々から蒼波が話題に出ており、度々空の上でも鉢合ったあの人か。道理で聞いた事のある声をしているはずだ。
彼の反応を伺うに、どうも、電話の相手が蒼波の幼馴染であることも知っているようだ。蒼波が羽浦のことをある程度教えていたのかもしれない。羽浦は足を止め、周囲に人がいないことを確認して、電話を続けた。
「咲は今どちらに?」
『トイレだよ。さっきからちょっと気分が優れないって言っててな。まあ、体調を崩したわけじゃなくて、単に一人になりたいだけなんだろうが……』
一人になりたいと。やはり、例の交戦禁止の命令によるものか? 空に行って死にに行くようなものだ、無理もないか。
『あいつに伝言か? 俺が代わりに受け取っておくが』
「あぁ、いえ、そうではなく……」
本来の目的とは違うが、ちょうどいい。ちょっとした情報交換にはいいか。羽浦は、改めて周囲に誰もいないことを確認しながら、軽く潜めるような声を近藤に送る。
「……例の、交戦禁止の命令、聞きました?」
『あぁ、あれな。こっちにもきたよ。誰もが阿鼻叫喚だ。死にに行けっていうのかってな』
「やはり……」
言葉を一瞬詰まらせる羽浦。だが、当然だとも思った。この場合、死ぬのは現場なのだ。何かして死ぬのならまだしも、何もしないで死ぬのを待つだけという命令を、受け入れられるわけがない。彼曰く、今も司令室から複数人の怒号が響いているという。
『皆戦々恐々としてる。自衛もできずにどうやって生きて帰ってくればいいんだってな。いっそのこと飛ばないほうがマシだ』
「同感です。戦うことをせず単に飛んでいる戦闘機なんて、高速で飛べるだけのただの高価な飛行機ですよ。……それなら、空爆を回避するために格納庫に置いておくか、別の基地にフェリーしてくれたほうが幾分もマシです……」
そういう命令であれば、幾らでも受けよう。少なくとも、今回のような矛盾極まりない命令を実行するよりははるかに納得のしようがある。だが、実際はその逆。しかも、自分が今からその命令をするべく飛ぶというのだから、これほど憂鬱なことはない。
「……ほんと、冗談じゃないですよ……」
溜息交じりで出した声に、混同は小さく笑って、
『――飛んでほしくないって顔してるな?』
「え?」
正直な話“図星”でもあった羽浦は、肩を一瞬震わせてしまう。
「あー……、わかります?」
『蒼波から話には聞いてはいたが、時々声がわかりやすいときがあるんだな、お前。大方、アイツに今は飛んでほしくないって思ってるだろ?』
「ハハハ……」
ご名答。というか、アイツは俺の知らん間に一体なんてことを吹き込んでやがるのか。ニヤケ面かましながら自分の話しをする蒼波を想像して軽く腹を立てながら、堪忍したように、また小さく溜息をついて言った。
「……今のアイツ、精神的にまずい状態に思えます」
『ああ』
「はっきり言って、人が変わったように思えるほど萎縮しています。いつものアイツじゃないのはすぐに理解できました。……そんな状態で、空なんてまともに飛べるとは思えなくて……」
『今回電話したのも、そんなアイツを少しでも助けるためか』
「まあ、そんなところです。ましてや、こんな状況です。精神的に参っているアイツを、少しでも安心させてやれないかと思ったのですが……」
それ以上の言葉は出せない。それこそが、今の実態の重苦しさを表しているようでもあったが、近藤は口を挟むことなく、静かに聴いていた。そのためか、羽浦はそれに甘えて、つい、本音を口からこぼしてしまう。
「――自分に、そんな権限がないのはわかりきってますが、正直、どうか飛ばせないようにできないかって勘ぐるぐらいで……」
そう口にする羽浦の顔は、朝方の曇天の空のように暗かった。自分はただの管制員に過ぎないため、飛ぶか飛ばないかの判断はできない。飛んできたものを、上からの命令に従って誘導するだけである。だが、それを承知でもなお、蒼波には飛んでほしくはなかった。
例の交戦禁止命令の件もあるが、何より、今の蒼波は、飛ぶには危険すぎる状態だ。昨日の電話一本ですぐに直ってくれたとは思っていない。事実、今もこうして数分の電話をしているのに、一向に“トイレ”から戻ってきていない。大男顔負けなレベルで大食いをしてもけろっとしている彼女が、まさかこのタイミングで、ストレス等も相まって腹を下したというわけでもあるまい。
それが理解できた時点で、羽浦は蒼波を空の上で管制しきれる“自信”がなかった。ゆえに、飛んで来ないほうが、幾分もマシだとすら思っていたのだ。
……仮にも自分の部下に対する言葉でもある。何か一言ぐらい苦言でも出されるかとも思っていたが、近藤の反応は羽浦の予想を少し超えていた。
『……なるほど。流石は幼馴染というわけか。これで“二度目”だ』
小さく面白がるような笑みをこぼしながら、妙に納得したような声を送ってきた。二度目? 一度目があるのか。一体誰が? 羽浦が聞く前に、近藤が教えてくれた。
『実はな、同じようなことを蒼波からも言われた』
「咲が?」
『ああ。もっとド直球だったぞ。“飛びたくない”ってな』
「飛びたくないッ?」
羽浦の顔が引きつり、潜めていたはずの声を一瞬張り上げた。蒼波が、飛びたくないと自ら言ったのは予想外だった。誰より空にあこがれて、それで父親を追って自衛隊の門を叩いたような人間だ。空を嫌いになることなんて、蒼波に限ってありえないと思っていた。
そうした蒼波の人間像を思い浮かべていた羽浦にとって、これはあまりに予想外すぎた。自分の前に、蒼波本人からこれを切り出すことなど想定していなかったのだ。動揺する羽浦を尻目にするように、近藤は続けて、事の経緯を伝え始める。
『よほど、昨日の出来事が堪えちまったらしい。まあ、俺自身も確かに堪えはしたんだが、アイツに至っては、帰ってきた後、軽くゾンビみてえな状態になってた』
近藤が明かした蒼波の様子は想像を超えていた。
――昨日の帰還後、さすがに危険すぎる行為をしたとして一言軽く注意しておこうと思った近藤だったが、機から降りて蒼波のほうを見たその時から、蒼波の様子はおかしかった。自分の機から降り立った時点で、すでに足元は軽くふらついており、それでも歩こうとする姿は一種の夢遊病者か何かのようだったらしい。
無理な機動をして疲れたのだと勘違いしたらしい周りの整備士や飛行班員たちが、気遣って肩を貸そうとしたが、彼女はそれを無視してゆらゆらと幽霊のように歩いてエプロンを後にした。あまりの急変ぶりに呆然としてしまい、デブリーフィングの時では、彼女は「すいません……」と呟くように謝るばかりだった。近藤としても、必要以上に何かを言う意欲がなくなってしまい、事務的な連絡事項を伝えたあとは、「もう大丈夫だから」と、その場しのぎの励ましの言葉を送るしかなかったという。
そのあとしばらくは一人で過ごしており、無暗に手を触れないほうがいいと判断した近藤が動いて、他の飛行班員たちに手をまわしてくれた。同時に、彼女と親しくしてくれていたWAFの整備士数人に頭を下げて、彼女の相手をしてもらうことになった。幸い彼女らは乗り気であったが、いざ見てみると、あまりの変容振りに仰天してしまい、精神的なダメージがデカすぎると判断した結果、会話どころか会うことすらしないまま「まだそっとしておいたほうがいい」という判断を下した。近藤も、これ以上は何もできそうにないと、その判断を呑むしかなかった。
……その後、一夜明けて、流石に少しは回復しただろうと思っていたら、朝のブリーフィングの後に近藤を呼び出して言ってきたのが、先の言葉なのだという。
『――自分が、空の上で何をするかわからないから飛ばさないようにしてくれと。俺も初めてだよ、こんなことは』
「昨日、アイツと電話したんです。自分がやったことが信じられないと震えてて。どうにかして、上辺だけでもいつも通りの調子にさせましたが、自分としても、今の咲は危険だと思って……」
『考えることは二人とも同じだったわけか。アイツも、上辺を見繕いつつもわかってたんだな』
「近藤三佐……」
羽浦はそれ以上の言葉を出すことはできなかった。想像以上に、蒼波は精神的にやられていたのが実感できたのだ。近藤や、整備士の友人らが何もできなかったのも無理はない。あの電話も、ひどい精神状態の中、無理に電話に答えていたのだ。
電話のタイミングを間違えてしまったかと、小さく後悔した。そりゃあ、最初のコールで出ないのも納得できる話だ。そんな精神状態で、電話に出る気力があるとは思えない。蒼波の精神状態を見抜けず、2回も着信音を鳴らして電話に出させた自分を内心で責めた。
「今の咲の精神状態で飛ぶのは危険です。私としても、彼女が飛んだ際に管制しきれるかわかりません。一時的にではあれど、命令が通じなかったのです。ほかの人がやった場合でも同様でしょう」
『同感だ。それに、今は交戦禁止の命令が下っている。空の上で、極限状態の“戦闘”を強いられることになるが、ただでさえ精神負担が大きい状況に、今のアイツを飛ばすのは危険だ』
「なら……」
まさか、取りやめになるのか? 一瞬期待した羽浦だが、
『……だが、すまないが、その提案は受け入れられない』
「なぜです?」
反論の権限が無いにもかかわらず咄嗟に言い返してしまう。しかし、近藤はそれを責めるわけでもなく、力のない声を返してきた。
『ここ2日の空戦で、数はまだ少ないながらも、落とされたか、もしくは損傷を負っている機体が出てきている。そうでなくとも、南西諸島すべてを防空網として覆うには、パイロットも機体も不足していて、嘉手納に援軍を頼まざるを得ない状況だ』
「ええ、こちらでも把握しています」
『ああ。だから、一人でも多くのパイロットに飛んでほしいって状況なんだ。蒼波もすでにCRを貰っている。飛べるのなら、どんな状態でも飛ばさないと間に合わないと、そういう状態だ。上からも、よほどのことが無い限りは飛ばせる奴は飛ばすように厳命されてる』
「そんな……」
羽浦は小さく肩を落とした。南西諸島にある飛行隊は2個。総勢40機ほどの戦闘機はあるが、常に全部出しているわけにはいかない。いくつかに分けてローテーションを組み、広大な空域をほぼすべて確保しないといけない。
だが、後方に待機している分を抜いて、常に前線に出せる機体は限られていた。より遠方の空域は、嘉手納のF-15Cや、台湾に近いならば、米軍経由で台湾に頼んで少しだけでも肩代わりしてもらわないと間に合わない状態。北部方面から戦闘機の援軍を連れてきてはいるが、どこの基地に置くか、置いたとしてどう取り扱うか、武器弾薬・燃料はどこに置いてどう扱うかなど、細かな調整が難航していた。また、たとえそれが来たとしても、根本的な解決にはならないという頭の痛い状況は続く。
……そんな戦況下、たとえ精神状態がひどいとしても、ある程度ちゃんと飛ばせるのなら否応なく飛べと命令するしかない。近藤も、本当は飛ばさせたくないのだという。
『俺ならすぐにストップをかける状態だ。もしこれが平時なら、即刻飛行訓練を取りやめさせて、病院やカウンセリングにでもいかせる奴だ。今は大丈夫でも、どこかで爆発しちまう。だが生憎、俺にはそれを解消する術はない。カウンセラーも、今は別の負傷者の手当てのために席を外してるんだよ』
「つまり、飛ぶ以外に選択肢がないと」
『そういうことだ』
羽浦は唇の裏を噛んで苦い表情を浮かべた。しかも、近藤の話が全てその通りであるならば、思ったより内にためている精神状態はよろしくない。上辺だけ見繕っても、彼が言ったようにどこかで爆発する。パンパンに膨らんだ風船が、どこかのタイミングで爆発するのと同じことだ。それが、空の上だったとき、しかも、昨日のような爆発の仕方だったとき、手に負えなくなる。昨日と同じ手は、もう通用しないかもしれないのだ。
ましてや、国民に対する防衛行動のアピールのためだけに、飛ぶ行動だけはするのだ。飛ぶだけだ。それで、交戦はさせない。そんな究極的な状況下に、蒼波を放り投げたくはなかった。
――やはり、期待はしないほうがいいだろう。これ以上はさすがに向こうにも迷惑だとして、電話を切ろうとした。
『――まあでも、わかってるさ。飛んでほしくないって言っても別の意味でだろう?』
「え?」
羽浦の心臓が一瞬跳ねた。いつの間にか内心を見抜かれた? 近藤は、やはりどこか面白がるような、おちょくるような、そんな声を力強い優しさに加えて言った。
『大体わかるさ、俺も妻帯者だ。似たような経験は何度かある』
「暗に引き留められたと?」
『ああ、最初のうちはな。直接言わないが、別の理由をつけて、空に上がるのを引き止められたさ。こんな時にのろけ話ですまんが、うちの妻は10歳も下の奴で、近所付き合いを通じて知り合った仲なんだ。仲良くさせてもらった結果、今ではそういう関係にもなったわけだがな』
近藤はさらに続けた。その後、彼女は成長し地元の小学校に通っていったが、近藤はその頃、防府北基地に航空学生として入隊することになった。それまで、進路についてはあまり話をしていなかったが、高校を卒業する際に初めてお互いに明かした。一種のサプライズみたいなもののつもりだったのだが、それから少しの間、彼女の様子が変わったのだ。
『なんかにつけては、こっちがいいんじゃないかとか、パイロットもいいけど整備士もいいんじゃないかとか、別の道を進めてくるんだよ。うちの妻、ほかには負けないぐらいド天然な奴なんだが、あの時だけは全然違ったな』
「声とか雰囲気でわかっちゃいますか」
『丸わかりだな。まだ小学生の身のはずなのによく知ってるなと思ったら、どうも俺の親が色々と吹き込んでたらしいんだな。んで、一度思い切って伝えたよ。俺はパイロットとしてお前を守るから行かせてくれってな』
ヒューッ、と、羽浦はマイクには入らないよう小さく口笛を吹いた。一度は言ってみたいセリフだ。かっこいい男にしか許されない。そして、それを今の今までしっかり守っている。女性がついていく男性のタイプトップクラスに君臨するに違いない。ましてや、相手はまだ小学生の子供だ。
『そこでやっとアイツも腹を決めたんだろうな。それ以降は何とも言わなくなった。いつもの仲のいい女の子に逆戻りよ。……今のお前さん、うちの今の妻に似ててな』
「私そんなに天然に見えますか?」
『そこまで似てるわけじゃないさ。あからさま、って部分がな』
ハハハ、と近藤は得意げに笑ってみせた。すべてお見通しだったのだ。それでも、それに乗ってちゃんと飛ばさないといけない理由を述べてくれた。なんて懐の深いお方か。蒼波が信頼を置くのも頷ける話だ。嫁さんも、いい人を夫に迎えたことであろう。妻を抱える男とは、こうでなければいけない。
『責めるつもりはないさ。誰だってそう思う。まあ、同じ自衛官からくるとは思わなかったが』
「ハハ……すいません、所属どころか階級すら違うのに、出すぎた真似を」
『気にするな。人なんて誰しもそんなもんだ。安心しろ、誰にも言わんさ。蒼波にもな』
「ありがとうございます」
中々の人格者だ。いい上司に巡り合えたことを神に感謝するしかない。実力も伴った彼なら、蒼波をちゃんと従えてくれるだろう。一定の安心感を得た羽浦は、今度こそ電話を切ろうとした。もうそろそろ、搭乗時間だ。
「では、そろそろ切りますね。咲のことよろしk――」
『あぁ、待ってくれ。最後に一つだけ』
近藤が急いで待ったをかけた。
「まだ、何か?」
『いや……よし、まだ来てないな。……ちょうどいいこの機会だ。これは、階級とか身分とか関係なく、個人的にお願いするわけだが……』
「お願い?」
『ああ』
近藤は、一拍ほどの間をおいて、
『――アイツの、蒼波のこと、頼まれてくれるか?』
……これまた予想外の言葉だった。蒼波のことを頼まれてくれという。自分は那覇にいないのに、なぜこのようなお願いをするのか、羽浦は一瞬理解に苦しんだ。
「といいますと……どういうことです?」
『いや、空の上では、俺がアイツを2番機に従えて、変に動かないよう見張ってる。地上でも、俺が基本的に面倒見てやる。だが、俺はただの上司だ。お前さんみたいに、幼馴染の友人でも、気心の知れた仲ってわけでもない』
「信頼できる上司ではあると思いますが」
『買い被りするな。結局は上司と部下の関係だ。アイツにしてやれることは限られる。……昨日、電話した時、上辺だけでもアイツの調子を取り戻したんだろ?』
「ええ……電話で聞いた限りでは」
『それで確信したんだよ。神野がいない今、頼れるのはお前さんぐらいしかいない。誰にもできなかったことを、お前さんは一回の電話でやってのけた。こんなことができたのは、お前さんしかいないんだ。どうか、アイツのことを頼めないか?』
「ですが、自分は管制員です。すぐ隣を飛んでいるわけじゃありません。……できることは、極度に限られますよ」
それこそ、すぐ隣にいる近藤が動いたほうが早いぐらいだ。だが、近藤は『それでもいい』と話す。
『今アイツに必要なのは、“心の支え”だ。アイツは今、それがないか、あったとしても、とても不安定な状態にある。安心して乗っかることができる、精神的な支えが必要だ』
「それが、私だと?」
『ああ、そうだ。一番適任なのはお前さんなんだ。お前さんの声が、アイツを安心させる一番の要素だ。声で指示を出すことしかできないというが、むしろそれこそが重要だ。俺が一々言うまでもないが、パイロットは、無線で聞こえる指示の声が一番の頼りだ。ちゃんと自分たちを見ててくれてるって、安心できる声。それは、蒼波も同じだ。その声が、自分が信頼してる一番の友人の声だったらどうだ。これほど信頼できる“声”はないんだよ』
「自分の声が……?」
羽浦は、一昨日、重本が言った言葉を思い出した。恐怖に直面した時、一番声が届きやすいのは、その人にとって、“一番信頼できる人間の声”だと。その時は、適当に蒼波をイジりながら、何とか生還させることができた。当時は別の解釈をしていたが、もしかしたら、重本も今近藤が言ったものと同じ意図をもって、あの言葉を送ったのかもしれない。
だが、正直、その話には未だに半信半疑な心境を羽浦は抱いていた。確かに、管制員たる以上、パイロットたちを導くためにできる限りのことはするし、それが彼らにとっての安心材料になるなら、管制員として冥利に尽きる話だ。ただ、それが今の蒼波の精神状態を改善する一助になるかどうかまでは、確信が持てなかったのだ。羽浦自身、管制員とは「味方に任務を無事達成させ、そのまま基地まで生還させる・導く」ことが第一義的な任務だと思っていた節があった。だからこそ、それができなかった時のショックは大きいものだと感じていた。
――少々、大げさではないか。本当に、管制員の声にそこまでの効果があるのかと、羽浦はもやっとした疑念を抱いていた。
「無線で声をかけるだけでいいんですか?」
『そうだ。無線を通じて、「ちゃんと見ているぞ」ってことを教えてやるだけでいい。ただでさえ孤独なパイロットは、そうした声に精神的な拠り所を求めるしかないんだ。幼馴染がすぐそばで声をかけてくれる安心感は、たぶん本人にしかわからない』
近藤は力説した。声だけでも力になるのだと。パイロットを安心させる声というのは、中々作り出せるものではないが、少なくとも蒼波にとって安心できる声とは、羽浦の声そのものなのだと、近藤の主張は自信に満ち溢れていた。これで間違いないと、電話先のその自信満々の表情が脳裏に浮かんでくるようだ。
『勿論、俺もできる限りのことはするが、俺たちが空を飛んだ時は……、お前さんの声が頼りだ。女神さんのあだ名を持つ人間としての能力を、俺は信じているぞ』
「そのあだ名、そっちでも通じてるんですね」
『いつの間にか輸入されてたんだがな。ま、とにかくそういうことだ』
「随分と重い責任を背負わせますなぁ」
『慣れたもんじゃないか。……と、やべッ、来ちまった。とにかく、頼んだぞ。声をかけてやるだけでいいんだ。それじゃ』
そう駆け足気味に言い残し、電話は一方的に切られた。10分近くも話し込んでしまった、もう行かなければいけない。
羽浦は電話をしまい、荷物を取りに行った。
「……声、か」
――自分にそこまでのことができるのか。いまだに不安しかなかった。
だが、あれだけの自信に満ちた説得は中々できまい。戦闘機乗りとしての経験則か、それとも、別の何らかの知見でもあったのか……。
何れにせよ、自分には高い空の上から声をかけることしかできない。可能かどうかは別にして、自分にできる手段はそれしかないのだ。なら、その通りやるまでか。
「……ちゃんと届けよ、俺の声」
南にいる自らの友人に向けて、小さく懇願の言葉を口にした……




