5-3
≫AM07:41 東京都市ヶ谷 防衛省≪
「――大臣、やはりもう一度考え直していただけませんか?」
懇願するような声を上げる、空自の制服を着た一人の男性。タイルの廊下をカツカツと速足で歩きながら、もう一人の黒い背広を着た男性の左後方に付いていた。
「わかってくれ統幕長。世論はもう既に島嶼奪還に慎重な姿勢を見せている。熱核兵器の有無について確実な情報がなければ、国民を抑え込むことはできない。日本は、核という言葉にはすこぶる弱いのだ」
「ですが、それでは出撃をする意味がなくなります。特に航空部隊には、交戦禁止というのは……」
蒼波はなおも引き下がらなかった。自身が空自出身の人間であるということもあるが、それを抜きに考えても、このような命令は自衛官に対し自殺を命令するのと同義だ。こんな命令を、自衛隊の一指揮官として出すことはできない。
だが、自身の立場には限界があった。自分は、自衛官の最高位の人間ではあっても、最高指揮官ではない。この命令は、最終的には菅原が自ら下していた。
「総理も内心やりたくないんだ。誰だって、自衛官を見殺しにするような命令は出したくない。彼らとて人間だ」
「なら」
「だが、政治家というのはとても面倒な立場にある存在なんだ。政治家がご機嫌を取る相手は、自衛官ではなく、“国民”だ。自国の国民がこうしろといったら、何があってもそうしなければならなくなる」
「それが、間違っていることであっても?」
「それが政治家だ。間違っていることを正すのは、“指導者”の役目だ。実態はともあれ、我が国の政治家とは、本来国民がやるべきことを代わりにやっている“代行者”に過ぎないんだよ」
少なくとも、日本に“指導者”としての立場に人間はいない。日本における政治家の役目は、教え導くことではなく、国民の求めている行為の実行者となることである。実態は別にしても、彼らは、自分の政策を国民に判断してもらい、選挙という形で選んでもらうことで信任を得、その通りの政策を執ることを理念としている。
国民の求めていないことを実行したとしても、それに対する理解が得られなければ、次の選挙で信任は得られない。メンデルの法則で有名なオーストリア帝国の司祭『メンデル』が、自身の発見した研究成果が当初は理解を得られず、成果が承認されたのは彼の死後十数年後経ってからになってしまった事例と似ている。例えそれが、後世の人間から見れば正しい事であったとしても、その時、理解されなければ意味がないのだ。特に、政治家はその役割としての性質上それが顕著に表れる。
後世から理解されるとなっては意味がないのだ。事態は現在進行形。今すぐにでも理解を得なければならないが、それが叶わないならば、国民が願う通りのことをするしかない。最早、菅原に選択肢はないも同然だったのだ。
「――既にこの命令は各部隊に伝わったはずだ。特戦群が情報を持ってくるまでの辛抱だ」
「どうしても、飛ばすんですか?」
「飛ばすしかない。国民世論も複雑でな。敵に手を出すなと言い出す一方、それでも、自衛隊が何とかしてくれることを期待している。それは、空が舞台でも同様だ。那覇基地は、メディアやスポッターを中心に遠くから“監視”されている。飛行機が何も動いていないことを見た彼らが、どのように宣伝するか。君にもわからないわけではあるまい」
「ッ……!」
身勝手すぎる……自衛官として、絶対に口にすることはない不満を内心で吐き出した。自分らは他国とは違い、公務員である。つまり、公僕だ。逆らうことは許されない。だが、こんな身勝手な要求にも応えなければならないのか。憤慨するのを抑える蒼波の表情を見た大郷も、小さく首を振って呆れるほかなかった。
「気楽なもんさ。自分たちは戦わないのだからな」
「……ですが」
「――? どうした?」
蒼波はその場で立ち止まり、力なく俯いた。普段の彼らしくない動きに、大郷もその場で振り返り、立ち止まった。そして、蒼波は小さく呟く。
「……このままでは、咲が……」
呟いた瞬間、蒼波はハッと我に返った。
思わず私情を口にしてしまった。今は仕事中だ。私情を挟むことは厳禁だ。いつもそれを理解していはずなのに、ふと脳裏に娘の姿が映し出されていた。彼女は今、那覇にいる。
「……クソッ……」
両手に作った拳を握る力が強くなり、力任せに何かを殴りつけたい衝動を抑える。大郷は、蒼波の言葉の意味を察した。
「そうか、確か、君の娘は……」
大郷も、蒼波の娘の存在については知っていた。前に、彼女が数少ない女性イーグルドライバーとしてテレビに紹介されていたのを見たことがある。ついに女性のパイロットも生まれたかと、時代の変化を感じたのを記憶している。自分が現役の自衛官だった当時は考えられなかったことで、妙に印象に残っていたのだ。
しかし、大郷の言葉にも、蒼波は一見冷静に受け流した。
「私情を挟むつもりはありません。今は仕事ですから」
「……」
父親としての本心と、自衛官としての立場に挟まれた蒼波の言葉に、大郷は何とも返すことはできなかった。彼も一人の人間であり、一人娘を持つ一人の父親である。確かに、私情を挟むことは好ましい事ではないが、しかし、無理もない話であろう。彼女はF-15Jに乗る人間だ。自分たちの出した命令は、彼女も忠実に実行するだろう。
父親として、自分の娘に「死にに行け」等という命令を出したくはないはずだ。大郷も既に妻子持ちの父親である。気持ちは痛いほど理解できていた。
大郷は蒼波の表情を見て、小さく息を吐いた。
「……もう一度、総理に掛け合ってみよう」
「――ッ!」
蒼波が目を見開いて大郷の顔を見た。先ほどまでとは打って変わって、驚愕の表情を浮かべている。
「さっきも言ったが、彼もこんな命令は出したくないのだ。後々、世論や野党から痛いぐらい責任追及されるのは目に見えてるからな。今すぐにでも撤回したいはずだ」
「大臣……」
「せめて、命令内容を緩和できないか交渉してみよう。個人的には、あの動画の文脈では「島の同志には手を出すな」という風に言っているようにしか見えんのだ。それに、熱核兵器が本当にあるのかもすこぶる怪しい」
この辺は、やはりロシア政府の判断と似通っていた。対象範囲も、恐らく極東革命軍全てではないだろうと。本当にそうなら、現在進行形で行われている台湾や韓国方面での戦闘を受けてすぐにでも爆破させないと話が通らない。それに、わざわざ1日置いて熱核兵器の存在を明かすというのも不自然だ。最初から言えばいいものを、これではまるで、取って付けたようなものだ。
「ちょうど先ほど、海上保安庁から、撃墜した元北朝鮮側の極東革命軍所属と思われる、ミグのパイロットを救出したと連絡があったんだ。ひどく負傷しているが、意識は何とか取り戻したらしく、命に別状は無いそうだ。彼に聞いてみれば、何かわかるかもしれない」
「少しでも熱核兵器について聞き出せれば……」
「ああ。既に、山居さんが指示を出してくれているから、今頃向こうにも伝わっているはずだ。これを材料に、もう少し交渉してみる」
「ありがとうございます」
蒼波は小さく礼を下げた。微笑んで返すと、「父親同士、気張っていこうや」と、元気づけるように右肩を肩をポンと叩いて、蒼波のもとを去った。これから官邸に乗り込んで、総理と再交渉を行う。
蒼波も、一旦官邸に戻らねばならない。車を呼び出すべくスマホを取り出したとき、その画面を見て一瞬手が止まった。自分の愛娘。咲の満面の笑みである。両隣に、自分と、妻が立っている。数年前、休暇を使って沖縄に旅行に行ったときの写真だ。
――咲は大丈夫か。本当に死なずに生き残れるのだろうか。こんな、戦争と呼ぶには余りに無秩序な戦乱の中で。本当に……。
蒼波は、力なく大きなため息をついて言った。
「……だから俺は反対だったんだ……」
≫同時刻 静岡県 浜松基地≪
「――交戦禁止ってどういうことですか!?」
廊下で響く怒号――市ヶ谷であったような抗議の声は、浜松基地でも轟いていた。
羽浦が、足を進める重本の隣から詰め寄っていた。彼だけではない。百瀬に、他の数人の管制員まで。ブリーフィングを終えた後、我慢ならなかった彼らは、重本から事情を聞き出そうと躍起になっていた。
だが、重本も右手で頭を抱えて苦渋な表情を浮かべている。投げやり気味に彼らに返した。
「だから、ブリーフィングで言った通りだ。熱核兵器の有無が確認されるまで、航空部隊への交戦許可は下りなくなった」
「自衛戦闘まで取り消しってのは流石にやりすぎでしょう! パイロットに直接死んで来いって言えばいいんですか?」
「気持ちはわかる。だが上の連中も色々と右往左往してるんだ。国民世論への配慮もある。官邸がダメといえばそうするしかないんだ」
当然、重本も納得がいったわけではない。ブリーフィングが始まる前の時点で、横須賀のJTF司令部から「航空部隊への交戦許可は取り消し」との命令が通達された。熱核兵器がないと確実に言える情報が入るまで、自衛戦闘すらしてはならないと。
それでも、戦闘機は飛ばすには飛ばすという。だが、これでは一体何のために飛ばすのか。燃料と機体寿命を無駄に食い、整備士とパイロットに要らぬ労苦をかけるだけで、得られるものは何も無い。飛ばすなら、せめて自衛戦闘の交戦許可だけでも出せという話なのだが、何も飛ばないでいると、それはそれで軍事的解決を望む世論層の反発を喰らうという、官邸の意向だった。
――意味不明すぎる命令。このどう考えても矛盾した内容の命令を、自分たちは“文民からの命令”として実行に移さねばならない。だがこの事実に、おいそれと納得する“武官”がいるわけもなかった。
「そもそも、本当に水爆ってあるんですか? なんか写真が昔北朝鮮が出したのとほぼ一緒で、実物を堂々と出さないのはおかしいって話がメディアでありますけど……」
おどおどしながら百瀬が質問するが、それに対しても投げやりな重本。
「それを以って確実にないと断言できないということだ。とにかく、特殊作戦群が存在の有無を確認するまで、何があっても手を出すなという話なんだ」
「どれくらいかかるんです?」
「向こうに聞いてくれ。可及的速やかにって話ではあったが、小さいとはいえ伊良部島と下地島をしらみつぶしに探すんだ。不眠不休で動いたとしても、2、3日程度はかかると見たほうがいい」
「2、3日って……ッ」
長い。余りに長すぎる。たったの2~3日ではあろうが、戦略や戦術を練る側にとって、2~3日も何もしないでいるというのは、とんでもない人的・物的被害を伴うことを覚悟する程だ。この間に敵が何もしてこない等という虫のいい話があるはずないし、むしろ好機と見るはずだ。
この時に、もし沖縄本島あたりを攻撃され、国民に多数の被害が出てしまってはどうするのか。南西諸島方面の住民は、今政府主導で本土の方面に疎開させている。自衛隊の航空機はもちろん、複数の民間航空会社や、どうにかして頼み込んで連れてこさせた複数隻の民間船(大小の貨物船すら含む)を使いまくって、九州や四国、本州に避難させるのだ。空港や港湾部には大量の順番待ちの住民がいる。数が膨大なので、どれだけ頑張っても1週間近くかかるというのが官邸の出した計算結果だ。
敵が巡航ミサイルでも持ってきたら――那覇空港の滑走路あたりに着弾されただけでも終わりだ。民間機はもちろん、隣接する那覇基地の戦闘機も使えなくなる。当然、すぐ近くにある港に当たっても同様だ。
この2~3日の間に、それが絶対に起きないという保証はどこにもない。むしろ、攻撃をしやすい状況を作りたいがために、あのような動画を出したとすら言える。防空の世界において、水際防衛なんて概念は通用しないと見ていいのだ。
「とにかく、これによって、今日中に予定されていた島嶼奪還第1次派遣は無期限延期。昨日の任務がそのまま延長になった。やれるだけやるしかない、わかってくれ」
重本はそのまま速足で去っていった。数人はさらにそれを追いかけて行ったが、これ以上は無駄と判断した羽浦と百瀬はその場で立ち尽くしてしまった。去っていく重本の肩は、寂し気に力なく垂れ下がっている。無力なのは、彼も同じだった。
「……冗談言わんでくれよ」
だが、それでも納得しきれないのは変わらない。
空に上げろと言うくせに、その上がってきたパイロットたちには「交戦するな」と命令しろという。ではどういう指示を出せばいいのだ。高速遊覧飛行でもしていろとでも言っておけばいいのか。それとも、ハイスピード高高度ジェットコースターでも楽しんでろと言えばいいのか。そんな命令を出せと訓練された覚えはない。GCI時代でも、そんな命令を出す想定はしていなかったのに。
事実は小説より奇なりという言葉をふと思い出す。時として、現実はフィクションを越えることがある。しかし、こんな越え方はないだろうと、羽浦は深いため息とともに肩を落とすしかなかった。
「……どうしましょう、これ」
「と、言われましても……」
百瀬の言葉になんとも返すことができない。どうすればいいのだ。自分たちは今から飛ぶのに、飛んで何をすればいいのだ。死ぬ姿を見るだけの仕事を、なぜ自分たちがしないといけない。二人の胸中は疑問と不満でいっぱいだった。
「飛ぶには飛ぶらしいので、現場まで誘導して……あとは……」
「敵が来たら逃がしますか?」
「逃がしたとしても、敵がそのまま沖縄に来たら……」
迎撃しないわけにはいかない。だが、迎撃できない。これほど矛盾した状況は中々ない。管制員にとって、出すべき命令は明白なのに、それが出せないというのは一番ストレスのかかるものなのだ。しかも、それで空にいるパイロットたちが死ぬ……。
羽浦はスマホを取り出し、LINEの通知欄を開く。一人の女性のメッセージ欄を開いた。蒼波のものだ。
――命令は彼女にも伝わっているはず。もし今日飛ぶというのなら、最悪、今日が彼女の命日になってしまう。周りにいる、仲間とともに。神野のもとに行くことになってしまう。彼は、公式では未だにMIAであるが、実際はもう殉職として扱われている。誰もが、彼の生存を諦めたのだ。
メッセージは来ていない。別に期待してもいなかったが、何もないというのは不安を駆り立てる。彼女は今どうしているのか。空を飛んで来いとだけ命令された彼女は、今何を……。
「……また凝視してますよ」
「え」
羽浦は、彼女のことを考えている間、ずっとスマホの画面に目線を向け続けていた。来るわけもないメッセージを待っていた。業務中、むやみやたらと携帯をいじることは禁じられているのを知っているはずなのに。
「あぁ……すいません、つい」
「気持ちはわかりますけどね。彼女、今日も飛ぶかもしれないですし」
「ええ……」
そう声をしぼませながら返す間も、羽浦の目線はやはりスマホの画面にあった。頭ではわかっていても、どうしてもそれをやめることができない。羽浦の胸中に抱く焦りは、この目線に現れていた。
鼻で小さくため息をついた百瀬。若妻らしい優しげな表情を浮かべながら、
「……やっぱり諦めてないなぁ、その顔」
「はい?」
また、妙な顔を浮かべていた。そして、中身を聞く前に、やはり「先行ってますからね」と一言残して、さっさと自分の荷物を取りに行った。前にも聞いたこの流れ。一体彼女は何を言いたいのか。蒼波のことばかり考えていた羽浦の頭は、それを考察するための思考容量を確保できなかった。
「……咲……」
百瀬の言葉を横に置いた羽浦は、電話の一つでもするべきか悩んでいた。もうすぐ搭乗なのであまり時間はないが、今回の交戦禁止の命令は、間違いなく向こうにも届いている。不安を感じていないはずがない。せめて、一言や二言、嘘でもいいから何か安心させるようなことでも言っておいたほうがいいだろうか。昨日の今日だ。多少マシになったはずとはいえ、まともな精神状態じゃないはずだ。
……羽浦はスマホを握りしめながら、しばし立ち尽くした。フライトの時間が迫っている。やるなら、早めにやったほうがいい。
羽浦は、一つの決心の下、足をある場所に向けた……




