4-10
≫PM18:26 静岡県 浜松基地≪
――そして、E-767が基地に帰還してきた。
“開戦”2日目。統合任務部隊編成初日にして、初の任務であったが、どうにかこうにか無事帰還することができた。基地の周りでは、やはり地元のマスコミや航空/軍事マニアな人たちが、まるで銃口を向けるかの如く、長い望遠レンズを取り付けたカメラや業務用ビデオカメラを、降りてくるE-767に向けていた。傍から見れば、本当に異様な光景である。
朝方飛ぶ時は空を覆っていた厚い雲も、今はほとんど消え去り、綺麗な夕日が基地に差し込んでいた。機体に反射する光は、その機体自体が、何事もなく帰ってきたことを教えている。喜ばしいことに相違ない。E-767は、いつも通り優雅に滑走路に降り立つと、堂々の生還を自ら讃えるように、ゆっくりとエプロンにたどり着いた。
エプロンに到着すると、直ちに整備員が機体に張り付いた。タラップも取り付けられ、機内からぞろぞろと管制員が出てきた。ほとんどの人が、過度の緊張からの解放ゆえに非常につかれた顔をしている。中には憔悴しきっている人もいた。
「聞いたか? さっきパイロット、レーザー当てられたらしいぜ」
「マジかよ、一時期話題になったあれか?」
「あぁ。反戦活動家かただのいたずらっ子か知らねえけど、下手すりゃ失明なんだから勘弁してくれって話だよな」
「防衛部の運用課あたりに報告する案件かねぇ……」
そんな会話をする管制員すらいる。
羽浦も出てきた。彼も疲れ切った顔をしているが、脳内はもはや疲労などを認知している暇はなかった。彼の頭の中は、一つのことでいっぱいだった。
「……なぜあんなことを……」
あの時の彼女の“凶行”には、不審な点しかなかった。自分の知ってる彼女の姿ではない。いきなり無線が通じなくなったと思ったら、既に撃墜されたも同然の敵機を執拗に追撃し、攻撃しようとした。しかも、ミサイルどころか、機関砲の射程に入ってもギリギリまで近づいた。
あの敵機は、案の定その後そのまま海に墜落した。射出座席がイカれていたのか、それとも意図的にそうしたのかはわからないが、現場を確認していた近藤は、最後まで脱出は確認できなかった。脱出せずそのまま墜落となれば、ただでは済まない。恐らく、幸運に恵まれない限りは、そのまま機体と共に、死体となって海中に没した事であろう。
パイロットとして、近藤も堕ちると断言していた。まさか蒼波がわからなかったなどということはあるまい。なら、なぜ?
「……」
タラップを降り切り、南西の方角を向いた。雲の合間からE-767の鼻先にかかる夕日の光が、彼の顔を照らす。羽浦は、その視線の遠く先にいるであろう自身の幼馴染の身を案じた。
「蒼波さん、でしたっけ?」
「ん?」
後ろから百瀬が声をかけてくる。百瀬も、あの時思わずレーダーを食い入るように見ていた一人だ。そして、撃つな、撃つなと必死に願っていた一人でもある。撃たずに済んだ時も、安堵感の余り背もたれに一気にのしかかって数秒ほど呆然としていた。
「彼女、どうしたんでしょう?」
「さぁ……俺が聞きたいぐらいです」
何だかんだ言って付き合いが長い自分ですらわからないのだ。こういう時、神野がいてくれたらまた変わったのかもしれないが、今、那覇に彼はいない。今も行方不明のままだ。近藤を含め、彼女の友人たちがどうにかしてくれると思いたいが……。
ふと、羽浦はスマホを取りだし、彼女のLINEを開いた。当たり前ではあるが、何も書かれていない。彼女のアイコンをタップすると、数年前に取った、彼女の写真が表示される。濃紺色の制服を身に纏った蒼波が、恐らく自身が乗っていたものであろうT-4練習機をバックに、得意げに、かつ満面の笑みをカメラに向けていた。
「これ、浜松ですよね? 後ろに映ってる格納庫、向かいにある1空団のですよ」
「ええ。浜松でウイングマーク貰った時のやつです。教官が撮ってくれたみたいで」
浜松にある第1航空団において、T-4で行う基本操縦後期課程を修了し、無事ウイングマークを貰った時のことである。ウイングマーク授与式直後、とある教官が記念にと、学生ら一人ひとりを最後に乗ったT-4がバックになるよう立たせ、記念撮影をした。これはその際のものである。教官にとっても、自分が担当した後期課程で唯一の女性である彼女は特に思い入れがあったようで、表情などは結構凝らせたらしい。当時蒼波が、自慢げにそう語っていたのを羽浦は思い出す。
「随分といい顔してるんで、そのままアイコンで使ってるんです。妬ましいぐらいにいい笑顔してやがりまして」
「この後にF-15の操縦課程ですか」
「ですね。このころから他のパイロットと比べて腕が突出しかけてたらしいですよ、アイツ。教官が「お前本当は男だろ」って言って軽く腹パン喰らわせそうになったってアイツが」
「それほどの人が、一体……」
「こういう時、神野さんあたりが近くにいてくれたらなぁ……」
思わず呟くその一言。羽浦は画像ファイルから写真を取りだし、東京駅をバックに撮った3人の写真を表示させた。数ヶ月前、東京旅行に3人で行った際に、別れ際に撮ったものである。蒼波を真ん中に、左隣に優しく微笑む神野がいた。
「……」
彼は、こういう時どうしただろうか。基本操縦前期課程を実施する芦屋で知り合って以来、何だかんだでここまで来たあの二人。神野は蒼波にとってベストなお相手だった。将来を約束されたも同然なコンビの片割れがいない今、代わりになる人が向こうにどれほどいるだろうか。近藤はまだしも、そのほかに誰がいただろうか……。
こうした事態において、自分が何かできるかという問いに対して何も答えられないのが辛い所だった。自分は、神野より前から蒼波と時間を共にしてきた古き友人である。代わりになるなら、まず自分のはずだ。それなのに、この体たらく。何と情けなき事かと、羽浦は自分で呆れていた。
「(……なんて言えばいいんだこんなの……)」
――その横から、
「……まだ、諦めた顔してないですね」
「え?」
唐突に、よくわからない含みの存在を感じさせる一言を、百瀬は放った。その表情にも、何か言いたげな意味深な微笑みを浮かべている。どういうことか聞き出す前に、「さ、デブリーフィングいきますよ」と、さっさと行ってしまった。
「……?」
羽浦の脳裏には、大量の「?」マークが湧き出ていた。
――デブリーフィングが簡捷に済まされると、管制員たちは速足で会議室を出て、フリースペースのテレビの前や、自室でスマホのTVアプリを起動するなどして、民放かNHUのチャンネルに合わせてその画面を凝視した。テレビが刻々と伝える海外の状況を、誰もがその目で確認しようとしていたのだ。
状況はさらにマズい形になっていた。台湾では、澎湖諸島の一つの小島で銃撃が発生し、小規模ゲリラが浸透したらしい旨の内容が、現地メディアの報道を引用する形で伝えられた。また、台湾や韓国の海軍は、極東革命軍と思しき艦船と散発的な戦闘が発生しており、何隻かは被害を受けて戦線を離脱したとも伝えられた。当然、日本の状況も伝えられる。現在の所、東シナ海方面以外での何かしらの動きはないが、北朝鮮の関与の疑いから、日本海方面でも、舞鶴や大湊から動ける護衛艦がすべて出港し、北朝鮮東岸からの侵入に目を光らせているとも報道された。
……だが、彼らの一番の注目は、アメリカにあった。
自らの同盟国にして、世界随一の覇権国。アメリカの国連大使は、先ほど開催された安保理緊急会合の席上で、極東革命軍なる組織の軍事的行動について痛烈に非難。当事者たる中国の大使が欠席していたことが、中国政府としての軍の管理責任の問題の追及を促しつつ、「かの“組織”の脅威は、既に同盟国に被害をもたらしている」として、直ちに行動に出ることを“宣言”した。テレビでは、険しい表情を浮かべるアメリカ国連大使の女性が、強い口調で威圧を込めてコメントを発しているのが映し出されている。
『――我々は、かの組織の蛮行を、直ちに止める必要がある。国際的な結束は言うまでもなく、そのための協力を我々は惜しむことはない。彼らは民間人をも危険に晒した。ほとんどが我が国の人間だ。これは、我が国に対する挑戦と受け取る。既に同盟国が被害を受けている以上、軍事的対抗はもはや免れないものとこの場で確認したい。直ちに空母を中心とした部隊を派遣し、彼らの中枢を叩くべきだ――』
少し色黒で端麗な風貌ながら、その威圧が感じられる不快感を顕わにした表情から、ネット上では『アシュリー姉貴(姉御)』と呼ばれ有名な彼女の本領発揮である。今日は特に厳しい表情を諸外国の大使らに向けている。
特に、民間人の被害を頻りに取り上げていた。あの後、無事に嘉手納に降り立ったスカイアメリカ225便を含め、4機のアメリカの民間機をハイジャックし、うち3つを、あろうことかアメリカに関わる施設など――即ち、大使館や、ビル、アメリカの豪華客船をターゲットにし、膨大な数のアメリカ人を死傷させたことは、ホワイトハウスの大激怒を買ったようだった。「あからさまな行為だ」として、既にヴァレッド大統領が痛烈な非難の声明を発表していた。大使館がやられたアメリカは、中国からの情報入手に支障が出ており、上海の総領事館を代替として機能させるしかなかった。
アメリカの世論が今後注目となる。まだ動きはないが、軽い反応ではすまされないであろう。ヴァレッドが言う通り、このハイジャックは“あからさま”過ぎた。アメリカ国民たちがこれに気づかないはずがない。
「アメリカの世論、たぶんブチギレるよな……」
「真珠湾攻撃の時がそうだったろ。元々慎重な世論だったのに、狙ったわけじゃないとはいえ結果的に“騙し打ち”になると、世論はブチギレて一気に開戦に傾いた。リメンバーパールハーバーってやつだ」
「リメンバー911とか叫ばれそうだな」
「それ言うならリメンバー721だろ」
「うち新潟に実家あんだけど……」
「アシュリー姉貴怒ると可愛いな」
「まさか狙ったんじゃないだろうな」
「狙っただろ、理由は知らんが。ここまで明白にアメリカを標的にしたハイジャックは9.11以来だぞ――」
そんな不安げな会話が随所から聞こえてくる。誰でもない、自分達の“戦場”のことなのだ。海外のものといえど、その影響を受けないわけがない。食い入るような目線を、テレビ画面に向けていた。
……そんな彼らを横目に、羽浦は同じく早足で会議室を出た後、誰もいない適当な廊下に行った。そして、誰もいないことを確認すると、スマホを取りだし、一人の電話番号に電話をかける。
「アイツ、確かLINEは通知切ってたしな……」
普段はLINEでのやり取り故、電話を使うことはそんなにないが、出るだろうか……。
最初は、10回コールが鳴っても出ず、留守電案内に回された。やはり出ないかと思いつつも、念のためもう一回かけてみる。じっと待つ。規則的な呼び出し音が耳に入ってくる中、8回くらいコールが鳴った後である。
『……もしもし』
若干のノイズ音と共に、一人の女性の声が聞こえてきた。羽浦は若干表情を崩した後、
「おぉ、やっときた。悪いな、いきなり電話して」
『いいわよ。デブリ終わって今日はもう飛ばないから』
「あぁ、俺もそうだ。次に備えての休息のはずなんだが、皆ニュースに食いついてて全然休みになってねんだがな。そっちもだろ?」
『大体ご想像の通りよ。皆テレビに食いついてて話にならないぐらい。あれじゃ寝るの忘れるんじゃない?』
「まあ、だろうな……」
開口一番、軽く世間話をしはしたものの、羽浦はすぐに気付いた。いつもの蒼波のテンションではない。雰囲気が暗い。やる気が感じられないほどの声の低さ。やはり、先ほどまでの件が残っていたか。
――切り出すべきか否か。羽浦は言葉に詰まった。だが、ここで逃げたら今後何があっても何も言い出せなくなるかもしれない。一世一代……は大げさだが、ここは踏ん切りをつける時だ。
「……、大丈夫か?」
『え?』
「随分とお前らしくなかったじゃないか。お前なりに飛ぶのは良いが、あそこまではっちゃけろとは言った覚えはないぞ?」
羽浦の言わんとすることはすぐに理解したのだろう。今度は蒼波が言葉に詰まった。こうなることは想定済み。羽浦は静かに、そして優しく声をかけた。
「……何があったんだ? 俺でいいなら相談に乗る。抱え込むな、そういうのは吐き出してしまったほうがいい」
その言葉に動かされたか。小さくため息をつく音が耳に入ったと思うと、蒼波も静かに言った。
『……確認したいんだけど』
「ん?」
『私、空の上で何してた?』
また……。これは空の上でも聞いた。流石に不安になった羽浦は、あり得ないだろうとは思いつつも、その質問に答える前に、さらに質問で返した。
「お前、まさか二重人格でも発症したんじゃないだろうな?」
『あぁ、いや、違うの、そういうわけじゃなくて……ちゃんと、意識も、“記憶も”あったのよ』
「記憶も……ね」
つまり、本当に“確認”したいと……。当然、ここは適当にはぐらかす場面ではないだろう。見たままのものを、羽浦は告げた。
「落ちていくミグを、無我夢中で追いかけてた。ミサイルの射程はもちろん、ガンの射程に入ってもそのまま。撃ち落とすんじゃなくて、“体当たり”でもしに行くんじゃねえかってぐらいの勢いだ。……たぶん、近藤さんや、俺の声も届いてなかったろ?」
『……うん』
「だろうと思った。名前呼んでやっと止まったレベルだ。相当ミグに意識が集中してたんだろうが……」
名前で呼ぶことになったのは、さすがにアレが初めてだった。幸い、重本が手をまわしてくれて、一種の緊急避難行為として処理されることになりそうで、何かしらの処罰が下ることはなさそうだった。とはいえ、自分の幼馴染に、ある種の禁止行為をさせたのである。蒼波は重い責任を痛感していた。
『ごめんね、TACネーム以外で呼ばせたりして……』
「気にすんな、結局お咎めなかったからただのドッキリ話で終わりだ。あの背面飛行も含めてのな」
『あぁ、あのミグとの間に入った……』
「あの漫画と似たようなことやるバカが現実に、しかもすぐ身近にいるとは思わなかったぜ。ま、それも大成功に終わったし、米軍さんからはウケがよかったから別にいいさ。でも、余り危なっかしいのは勘弁だぞ、俺も寿命が縮むしな」
『うん……、本当にごめん』
「おいおい、そう深刻そうな声だすなよ。俺がキレてるみてえじゃねえか」
どうにかして会話の調子を整えようと、自分なりに陽気な雰囲気を出そうと試みる羽浦。だが、それも全て空振りに終わっていた。帰ってくる言葉が軒並みローテンションかつ低音で、元気のげの字すらないような状態だった。羽浦の目論見も、中々うまくいかない。
「(んー、これはどうしたものか……)」
話も逸れていたし、さっさと本題に入ろうかと思った時だった。
『……ふと、落ちていくミグを見ながら思ったのよ』
「ん?」
蒼波の方から、その本題を振ってきた。自然と、耳にスマホのスピーカーを当てる力が強くなる。
『あのミグ、落ちていきながら、必死に上がろうとしてた。エレベーターが、何度も上を向いてたのよ』
「上昇しようと必死だったのか」
『うん。少なくとも、諦めてるわけじゃなかったみたい』
近藤の言っていた機体の損傷具合からは、正直回復は見込めないとは思うが、これはある種の生存本能というやつであろうか。死の瀬戸際に立って、このまま海に落ちて死ぬことを躊躇ったか。
あのミグのパイロットがその後どうなったかはわからないが、現場の海上は比較的穏やかだったはずだ。もし幸運にも生きていれば、もしかしたら救助されているかもしれない。
ただ、その時蒼波に、魔が差してしまったようである。
『あのミグのパイロットを見た時、一瞬遼ちゃんの顔が浮かんできて……』
「遼さんの?」
「遼ちゃんは、理不尽に殺されたのに……アンタは、なんで勝手に生きようとしてるのって……」
羽浦は当時の無線内容を思い出す。蒼波はふと、「一人で抜け抜けと生きようっていうの」と言葉にしていた。あの言葉はつまり、「彼はお前たちに殺されたのに、なぜ自分たちだけはさっさと逃げようというのか」という、“怒り”の言葉だったのだ。
それを心で感じ取った瞬間、蒼波の理性は吹き飛んだ。“復讐”という言葉が似合うのかどうかはわからない。だが、やろうとしていたことは、間違いなく“復讐/報復”だった。曰く、「自分が自分でなくなっていた」という。
『さっきも言ったけど、人格が二つになったとか、そういうのじゃないのよ。ちゃんと、自分の意思でやった。でも……信じられなくて……』
声が震えている。恐怖の声だ。自分が、先ほど空の上でやったことが、“恐ろしかった”のだ。空の上での戦闘機乗りは、基本的に孤独だ。戦闘機という、何十億、何百億という高価な兵器を、たった一人で操るのだ。そしてそれは、扱い様によっては、味方を守る勇猛果敢な翼になる時もあれば、周囲に死を振りまく凶鳥にもなる。それは、全てパイロットの腕次第なのだ。
……今回の場合は、間違いなく後者の方になるところだった。妖精が、“死体蹴り”をするところだった。妖精が、危うく“悪魔”に変化するところだった。それがどれほど恐ろしい事か、イーグルドライバーである蒼波が理解しないはずがなかったのだ。
『今もそうよ……さっきから心臓がバクバク言ってて、自分は何をしてたんだって……』
「……咲……」
『確かに戦争になったら人を殺さないといけないのが自衛官だけど、あんな“殺し方”はないって……わかってたのに……』
蒼波は頻りに「なんで」と呟いていた。途中からはすすり声すら聞こえてきた。羽浦は何も答えることができない。壁にもたれかけ、スマホのスピーカーを右耳に当てたまま、固まってしまった。
……事態は思った以上に深刻だった。これが、つい数日前までバカみたいなお下劣会話を男性相手に振りまくり、尚且つ、周囲に笑顔を撒き散らす、あの古き幼馴染の姿なのか。とても同一人物には思えない。神野を失い、それによって、蒼波はとんでもない過ちを犯しかけてしまった。自分が止めていなかったら、自分が、彼女の名前を使ってでも止めようとしなかったら……。その先を想像した時、羽浦はゾッと身を震わせた。
「……」
なんと声をかければいいのかわからず、羽浦の頭は真っ白になった。半分以上ノープランで電話をかけた時点でおかしいのだが、いざこうした事態に直面した時の、まともな返しを考えてすらいなかった。いや、正確には、“思いつかなかった”のだ。
それでも、何か返さなければならない……。電話の向こうからは、もう言葉は聞こえてこない。小さく、すすり泣く声だけが聞こえてきていた。幼馴染の危機に、一体何を混乱しているのだ。羽浦は自分を一喝すると、冷静を装って言った。
「……今、俺がすぐにかけつけられないのが何とも歯痒いな」
『……』
「俺は管制員だ。お前を含むパイロットたちを導くのが仕事だ。……遼さんに関しては、約束を守れなかったのは本当に辛い。二人を、しっかり守るって軽々しく約束するべきじゃなかったと、俺も後悔してる」
神野と交わした約束は、羽浦も未だに後悔していた。蒼波に打ち明けるのはこれが初めてであろう。そして、羽浦は敢えて、次にこの言葉を繋げた。
「……だが、俺たちは乗り切らないといけない。遼さんの死も、仲間の死もだ。いつまでも下を向いてられないんだ。俺はお前が生きて行けるように導きたい。今この死を乗り越えてだ。だから――」
「――お前も、乗り越えてくれ。“こんなこと”でくよくよしてる場合じゃないだろ?」
結局、こんなテンプレートな返ししかできないのか……。羽浦は、口でそう言いながら、内心で自嘲した。今の蒼波にとっては、言わずともわかっている内容であろう。わざわざ自分が言う必要もないのだ。だが、これ以外に何も思いつかなかった。ただの“説教”以外何も返すことができない。気の利いた言葉を返す能力がない自分を、羽浦は本気で呪った。
「こんなことって言っても、お前にとっては相当なものだってのは重々理解してる。俺にとっても、遼さんは大切な友人だ。でも……戦争はそんなこと気にも留めてくれねえんだ。既に、戦争は次の戦死者を選別し始めてる。弱いやつから選ばれちまうんだ。俺は、仲間が戦死者に選ばれないようにしないといけないんだ」
『……』
「それで、お前がそんな状態じゃ、俺はお前を守り切れない。キツイこと言ってるのはわかってる。でも――」
スマホを握る力が強くなる。なぜこれを言わなければならないんだ。なぜこの言葉なんだ。そう自分で怒る羽浦の目からは、一筋の涙が流れていた。それでも、言葉を続けた。
「――今は、今だけは、“忘れてくれ”」
羽浦は、天井を仰いて荒くため息をついた。そして、自分でツッコんだ。
――忘れろ? バカ言うな。忘れられるわけがない。いや、忘れてはならないのだ。それなのに、戦争を理由に忘れろという。なんと愚かしい話だ。自分の亡き彼氏のことを忘れることができるほど、彼女が非情な人間ではないことは、誰でもない自分がわかっているはずなのに……。
だが、蒼波からは何の罵倒も返ってこなかった。憎まれ口の一つや二つは覚悟の上だった。しかし、蒼波から帰ってきたのは、やけにあっさりしたものだった。
『……うん、そうだよね……』
羽浦は呆気にとられた。すんなりと受け入れた? あれが“正解”だったのか?
『今は、遼ちゃんどころじゃないしね……、いつまでも拘ってるわけにはいかないし』
「すまん、もっと気の利いたことをいえればいいんだが……」
『ううん、いいのよ。言ってることは何も間違ってないもの。それに……、辛いのは、お互い様だしね。雄ちゃんに当たってもしょうがないもの』
その声は、やけに優しいものだった。普段の蒼波からは聞けないほどのものだ。伊達に幼馴染をしているわけではないか。羽浦の内心も、蒼波なりにしっかり感じ取っていた。もしかしたら、羽浦の声から、静かに涙を流していることも察していたかもしれない。
『……思ったんだけどさ』
「ん?」
『雄ちゃんも、随分変わったわよね』
声だけは変わらずに出てきたその一言。一瞬、羽浦の心臓が跳ねた。ついに一つ目の憎まれ口がきたかと、羽浦は自嘲気味に笑って答えた。
「ああ……随分と冷酷になったって自覚はある」
『あぁ、いや、そうじゃないのよ……。単に、“強くなったな”って。前より』
蒼波は慌てて訂正した。「というと?」。羽浦にはその言葉の意味が分からなかったが、蒼波は続けた。
『本来はそれが普通なのよ。例え仲間が死んでも、それに動じず、やるべきことをしっかりこなす。それが普通。……それができる雄ちゃんは強いなって』
「バカ言え、買被りするな。俺はまだまだ、か弱い人間だ」
『どうして?』
心底不思議に思っているらしい。羽浦は小さくため息をついて言った。
「逆なんだよ。人としては、お前みたいなのが普通なんだ。その逆が、自衛官としては理想であったとしてもだ。でもそれは、究極的にはロボットと一緒だ。人には心がある。お前はちゃんとあるのが一目でわかるが、俺はそれを無くそうとしている。そうしないと、真面に仕事ができないし、“強く見えない”からだ」
強いように見えているのは、本当に“表面的なもの”でしかない。自らの本心で感じていることを塞がねば、真面に任務をこなせない。だがそれは、人としての大切な部分を取っ払うことを意味する。自衛官でありながら、人でもあらねばならないことは、左右どっちかの道にしか行けない状態で、「どっちにもいけ」と言うようなものなのだ。これほどの無理難題はない。
だが、それならどちらかを選択するしかない。それが現実だ。羽浦は、“自衛官(軍人)としての理想”を採った。か弱い人間に、人はついていかない。自分は空の上では一人の指揮官となるのだ。表向きでも、“強く”あらねばならない。
――国を守るとは、かくも大変なことだ。自らの精神にも、過度に、“自分で”干渉するのだから。羽浦は、内心でそう痛感していた。そして、それをしないといけない“か弱い自分”を恥じた。
「……互いに辛いが、命を大事に生きようぜ。これが終わったら、また六本木あたりでディナーでも取ろう。俺の奢りだ」
『たまには私に奢らせてよ。今日は迷惑かけたし。六本木ならちょうど行きたいレストランあったからそこでさ』
「お前が飯を奢るとか、当日は雷雨間違いなしだな。合羽用意しねえと」
『何が言いたいのよ、アンタ』
電話の向こうで、「クスッ」と笑い声が聞こえてきた。つられて、羽浦も笑みがこぼれる。昨日以来、初めてこぼれた笑顔だった。まだまだ小さくか弱い笑顔だが、羽浦にとっては何よりの励みだった。
とはいえ、完全に癒えたわけではないだろう。そもそも、あそこまでのショックを、短時間で回復させることができると考えるほど、羽浦も甘くはなかった。
「(でも、きっかけさえあれば……)」
そう思い、一先ず今日の電話はここで切ることにした。
「じゃあ、俺もこの後飯食って休むから。お前も飯食えよ。確か、カツカレーでも食わされるんだろ?」
『あぁ、無線聞こえてた?』
「バッチリな。俺も、どうにか頼み込んでカツカレーにでもしてもらうかね。今日は無理でも、せめて明日の夕食あたりに――」
と、羽浦の脳裏に湯気が立つおいしそうなカツカレーが浮かんでいた時だった。
『――ん、ぇ、なに……?』
電話の向こうの様子が変わった。蒼波が戸惑ったような声をしている。誰かと会話しているのか、と思ったら、今度は走っているような音が聞こえた。羽浦が呼びかけるが、応答がない。応答があったのは、走る音がして数秒の後。
「どうした、なんかあったか?」
羽浦の少し呑気な声に対して返ってきたのは、また震えるような声だった。先ほどとは違う、“動揺”が混じったものだった。
『今、テレビ見てる?』
「いや、俺廊下で電話してるから……」
『すぐに見て! どの局でもいいから! 早く!』
今度は叫び声が聞こえてきた。思わずスマホを耳から離すが、とにかく言われるがままに、テレビがある部屋に羽浦は走った。一番近いのはフリースペースだ。その部屋の近くに行くと、既に何人かの同僚たちも部屋に慌てて入っていくのが見えた。室内からは、どよめきともとれる声が漏れている。
部屋に入ると、テレビの前は手空きの隊員たちで埋まっていた。食い入るように見つめるうちの一人を捕まえて、羽浦は聞いた。
「おい、何があったんだ?」
「あぁ、羽浦三尉。あれですよ、奴ら、島にとんでもないものを」
「あれ?」
羽浦は、指をさされたテレビ画面の方を向いた。そこでは、キャスターが頻りに、同じことを何度も、強い口調で言っていた。報道原稿をガン見し、カメラにはこれっぽっちも見向きもしない。だが、言いたい内容は伝わった。
――羽浦は言葉を失った。そして、こめかみに一筋の汗が垂れて、あごに達するまで拭うことすらできなかった。
「……咲」
もう一度スマホを耳にかざし、電話先の蒼波に聞いた。
「お前が言いたいのって、これ?」
『ええ、そうよ』
蒼波がその次に述べたことは、テレビが言っていることと、全く同じだった。
『――奴ら、占領した島のどこかに“水爆”を持ち込んだって……!』




