4-9
――ここで、隊長の“負けん気”がでたか。蒼波はすぐに直感した。
『グリズリー、ミサイルが後ろからくるぞ! いいのか!?』
『やらせてくれアマテラス! まだこいつを落とすわけにはいかねんだ! 見ろ! まだ勇者たちは戦ってるじゃねえか!』
蒼波は、右手方向で飛んでいる225便を見た。戦闘機パイロットとしてみても、ひどい飛び方だ。旅客機がするべき動きではない。だが、これをしているということは、つまり、そういうことなのだ。
1994年、貨物航空機の『フェデックス705便』が、同乗していた男性によるハイジャックを受けた。とある事情から会社から解雇されそうになった彼は、自社航空機を乗っ取り、自ら操縦して本社ビルに自爆攻撃を敢行しようとしたが、パイロットらが必死に抵抗した。
その際、元海軍パイロットであった副操縦士が、機体を性能限界まで急旋回させたり、傾けたりするなどして、抵抗している機長や航空機関士が有利になるよう支援した。勿論、アクロバット飛行など想定していないため、何時空中分解してもおかしくないほどに機体はガタついていた。
結果的には、ハイジャック犯はその場で取り押さえられ、メンフィス空港に無事降り立った。犯人は確保され、勇敢に戦ったパイロットたちは、抵抗時に受けた負傷の後遺症により復帰には至らなかったものの、その勇気が讃えられ、航空乗員組合より金メダルを授かった。
今、225便で起きていることは、あれほど激しいものではない。だが、起きている事そのものは、間違いなく同一であろう。ハイジャック犯は、機体を揺り動かすことで、状況を有利にしようとしている。フェデックス705便の事例に則れば、最終的にハイジャック犯が勝つ。だが、果敢に戦う乗員乗客は、その過去をも覆そうというのだ。
「……」
息をのむように、蒼波は225便を見つめていた。もうあと数分もない。何をすればいいんだ。あの状況を打破するために、一体何をすれば……。
『――BUZZARD 1-1, this is DEMOISELLE.』
「?」
無線の声が変わった。妙に流暢な英語。羽浦の声ではない。
『We cannot shoot missiles because you stay there. Would you please move over?(貴方が邪魔でミサイルが撃てません。すいませんがどいてもらえますか?)』
これは……まさか、E-3の無線? 『Demoiselle(アネハヅル)』とは、確か彼らのコールサインだったはず。アマテラスからの無線に応じないため、直接説得にかかったのだ。
数秒ほど、近藤は無言だった。E-3から直接声をかけられるとも思ってもいなかっただろう。
……だが、
『――No way, Jose!(いやっす♪)』
コイツ死にてえのか。何砕けた感じに「いやっす♪」なんて言ってんだ。しかも半分笑いながら言ってるじゃねえか。蒼波は思いっきり「ぁはぁあ~……」と呆れ顔全開でため息をついた。無線の先では、「プフッ」と、間違いなく羽浦の者であろう笑い声が聞こえた。お前もか友よ。
当然、E-3側は納得するわけではない。何度もどくよう呼びかけるが、これっぽっちも聞かなかった。この時点で、残り5分を切った。もう時間がない。
ホワイトハウスからの意向となれば逆らうわけにはいかないのが、軍人として痛いところ。同盟国の戦闘機に当たるかもしれないとしても、やれと言われたら、やらないわけにはいかないのだ。
『Damn it, we don't have time...(くそ、もう時間がない)』
埒が明かないとみたのか、E-3は、近藤にではなく、その後ろのF-15Cに向け無線を投げた。
『...We have no choice. LANGSUIR 4-5, Fran, cleared to engage. Shoot down target.(やむを得ない、ラングスウィル4-5、フラン、交戦許可。目標を落とせ)』
隊長ごとやる気か!? 蒼波は焦った。羽浦はすぐに近藤に離れるよう再度警告した。……が、
『……Fran?』
近藤が、先ほどとは一転して妙に訝しんだ声を出した。そして、次の瞬間には、
『……フラン、お前か! 俺の声が聞こえるか!? 俺だ! “ゲン”だ!』
近藤が叫んだ。必死に、誰かを呼ぶような声だ。呆気にとられる蒼波(と、管制機側)だが、それにこたえる、一人の男性の声がいた。
『……待て、その声、お前グリズリーか?』
日本語だ。だが、若干訛りがある。恐らく欧米の訛り。その声を聞いた近藤は、「やっぱりか!」と、まるでしがみつく勢いで無線に叫んだ。
『フラン、もう少しだけ待ってくれ! 見えてるだろうが今乗客と乗員が戦ってんだ! もう少しだけ攻撃を待ってくれ!』
『だが、もう上の連中が……』
『あと数分だけでいいんだ! 限界が来たら俺も諦める! だからその時まで――』
しかし、近藤が最後まで叫び終える前に、
『LANGSUIR 4-5, What's going on?(ラングスウィル4-5、どうした?)』
『Well...(いや……)』
『4-5, shoot down target, hurry!(4-5、目標を撃墜せよ、急げ!)』
少しばかりの唸り声が聞こえてきた。彼も迷っているのか。それでも、
『――Roger.』
彼とて軍人。命令には答えるしかなかった。近藤は必死に止めるが、それでも、もう聞くことはない。やるといったなら、もう二言はないのだ。そして、
『――Fran, FOX2.』
『フラァン!!』
ミサイルの発射コールが宣言された。もうミサイルは撃たれた。近藤も逃げなければ、最悪ミサイルに巻き込まれる。レーダーを見ても、後ろからミサイルが……
「……、え?」
……妙だった。VSDを見ると、蒼波の後ろ側からやってきているはずのミサイルがない。E-767からのデータリンクを相変わらず表示させているが、これに映っていないということは、E-767側でもミサイルの発射を確認していないのかもしれない。基本、発射コールがされればすぐにミサイルが飛んでくるはずだ。そういえば、羽浦も近藤に対し回避を警告していない。
「ミサイルがこない……、えぇ?」
後ろを振り向いても、ミサイルらしき白煙の線がない。JHMCSも、ミサイルの位置をアイコンで示してくれない。ミサイルは撃たれていないのだ。近藤も、どうやら必死にミサイルがどこにいるかを探そうとしているらしいが、見つからないようだった。
……どういうこと? なぜミサイルがこないの? 蒼波が訝しんでいると、
『...Ahh, DEMOISELLE?』
これは、先ほどまでFranと呼ばれた彼の声だ。E-3が応答すると、“とぼけるような口調で”E-3に報告した。
『Well, an mechanical trouble occurred. I cannot shoot missiles.(あー、機械的なトラブルが発生した。ミサイルが打てない)』
これを聞いた瞬間、蒼波はハッとした。
――そうか、やろうとしていることがわかった。彼は“適当な理由”を作ろうとしたのだ。
自分は撃とうとした。でも、“機械的なトラブル”が発生しちゃって撃てない。ボタンを押してもミサイルが発射されない。飛んでるときには直しようがないので、攻撃できない。ゆえに、225便は撃墜できそうにない。
でも、しょうがないよね。“アクシデント”が起きちゃったんだもんね。と、そういう理由を無理に作ろうとしているのだ。
『4-6, you can ...., shoot down that airplane?(4-6、そっちは……“あれを落とせるのか”?)』
落とせるのか、の部分を少し力を込めて言った。“念押し”、といった具合だ。機械的なトラブルの状態を聞いているのに、ミサイルを撃てるかどうかではなく、わざわざ“落とせるか?”と聞く当たり、暗に察しろと言っているようなものだ。
相方も、隊長が何を言いたいのかすぐに理解したらしい。こちらも、“とぼけたように”言った。
『Ahh....oh, came on! I cannot shoot missiles too! HAHAHA!!(あー……ひえー、なんてこったー! こっちもみさいるがうてないやー! HAHAHA!!)』
こいつら絶対ふざけてるだろ。半分笑ってんぞお前。蒼波は思わず呆れたような苦笑を浮かべた。そして、「プフフッ」と再び羽浦の笑い声を耳にしてさらにため息をついた。笑いのツボどうなってんだお前は。というかスイッチ切れスイッチ。
これで、スクランブルに上がった2機がどちらもミサイルが打てないという“アクシデント”が発生してしまった。アクシデントだから仕方がない。今更どうしようもないのだ。だって、“アクシデント”なんだもの。
フランがその旨報告すると、意外にもE-3側はすんなりと受け入れた。尤も、彼らも彼らで本音撃たせたくなかったのである。適当な理由が見つからない中のこの無線は、まさに助け舟みたいなものだったのだろう。余りにあり得ないものではあるが、その場しのぎにさえなればいいのだ。
近藤は小さく「ふう」とため息をついた。ほっと一安心ということだ。
『……サンキュー、フラン。助かった』
『借りは冬の同人誌でだ』
陽気な欧米訛りの日本語が返ってきた。二人は友人なのだろうか? そういえば、嘉手納に同じパイロットの友人がいると聞いたことはあるが、その人か?
だが、それを気にしている暇はない。まだ事が解決したわけではないのだ。今この場での撃墜はないにせよ、迎撃ラインまではあと3~4分。陸上部隊は流石に本気になって撃ち落としに来るはずだ。そうなればせっかくの“奇策”も意味がない。225便は今も機体を……、
「……あ」
だが、その225便にも変化が訪れた。機体の急旋回が弱まってきた。若干大回りな旋回をし始めたようだが、最初程のキレも、大きなバンク角もない。機内での状況に変化が起きたのか?
「ミグが近づく!」
しかし、それに伴って、MiG-29も225便に再度近づこうとしていた。また張り付かれてはマズい。そう思った時には、蒼波は既に機体を右旋回させていた。
『フェアリー、どこ行く気だ!』
『え、ちょ……ふ、フェアリー、今はまだ近づくな! 旋回に巻き込まれるぞ!』
近藤と羽浦が立て続けに警告した。だが、また張り付いたら、今度こそ引きはがすチャンスはない。蒼波は警告を無視し、225便に左後方から近づいた。
MiG-29は真後ろの下の方向から徐々に上昇しながら接近していた。このまま、再度機体後方の下部に張り付くつもりだ。そうはさせじと、蒼波は機体を加速させつつ、一定距離まで近づく。
『フェアリー! 225便はすぐそこだ! それ以上ちか――』
羽浦が接近するなという警告を発し終える前に、蒼波は口をはさんだ。
「アンタ、前に『エリ8』読んだことあるわよね?」
『はぁ? まあ、昔読んだことはあるけど……』
「アニメも見たわよね?」
『あぁ、OVAの方な。てか、今それは――』
「周りが煩くなったらアンタから説明しといて。たぶんわかるはずだから」
『はぁ? ちょ、お前何を――』
その後、羽浦から色々と煩く言われたが、蒼波はすべて無視した。いつしか、自らの脳がそれらを“余計な雑音”として知覚できないようシャットアウトした。
蒼波は、主翼下についていた増槽二つを投棄した。若干軽くなった機体は、さらに225便に接近。この時になると、225便はほとんど機体の動きが安定していた。MiG-29も一気に接近をかける。
「(させるか!)」
すぐ間近まで迫ったとき、蒼波は機体をハーフロールさせ、そのまま225便の機体後方下部のすぐ真下に一直線に突っ込んだ。今まさに、MiG-29が張り付こうとした、その場所である。
躊躇なく機体をそこに滑り込ませた蒼波は、真上を見上げると、徐々に上昇してきていたMiG-29を肉眼ではっきりととらえた。すぐ目の前にいる。互いにバイザーさえ上げれば、互いの顔もハッキリと見えるかもしれない、それぐらいの近さだった。それはまるで、アメリカのサンダーバーズの有名な2機演目『カリプソパス』を、完全に上下に並んだような状態でやっているようにも見えた。
――つまり、自分の機体を“間に挟めた”のである。こうすれば、MiG-29は張り付くことはできず、蒼波機が邪魔になるという寸法だ。しかし、無謀すぎるアクロバット飛行に、近藤や羽浦は驚きのあまり仰け反ってしまうような絶叫を上げる他無かった。
『あのバカ! 背面飛行で間に割って入りやがったぞ!?』
『エリ8ってこれのことかよ! そいつ大和航空でもねえしB4でもねえし、あと爆弾取り付けられてすらねえんだけど!?』
「爆弾ならあるでしょ、ミグっていう名前の」
『プラスチック爆弾じゃねえわバカァ!』
『HAHAHA, it's japanese Calypso Pass?』
『NO! This is stupid flight!!』
羽浦が激しくツッコミを入れている。実際、愚かしい飛行であるには違いない。これが許されるのは、それこそプロのアクロバット飛行チームの面々だけであって、ただのファイター風情がやっていいものではないのだ。だが、蒼波はやり遂げてしまっている。将来は史上初の女性ブルーインパルスパイロットだろうか。
しかし、蒼波はそれで終わらなかった。すぐに引き離すべく、無謀にも操縦桿を少しだけ引いた。徐々にMiG-29に近づくF-15J。相手パイロットも、間に背面飛行で割って入られただけで唖然としているはずなのに、さらにぶつかろうとばかりにゆっくりと近づいてくるのだ。下手すれば気が狂ってしまう。
「ほらほらどきなさ~い、ぶつかるわよ~」
そんなことを呑気に言う蒼波だったが、MiG-29のパイロットも、流石にこれには耐えられなかったらしい。機体を一気に押し込んで、急降下。225便から離れた。
「(今!)」
それこそが蒼波の狙いだった。少しずつ225便から離れた後、今度は一気に引き倒し、急旋回。MiG-29の背後についた。
「グリズリー! B8について!」
『おっしゃ! 任せろ!』
今度は近藤が、225便に即座に接近し、左前方すぐ近くについた。これでMiG-29が再度近づいても、速攻でミサイルで迎撃できる体制を取った。その後、ラングスウィル4の2機も、それぞれ右後方と右横少し前方側につく形で守りを固めた。
同時に、蒼波はMiG-29を捉えた。AAM-5Bの多素子シーカーが、目の前のMiG-29を捕捉し、蒼波に、ロックオン完了の電子音を鳴らした。
「フェアリー、FOX2!」
人生初。実弾のミサイルを撃った瞬間となった。AAM-5Bは、“アクシデント”もなくランチャーから勢いよく飛び出し、白煙を引きながらMiG-29に向けて一直線に突撃していった。
MiG-29はフレアを放出しながら急旋回で避けようとするが、2波長赤外線センサの採用により対赤外線妨害対処能力を向上させたAAM-5Bから、その程度のフレアを使って逃げ延びようというのが無理な話だった。AAM-5BはMiG-29の右主翼付近にたどり着くと、近接信管が作動。多数の破片を右主翼を中心に広範囲に命中させ、主翼の半分ほどをもぎ取ることに成功した。そのほか、機体のいたるところから黒煙が吹き出し、即座に墜落とまではいかないまでも、徐々に降下を始めた。
『こちらアマテラス、ミサイル命中を確認。レーダーにはまだ反応があるが、ミグはどうだ?』
『グリズリーよりアマテラス、ミグは黒煙を吹いて徐々に降下中。あれじゃ何れ墜落する。よくやったぞフェアリー、お前の初戦果だ』
近藤が蒼波を称える。まだまだ新米なパイロットとしては、これ以上ない方法での戦果だ。結果論ではあるが、あそこまでの無茶は正解だったようであった。
さらに、羽浦は「機内から無線がきた」として、
『コックピットを奪還したらしい。今無線が来た。225便は奪還された。繰り返す、225便は奪還された!』
『ほおらみろ! やっぱり待ってたよかったじゃねえか、ハッハッハァ!!』
近藤が得意げに笑った。フランたちも、どうにかホッと一息といったところだった。それは確かに耳にした。喜ばしいことに違いない。喜んでいないわけがない。
……だが、
「……」
蒼波は、一直線にある方向をみたまま、ずっと黙っていた。心の内で、なぜか晴れないこのモヤモヤした感情は何か。何かが晴れない。このまま終わりでいいはずなのに、あとはさっさと帰って終わりでいいはずなのに……。なぜ? なぜ心の内でまだ何かを求めているのか?
「――なんで」
そして、その正体をふと言葉にしたとき――
「――自分だけ、逃げようとしてるの」
――E-767のオペレーションルーム内はささやかながら歓喜に包まれていた。
先ほど、E-767の方に、225便の方から無線が入った。無線の主は日本語を操っており、225便に乗り合わせた乗客を名乗った。しっかりした声で、「ハイジャック犯を捉えた。飛行機を取り戻した」と、それはそれは勝ち誇るような声調で言った。
「やったぞ! 勝ったんだ!」。待った甲斐があった。ギリギリまで耐えたご褒美だ。すぐさまE-3を通じて嘉手納に連絡し、迎撃を止めるよう要請した。嘉手納基地が設定した迎撃ラインギリギリ。あと1分以内に侵入するという、まさに“寸前”の状態での奪還となった。
225便の方で、既に別の操縦ができる者がコックピットに座り、ハイジャック犯は機内の一角で屈強な男たちを中心に取り押さえているということだ。あとは、嘉手納基地が直々に誘導することになり、ラングスウィルが着陸までをエスコートすることになった。
「よくやった羽浦、ご苦労だった」
「はい……、ふぅ~」
羽浦も大きく息を吐いて、腹に貯めていた緊張のストレスを思いっきり外に吐き出した。大きな山場は超えた。225便に気を取られてはいたが、最初に鉢合ったJ-11部隊も、どうにか迎撃し終えたらしい。結局、彼らは帰還を考えなかったことにより、全機撃墜という結果となったようだ。
彼らの目的が、自身の犠牲をも頭に入れた225便の自爆攻撃の援護だったとすれば、結果論ではあるが、とんだ無駄死にになってしまったなとも思わなくはない。だが、そもそもこれを仕掛けてきたのはそっちなのだ。同情するほど、羽浦も気が良い人間ではなかった。
「バザード1-3と1-4も、こっちに向かって帰還してきている。代わりは今上がってくるから、さっさと4機まとめて那覇に戻せ」
「了解」
彼らも疲れたろう。蒼波も、初の戦果を上げて堂々帰還ということになった。尤も、人を殺したには違いないので内心複雑であろうが、もうここまできたら割り切るしかない。過剰にならない程度に落とすだけ、国民を守ることができたと発想を変えるしかないのだ。少なくとも、羽浦はそう気持ちを切り替えていた。
「グリズリー、お疲れさん。あとはラングスウィルがエスコートする。そっちは帰還の許可がでた」
『あいよ。全く、ヒヤヒヤしたぜ、今回は』
「お隣のラングスウィルのフランは知り合いか? 随分と仲良いようだが」
『地元の友人だ。あとで紹介してやるよ』
なんと、彼には嘉手納に友人がいたのか。しかも同じイーグルドライバーとは。『よろしく~』と、やはり欧米訛りな日本語でそう言ってきた彼。どうも近藤と同じ匂いがする。類は友を呼ぶという。羽浦は妙な予感がしたが、まあ、今は気にしないことにした。今は堂々、基地に帰るだけだ。
「グリズリー、今1-3と1-4もそっちに合流する。向こうも何とかやり終えたようだ。そっちと合流次第、帰還せよ」
『了解した。何とか今日も全員生還だ……』
その声は、先ほどとは違い少し小さめの大人しい声だった。確かに、訓練ではない戦場にいるという現実は、次の瞬間には誰かが落とされ、死ぬかもしれないという理不尽な現実と隣り合わせであることを教えている。平時でも事故が起きれば死ぬときは死ぬが、落とされて死ぬという事は何より避けたいことだ。全員生還。これが達成しえることは、隊長としては何よりの感謝であろう。
「……ならさっさと帰るんだな。“アクシデント”が起きる前に」
『だな。“メカニカル・トラブル”が起きる前にな』
そう言って、二人で軽く笑いあった。
『フェアリー、どこだ? そろそろ帰るぞー』
そして、近藤が蒼波を探した時だった。
『……おい、フェアリー、どうした? どこにいく?』
「ん?」
近藤の口調が若干暗めに変わった。蒼波のブリップを見ると、今撃墜した(正確には墜落確定の判定を受けた)MiG-29の付近を回っていた。てっきり戦果確認のために外周を回っているだけだと思い、特に声はかけなかったが、近藤の口ぶりからして、どうもそんな単純なものではないらしい。
『フェアリー、帰るぞ。そいつは放っておけ。どうせ長くは飛べねんだ、そのまま落ちるさ』
近藤がそう呼びかけるが、応答がない。おかしい、無線機に不調でもあったか? だが、無線機の故障を伝えるコードがこっちに送られてきていない。近藤機の無線が不調というわけでもないだろう。それなら羽浦の方にも聞こえてはこないはずだ。
「フェアリー、どうした? 無線機に不具合か?」
羽浦も呼びかけるが、やはり応答がない。妙だ。やはり無線がイカれたのではないか?
「フェアリー、無線に問題があるならばグリズリーに手信号か機体を左右に振って知らせt――」
――だが、その時だった。
『――おい、フェアリー! どうした! おい!』
「ッ?」
近藤が叫んだ。早口で、前のめりに怒鳴っているような声。蒼波のブリップは、MiG-29にどんどんと接近していっていた。
「フェアリー、どうした? ミグに接近してるぞ?」
『アマテラス、フェアリーの様子がおかしい。ミグに一気に近づいていやがる。何か変だ』
「機体に不調か?」
『わからん。でも見た限りでは何も異常はない。煙も吹いてないぞ』
だとしたらなんだ? 何があった? 羽浦の様子がおかしいことを察知した重本が、羽浦のそばに近づいた。
「どうした?」
「バザード1-2がミグに一気に近づいています。機体の不調の可能性はほぼなし。無線にも応答がない状況です」
「なんだ、トドメでも刺そうってのか?」
「いやぁ、まさか。もう落ちる寸前な状態なんです、弾を無駄にするようなことをアイツが――」
『――一人で、抜け抜けと生きようっていうの――』
羽浦は、一瞬だけ聞こえたその無線を、確かに聞いた。間違いない。蒼波の声だ。そして、その言葉の意味することを、彼はすぐに理解した。一人だけ、つまりミグのパイロットが、未だに生きようと必死に飛んでいることを、許さない口ぶりだ。苦笑気味だった羽浦の表情が、ゆっくりと“恐怖”を形容するような怯えた形に変貌していく。
「……おいおい……」
冗談だろ? もうそいつは落ちる。これ以上攻撃する必要はない。無駄な行動だ。
無線は近藤も聞いていたらしい。無線で怒鳴り声が聞こえる。
『フェアリー! バカな真似はやめろ! そいつはもう落ちるんだ! 攻撃する必要はない!』
羽浦もすぐに加勢した。
「フェアリー、すぐに戻れ。そのミグはそのまま落下中だ。何もしなくても落ちる。攻撃の必要はない。……聞こえるか、フェアリー。フェアリー?」
ダメだ、応答がない。完全に落とす気だ。あの口ぶりは間違いなく冷静さをどっかに捨てている。先ほどまではあんな風になる様子はなかった。エリ8に絡めたちょっとしたジョークを無線で投げるぐらいには、精神的にも余裕があった。なのに、なぜいきなり? 羽浦は理解に苦しんだが、とにかく叫んだ。もうとっくにミサイルの射程には入っている。
「フェアリー、これ以上は過剰攻撃だ! そいつは攻撃するな! あとはそのミグ自身に任せればいい! すぐに戻れ!」
『フェアリー! お前無線切ってんのか!? 馬鹿な真似はよせ! 戻るんだ! フェアリー!』
近藤と共に、羽浦はとにかく叫んででも止めようとした。ミグの運命は確かに決まっているも同然だ。今ここで蒼波が落とそうが、そのまま放置していようが、結局その先にあるのは墜落だ。蒼波が落としたという戦果も変わらない。パイロットが生きているかどうかは、別に重要ではない。比較的沖縄本島に近い海域なので、生きていれば、何れ海保や海自あたりが救助するだろう。それだけの話だ。
……なのだが、それでも、羽浦は必死に止めようとした。これを止めなければ、何か、蒼波にとって越えてはならない“一線”を跨いでしまうと。そして、それを超えたら二度と戻れないかもしれないと。
それの正体はわからない。だが、羽浦の直感は頻りに羽浦に対し警告を発していた。「アイツを止めろ」と。
「フェアリー! 聞こえるか、フェアリー! 応答しろ!」
無線機を切っていないことを祈るしかなかった。切っていたらもう完全に手詰まりだ。蒼波がミグを落とすか、気が変わるのを待つしかない。それだけはせずにいてくれるよう、羽浦は必死に祈った。いつしか、羽浦の声から事情を察した、重本を含む周りの管制員も、レーダー画面や、羽浦の方を直接見ながら、青ざめた表情で状況を見守っていた。
「頼む、フェアリー。聞こえたら返事してくれ。フェアリー!」
声がガラガラになってきた。ここまで叫んだのは中々ない。昨日だってここまで叫んだりはしなかった。もう蒼波は、ミグを今すぐに撃墜できる距離にいる。ミサイルどころか、機関砲の射程にすら入っている。まさかそのまま突撃するわけではあるまいが、いずれにせよ、これ以上ミグに手を出すとなれば、もう蒼波は、“戻ってこれない”。
「お前は自衛官だろ! 必要以上の殺傷を嫌う“軍人”じゃねえのかよ! 聞こえてんのかフェアリー! おい!」
もはや羽浦の声も、怒鳴っていると言ったほうがいい具合のものだ。蒼波からの応答がないのが、さらに彼の焦燥感と、イライラを増幅させていた。それでも、感情任せな状態にはならない、ギリギリのところで耐えつつ、蒼波のTACネームを呼び続けた。
フェアリー。フェアリー。妖精を呼ぶ声が空しく響く中、
「(クソッ、もうこれしか!)」
もう、TACネームで呼んでも応じてもらえない。本来は禁止行為であるが、処罰を覚悟のうえで、羽浦は叫んだ。
「――咲! 聞こえるか、咲ィ!!」
――そこまで呼んで、
『――あ』
「ッ、咲!」
やっと、蒼波から応答があった。一気に胸の内を支配する安堵感。羽浦は即座に反応した。
「大丈夫か、フェアリー? 俺の声がわかるか?」
『……ぁ、あ……』
「いいぞ、大丈夫だ。まずは落ち着け、フェアリー。何かあったのか? ……あー、グリズリー、フェアリーのすぐそばについてくれ。機体の状況を」
『了解』
元より、近藤は先ほどから蒼波の方に一直線に向かっていたのだが、蒼波のすぐ左側に付くべくさらに加速して接近していった。
さらに、蒼波の機体も反転し、MiG-29から離れて行った。どうにか、攻撃を阻止することができた。羽浦は、今度こそ肩の力を抜いた。
「応答あったか?」
「ありました。ようやっとです。1-2の機体、ミグから離れます」
「危ない所だった……」
機内に漂う安堵感。必要以上の攻撃を見過ごすことにならなくてよかった。全員が、ホッと胸をなでおろす。
「全く、お前の幼馴染さんもびっくりさせてくれるぜ」
「案外、ちょいと脅かしに行っただけだったりしてな」
「かもしんねえな」
そんな会話まで聞こえてくる始末だったが、羽浦にとっては全然笑えない会話でしかなかった。短時間のうちに額に浮いた脂汗を、袖で一気に拭う。
レーダー上では、近藤が蒼波と合流していた。近藤が、先ほどとは打って変わって心配そうな口調で、諭すように声をかけた。
『大丈夫か? フェアリー、俺の機体が見えるか?』
『……隊長』
『機体に問題はなさそうだ。また飛べるな』
『……はい』
『よし。あとは俺に任せろ。大丈夫だ、そのまま俺についてこい。基地に帰るぞ。帰ったら生還祝いに豪快にカツカレーにでもありつくか』
陽気な近藤の口調は、本来なら和やかなムードを作る一助となる。だが、今回に限ってはただただ微妙な空気を作るのが限界だったらしい。とにかく、まずは帰ってからだ。羽浦は近藤に指示し、基地への針路を取らせた。燃料も、ギリギリではあるが基地までには届きそうだ。1-3と1-4が合流してからの予定ではあったが、こうなってしまってはそうもいってられない。早く基地に返してやらねば。
「(ったく、アイツもとんでもないことしてくれる……)」
こればっかりは後で一言言っておいた方がいいのだろうか。いや、怒ったりしたらかえって塞ぎこんでしまうかもしれない。むしろ、ここは幼馴染らしく、何があったか丁寧に事情を――
『――私』
「ん?」
不意に、蒼波が無線で呟いた。近藤も『どうした?』と反応したが、それには答えず、もうそのまま消えてしまいそうなぐらい小さい声で呟いた。
『――さっきまで、何してたの……』
――羽浦は、その言葉に妙な衝撃を受けた。何してたのか。まさか、記憶がないとはいうまい。二重人格だったともいうまい。蒼波はその何れもあり得ないほどの健康な体を持っているのだ。いきなりの言葉に、近藤も、かける言葉を失っている様だった。
「……咲……」
自らの幼馴染の急変を目の当たりにしながら、
彼女の“嘆き”に、羽浦は何も答えることができなかった……




