4-8
「――取り戻す!?」
E-767の機内は一気に騒然とした。225便の機内から、発光信号が送られてきたと聞いて、一体何事なのかと無線に耳を傾けていたら、「自分達の乗る機体を取り戻す」と言ってきた。
今、225便はハイジャックされている。取り戻すと言っている人が、少なくともハイジャック犯ではないことは明らかだ。となれば、この信号を送っているのは、その他の乗員乗客……。
「……まさか」
羽浦は、一つの可能性を導き出した。
「――乗員乗客が、自分たちで機体を“奪還”するつもりか!?」
これしか考えられない。ハイジャックされた機体を、自分達の手で取り戻し、地上へと降りる。この発光信号は、それを宣言するものに他ならない。
それは即ち、まだ225便の機内では、多くの勇敢な者たちが“戦っている”ということの、何よりの証左である。
「おいおい、それまんま『ユナイテッド93便』じゃねえか……」
誰かがふと呟いた内容は、まさに的を得ていた。
9.11発生時、唯一目標に到達しなかった『ユナイテッド93便』。ワシントンに向かう最中、乗員乗客らの抵抗を受けたテロリストたちは、本来の目標への自爆攻撃を断念。その機体を、ペンシルバニア州シャンクスビルに墜落させるしかなかった。全員の生還は叶わなかったが、その果敢な行動は全米どころか世界中で称賛を浴び、映画化されるにまで至った。先述の通り、羽浦もその映画を見た一人である。
これと、全く同じことが起きようとしている。いや、もしかしたら、もう起きているのかもしれない。機内では既に、多くの“勇者たち”が戦っている最中なのかもしれない。機内の様子がわからないのでどうとも予測できるが、少なくとも、“戦おうとしている”ことは間違いなかった。
「93便の方も、あと一歩ってところまで来てたらしいしな、もしかしたら……」
「でも、あっちは失敗したじゃねえか」
「向こうだって知ってるだろうさ。それでも、その過去を覆そうってんだ。全く信じらんねえ」
機内がざわつく。こうした“無謀な行動”を民間人が実行するとは、流石に予想できかったのだ。そして、
「……まだ、向こうは諦めてないんだ……」
ふとでてきた百瀬のその呟きは、225便の機内にいる多くの者たちの心境を代弁するものであった。
飛び立ってすぐにハイジャックされ、命が危険に晒され、そして、知ってか知らずかはわからないが、最後は自爆に巻き込まれる運命であろうとも、彼らは、最後まで抗うつもりなのだ。このまま死んでたまるものかと。飛行機という密室空間内では、外の誰かに助けも呼べない。誰も頼れないなら、自分たちでどうにかするしかないのだと。
……彼らは、生きるつもりだ。最後の最後まで、自らの“生”にしがみ付くつもりだ。なんて勇敢な事か。そして、なんて自分たちの情けなき事か。
米軍に委任するからと、さっさと諦めて放り投げようとしてしまったのだ。あそこまでの勇敢な心を見習うべきなのに、それを民間人から教えられるとは。そうだ、どうせ投げるにしても、最後の最後まで抗い、できることを全てし切ってからだ。さっさと投げて終わりではない。これでは、丸投げを決断した自分たちの政府を、笑う権利はないだろう。自嘲的な笑いを、羽浦は自然と浮かべた。
「(……まだ、諦めちゃならねんだ)」
……絶対に落とさせない。そう決心した羽浦は、
「シゲさん。やりましょう」
重本の方に向き直った。決意の目線を向けられ、重本も、この後何と言われるか大体察しがついた。
「……上の意向に歯向かうことになる」
「覚悟の上です。尤も、米軍も黙っちゃいないでしょうが」
「まぁた俺がドヤされそうだ……」
「俺も巻き込みますか?」
「皆でやろうぜ、皆で」
別の管制員がそう陽気に言った。他の管制員の顔も、先ほどとは打って変わって、キリッと引き締まったものとなっていた。225便からの発光信号は、ここにいる全員の気持ちを一つにさせていた。もう、政府や米軍の意向など知ったことではない。自分たちのできることをやる。危険は承知の上。迷惑にならない程度に、最後まで“抗う”。
決してカッコいいことでも、誇れることでもない。フィクション物じゃ美的に話されることでも、失敗したら責任は全て自分達に向くのだ。それでも、自分たちは敢えて、“汚れ役”を演ずるのだ。
重本も、「やれやれ」といった表情で、小さくため息をついて言った。
「……文句言われたら言い返してやるか。「人命は地球よりも重い」ってな」
名案だ。羽浦は内心で膝を打って小さく笑った。
となれば、やることはもう見えてくる。重本はすぐにE-3に連絡を入れて、発光信号があったことや、その内容をも伝え、撃墜を待ってもらうよう要請した。羽浦も、そのまま監視を続けるよう指示。スクランブルのF-15Cが来ても無視するよう命令した。
「イーグルが何かけしかけても無視しろ。今こっちで在日米軍に掛け合ってる。絶対に退くな。こっちで責任はとる」
『言ったな? 男に二言はねえぞ?』
「なんか言われたら何度でも女神の名前を出せ。倫理審査会当たりに引っ張り出されてもこれで貫いていいぞ」
『これこそ由緒正しき“責任転嫁”だなぁ、全く』
そう言って近藤は豪快に笑った。
2人のブリップは一旦別れ、蒼波機はそのまま225便の左翼側に、近藤機は真後ろについた。蒼波が監視しつつ、何かあったら近藤が、MiG-29を攻撃できる体制を取ったのだ。
『ミグ、依然として機体下部で接近飛行中』
「距離は変わらないか?」
『そんなに変わってるようには見えない。どう動くかわからない旅客機の下にへばりつくたぁ、相当な勇気があるのか、それとも、動かないって確信があるのか……』
何気ない一言ではあるが、これは羽浦にとっては大きなヒントになった。確かに、ハイジャックされたということは、誰とも知らないハイジャック犯がどう動かすか全くわからない状況になったも同然なのに、さも何も起こらないことを知っているかのように225便の下に張り付いている。よほど225便を“信頼”していないとできない芸当である。
「(やはり、何かしらの形で連絡し合ってるのか……?)」
でなければ、あそこまでずっと張り付いていることは難しい。あのMiG-29だって、目的半ばで不慮の衝突で死にたくはないだろう。ある程度距離を離して、不意の旋回などに対応できるようにせねばならないが、報告にあった距離ではそれは困難だ。何かしらの形で連絡を取り合い、225便側が今どんな動きをしているか、今後どのように動くかを交信しているに違いない。
……しっかりした計画性を感じる。当日になって、ハイジャックした後すぐにMiGを呼び出して張り付かせて……といったことは簡単ではない。
『――あ、バザード1-2よりアマテラス。今こっちに向かってくるイーグルが見えた。スクランブル機はあれ?』
蒼波の声だ。レーダーを確認すると、225便の真正面からやってくる、2機のF-15Cのブリップ。コールサインは『Langsuir4-5/4-6』の2機。嘉手納基地第18航空団の第44飛行隊の機体だ。
「確認した。コールサイン『ラングスウィル4-5』及び『4-6』。吸血コウモリが直々に飛んできたぞ」
『こんな遠い東シナ海にまでご苦労さんなこった。んで、向こうはいきなり落とすなんてことはしねえよな?』
「流石にないみたいだが……」
だが、羽浦がチラッと後ろを見た限り、いきなり落とすわけではないにせよ、どうも雲行きは怪しい様である。
「――ですんで、この後機内の状況が好転しそうなんです。自分達に手を出すなということは、要は撃つなという事なんですから、もう少し撃墜を待って……いや、ですから、発光信号があったってさっきいったでしょ、うちのパイロットを信じないってんですか!? でしたらそっちのパイロットにも確認させてやればいいでしょう、今発光信号送ってるかわかりませんけどね――」
重本が口論をしている先は、同じく第18航空団のE-3である。通話を聞いていた別の管制員から伝え聞くに、どうも向こうはもう半分以上“落とす”覚悟でいるという。基地スタッフや家族らの避難はまもなく完了はするが、問題はそこではない。
そもそも、嘉手納基地は、南西諸島唯一、かつ、日本、及び極東最大規模の在日米空軍基地であり、その敷地面積は日本の主要な玄関口たる羽田空港の2倍に上る。2本ある滑走路に、225便や、張り付いているMiG-29が共に突っ込み、例え数日であろうとも使用できない状態になれば、その影響は計り知れない。また、格納庫やエプロンに駐機させている戦闘機や爆撃機などに突っ込もうものなら大惨事だ。今、被害リスクを減らすべくいたるところに分散させているとはいえ、時間も少ないため限界がある。偶然であっても、機体が集中している場所に225便が突撃すれば、その被害の収拾には間違いなく時間を食う。
極東地域での軍事行動に多大な制約がかかり、それは、結果的には極東革命軍の跋扈を許すことになる。その後反攻に及ぶことができるとしても、それに至るまでの犠牲の増加を許容せねばならなくなるのは間違いない。
「――セントリーさんとこの名誉のためにも言っておくけど、向こうも本当はやりたくないらしい。口調が完全に渋々って感じだ。だが、流石にホワイトハウスから厳命されてるならどうしようもねえってさ。適当な命令不履行の言い訳を考える暇も、隙もどうもなさそうだ」
『こんな時に9.11のトラウマ拗らせてんじゃねえぞクソッタレが』
近藤の呆れたような口ぶりが飛んでくる。
実際、ホワイトハウスの下した判断は、ドイツの憲法裁判所が聞いたら大激怒しそうな内容である。とはいえ、ホワイトハウスとしては、嘉手納が使えなくなったことによる軍事的制約だけは何としても避けたいのだろう。225便に乗っている人々の命と、嘉手納基地が使えなくなったことによって増えるであろう犠牲者を天秤にかければ、少なくとも政府の価値観に立ってみれば、間違いなく後者が重くなる。
嘗て、9.11の際に大統領から撃墜許可が下った時も、現場は情報の伝達ミス等による誤射を恐れて、その命令をパイロットらには伝えなかった。だが、今回の場合はその心配もない。狙いは一つ。MiG-29ごと、225便を落とすかどうかに限られる。
「……正直、上の都合で最終的に落とすのはほぼほぼ確定らしい。マズいぞ、機内の状況によっては嘗てのユナイテッド93便の再来か、若しくはそれより最悪の結末になる」
『コウモリ連中はずっと俺たちの後ろについてるぞ。もう撃つ体制だな』
レーダー画面上では、確かにラングスウィル4の2機が、225便の数キロ後ろについている。近藤機はその間、ちょうど中間あたりに挟まれている状態だ。
「もう時間がない……」
距離と225便の速度から考えて、あと8分程度で撃墜時間となる。あと8分以内に、225便の機内での状況が好転しなければ、こっちはミサイルが225便に命中し、バラバラに砕け散って海に真っ逆さまに落ちていくのを見届けるしかなくなる。一生もんのトラウマだ。蒼波に、そんな光景を見せるわけにはいかないし、本人だって見たくないはずだ。だが、高度3万8000フィートの高高度の空の上からできることなど、何もないのだ。
「まだか……」
羽浦が、小さく願うようにそう呟いた。そのコンマ数秒後だった。
『――ちょ、ど、どこいくのアンタ!?』
突然無線が響いた。蒼波の声だ。甲高いその美声に、すぐに羽浦が反応した。
「フェアリー、どうした?」
『225便が右に急旋回開始! バンクがひどいわ、ただの操縦じゃない!』
――始まった! 無辜な民を巻き込まんとする卑劣なハイジャック犯と、それに立ち向かわんとする勇猛果敢な猛者たちとの闘いだ。もうあと7分しかないが、これは短期決戦になる。
レーダー上でも、確かに225便のブリップはあらぬ方向へと向かい始めた。嘉手納の迎撃ラインに一直線に向かいさえしなければ、時間はある程度稼げる。
ただ、MiG-29の反応がまた気がかりだ。225便が不規則な動きをし始めたことで、常時画面に映るようにはなったが、距離は離れているようには見えない。高度もほとんど変わらずだ。
「グリズリー、ミグはどうだ?」
『ダメだ、距離は少しは離れはしたが、機体に張り付いているのには変わらねえ! 強引にでもついていこうとしてやがる!』
「ミサイルは?」
『それも無理だ、こんな状態でミサイル撃ったら、B8(225便)の動き次第じゃそっちに誤射しちまう!』
クソッ、ダメか。ブリップでは、近藤が上下左右に急旋回を繰り返す225便の真後ろにしっかり張り付いているが、ミサイルを撃つことはしない。確かに、こんな予測不可能な機動をしまくる状態で、下にいるMiG-29だけにうまく当てることなんて至難の業だ。
「しょうがない。とにかくそのまま監視しろ。今向こうは戦ってる、あとはとにかくどうにかうまくいくことを――」
――だが、それを許さない存在がいた。
「――えぇッ!? もう落とす!?」
「ッ!?」
重本が叫んだ。思わず後ろを振り返るが、受話器を耳に充てていた重本が、絶望の表情を浮かべていた。先ほどまで、E-3側に説得を行っていたはずだ。まさか、
「落とすって……」
すると、先ほどもいた通話を聞いていた管制員が焦燥感丸出しの顔で言った。
「マズいぞ、ホワイトハウス、もう諦めて落とすって言ってきやがった!」
「まだタイムリミットまで6分あるぞ! まだ耐えられるだろ!」
「奪還の可能性を切ったんだ。あの大統領、嘉手納を優先してさっさと安全を確保するつもりだ。セントリーに“厳命”してきた。もう電話先の声の後ろから阿鼻叫喚が聞こえてるぞ、たぶん向こうも頭抱えてやがるんだッ」
クソッ、あの金髪野郎が! なぜギリギリまで待てない! 今目の前で起きてる光景が見えないのか!?
羽浦は内心で激高し、目の前のコンソールを感情任せに叩いた。口には出さないが、表情には思わずにじみ出る、その激怒の表情。だが、それは羽浦だけではなかった。誰もが似たり寄ったりの気持ちを持っていた。
――なぜだ。なぜあと6分待てない? 6分でいいのだ。自分達も子供のように我がままではない。それでだめなら、潔く諦める。それを覚悟の上での、ギリギリの6分なのだ。なぜそれをも捨てた。6分だけなのに。6分の差が、結果的に大きなものになるかもしれないのに。
「……てことは、まさか」
現場には命令は伝わったはず。ラングスウィル4の先にいる225便との間には、近藤がいる。近藤が危ない!
「グリズリー、事態が悪化した。上の連中は“撃墜”を命令した。グリズリー、そこを離れろ。すぐにミサイルが後ろからくるぞ!」
『んなバカな!?』
近藤が感情任せに怒鳴った。小さくだが、蒼波の「えっ」という声も聞こえてきた。二人も、あと5分は猶予があると考えていたであろうが、かと思ったら、次に聞こえてきた無線がこれである。無理もあるまい。
『5分まだ待てなかったのか!?』
「どうも待てなかったらしい。あの大統領、相当せっかちな野郎みてえだ」
『冗談じゃねえぞ!』
「同感だ。だが、とにかく後ろのイーグルには命令が行ったはずだ。すぐにそこを離れろ。ミサイルがそっちに当たる可能性がある」
羽浦はとにかく、近藤を一旦離してミサイルの誤射を防ごうとした。近藤が225便についていくとなると、ミサイルの機動によっては、偶然その飛翔経路の近くを通らないとも限らない。距離的に見て使うのは恐らく短距離AAMだろうが、米軍の使っている短距離AAMは全て性能面で信頼できるものばかりで、そう簡単に誤射をしたりはしないと確信できる。だが、万一の可能性を捨てることはできないのだ。
……だが、
『……すまん、我がまま言わせてくれ』
「え?」
近藤の答えは違った。
『――追跡させてくれ。まだ落とすべきじゃない』




