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――ハイジャック。飛行機に乗る者ならば、人生で絶対に聞きたくない言葉トップ3には間違いなく君臨するであろう言葉である。
巡航中の飛行機という密室空間内で、ハイジャックが発生する。これが意味することは、空を飛ぶ人間ならば誰でも容易に想像できるものだった。反応として出てきた機体は、B787-10。国際線仕様なら、大体250~280席クラス。中国本土からやってきたということは、例の中国からの避難民を乗せた便であるはずだ。だが、それは東シナ海を飛ばないよう手配していたはず。自分らも死にたくはないだろうし、まさか間違って飛んできた等ということはあるまい。
「まさか、本当に……?」
誰しもが、その機内の光景を思い浮かべた。大型旅客機を使った本格的なハイジャックなど、9.11以来ではないか。9.11が起きて以降、航空機の保安体制はこれでもかというほど強化された。今日、ハイジャックなどはほとんど起きず、発生したとしても、小さな会社が狙われるのが関の山である。スカイアメリカ航空といえば、アメリカどころか、世界的にもトップクラスの規模を誇る大手航空会社である。余程丹念に下調べし、入念に準備して、やっと一か八かで実行できるようなものだ。
ここまでの準備を周到に済ませ、しかも、現在空戦中のタイミングでわざわざこっちに飛んでくるのは、偶然というには余りに出来過ぎている。
「……ゴーストの連中か?」
重本が呟いた。極東革命軍の一味――奴らが関わっていたものであるならば、事は単なるハイジャック対応では済まない。恐らく、ATMCがこちらに直接連絡したのも、そうした可能性を考慮した結果であろう。重本は、さらにATMCから情報を貰った。
「えーっと、複数機がハイジャックされてー、はい……、え、複数機!?」
「1機だけじゃないのかよ!?」
ATMCかもたらされた情報は驚くべきものだった。それらを要約すると以下のものになる。
今から30分ほど前、中国本土で複数の航空機がハイジャックされた。全てアメリカの航空会社の機体で、全て国外へ避難するための臨時便。B787やB767、B737長距離型といった中~小型機で、それらがすべて、先ほど幾つかの場所に“突っ込んだ”とのことだった。
……旅客機が、ハイジャックされ、特定の場所に“突撃”する。誰もが、ある事件を思い浮かべた。
「――9.11?」
「ほとんど同じ状況です」
重本は自然と、いやな脂汗を流してしまう。
『2001年アメリカ同時多発テロ事件』。イスラム教テロ集団『アルカイダ』の手により、4機の旅客機を乗っ取り、ワールドトレードセンターのツインタワー北棟及び南棟、アメリカ国防総省に突撃した、21世紀始まったばかりの時期に起きた一大ハイジャック事件。唯一、アメリカ合衆国議会かホワイトハウスを目標としていたと推測される『ユナイテッド航空93便』のみが、乗客らの抵抗などにより攻撃に失敗し、ペンシルバニア州シャンクスビルに墜落した。こちらは、後に映画化もされるほど有名になった。
このテロ事件は、アメリカのみならず、世界に大きな衝撃を与えた。世界経済が大きく揺れ動き、そして、アメリカ国内での反中東、反イスラム感情が大爆発。強硬な対中東政策を推し進める当時のブッシュ政権への支持が高まり、後のアフガニスタン攻撃やイラク戦争に繋がる。また、現在のアメリカが、地球規模の軍事戦略において“対テロリズム”を最優先項目とする原因にもなった。
今では、社会科や歴史の教科書では間違いなく出てくるほどの有名な事件として取り上げられている。ここにいる全員も、何かしらの形で既にこの事件は頭に入れていた。羽浦に至っては、乗客らの奮闘や当時の混乱の様子を克明に描いた、映画『ユナイテッド93』すらも見ていた人間である。
「(……あれと、同じことが?)」
ATMCから齎された被害情報を聞いて、その疑いはさらに確信へと変わった。最初にハイジャックされた『スカイアメリカ航空527便』のB737-800が、上海市浦東新区のアメリカ系外資企業のビルに突撃したのを皮切りに、『USウイングス8便』のB767-300ERが香港に停泊中だった大型の豪華客船に、そして、『USウイングス22便』のB787-8が、北京の在中アメリカ大使館に次々と突撃した。
そして、現在ハイジャックされたと判明している最後の機体が、この今見ている『スカイアメリカ航空225便』である。
「……少なくとも二つ、アメリカをターゲットにしてるな」
機内にいる誰かが、誰に向けるまでもなく発した一言に、誰もがハッとした。一つはアメリカ系企業のビル。もう一つは在中アメリカ大使館。少なくとも半分は、アメリカをターゲットにしている。
残り一つの豪華客船の方だが、ATMCが中国の管制当局を通じて現地の報道内容を取り寄せるに、どうもアメリカの企業が保有する大型の豪華客船らしい。とすれば、残りのもう一つも、アメリカに関わる何かを目標に“自爆攻撃”を敢行する算段が高い。
「225便の針路上に何かないか?」
「この先にあるのって……」
羽浦は、先ほど自分が指で辿った先をもう一度見直した。沖縄本島。ここでアメリカに関わる施設といえば……。
……いや、沖縄でアメリカといえば、あれしかない。考えるまでもない。羽浦はすぐに声を上げた。
「シゲさん、米軍基地です! 針路上に“嘉手納空軍基地”があります!」
「そこか!」
重本も、225便の意図を悟った。この先にあるのは、米軍の嘉手納空軍基地。すぐ隣に那覇基地もあるため、どっちに向かうにせよ、これは軍事施設への自爆攻撃を意図したものと想定するのが自然である。重本は焦った。電話口に向ける声が徐々に上ずる。
「225便は避難用の国際便ですよね? 燃料結構あったと思いますが?」
燃料が豊富ということは、墜落時の燃料引火に伴う爆発の規模が拡大することを意味する。9.11の際も、ハイジャックに使われた機体は、国内線とはいえ北米を横断するルートである長距離飛行便であったが、これも、長距離便ゆえ燃料が豊富にあることが見込まれたから、という見方ができる。
実際は、目的地までのルートだけではなく、空中待機用、別の空港への飛行用として予備の燃料も搭載しており、長距離便ともなればその量はバカにならない。一介の空軍基地にそんなものが落ちてくるということは、一種の“爆弾”が自律飛行で落ちてくるのと同じことだ。それ故、重本はすぐに燃料を聞いたのだ。
さらに、別の管制員が横田との通話を切って百瀬の下に速足でやってきた。
「横田に頼んで、225便の情報取り寄せてきました。百瀬さん、今225便どこですか?」
「えっと……ここですね」
「ここから嘉手納に向かうとして、現在の針路と速度をそのままと仮定すると……」
「……あと30分弱で来る!」
30分!? 短すぎる。高度2万フィートを、大体400ノットの速度で突進している状況だ。速度だけなら巡航時にはよくある光景であったが、今回は違う。
高度が低いとはいえ、400ノット前後で安定して飛行中ということは、既にコックピットは制圧されていることが予測される。そんな状況となれば、やることは見えてくる。
「――えぇ、戦闘機を派遣して状況を確認と。えー、待ってください。こっちも戦闘機が迎撃に出向いてていっぱいいっぱいなんです。……はい。んで、225便のその後の管制もこちらが――」
重本が電話を続ける中、羽浦はレーダー画面を見た。
ベア7とベア5は、一時的な退避から戻ってきて、再度AAM-4Bを放とうとしている所だった。敵部隊は既に瀕死寸前である。バザード1の援軍がうまく組み合えば、これを完全に全滅に追い込むことができるだろう。だが、当然ではあるが、スカイアメリカ225便に対応している暇はない。また、別の部隊が向かうとなっても、ただでさえ手薄になってきた防空網にさらに穴が開くことになりかねない。既に、八重山列島方面にまで戦闘機がほとんど届いてないのだ。
……戦闘機が来るタイミングに、225便が来るタイミングが、うまい具合に合致していた。偶然といえばそれまでである。だが、羽浦は妙に引っかかっていた。今現在、敵J-11部隊が行っている特攻まがいの攻撃に何かしらの意味を与えるとすれば、225便が絡んだ方が説明しやすいのだ。J-11部隊が戦闘機を引き付けている間に、225便が沖縄本島に突撃、嘉手納に自爆攻撃を実行――。そういう“シナリオ”なら、J-11部隊の行動にもちゃんとした意味が生まれる。
とはいえ、確信があるわけではない。ただの妄想の段階を超えないため、進言も控えていた。
「――わかりました。とにかく、225便はこちらの方で監視します。はい、じゃあ管制権限もこっちに移譲ってことでいいですね? ……はい、わかりました。では」
重本が電話を切ると、小さくため息をつきながら、
「――厄介なことになった。ATMCによれば、スカイアメリカ225便は、離陸後暫くして無線交信が途絶えて、無許可で本来とは違う南東の方向に向かい始めたらしい。中国の管制当局の呼びかけに応じないまま、こっちにまで来たと」
「んで、こっちにあとは丸投げですか?」
「そういうことだ。まあ、空戦域に入っちまったからしょうがない。嘉手納に緊急連絡だ。E-3を呼び出せ」
E-3“セントリー”は、アメリカのAWACSである。E-767と共に、第18航空団所属の機体が東シナ海方面を警戒監視中で、アメリカ空軍機の管制を担当していた。E-767とも相互連絡を常に取れるように体勢を取っていたので、この件を直ちにE-3に伝える。あとは、向こうが勝手に嘉手納に伝えるはずだ。
重本がさらに指示を出す。
「羽浦、225便の近くにいる部隊は?」
羽浦がレーダー画面を正面に、数か所に視線を写して互いの位置関係を確認。一番近いのは、
「……バザード1です」
「げぇ、そっちかぁ……」
寄りにも依って、援軍として急行中のバザード1だった。面倒なことになった。一応、バザード1の援軍がなくとも、最終的な趨勢は決まりそうではあったが、更なる被害は覚悟しないといけない。かといって、別の部隊に225便を追わせると言っても、そこそこ遠い。バザード1の次に近い部隊で、10分弱はかかる。できれば今すぐに出てほしい。
「米軍の部隊いないのか?」
「八重山列島の北側に『ヴァンパイア2』と『ヴァンパイア3』のF-15C総計8機がいますが、島の近辺を監視してましたので、今から行くとなるとたぶん20分ぐらいかかるかと……」
「肝心な時に近くにいねえなぁ……」
重本は乱暴に頭をかいた。そして、再びため息をついて、
「……しょうがない。バザード1を二分して、片方を225便に向かわせろ。もう片方はそのまま援軍だ。2機でもどうにかできるだろ。援軍に向かう方は、別の管制官が担当する。お前は旅客機を見てろ」
「了解」
羽浦の担当が変更になった。重本から貰ったメモを見ながら、すぐに指示を出す。緊急なので、英語に翻訳してる暇はない。さっさと日本語で話す。
「バザード1-1、緊急事態発生。直ちに隊を二分して、片方を別の機体の護衛に向かわせる」
『何があった?』
「詳しいことは後で話すが、ハイジャックされた旅客機が、沖縄に向かってる。一番近いのはグリズリーたちの部隊だ」
『ハイジャックって、おいおい、今日はいつになく忙しいな』
乾いた笑いが無線越しに聞こえてくる。近藤も軽く呆れているのだ。同情するしかない。
「1-1と1-2は、直ちに旅客機の方向に向かえ。1-3と1-4はそのまま援軍に直行。指揮は1-3が実施」
『だ、そうだ。1-3、ちょっと席を外す、頼んだぞ。フェアリー、ついてこい』
『2、コピー』
『3、了解。お気をつけて』
バザード1の編隊が二手に分かれる。225便のいる位置と高度を伝え、効率よく接近できる最適な航路を飛ばす。何もなければ5分前後で到着できるはずだ。
225便の針路は相変わらずだ。嘉手納か、場合によっては那覇もあり得るが、どちらかに自爆攻撃をするとなった場合、
「――これ、“撃墜”するんですか?」
百瀬の不安そうな言葉に、誰しもが一瞬息を止めた。
旅客機による特定目標への自爆攻撃が明確になった場合、それを撃墜するかどうかは非常に大きなハードルがある。9.11の時では、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の北東部防空指令センター(NEADS)は、大統領からの撃墜許可を受けても、誤認撃墜を恐れてパイロットに撃墜許可の情報を与えなかった。ドイツでは、9.11や2003年の軽飛行機乗っ取り事件の影響から、万一の際には政府が軍に対しハイジャック機の撃墜を命ずることを認める『航空安全法』が制定されたが、その後、ドイツ連邦憲法裁判所が違憲判決を下し、同法は運用停止状態にある。
民間機には、ハイジャック犯以外に、罪無き乗員乗客が大量に乗っている。もしハイジャック機が、大都市や、特定の重要目標に突撃を仕掛けた場合、都市や重要目標を守るために乗員乗客ごと機体を落とすか、それでも落とさず最後まで別の策を講じるか……これは、人命の価値が高い現代の民主主義国家の間では、一つの“究極の選択”として長年議論されているテーマである。
今回もそれに該当する。嘉手納基地が攻撃され被害を受ければ、在日米空軍の東シナ海での活動に支障が発生する。南西諸島での防空網形成に協力しているので、行く行くは南西諸島方面の防空体制にも悪影響が出るであろう。そうなれば、伊良部島の住民を中心に未だに取り残されている住民らの命にかかわる。
……どちらを取るべきか。225便の乗員乗客の命か、取り残されている南西諸島の住民の命か。余りに重すぎる責任であった。
「この件、官邸にも入ってるんですか?」
「今横田と市ヶ谷経由で飛んでるはずだが……」
「あと30分以内に落とすかどうか判断できますかね?」
「無理だと思うぞ。人の命は地球より重いらしいからな」
重本が、若干嫌味を言うようにそう言った。嘗てダッカで起きたハイジャック事件の際の、当時の首相の発言である。結果的にハイジャック犯の要求通り、身代金の支払いと9人の同胞の釈放を認め、実行した。これが、「テロを輸出した」と諸外国から批判されるなど賛否が巻き起こることになり、今でも議論の的になる。
何れにせよ、近年の日本では本格的なハイジャックに巻き込まれたことはない。こうした事態に際し、即時決断を行うことは恐らく不可能であろう。重本らは官邸を当てにすることはなく、万一の際は自分たちで対応しようと決めた。
「ROE確認してくれ。ハイジャック機の項目あったか?」
「E-3からです。嘉手納、防空警報が発令されました。那覇でも先ほど発令されたと基地司令部から連絡あり」
「ベア7と5、BVR攻撃成功。敵機残り2。撤退の兆候なし。ベア7、ミサイル回避時に近接信管作動により主翼に被弾。飛行可能なれど戦闘不可」
「アイツら、ここを死に場所に選んだな。しょうがない、この際望みどおりにしてやれ。ベア7は下がらせろ」
「あと2機だ、バザード1-3と1-4に対処させよう」
周りが指示を出し続ける。羽浦も、まもなく225便の元に到着するバザード1-1と1-2に目を向けていた。南東に向く225便に対し、降下しながらほぼ真正面から相対することになるだろう。225便の元に付いたら、まずは機体のチェック、外部の損傷の有無。さらに、ハイジャック犯から見えないように、225便の後方に誘導して……。
「……、ん?」
と、手順を確認していた羽浦は、レーダーに不審な機影を捉えた。225便にほぼ重なるように、しかし、時折消えてはまた表示され、消えてはまた表示され、を繰り返している。反応の形状も不安定だ。こんな反応は見たことがない。
「シニア、レーダーに妙な反応あり。225便に重なってます。確認を」
「ちょっと待て。……225便は、あぁ、これ? えっと……」
重本もレーダー画面を確認する。ちょうどそのとき、
『AMATERASU, this is BUZZARD 1-1. Target visual I.D.(アマテラス、こちらバザード1-1。目標を視認)』
近藤が報告してきた。レーダーでは、近藤と蒼波の機体が225便に合流したところだった。緩めの旋回をかけつつ、225便の後方につこうとしているようだった。
「――なんだ、重なってるのか?」
「高度が一瞬ですが表示されました。もう一回表示させます」
一方では、重本がさらに不審なレーダー反応を解析しようとしていた。
「……えッ」
『――な、おいおい! 冗談だろ!?』
重本と近藤の声が重なった。二つの声に一瞬困惑するが、すぐに羽浦は無線を開いた。
「グリズリー、どうした? そこから何が見える?」
『あー……アマテラス、こちらバザード1-1。225便らしき機体は確認できた。今後方の少し下から見ているが――』
『――腹に、“ミグ”が張り付いていやがる。MiG-29だ!』




