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Guardian’s Sky ―女神の空―  作者: Sky Aviation
第3章 ―1日目:午後 Day-1:Afternoon―
17/93

3-3

 ――インターネット上では、ただでさえ沸騰中だった話題が、さらにそのまま水蒸気爆発でも起こしかねないような事態が発生していた。


 曰く、今回の北京爆撃を行った首謀者。“彼ら”による、“犯行声明”である。


 正式には、犯行声明とは自称していない。タイトルが、


『远东革命军 誓言 Far Eastern Revolutionary Armed Forces:Oath』


 となっている。日本語にすれば、『極東革命軍:宣誓』とでもなろうか。だが、極東革命軍とは何か? そんな軍隊は聞いたことがないし、テロ組織にも、そんな名前の奴はいない。名前からして、極東地域を拠点としているようだが、まさか、新興のテロ組織か? 誰もがそう思うが、先の戦闘機の存在が、それを否定した。


「幾らテロ組織でも、あんな高性能な戦闘機と爆弾を持っているとは思えない」


 当然の発想である。テロ組織は、闇市場や取引などを使い武器を買いあさりはするものの、本格的な戦闘機や爆弾類を携えたことはなかった。2016年のトルコでの軍事クーデター未遂事件勃発時には、トルコ空軍のF-16戦闘機が出てきたりしたが、あれは軍事クーデターの類であり、テロとは違う。


 ……どこの誰なんだ、あいつらは? 誰もが思う疑問であった。


 動画を再生してみると、映像はほぼ真っ暗で、音声のみを録音して投稿したもののようだった。


『――最初に言っておく。これは、所謂“軍事クーデター”ではない』


 中国語だ。音声には少し高めの声になるようにエフェクトがかけられており、下には英語の字幕もあることから、明らかに世界各国へ向けた声明である。自らを、『远东革命军ジードングゥァミンジュン』と名乗った彼は、さらに、次の音声なしの映像を見せた。

 それは、どうも戦闘機のコックピットらしいが、しばらく見ると、ある場所に降下しているように見える。そして、少しばかり地面が近づくと、また一気に急上昇した。

 その直前、一瞬だけ見えたのは、人民大会堂。


『――我々は本物であることがこれで伺えたと思う』


 映像が終わると、また真っ暗な映像と声の高い音声が流れる。先ほどの映像は、人民大会堂を空爆する際の、戦闘機から撮影したものだった。これは、今のところ世界中の誰も手にすることができないどころか、撮影できるのは、間違いなくあの攻撃に参加した者だけである。

 自分たちは、いたずらでこの動画を投稿しているのではないことを、これで証明したのだ。


『我々は、かの祖国の腐敗を排除するべく、組織的な行動を起こす。何度も言うが、クーデターを目的としていない。これは、“強制執行”である』

『我が軍は、すでに共産党の本丸を爆撃し、日本の戦闘機を撃墜した。さらに、他国への追加の強制執行措置を準備している。我が母国は戦争を知らない。我々は、それを教育する』

『我々に慈悲を求めるのは無駄である。自分らの最後はすでに承知している。他の人民や同胞らを目覚めさせ、これを完遂する。もはや我々の目的は達成されつつあることを忘れてはならない。我々に“協力”していただくことを、心より期待する』


 ――ここまで言って、あとは、


『――さあ、我が祖国に、戦争を教えよう』


 背筋が凍るような悪魔の囁きにも聞こえる一言を残して、動画は終わった。1分半しかない、本当に短いものだったが、あまりに中身が衝撃的過ぎたため、すでに動画の再生回数は100万をとうの昔に通り越し、この日のうちに1000万に到達する見込みとなった。動画サイトのサーバーも若干ながら悲鳴を上げ始め、一部では接続障害が発生していた。

 しかし、動画はすでに大量に全世界で転載され、ネット上のいたるところでこれが流通していた。人民大会堂爆撃のシーンに至っては、その部分だけを切り抜いてピックアップされまくるほどの注目を浴び、日本では、直ちに『航空/軍事クラスタ』と呼ばれる、その道に詳しかったり独自に研究していたりするネットユーザーたちが分析に取り掛かっていた。


<このコックピット見たことあるぞ。たぶんJ-11系統だ>

<おそらくB型だろうなこれ。中国メディアが公開してる画像と比べたけどそっくりすぎる>

<外の景色から動きを予測してみたんだが、急降下爆撃ではなくて、たぶん普通の緩降下からの爆弾投下だな>

<航空祭でもよくF-2が演じるやつだよな? あれと似たようなことやったのか>

<映像の最初のほうで、たぶん人民大会堂みたいなところが爆発してるんだけど、極端にでかい爆発じゃないな。たぶん大型使ってないぞ>

<映像もう少し明瞭化させて計器類を確認したが、思ったより速度出ててワロタ。現地にある対空火器からの回避に必要な余力を確保してたんかな?>

<でも警報がこれっぽっちも鳴ってないやん。確か今年の党大会防空の部隊が警備入ってたろ、あいつら何してんだ?>

<文字通り永遠に寝てんじゃね? NHUだとどっかの地対空ミサイル発射機がぶっ壊されてるの映されてたし>


 そして、時として地理や映像系に詳しいクラスタたちも参戦する。


<映像に映ってる市街地と地図睨めっこしたんだが、グーグルマップ開いて確認した限りでは北京の市街地で間違いなさそうだぞこれ>

<映像を分析してみたが、CGとか合成の類じゃないっぽい。コックピットと外の景色を別撮りした形跡がなかった>

<明度と光の方向を確認したが、編集で修正かけてないって見たほうがいいかもしれない。修正させたと仮定してもどうも違和感がなさすぎる>

<あー、これ本物だ……知り合いの大学教授に頼んで機材借りたんだが、それで照合してもそれらしい編集の痕跡なかった。ガチのやつだこれ……>


 ――ここぞとばかりに自分たちの知識をフル稼働させ、映像の詳細を分析していく様は、軽く「映像解析を行う捜査線」のようにすら思える。勝手に形成された現象であるとはいえ、ここいら辺は、インターネットの強みでもある。

 日本の戦闘機が撃墜された、という話が動画内で出ていたことも衝撃を与えた。世界中そうではあるが、当の被害者たる日本では一気にこれも話題に上がり、メディアは防衛省に質問攻めを浴びせる。

 もともと、政府としても公開する予定だったので、ちょうどいいとばかりにその事実を認めた。同時に、パイロットの行方については捜索中であること、撃墜数は1機のみで、その前に、相手機からの攻撃を受け、自衛行動をとっていた中での撃墜であったことも明かした。

 これは、特に右翼や保守派と呼ばれる世論層からの“大激怒”を買った。自衛隊戦闘機が撃墜されたとあって、直ちに「対抗措置を講じよ」「本格的な反撃に移れ」と、彼らの意見は一色になった。中には、中国が攻撃されているのに、「中国と開戦して叩きのめせ」という何かを勘違いした意見すらネット上で飛び出るわ、あと、挙句の果てには、「この一連の事件は自衛隊の権限拡大を狙い自衛官の命をも利用した菅原政権の影が――」といった陰謀論まで出始める始末だった。やっぱり、こんな時でもネット上はいつも通りの“日常”を送っていた。



 ――だが、そうもいかないのが、その“最前線”である。

 その一つである那覇基地は騒然としていた。先の北京爆撃事件や、つい先ほどの犯行声明の動画の件を受けて、防衛省からの通達を待たずして、直ちに基地要員の有事に備えた待機と、休暇中の隊員の即時召集を基地司令の責任の下で発令した。インドアな趣味に興じていた隊員も、家族と近場に出掛けてた隊員も、家でゴロゴロしながら18歳以下は読めない本で色々と楽しんでいた隊員も、すぐに基地へと休日出勤。中には、テレビでの報道を見て「あ、これ俺の休暇消えたわ」と諦めて、さっさと自主的に基地にやってくる隊員もいた。


 那覇基地は民間空港と共用であったが、先の雨が弱まってきたと思ったら、今度はこれのせいで、遅れや欠航どころか、民間空港としての那覇空港は一時的に閉鎖しなければならない事態になった。当然、利用者は大激怒。遅れ便の搭乗時間を待っていたら、いつの間にか空港自体が閉鎖して「別の交通手段をお使いください」と言われてしまっては、「勘弁してくれよ!」と言いたくなる気持ちも、正直わからなくはない。ただ、空港職員に怒鳴り散らしてもどうにもならないことぐらいは理解してほしい。少なくとも日本が原因というわけじゃないのである。


 民間便の離発着が全て取り消され、那覇に向かっていた機体は奄美大島に向かうか、九州に代替着陸ダイバードすることになった。民間の航空管制が対応に追われる中、那覇市とその周辺の灰色世界な空では、民間機の代わりに、自衛隊機と米軍機が活発に飛び交い始める。

 自衛隊機のみの運用となった那覇空港、もとい、“那覇基地”では、本来の航空管制は国交省所属の民間の管制官が行っていたが、こうなるともう完全に準有事対応であるため、急遽、支援の立場にあった那覇管制隊が業務を引き継ぐこととなり、使用機材についても必要に応じて彼らのサポートを受けることとなった。


 夕方ごろの今、那覇基地からは次のCAPが上がり、代わりに帰ってくる部隊の受け入れ作業に追われていた。雨が上がったばかりでまだ水浸しな、コンクリートのエプロン上で、次に上げる予定の戦闘機や、武装、タンク車等々……。一部は民間機が使っているエプロンすら間借りしながら、急ピッチでの作業を進めていく。


 ――その一方、すでに帰還し、今日この日はよほどのことがない限り休めと言われた、あの第309飛行隊バザードの蒼波と近藤は、他の隊員らとともに、休憩室のテレビにくぎ付けとなっていた。動画サイトで公開された犯行声明の動画が、ちょうどテレビでも取り上げられており、その短くも衝撃的な内容に、呆然としている様子であった。


「……この声明、本気ですか?」


 一人の隊員が、誰に向けるわけでもなくそうつぶやいたところに、近藤が視線をテレビに向けたまま返した。


「……信じがたいことだが、どうも本気らしい」

「自分たちの首都を爆撃するって……これがクーデターじゃないんならなんだっていうんです?」

「強制執行なんだろ、向こう曰く」

「執行って……」


 いろいろとツッコミたいが、何をどこからどうツッコめばいいのかわからない。言いたいことは頭ではわかっているのに、いざ言葉にするとなるとどういえば分らずあたふたするあの様だ。

 どの隊員も、どうとも言葉に出来ない衝撃を受けていた。自分たちのすぐ近くの空で、仲間が落とされたと思ったら、この事態だ。中国がやったとは思えない。北京すら爆撃する必要はない。この極東革命軍なる“組織”が、恐らく中国人を主体としたものであろうことは大体予測がつくが、なぜこれを? そこまでの恨みを共産党は買っていたのだろうか?


「……出動、かかりますよね?」

「そりゃそうだろう。ここまでなって、日本に飛び火しないなんて考えるのは平和ボケした奴らだけだ。最低でも海上警備行動。洋上監視名目でうちらにも出番が来るはずだ」

「防衛出動ってなったら、米軍と共同かぁ」

「嘉手納のウィルソン中佐と近藤さんって友人でしたよね。彼も出ます?」

「たぶんな。さっきメール来たが、待機命令が下ってせっかくの休暇が台無しになったって愚痴られた。空で落ち合うかもな」

「あの人、前に日米ACMやったときやたらすばしっこくてなぁ……本当にうちらと同じF-15なんですか?」

「一応はな。人が別物だと、戦闘機も別物になる。アイツは俺と同じ本国のアグレッサー上がりだし」

「うへぇ……」


 そんな、近藤と他のパイロットらの会話が交わされる。何れ戦場に赴く彼らにとって、こうした会話も今のうちに体験しておかなければならないものとなってきていた。いつ死ぬかわからない事態になってくるのだ。

 ……そんな中、


「……」


 完全に、沈黙を保っている女性が、一人いた。ソファに少し前屈み気味に座り、テレビを見て、どうとも言わず、かといって表情には何の変化もない。憎しみも、悲しみも、何もない、しいて言うなら“真剣”な表情を受けべていた。そして、時折「はぁ……」と、テレビの音にかき消されそうなほど小さなため息をついて、顔を俯かせては、またテレビを見る、といった動きを繰り返す。


「……」


 ほとんど何も変化を示さない彼女に、周りも気を使っていた。空の上で何があったかは既に承知している。もう一人の“彼氏”が帰ってきていないのだ。近藤から話は聞いた。ショックを受けたには違いないが、それ故、どう接すればいいかわからない。少し離れた位置に座っている彼女の周囲に、少しだけ黒い靄がかかっているように見えたのは、たぶん錯覚だろう。彼らはそう信じた。


「……これ、いつまで続くんです?」


 本人には聞こえないよう、近藤に聞く一人のパイロット。空にいる時、神野の相方をしていた、スリットこと『切谷一聖きりたにいっせい』二等空尉である。いつもは陽気なやんちゃ坊主であり、小松にいた時から蒼波にちょっかいを出してはあしらわれていた彼も、今回ばかりは空気を読まざるを得ず、気まずそうな表情を浮かべて近藤に助けを求めていた。周りも、これどうにかしてほしいと、近藤に救いを求める目線を送っているが、近藤としてもどうしようもできず、「参ったなぁ」といった様子で眉間を押さえるしかなかった。


「俺に聞くな……こういう時の対処法など知ったこっちゃないんだよ」

「近藤さん嫁さん持ってるでしょ、こういう場面に会わなかったんですか?」

「会った記憶がないんだよ……うちの妻、のほほんとし過ぎてこうなるような原因がこれっぽっちもなくてな……」

「娘さんは?」

「妻の血が濃かったのか、天然さん過ぎて同じく」

「やべッ、詰んだ」


 さらに、他のパイロットたちが会議をし始める。


「お前、確か元カノと付き合ってた時相手の親死んだときあったろ。高校の時だったか。こういう時なかったか?」

「あったにはあったが、そいつ、割り切りが良い方だし、俺には見せなかったんだよ。出る幕が……」

「ていうか、蒼波の幼馴染さんはどうした? あの人何か言ってきてくれなかったのか?」

「AWACSの管制担当、彼だったって話でしたよね?」

「ああ、そうだが」

「じゃあ事態知ってるはずだし、何か一言かけてくれても――」

「いや、お前、幼馴染ならむしろ声かけずらいだろ。こんな状態になってるのたぶん向こうも知ってるだろうし、たぶんスマホを見ながらなんて声かければいいか頭抱えてる頃だろうぜ」

「男社会な自衛隊だと、こういう時のスキル持ってるやつ全然いないのがなぁ……」


 各々が対応策を検討し始める中、近藤は蒼波のほうを見た。動きは相変わらず。テレビの内容も変わらない。一言も誰とも話さない。今までの蒼波からはまったく考えられないがために、誰も何もできない。そうすれば、本人だって何も変わらない。


「(……悪循環だな)」


 そう思ったとき。部屋に一人の隊員が入ってきた。


「近藤三佐」

「ん、大洲加か。どうした?」

「全飛行隊の指揮官に通達、すぐに航空団司令室に集まれとの命令ッス」

「ッ、どういうことだ?」

「伝令から、これを渡せと」


 そう言って渡してきた一枚の紙を見た近藤は、目を丸くした。


「これはッ!」


 ――と、その時だった。


「――ッ、蒼波?」


 切谷が声を上げた。いきなり蒼波が立ち上がり、早足で部屋を出ていく。突然の動きに、誰しもが固まってしまった。


「やべ、聞かれたか?」

「まさか、距離的に見てもこっちの声は聞こえないはずじゃ……」


 隊員たちが戸惑う中、近藤も立ち上がり、手渡された紙を隣にいた別のパイロットに押し付けるように渡し、後を追いかけるべく部屋を出た。

 ……それと同タイミングに、


「あぁ、近藤三佐」

「ん?」


 今度は別の隊員が後ろから声をかけてきた。被っている帽子からして、どうも救難隊の人間らしい。


「どうした?」

「例の、神野二尉なんですが、先ほど那覇の救難第二陣から報告が」

「見つかったのかッ?」

「いえ、それが……」


 隊員の顔が曇る。その後、近藤が抱いた一抹の希望は……。





「……」


 その時、蒼波は、トイレで顔を洗っていた。理由など考えていなかった。少しばかりの気分転換か、単に気を紛らわしたかっただけか。自分でも、今何をしているのか整理できていない。

 ……目の前にある鏡を見た。水でぬれた自分の顔。見慣れた顔のはずが、今は妙に別人に見えた。


「……すごい顔してる……」


 醜い、ともまた違うし、悲しい、ともまたちょっと違う。どう形容するべきか。でも、少なくとも、いつもの顔ではないのは間違いない。

 ……結局、顔に水をぶっ掛けて終わった。用を足すわけでもなく、顔もまともに拭かないまま、トイレを出た。


「……?」


 出ると、女子トイレの出入り口のすぐ隣に、近藤がいた。


「失礼、あとをつけるのはあまりかっこよくないが、伝えておこうと」

「何がです?」


 その時は、本当に何の話なのかわからなかった。だが、近藤の表情はいつになく暗かった。小さくため息をつき、


「……単刀直入にいう」




「……那覇救難隊が、神野のMIAを確認した」



「――え」


 自然と、そんな声だけが漏れた。

 MIA、『戦闘中行方不明』。文字通り、戦闘中、その行方がわからなくなったことをさす言葉である。神野は、MIAだと判定された。つまり、


「……見つからなかったんですか?」


 近藤は小さくうなづき、さらに続けた。


「那覇救難隊の第二陣が、先ほど連絡を入れてきた。撃墜現場らしき場所に、戦闘機の残骸と、少しはなれたところに、射出された座席らしきものがあったと。救命ボートも近くに浮いていた」

「じゃあ」

「だが」


「……本人が、どこにもいない」


「……え?」


 蒼波の呆けた顔を、近藤は直視することはできなかった。

 那覇から飛び立ったU-125A救難捜索機は、低気圧の残党たる暴風雨がまだ吹き荒れる中、決死の低空飛行による捜索を敢行。その甲斐あって、件の残骸と射出座席を肉眼で確認することに成功した。

 しかし、肝心の神野らしき人間の姿がどこにも見当たらない。周辺をしきりに捜索するも、それっぽい形すら見当たらなかった。もし脱出したならば、海上着水時に、射出座席から自動的に救命浮舟ふしゅうが展開され、付近を浮動しているはずだ。荒れた波の影響を受けたと考えても、これだけ探しても何も見当たらないのはおかしいと感じていた。

 その後、サバイバルキット内の無線機から発せられている捜索電波を頼りに、救命浮舟らしきものをようやく発見。残骸から相当離れた場所にあったが、そこには、“誰もいなかった”。


「遅かったんだよ、もう。おそらく、波に飲まれちまったんだ。救命胴衣を着ているはずなんだが、それでも浮いてないってことは……」

「もう沈んだ……?」

「破損してたのか、波をかぶりすぎてまともに息ができなくなったか。可能性は幾らでも考えられる」


 元々、戦闘機パイロットの緊急脱出は大きな危険を伴う。キャノピーを爆破し、そのあと強制的に機外に高速で押し出す際のGは15~20G。適切な姿勢をとっていなければ手足は折れ、最悪脊椎が大なり小なり損傷し、二度と戦闘機には乗れなくなる。

 今では、乗員拘束装置により強制的に適切な姿勢に固定され、高度と速度がゼロの状態からでも適切な脱出ができるように改良されたが、そもそもこの脱出自体が「そのまま死ぬよりとりあえず生還できればいい」程度のものでしかないため、確実な脱出の安全が確保されているというわけではない。諸説あるが、生還率は5~8割程度で、パイロット復帰の確率はもっと低くなるというのが大方の相場であり、それも、良い条件が重なればラッキー程度なのである。


 今回の神野の場合はその真逆。真下は低気圧で、しかも、そのさらに下は暴風雨。波も荒れまくりで、視界も最悪と、この上ない悪条件が揃ってしまっていては、正直な話、生還を望むほうが無謀とすら言えるのだ。それでも、諦めず燃料ギリギリまで捜索を実行した救難隊たちの無念は、察するに余りあるといえるであろう。


「第二陣は燃料がビンゴになってきたからと、捜索を打ち切った。もうすぐ帰ってくる」

「第三陣は?」


 当然、たとえ死んでいても遺体だけでも持ち帰ってきてくれるはずだ。そう考えていた蒼波だが、甘い考えだった。


「いや、ない」

「ないって――」


 どういうことか聞こうとする蒼波の言葉を、上から覆い被せるように、


「さっき、“Q号計画”が市ヶ谷から発令された。Q号1項―C。防衛出動準備段階に関する発令だ。全国の自衛隊部隊が、有事出動の準備段階に入る。お前も、テレビを見ていただろう?」


 近藤が先ほど、伝令から受け取った紙とはこれのことだった。航空団司令室への呼び出しは、これの発令に際するものであり、那覇基地も、全面的に有事対処準備に入れとのことに他ならない。


「じゃあ、まさか……」

「あれに対する備えが優先された。捜索救難は無期限延期。戦闘態勢構築のために、すべての要員は相応の準備を行えと」

「そんな!」


 初めて蒼波が声を張り上げた。有事対応準備に伴う捜索救難の無期限延期とは、事実上の“捜索打ち切り”を意味する。余りに早い。今はまだ低気圧が残留しており、たとえ死体になっていようとも、今すぐに引っ張り上げねば、二度と彼は日本の土を踏むことはないであろう。

 近藤の表情が曇る。彼も理解していたのだ。彼に当たったところでどうにもならないことはわかっている。だが、感情は彼に当たることを選択してしまった。


「り、遼ちゃんはどうなるんですか!? 遼ちゃんは!? 海に沈んだまま、置き去りにってことですか!?」

「……そういうことになる」

「そんな……二度と戻ってこれないかもしれないのに……ッ」

「……」


 近藤は黙って聞いていた。自分ではどうしようもないことであろうとも、こうなった責任は、隊長である自分にもある。今は、彼女の感情の発散をする手助けをするべきであると、彼の頭は判断した。

 しかし、蒼波は思った以上の発散はしなかった。ただただ、呆然としていた。今にも、糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちそうな体を、弱々しい二本足で必死に支えながら。

 ……見ていられなかった。そりゃそうだ。自らの思い人が、こんな形で引き剥がされたのだ。責めることはできぬ。たとえ、自衛隊に入隊した際に覚悟していたとしても、実際にそれを目の当たりにすれば、最初のうちはこうなってしまうだろう。


「……すまない」


 謝ってどうにかなるわけではないが、彼は頭を軽く下げるしかなかった。蒼波の目は濁っていた。どこを見るわけでもなく、泣き叫ぶわけでもなく。ただただ、濁っていた。

 ……神野がみたら、彼女の例の幼馴染さんが見たら、なんて思うだろうか。ふとそんなことを考えつつ、


「……基地司令から呼ばれているから、俺は先に行く。お前も一旦体を休めろ。羽を永久に動かし続けられる鳥はいないからな」


 近藤はその場を去った。返事はない。ただただ、その場に呆然と突っ立っているだけだった。後ろから感じる視線は、あまりに“痛々しい”ものだった。後ろを振り返られない。どんな顔を向けられるだろうか。非情な上司として向けられるのか、感情なんてどこかに消え去ったような、ロボットのような顔を向けられるのか……。


 ――助けてくれ。近藤は珍しく弱っていた。こういう時の対処法は、本来なら神野しか知らない。だが、もう一人だけ、いるにはいた。


「……幼馴染さんよ……」


 蒼波が、度々話題にしていた彼。今日、空の上でも無線越しに出会った彼。今頼れそうなのは、彼ぐらいしかいない。彼だって、恐らくどうすればいいのかわかりかねているはずだ。頼ったところで、どこまで力になってくれるかわからない。

 それでも、彼は小さく口にした。



「……あいつを、助けてやってくれ……」 



 近藤の一言は、誰に聞かれることもなく、無情にも消え去っていく……

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