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Guardian’s Sky ―女神の空―  作者: Sky Aviation
第3章 ―1日目:午後 Day-1:Afternoon―
15/93

3-1

「戦争を面白がるのは、戦争を経験したことのない者だけだ」


 ――ピンダロス(ギリシャ / 代表的な叙情詩人)

≫PM14:12 東京千代田区永田町 首相官邸≪



 永田町――国会議事堂や各政党の本部等が立ち並んでおり、霞が関に並び、日本の政治中枢の一角を成す、首都東京の中心地である。今は国会は閉会中であるが、政治機能はいつも通り稼働している。多くの政治家たちが、時には“政治屋”と揶揄されたり、時には互いの汚職を投げ合ったり、マスコミが便乗したり、挙句の果てには、地球外交を動かしかねないような陰謀論をでっちあげられたり等、そこまで大した仕事してないんじゃないかと疑われそうな、そんな政治活動をこなしている。余り良い話は聞かないが、一応、これでも政治のプロたちなのである。


 ――この『首相官邸』も、その日本の政治中枢を担う、重要な施設の一つである。傾斜地に建てられ、全体的に直方体のような外観を持つそれは、行政の長である内閣総理大臣や、そのサポートをする官房長官等の仕事場にして、危機管理の重要拠点でもある。災害発生時に備え、天井にはヘリポートも備えるという特殊な機能をも備えている。

 その一室――5階にある『総理執務室』は、今、物々しい空気に包まれていた。整ったスーツを身に纏った者たちが、その部屋に集まっている。

 秘書などを通じて、急いで執務室に集まるよう命じられた現内閣の大臣らは、首相の執務机の前に設けられた、四角いテーブルを囲むソファに座り、隣に座る大臣や秘書などとの会話を挟みながら、自らのリーダーの到着を待っていた。一部は、外遊や地方への視察などで、すぐには来れない大臣もいたが、そういった人たちを除けば、あとに来るのは一人だけである。


「総理、入られます」


 一人の男性官僚の声と共に開かれた執務室の扉から、少し背が低めの、長老の男性が入ってきた。各大臣や補佐官等が立ち上がり、一礼。軽く右手を上げて返すと、自らは大臣たちが集まるテーブル周りのソファのうち、自分のソファに座り、一息ついた。


「……これで全員か?」

「はい、一部参集できなかった大臣もいますが、集まれるのは、これで」

「わかった」


 隣に控えていた首席秘書官が応じると、『菅原義之すがわらよしゆき』内閣総理大臣は、「始めるか」とばかりに一呼吸ついて言った。


「……で、突然の総理レクと呼ばれてきたが、呼んだのは防衛省か?」

「はい。防衛省、特に空自より、緊急だと」


 菅原に答えたのは、彼の女房役である、眼鏡をかけた若干小太り気味の男『萩山光秀はぎやまみつひで』内閣官房長官だ。


「東シナ海で事が起こったと聞いている。戦闘機の交戦沙汰だと」


 菅原の一言に、周りにいた大臣らがざわついた。大雑把な話は聞いていたが、交戦沙汰になったとまでは、まだ聞かされていなかったのだ。隣にいる大臣に聞く者もいれば、それに対して「自分も知らない」と答える者も。

 今回、この『総理レク』を要請したのは、防衛省だった。正確には、官房長官の隣にいる『大郷一だいごうはじめ』防衛大臣である。自衛隊レンジャー上がりらしい、キリッとした表情が、菅原に一直線に向けられていた。


「じゃあ大郷君、説明を」

「はい」


 大郷は、一人の防衛省幹部に目配せをすると、手に持っていた数枚のA4の紙を綴じた資料を大臣に渡し始めた。渡しきる前に、大郷が口火を切る。


「事前にご連絡した通り、東シナ海で、空自戦闘機による空中戦の事案が発生したため、今後の対応を、検討したく思います。まず、詳しい事案の説明についてですが、そちらは、統幕長から」

「君か」


 そう言って、菅原は右手すぐ目の前のソファにいる、一人の男性に目を向けた。空自の第一種夏服に身を包み、精悍な顔立ちを菅原に向けるのは、現統合幕僚長である『蒼波謙二あおなみけんじ』空将である。

 そして、あの蒼波咲の、“父親”でもある。


「――では、私からまず、事案の中身について説明させていただきます。本来は空幕長に頼むところですが、彼はこの事案対応に追われているため、私が代わりに」

「ん、頼む」


 蒼波は、そばに控えていた幹部に目配せをし、室内脇のテレビスタンドに備え付けられた大型のテレビモニターの電源を入れさせた。そして、別の幹部がパソコンを接続し、資料の中身を映像でも表示する。


「手順を追って説明します。まず、国籍不明機の防空識別圏侵入を、空自のAWACS、空中早期警戒管制機が捕捉。時間は午後の12時13分。那覇基地よりスクランブルが上がり、F-15J戦闘機2機が対応しました。12時30分頃、当該機と接触に成功しましたが……、国籍マークが、なかったそうです」

「国籍マークがない?」


 反応したのは『永島仁ながしまじん』外務大臣(副首相兼任)だ。蒼波は彼の言葉に同意し、さらに続けた。


「国籍マーク以外にも、機体番号や、部隊マーク等、何かしらの所属を示すものが一切なかったそうです。先ほど、当該機を撮影した写真を回収しました。資料の2ページをご覧ください」


 菅原を始め大臣たちがページをめくると、4枚の写真が印刷されていた。近藤と蒼波(咲)が撮った写真だ。取ってつけたような赤い矢印を使った説明が付け加えられ、本来ならあるはずのマークや番号がないことが解説されている。


「国籍マークなどの明記は明文化はされていませんが、国際慣習法として定められているとされているものです。こうしたタイプの相手に対する対応手順は本来ありませんが、一先ず、通常通りの手順を取りました」

「機種から見て、やっぱり中国か?」

「おそらくは。ロシアの機体塗装ではないため、可能性は高いかと」

「あの国め、尊大だとは思ってはいたが、幾ら慣習法の類だとはいえ、ついに国際法まで破りおったか」


 菅原と蒼波の会話に、永島が嫌みったらしく悪態をついて入ってきた。元々、外務大臣にしては比較的対外強硬的な派閥の出身である。レクに限らず、メディアの目がない場所では、よくこうした愚痴を垂れるのは、彼を知る人間にとっては当たり前のことだった。

 菅原はさらに続けさせた。


「その後、12時34分頃です。当該機が、攻撃的意思を明確にした行動をとりました。機体背後からのレーダー照射、及び、ミサイルのロックです」

「それで、回避機動か」


 菅原が資料を見ながら言うと、蒼波が肯定した。


「はい。直ちに回避機動を取り、那覇基地から増援のスクランブルを上げさせました。F-15J2機。必要に応じ、さらに別働隊も上げさせる準備を整えていましたが、そちらは今、空中哨戒に出ています。その後、増援到着を前にして、ミサイルが、発射されました」

「ミサイルだとッ?」


 菅原が驚いた声を発する。大臣たちも一瞬ざわつき、言葉を失った。


「ミサイルを撃ったのか? 機銃ではなく?」

「はい。今までにない事態であり、現場も少なからず混乱した模様です。ですが、何とか回避に成功し、その後、増援到着まで持ちこたえました。その時までに撃たれたミサイルは、空中戦中のものも含めて、計5発」

「ご、5発も……」

「被弾はないの?」


 そう尋ねたのは『新里正美にいざとまさみ』経済産業大臣だ。蒼波は資料をめくり、


「損傷はあった模様ですが、撃墜はありません。その後、増援部隊が到着。彼らの善戦により、国籍不明の2機は、撃墜されました」

「撃墜……、か」


 日本において、どこの国とも知らない戦闘機を落とすことになるとは。恐らく中国あたりだろうとは誰しもが見当をつけていたが、それでも、今の日本にとって“撃墜”という言葉が持つ意味は重い。菅原の浮かべる表情は重いものだった。


「現場判断か? こっちはOKした覚えはないが」

「ええ、現場判断です。もちろん、撃墜に伴う正当性を十分に確保したうえで、です。無線交信、及び映像記録もしっかり取っております」

「向こうが先に撃ったんだ。当然の判断だろう」


 半ば放り投げるような口調の永島。さらに続ける蒼波だが、その表情は、曇っていた。


「……しかしその後、新たな国籍不明機が接近しました。2機、しかも、民間機の識別信号を放って紛れ込んでいたと」

「民間機のだと?」

「IFFという、敵か味方かを識別する装置があります。ほぼすべての航空機は、自らの識別を他の航空機に知らせる信号を持っていますが、この新手の2機の場合は、こちらの発見が遅れるように、民間機の信号に偽装していました。機種は、おそらく先ほどと同じものと」

「随分と入念だなぁ……。で、そっちはどうなんだ?」

「こちらも攻撃をしてきたため、正当防衛に基づき、1機を撃墜、もう1機を撤退に追い込みました。……ですが」


 蒼波は、その先を言うのを一瞬戸惑った。自分も空自出身の将官であり、悲痛な思いを抱いていたが、言わないわけにはいかなかった。自然と、資料を持つ右手の力が強くなる中、


「……この時の戦闘により、増援に来た2機のF-15Jのうち、片方に、ミサイルが命中しました」

「命中!?」


 菅原が“叫んだ”。周りの大臣も、言葉を失ったようだった。新里に至っては、手に持っていた資料をテーブルの上に落としてしまっていた。大郷も、目を閉じ、右手に作っていた拳を強く握りしめていた。悔しさをどうにか発散しないように耐えていたのだ。

 菅原はすぐに聞いた。


「落とされたのか!?」

「正確には、命中直後はまだ飛んでいたようです。ただ、その後機体制御を失い始め、その後、雲の下に消え、レーダーからも反応を消失。……まあ、ほぼ、“撃墜された”といっていい状況ではあるかと」

「パイロットはどうなんだ?」


 この中で、比較的冷静を保っていた萩山が聞いた。


「現在、那覇の救難隊が、空中哨戒に上がった戦闘機の護衛の元捜索を行っておりますが、現場海域は低気圧が通過中で、活動が非常に困難な状況です。付近を航行中の護衛艦や、海保にも捜索援助を頼みましたが、現時点で、まだ発見の報告はありません」

「見つかりそうなのか?」

「もちろん、見つかってほしく思いますが……。ただ、現場は先ほども言ったように、低気圧が通過中です。ミサイルが命中した段階で、機体は半壊状態だったと報告を受けております。気流の激しい低気圧に、そんな状態の戦闘機が入ったら……まず、助からないでしょう。パイロットも、被弾時に負傷していたらしい状況が伺えた模様です。事前の脱出も、確認されておりません」

「では、そのパイロットは……」


 萩山の問いに、蒼波は唇をかみしめていった。


「……仮に脱出に成功したとしても、海は大荒れです。様々な条件から鑑みて……、生存は、“絶望的”と、見るべきかと……」

「バカな!」


 再び菅原が声を張った。信じられないと、そういった表情を浮かべ、完全に固まってしまった。皆、顔がこわばり、蒼波の説明が意味することを、瞬時に理解した。

 蒼波も、この反応は予想していた。そして、“悔しかった”。悪い条件が重なったとはいえ、自らの同胞が落とされた。理不尽な形で。こんな最後があっていいものか。「クソッ……」周りに聞こえないほど小さく、蒼波はそう呟いた。


「(……ここまでして、落としたかったのか……ッ)」


 わざわざ民間機に偽装して、奇襲を仕掛け、ミサイルを満載して……。戦闘の流れから考えるに、最初の2機も、ミサイルやパイロットの体力を消費させるための“囮役”だったのだろう。菅原も言っていたが、随分と入念に仕組まれたものだ。計画的なものであるのは間違いない。


「……あの国め……ッ!」


 一方、蒼波以上に怒りの感情を露骨に露わにしていたのは、自らの右手前方に座っている永島だった。自衛官とて、一人の日本人。彼にとって、国民でもある自衛官のパイロットが、このような“卑怯な”形で撃墜されたことに、大きな憤りを感じていた。そして、蒼波と違い、それを自分で抑えることはできなかった。いや、しなかったのだ。


「追い回すだけならまだしも、撃墜までとは……ッ! 何たることだ!」


 右手に持っていた資料をテーブルに投げ飛ばした。彼の思想に言わせれば、これは到底許しがたい“暴挙”であったのだ。対外強硬派だとは思っていたが、ここまで怒りを露わにした永島は見たことない。周囲が目を丸くする中、彼は菅原に向き合っていった。


「総理、これは非常に入念に計画された“確信犯”と、考えるべきです。突発的なものとは、到底考えられません」

「確かに、その場の流れで起きたにしては、随分と準備がなされているからなぁ……」


 軽く呟くように『山居栄久やまいひでひさ』国土交通大臣が同意すると、それに勢い付けられたように、永島は語気を強めた。


「機種や出現位置から考えて、明らかに犯人は“中国”です。これは挑発などでは済まされませんぞ、総理。共産党としての意思が絡んだかは関係なく、我が国として、はっきりとした断固たる意志を示さねばなりませんッ」

「だ、断固たる意志、ね……」


 完全に勢いに負けている菅原は、少しだけ引きながらそう答えた。すると、興奮する永島を抑えるように、新里が言った。


「落ち着いてください、永島さん。まだ本当に中国だとは決まったわけでは……」

「何を言ってるんです、新里大臣。様々な条件から鑑みて、中国以外ありえんではないですか。あの場所に中国の戦闘機が来たことなど、過去何度となくありましたぞ」

「で、ですが、例えば、ロシアの戦闘機が中国のカラーリングをしてやってきたとか、そういう意味の、ぎ、偽装も……ぜ、ゼロではないというか……」


 永島の威圧感に押されて、後半はほとんど声が聞こえなくなってきていた。暴走を止めに入ったつもりが、完全に負けている。年齢的にも、永島は60代で、新里はまだ30代後半。若い女性の活躍をアピールする菅原の意向もあり、最年少記録に迫る勢いでの入閣した彼女だったが、こういう議論の時、思いっきり競り負けるのは、いつも新里のほうだった。


「で、統幕長。他国による偽装の可能性はどうなんだね?」


 萩山が助け舟を出した。新里が目で「どもです」と礼をしつつ、蒼波の説明を待った。


「えー……可能性としては、現状ゼロではないといえるかと。確かに、ロシアもほぼ同じ形状の戦闘機を保有しており、機体塗装さえ何とかすれば、大まかな偽装は可能だとは思われます、が……」

「が、なんだね?」


 蒼波が「自分から説明します?」と、自分を指さしてアイコンタクト。大郷が頷いて返すと、


「資料の写真だとボケて見えてしまっていますが、搭載されているミサイルのうち、少なくともロシアには存在しないはずのミサイルが搭載されており、ミサイルまでロシアが偽装することは不可能ではないかと、空自では見ております。こちらでは、PL-8と呼称している、空対空ミサイルです」

「ミサイルまで偽装は……、無理か」

「はい。相当難しいものと」


 さらに、大郷も補足した。


「また、現状ロシアが、ここまでの入念な準備の元、我が国の戦闘機を撃墜するメリットは、限りなく低いものと思われます。クリミアや中東絡みで欧米からの経済制裁を受けている現状、旧西側にいる国で、制裁に積極的に参加していない我が国は、ロシアにとっても重要な経済相手国です。北方領土の関係があるとはいえ、積極的に我が国との関係を悪くする理由は、今のロシアにはあまりないとみてよろしいかと」

「そうか……」


 菅原も納得したようだった。大郷の隣では、永島が「それみたことか」と新里を睨みつけていた。目をそらすしかない新里に、大郷は思わず同情の念を抱いていた。


「(こうなった時の永島さんは怖いからなぁ……)」


 説明がひと段落した蒼波は、大郷に後を託す。


「……以上が、今回の事案の概要です。詳細は、さらなる調査の元解明していくつもりですが、一先ず、我が政府としての、今後の初動対応を検討したく思います。事実の公表も含めて」

「公表するべきだろうッ。これを隠すなんてとんでもないぞ」


 真っ先に永島が声を上げた。もっとも、これに関しては誰もが納得することだったので、さして反発はなかった。公表するついでに、政府に対する求心力上昇の起爆剤にもなる。そう考える大臣も、中にはいた。


「防衛省としては、今後同様の事態が再発することを防止するべく、自衛隊各部隊に、警戒態勢を取らせたいと考えています」

「具体的には、どんな発令を?」


 菅原の問いに、大郷は一呼吸を置いて、菅原を見据えていった。



「――一番手っ取り早いのは、“防衛出動待機命令”です」



「待機命令だと?」


 反射的に目を細めた菅原の問いに、大郷は頷いて返した。


 自衛隊法第77条、及び第77条の2においては、防衛出動待機命令と、それに関連した事前準備に関する規定が盛り込まれている。防衛出動の発令が予期される状況において、自衛隊の全て、または一部に対し、出動待機命令を発令することができる(第77条)。また、事前に自衛隊の部隊を必要な場所に展開し、陣地なども構築しておく必要がある地域がある場合は、総理の承認を得たうえで、防衛大臣はこうした必要な処置を命令することができる(第77条の2)。

 あくまで、これは待機命令であり、出動命令ではないが、これを発令するということは、“将来的に防衛出動の発令も十分想定される”ことを意味する。ただの待機命令なのではない。将来的な含みを持たせるという点で見ても、この命令が持つ意味は重い。ここにいる者たちは皆、その重さを理解していた。自然と強張った彼らの表情が、全てを物語っている。


「今回は戦闘機同士の空中戦で済みましたが、計画的かつ入念な準備を伴った性質から考え、再攻撃、それも、もっと激しいものがこないとも限りません。最悪の事態を想定し、防衛出動待機命令を発令する必要があると、具申します」

「で、ですが、それって、外部からの武力攻撃が発生する明白な危険がある場合に限るって話でしたよね? 今回のこれ、それにどこまで該当するか……」


 相変わらずの慎重論の新里。だが事実、この防衛出動待機命令を発令する前提条件として、第76条『防衛出動』の第1項にある「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態」という条文をクリアする必要がある。つまり、外から攻撃されているか、攻撃される未来がほぼ確定である状態でなければ、防衛出動はもちろん、防衛出動待機命令すら出せない。

 今回の場合は、今は継続的な武力攻撃がされていないため後者の方として扱われるであろうが、これを以て、今後武力攻撃が発生するのが確定的であるとみるべきか否かは、確かに判断に迷うところであった。

 それに関しては、再び反発の声を上げようとした永島を抑え込むように、大郷が即座に返答した。


「もちろんそうですが、せめて、待機だけはしておくべきと考えます。国家としての意思が介在しているか否かに関係なく、この計画性からみて、単発的な攻撃で済むとは安易に結論付けることはできず、再攻撃の可能性を完全に否定することは、かなり難しいと考えます」

「そ、それはそうですけど……」

「仮に待機させるとしても、どの部隊が対応するかでまた変わるぞ。関係ない周辺諸国を刺激しかねんし、アメリカも黙ってはおるまい」


 山居が聞いた。そこに補足するように、『真崎梨絵しんざきりえ』総務大臣も意見を述べる。


「幾ら待機命令とはいえ、防衛出動を想定した発令となると、国民の不安も煽る形になるかもしれません。諸外国にも、過激なメッセージを与えることになるのでは?」

「過剰反応だと言われ時のことも考えねばならん。野党だって過剰行動だと反発する。支持率にも影響しかねん」


 『岩田慎一郎いわたしんいちろう』法務大臣も比較的慎重な意見を発した。防衛出動、という言葉に、皆少しばかり気が引けてしまったのだ。ただの待機命令では確かにないが、かといって、無防備な状態でいるわけにはいかない。大郷は譲らなかった。


「もちろん、周辺諸国にも配慮しますし、相手国が相応の処置を講ずるならば、直ちにこの命令を取り下げます。何も防衛出動を絶対に発令させる必要はありません。待機対象部隊も、今後の展開によりますが、一先ずは南西方面に絞ります。南西諸島、及び九州の部隊に対し、待機命令を発令し、不測の事態に即応できる体勢を整えるのが、先決かと」

「待機命令による他国の軍事的反応の誘発は防げるのか?」

「少なくとも、今回狙われたのは我が国です。あくまで防衛目的の待機であるため、不用意な誘発は最大限防ぐことが可能だと考えます」

「海上警備行動あたりで済ませないのか?」

「あれは基本的に海上での事案対処が中心です。今回は空ですので、少々苦しい所かと。また――」


 大郷が他の大臣たちからの質問攻めを躱していく。せめて待機命令。それは、既に防衛省内では一致した見解であったが、やはり、『防衛出動』という言葉がネックになっていた。大郷が必死に説得していることで、一応認めてはもらえそうな雰囲気にはなってきたものの、蒼波は、軽くため息をついていた。


「(警戒待機すら、真面にさせてもらえんのか……)」


 言葉にこそ出さないが、蒼波はそう内心で悪態をついていた。諸外国の反応まではまだしも、野党だの、支持率だの……。もう既に一人の自衛官が死んだも同然の状態だというのに、政府はこのザマだ。前線から遠く後ろに離れると、思考も楽観的になる。某ロボットアニメの映画で、そんなことを言っていたような記憶を呼び戻していた。

 ……良くも悪くも、ここは“平和”か。蒼波はそう考え、軽く諦観を抱いていた。


「――とにかく、事態解明を進めるとともに、再発の可能性が消えるまで、待機命令は発しておくべきです。これ以上の犠牲は、食い止めねばなりません」

「同感です総理。また、この件に関して、諸外国から弱腰とみられたりすることだけは、外務省としても避けたく思います。待機命令を、発令するべきです」


 永島が完全に大郷の援護射撃要員になったところで、萩山も、「そろそろいいか」と、腕時計をチラッと目で確認しながら、菅原に向けて言った。


「一先ず、情報収集を徹底し、国民の安全を最優先すべきとして、ここは、待機命令が先決かもしれません。総理、如何なさいますか」

「うむ……」


 険しい表情の菅原の目線は、資料に書かれている「F-15J 1機撃墜」の文字にあった。将来、いつかこの日が来るかもしれないとは思っていたが、まさか、自分の時に、ましてや、こんな形で出てしまうとは。この後の立ち回りなどを考えると、胃が痛くなってしょうがない。しかも、防衛出動待機命令も出さないといけないと考えると、深いため息をついて頭を抱えたい衝動に駆られてしまう。

 しかし、今更泣き言を言ってもしょうがない。これ以上の犠牲は出せない、という大郷の言葉は事実であり、これで何もしないといってしまえば、国民世論、特に、主な支持母体である保守系の世論層がなんと言ってくるかわかったものではない。彼の手元にある選択肢は、さして多くはないのだ。

 「しょうがないか……」と、小さく呟き、資料をテーブルに置いた。いよいよ、彼も腹をくくったようである。


「……ここで決めるのか?」

「できるだけ、早い方が」

「わかった。……南西方面と、九州の部隊に対し、防衛出動待機命令を発令する。ただし、事態の究明を最優先。相手が相応の処置を行ったならば、直ちにこれを取り下げる。それでいいな、大郷君?」

「はい。構いません」


 そして、菅原はまた一つ小さく深呼吸をし、萩山に目配せをした。頷いて返した萩山は、締めるように言った。


「では、防衛出動待機命令について、直ちに基本的対処方針を取りまとめます。防衛大臣は、命令の対象となる部隊を直ちに提出するように。記者会見も、早めに行ったほうがいいでしょう。また――」


 それを聞きながら、各大臣たちが手元の資料をまとめ、そばに控えていた秘書らに渡す。そのついで、一言二言指示を出す者もいた。


 ……その時、静かに、しかし素早く、隣接する総理秘書官室のドアを開けて、執務室内に入ってくる一人のスーツ姿の男がいた。萩山の秘書である。


「――では、関係閣僚は直ちに……、ん?」


 その男性秘書は萩山のすぐそばまでくると、小声で彼に耳打ちした。短くまとまった報告であったが、その内容に、今まで冷静でいた萩山の顔が一気に強張った。そして、彼の方を振り返って、


「なに、どういうことだ?」

「詳しくは、見てもらったほうが早いかと。どのチャンネルでも構いません」


 すると、萩山は先ほどまで説明用に使っていたテレビモニターのそばにいたスタッフに対し、直ちにマスメディアのチャンネルに合わせるように叫んだ。普段の萩山からは考えられない焦りっぷりに、誰もが動揺した。

 萩山に急かされたスタッフが、直ちにテレビのモードを変え、適当な民放のチャンネルに合わせた。偶然合わさったのは、日照テレビのチャンネル。ちょうど、昼のワイドショーが終わろうとしていた時だったか。


「なッ……!?」

「な、なんだこれは!?」


 しかし、そこに映っていたものを見た萩山は言葉を失い、山居が思わずそう叫んだ。テレビ画面では、キャスターが頻りに、同じ言葉を繰り返しているらしい。ある場所からの中継を映しているが……、


「燃えてる……」


 新里がそう呟いた。画面では、ある豪華そうな巨大な建物が、一部が崩れ、火災が発生していた。「爆発でも起きたの?」と真崎。そして、永島が、「あっ」と気づいた。



「これ……“中国共産党の人民大会堂”じゃ……」



 さっきまでの覇気はどこへやら。思いっきり腰を抜かした永島の言葉に、誰もがハッとした。そうだ。一部破壊されているが、間違いなくあれは、中国北京の人民大会堂だ。だが、どういうことだ? なぜ燃えている? いや、なぜ崩れてすらいるのだ?

 しかも、あそこでは今……


「確か、今党大会が行われていたような……」


 岩田がそう呟いた。時間帯からして、間違いなく党大会の真っ最中。そもそも、自分たちもレクが始まる前までは、この党大会の様子をテレビで見ていたのだ。間違いない。党大会中の人民大会堂に、何か事件が起こったのだ。


「どういうことだ、なぜ人民大会堂が?」

「まさか、爆破テロか?」


 思わず大郷がそう言葉を発した。党大会のタイミングで、共産党に反発する勢力による、爆破テロでも起きたか? だが、余りに大規模だ。しかも、映像を見る限り、人民大会堂の中心部あたりから煙が立ち上っている。中国共産党が、爆弾テロリストの内部侵入を許したのか? まさか、あり得ない。


「外務省、情報はないのかッ?」

「い、いえ、まだこちらには何も……」


 永島も動揺しっぱなしだ。随行スタッフに説明を求めるような視線を送るが、彼らも彼らで、「何もない」と首と手を横に振って答えるしかなかった。自分達だって、今このテレビを見て知ったのだ。


『――えー、繰り返しお伝えします。現在党大会が開催中の人民大会堂ですが、このように大きな爆発があり、現場は混乱しています。大会議場では先ほどまで、秦副主席の事実上の総書記就任演説が行われている途中で――』


 キャスターの女性が、原稿に頻繁に目を落としながら状況を伝えていた。所々噛んでいる。彼女にとっても、これは予想外の事態だったのだろう。大会議場には、多くの共産党員や随行スタッフらがまだいたはずで、彼らの安否がよくわからず、情報が錯綜していることを伝えていた。


「(な、なんだ? どうなっている!?)」


 蒼波も、思わず画面を見て固まってしまった。呼吸を忘れ、その目を、燃え崩れる人民大会堂の映像に固定させる。


「外務省は直ちに情報を収集! 現地大使館と連絡を取れ!」

「は、はい!」


 菅原からの指示を受け、永島がすぐに随行スタッフと共に部屋を後にしようとした。


「――まて、なんだ?」


 山居が呟いた言葉に、皆が反応した。テレビ画面が揺れている。撮影方向を強引に変えようとしているようだ。人民大会堂を写していたところから、少しだけ右に、そして、上の方向に。中継先のレポーターがしきりに何かを叫んでいたが、音割れしかけるほどの轟音がどこからともなく鳴り響くせいで、よく聞こえない。


『――すいません、どうしました? 安藤さん?』


 スタジオにいるキャスターも、異変を感じすぐにレポーターを呼んだ。

 ……瞬間、カメラは、あるものを捉えた。


「――あッ!」


 直後、“それ”は、人民大会堂に一直線へと突っ込んだ。大きな爆発が起きる。正面付近に向かって後方右側から当たった形になり、正面の上にあった中国国章が地面に落ちた。直後、爆発時の爆風によって大きく上下左右に揺れていたカメラは、強引に上の方を向く。その先では、明瞭ではないにせよ、一つの黒い影が、先ほどから響かせていた轟音を辺りに撒き散らしながら、高速で飛んで行った。


「……今の……」


 新里がすべてを言い切る前に、さらにそれは追加で襲ってきた。一つだけではない。“数発”、人民大会堂のいたるところに“着弾”し、大きな爆発と火災を引き起こした。そして、また上を、何個かの黒い影が轟音を響かせ、通り過ぎていく。状況を伝えるレポーターの叫び声が、全然聞こえてこないほどの爆音だった。尤も、パニック同然の状態になった彼の早口の叫び声は、傍から聞いても聞き取れそうにないであろう。


「……バカな……」


 誰かがそう呟いたのが、やっとだった。全員が、言葉を失った。このような光景は、テレビで何度か見たことがあったが、あそこは中東やアフリカなどではない。お隣の中国だ。しかも、人民大会堂、日本で言う国会議事堂だ。そこが、“攻撃されている”。


「……大郷君、今のは……」


 菅原は震える声を大郷に向けたが、彼も信じられないといった表情を浮かべて固まっていた。その表情を浮かべていない人間は、この部屋には誰一人いないが、彼が、ある意味1、2を争うぐらいに、腰を抜かしそうだったのだ。


「……ま、間違い……、ありません……」


 それでも、彼は答えた。



「……あれは、“戦闘機”です……」



 誰一人として声を上げない。上げる余裕すら消えていた。それでも、萩山はどうにかして声を出した。


「……落ちてきたのは?」

「間違いなく、爆弾の類でしょう。爆発の規模からして、少なくとも小型のものではありません」

「つまり……」

「はい――」


 自分でも、自らの言っている言葉を「嘘だ」と思いつつ、思い切って言った。

 



「――“北京が、軍事攻撃を受けています”……ッ!」




 少しの間、総理執務室には、沈痛ともいえる空気が、流れていた……

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