2-4
――国籍不明機の一報が入ったのは、1213時。
百瀬の担当する空域に、識別不明、飛行計画にも該当機がいない“アンノウン”が入った時点で、E-767は直ちに追尾を開始するとともに、南西SOCと那覇DCに対し、スクランブルを要請する。最終的なスクランブル指示は、那覇DCから行われる段取りになっていた。
「――アンノウン詳細!」
アンノウンの知らせを受け、待機スペースからカーテンをめくって速足で入ってきた重本は、開口一番そう言った。既に顔は仕事モード。百瀬が反応する。
「アンノウン、えー、セクター7、エリアS5W7、上海東180海里、速度680、方位150、高度27、機数2!」
「スクランブルの要請は出しておきました。那覇から2機のF-15が出ると」
当直幹部が重本に報告した。
「何分でくる?」
「目標針路と速度がそのままと仮定して、最短で15分前後で接触できると思われます」
「よし、お疲れさん。あとは俺がやる。……これより要撃管制を行う。セクター7担当は誰だ?」
すぐに、一人の男性が手を挙げた。
「自分です」
羽浦だ。セクター7と呼ばれる空域を担当していた彼は、重本の命により、すぐさま要撃管制の担当となった。本来なら那覇DCがやることであるが、元々地上でGCIを担当していた経験もある。訓練の甲斐もあって手慣れたものであった。
すぐさまレーダー画面をセットアップ。レーダー上では、国籍不明機を2機捉えている。百瀬の言っていた速度、方位、高度のまま、一直線に沖縄本島方面を目指していた。速度が速い上、反応も小さめに出ているため、恐らく戦闘機であろうと思われた。
「黄海からか……」
戦闘機と来れば、大抵はすぐ近くの大陸の方面からやってくるのが普通だが、今回は黄海の方面からやってきた。少し妙に思ったが、大陸から飛び立った後、一直線に飛んできたのではなく、一旦洋上に飛んだのだろう。時たま、そういった変なコースを取る編隊もあるにはあるのだ。
「――ッ! 上がった」
レーダー上に新たな反応。これは那覇基地を飛び立ったものだ。機数2、小さい反応が高速で上昇しつつ、アンノウンへ機首を向けている。コールサインも、ブリップのすぐ隣に表示された。
「……ん?」
が、そのコールサインに見覚えがある。那覇基地、という時点で微かに予感していなかったわけではないが、それは半分ほど確信に変わる。これは、自分もよく知っている人の所属する部隊の、新しいコールサインだ。それぞれ、『2-1』と、『2-2』。1番機と、2番機。
「……まさかな」
一先ず、スクランブル機が上がったことを報告する。
「先任機上兵器指揮官、スクランブル上がりました。那覇309よりBUZZARD2-1と2-2。目標到達予想時刻、ネクスト31」
「よし、誘導開始。羽浦、頼むぞ」
「了解」
羽浦は、気を引き締めるべき席に軽く座り直し、素早く深呼吸をした。上昇中のバザードからの返答を待つ。数秒後、
『AMATERASU, this is BUZZARD 2-1, now clime ALT 27.(アマテラス、こちらバザード2-1、現在高度2万7000フィートに上昇中)』
きた。バザードからだ。こちらから知らせたスクランブルオーダー通り、指示通りの高度に上昇している。
「BUZZARD 2-1, this is AWACS AMATERASU, radio check, how do you read?(バザード2-1、こちらアマテラス、無線確認、聞こえますか?)」
まずは無線チェック。こっちは良く聞こえているが、向こうが聞こえていなければ意味がない。だが、仮にもスクランブル機である。余程整備の人たちが手を抜いていたりしない限り、聞こえないということはないはずだ。
……で、確かに無線は聞こえてきたのだが……
『……ぇえッ!?』
第一返答がこれだった。応答ではなく、感嘆詞である。しかも、女性の声。
「……、は?」
冗談だろうと思った。那覇基地で、バザード隊で、女性といえば、思いつく限りでは彼女しか思い浮かばないのだ。思わず彼は、百瀬の方を向いた。百瀬も、何度か空の上での訓練等を通じて彼女の声は一応知っているはずだ。後ろを振り向いて、後方にあるコンソールの一群越しに、彼女の顔を伺う。
……その百瀬も、口を若干吊り上げて目を見開いて半笑い。これは間違いない。百瀬ですら、はっきりと聞いた声なのだ。自分だけが幻聴を聞いたわけではない。
「……お前かよ」
間違いなく、2番機は蒼波であると、羽浦は確信した。そんな様子を見た重本が、粗方何が起こったかを察したのか、少しだけニヤけて、
「……張り切りすぎて噛むなよ? かっこ悪いから」
「何言ってんですかシゲさん」
余計なお世話たとばかりにツッコんだ。蒼波と羽浦の関係を知っていた彼は、思わずイジりたくなったのである。
しかし、さっきの声……。たぶん、蒼波の方も、ビックリしたのだろう。無線開きっぱなしで、こんな声を流してしまったのだ。普段ならやらないミスである。
「(思わずビックリしたのだろうなぁ……たぶん、俺以上に)」
すると、さらに無線が聞こえてきた。今度はちゃんとした返答だ。
『AMATERASU, this is BUZZARD 2-1, reading 5.(アマテラス、こちらバザード2-1、よく聞こえる)』
了解。と、続いて再度針路と高度の指示を出そうとしたとき、
『――今日は妖精の嬢ちゃんもいるぞ~、よかったな』
『はィイ!?』
「……」
思いっきり裏返った、甲高い女性の声が無線に響いた瞬間、羽浦は右手で文字通り頭を抱えた。隣では、無線を聞いていた重本が立ちながら笑いをこらえている。そして、二人の視界には入っていないが、百瀬も半分呆れながら羽浦たちに同情していた他、その他の人たちも思わず軽く笑いを堪えている。
……予てより蒼波から話には聞いていたが、つまり、この人があの噂の「近藤さん」という方か。やっぱりこんな感じなのか。ここ、仮にもスクランブル多発の空の上なのだが、どうやら彼にとってはそんなことは関係ない様だ。問答無用でジョークをぶちかます。アメリカン映画のエースファイターか何かかと、思わず心の中でツッコまざるを得ない。
『今日は下は雲海だがな、それ故に今日は彼女もキレイに映るんだわ、これが。ほら、雪の周りに立つとめっちゃキレイに見える女性っているだろ? それに似た感じでな――』
「あのー」
『ん?』
さすがにまだ指示出してない段階でこれやられると困るので、呆れ顔全開で、ため息を一つついて、羽浦は淡々と言った。
「……任務中ですよ、グリズリー」
グリズリー。彼のTACネームである。ヒグマの亜種であるハイイログマを意味し、時としてヒグマの別称としても使われる名前である。形式的な命令より、もう少し柔らかい姿勢で命令をした方が聞いてくれるとの算段に基づき、あえてこの名前で呼んだのだ。あと、相変わらず羽浦の周りは笑いを必至に堪える人たちであふれかえっていた。仕事しろお前ら。
「あと、たぶんお隣さん、すんげえ顔赤くしてると思いますんでそれくらいにしてやってください」
『お隣さん?』
……数秒後、
『……よく見えねえや』
「でしょうね」
どれだけ近くても、パイロットの顔の表情までは良く見えない。というより、エアロバティックチームでもない限りそんな接近飛行はしない。しかし、この時の蒼波は、確かに羽浦の言った通り、思いっきりヘルメットの中で赤面をかましていた。そして、頭を抱えていた。
「……あとで本当に04式ぶち込んでやるぅ……!」
さりげなしに怖いことを呟いていた蒼波だが、幸いにして近藤には聞こえていなかったらしい。が、無線には微かに音声が入っていたので、
「(あ、これ地上に帰ったら殺される奴や)」
グリズリーと呼称される彼の安否を憂いながら、一先ず高度と針路の指示。あとはそのまま接触するまで一直線に進ませる。気のせいか、2番機のほうが1番機の後ろを取るようなポジショニングをし始めているが、羽浦は見なかったことにした。気にしてはいけない。時として錯覚を見ることだってあるのだ。だって人間だもの。
――約15分後。バザードは、目標を目視範囲内に入れていた。
バザードの機体のレーダーでも表示されているだろう。しかし、それは自機のレーダーではなく、アマテラスの得た情報をレーダー上にトレースしているに過ぎない。自身の位置を自分から教える事の無いよう、バザードの2機はレーダー波を切っている。
「BUZZAR 2-1, target 11 o’clock low. 目視確認を行え」
『BUZZARD 2-1, roger. ……あー、それっぽい飛行機雲を見つけた。接近して確認する』
「AMATERASU, roger.」
コントレイル……? 羽浦は了承の返答を無線で送りながら、左て元にある資料をパラパラとめくる。この時間帯、下は低気圧の雲があるためほぼ真っ白な風景が広がっているはず。当然、コントレイルも白い。
「よくまあ見つけたなぁ……」
羽浦は思わず関心する。指示を出してから数秒と経っていないので、余程はっきりと見えたのか、それとも、グリズリーの目がよかったのか……。ともあれ、コントレイルを引いているのならラッキーなのには違いない。確かに、低気圧のせいで現場の空域は湿気っているので、雲もできやすいだろう。
レーダー上では、バザードの2機が目標に向け一直線に降下しているように見える。グリズリーから、「Target visual I.D.」と報告が来た。
「バザード、目標を視認」
あとは、バザードが適切な対応をするのを待つだけである。
――そのバザードであるが、近藤と蒼波はそれっぽいコントレイルを確認した後、緩降下で接近していた。コントレイルは2本伸びている。しかも高速だ。データリンクにより表示されているレーダーのデータとも一致する。間違いない。
『見えたぞ。距離を一定に保て。編隊乱すなよ』
「了解。真後ろにいますのでご安心を」
『まだ根に持ってるのかよ……』
実際、真後ろとは言わないまでも、通常より真後ろに近いポジションを取っていた。蒼波も一応女性である。こういう時の女性は怖いと、近藤は思い知ったに違いない。
とはいえ、アンノウンが見えた後は流石に真面目にやらねばならない。ポジションを通常の位置に戻しつつ、アンノウンにさらに接近。最初はただの黒点でしかなかったが、その形からして、大型機ではないことは大体察しがついた。つまり、
「……戦闘機、ですね」
『だな。やなのにあたっちまったなーこりゃ』
近藤の言葉に蒼波も同意した。視認したのは2機の戦闘機だった。事前に、羽浦が「戦闘機の反応を出している」と伝えていたので覚悟はしていたが、改めてそれを自らの目で確認すると、少しばかり身構える。ここら辺で戦闘機となると十中八九中国機であるが、中国戦闘機といえば、スクランブルで上がってきた空自機をロックオンするやら接近飛行するやらと、余り良い噂を聞かない。今のところ蒼波はそういった経験はないが、中露あたりの戦闘機が見えるたびに、無意識に心拍数を上げ、小さく嫌な汗をかいていた。
『大丈夫だって、今日も何事もなく終わるから。戦争したいわけじゃねえんだ、撃ってきはしねーよ』
そんな蒼波の心境を悟ってか、そう一言投げかける近藤。「わ、わかってます」と強気に答えはするが、結局強がりにしかならなかった。本当に撃ってくることは流石にないだろうとはいえ、中々慣れないのだ。
本来なら近くまで接近するところだが、相手は戦闘機であるのでそうもいかない。音速を超えてすれ違うことがザラに起きる戦闘機同士で、肉眼で機種や国籍マークがわかるほど接近することは、不意の衝突などを引き起こす危険性を孕んでいる。なので、一見黒い点にしか見えない程度に距離を離して、そこから監視するのだ。何時ぞやのロシアの偵察機編隊の時も戦闘機が護衛にいたが、あれは諸所の条件から鑑みたイレギュラーな処置なのである。
それでも、相手が誰なのかは気になる。写真撮影が可能かの判断もかねて、蒼波はビデオカメラを取り出し、最大限までズームしつつ、録画を開始した。普段はこんなにズームしないが、民生品の流用であるからして、このズーム機能はオミットされていなかった。しかも、結構遠くのものもはっきりと見える高性能品だ。
「これ、スホーイ……ですか?」
動画を撮りつつ、蒼波が近藤に聞いた。黒に近い灰色の機体に、この曲線美な形状は、間違いなくスホーイの戦闘機だ。Su-27系統であるのは間違いないが、この灰色基調のカラーリングをしているSu-27系統の戦闘機を持っている国は、一つしかない。同じくスチールカメラのズーム機能を使って相手機を確認していた近藤が答えた。
『ああ。この黒灰色のカラーリングは中国のだな。たぶんJ-11Bだ』
「わかるんですか?」
『レーダーレドームが真っ黒だろ。ああなってるのはJ-11の中でもB型とD型だけだが、D型は南海に最近配備され始めたばっかだ。こんなとこ飛ばない。たぶんこいつはB型だ』
よくまあこんな距離からそこまで……。海外の機体の特徴は粗方頭の中に入っていると豪語している近藤だが、ここでもその能力が発揮された。
近藤は、当該機がJ-11Bに酷似していることなど、確認できた事項を直ちに報告する。その横で、蒼波はカメラを仕舞いつつ、疑問に思っていた。
「(……単独で来てるのに、実弾装備……?)」
遠方にいるためみえないが、写真で撮った画像を思い出す限り、どうやらミサイルを装備しているようであった。左翼下のハードポイントが計2基。それぞれにミサイルが搭載されている。両翼に装備されているとすれば、計4発分か。セオリー通りなら、おそらく短距離空対空ミサイルと中距離AAMを2発ずつか、短距離AAMが4発という組み合わせだろう。
AAMにも種類があるので、具体的にどのミサイルがあるかまではわからないが、ミサイルそのものを載せているらしいことは間違いない。元より、戦闘機単独で来ているのに、何も武装していない等という都合のいい話はないのだ。
だが、蒼波は疑問を感じた。
ここら辺を実弾でやってくる2機戦闘機編隊などそうそうない。時たま、太平洋上での演習と称して、宮古海峡の上空を中国機の編隊が通ることはある。しかし、それらは大抵、太平洋に進出した米空母艦隊を攻撃するための、爆撃機を伴った攻撃編隊の編成であり、たった2機のエレメントが単独でやってくることはほとんどない。こんなところにまで、戦闘機が単独でやってくる意味があまりないからだ。
……それでも、今遠目で見ているのは、“沖縄本島近くに単独でやってきたJ-11B戦闘機の2機編隊”。幻覚ではない。
「……」
妙な予感がしたが……しかし、蒼波はそれを否定するように首を振った。近藤の言った通り、最悪の事態は起こらないだろう。流石にそれは国にとってもハイリスクなのだと、どうにかして自分を納得させた。
『えっと、とりあえず国籍の確認を――』
もうわかり切っているが、一先ず手順があるので、近藤が国籍マークを確認する。大抵は、尾翼のどこかに国籍マークが書かれているはずだ。本来は、こうした戦闘機相手なら距離も開いているため無理にやる必要はないのだが、カメラのズームを使って確認できなくはないという判断だ。近藤は、操縦する左手をそのままに、カメラを今一度ズームさせてそれっぽいマークを見つけようとした。
『――ぁあ? ありゃ、どこだ?』
「え?」
無線から聞こえる近藤の戸惑う声に、蒼波は反応した。様子が変だ。蒼波が問いただす。
「どうしたんです?」
『いや……』
自分も信じられないといった声で、近藤は言った。
『……なんだ、国籍マークがないぞ?』
「……えッ?」
蒼波は思わず驚いた声を上げる。
……“国籍マークがない”? そんなはずはない。どこの国も、余程の無法国家か何かでない限り、国籍マークを戦闘機の尾翼に付けているはずだ。
一応、国籍マークをつけることに関する明文化した国際法等はない。嘗て、国籍マークを付ける、無差別な空爆を禁ずる、等を定めた戦時国際法『ハーグ空戦規則案(空戦法規)』が条約として立案されたことがあったが、時は航空機が出来たばかりの1920年代。当時は、航空機の運用が制限されることを嫌ったために、未だに発行されていない。ゆえに、たとえつけなかったとしても、罰則等はないのだ。
ただし、所謂『慣習国際法』として、全ての国はこれを履行することが慣わしとなっている。明文化はされてはいないが、文字で書かれていない法律(不文法)である、慣習法としての法的根拠は十分あると考えうるものであり、これがない戦闘機はほとんどないとみていいだろう。
蒼波や、もちろん近藤も、当たり前だがそんな戦闘機は見たことがないし、存在するとも教わっていない。これが初めてである。
「こっちからも確認できません。低視認性塗装ですか?」
『かもしれねえけど、あいつらJ-11にロービジ採用してたか……?」
近藤は言葉を濁らせる。蒼波はさらにカメラを限界までズームさせ、それっぽいマークを探す。時たま、基地に帰った後提出する資料として使うべく撮影も独断で実施。しかし、それっぽいものは見つからなかった。見える部分はありとあらゆるところを探したが、見慣れた国籍マークは見当たらない。中国の機体であることは間違いないのだが……。
「ダメです、国籍マークどころか、機体番号っぽいのも見当たりません」
『そんなバカな……これじゃあ、工場から出たばっかりの新品みたいじゃないか』
相変わらず困惑する近藤。とりあえず、アマテラスに報告した。
『あー、こちらバザード2-1。アマテラス、当該機の国籍マークが確認できない。どこにも塗装されていない可能性がある』
『えッ、こ、国籍マークがない?』
まあ、そうなるよねー……。蒼波は無線の向こうにいる幼馴染の動揺さに同情した。
『確かですか? ロービジ迷彩の可能性は?』
『可能性はあるが、どうもみえなさすぎる。カメラのズーム機能を使っても、それらしい影すら見えなかった。バザード2も確認している。これじゃ本当の意味での“国籍不明機”だ』
『そ、そんなはずは……。あー、とにかく、警告を開始せよ。事後の対応はこちらで判断する』
『了解。フェアリー、動画は撮ったな?』
「とりましたけど、たぶん滅茶苦茶手ぶれしてますよ?」
『大丈夫だ、国籍マークが見えないってのがわかればそれでいい。お前の動画と俺の写真で、間違いなく世間が賑やかになる』
「り、了解」
賑やかって何よ……。そんなツッコミを入れながら、蒼波はカメラを再度機体に向ける。普通なら国籍マークがあるはずの場所にも、しっかりとレンズを向けた。相変わらず、不気味に沈黙を保ちながら、一直線に飛ぶ“国籍不明機”を直視しながら。そして、蒼波は不信感を抱きながら、カメラを仕舞った。
――近藤が警告を行っている間、羽浦は、当該機が国籍マークを付けていないかもしれないことを重本に報告した。が、反応は予想通り、
「バカな! そんなはずはない」
「しかし、2-1と2-2がカメラを使って確認したそうです。ロービジの可能性もあるが、それにしてはみえなさすぎると」
「おいおいおいおい、国際慣習法でそこらへんの識別つけるって話だったろ。どういうことだ?」
「俺に言われても……」
余りの事態に、戸惑いを隠せない重本と羽浦。事態を察した周囲も、どういうことなのか困惑している様子であった。
「一條、南西SOC向け送信。国籍マークをつけていない可能性が高いアンノウン捕捉。必要があれば事後の指示を求む、以上」
「了解。南西SOCに送信します」
「山口、マニュアル確認してくれ。国籍マークがない奴に対する項目があったら伝えろ」
「は、はい!」
重本が何人かに即座に指示を送る。その間、羽浦はバザードの2機と国籍不明機のJ-11Bらしき2機のブリップを見つめていた。このままでは、あと10分弱としないうちに領空に入る。時間はないが、どうも相手は警告を無視しているようであった。無線では、近藤がしきりに領空に向かっていることを伝えているが、一向に針路を変える気配がない。
「……あと10分か……」
現在の針路と速度から計算した、領空侵入までの残り時間。10分なんてあっという間だ。あーだこーだとしているうちに、どんどんと時間は過ぎ去っていく。室内では、マニュアルを確認した管制員が、困惑した表情で、重本に報告していた。
「マニュアルでは、国籍マークがない機体に関する措置があまり書かれてないんですけど……」
「はぁッ? うちのマニュアルは国際慣習法無視ったやつを想定してないのかよ? 何て書いてんだ?」
そういって、マニュアルを確認していた管制員からマニュアルを借りて該当するページをぱらぱらとめくる。
「えっと……中身は、大体国籍ある奴と同じようにやれみたいな感じで……」
「国籍確認をすっ飛ばして?」
「国籍確認をすっ飛ばして」
「はぁ……まあ、実際そうするしかないんだろうけどよ……」
マニュアルを閉じて返しつつ、頭をかきむしる重本。もっと他にないのかと言いたげは表情だが、どうしようもないと諦めたのか、いつも通りの手順を踏むことにした。
「羽浦、国籍確認は省略だ。とりあえず日中露、有り得そうな近隣国すべての言語で警告を出させろ。J-11Bに似せたロシア機か何かの可能性も否定できない」
「了解」
命令をバザード2-1に伝達した羽浦は、再度レーダー画面とにらめっこする。
『――まあ、そうだろうなとは思っていたが……』
一方近藤も、羽浦から通達された命令に諦め半分で了承していた。国籍マークがないだけではあるので、対応はそこまで極端には変わらないのだが、警告に使う言語が増える。正直手間だ。
『しっかり見張ってろよ、フェアリー。なんか嫌な予感がするぜ』
「やめてくださいよ、そういうの当たるんですから……」
ごまかすように近藤が小さく笑った後、再び日本語から警告を再開する。中国語、ロシア語と続いている間、蒼波は先ほどから、奇妙な胸騒ぎを覚えていた。
近藤にはあのようにくぎを刺しはしたものの、その実、蒼波も人のことは言えていなかったのだ。ここまで戦闘機のエレメントが単独でやってくるというイレギュラー、国籍マークがない、先ほどから何のアクションもなし。これを一言で表すとすれば、間違いなく“嵐の前の静けさ”だと、蒼波はそう考えていた。
「……」
不気味な沈黙を続けるJ-11Bらしき機体につられるように、自分も固唾を呑んでその成り行きを見守っていた。すでに警告は、先ほどの再開からすでに2週目に入っている。中国語で話している近藤も、さすがに苛立ってきたのか、語気が若干強まっていた。
『くそったれが、そこまで俺の中国語へたくそかよ』
思わず愚痴をこぼす近藤に、蒼波は何とも返すことができなかった。先ほどから、緊張で操縦桿をいつもより強く握りしめていた。
もうあと5分で領空に入る。警告の意図をさらに強く伝えるため、近藤はさらに語気を強めて警告した。
「警告する! 現在貴機は日本の領空に向かっている! ただちに針路を――」
――が、その時だった。
『――アンノウン、針路を変えた。そっちに向かっている!』
『ピィーーー……』
「……え?」
羽浦の焦燥した様子を感じる早口の無線と共に、訓練ぐらいでしか聞かない音が聞こえてきた。この連続した電子音は……
「レーダー警戒受信機!?」
蒼波の脳裏には、すぐさま今までの中国戦闘機と空自戦闘機の間で行われた“空中戦”の記憶がフラッシュバックする。この音は、RWRの中でも、“注意”を促す意味。
「――まさか」
おおよその方位と距離を確認。間違いない。疑念は確信に変わった。
その刹那、
『ピーピーピーピー―――』
RWRの音が変わった。スコープに移された、J-11Bを示す機体のシンボルもひし形の形状に変わる。
『ロックオン/武器発射可能』を意味する、そのシンボル。蒼波の顔は青ざめた。
「……み、みさ……」
その瞬間、無線が怒鳴った。
『フェアリー! 回避だ! 逃げろ!!』
その声を聴いた次の瞬間、蒼波は主翼下にあった2基の増槽を捨て、
スロットルを全力で前に押し倒し、機体を左下方に急旋回させていた……