2-3
≫PM12:13 沖縄県 那覇基地≪
同時刻――。
沖縄本島西部は、生憎の雨模様となっていた。台風とまではいかないものの、比較的規模の大きい熱帯低気圧が、南西諸島、特に、沖縄諸島周辺に直撃していた。太平洋高気圧の西側外縁部を回るような進路を取り、くの字を描いて、沖縄に上陸する。沖縄にとって、海がキレイで、観光客を呼び寄せる絶好の期間でもある7月~9月の夏季シーズンは、ちょうど台風が直撃する頭の痛いシーズンでもあるのだ。観光客は呼んだが、台風までは呼んでいないという声が、今年もどこかで飛び出している事であろう。
ここ那覇空港も、数キロ先が見えないほどの豪雨となっており、時折雷も落ちてくる雷雨の様相を呈していた。一部の便は万全を期しての欠航、若しくは、天候不良による遅れが発生しており、慌ただしい様子を見せている。カウンターでも、欠航便の客の取り扱いや、チケット代の返金、理不尽なクレーム処理など、昼のラッシュ時間帯にぶつかったことも相まって、地上スタッフは休む暇もなく走り回っていた。
……が、それは民間空港での話。
隣接する那覇基地は、別に旅客機を運用しているわけでもないし、事前に取り決めていた時刻表通りに飛ぶわけでもない。飛ばすのは自衛隊機。今日は幾つかの戦闘機の訓練飛行や、E-2Dの哨戒飛行が予定されてはいるが、それだけである。そっちはもう既に飛んで行った。
あとは、通常のアラート待機のみである。
「……やまないなぁ、雨」
アラート待機所で、蒼波はソファに座って窓の外を眺めつつそう呟いた。朝からの雷雨は、彼女にとっても憂鬱な気分の種となる。いつもは明るい彼女も、今日は少しばかり気が乗らない。朝に行われたウェザーミーティングでは、今日の夕方あたりまではこのままらしい。
「今年は梅雨明けが遅いらしいからな。この雨じゃ、今日は地上で太陽を拝めそうにないな」
後ろから近藤がそう声をかけてきた。斜め右手にあるソファに「どさっ」と座ると、テレビのチャンネルを合わせつつ、
「民間空港は災難だな。今頃、チケット返金やらクレーム処理やらでてんやわんやだぞ」
「お約束の光景ですね」
「そういう意味では、うちらは暇だしいつも通りだな」
「スクランブルは大量ですけどね~」
投げやりに蒼波はそう言った。
現代の那覇基地は、他の基地と比べても格段に飛びぬけた回数のスクランブル発進を行っている、日本一忙しい空自基地である。南西諸島唯一の空自戦闘機が所在する基地であり、当地域防空の要でもある。
南西航空方面隊第9航空団が所在し、2個の飛行隊を保有する。蒼波たちの所属する309飛行隊は、半年前に小松基地からここ那覇基地に移転されて以降、文字通りスクランブル三昧な毎日を送っていた。どうにかこうにかして休みは取れなくはないのだが、それ以外の日は通常訓練をしながら、数日経てばまたスクランブル当番という毎日である。
那覇にきてまだ半年であるが、スクランブルに出た回数などもう数えるのを諦めたぐらいに多い。大体週に1~2回ぐらいは必ず出たはずである。疲労もどうあがいたって溜まろうというものだ。
「今日も来ますかね~、お客さん」
「雨の日に来られても困るんだけどなぁ……まあでも、向こうは日にちを選んでくれないしな」
「ですよねー……」
肩をがっくりとさせる蒼波。当然と言えば当然だが、こんな雨の中でもスクランブルに上がらねばならないのかと、頭を抱えたくなる気分であった。雨の中のスクランブルは何度かあるが、幸いにして、今まではこんな雷雨の中のスクランブルは経験がない。
だが、那覇基地はその立地上、この時期はこんな暴風雨がしょっちゅうである。残念ながら、雷雨スクランブルの初体験はここでやることになりそうだ。しかも、今日は5分待機組であるからして、ベルがなったら即行で格納庫に突っ走らねばならない。待機所と格納庫の間には屋根付き通路がない。短い距離であるが、蒼波が担当する機は、すぐ隣にある格納庫ではなく、さらに一つ奥の格納庫である。全力で走っても10秒前後はかかる距離で、じめじめとした空気にやっと慣れてきたというところなのに、今度は豪雨によるずぶ濡れを経験することになる。気も滅入るというものであった。
「ま、南国のじめじめ雷雨なんざそのうち慣れるだろう。それより、南国らしくかき氷が食いたいんだがなぁ」
「かき氷って……」
アラート待機中になんてもん食おうとしてるんだ……。蒼波は内心呆れながら、ふと、本を読む手を止めてテレビの方を見た。隣にある時計の確認ついでだったが、そこでは、民放の昼のワイドショーが行われていた。
「日照テレビですかそれ」
「ああ。たぶん、時間帯的にあれやってんじゃねえかなーって……」
近藤の読み通り、番組内ではその“あれ”の中身を取り上げていた。
『――では、ここで中国共産党大会が開催されている北京から、鹿野さんに伝えてもらいます。鹿野さーん』
スタジオの女性メインキャスターの声に反応するように、男性の声が聞こえた。画面は切り替わり、豪華な大きめの廊下らしき場所を背景に、男性レポーターが中継現場から伝える。
『はい。今、私は北京の人民大会堂の大会議場よりお送りしております。今は一時的な休憩時間となっていますが、ご覧のように、各国メディアが整然とカメラを並べて中継を行っています。党大会の模様を海外メディアに公開するのは異例中の異例ともいえ、ご覧のように、各メディアは既に特番を組んでの生中継に臨んでいます。先ほど、中央委員会の選任が終わり、次は、総書記の選任が予定されています――』
そのコメントを背景に、カメラは自身の周りの方を映し出す。他の海外メディアと言っても、大抵は欧米諸国のものであるが、どこのメディアも大小さまざまなカメラを携え、レポーターと思われる人はマイクやレポート原稿を片手にカメラに向き合っている。
レポーターはさらに続けた。
『――7月の開催という早期開催や、党大会の海外メディアへの公開等は、今回の党大会で正式に総書記に任命される予定の“秦東永”副主席の、欧米諸国との融和政策を積極的にアピールする意向が絡んでいるとみられており、既に共産党内で影響力を行使しているとの見方が上がっています』
『秦副主席は今回の就任演説で、来年の国家主席就任後を見据えた政策発表を行うと言われていますが、そちらについてはどうでしょうか?』
『はい、既に現地メディアでも大きく取り上げられており、特に、政策内容はもちろん、発表の方法からして、やはり異例と言えます。そもそも、次期総書記の発表は、党大会の翌日に行われる中央委員会第一回総会で行われていました。しかし、これをわざわざ変えて、総書記の発表も最終日に実施し、さらに、正式な選任はまだなされていないにもかかわらず、事実上の“就任演説”もこの日に行ってしまう日程は、余りに変則的な内容であると注目を集めています』
『翌日の第一回総会ではなく、わざわざこの党大会最終日に行う理由とは何なのでしょうか?』
『えー、海外のメディアらの間では、多くの共産党員や海外メディアらを目の前にし、自らの指導方針を大々的に発表する場を設けたかった狙いがあると言われています。数ある反発勢力を押しのけての、国際協調主義的な秦副主席の総書記就任は、どうしても党内での反発を招いているとされており、敢えてこの党大会の最終日に事実上の就任演説を行うことで、集まった党員らへの自身の影響力を大々的に見せつけ、諸外国に対し、次の中国の姿勢を早めに発表することで、次期指導部への理解を深めさせたい目的があるとされています――』
レポーターの現場中継は終わり、またスタジオへ。司会役の元芸人の男性の進行の下、その道に詳しそうな専門家のおじさんたちが、今回の党大会について解説する。
『――先ほどのリポートでもありましたが、今回の党大会は変則的です。明日の中央委員会第一回総会を待たずして、事実上の総書記選任ともいえる“発表”を行うのは、やはり秦副主席の意向が絡んだものとみるべきでしょう』
『演説すらこの場でやってしまうということなんですが、そこまで急いだ理由というのは、やはり党内の問題があってのものなんですか?』
『ええ、恐らくは。元々、まもなく交代する現指導部の意向を汲んだ新指導部を発足させたかった派閥勢力が多勢を占めていたにも関わらず、所謂国際協調主義的な秦副主席を中心とした指導部が発足することは、大きな反発を招きます。それらを抑え込むためにも、一日でも早く新指導部を発足させ、演説を通じて自身の政治方針を発表し、影響力を行使する上での土台を築きたいという狙いは透けて見えるでしょう。数ヵ月前までは、この中央委員会の選任を初日にやってしまおうという声すらあったぐらいです』
『それだけ急いでいるとなると、やっぱり政策も絡んできますよね?』
『ですねぇ。やはり秦副主席の持っている政策は、今までのものとは一線を画すものでしょう。対外面では強硬的と言われていた今までの政策を、ほぼ180度変えてきたとすら評価されています。前政権が持っていた核心的利益の保持はほぼそのまま引き継ぎつつ、対話路線の構築や軍事的交流の大々的な促進など、目玉は大量です。経済的な協力は言うまでもありませんし』
『ただ、その手法は少しばかり強行的との見方もあるみたいで、例えば、隆主席が2018年に発表した国家主席の任期撤廃案を、事実上“お流れ”にさせた首謀者は、この秦副主席を中心とした一派であるというのが海外アナリストたちの間でも有力です。とはいえ、少なくとも隆主席ほど態度は硬くならないとも見ていますけどね。腐っても国際協調主義的な勢力と、その親分です』
『アメリカもそうでしょうが、これ日本にとっても今後対応変えていかないといけないですよね?』
『そうですね、少なくとも今後5年間は彼の支配する中国が出来上がるわけですから、国際協調主義的な中国のやり方に、日本も合わせて行かないといけないでしょう。経済面はもちろん、尖閣諸島に関連する領土問題などでも、何かしらの進展が期待されますし――』
そのまま、番組では軽い討論も繰り広げられる。大まかには、国際協調主義的な秦体制の今後の政策内容や、日本の対応など。今までのそれよりは融和的になるのは間違いないため、外交面での進展に期待するといった内容となっていた。
膝に頬杖つきながら見ていた蒼波であるが、正直な話、
「……よくわからん……」
彼女に、この手の難しい話はよくわからない。普通に聞くだけだともう「すまん日本語でおk」という状態である。普段なら羽浦等に聞いてわかりやすく“翻訳”してもらうのだが、その彼は今いない。厚い雷雨の雲の上である。
「遼ちゃん、翻訳して」
「え、僕?」
すぐ近くでコーヒーを入れていた神野は、唐突な無茶ぶりに思わず肩をびっくりさせた。さっきまで電話してたので、テレビで言っている内容など余り頭に入れていなかったのだが、無茶ぶりだと言って断っても何を言われるかわからないので……、
「まあ……日本も対中戦略を大きく変えないといけないって話だよ、要は」
「すんごい要約の仕方だねぇ、遼ちゃん」
「実際そんなもんだし」
「融和的にはなったけど、相変わらず私たちはスクランブルなのはどういうことなの」
「そりゃあ、正確にはまだ指導部は変わってないし……」
コーヒーをテーブルにおいて、自身も隣のソファに座りながら、神野は言った。
「経済政策とか、軍事的交流の促進とか、そこらへんの流れになるのは確実らしいよ。スクランブルも少しは減ってくれるかな」
「テレビじゃ、“日中緊張緩和”とか言ってるな。緊張緩和って感じで」
「ですね。今まで軍事的対立が目立ってましたから、これで少しは緩和してくれればいいんですが」
「北朝鮮対応もあるし、中国が少しでも融和的になってくれるのは外務省的にも有り難いだろ」
「外務大臣が直々に歓迎コメント発するぐらいですしね。少しの間だけでも、平和的になってくればこっちとしてもありがt「うがああああああああああ!!!」……え?」
近藤と神野の政治的な会話の間に、思いっきり切ってかかるような叫び声をあげたのは、蒼波である。
「二人とももうちょっとまともな日本語話してくれる!? 何言ってるかさっぱりだから!」
「いや、これ日本語なんだが……」
「外国語にしか聞こえませんよ! 津軽弁がフランス語と勘違いされるみたいなもんですよ!」
「いやいやいやいやいや……」
「おけおけ、咲ちゃん、ステイ」
「わん」
神野が手を下げて「抑えて」とジェスチャーを送ると、すぐに大人しくなった蒼波。頭を撫でられるとすぐに口を「W」の字に変えて機嫌が直る。余りのちょろさに、近藤も呆れかえった。
「……犬かよお前は」
「誰がプレーリードックですか誰が」
「言ってない言ってない」
手をひらひらさせる近藤。というより、プレーリードックはリスの仲間であって犬ではなく、「ドック」という名前がついているのも「鳴き声が犬っぽいから」なのだが、それを教えようとした近藤は、後々の面倒を嫌い、喉まで出かかったそれを飲み込んだ。撫でられている猫も、それを邪魔すると機嫌も悪くなるであろう。それと同じである。
「まあまあ、色々とキナ臭いけどさ。それでも自分らのやること変わらないからね」
「知ってます」
「色々あってもさ、平和な空がほしいでしょ? なら、自分らの出番だよね。そうイラついたりしないでリラックスリラックス。ハイお手」
「わん」
おふざけ半分でそのとおりに手を差し出す蒼波。優しく宥められるとこうも簡単に収まるどころか、別の動物になってしまう。その様子に、近藤は軽く呆れ笑いを浮かべていた。
「手慣れてるなぁ、お前も。恋人なだけある」
「もう慣れましたから」
「なにその私ちょろい動物みたいな扱い」
「え、違うのか」
「近藤さん空に上がったら後ろ気を付けたほう良いですよ」
「怖い事言うなよ……」
軽く引いてしまう近藤。相変わらず蒼波は頭を撫でられているが、何故か長い。しかも、何時もより慈悲深いような顔を浮かべていた。本当に親か何かの顔である。
「……遼ちゃんそんな顔できたっけ」
「ん? 何が?」
「いや、その親みたいな顔」
「いつもこんなだよ」
「ありゃ……」
でもまあ、気持ちいのには違いないので、暫くの間はこのままでいいか……
「――ッ!!」
……と、思っていた矢先だった。
「(――サイレン!?)」
けたたましい警報音が、室内に響き渡った。刹那、
「スクランブル!!」
「来たぞお!!」
飛行管理員の絶叫に、近藤が絶叫で返しつつ走り出す。蒼波も、ほぼ条件反射ですぐにソファを立ち上がり、「行ってきます!」と、神野に一時の別れを告げて近藤の後を追う。外は相変わらずの土砂降りだが、構わず全力疾走。近藤はすぐ近くの格納庫に入ったが、蒼波はさらに奥の格納庫。走るのも一苦労だ。
「(タイミングいい時に来ちゃってもー!!)」
何だかんだで気分のいい時に来たため、やはり機嫌の悪くなった猫のような気分になった蒼波。それでも、仕事は仕事なので何とか頭のモードを変換せざるを得ないのだ。
何とか格納庫にたどり着いた蒼波。既に格納庫の隔壁は横にスライドするように開き始めており、中に入って駐機されていたF-15Jに乗り込み、ヘルメットを被る。担当の整備員が機体周りをチェックする間、蒼波はエンジンを手際よく始動させる。幸か不幸かはわからないが、もはや手慣れたものだ。
格納庫の扉が全部開く。目の前は一面の灰色の世界に、濁った視界が広がる。
「……こんな雨なのによく来るなぁ」
そりゃあ、相手は雲の上を飛んでくるので当たり前なのだが、誰もツッコんではくれない。
全ての安全チェックが終わり、兵装の安全ピンも抜かれる。エンジンが回転を始め、コックピットにも電気が通ると、動作チェックを素早く終わらせ、無線を入れる。
『2-1、レディオチェック。聞こえるか?』
「2-2、オッケーです」
『オッケー。今度はコールサイン間違えるなよ』
「何度も言わなくていいです。“BUZZARD”ですよね?」
『ああ、そうだ。猛禽類らしく派手に飛ぶぞ』
「ノスリとしてみれば微妙ですけどね」
『良いじゃねえか、カッコいいんだから』
割と強引な理論で話を終わらせると、近藤はスクランブルオーダーを貰い始めた。
元々、彼らの部隊名は『LEOPARD(ヒョウの意)』だったが、配置転換に伴い一部部隊のコールサインが変更された。その結果、『BUZZARD(猛禽の意)』となったのだ。「力強い鳥らしくカッコいい」と、部隊内では評判である。イギリス英語的にはノスリの意味になるので、元のノスリは鷹などを駆らず比較的小さい動物だけを狩ることを考えると、極端に力強いというわけではないのだが、カッコよかったら別にいいそうである。彼らしいといえば彼らしい。
『オーダーオッケーィ、行くぞ。BUZZARD flight, scramble. Let’s go!』
威勢のいい掛け声とともに、2機のF-15Jは豪雨の外界へと移動を開始。別れ際、整備士に軽く敬礼を送ると、機首部から格納庫を出始めた。既に降りていたキャノピーには、膨大な量の雨が降り注ぎ、視界が悪くなる。
エプロンを抜け、すぐ近くにある、滑走路と垂直に設置されている取付誘導路に入った。近藤はその間に再度離陸許可をもらう。すぐ右手には、滑走路に向かう途中らしい旅客機が、蒼波たちが通るのを待っていた。
『J-SKY 228, canceled take-off clearance due to scramble wings. Runway 36R Line up and wait.(J-SKY228便、スクランブル機のため離陸許可を取り消します。滑走路36Rに侵入し待機せよ)』
『J-SKY228 roger, runway 36R line up and wait.(J-SKY228便、了解。滑走路36Rに入り待機する)』
『NIPPON-INTER 1157, canceled closs runway clearance. Hold short of runway.(ニッポンインター1157便、滑走路横断許可を取り消します。滑走路前で停止せよ) 』
『NAHA ground, FAR-EAST 18, J-SKY is B777 in front?(那覇グランド、こちらファーイースト18便、J-SKY機は前方のB777型機でよいか?)』
『FAR-EAST 18, that's right. You are number 2 take-off. Hold short of B777 in front.(ファーイースト18便、その通りです。あなたは2番目の離陸機です。前方のB777型機の前で停止してください)』
『FAR-EAST 18, roger. Hold short――』
それぞれの無線周波数において、近藤と蒼波を真っ先に空に上げるために他の旅客機に待機指示が送られる。こうした無線も、民間共用らしい光景である。
『BUZZARD 2-1, order vector 3-4-0, climb ALT 27, contact channel 5.(バザード2-1、オーダー、方位3-4-0、高度2万7000フィートに上昇し、チャンネル5にコンタクトせよ)』
「Roger. Vector 3-4-0, climb ALT 27, contact channel 5. BUZZARD 2-1.」
機体は滑走路に進入した。左手には、滑走路エンドに入って停止中の、先ほど離陸許可を取り消されたB777型機が待っている。早く飛んでやらねばと心は急ぐが、準備は怠らない。
許可は下りているため、あとは簡単な最終確認。電子機器類や安全装置、機体動作も完璧であることを確認して、先に近藤が離陸滑走を開始した。
豪雨の中、それに負けない轟音を轟かせ、反響音をも響かせながら、近藤機は滑走路上に水しぶきを上げつつ豪快に飛んで行った。コールサインらしく、本当に豪快に、力強く飛び立つ。
「BUZZARD 2-2, take-off.」
蒼波も、エンジンスロットルを奥まで押し込んで滑走を開始。アフターバーナーを焚いて、一気に加速すると、操縦桿を少しだけ引いて、機首を上げた。両サイドには、自分が飛び上がるのを待っている旅客機が数機ほど。どことなく注目されている気分を感じるのも、この那覇基地ならではだった。
機体はすぐに厚い雲の中にあった。近藤機が見えないが、先行しているのは間違いないため、このままの針路と速度で飛び続ける。下手に動いて衝突するのは御免なのだ。
近藤と蒼波は、共に離陸完了の知らせを送ると、再度チャンネル5に切り替えるよう指示を受ける。今日はDCがお休みなため、既に空に上がっているAWACSの指揮下に入るよう、朝のブリーフィングでも言われていた。
『チャンネル5に切り替えろ。コールサインは“アマテラス”だ。女神さんの指示に従え』
「了解。チャンネル5に切り替え」
ここでも女神いうんかい……。そんなツッコミをしながら、蒼波は無線周波数を切り替える。
「(アマテラスかぁ……雄ちゃん乗ってるやつかな……)」
今日も朝LINEしたのだが、一回返信来て以降、すぐに接続が切れてしまった。たぶん空の上に上がったからなのだろうが、もしかしたら……。
そんなことを考えている中、近藤は無線を開く。
『AMATERASU, this is BUZZARD 2-1, now clime ALT 27.(アマテラス、こちらバザード2-1、現在高度2万7000フィートに上昇中)』
返答はすぐに来た。
『BUZZARD 2-1, this is AWACS AMATERASU, radio check, how do you read?』
その声を聴いた瞬間、
「……ぇえッ!?」
蒼波は驚いた。厚い雲を抜け、一転して眩しい青空が視界いっぱいに広がるとともに、その光は、目を見開かせた蒼波の表情を明るく照らした。
無線越しでもわかる。この声は、あの聞きなれた、あの人の声だ。
『……ほほう、今日は随分と運がいいな?』
近藤が少し笑いながらそう蒼波に言った。顔はヘルメット越しでもわかるぐらいにニヤけている。近藤も知っている、あの人の声である。
「……ゆ、雄ちゃんッ?」
今空の上にいるどころか、自分の要撃誘導をも担当していたのである……