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欠けた月  作者: 萩彌
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呪縛

 夢を見る。それは、血に濡れた誰かがルシアナに「忘れろ」と何度も囁く夢。その声は低くもあり高くもあり、ずっとその空間に響いていて気持ちが悪くなるものだ。ルシアナは頭を抱えてうずくまる。そうしたら、きっと誰かが助けてくれる。―――あの時みたいに。

 

 ハッとして目を開けると真っ先にセシルの顔が見えた。目が合うと彼は微笑み、ルシアナもそれを真似して口角を上げてみた。うまく笑えている自信はない。彼はルシアナの頭を撫でた。そっと労るように撫でてくれるその手が好きだった。兄への恋慕を忘れ、この人を好きになれると思った。

 

「セシルに撫でられていると落ち着く」

「そう言ってもらえて光栄ですよ」

 

 よく耳に馴染む声を聞きながら、ルシアナはまた目を閉じた。誕生日以来、酷い悪夢を見る。そのせいかセシルは昼間にはこうやって少女の頭を自分の膝に乗せて、眠りにつくまで頭を撫でてくれるのだ。セシルも仕事があるだろうに、自分に付き合わされている。それに罪悪感が生まれた。瞼を持ち上げてその顔を見つめると、それに気づいた彼と目があった。

 

「セシル……」

「君はいま病人みたいなもので、眠らないとダメなんだよ。そして、誰かが一緒にいてあげることも大事。だから、俺のことは気にしないで」

 

 泣きそうな顔をしなくていいから、とまで言われてしまった。自分は泣きそうな顔をしていたのかとルシアナは他人事のように思った。自分の頬に触れて、はぁと息を吐きだした。

 

「情けないわ。ヴォルグの血を継いでるのに」

「君は病人だって言ってるでしょ。何も考えず寝なさい」

 

 トン、と額を人差し指で押された。むっとして眉間に皺を寄せると、セシルは笑って本を読みはじめた。実は読書が好きな彼のその顔が、すごく真剣で真面目で……好きだと思った。ルシアナは目を閉じた。

 

 

 眠ることが恐ろしいと思ったのは、とても久しぶりだった。これほどまで恐ろしいと感じたのは、例の事件のあと以来かもしれない。あの事件はルシアナの精神を粉々にまで壊した。

 窓がない部屋に居ても誰かに監視されているようで、怖くてたまらなかった。視線を感じて吐き気を感じたこともある。夜には乳母が眠るまで側にいてくれた。でも、家族は側にいてくれなかった。それで父や母を恨んだこともある。泣いて、乳母を困らせたこともあった。

 

「どうして!? どうしておかあさまは一緒にいてくださらないの?!」

「ルシアナ様……」

「おとうさまもよ! きっとルシアナのことがキライなんだわ……っ」

「まあまあ……。ルシアナ様、落ち着いてお眠りください」

「ばあやぁ……」

 

 そうして乳母に泣きついて眠る。そんな日々を過ごしていたら、ついに兄が部屋を訪れてくれたのだ。扉の向こうから現れた金の髪のサファイアのような目の人。乳母が話してくれたような、物語に出てくる王子様然とした兄。

 

「っ……ルシアナ」

「おにいさま!!」

 

 ベッドから飛び出してその人に飛びついた。わっと言って受け止められずに倒れた兄にルシアナはぐりぐりと頭を擦り付けた。

 

「やっと来てくれたのね!」

「……ルシ、アナ」

 

 ぎゅっと抱きしめられて、ルシアナも嬉しくなって抱きしめ返した。兄の手が少女の小さな背を撫でた。


「良かった。……ほんとうに……っ」

「おにいさま! わたしずっと、ずっとここでまってたの。わたしだけの王子さま」

「え?」

「おにいさまはルシアナの王子さまね!! ずっと側にいて……ずっと」

「ルシアナ……もしかして……」

 

 そこまで言って兄は口を閉ざした。何かを考えているようだった。ルシアナは首を傾げ、それから兄にまた抱きついた。

 

「……忘れちゃったの?」

 

 兄のか細い声を聞いた。その瞬間、ルシアナの意識は消えた。以後の記憶はまた写真のように動きはなく、断片的である。どんなに思い出そうと努力しても、記憶を取り戻すことはなかった。

 

 ***

 

「セシル……」

「どうしたの?」

 

 ぽつりと蚊の鳴くような声だったのに、セシルはちゃんと聞いていてくれたらしい。それが少し嬉しくてルシアナはセシルの手をとって、その手を自分の頬に当てさせた。

 

「ねえ、セシル」

「……ん?」

「わたしは何を忘れてるんだと思う?」

「―――突然だね。どうしたの? 何か思い出したくなったとか?」

「そうね……。思い出したいことはある……でも、きっと思い出したらいけないの」

「どうしてそう思うの?」

「……誰かが、そう言ったから」

 

 ―――忘れなさい、と。その人の言うことは絶対。その人に逆らったら、殺される。今もこの体であの時の恐怖を覚えてる。

 

「誰かって、誰?」

「さぁ。わたしもよく覚えてないのよ」

 

 そう言ってからぐっと体を伸ばして、セシルの膝からどけた。セシルはきょとんとしてルシアナを凝視した。その様子をくすりと笑って、ルシアナは背を向けて明るい声で言う。

 

「さっき言ったことは忘れていいわ」

「え?」

「前にも言ったでしょ。時々不安になるの。こんなわたしも奥さんにしてくれないと困るわ」

 

 振り返り笑顔で言って、返事も聞かずに部屋を出た。

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