誕生日に告白を
日が暮れ街灯に照らされた道を次々と馬車が駆けて行く。目指す場所ではとある人の誕生日パーティーが開かれていた――――。
姿見でドレスの確認をしているとコンコン、と控え室の扉がノックされた。ルシアナはひと声かけて振り返る。入ってきたのはセシルで、しっかりとした正装姿はダドルの誕生日パーティー以来であった。そのお洒落ぶりに思わず吹き出してしまった。
「ルシアナはよく俺を見て笑うよね……」
「ち、ちが……ふふっ」
笑って涙目になり見上げると、彼がひどく困ったような顔をしていた。ルシアナは慌てて表情を引き締め、セシルの腕に手を添えた。
「行きましょう」
「そうだね。あと、こんな時間になっちゃったけど、誕生日おめでとう」
セシルが笑ってそう告げ、ノブに手をかけると光が溢れる空間へと続く扉を開けた。ベアドリー本邸で行われているルシアナの誕生日パーティーは、主賓がいないままだが招待客が次々と増えていく。セシルの腕を借りてゆっくりと大階段を下り行く。その時になって、初めて開けたピアス穴が少し傷んだ。
「大丈夫? 緊張してる?」
「まさか……。緊張はしてないわ。心底嫌なだけよ」
そうコソコソと話して、二人は同時に賓客たちにお辞儀をした。ほぅと感嘆の吐息を漏らす賓客たち。それもその筈、人形のように美しい少女の隣に、これまた美しい青年が寄り添っているのだから―――。
ルシアナは息苦しさを覚えつつも笑みを貼り付けた。セシルとルシアナの前には誕生日の祝いの言葉を述べに次々と人が訪れる。その度にきつい香水の匂いがした。
「ルシアナ、平気?」
「え、えぇ……」
しばらくして人の足が止んだあと、セシルは気遣うようにルシアナに声をかけ、背中に腕を回した。ルシアナは少しだけ体を預けて、ほっと息を吐きだした。
―――どうしても慣れない。人前に出るのも本当に好きではない。だけど、こうして出なければいけないのが苦痛だった。あのセシルの屋敷に戻りたいとさえ思ってしまう。だからだろうか、
「―――ルシアナ」
その考えを戒めるかのように、その人は彼女の名を呼んだ。ルシアナは一瞬耳を疑い、ハッとして顔を上げた。
金髪の髪、蒼い瞳。いつも優しく名を呼び癒やしてくれた人が、なんとも言えない表情でそこに居た。
「お兄様……」
「ダドル! 良かった。ルシアナが苦しそうなんだ、飲み物を取ってくるからここにいてくれないか?」
「あ、あぁ、良いよ。――ルシアナ、大丈夫?」
セシルとダドルがすれ違う。ルシアナはセシルの背を離れがたく見つめたが、ダドルの顔を見れずすぐに俯いた。彼が側にきてより息苦しさが増した。ダドルはすぐに周囲を見回し、ルシアナの手を引いてバルコニーの方に向かった。
空気は澄んでいて都心だというのに綺麗に星まで見えた。ダドルが手を離すと、ルシアナは胸に手を当てゆっくりと深呼吸を繰り返した。
「パーティー嫌いは治ってない? 友人から最近ルシアナが、よくパーティーに顔を出してるって聞いてたから治ったと思ってた」
ダドルはそういってスッとルシアナの頬に触れた。程よく冷えていて、気まずいはずなのに会場の熱を溶かしてくれるみたいで心地良い。
「―――……ルシアナ?」
「……え?」
あまりの心地良さに浸りダドルの話を聞いていなかった。久しぶりに会えたのもあってか、その声さえも心地良く感じる。ボーとするルシアナをダドルは、くすりと笑ってその頭を撫でた。
「僕の話を聞いてなかった?」
「お兄様、ごめんなさい……」
「良いよ。質問はあとでゆっくりするよ」
そう言ってダドルは、ルシアナの腰に手を回すとグイッと自分の方に近づけ、それから不敵に微笑んだ。
「誰も見てないから」
耳元で囁き、耳朶に口つけた。甘い吐息に頬がカッと熱くなる。それからダドルは笑ってキスをした。とても深いキス。ルシアナは抵抗せずにそれを受け止め、ダドルの首に腕を回した。足に力が上手く入らなくて、彼に縋るしかなかった。ダドルはその行動にさらに満足して、ルシアナの髪に指を絡めた。
「可愛いルシアナ」
「んぅ……っ……」
「……っ……はぁ……。どうしたの、瞳をそんなに潤ませて」
唇を離し、ダドルは額をくっつけてクスリと笑った。ルシアナは潤んだ瞳でダドルの喉元を見つめ、自分の思うとおりに動かない体に耐えがたい恥ずかしさを感じていた。
「ダドル、お兄様……。もう、やめて……。|私<<わたくし>>はもう、あなたと恋人ごっこは出来ないんです」
「なぜ? セシルのフィアンセだから?」
「そうです」
その返事を聞いてダドルは鼻で笑った。ルシアナはその意図が理解出来ずに首を傾げた。なにもおかしな事を言っているわけではないのに、なぜ笑われたのだろうか。
「―――ルシアナ、君は望んでセシルのものになったのか?」
「……っ。それは、違います」
「はぁ、じゃあ君はいったい誰が好きなんだ? 誰に抱かれたいと思った? 誰のキスでそうやって瞳を潤ませた?」
「っ」
詰め寄るような質問の数々にルシアナの体は震え始めた。ダドルの声のトーンは一定で落ち着いていたが、どこか恐ろしさを感じさせるものがあった。
「君はまだセシルのものじゃない。まだ僕のものだ。だから大丈夫。僕は平気だよ。君が不安がる必要は無い」
そう言ってダドルは彼女の方へ腕を伸ばした。ルシアナが掴まれたのは首だった。ダドルは思う。この細い首は力を入れたら簡単に折れてしまうだろう、と。ルシアナは喉に伸ばされた腕に触れ、それからダドルの頬に手を当てた。
「お兄様……。私はお兄様に関することでは何も、不安なことなんて無いのです。私はただお兄様の、幸せを祈っているのです」
「ルシアナ」
「だけど、あなたの〝その願い〟は……っ。〝お兄様の恋人〟でいることは、私にはできません」
ルシアナはゆっくりとダドルから離れた。ダドルの顔は見なかった。しばしの沈黙を破るかのようにガシャンとバルコニーに続くガラス扉が開き、セシルが駆けてルシアナに水の入ったグラスを渡した。
「ルシアナ、大丈夫か? ゆっくり呼吸して。これ飲んで」
「えぇ」
渡されたグラスの水を飲みながら、息を深く吐いた。セシルはその背を撫でながら彼女から目を離し、拳を握ったまま俯き微動だにしないダドルへと視線を向けた。
「ダドル?」
「……」
何も言わない彼を不審に思い、セシルはゆっくりと足を踏み出した――その時だった。ルシアナは弾かれたようにその腕を掴んで引き止めた。セシルは振り返ってルシアナを数秒見つめ、それからダドルを見た。明らかに二人の間で何かがあったようである。
「あー……兄妹喧嘩でもした? 折角のルシアナの誕生日に? 何してるんだよ、ダドル。君はお兄さんだろ?」
「セシル、違うの……」
「ほら。ルシアナが縮こまってる。一体どんな内容で喧嘩したの? お兄さんに言ってご覧よ」
「―――セシル、お前には関係無いよ。せいぜい楽しんでくれよ、ルシアナ」
吐き捨てるように言って、ダドルはバルコニーを出て行った。ぽかんとするセシルと、眉に皺を寄せ悲しそうな顔をするルシアナがそこに残った。
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猛烈な怒りにダドルはパーティーホールを抜けて、廊下の壁に背中を預けへたり込んだ。カツンカツンとヒールの音を立て、エリカはダドルの近くで足を止めた。
「あなた、私の婚約者っていうこと忘れてるでしょ。さっさと立って。おじ様方にご挨拶しに行かないと」
「煩い……」
「なにか言ったかしら? あら、もしかして愛しい彼女に会いに行ってきたのかしら? で、面会謝絶でもされたの?」
「……」
「あら、図星?」
エリカは上機嫌で口を止めずに言い続け、その姿をダドルは睨んだ。そして、ため息をつきながら言い返した。
「違う。会えたんだ」
「会えたのに不機嫌なのね」
「……」
ダドルは深く息を吐いて腕の中に顔をうずめた。エリカは弱っているダドルをもの珍しげに見下ろしていた。それからふと疑問に思って尋ねた。
「何があったの?」
「――ルシアナを、盗まれた」
「は?」
「僕しか居なかった空間に、あいつが棲みついたんだ。それでルシアナは僕以外を見始めた。あいつが、ルシアナの世界を壊したんだ」
どこか仄暗い場所を見据えて話しているかのようなダドルに、不安感をおぼえながらエリカはキョロキョロと周囲を確認してから訊いた。
「……あなた、頭大丈夫?」
「君には分からないさ。ルシアナという人が、どれだけの人間を魅了して堕ちていかせるか」
「……ダドル、あなたね。ルシアナ、ルシアナってどうしてそんなに彼女が大切なの? 好きなのは知ってるけど、どうしてそうも執着するの。あなたをそうさせたのは何?」
エリカは一歩下がってそう尋ねた。この目の前の猛獣とは出来る限り距離をとっておきたいという思いからだった。ダドルはふっと笑って立ち上がり、腕を組んでエリカを見据えた。
「あぁ、そうだなぁ。僕をこうさせたのは、クリフトンだ。あいつが僕をこうさせたんだよ」
「……は? あなたの、お父様じゃない」
「クリフトンはヴォルグの血塗れた獣。元々ヴォルグは血がこびり付いて真っ黒なんだけど、ルシアナは違う。穢れがない、透明な存在なんだ」
「……」
「ルシアナは、僕の穢れを清めてくれる人だ。その瞳、その唇で。キスをして、その熱い吐息で全てを透明にしてくれる」
「ダドル……?!」
「―――話し過ぎた。帰ろうか」
エリカにそう名前を呼ばれると実に嫌そうな顔をしてから、ダドルはそう言って頭を抱えた彼女にさっそうと背を向けて行く。彼女は先ほどの話を頭の中で整理するので手一杯だった。それからしばらくして慌ててダドルを追った。