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欠けた月  作者: 萩彌
2/16

僕には君だけ

―――あの日、キスをした。

 キスをしたことへの罪悪感も、兄妹だということへの背徳感も全く感じることはなかった。ただ、セシルがルシアナにしたことをルシアナは、忘れてしまいたかった。

 パーティーはあの後何事もなかったかのように終了した。あれから時々、戯れるようにキスを交わすようになった。子供同士の軽いものではない、恋人同士の深いキスを――。

 

「雨が酷いですね、お嬢様」

「……そうね」

 

 メイドのケリーがそう話しかけてきたものだから、気にも留めていなかったのだけれど、窓の外を向いて頷いた。珍しく雪ではなく雨が降っていたらしい。パーティーから半月が経ったこの時期に雨が降ることは稀で、首都に近いこの場所で降るのならもっと稀である。

 

「何か嫌なことでも起きなければいいのですけどね……」

「ケリーは心配性ね。ただ今日が普段より暖かいだけよ」

 

 ケリーはそうですよね、と答えてテーブルを拭き始めた。ルシアナは何も考えないように窓の外をただ見つめた。

 そうして、見覚えのある姿が従者を連れて外を駆けていることに気づき、慌てて部屋を飛び出した。キラキラと明かりを反射する骨董品の壺が並ぶ廊下を走り、ロビーでコートについた雫を払っているその人に抱きついた。

 

「お兄様!」

「っと……。ルシアナ、濡れるよ」

 

 抱きとめられほっとして顔を上げると、愛しい兄の姿が視界いっぱいに広がって、また嬉しくて彼の胸に耳を当てた。

 

「まあ、ルシアナ様は本当にダドル様が好きなのね」

 

 そう突然声が聞こえて、ゆっくりと兄の後ろに立っていた人へと視線を向けた。長い黒髪の人。清楚な見た目としっとりと膨らんだ唇が印象的な女性。

 

「ルシアナ、ご挨拶は?」

「……御機嫌よう、エリカ様」

「ええ、御機嫌よう。ルシアナ様」

 

 にこやかに微笑まれ、ルシアナは兄の腕の中に隠れるように体を密着させた。東洋人とのハーフらしく、この国の人ではない感じが嫌悪感を増長させる。

 

「ごめん。ルシアナは少し人見知りなんだ。いずれ仲良くなれるよ」

「そうなれたら光栄ですわね」

 

 ルシアナをちらりと見ていった。そして微笑み、屋敷のなかを見回した。

 

「私はどうしましょう。客間で雨が上がるのをお待ちしたらいいかしら?」

「そうしようか。エリカを客間へ」

 

 ダドルは、そう使用人に指示を出した。エリカが大人しく執事の後を付いていく。その背を見送ると、まだくっついている妹を一度ぎゅっと抱きしめてから、近くの空いている部屋に連れ込んだ。あまりの愛おしさに笑みを隠せずに尋ねた。


「どうしたの?」

「私、あの人が嫌いなんです」

「嫌い?」

 

 ふっ、と笑うダドルを睨むようにルシアナは見つめた。それから彼の頬に手を当てて、少し見つめ合ってから肩に頭をもたげた。

 

「私のお兄様なのに、あの人はお兄様の婚約者よ。お兄様は最近エリカ様とばかり一緒にいらっしゃるし……」

「妬いてる?」

「……ええ。そうですよ」

 

 ルシアナが顔を上げると、ふわりと何かの花の匂いがした。優しい花の匂い。そして、意外と近かった顔の距離にドキリとして、離れようとすると腰を掴まれた。

 

「今日は可愛いね。どうしたの?」

「いきなり何を言ってらっしゃるの……」

 

 くすり、と笑って戯れに頬にキスをされてしまった。反射的に兄の口に手を当てるとキョトンとした顔で見られた。ルシアナにとってはこれが精一杯の抵抗だった。恥ずかしさと嬉しさできっと今、顔は真っ赤だろう。

 

「この手を離して、ね」

 

 手首を掴まれ彼の口元から手を外されて、そう優しく妖艶に言われてしまうと逆らえない。もう抵抗さえもできない体勢と距離に、心は羞恥の嵐だ。耳元まで近づいてきた顔に、ぎゅっと目を瞑る。

 

「可愛いルシアナ……。僕は君がいてくれたらそれで良い」

「お、にいさま」

 

 チュッと音を立てて口付けられ、ルシアナは大人しく体に腕を回した。コートが雨に濡れて少し冷たく、その雫がドレスにも染み込んで火照り始めた肌を冷やす。

 

「おにいさまっ……だめ……っ」

 

 首筋にもキスを落とされ、その甘さに酔いしれながらも、段々と焦りが募り始めてきた。これ以上ここにいたら、きっとエリカは心配する。そして探しに来てこの光景を目にしてしまったら……。予想出来る未来にゾッとして慌てて身体を引き離した。

 

「エリカ様が、いらっしゃるでしょう? あまりここに長居しては……」

「あぁ、エリカね……。アイツさえいなければ、はぁ……」 

「冗談に聞こえない冗談はやめてください」

「冗談じゃない。ルシアナは僕を何だと思っているんだ……。僕が男だと言うことを忘れているだろ? こんな生殺しみたいに」

「生殺……っ。お兄様!」

 

 ルシアナがぽんとダドルの胸を叩くと、彼は楽しげに笑った。それに安堵して、ダドルの背を押して扉まで連れて行く。されるがままのダドルが少し可愛く見えて、それにまた愛しさがこみ上げてきた。ルシアナは緩みそうになる頬に力を入れて、ダドルを廊下に出すと小声で伝えた。

 

「私、もう少ししたら部屋から出ます。お兄様は先に行ってください」

「何もそこまでしなくても」

「仲の良すぎる兄妹は珍しいんですよ。お兄様は婚約者も居るんですし、私のことはいいから早く」

「……はいはい」

 

 ダドルの背が見えなくなったところで、ずるずるとへたり込んだ。ふう、と溜息に似た息を吐きだして頬に触れると少し熱い。時々ダドルは、ああやって求めてきて、その度になにかに邪魔をされ中断していた。また息を吐きだして、ルシアナは体の熱が冷めるのを静かに待った。

 

 ###

 

「随分遅かったのね」

 

 ダドルが扉を閉じたところで、エリカはその背に声をかけた。目も合わせずにダドルは、その隣に腰かけて使用人から出された紅茶に口をつけた。

 

「私達二人にしてくださる?」

「畏まりました」

 

 エリカがそう声をかけると、いそいそと使用人は道具を片付けて部屋を出て行った。エリカは隣の王子然とした見た目の男を一瞥し、倣うように紅茶を飲んだ。紅茶をカップソーサーに置いてダドルはふっと鼻で笑ってから言った。

 

「その仮面をとったらどう?」

「仮面? なんのこと?」

「その〝優しい人間〟っていう仮面だよ」


 チラッとエリカがダドルを横目で見ると、彼は口の端を上げていた。それに少し苛つきを覚えつつ、息を吐いて自分を落ち着かせてから言葉を返した。

 

「あなたこそ、その見た目にそぐわない性格をどうにかしたら?妹の事が好き過ぎてどうにかなりそうなのを必死に隠しちゃって」

「よくご存知で」

 

 ダドルがカップを手に取った。カチャ、と陶器の擦れる音が耳につく。眉を顰めてエリカはソファーに深く体を預けて足を組み、ダドルの腕を掴んだ。

 

「あの子は知ってるの?あなたが、実の兄では無いこと」

「知らないよ、きっとね」

 

 平然と彼はそう答えた。その余裕のある感じが癪に触る。ダドルの腕から手を離して、両腕を組んで尋ねた。

 

「それじゃあ、可哀想ね。一方的にあなたが愛してるんでしょう? あの子は何も知らず受け入れて……」

「彼女も僕を愛してる」

「なぁにそれ、とんだ歪んだ兄妹じゃない」

 

 侮蔑を込めて笑ってみたけれど、ダドルは意に介さず、とても落ち着いた様子で隣に座っていた。それにもまた怒りが込み上げて、彼の方を向いて食ってかかるように続けた。

 

「じゃあ、あなた達のご両親にこの事をお伝えしてさし上げましょうか?あなた達兄妹は、男と女として愛し合っていると―――んんっ?!」

 

 そこまで言うと視界が一転し、ソファーが激しく軋んだ。エリカは息苦しさに口を動かせず、血の気が引いた顔でダドルを見上げた。彼の白い腕が、自分の喉を捉えていた。そして表情も何も無い、氷のように冷えた瞳がただエリカを見下ろしていた。だんだん掴まれた喉が絞まっていく。息ができない辛さに顔を歪めると、ダドルは、少しだけ口角を上げた。

 

「―――そうされると困るんだ。僕の計画が狂うからね」

 

 それだけ言い、彼はゆっくりと体を起こしてエリカから離れると、腕を捲り始めた。エリカは激しく咳き込みながらその動作を見、ダドルを睨みつけた。

 

「最低な男ね……。女性の首を締めるなんて」

「相手を脅す為の手段を選んでたら、僕の首が締まるからね」

 

 しっかりとした男の腕が捲られた袖の内から見えて、エリカはビクリとした。あの腕、あの手に締められたのだと思うと、その腕捲りが自分を容易く殺せるのだという意思表示にみえて背筋が震えた。

 

「僕は君のそのじゃじゃ馬な性格を気に入ってはいるんだ。だけど、大人しくしててもらいたい時は、大人しくしててもらわないと」

「……あなたは、狂ってるわ」

「正解。ああ、それと――」

 

 ハハッとダドルは無邪気な子供のように笑った。その姿にどこか違和感すらおぼえる。エリカは姿勢を正して座り、掴まれていた首に触れた。少しだけ息苦しさが残っている。

 ダドルは、エリカのそんな姿さえも見ず話を続けた。

 

「一応君には言っておくよ。僕はルシアナしか愛さないし、ルシアナだけがこの世界の全てなんだ」

「それは、私を愛することは無いっていう警告?」

「どう思ってもらっても構わない」

「はっ。―――とても恐ろしいお兄様ね。最近私と居た理由も、あの子の嫉妬心を煽るためかしら?王子様のような外見なのに中身はとんだ悪魔ね」

 

 エリカは顔を逸らして窓へと視線を向けた。膝が震えていたけれど、必死に耐えてそう言った。しかし、ダドルは何も言わなかった。

 ダドルが外に控えていた使用人に声をかけてくれたおかげで、エリカはやっとヴォルグ邸を後にできた。馬車の窓から見たヴォルグ邸は、どこか黒い闇を抱えているように見えて、身震いしてしまった。

 

「まるで悪魔の棲む家ね……」

 

 ぽつりと呟いて、また雨が降り出した帰路を進んだ。

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