優秀な陰陽師
目を開けた。
八畳ほどの部屋。
天井も壁も白く、ベッドの足元には掃き出し窓があり、ベランダへと続いている。
私はそのベッドに寝転がり、涙を流していた。
私の部屋だ。
私立 小夜学園に通う事に決まり、親元から離れ、一人暮らしを始めたのだ。
女の子の一人暮らしという事でオートロックで一階には管理人さんもいる。
私は両手の甲で涙をぬぐうと、枕元に置いてあるスマホを触り、日付を確認した。
戻ってる。
スマホはあの入学式の朝を示していた。
よかった。
戻ってこれた。
その事で胸がギュッとつまり、またも涙が出そうになる。
それを必死で抑えながら、ゆっくりと深呼吸をした。
大丈夫。
私はやれる。
一度目と同じ失敗は繰り返さない。
必ずチャコとの未来を築いてみせる。
今度はもっと友孝先輩に近づいてみよう。
きっと友孝先輩はチャコに関係があるはずだ。
これが正しい事かはわからない。
けれど、私は私の望む物のために、すべてを変えてみせる。
制服に着替え、父母と一緒に入学式へ向かった。
一度目の時も緊張したけど、今日の方がもっと緊張しているかもしれない。
ドキドキしながらクラス発表がされている掲示板を見る。
そこには一度目の時と同じように、探していた名前があった。
『友永茶子』
『名波唯』
その名前を見ただけで、胸がまたギュッと苦しくなる。
胸の動悸を抑えながら、後ろのドアから見慣れた教室へ入った。
自分の席へと視線を移すと、その前の席には既に人が座っている。
その子は何か考え事をしているようで、頬杖をついてまっすぐに正面を見つめていた。
その子が頭を少し動かす度に、肩甲骨まで届く長い黒髪がサラッと流れる。
チャコだ。
チャコがいる。
私の所為で消えてしまった体がそこにある。
チャコ、ごめんね。
今度は絶対、絶対にチャコを助けるからね。
チャコがいる嬉しさと自分のバカさ加減への後悔がグルグルと渦巻き、胸がいっぱいになる。
こんな所で泣いていたら変だ。
だけど、じわじわと溢れてくる涙を止める事ができない。
私は教室に一歩入った所で足を止めた。
そして、チャコにばれないよう、こっそりと左腕で涙をぬぐった。
それから入学式で、一度目と同じように挨拶をした。
私の大好きな朗らかな顔で笑ってくれるチャコ。
私たちはすぐに仲良くなった。
だって、私はチャコを取り戻すために戻ってきたのだから。
もちろん、このクラスには鋼介君の姿もあって、また三人でいっぱい話した。
なんてことない時間が本当に嬉しい。
この時間をなくさないためにも、私はやらなければならないんだ。
私は一度目と同じように生徒会に入り、書記をする事にした。
友孝先輩と親しくなるためだ。
チャコとの関係を知るために、一度目よりも多くの時間を友孝先輩と過ごした。
友孝先輩を出会った時、即座にチャコとの関係を問い詰めたい衝動に駆られたが、それは堪えた。
一度目の時の言葉が頭をよぎったからだ。
『君には関係ないよ。』
きっと友孝先輩は今の私には教えてくれない。
むしろ、警戒心を持ち、私との距離を置いてしまう可能性がある。
私は慎重に動いた。
チャコとの事をそれとなく友孝先輩に話しながらも、直接、チャコとの関係を聞く事はしない。
大丈夫。ゆっくり友孝先輩の心を知って行けばいい。
そうすれば、チャコとの事もわかるはずだ。
早くなんとかしたい、と焦る心を抑えながら、友孝先輩と過ごす。
そうした中で、生徒会ではクラスマッチの準備に追われた。
クラスマッチ当日、チャコや鋼介君は一度目の時と同じで、二人で私をからかいながらじゃれる。
結果は一度目とほぼ同じ。
私のリレーが黒歴史になったのも同じだった……。そこは変えたかったな。
そして、今日はクラスマッチの報告書の点検、及び各役員との反省会である。
「やっぱり、人間の男子だけが出る競技がいるんじゃないでしょうか?」
二年生のクラスマッチの役員が口を開いた。
友孝先輩はそうだね、とにっこりと王子様然とした笑顔を浮かべる。
「やはり、妖に交じって戦うのは無理があるかもしれないね。」
「はい。女子はその点、リレーがあるので問題ないとは思いますが……。」
「でも、あれは女子だからかわいく見てられるんじゃね? 足の遅い男のリレーなんぞ見ても誰も面白くない。」
三年生のクラスマッチの役員もその話に入ってきた。
他の役員も、そうだよね、と同意している。
確かにそうかも。
リレーは足の速い男の子が走るから、応援にも熱が入るし、かっこいい! ってドキドキするんだろう。
「あの、では、男子リレーは妖のみ参加可にしたらどうでしょうか?」
ふと思ったことを口に出した。
役職上は書記、という事になっているが、会議を全て書き付けるような事はなく、生徒会の一員としてその時その時で忙しい役員の補佐みたいな役割をしている。
なので、発言をしても特に問題ないので、思いついた事を言ってみたのだ。
「いいな、それ!」
私の発言に三年生のクラスマッチの役員が目を輝かせた。
彼は妖だからか、妖だけが出られるリレーというのにとても興味を持ってくれたようだ。
「走るだけならすぐに終わっっちゃうから、タイヤとかつけさせて走ったらどうかな?」
「ダンベルをバトン代わりにするのどう?」
「借り物競争みたいなのも入れてみるのはどうでしょうか。」
他の聞いていた人も次々と賛成し、色々な意見を言ってくれる。
そして気づけば、妖限定のリレーをいかに苛酷なものにするかが話し合われていた。
かなり辛そうな意見も出たが、妖ならばなんとかなるのかもしれない。
私はその提案を箇条書きにして、黒板へと書いていく。
クラスマッチの反省会でこんなに盛り上がれるものなのか? って思うほど盛り上がった。
こうして、人間の男子の競技を作るのではなく、妖の競技を作り、他の競技の妖率を下げることによってバランスを取ることに。
今までやっていたサッカーは人数の関係上、難しくなってしまったが、じゃあフットサルにしたらいいじゃん、とかなりぞんざいに決まった。
盛り上がるその反省会を友孝先輩はキラキラとした笑顔で見ていた。
特に発言することもなく、下校時間が迫った時に皆を諭し、それとなく意見をまとめただけだ。
この笑顔の下で友孝先輩は何を考えているのだろう?
なんだか不思議だった。
いつもはキラキラした笑顔の中にも、喜んだり困ったりというような感情を浮かべるのに、今回はまったく感じられなかったから。
結局、反省会が終わる頃には六時前になっていた。
他の役員は帰り、今は私と友孝先輩の二人で後片付けをやっている。
窓から入って来る風が湿気を帯びていて生温い。
「なんだか来年は大変かもしれませんね。」
盛り上がった反省会を思い出して、一人笑った。
妖リレー。
なんだか楽しそうだ。
しかし、そんな私の声音とは正反対の冷静な声が響いた。
「そうだね。でも来年は役員が変わるからね、新しい事をするにはパワーが必要だと思うよ。」
その言葉に熱っぽくなっていた私の頭も少し冷える。
そうか。
今日はこれだけ盛り上がって、今年の反省をし、来年の事を決めたけれど、これを決めた役員の人が来年いるとは限らないんだ。
今日、率先して色々と決めてくれた役員は三年生だった。
来年の役員にはいないだろう。
それに二年生や一年生の役員だって、学年が上がればもう役員は終わりだ。
続けてやってくれるとは限らない。
新しい役員はこの盛り上がった反省会を知らないわけで……。
そうすると自分たちが始めないといけない新しい競技はめんどくさいだろう。
新しい事を始める気はなくなり、例年通りでいいや、と決まってしまいそうだ。
慣例通りっていうのは楽だもんね。
「残念です。クラスの友達ならとても喜びそうだったので。」
鋼介君は来年から妖リレーがあると聞けばすごく喜んだだろう。
チャコだって私もやりたいー! と駄々をこねたかもしれない。
私は少し息を吐いてから、教室の窓を閉めはじめた。
友孝先輩は机の書類は片付けていたが、ふとこちらを見る。
「クラスの友達って君がよく話す子かい?」
「はい、鋼介君とチャコです。」
「二人は妖だよね。君はその妖が出たら応援するのかな?」
「はい! すごい応援しますよ。」
だって、鋼介君のリレーとか、かっこいいに違いない。
私が握り拳を作ってその日の事を考えていると、友孝先輩はじっとこちらを伺う。
「君って本当におもしろいね。」
「そうですか?」
「ああ、私には妖リレーの何が面白いかわからないな。」
友孝先輩がハハッと声を上げた。
いつもの王子様のような笑顔じゃない。
一瞬見えた歪んだ笑顔。
この顔は見たことがある。
チャコと戦っていた時に笑っていた、あの顔だ。
「……友孝先輩は妖が嫌いなんですか?」
「嫌い? いいや。なんとも思ってないよ。」
褐色の少し長めの髪が風にサラッと揺れる。
その紺色の瞳に斜めに差した夕日がキラッと光った。
「だってあれは人間じゃないだろう?」
友孝先輩が優しく笑う。
それは一枚絵のようで、思わず息を飲んだ。
私は少しだけ友孝先輩を知ることができた。
友孝先輩はどうやら妖の事を人間とは別の何か、と思っているようだ。
それも犬や猫のようなかわいらしく、命が尊重されるようなものではない。
アリやミジンコのような取るに足らないものと思っているんだと感じられた。
「なあ、名波、チャコ、夏休みなんか予定あるか?」
夏休みも間近に迫った昼休み。
鋼介君が昼ご飯を食べている私とチャコの傍にやってきた。
手には何やらチケットのような物を持っている。
「予定ー? いや、とくになにもなーい。」
唯ちゃんと遊びまくりたいとは思ってるけど、とチャコが答えた。
鋼介君には嬉しい答えだったようで、顔をクシャッと寄せて笑う。
「じゃあさ、みんなでプールいこうぜ。」
「プール?」
「そう。タダ券もらった。」
「えーホント? 見せて見せてー。」
どうやら鋼介君が手に持っていたチケットはプールのタダ券だったらしい。
カラー印刷されたそれをチャコに渡すと、チャコはふんふん、と興味深そうに見た。
「ねね、唯ちゃん! すごいよ! ウォータースライダーが八つもあるんだって!」
「そうだろ、すごいだろ? しかも普通に入場したら二千円もかかるのに、これがあればタダ。しかもウォータースライダーの一日券もついてる。」
「わあー! じゃあ乗り放題ってこと? 行く、行く! 唯ちゃん、行くよねー?」
「名波、行くだろ?」
あっという間にテンションが高くなり、行く気満々になるチャコ。
そして、そんなチャコを見て、とっても機嫌良く笑いながらも、チラッとこちらを見る鋼介君。
……わかる。
わかるよ、鋼介君。
『名波が来れば、チャコも来るから、頼む』って事だね。
私はチャコを釣るための餌ってわけだね。
「ごめん。私は行かない。」
残念だけど、餌は辞退します。
感じが悪くならないよう、少し笑いながら答えると、鋼介君はその言葉にぎょっと目を瞠った。
そして、チャコはえー……と見る間にテンションが下がっていく。
見えないはずの犬耳と尻尾が見えるようだ。
耳は力なく折れ、尻尾はしょんぼりと垂れ下がっている事だろう。
そんなしょんぼりしたチャコを見ていると、『やっぱり行く!』と言いそうになるけれど、ここは我慢我慢。
「あのね、チャコ。私はプールにいい思い出がないんだ。」
「そっか……。」
「うん、なんか水辺って妖が出やすいし、他のお客さんに迷惑かけたくないから。……ごめんね、チャコ。」
目に見えてシュンとしていくチャコに申し訳なくなって謝ってしまう。
そんな私たちを見ながら、鋼介君の顔には『ヤバイ、餌が来ない。どうする?』と書いてあった。
……自分でがんばれ。
「じゃあ、唯ちゃん行かないなら私も行かない。」
そして、鋼介君の予想通り、チャコはやめる、と言い始めた。
ここで『私を気にせず行ってきて。』と言うのが友達として正しいのだと思う。
けれど鋼介君を援護する気にはなれず、困ったように笑うだけに留めた。
人の事を餌扱いした罰だ。
せっかくいい調子だったのに、まさかの展開に鋼介君が焦っているのがわかる。
しかし諦める気はないらしく、必死に打開策も模索しているようだ。
「……チャコ。よく考えてみろ。」
「えー、なにをー?」
「妖がプールに行けるなんて滅多にないぞ。」
「あー、うん。」
「これを逃したら、もうないかもしれない。」
「うん。」
「二千円かかる所がタダ。しかもウォータースライダー乗り放題。……よし。更に俺が昼飯を奢ってやる。どうだ? こんな機会もう訪れないだろうな。」
「……うん。」
チャコが揺れ動いているのがわかる。
「チャコ、お前、あんまりお金持ってないだろ?」
「……うん。」
チャコが困ったように笑った。
「え? そうなの?」
「うん、まあ妖だし?」
私はびっくりしてチャコを見る。
すると、チャコはなんとなく誤魔化そうとしているようで、目をキョロキョロさせた。
そうか。
そう言われればそうだ。
妖が人の世界でお金を稼ぐのは大変だろう。
「じゃあ、今までどうしてたの?」
「あのね、この学校に入る時に理事長が奨学金をくれたんだ。今も毎月もらってる。」
ありがたいよねー、理事長さまさまだよー、とのほほんと笑っている。
「鋼介君は?」
「あー、俺は両親がいる妖だからなんとかなってる。たぶん名波と変わらない。」
「そっか。」
「チャコは多分、親のない妖なんだろ。」
そうだよな? と鋼介君がチャコを見ると、うん、と頷いた。
「なんか、妖って言っても色々なんだね。」
「まあな、両親から生まれるヤツと、チャコみたいな自然の中で突然生まれるヤツと二種類いる。チャコみたいなのは大変だろうな、って思う。」
「いやいやー、返さなくていい奨学金もらって、ここに通わせてもらって、本当に楽しく過ごしてるよー。」
チャコがえへへっと朗らかに笑う。
なんだかそれに胸がギュッと痛くなった。
チャコ、私知らなかったよ。
チャコの事、まだ全然知らない事ばっかりだったんだね。
「あんまり金使いたくないんだろ? この券があれば金を使わず遊びたい放題。」
鋼介君が悪い笑みを浮かべながら、チャコにそっと呟いている。
チャコはそれを聞いて、おお、これが悪魔の声! と悶えていた。
私はそんな二人を困った様な笑顔で見つめる――はずだったんだけど。
「……チャコ、プール行っておいでよ。」
気づいたら口から言葉が出ていた。
鋼介君の援護はしない予定だったのに。
「ウォータースライダー滑りまくって、鋼介君にいっぱい奢ってもらおう。」
「……うん。わかった。鋼ちゃん、プール行こー。」
私がふわりと笑うとチャコがちょっと俯いた後、頷いた。
それを見た鋼介君がチャコに見えない位置で小さくガッツポーズしている。
「じゃあ、また日程とかは後で決めような。」
「うん。あー、唯ちゃん来ないのは残念だけど、ウォータースライダー楽しみだなー。」
チャコがニコニコと笑う。
そして、鋼介君は神々しいまでの笑顔を浮かべていた。
……そうだよね、好きな子の水着。
しかも二人きり。
嬉しいだろうね。
「鋼介君、ちょっと。」
スッと椅子から立ち、天界にいるであろう鋼介君をグイッと引っ張って教室の端に連れていく。
チャコがキョトンとしてこちらを見ていたが、そこにいて、と手で合図を送った。
そして、こそこそと鋼介君に話す。
「ウォータースライダーで二人乗りとかしたら殴るからね。」
「え? あー……わかった。」
目が泳いでいる。
ちょっと考えてたんだな。
「後、ちょっと目を離した隙にチャコがナンパされて、『俺のものに何してんだよ?』みたいなのもなしね。ナンパされる前にちゃんと守って。」
「……わかった。」
「それからチャコは深く気にせず水着だけで行くだろうから、ラッシュガード持って行って着せてあげて。」
「……もう、お前が来いよ。」
鋼介君が疲れた目で私を見る。
行きたい。
私だってチャコとプールに行きたい。
でも、私が行くと妖がたくさん出て、大変な事になるだろう。
ようやく私も自分の力について考えるようになったんだ。
一般の人が楽しんでるプールに行って、事件を起こすなんてできない。
そんな思いで鋼介君を下からジロリと睨むと、ハァーと溜息をついた。
「わかったよ、ちゃんとやる。」
「うん。おねがい。」
チャコと鋼介君が二人でプールに行くと思うとなんだかイライラする。
このイライラがなんなのか自分でもわからない。
けれど、チャコが行きたいなら仕方ない。
チャコにはいっぱいいっぱい楽しんで欲しい。
私は鋼介君を離し、チャコの元へと帰っていく。
チャコは視線だけでどうしたの? と伝えてきたが、なんでもないよ、と笑っておいた。
そうだ。
私にはやらないといけない事がある。
夏休みは生徒会活動をやり尽そう。
少しだけ友孝先輩がわかってきた。
けれど、まだまだわからない事ばっかりだ。
ねえ、チャコ。
友孝先輩はあなたにとって何なんだろう。
あなたは友孝先輩にとって何なんだろう。
それがわかれば、何かが変わる気がするんだ。
活動報告にプールの小話upしました