学校生活と生まれ変わり
球技大会の結果は四位だった。
表彰台には立てなかったが、一年生のなかではトップだ。
球技大会が終わると、夏休みに入った。
私は相変わらず、唯ちゃんと清く正しいクラスメートをしながら、暮らしている。
海に行ったり、図書館の自習室で一緒に勉強してみたり。
時折、鋼ちゃんもやってきて、私たちはどんどん親しくなっていった。
のんびりと過ごした夏休みも終わり、秋が来る。
そうするとやってくるあのイベント! 文化祭が始まるのだ!
またしても登場したお揃いのクラスTシャツを着て、張り切って校内を巡った。
なんと今日は鋼ちゃんと二人っきりである。
なにやら唯ちゃんは生徒会の仕事があるらしくて、どこかへ行ってしまったのだ。
「ねね、鋼ちゃん。なんか二人で文化祭を巡るとか、付き合ってるっぽくない?」
「は?」
「いや、は? じゃないでしょ。ドキッ! でしょ。」
「……ああ、はいはい、そうだな。」
そう言いながら二年の先輩が作っていた、焼きそばを食べる。
合計九クラスしかないこの学校の文化祭はこじんまりとしたものだ。
だけど、妖である私たちにとっては、こういう日常がなんともありがたい。
「おいしーねー。」
「そうだな。」
二人で空き教室の机に座って食べる。
鋼ちゃんが前向きに座って、私が後ろ向き。一つの机の上に二つのやきそば。
「ああー、なんで唯ちゃんいないんだろー。」
「さあ。」
「ね、次はさ、軽音楽部? を見に行きたいんだけど。」
「そんなものに興味あったのか……。」
「いや、なんか、かっこよさそうじゃない?」
私がウキウキと話すと、鋼ちゃんは嫌そうに顔を顰めた。
なるほど。音楽が嫌いなのかもしれない。
そんな事を考えながら、焼きそばを食べていると、すぐ近くから何かが倒れる音が響いた。
かなりの音で、なんだか大変な事が起こったのだとわかる。
「鋼ちゃん!?」
「ああ、隣の部屋か?」
私たちは慌てて教室の外へ出て、隣のドアを開けた。
そこには唯ちゃんを庇い、その右手で材木を受け止めている友孝様がいる。
唯ちゃん!? なんでこんなところに!?
この教室は材木置き場として使われていたようだ。
どこかに立て掛けてあったと思われる、材木が友孝様と唯ちゃんの上に覆いかぶさっている。
鋼ちゃんは小さく舌打ちをすると、急いで二人の元へ駆け寄り、その材木を撤去し始めた。
「おい、チャコも手伝え!」
鋼ちゃんはこちらを見ることなく、必死で材木をどけている。
轟音を聞いた生徒や先生たちも集まってきて、みんなが助けるために走り寄っていった。
だけど、私はそこに行くことができない。
血だ。
友孝様の右手から血が出ている。
こんなに遠くからでもわかる。
材木を受け止めた右手の甲から血が出ているのだ。
欲しい。
欲しいよ。
突然現れたご褒美に胸が焼けた。
必死でそれを抑える。
ダメ。
ダメ。
ダメ!
ずっと我慢してきたんだから。
学校に通い出してから、友孝様とは違う場所で暮らしていた。
時折、学校で見かける事はあってもずっと素知らぬフリを続けていたのだ。
なのに、こんな事で私の努力を終わりそうになる。
たった一滴。
あの人が血を流すだけで、私はすべてを捨てて、あの人の元へと飛びつきたくなるんだ。
いやだ。
いやだ!
私は事件の喧騒に紛れて、脱兎のごとく走り出した。
階段を降り、グラウンドを走る。
そして、クラブ棟の裏へと隠れると、体育座りをしてギュッと目を抑えた。
白目を作れている自信がなかったのだ。
そうして、しばらく一人でいれば落ち着くと思っていたのに、背中から声がかかった。
「チャコ、どうした?」
二人を助けていたはずの鋼ちゃんだ。
私がいない事に気づいて追いかけて来たのだろうか?
鋼ちゃんはしばらく何か考えていたようだったが、ゆっくりと言葉を次げた。
「賀茂先輩が好きなのか?」
鋼ちゃんの声が震えている。
思っても見なかった鋼ちゃんの言葉にびっくりした。
友孝様を好きかだって?
「別にー。」
努めて平静を装ったつもりだけど、未だに白目を作れている自信がなく、顔を上げることができない。
この恰好で言ってしまったので怪しかったかもしれない。
「アイツは陰陽師だぞ、わかってるのか?」
「……うん。」
わかってるよ。
あの人は陰陽師で私はその式神だ。
この身に染みてわかってる。
「どうするんだ?」
鋼ちゃんが不機嫌な声で聞いてくる。
なんでこんなに苛立ってるんだろ。
「……わかんない。」
そんなにイライラされたってわかんないよ。
誰かが教えてくれるんなら、教えてほしい。
私だって自分をどうしていいかわかんないんだ。
私の曖昧な答えに鋼ちゃんはムッツリと黙り込む。
しばらく、そのままでいたようだが、何かを決意した声で言った。
「俺と勝負しろ。」
「は? 」
思わず口が悪くなってしまった。
いきなり何言ってるのさ、鋼ちゃん。
でも――
「いいよ。勝負しよう。」
そうだ。どうせ白目は作れていないし、飢えもなかなか収まりそうもない。
だったら、鋼ちゃんと戦って、すっきりするのもいいかもしれない。
ここは第二グラウンドのクラブ棟。
文化祭の行事も行われていないし、主会場から離れているため、人もほとんどいないだろう。
「行くよ。鋼ちゃん!」
言うや否や、手から鉤爪を伸ばし、鋼ちゃんへと切りかかる。
鋼ちゃんは後ろへ飛び退き、グラウンドの広い場所まで出ると、首をコキリと回した。
「女だからって手加減しない。」
そういうと鋼ちゃんはグッと目に力を入れて、妖の姿に変化する。
四メートルぐらいの巨体に九つの尾。
そのオレンジの体毛はキラキラと太陽に輝き、琥珀色の目がギロリとこちらを睨んだ。
「さすが、鋼ちゃん。強そう! 私もなる!」
私も体を構築する。
友孝様に式神にされたあの夜の姿。
巨大な狼の姿だ。
そこからはお互いに譲らず、牽制しあった。
鋼ちゃんが右脚で払ってくれば、右に避け、左脚で反撃する。
お互いに、何度か身をかする攻撃はあったが、どれも決定打にはならなかった。
楽しい。
私はこの戦いにウキウキと心が躍っていた。
そんな私に焦れた鋼ちゃんが、その目のあたりまで裂けている口を開き、私に噛みつこうとする。
私はそんな鋼ちゃんを避けることはせず、その口に私の右脚を突っ込んだ。
鋼ちゃんは躊躇なくその右脚を牙で砕く。
だけど、甘い。
私はすぐにその右脚を構築しなおして、鋼ちゃんの牙をその肉に取り込んだ。
そして、一気に引き抜く。
ビチッという嫌な音が響いたかと思うと、鋼ちゃんの口が赤黒く染まって行った。
私の右脚に鋼ちゃんの右上の牙。
その牙が刺さったまま、痛みにうめいていた鋼ちゃんのその九つの尾のうちの一つを咥え、思いっきり放り投げた。
盛大に土煙をあげながら、鋼ちゃんの体が横たわる。
そして、鋼ちゃんが体勢を立て直さないうちにその体にのしかかり、首筋に噛みついた。
「私の勝ちだねー。」
ギュッと噛むと、口の中に鋼ちゃんの味が広がる。
おいしい。
そのまま噛み千切りたい衝動を抑えながら、ゆっくりと口を離す。
ついでに右手に刺さった牙を抜くために、右脚を構築しなおした。
そして悪役の姿へと戻る。
「鋼ちゃん、ちょっとそのままでいてね、傷を治すから。」
未だ口と首から血を流す鋼ちゃんの元へ行き、傷口へそっと息を吹きかける。
すると、傷は塞がり、抜けた牙も新たに生えた。
鋼ちゃんはそれを確認すると、ゆっくりと人間の姿に戻った。
「……すごいな。」
「まあね。私って強いからねー。」
ふふんと笑う。
「そういえば鋼ちゃん、なんで勝負することになったの?」
私は楽しかったし、鋼ちゃんをちょっと味わえてうれしかったけど、鋼ちゃんはフラストレーションが溜まっただけだろう。
「……どちらが強いか、知りたかったんだよ。」
「ふーん?」
なんだかよくわからないけれど、鋼ちゃんも考える物があったのだろう。
「あ、そうだ、鋼ちゃん、これに息を吹きかけてよ。」
「これは?」
「鋼ちゃんの牙。」
私は掌に乗っている白い塊を鋼ちゃんに見せた。
それは先ほど、私が折り取ったもので、私が人間になるのと同時にこの掌サイズになったのだ。
「こんなん、どうするんだよ。」
「戦利品? 鋼ちゃんに勝った証拠に残しとこうかなと思って。」
「……悪趣味だな。」
鋼ちゃんはすごく嫌な顔をしたが、フッと息を吹きかけてくれた。
これで、鋼ちゃんの妖気がこの牙に入ったことだろう。
「とんだ文化祭だったねー。」
「……まったくだ。」
鋼ちゃんは疲れたように深いため息をついた。
文化祭が終わってから、鋼ちゃんは私によそよそしくなった。
代わりに唯ちゃんと急接近しており、私は二人の仲を裂くこともできず、ぼんやりとする日が多くなった。
いや、私は鋼ちゃんに好きになってもらおうと努力したと思う。
でも、文化祭のあの日に終わってしまったんだ。
まあ、それもそうだろう。
私が鋼ちゃんより強いと証明してしまったのだから。
やっぱり妖だって自分より強い女はいやだ、とそういう事なのだろう。
そんなわけで友孝様に言われていた、『私に目を向けさせ、妖雲の巫女と通じ合わないようにする』という作戦は諦めた。
だって鋼ちゃんはどう見ても唯ちゃん一筋だったから。
そんな唯ちゃんだけど、私が見たところ、鋼ちゃんルートと友孝様ルートの二つを辿っているように見える。
文化祭の材木倒壊事件は友孝様ルートのイベントだったようだ。
友孝様とは接触していないので、本気なのか、ただ妖と通じ合わないようにするために唯ちゃんを落としてるのかはわからない。
私としては本気だったらおもしろいと思う。
あの友孝様が唯ちゃんにメロメロだったら笑える。
指差して笑ってやる。
今日はバレンタインデー。
ついに唯ちゃんが相手を決める日だ。
和風乙女ゲームのくせになんで最終日がバレンタインデーなのか、甚だ疑問だが、今日、唯ちゃんが意中の相手に告白して、何かしらのエンディングを迎える事になる。
バレンタインデーの夜。
誰もいない空き教室。
唯ちゃんはどっちを選ぶのだろう。
友孝様だったらいい。
そうすれば、私は何もせず、唯ちゃんを祝ってあげられる。
でも、鋼ちゃんを選んだら……。
私はその先の事を考えて、はぁと息を吐いた。
グラウンドに一人たたずんでいると、否が応にも寒さに身が震える。
空には銀色の月がかかっている。
それを見上げて、もう一度息を吐こうとしたところで、ガラスの割れる音がした。
そして、聞こえた声は――
「鋼介君!」
私が聞きたくなかった名前を叫ぶ唯ちゃんの声だった。
「あーあ。友孝様振られちゃった。」
最悪の展開だけど、それを思うと少し笑えた。
グラウンドに現れたのは巨大な狐。
オレンジの毛並に琥珀色の瞳。
一度見た事のあるそれが、今は倍ほどの大きさになっており、その瞳に正気はなかった。
「よし。がんばろ。」
一人決心して、巨大な狼の姿を構築する。
そして、その暴れ狂う狐へと右脚を振り下ろした。
バカじゃないの、鋼ちゃん。
妖雲の巫女の力で強くなったって、そんなのただの災厄だよ。
一度戦った時と同じように鋼ちゃんと戦う。
もちろん、一度目のように簡単にはいかない。
けれど、私と鋼ちゃんでは元々戦っている土俵が違うんだ。
鋼ちゃんは実体がある。
私には実体がない。
だから、時が経てば経つだけ、私が有利になっていく。
私は即座に傷を癒し、再構築することができるが、鋼ちゃんはどんどん傷が増えていった。
バレンタインデーの告白の後。
唯ちゃんと鋼ちゃんはキスをしたのだと思う。
妖にとって唯ちゃんは毒だ。
触れれば触れるほど力が流れ込み、そのあまりの力に自我が崩壊してしまう。
鋼ちゃんだって知ってたはずなのに。
それでも、強い力を求めてしまったんだ。
『妖雲の巫女を妖に奪わせるわけにはいかない。』
友孝様はきっとどこかで見てる。
私がやりとげるかどうか。
『滅して構わないよ。』
はい。
わかってます。
「鋼ちゃん、そろそろ終わりだね。」
私の左脚から繰り出した攻撃が、鋼ちゃんの右脚に当たった。
多分、折れたのだろう。
鋼ちゃんはその脚に体重を乗せないようにしながらゆっくりと後ずさっている。
私は鋼ちゃんとの距離を一気に詰めると、その右脚を咥えた。
そして、その勢いのまま突進し、鋼ちゃんの上にのしかかる。
首元ががらあきだ。
脚から口を離すと、その首にガブリと噛みついた。
口の中にまた、鋼ちゃんの味が広がる。
「ばいばい。」
そっと喉の奥で呟くと、そのままギリギリと力を入れた。
何度か咥え直し、奥へ奥へと進める。
「鋼介君……っ!!」
どこかで唯ちゃんの悲鳴が聞こえたけど、私は止まらずに、鋼ちゃんの首を噛み千切った。
鋼ちゃんの体が地面に溶けていくのを見つめながら、私は体の熱さに咆哮をあげる。
熱い。
熱い。
鋼ちゃんの力と妖雲の巫女の力が同時に入って来る。
鋼ちゃんって本当にバカだ。
私だってこんなの耐えられないよ。
そう思った所で、意識が途絶えた。
私が意識を失っている間。
自我を失っている時に何があったのかはわからない。
だけど、きっと、妖雲の巫女である唯ちゃんがなんとかしてくれたんだろう。
「チャコ……! チャコ……!」
どこか遠くでしていた声がようやく耳元で聞こえた。
「唯ちゃん……。」
小さな声が出た。
唯ちゃんがその愛くるしい瞳からポタポタと涙を流している。
「唯ちゃん、コレ……。」
ポケットに入っていた物を渡そうと手を動かす。
だけど、思ったよりも手が器用に動かず、不思議に思い、チラリと自分の姿を見た。
ああ。
妖になった最初の姿になってるのか。
私は小さい狼になっていた。
「唯ちゃん、その辺に掌サイズの白い物落ちてない?」
うまく体が動かせないので、唯ちゃんに探してもらう、少しすると唯ちゃんが急いで戻ってきた。
「これ!?」
「うん、それ……。」
唯ちゃんがゆっくりと私を抱き起してくれる。
温かくて気持ちいい。
「それ、鋼ちゃんの牙……依代だから。妖気がちょびっと残ってるはず。」
「鋼介君の?」
「うん……ちょっとだけでもあれば、唯ちゃんな、……らなんとかできると思う。」
私が自我をなくした時。
唯ちゃんなら、私をすぐに消すことができた。
でも、唯ちゃんはその力で私の自我を覆っていた力だけを消し去ってくれたのだ。
私に残されている力はほとんどないけれど、こうして、少しだけ話しをすることができる。
「唯ちゃん、やったね。……トゥルーエンドだよ。」
攻略対象者との好感度がマックスで、悪役である友永茶子との友好度がマックスだった場合に訪れるエンディング。
妖である九尾鋼介が暴走し、友永茶子に倒され、それを食った友永茶子も暴走してしまう。
約束を交わしたばかりの九尾鋼介を殺されたにも関わらず、友永茶子を許し、救おうとその力を使った時にだけ起こるエンディングだ。
消えゆく友永茶子に九尾鋼介を復活させる方法を聞くことができる。
九尾鋼介は一度力を失うが、依代である牙があれば『妖雲の巫女』の力で元の姿に戻れるのだ。
友永茶子を救う事と九尾鋼介を復活させる事で『妖雲の巫女』の力はほとんど失われ、ただの人になる。
そうすれば、九尾鋼介とヒロインの間を裂く物は何もなくなり、二人は結ばれるのだ。
これが、私が唯一攻略した九尾鋼介のトゥルーエンド。
「あ、唯ちゃん……わたしは、依代とか、ない……からね。」
復活しないからね。
ちゃんと鋼ちゃんを復活させてよ。
唯ちゃんが何かを言っているけど、もうあまり聞こえない。
ああ……。
せめて、友孝様を一発殴りたかったな……。
私を悪役に引っ張り込んで、めでたく唯ちゃんの妖雲の巫女の力を失わせて。
なにもかもあの人の思い通りだ。
ムカツクな……。
意識が薄くなっていく。
これで私の役目は終わり。
ゲームじゃわからなかったけど、茶子さんも大変だったんだな。
妖に生まれ変わりとかあるのかなー……。
もし生まれ変われるのなら、
もう悪役はやりたくないなー。