恩人と友達
ここからチャコ視点になります
気づけば白いモヤの中。
小さな狼の体でぼんやりと座り込んでいた。
『元気にしとるか?』
どこかから響いてくる声は懐かしいあの声。
びっくりして、嬉しくなって、思わず声を上げた。
「じーちゃん!」
『おお、ちゃんと意思ははっきりしておるようじゃの』
しわがれた、でも優しい声。
姿を見ようと辺りを見回したけど、そこにじーちゃんの姿は見えなかった。
『すまんが、体はないんじゃ。……のぅ、なぜここに来たかはわかっておるか?』
「あー……うん。唯ちゃんのためにって……みんなをボコボコにして、体の瘴気を使い切った。」
『そうじゃ。それでここまで来たんじゃろう?』
「……うん。」
唯ちゃんが時間を遡ってたって言うから。
なのにこれが最後だって言うから。
なんだか、消えるのが惜しくなって、ついついここに来てしまった。
我ながらかっこわるい。
そこはかっこよく、幸せになってねーって言って、消えるところなんじゃないかと思う。
『……あまり時間がないんじゃ。……わしはお前さんに謝らねばならん。』
バツが悪くてキョロキョロと視線をさまよわせると、なんだかじーちゃんが苦しんでいるような声を出した。
『じーちゃんが謝る事? なんかあったっけ?』
はて、と首を傾げるが、よくわからない。
すると、じーちゃんは溜息をついたようで、なんだか重苦しい空気になる。
……こういうのは苦手だなー。
『お前さんに隠していたが……わしは瘴気の淀みを使って、妖を作ろうとしていたんじゃ。そして、生まれたのがお前さんじゃ。』
「……あー。つまり、妖の体を作ったのはじーちゃんって事なんだよね。」
後ろ足でザザッと首の辺りをかく。
じーちゃんの真剣な声音がなんだか落ち着かない気持ちにさせる。
『……わしは人を殺した。お前さんを式神にした陰陽師は間違った事はしていない。……わしは滅されてもよかったんじゃ……。』
「……まあ、じーちゃんが何かしたのかもしれないなって言うのは気づいてたよ。友孝様、あー、あの陰陽師ね。その人と過ごしてるうちに。友孝様はまじめだからさ、じーちゃんを退治しに来た事には何か意味があったんだろうなーって。」
人を殺したのかー……。
そりゃあ陰陽師が来ちゃうよねー……。
『……わしが人間を殺すために落石を起こした。……わしがお前さんを殺したんじゃ。』
じーちゃんが苦しそうに声を出す。
すまない、と謝る声は本当につらそうで……。
そんな風に苦しんで欲しくなくて、なるべく明るい声でじーちゃんに返した。
「あれ? じーちゃん聞いてない? ここの世界にいたわけじゃないからねー。別の世界から来たんだよ?」
『ああ。それは聞いておる。じゃが落石で死んだのじゃろう? ……きっとこの世界でわしがした事の余波がその世界に行ったんじゃ。』
いやー……。世界を渡って影響なんかしないと思うけどなー。
『殺したのはわしで……無理やりこの世界に引っ張り込んで……。』
「あー、待って、じーちゃん。その話はいーよ。」
『……じゃが。』
じーちゃんはどうしても自分の責任にしたいらしい。
言葉を遮ったのに、なおも話を続けようとする。
仕方なく、やれやれと息をついて、ゆっくりと言葉を探した。
「あー、なんていうかな……あのね、本当の事ってわからないって思うんだよね、うん。」
そう。わからない。
「まあ、もしかしたらじーちゃんの言う通りなのかもしれないけどさー。……でも、そうは思ってないよ。」
だから、都合のいいことを信じる。
「人間の体はたまたま事故で死んだ。で、それで終わりだったのに、じーちゃんがこの世界に導いてくれた。」
だって、こっちが本当かもしれないから。
「つまり、じーちゃんは命の恩人って事だよー。」
イヒヒって悪戯っぽく笑う。
「真実なんてわからないしさー。そう信じる。ね? だからこの話はこれでおしまい。じーちゃんもそう信じてみてよ。」
『……それでいいのか?』
「うん。あー、さっきまで消えようとしてたやつが何言ってるんだって話だけどねー。」
本当に。
唯ちゃんに何度も時を遡ってもらって、ようやくここにたどり着いたのに。
『……わしの作った体では人間のお前さんは生きにくいかもしれん。……苦しむ事もある。……あの子はきっとそれを知っておる。……あの子はずっと、お前さんのことばかりを話しておったぞ。』
「あの子?」
『ああ。妖雲の巫女じゃ。』
「あー……唯ちゃんかー。」
そうだよね。じーちゃんは友孝様に妖気を削がれ、眠っていた。
こうやって話しているという事は誰かがじーちゃんに力を与えたという事だ。
そんな事ができるのは妖雲の巫女しかいない。
「やっぱり、じーちゃんを復活させたのは唯ちゃんなの?」
『そうじゃ。……お前さんを助けたい。それだけのためじゃ。』
唯ちゃんにじーちゃんの事を話したのは文化祭の時。
……もしかして、そこからずっと一人でがんばっていたんだろうか。
『無責任にお前さんを作り、そして知識を与えず、式神にさせてしまったわしが言える事ではないんじゃが……。それでも、わしもあの子と同じ事を願ってしまうんじゃ。』
じーちゃんのしわがれた優しい声が響く。
『お前さんに生きて欲しい。……わしの話は忘れてしまっていいから。あの子の話を聞いてやってはくれんか?』
「……うん。わかった。……唯ちゃんの話をちゃんと聞く。」
ずっと聞きたくなかった。
ただ楽しい事だけして、それで良かったから。
『お前さんの体を作るのに、少し瘴気が足りんのじゃ。……あの子がくれた力ごと、お前さんの体にする。』
「ん? 体?」
『そうじゃ、式神の契約は終わりじゃ。古い体はすべて消えた。……そして、今から新しく作った体にお前さんは入るんじゃ。』
式神の契約は終わり。
その言葉にびっくりする。
なんとかしたいなーとは思っていた。
でも、きっとどうしようもないんだと思って、何もしてなかった。
ぼんやりと生きてる間に、唯ちゃんはどれほどがんばったんだろう。
何回もやり直して、時を遡って……。
『もう、あまり、話す時間もなさそうじゃ。』
「……じーちゃんはまた眠っちゃうってこと?」
『ああ……。わしは人間を殺し、陰陽師に罰せられた。報いは受けよう。……そして、また目が覚めた時にお前さんに会いたい』
「……ちょっと遠すぎる。」
『そうじゃのう。……あの子の話を聞いてから、決めればいいじゃろう』
でも、じーちゃんが眠ってしまえば、この話の返事は誰にしたらいいんだろう。
また、会えたらいいのぅと優しい声がした後、意識がふっと遠くなる。
そして、気づけば暗い中。小さな狼の姿でポツンと一人で座っていた。
じーちゃんが自然に復活するのって何年後?
友孝様は二百年後って言ってたっけ。
「遠すぎるよー……。」
はぁと息を吐きながら呟けば、息は白くなった。
じーちゃんに何も返事ができなかった自分が情けない。
生きて欲しい、とじーちゃんは言った。
そして、式神になってない、新しい体がここにある。
この体で。
この世界で。
じーちゃんが作ってくれた体には唯ちゃんの力だと思われる、あったかいものがある。
こんな暗い中で一人でいるのはいやだけど……。
そのあたたかさがあれば、ちょっとはがんばろうって思えた。
そうやってぼんやりと座り込んでいるうちに、灯りを持った唯ちゃんが来て、いっぱいいろんな話をした。
生きようって決めて、男になって。
それだけで十分だったのに、唯ちゃんが俺を選んでくれて……。
唯ちゃんと手を繋いで、山を降りた。
銀色の満月の下、唯ちゃんの淡い金色の髪がキラッと光って、すごくきれいだった。
そうして山を降りると、そこには友孝様の車があった。
運転手さんは知っている顔。
久しぶりに見たその顔に、どうも、チャコです。と挨拶をすると、けっこうびっくりしていて面白かった。
二人で何気ない話をしながら、学校へ戻り、理事長の家の前へ立つ。
唯ちゃんがチラリと俺と繋いでいる手を見て、そっと離した。
空いた左手がなんだかスースーする。
俺が左手を握ったり開いたりしているうちに、唯ちゃんはインターフォンを押して、少し経ってから、ガチャと扉が開いた。
「名波、どうだったっ?」
珍しく勇ちゃんが焦ったように顔をのぞかせた。
勇ちゃんは唯ちゃんを見て。その後、俺を見て。
どうなってる? と眉を顰める。
そんな顔が面白くて、イヒヒと笑って、やあって手を上げた。
「……チャコか?」
「うん。チャコだよー。」
すごいなー。外見まるで違うのに、わかっちゃうんだねー。
俺が答えると、じっと見ていた勇ちゃんの黒い瞳があやしくギラギラと光った。
あ、やだ。それ、やなやつ。
「面白いな……。人間の姿も自由自在なのか? 性別まで……。すごいな、そんなの聞いた事ない。ゾクゾクするな。」
「いやー。そこは驚いてよ。目を爛々と輝かせる所じゃないと思うよー。」
「なあ、チャコ。今度俺の家に来ないか? 色々とやりたい事がある……。そうだな、どれぐらい小さくなれるかやってみるか? あー、それとも女の体になってもらって、いろいろと――」
勇ちゃんが目を光らせながら、勢いづいて話していると、途中でバシンッと大きな音がした。
チラリと横を見ると、唯ちゃんがじとりと勇ちゃんを睨んでいる。
勇ちゃんはいてぇ、と呟いて……。
それから、少し笑って唯ちゃんを見た。
「……良かったな、名波。」
「……うん。ありがと。」
柔らかく笑う勇ちゃんにちょっと困ったように笑う唯ちゃん。
ああ……。二人にいっぱい迷惑かけたんだろうなーって思うと、ちょっとだけ胸が痛んだ。
「三人でそこにいないで入っておいで。」
玄関扉を開けたまま、三人でポーチで話していると、家の中から声をかけられる。
その声でようやく家の中へ入り、ガチャリと扉を閉めた。
どうやら理事長も迎えに来てくれていたようだ。
「あ、どうも、チャコです。」
「……ああ。そうだね。纏っているものが同じだ。」
とりあえず挨拶を、と思うと、理事長はわかっているよ、と頷いてくれた。
纏っているものとか、俺にはよくわからないけれど、勇ちゃんや理事長にはわかるらしい。
陰陽師って怖い。
「あの、これからも学校に通いたいんですけど、大丈夫ですかね?」
「ああ。大丈夫だよ。」
靴を脱ぎながら理事長に聞けば、理事長は笑って頷いてくれる。
理事長が大丈夫って言ってくれると安心する。
力とお金を持っている人が言ってくれる大丈夫は無敵だなっていつも思う。
適当に話しながら、廊下を歩き、リビングへと入る。
大きなⅬ字型のソファには鋼ちゃんが寝ていて……。
俺との戦いの傷が癒えていないのだろう。
しんどそうに、少しだけ上半身を持ち上げて、こちらを見ていた。
琥珀色の目は俺を見て見開かれている。
……だよね。
なんか勇ちゃんと理事長には自然に受け入れられたけど、男になって戻ってきたら、そりゃびっくりするよね。
なんだかバツが悪くて、やあと手を上げると、鋼ちゃんは目を見開いたまま、ボソリと呟いた。
「チャコ……なのか?」
掠れた声は戦いのせいなのか、それとも驚きのせいなのか……。
まあ、どっちでもいいけど。
俺は鋼ちゃんの寝ているソファに近付きながら、イヒヒと笑ってやった。
「そうだよー。男です。」
「……まさか。」
「いやー、そもそもね。友孝様が女の子になれっていうからなってただけだからねー。」
鋼ちゃんはL字型のソファの曲がっている方に頭を置いて寝ている。
俺は鋼ちゃんの頭の横へポスンと座った。
唯ちゃんたちはソファの方へ来ず、ダイニングテーブルのイスへと腰かけている。
俺と鋼ちゃんに気を遣ってくれたのかもしれない。
「本当に……チャコなんだな。」
「うん。チャコです。」
呆然として……でもちょっと苦しそうな鋼ちゃん。
鋼ちゃんの目をちゃんと見返して肯定すれば、グッと鋼ちゃんの顔が歪んだ。
「ッ……。なんだ。」
鋼ちゃんは泣きそうな顔になって……。
そして、右腕を目の上に乗せて、ソファへと転がった。
「男……だったのか……。」
鋼ちゃんが口角を上げて笑おうとしている。
でもその声は苦しそうで……。
……それはそうだよねー。
好きな子がボコボコに振ってきて、更に男になって戻って来るとか悪夢だよね。
……その悪夢を見せてるのは俺だけど。
「俺……初恋だった……。」
「うん。」
「……笑うだけで嬉しくて。」
「うん。」
鋼ちゃんの声が震えてる。
きっとあの悪役の女の子の事を言ってるんだろう。
俺はそれにただ頷くしかできない。
「……俺といると嬉しそうだったし、結構イケるかもって思ったのにな。」
「うん。」
「……男になったら、もう二度と叶わないだろ。」
「うん。」
……バカだなぁ、鋼ちゃん。
こんなの初恋じゃなかったって忘れちゃえばいいのに。
アイツは女のフリをして、命令で俺に近づいてきたくそ女男だったって、全部無かった事にしちゃえばいいのに。
「鋼ちゃん。これから長い人生、たくさんハニートラップがあるから……。これを教訓にして、もうこんなくそ女男に引っかからないようにしよう。」
「……なんだそれ。」
「……一発殴っとく?」
よっしゃこい、って目を閉じて、鋼ちゃんに顔を近づける。
すると、鋼ちゃんは目を覆っていた右腕を外して……。
眉を顰めて、困ったように笑った。
「殴るわけないだろ……。今、戦ったばかりなのに。」
「あー、そうだねー。そういえば散々殴り合ったね。」
うん。鋼ちゃんと戦ったのはついさっき。
お互いに本気でやりあった。
「……チャコが消えた時。胸が痛かった。」
「……意識あったの?」
「ああ。体は動かないし、どうしようもなかったけど。……名波がなんとかするって言うのは知ってたけど、やっぱり、目の前でチャコが消えるのはつらかった。」
「……そっか。」
鋼ちゃんの琥珀色の目が俺を見る。
酷い事ばかりした俺なのに、その目は別に怒ってなくて……。
「二度と消えないで欲しい……。」
「……うん。」
「ずっと笑ってて欲しい。」
琥珀色の目はまっすぐ。
きっと、長い間、俺を心配してくれていたんだろう。
「まあ、唯ちゃんがいれば、ずっと笑ってると思うよー。」
「……そうだな。」
鋼ちゃんのまっすぐな言葉を適当にかわす。
でも、鋼ちゃんはそんな俺を見て、琥珀色の目を細めた。
「チャコが名波と笑っていられるのなら……。それもいいな。」
鋼ちゃんのオレンジ色の髪がソファの上でサラリと揺れる。
俺を見上げる目は優しくて。
……鋼ちゃんには適わない。
なんで、そんなに嬉しそうに言えるんだろう。
鋼ちゃんに、酷い事しかしてない俺なのに。
……俺はそんな鋼ちゃんをずっと、うらやんでいたのに。
俺は鋼ちゃんのルートを知ってる。
唯ちゃんが鋼ちゃんを選んだ道を知ってる。
唯ちゃんと鋼ちゃんが一緒にいるのを見る度に、心が何度もざわついた。
唯ちゃんが鋼ちゃんを選んだらどうしようって。
鋼ちゃんを選んで欲しくないって。
他のみんなもいやだけど……。
鋼ちゃんが一番いやだった。
友孝様や勇ちゃんは人間。
先生はこの世で一番強い妖で、理事長は妖雲の巫女の子孫。
でも、鋼ちゃんは……飢えに苦しんでいる妖。俺と一緒。
俺と一緒なのに……。
――唯ちゃんに選ばれるなんてずるい。
嫉妬。
それは今も変わらない。
むしろ、唯ちゃんからいろんな話を聞いた今の方が大きくなった。
唯ちゃんは時を遡ってる。
一度目に選んだのは鋼ちゃん。
何も知らない唯ちゃんが最初に選んだのが鋼ちゃんだから。
ムカツク。
鋼ちゃんはいつもまっすぐで。
俺の嫉妬なんか知りもしないで。
……鋼ちゃんはずるい。
嫌いになりたいのに。
嫌いになれない。
「……やっぱり鋼ちゃんは詐欺師だよね。いいとこどり。」
俺がやだねーって顔を顰めると、鋼ちゃんが呆れたように俺を見た。
「……やっぱりチャコはチャコなんだな。」
「うん。まあ、そういうことだよねー。」
イヒヒと笑う。
そして、コホンと一つ咳ばらいをした。
「よし、じゃあ、そんな鋼ちゃんにいい言葉を送ります。」
なんだろう? と純粋に見てくる鋼ちゃんに満面の笑顔で告げる。
「ずっと友達だよ。」
うん。いい台詞。
万感の思いを込めたそれ。
距離が離れているとはいえ、大き目に出した声がダイニングまで届いたのだろう。
イスに座っていた勇ちゃんがははって声を上げて笑った。




