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黒い瘴気の獣2

 そうして私はみんなに何も伝えないまま、何食わぬ顔でいつも通りの生活を続けた。


 一人でがんばろうって。

一人でやろうって。


 友孝先輩がチャコの手を離してくれた日、

ようやく訪れたその日に、私はすべての事をチャコに打ち明けようとした。


 式神をやめられること。

おじいさんがよみがえっていて、チャコの体を作ってくれていること。


 そして、言いたかった。


 ――生まれ変わって、好きな人と生きてって。


 きっと生きてくれると思った。


 鋼介君も先生も助けた時なら。

友孝先輩が自分からチャコの手を離した時なら。

勇晴君も友幸さんもいて……いっぱい楽しい事をした時なら。


 でも、チャコは飛んで行ってしまった。


 私がチャコのためにと願った道。

それにチャコはいらないって背を向けた。

自分の道を歩くんだって、飛び立ってしまった。


 私一人ではチャコのヒーローになれなくて……。


 ようやくすべてを伝える決心をして、みんなに話した。


 突き放されるかもしれない。責められるかもしれない。罵られるかもしれない。

けれど、私が隠していた事をみんなに告げれば、みんなは優しく受け止めてくれた。

私がおじいさん――人を殺した妖をよみがえらせた事も、今まさに瘴気を集めている最中であることも。


 みんなはただ、チャコを救うためだけに動いてくれた。


 勇晴君はすぐにおじいさんに会いに行き、二人で色々な事を話していた。

友孝先輩は退治する予定だった妖を生け捕りにし、瘴気を濃くするために山へと運んでくれた。

そして、先生と鋼介君はチャコの体を消す際に戦闘になるかもしれないということで、二人で作戦を立て、訓練をした。

友幸さんはそんな私達の行動が批判の的にならないよう、目立たないように色々と手を尽くしてくれたらしい。


 友孝先輩がいたから、チャコを呼び戻して、すべてを話す事もできた。

けれど、私はチャコの道を無理やり止めたくない。


 だって、チャコはいつだって私を許してくれた。


 自分勝手に道を選ぶ私。

チャコにだっていっぱい迷惑をかけてはず。

それでもチャコはいつも私を優しい目で見てくれていた。

『無理しちゃダメだよ?』って。

『唯ちゃんが楽しいならそれでいいよ』って。


 チャコが自分で決めた道をまっすぐ歩く。


 でも、それだけだとチャコは消えてしまうから。

だから、私はその道の先でチャコを待つ。

チャコがゴールだって決めた場所にいて、チャコの手を引く。


 そんな私のわがままもみんなは聞いてくれ、協力してくれた。

チャコに散々に言われ、鋼介君も先生も苦しかったはずなのに、チャコの体を消すように動いてくれた。

勇晴君はチャコの意思が迷わないようにと新しい術を作り上げ、学校から瘴気の渦へと道を開いてくれた。


 友孝先輩はきっと、たくさん我慢をしてくれた。

式神の契約を解除する方法は話している。

チャコの体が消えれば、式神でなくなる事は知っていた。

チャコとの絆を消したくないはずなのに、友孝先輩はじっと耐え、あの場に居続けた。


 そして今、友幸さんが傷ついた鋼介君や先生をみてくれている。

あの家で、みんながチャコが帰って来るのを待っている。


 私一人じゃできなかった。

みんながいたから、チャコは最後まで目を開いていたのだろ思う。


 きっと、チャコは勇晴君の作った道をまっすぐに行ったはず。

瘴気の渦ではおじいさんが待ってくれているはずで、今頃はもう二人で話をしているかもしれない。


 チャコびっくりしてるかな。

おじいさんに会えたって喜んでるかな。


 大好きな、チャコの笑顔を思い出す。


 早く会いたい。

早くあの温かい体を抱きしめたい。


 おじいさんの住む山に向かう車の中で、一人、ぎゅっと拳を握りしめた。





 車はようやくあの山につき、運転手さんと少しだけ話して、車から降りる。

満月が私がこれから上る山道を照らした。

しかし、いざその山道へたどり着くと、木が両端に生えているせいで、明かりが遮られ、先が見えない。


 真っ暗な道は私の恐怖を煽った。


 ……本当にうまくいったのだろうか。

やっぱりチャコは消えてしまったんじゃないだろうか。


 不安が胸に広がる。

私はその不安から逃げるように、陰陽師の力を使って灯りを出した。

勇晴君と一緒に修行をして出せるようになった灯り。

私には妖雲の巫女の力のほかに陰陽師の力もあった。

妖雲の巫女の力は無くなってしまったけれど、陰陽師の力は残っているのだ。


「チャコ……。すぐ行くから。」


 真っ暗な道を灯りで照らす。

もっと早く、もっと早くと必死で足を動かし続けた。

そうしていると、息が切れ、汗がじわりと滲む。

早歩きのように登り続けると、気づけば喉から少し血の味がした。


 土を踏む音と葉が風で擦れる音。

そして、私の荒れた息遣いだけが山道に響く。


 一度も止まらずに向かった先に、ようやく目的の場所。

暗い闇に必死で目を凝らせば、そこには――


 「っ……チャコ!」


 寒空の下、枯れて腐りかけた草の上に、小さな茶色の狼がペタリと座り込んでいる。

耳は垂れ、不安そうに視線を揺らしていた。


「チャコ……! チャコ!」


 チャコがいる。


 ――チャコがちゃんといる。


「唯ちゃん……。」


 その狼は私を見ると、驚いたように一瞬目を瞠った。

そして、柔らかく目を細める。


 チャコだ。

チャコだ。

チャコだっ。


 ずっとずっと求めていた姿がそこにある。


 私は喜びを隠しきれないまま、駆け寄った。

そして、地面に膝をつくと、ギュッとその小さな体を抱きしめる。


「チャコッ。」


 さっき消えてしまった体がここにある。

小さくて……温かい体がここにある。


 その温かさがもう二度と離れないよう、ぎゅうぎゅうと抱きしめた。

あったかい。ちゃんとここにあるその体。

それをもっと確かめたくて、更に力を入れると小さな狼はうっと声を上げた。


「っ、唯ちゃん、唯ちゃん……ちょっと、くるし。」


 小さな狼はぐえっとなり、私を制止してくる。

その苦しそうな声で、私は少し冷静さを取り戻した。

力が入ってしまっていた腕からゆっくりと力を抜き、そっと目を合わせる。

金色の目は暗闇の中でもキラキラときれいに光っていた。


「ごめん、大丈夫?」

「ん……大丈夫。」


 少年のようなアルトの声が響く。

その優しい声音に胸がいっぱいになる。


「チャコ。」


 震える声で呼べば、柔らかい声でなにー? と返してくれた。

それが嬉しくて、嬉しくて。

なんだかもうよくわからなくなって、目から涙がポタポタと流れた。


「わっ、唯ちゃんっ、泣かないでー。」


 小さな狼が驚いたように目を大きくして、私の涙を拭こうと右前足の甲で頬を撫でる。

そうして、涙を拭ってくれるのが嬉しくて、思わず口元が緩んでしまった。

それでも私の涙が止まらなくて、小さな狼が焦りながら、一生懸命に前足を動かす。


「チャ、コ。」

「うん。いるから。ね? もう泣かないで?」


 小さな狼が私を見上げながら首を傾げた。

その仕草がかわいくて、ふふっと笑ってしまう。

そして、そこでふと、あるはずの姿がない事に気づいた。


「チャコ……。おじいさんは?」


 チャコを抱きしめていた右手を離し、自分の目元を拭う。

……周りを見渡しても、おじいさんの姿が見えない。

てっきりチャコはおじいさんと話をしているとばかり思っていた。

冷静になり思い返せば、私がここに来たとき、小さな狼の周りには誰もおらず、ちょこんと一人で座り込んでいたのだ。


「あー……。じーちゃんはね、また眠っちゃった。」


 小さな狼が少し息を吐いて、困ったように呟く。

それは思っても見ない言葉で……。


「え……。どうして?」

「えっとね、なんかこの体を作るのに、ちょっと瘴気が足りなかったんだって。」


 さっきまで高潮していた気持ちがスッと冷えていくのを感じた。


「だから唯ちゃんの力ごと渡してくれた。……で、力が無くなったじーちゃんはまたねむちゃった。」


 チャコの言葉に頭が真っ白になる。


 チャコに力を渡して、おじいさんは消えてしまった。


 ……それはまるで、三度目の時のよう。


 先生がチャコに体を渡して、チャコはこの世界で生きる方法を得た。

けれど、チャコは先生と入れ替わってしまったのだ。


 どうしよう。

チャコがおじいさんに力を返したいって言ったら?


 どうしたらいい?

チャコの代わりにおじいさんに生きて欲しいって言ったら……。


 もう戻れないのに。

力は使ってしまったのに。


 チャコを抱きしめている腕が何かにとらわれたかのように重くなる。


 またダメなの?

私はまた失敗して……それで……。


 しっかりと見ていたはずのチャコの姿が歪んだ。

目の前が真っ暗になっていく。


 怖い。


 体が冷えて、心臓の音がやけに大きく聞こえる。


「……っ。」


 すると、ふと肩にぐりぐりと押し付けられる物があった。

ぼんやりと視線を合わせると、それは小さな狼の頭で……。


「ごめん。……ごめんね、唯ちゃん。」


 小さく掠れた声で私を呼ぶ。


「消える時……いつもそんな顔してた? 何度もやり直して……何度もそんな顔をしてたの?……ごめんね。辛い思いをいっぱいさせたんだね……。ごめん。ごめんね。」


 私の肩に頭を寄せて必死に言葉を紡いでいる。

そして、そっと顔を上げて、私の目を見た。


「じーちゃんは眠っちゃったけど、眠る前に少しだけ話せたから。」


 だから大丈夫、と不安で潰れそうな私を金色の目でとらえる。

その目に冷えていた体にもう一度温度が戻っていく。


「唯ちゃんの話を聞いてあげろって怒られた。」

「私の話……?」


 金色の目が申し訳なさそうに揺れた。


「……唯ちゃんが今まで頑張ってきた事……聞かせて?」


 チャコが私の話を聞こうと、しっかりと私を見ている。

その目を見返して、小さく頷いた。

そして、これまでの時の事をチャコに話していく。


 失敗ばかりの過去。

少しずつ集まった情報。

チャコが消えていく時。

鋼介君の事や友孝先輩の事。先生や勇晴君、友幸さんの事を。


 そうしてすべての時の事を伝えると、小さな狼はまた、ごめんね、と呟いた。


「……ちゃんと聞いてあげればよかった。唯ちゃんが一生懸命がんばってるって知ってたのに。……ずっと知らないフリをしてた。」

「ううん……。私がチャコに言わなかったから。」

「……唯ちゃんはさ、きっと聞いたら答えてくれたと思う。……でも、聞きたくなかったから。」


 小さな狼がはあと小さく息を吐く。

そして、ぐいっと頭を私の肩に押し付けた。


「唯ちゃんは……唯ちゃんが失敗したせいで、消えちゃうんだって思ってるんだね。」

「……私がチャコの事、全然わかってなくて。……みんなの事を助けられないから、チャコは悪役をして、消えていくしかなかったんだよね。」

「……ちがう。ちがうよ、唯ちゃん。唯ちゃんのせいじゃない。」


 小さな狼がチラリと私を上目づかいで見る。


「……ずっと嫌だった。……この体が。」


 そして、小さく呟いた。


「……この命をね、早く使ってしまいたかったんだ。」


 命を……使う?


 不思議な言葉。

だけど、それはチャコの生き方を表しているようで……。


「自分で消えたいわけじゃない……でも、何かの役に立って消えられるなら……それがいいって。」


 小さな狼は時折、自分を落ち着かせるように息を吐いて、ゆっくりと言葉を続ける。

私はその言葉を聞き逃さないようにじっと金色の目を見返した。


「妖としてこの世界に生まれて。……じーちゃんと一緒に生きていたけど、全然自分の事がわからなかった。」


 それは入学式の前の話。

繰り返す時の前の話。


「自分が何なのかとか、どうすればいいのかとか。……何も考えたくなくて、知りたくもなくて。……じーちゃんも何も言わないから、ただぼんやりと生きてた。」


 適当だよねーって茶化しながらも、その言葉は苦しみが滲んでいる。


「そんなうちに友孝様の式神になっちゃって、自分が乙女ゲームの世界にいるんだってわかったら、もっと意味がわかんなくてねー。」


 金色の目がゆらゆらと揺れた。


「友孝様に妖を滅しろって言われて、妖を滅してさ。……もうね、変なんだよ。ごはん食べてもあんまり満足できないのに、妖を滅したら、すごい満足感があってねー。……もっと、もっとって。止まらなくなる。」


 小さな狼が何かを耐えるようにぎゅっと目を閉じた。

そして、深い溜息を一つ。


「その度に友孝様が止めてくれるんだけどねー……。鞭でバシッって。」


 痛いから好きじゃなかったけどね、って笑ったような声を出す。

チャコの言葉で私は先ほどの学校での様子を思い出していた。

友孝先輩が黒い鞭を出して、暴走するチャコを打つ。

それが私と出会う前のチャコと友孝先輩の関係だったのだろう。


「式神って何か知ってる?」


 小さな狼が目を開けて私を見る。

『式神』。それは賀茂家に伝わる術。

勇晴君はそれについては深くはわからないと言っていた。

勇晴君に教わっていた私も詳しいことはわからない。

だから、表面的な、ただわかっている事だけを伝える。


「……陰陽師に使役されるもの。」

「うん。……で、命令聞くかわりに生気をもらうんだけどねー。」


 小さな狼が小さく口を開けた。

月明かりの下で鋭い牙がギラリと光る。


「一番のご褒美がご主人様の体なんだ。」


 少年のようなアルトの声。

先ほどから聞いていたそれが、なぜかどこか遠くに聞こえた。


「なんだそれ、って思うんだけど、友孝様が血をくれると嬉しくてねー。」


 小さな狼はなんてことないように話す。


「もっと食べたいなあって思うんだよ。」


 『食べたい』

単語の意味はわかるけど、小さな狼が言った意味がわからなくて、私は少し眉を顰めた。

小さな狼はそんな私を見ず、どこか遠くを見ている。


「生きてるうちは食べられないからさ。」


 小さな狼はそこでふと話を区切った。

何かに耐えるように目を閉じた後、小さく呟く。


「……早く死なないかなーって。」


 不穏な言葉。

チャコには似合わないその言葉。


「死んだら全部食べられるのにって。」


 だけど、小さな狼が口にするその言葉は冗談なんて一切入ってなくて……。

その言葉に今までのチャコの様子が頭の中でたくさん浮かび上がる。


 いつも友孝先輩を目で追っていたチャコ。

けれど、いざ本人を目の前にすると、作り上げた美少女のような笑顔で対応していた。

そして、なるべくその場を立ち去るか、友孝先輩を立ち去らせるようにしていた。


「やだよねー。式神になると、みんなそんな風に欲に負けそうになるんだって。だから式神の先輩に教えてもらってねー。従者っぽく接してたんだよね。自分の欲が増えないように。友孝様に道具として見てもらえるようにって。」


 それはずっと――。


「唯ちゃんのおかげか、友孝様が最近優しくなってきて……。でも、それに応えて信頼されたくなかったんだよねー。」


 ――友孝先輩を思ってのこと。


「だってかわいそうだし。」


 小さな狼が小さく笑ったような声を出す。


「友孝様、なんか家族とうまくいってないっぽくてねー。めっちゃ自分に厳しいし。クリスマスとかした事ないって言うんだよ? そんな中でさ、そばにいたヤツが実は自分の事を食べたくて、早く死んでくれって思ってるなんてやじゃない?」


 先生は二度目の時と三度目の時。

チャコが友孝先輩の式神である事を告げると、『救われないな』って言っていた。

それはきっと、陰陽師と式神の関係を少しは知っていたのかもしれない。


 陰陽師と式神。

どんなに穏やかな関係を持ったところで、式神は陰陽師の体を食べ尽す。


「なんとかしたくても、どうにもできないし。……逃げたくてもさ……食べたくなくてもさ……。友孝様が死んだら、食べちゃうからねー。」


 チャコはおじいさんを助ける代わりに、何もしらないまま式神にされた。

きっと、そんな風な自分にすごくすごく戸惑ったのだろう。


「友孝様は自由にしていいって言ったけど……。自由になれる気なんか全然しなくてさー……。人間から生気を奪って、妖を滅して……。友孝様をいつか食い破る。……そんな風にしか生きられない。」


 チャコは人間で。

知らないうちにこの世界で妖になっていて……。


 人間と全然違う体。

全然違う生き方。

そして、友孝先輩の式神になった事で生まれた飢え。


「そんな自分が唯ちゃんのためになるのなら、それってすごいなって。」


 ずっと、一人で戦ってた。


「この命が唯ちゃんの役に立つのなら、喜んで差し出そうって。」


 もう、何も奪いたくなくて……。


 ――私のために、命を使おうとしてたんだ。


「……ごめんね。唯ちゃんのためって言ったけど、結局自分の事しか考えてなかった。」


 呆然と小さな狼を見れば、じっと私を見ている。


「まさか、唯ちゃんが何度も時を遡ってくれるなんて思わなかったし……ずっと、こんな顔で見てくれてた事も気づかなかった。」


 そして、申し訳なさそうに呟いた。


「ごめんね。」


 ああ。

どうしてだろう。

なんで、こんなに優しいんだろう。


「チャコ……。ずっと、ずっと、そんな思いと戦ってたの? もっと早く気づいてあげられなくてごめんね。苦しいの、聞いてあげられなくてごめんね。」


 謝るのは私の方なのに。


「いやいや……。唯ちゃんに気づかれたら困るよ。唯ちゃんにだけは気づかれないようにって、ずっと隠してたんだからさー。」

「……チャコ、しんどい時いっぱいあったよね?」

「あー……。まあ、友孝様とよく会うようになっちゃって、それはちょっとしんどかったかもねー。なんていうかね、おいしそうなステーキが鉄板の上でジュージュー音を立ててるのに、食べられない、みたいな。そんな感じ。」


 小さな狼がイヒヒって悪戯っぽく笑うような声を出した。

冗談みたいな声色で、なんでもないように茶化して……。


「あと、文化祭の時は焦ったよね。友孝様が血を出しちゃってさー。しかも唯ちゃんもいるし。こんな変な自分を知られたくないのに、クラブ棟の裏までおっかけてきて。」

「……うん。」

「あ、それに、さっきわかったんだけど、妖を食べて力をつけるとね、なんでだか、友孝様を食べたい欲求も増えるんだよ。久しぶりに見たけど、国産牛が松阪牛にランクアップしててびっくりした。」


 あははって小さな狼が牙を見せて笑う。


「多分、自我が無くなったら、一番に友孝様を食べに行くんだろうなー。だって自我がなくなったら我慢できないもんねー。」

「……うん。自我が無くなったチャコはね……友孝先輩を襲おうとしてたかも。」


 今までの時を思い出す。

一度目の時、鋼介君を食べて自我を無くしたチャコは友孝先輩に襲い掛かっていた。

四度目の時、たくさんの妖を食べて自我を無くしたチャコも、友孝先輩に襲い掛かっていたのかもしれない。

そして、あの黒い鎖の術で締めつけられ、ずっと苦しんだのだろう。


 四度目の時のチャコの言葉が蘇る。

『もう疲れた』って。『もういい』って。

一緒に生きようって言ったけど、私の手はとってくれなかった。


 ……そうだよね。

ずっと友孝先輩のそばにいて。

ずっと飢えに苦しんで……。


 何も知らなかった私。


 そんな私の手なんて取れるわけないよね……。


「ごめんね……。何回もやり直して、何回もつらい思いをさせた……。」


 もっと早くわかってあげたらよかった。

もっと早く式神から解放してあげられたらよかった。


 もっと早く――


「いつもチャコは消える時ね……満足そうに笑ってたよ。でも……私だけ……諦めきれなくて……。」


 ――諦めたらよかったのに。


「……ごめんね。……チャコが苦しんでても、妖なんかいやでも……。この世界なんかいやでも……。」


 式神から解放されても、チャコは人間じゃない。

元の世界にも戻れない。


「チャコが消えるのが……いやだ。わがままでごめん。でも、……。」


 何度もやりなおして、みんなを助けた。

チャコが消える間際に秘密を教えて、心残りができるようにした。


 無理やり。

ここまでチャコを引っ張ってきた。


「……チャコに生きて欲しい。……その体でこの世界にいて欲しい。」


 人間の心で妖の体を持つチャコ。

これから先も苦しむ事がいっぱいあるかもしれない。

それでも、そんな思いをさせても。

私はチャコにこの世界で生きて欲しいから。


 我儘で自分勝手な思い。


 口に出すと、胸がぎゅうっと苦しくなった。

それでも、目を逸らさずに金色の目を見ると、小さな狼は、はあって溜息をついた。

そして、私の腕の中でぐっと体を伸ばし、頭を私の頬にすりつける。

頬に当たる小さな狼の頭はふわふわな毛で覆われて、柔らかい。


「唯ちゃんはやっぱりまじめすぎるよー。……あのね、唯ちゃんが謝ることなんて一つもない。ずっと一生懸命にがんばってたんだから。」


 優しい声。


「唯ちゃんのためにって言い訳して……唯ちゃんのせいにして、この体から……この世界から逃げたかっただけなんだよ。」


 ずっとずっと諦めきれなかった優しい声。


「根性なしだったから……代わりに唯ちゃんがいっぱいがんばってくれた。自分自身ではすぐに諦めたこの命を……唯ちゃんはずっと諦めないでいてくれた。」


 小さな狼が私の頬から頭を離し、じっと私の目を見た。


「この体が……奪っていくだけの自分が嫌だった。……でも。」


 金色の目が柔らかく細まる。


「この命は奪ったものじゃないって……。色々なものから与えられて……じーちゃんが作ってくれて……。」


 私の腕の中にある温かな体。

ちゃんと、ここにある。


「唯ちゃんが諦めずにいてくれた命だから。」



 ――ちゃんと生きるから。



 小さな狼はそれを言うと、なんだか照れたように前足で耳の辺りを掻いた。

そして、悪戯っぽく笑う。


「もう式神じゃないし! 友孝様がステーキに見える事もないだろうからさー。」


 小さな狼の金色の目は優しい色をしていた。

活動報告に少しだけチャコの小話upしました

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活動報告にupした小話をまとめました。
本編と連動して読んで頂けると楽しいかもしれません。
和風乙女ゲー小話

お礼小話→最終話の後にみんなでカレーを作る話。
少しネタバレあるので、最終話未読の方は気を付けてください

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