すべてを手に入れる15
『私に乙女ゲームの主人公を譲ろうとしてるの?』
チャコの突然の言葉が私の中で響く。
金色の目がじっと私を見ていて……。
私はそこから目が逸らせないままに呆然と見上げた。
「……唯ちゃんはさ、私とみんなの内の誰かをくっつけたいんでしょ?」
チャコがちょっと困ったように眉を顰める。
そして、ゆっくりと言葉を続けた。
「唯ちゃんが私と友孝様の事を知ったのがいつかはわからない。私がみんなとは少し違う気持ちでいるって事もいつ知ったのか……。けど、思えば入学式から、私とみんなを仲良くさせようとしてたよね。」
チャコが昔を思い出そうとしているのか、少しだけ首を傾げて視線を斜め上にあげる。
「勇ちゃんを私に会わせて、理事長の家へ行って……。勇ちゃんと私を二人きりにした。」
それは入学式の時。
私が友幸さんがいるキッチンへと茶菓子を取りに行ったことだろう。
二人は初対面だったけど、話が盛り上がって楽しそうだった。
「私と鋼ちゃんを写真部に誘って、先生に会わせて……。唯ちゃんは途中で抜けて、私と鋼ちゃんと先生だけにした。」
チャコに親がおらず、カメラについて悩む事を知っていたから。
先生にカメラの事を相談して、チャコと鋼介君を一緒に行かせたけれど、私はついていかなかった。
「夏休みに唯ちゃんが生徒会をしている間、私は理事長の家にずっといたしね。」
夏休みに生徒会に行く間、チャコがついてきてくれる事を知ってた。
友孝先輩に私を守るように言われていたからだろう。
チャコはいつも登下校を共にしてくれた。
だから、チャコが学校に行って待っている時に友幸さんの家に行ったらいいな、と思っていた。
「鋼ちゃんと勇ちゃんと四人でプールに行った時も、唯ちゃんだけ先に帰ったよね。文化祭だって、唯ちゃんはいなくて、私と鋼ちゃんと勇ちゃんで回ったし。」
いつだってチャコは、私と一緒がいいって言ってくれたけど、いつも途中で抜けた。
忙しいからって言って、チャコとみんなを置いてきた。
「今も、必死に友孝様を庇ってる。……いや、庇ってるのとは違うのかな。うーん……友孝様をちゃんと見ろって言われてるというか? うん。なんかそんな感じだ。」
チャコが斜め上を見ていた視線を私に戻す。
私はその視線を受け止めて、ぎゅっと唇を噛んだ。
ああ。
そうだ。
チャコの言う通りだ。
私はチャコとみんなが一緒にいるようにした。
さりげなく、私自身は席を外すようにした。
そして今は、チャコにちゃんと友孝先輩を見て欲しいと思った。
冗談にして、笑って誤魔化して欲しくないって。
だって。
チャコがみんなの事を知れば……きっと……。
「……主人公を譲りたい、とかじゃないよ。」
この世界がゲームだって事はわかった。
私が主人公だって事もチャコが教えてくれた。
でも、それは実感としては湧いていない。
だから、チャコに主人公を譲りたかったわけじゃない。
でも。
だけど。
じっと私を見ているチャコからゆるゆると視線を外して、地面へと目を伏せる。
「……チャコが。……チャコが、みんなの内の誰かを好きになればいいって思った。」
金色の目が私を見ているんだろうけど、その目を見返す事が出来ない。
「チャコに好きな人ができて……両想いになって……。」
付き合って。
好きだよって囁き合って。
それで……。
そうしたらきっと……。
「……生きる意味になればいいって。」
――この世界で生きていきたいって思うはず。
自分の呟いた言葉に心が冷たくなった。
そうだよ。
私はチャコとみんなをくっつけようとしてる。
鋼介君の純粋な気持ちも。
友孝先輩の執着心と家族を求める気持ちも。
先生の保護者のような気持ちも、勇晴君の友達ができたって喜ぶ気持ちも、友幸さんの優しい気持ちも。
全部、全部利用して。
伏せていた目を上げる。
そして、しっかりとチャコの目を見た。
「――チャコに選んで欲しい。この世界にいるみんなを。」
私じゃなく、チャコに選んで欲しい。
この気持ちが主人公を譲る、という事になるのならば、まさしくその通りだ。
目を逸らさず、まっすぐとチャコを見ると、チャコは相変わらず眉を顰めていた。
そして、はあと溜息を吐いて、ボソリと呟く。
「おかしいと思ったんだよね……。だってこれ、私の逆ハールートみたいになってる。」
小さく呟かれた言葉は不思議な言葉で……。
その声は呆れているような物を含んでいる気がして、もう一度ギュッと唇を噛んだ。
「ごめん……勝手な事して。」
「あー、いや、まぁ……。あーまさか、主人公が悪役にその座を明け渡そうとするとはねー……。」
チャコの困った様な声音に胸がズキズキと痛む。
……がんばろうって、何度でもやり直そうって決めた。
最低でも、嫌な女でもいいんだって。
でも、チャコに知られると、こんなにも胸が痛い。
人の気持ちを利用して、自分の望みを叶えようとしている私。
そんな私を、やっぱり知られたくないって思ってしまう。
……でも。
これが私の選んだ道だから。
痛んだ胸を抑え込み、じっとチャコの目を見ると、チャコは小さく息を吐いた。
「……唯ちゃんはさ、ちょっとまじめすぎるよ。」
「……まじめ?」
チャコの突然の言葉に少し首を傾げる。
すると、チャコはそんな私に小さく苦笑を返した。
「そう。……一生懸命がんばってさ。人を傷つけたって自分が傷ついてる。なのに、それを表に出す事もしないで……。」
チャコの金色の目が星を映して、キラキラと輝く。
「唯ちゃんがみんなの事を背負う必要なんてないのに……。私の事を背負う必要なんてないのに。」
チャコの目は優しくて……。
いつもその目で、私を見てくれる。
「私って適当だからなー。」
あーって声を出して、空を仰いだ。
「多分さ、唯ちゃん、人の気持ちを利用したーって思って、ちょっと苦しんでるでしょ? あのね、唯ちゃんのやってる事なんて、『人の気持ちを利用する』に入らないからねー。」
チャコが座って? とすぐそばにあったベンチを示す。
私がそれに座ると、チャコも隣へと腰かけた。
「さっきさ、友孝様の言った事覚えてる? 九尾兄弟がどうのこうのってヤツ。」
「……うん。」
「あのね、私は唯ちゃんと妖が恋に落ちないようにずっと邪魔してたんだ。」
「……妖と恋?」
「そう。……まあ、要は鋼ちゃんと先生だよね。その二人が唯ちゃんと恋に落ちないよう、色々とハニートラップを仕掛けてたんだよー。」
チャコが私の恋を邪魔して、鋼介君と先生にハニートラップを仕掛けてた?
チャコから次々に出てくる言葉に驚いて、目を丸くしてしまう。
チャコはそんな私を見て、イヒヒと悪戯っぽく笑った。
「ハニートラップってわかる? 思わせぶりな事を言ったり、態度を取ったり……。無駄に触ってみたり? 一応、友孝様からの命令だけど、細かくは指示されてないし、考えて実行したのは私だよ。勇ちゃんにもやった方がいいのかなーと思って、時々やってた。まあ、酷いよねー。これこそ、人の気持ちを利用するってヤツだねー。」
チャコが空を見上げて、なんてことない風に話す。
私はそんなチャコの話を理解するのが精いっぱいで……。
「文化祭でさ、唯ちゃんが自分の道を歩いていいんだって言ってくれた。……だからもう、そういうのはやめようって思ってね、控えてる。」
そうだったんだ。
文化祭の後から、チャコは私の隣にしか座らないし、他のみんなにも悪戯っぽく何かを言う姿はほとんど見られなかった。
文化祭までのチャコは意識的にそういう事をやっていたんだ。
「でも……今までの事を鋼ちゃんや先生に言うつもりはなかったんだ。」
「……さっき友孝先輩に言ってたよね。」
「そう。友孝様の式神で、命令されて近づいただけですって伝えた方が真摯なんだろうなとは思うんだけどねー。」
空を見ていたチャコがえへへっと笑った。
「そういうのめんどくさくってさー。」
屈託なく笑うチャコ。
「鋼ちゃんとか先生が私の事をちょっといいなって思ってくれて……。それに向き合うのってめんどうだし。このまま時が解決してくれないかなーって。」
チャコはすぐに人と向き合う事から逃げていく。
きっと、鋼介君と先生の事もどうにかするつもりはなかったのだろう。
「あー、あの時、告白してれば付き合えたのかなーとか、一緒にいると嬉しかったなーとか。そんな感じで振り返るぐらいの思い出になればいっかな。」
気持ちに答えを出さず、さりげなくそれを躱していく。
チャコならそういう事もサラッとこなしそうだ。
「私はそうやって白黒つけずに、のらりくらりしながら生きてる。」
空を見ていたチャコが私を見る。
「……でも、唯ちゃんは違う。いつだってみんなに向き合って、ちゃんと話を聞いてる。」
冬の夜空の下。
時折吐く息は白くなった。
「きっとみんなもさ、唯ちゃんがまっすぐに見てくれるから……。唯ちゃんがいつもがんばってるから、がんばろうって思ったんだと思うよ。」
チャコの言葉に胸がきゅうっと苦しくなる。
「みんなを助けたのは唯ちゃんだよ。なのに、それを全部私に渡しちゃうの?」
今まで私を労わるように見ていた金色の目が苦しみで揺れた。
「唯ちゃんがしっかりお膳立てして、私の前に差し出して。……それを選んで、食べろって?」
「……っ。」
チャコが自嘲気味に笑う。
それは本当に苦しそうで……。
「ごめん。」
チャコの金色の目をチラリと見上げて、謝罪を口にした。
そして、じっと地面を睨む。
こんな風にチャコに嫌な思いをして欲しかったわけじゃない。
私はただ……。
「私は……チャコの邪魔になりたくなかった。」
チャコを助けたい。
チャコとこの世界でずっと笑っていたい。
だから、ここまでがんばってきた。
チャコを助けるために、みんなを引っかき回してここまできた。
だけど……。
チャコの手を引っ張っていけるのも頂上まで。
その後、誰と歩いていくかはチャコが決める。
私は……みんなを応援できない。
手伝いたくもない。
でも……。
チャコの邪魔はしたくないから。
「……だって、私が誰かを選んだら……チャコは私を気にして、その人を選ばないよね?……だから私、誰も選びたくなかった。」
「そっか……。」
チャコが怒ってるんじゃないかと思って、目を合わせられない。
でも、勇気を出して、チラリと上目遣いでチャコを見ると、チャコは柔らかい顔で笑っていた。
その笑顔はとてもきれいで……。
「……唯ちゃん、誰も選んでないんだ。」
小さくチャコが呟いた。
「あー、なんか責めてるみたいになってごめんね。わかってる。唯ちゃんは私の事を考えてくれたんだよね。」
「……うん。」
チャコが嬉しそうに笑っている。
私の話に怒ってないんだって安心したけれど、なんだかその笑顔は不思議だ。
チャコの気持ちがよくわからなくて、目がチラチラと泳ぐ。
「でもさ、唯ちゃん。」
チャコがそんな私をじっと見つめ、金色の目をキラリと光らせた。
「乙女ゲームの主人公役はいらないよ。」
本当に唯ちゃんは仕方ないなー、ってチャコが笑う。
そして、右手を伸ばして、私の頭をよしよしと撫でた。
「……チャコ?」
「ほら前にさ、唯ちゃん言ってたでしょ? 『チャコがよしよししてくれたらがんばれる』って。だから、これ先払いね。もうがんばれないーって思ったら、思い出して。」
どうして、いきなりそうなったのかわからない。
でも、なんだか切なくなってチャコをじっと見上げる。
すると、チャコは私の頭を撫でていた手をどけると、スッと私の前に屈んだ。
ベンチに座っている私の前にチャコがしゃがみこむ。
ちょうど私のお腹位にチャコの頭があるような形になった。
「チャコ? どうしたの?」
チャコの不思議な行動に私もベンチを立とうとする。
しかしチャコはそれを制し、私の両手をそっと取った。
チャコの両手が私の手を包み込む。
「唯ちゃんがずっと幸せでいられますように。」
そして、私の手を持ったまま、チャコがその手におでこをくっつけた。
「唯ちゃんがずっと笑っていられますように。」
空にはかすかに瞬く星。
その下でチャコが私の手を取って、祈ってる。
なんだか儀式のようなそれに、何も言えなくなって、ただただチャコを見つめた。
チャコはしばらく、私の手をおでこに当てていたが、そっと私から手を離す。
「……唯ちゃん。私、行くね。」
「チャコ?」
「あ、心配しないでもバレンタインには帰って来るからねー。友孝様もやっと離れた所だから、私の事を探さないでね?」
いつもみたいにえへへって笑って、チャコが立ち上がった。
その笑顔に不安が増して、私も立ち上がろうとチャコに手を伸ばす。
すると、なにか柔らかい物がフワッと頭の上から被せられて、視界を覆った。
「……っ、なに?」
チャコに伸ばしていた手を慌ててひっこめ、自分の頭へと持っていく。
急いでそれを手に取り、視界を取り戻した。
「チャコ……?」
頭に被せられていた物をぎゅうっと掴んで、立ち上がって辺りを見渡す。
しんとしたグラウンドには私以外に誰もいなくて……。
「チャコッ……チャコッ!」
大きな声で呼んだのに。
返って来る言葉はない。
「チャコ!」
名を呼びながら、空を見上げる。
そこには、夜空には不似合な茶色のタカのような猛禽類が飛んでいた。
「……バカ。……チャコのバカ!」
空に向かって叫べば、その鳥は大きくグルリと回って、どこか遠くへと旅立ってしまった。
きっとあの鳥はチャコだ。
チャコが姿を変えて、飛んで行ってしまったんだ。
……あんなに高い所に行ってしまってはもう追いかけられない。
「……悪役なんかしなくていいって言ったのに。」
ボソリと呟いた声は震えていて……。
私はぎゅうっと手で握りしめていた物へと視線を落とした。
チャコが姿を変える前に私の頭に被せた物。
茶色のふわふわとした手触りのマフラー。
私はそのマフラーをグルっと首に巻いた。
そして、俯いて、マフラーをぎゅっと瞼に押し付ける。
温かくて、優しい。
「バカ……。」
なんで一人で決めちゃうの?
今日、これから色々と話そうと思ってたのに。
チャコはいつだってそうだ。
私の話なんか聞いてくれなくて、いつも一人で納得して。
そうして、道を選んだ。
ブルリと体が震える。
チャコと話している時は寒さなんか感じなかったのに、一人でグラウンドにいると体の芯から凍えるようだ。
首元に巻いたマフラーだけが、私を少し温めてくれる。
「……マフラーだって、明日には消えちゃうのに。」
チャコがいなくなったら、チャコの作った物だってすぐに消えてしまう。
きっとこのマフラーも明日の朝には無くなっているだろう。
「バカ。」
小さく呟いた言葉は誰にも届かずに消えていく。
そして、チャコは私達の前から姿を消した。
活動報告にチャコ視点の小話upしました




