すべてを手に入れる11
先生から鋼介君に力を移したあの日。
チャコはそのまま友幸さんの家へ泊まって行ったようだ。
翌朝、学校へ来たチャコはいつも通り元気で、心配かけてごめんねーと笑った。
あの日から、二か月が経った。
しばらくは学校にも顔を出さなかった鋼介君も今では学校に通っている。
勇晴君と修行を続けて、自分の力に順応できるようになったらしい。
先生も調子が良く、今は毎日が本当に楽しそうだ。
誰も犠牲になる事なく、みんなの力で二人を助けることができた。
その事が本当に嬉しい。
たくさんの人を傷つけて、自分勝手に引っ掻き回して、ようやくここまで辿り付けた。
私の目標まではまだまだ遠いけれど、一歩ずつでも進めてる実感が湧き、胸がグッと熱くなる。
がんばろう。
やれることをしっかりと。
今日は文化祭だ。
この日を境に、チャコと私の距離が遠くなる事が多かった。
でも、今回は絶対にチャコの手を離したりしない。
私がチャコを引っ張っていくんだ。
生徒会で文化祭の準備に追われながらも、決意を新たにする。
今日がきっと運命の日だから。
文化祭当日。
連日の書類チェック、申請、現地確認の日々を終え、ようやく開催した今日は見回りや、当日の問題点の修正などでてんやわんやだ。
そんな中、書道部が午後の書道会で使う材木が足りないと要望を上げてきた。
それを友孝先輩へと伝え、一緒に材木置き場へと行く。
材木が保管してある教室へ行くと、そこには既に書道部の人が待っていた。
書道部の人は友孝先輩と会話をするのに緊張しているようで、なんだかぎくしゃくしている。
そして、足りない材木を取ろうとして――盛大にこけた。
材木に手をかけた状態でこけたため、立て掛けてあった材木が次々とドミノ倒しのように、折り重なっていく。
折り重なった先にいるのは――
「……きた。」
「危ない!」
私と友孝先輩だ。
バランスを崩した材木がこちらへ倒れてくる。
もう三度目だなぁってどこか他人事に考えながら、自分の周りに結界を張った。
材木が床に落ちる盛大な音と、焦った声。
それを聞きながら、倒れてくる材木を結界でやり過ごし、落ち着いてからそれを解いた。
「大丈夫そうだね……。」
「妖雲の巫女ですからね。……っ、先輩、すみません。守ろうとしてくれたんですね。」
隣にいた友孝先輩が心配そうに私を見る。
結界を張った私は材木に押しつぶされることもなく、無傷だ。
ただ、友孝先輩はとっさに私を庇おうとしてくれたようで、右手に少し血が滲んでいた。
「手、大丈夫ですか?」
「ああ。……情けない、判断ミスだね。」
「そんなことないです。これだけで済んで良かったです。」
なんせ私は何が起こるかわかっていた上での結界だ。
すでに呪の準備をしていたため、すぐに展開できたが、普通は無理だと思う。
友孝先輩は私の事を気にしながらも、たったこれだけのケガで済んだのだから、十分すごい。
「なにかあったのか?」
友孝先輩の手のケガを見ていると、教室の後ろから声がかかる。
その声は鋼介君で……。
鋼介君は床に散らばった材木を見ながら、眉を顰めている。
その後ろには扉から入って来ることができず、呆然と立ち尽くしているチャコの姿があった。
「チャコ。」
小さくその名を呟く。
しかし、チャコは反応しない。
じっと友孝先輩を見て、その目を爛々と光らせていた。
いつものきれいな深いブルーじゃない。
金色の目がこちらを見ている。
チャコはしばらく友孝先輩を見ていたが、ギュッと眉を顰めると、何かを振り切るように走って行った。
私はそれを見て、弾かれるようにその後を追う。
「おい、名波! どうしたんだ?」
鋼介君の横を通り過ぎようとすると、右腕を掴まれた。
不安そうな鋼介君の顔を見て、小さく頷く。
「鋼介君。私チャコを追わないといけない。鋼介君には悪いんだけど、ここの片付けを頼みたい。」
「……大丈夫なんだな?」
「うん。」
「……わかった。」
鋼介君の琥珀色の目をしっかりと見つめる。
鋼介君は一度目を閉じて、小さく頷くと、私の腕から手を離した。
私は後ろを振り返り、友孝先輩にも声をかける。
「先輩は指示と、そのまま文化祭の方をお願いします。」
「……わかったよ。」
友孝先輩は私の言葉に小さく息を吐くと、涙目で謝り続けている書道部の人へと歩みを進めた。
私はそれを見て、チャコが走って行った方へと足を向ける。
教室を出て、廊下を走った。
グラウンドを抜けたクラブ棟の裏。
そこにチャコがいるはず。
逸る心を抑えながらも、全速力で走る。
ようやくたどり着いたクラブ棟の裏には地面に座り込み、自分を抱え込むようにしているチャコの姿があった。
その姿は何かを必死で我慢しているようで、見ている私の胸まで苦しくなってしまう。
「チャコ。」
小さく名前を呼ぶと、チャコの体がビクっと跳ねた。
怯えるようにより縮こまったチャコを見ながらも、ゆっくりと近づいていく。
やっとここまで来た。
もう――逃がさない。
自分を抱きしめるように小さくなっているチャコの前に私も座り込む。
そして、そっとチャコを抱きしめた。
チャコの体が小さく震えたのがわかったけれど、気にせず、力を送ってチャコの中を覗く。
チャコの中を見てみると、黒い瘴気がグルグルと暴れ出しそうに歪な形で回っていた。
きっと、暴れ出しそうな力を必死で押さえているんだろう。
私は友幸さんに教えてもらったように、そのグルグルと回る黒い瘴気にそっと力を送り、干渉していった。
チャコの力は普通の妖とは違う。
私が根本的に抑えたり、力を与える事はできない。
けれど、流れを整えるぐらいはできるから。
先生の力を鋼介君に移した時に友幸さんがやっていた方法。
それを友幸さんから聞いていたのだ。
少しでもチャコが楽になるように。
私はゆっくりとチャコの背中を撫でながら、その歪な形が円へと近づくように、整えていく。
チャコも自分の力が少し落ち着くのを感じたのだろう。
最初は固くしていた体から力を抜き、息を吐いた。
「な、んで……。」
チャコの掠れた声が響く。
「なんで……よりに、よって。……唯ちゃんが来ちゃうの?」
苦しそうな声。
ギュッと固く閉じた目。
私を責めているような台詞。
やめてよって。
ほっといてよって。
チャコが必死に私を遠ざけようとしてる。
「チャコ、私、待たないって言ったよ?」
ダメだよ、チャコ。
離さない。
「チャコが覚悟しなくても、私がどんどん攻めていくからって。」
「……言ってた、ね。」
チャコの掠れる声を聞きながら、チャコを抱きしめる手に力を入れる。
「うん。チャコがもうやめてって言ってもやめないよ。ほっといてって言ってもほっとかないよ。」
だからチャコ。
覚悟して。
私にすべてを話してよ。
「私、チャコの事が知りたい。」
何度も何度も時を遡って、ここまで来た。
みんなを巻き込んで、ずっとチャコを揺さぶり続けた。
全部、全部。
きっと今日のためだった。
「教えて欲しい。……教えて欲しいよ、チャコ。」
今日を逃がしたら、もう、次はない。
そう思ったら、声が掠れてしまった。
私の声は全然頼りなくて……。
そんな情けない私の声にチャコが小さく息を吐いた。
「もう……いっか。」
チャコの諦めたような声音が響く。
「わかったよ、唯ちゃん……。」
逃げ切るつもりだったのになってポツリと零して――
チャコが一度ギュッと唇を噛んだ。
そして、震える声でゆっくりと言葉を告げる。
「……わ、たし。唯ちゃんにウソをついてる。」
チャコが小さく呟いた。
やっとチャコが話してくれた言葉。
『ウソをついてる』
「唯ちゃん、私、式神だよ。……友孝様に命令されてここにいるだけ。唯ちゃんと仲良くなれって言われて。近づいてくる妖の邪魔をしろって言われて、友達になっただけ。」
チャコは目をギュッと閉じたまま、感情を乗せない声で淡々と告げていく。
知ってる。
全部知ってるよ、チャコ。
チャコの話してくれた事は全部知ってた事だ。
それでも、チャコに直接言われると、胸がズキリと痛む。
「うん。」
痛んだ胸を抱えながら、小さく頷いた。
チャコはそんな私の声を聞いて、またギュッと唇を噛んだ後、話し始める。
その声はなんだか苛立っているようだ。
「唯ちゃんにこんな風にしてもらう資格なんてない。陰謀とか策略とか。そういうのがあるから唯ちゃんのそばにいる。」
「うん。」
「純粋な気持ちじゃない。汚くて、黒くて……。唯ちゃんには全然似合わない。最低な友達なんだよ。」
「うん。」
「唯ちゃんの邪魔ばっかりしてるんだよ。私のせいで、しなくてもいい苦労をしてるんだよ……っ。」
離れてよって。
チャコはきっとそう言ってる。
だけど、私は更にチャコをギュッと抱きしめた。
離さない。
もう一人にしない。
私はチャコの言葉にただただ小さく頷いた。
「うん。」
ごめんね。ずっと一人にしてごめん。
一度目の時、私はここでチャコが一人で震えてる事も気づかなかった。
二度目の時、目の前でチャコが苦しんでたのに、自分の心に負けて、チャコを置いてきてしまった。
三度目の時、走り去るチャコの姿を遠くから見てただけだった。
四度目の時、自分の事ばかりで文化祭にチャコと辿り着くことすらできなかった。
五度目の時、もし文化祭まで来ても、私とは関係ないって気にしないようにしてたんだろう。
私って全然ダメだ。
チャコを助けたいって思ってたのに、こんな事にも気づかなかったよ。
チャコが一人でここにいる。
金色の目を揺らして、ここにいる。
そんなチャコを一人にしちゃいけなかったんだ。
「……っ、うんじゃないよ。もっと怒っていいんだよ……最低だって、大嫌いだって……。」
チャコだって、もっと怒っていいよ。
「うん。」
「……。うんって何。」
「うん。」
「……バカ。」
「うん。」
「お人よし。」
「うん。」
「強引。」
「うん。」
「……バカ。」
「うん。」
「バカ。」
「うん。」
「バカ。」
チャコの背中を撫でながら話を聞いていると、ふと視線を感じた。
下を見ると、チャコの金色の目がこちらを見てゆらゆらと揺れている。
ああ。金色の目もキレイだな。
「チャコ。大丈夫。全然大丈夫。」
私はその目を見ながらふふっと笑った。
「そんな事でチャコを嫌いになるわけないよ。」
金色の目をしっかり見つめながら言うと、チャコの目が大きく見開かれる。
そんなので嫌いになれたら、とっくに嫌いになってるよ。
チャコの事を諦められないから、こんなにもずっとがんばってるのに。
「それにチャコ、最後の方、『バカ』しか言ってないからね?」
私が悪戯っぽく笑うと、チャコは泣きそうな顔で笑った。
そして、ゆっくりとその金色の目を閉じる。
クラブ棟の裏は影になっていて、日は差さない。
文化祭の会場も遠くて、喧騒もほとんど聞こえない。
ただ私とチャコがいるだけ。
地面に座り込んだチャコを私が抱きしめてる。
制服のスカートが土に汚れて、時々、強い風が吹く。
私はチャコから体を離して、自分で自分の手を握りこんだ。
手の甲に爪が食い込む。
その痛みを感じながら、一度、深呼吸をした。
「チャコ……あのね、私も言わなきゃいけない事がある。」
チャコがようやく教えてくれた。
自分から友孝先輩の式神だって言ってくれた。
私はそれに胸が少し痛んだけれど、ちゃんと受け止められたと思う。
動揺せずにチャコと一緒にいられた自分。
だって知ってたから。
チャコが式神だって。
チャコの中ではそんな揺るがない私でいたいけれど、でもそれは違うから。
チャコは自分が汚いって言ってたけど、それは私だって同じ。
きっとチャコよりもっと汚い。
「チャコが式神だって事……知ってたよ。」
「……だよね。」
やっぱりかー、とチャコが息を吐く。
私はそれに小さく頷いて、ごめんね、と呟いた。
「でも、チャコには言えなかった。……言ったら、チャコとは仲良くできないんじゃないかって思ったから。」
「……そっか。」
「私……チャコと仲良くしたかった。楽しい事、いっぱいしたかったんだ。」
「……イヤじゃなかったの? 私、騙して近づいてきたんだよ?」
金色の目が伺うように私を見る。
「唯ちゃんが私の事知ってるのかなって思ったけど……でも、だったら仲良くしてくれる理由がわからなくて……。だから、やっぱり知らないのかなって。でも……。」
「うん。知ってた。……それでも、チャコと一緒にいたかった。」
チャコが途中で言葉を濁す。
私はそれに頷いて、言葉を重ねた。
「初めにチャコの事を知った時ね……やっぱり裏切られたって思ったよ。酷いって思った。」
チャコはウソをついてたんだって。
そう思えば思うほど、心が痛かった。
一緒にいた事が楽しかったから……余計に。
「……私、みんなで集まるのが好きだよ。友幸さんの家でゲームしたりお菓子食べたり。」
アイス食べに行ったり、プールに行ったり。
それが本当に楽しいから。
五度目の時、諦めなくて良かった。
欲張りで良かったって思う。
「だから、ウソとかホントとか。そういうのは置いとこうって。」
じっとこちらを見ている金色の目にふふって笑いかける。
「ウソだけの人も、ホントだけの人もいない。みんな色々抱えてて、それぞれの立場でやれることをしてる。」
そう。チャコだけじゃない。
私だってみんなだって人には言えない事がある。
「みんながウソをついているとして……でも今、こうしてみんなで集まって遊んでる。私はそれが好きだよ。これからも一緒にいたいなって思う。」
みんなとの日々がウソかどうかなんて重要じゃない。
「みんなの一面しか知らなくてもいいんだ。それが私にとって楽しくて、一緒にいたいと思ったなら、私はそれでいい。そんなみんなを信じる。」
誰かと一緒にいたいなら、その人を信じるしかない。
疑ったって、責めたって、どうしようもないんだ。
「チャコの事、知ってる。一面しか知らないのかもしれないけど……。でも、チャコが私をいっぱい笑顔にしてくれた。私をたくさん幸せにしてくれた。」
チャコが私を守ってくれてた。
私に笑いかけてくれてた。
隠し事が……ウソがあったからって、全ての日々を否定する必要なんてない。
「私はチャコと一緒にいたい。だから……チャコを信じる。」
精いっぱい笑ってみたけれど、ちょっと変になったかもしれない。
情けないよね。
どうして二度目の時、すぐにチャコを信じられなかったんだろう。
いつだって正しくて、すぐに正解を選び取れる。
そんな自分になりたかったよ。
私、間違ってばっかりだった。
遠回りして、やっとここまで辿り付けた。
「もう一人にしないよ。絶対に。」
絶対に。
絶対だよ。
思いをもっと伝えたくて、チャコが膝の前で組んでいた手をギュッと掴む。
チャコはそんな私をじっと見た後に、泣きそうな顔で笑った。
「……なんで、唯ちゃんがいてくれるんだろ。」
「……チャコがいてくれるからだよ。」
そして、またあの台詞。
私は仕方ないなぁって笑って、同じ言葉を繰り返す。
チャコはそれに小さく、うんって頷いた。
「唯ちゃん。……唯ちゃんに聞いて欲しいことがある。」
金色の目が不安そうにゆらゆら揺れて……。
だから、大丈夫って伝えたくて、手を握る力を強めた。
「チャコの事、なんでも教えて。……全部、信じるから。」
「うん……。」
私の言葉にチャコは小さく息を吐く。
そして、一度目を閉じた後、もう一度開いて私を見た。
「唯ちゃんに……秘密を聞いて欲しい。」




