すべてを手に入れる10
先生と話をした後、みんなの都合を聞いて、友幸さんの家に集まる日を決めた。
二学期が始まったばかりの放課後。
友幸さんの家には私、チャコ、鋼介君、先生、勇晴君が集まった。
友孝先輩は宣言通り、来ることはない。今頃は生徒会室で仕事をしているはずだ。
集まったみんなでリビングへ入り、ソファや床へと座る。
L字型の短い部分に友幸さんと先生が座り、長い方に私と勇晴君。
チャコと鋼介君は床に座って、コの字型になるようにティーテーブルを囲んだ。
そして、友幸さんを手伝ってお茶を運んだあと、先生が自分の体の事を話す。
時折、勇晴君や友幸さんが話を継ぎ足しながら、何も知らなかったチャコと鋼介君に教えていった。
「……じゃあ、兄貴はこのままだと暴走するのか?」
話を聞いていた鋼介君が信じられない、と呆然とした顔で先生を見上げる。
先生はそれにああ、と頷いた。
「生気もなるべく取らないようにしている。……けれど、この学校に勤めていれば、どうしても少しずつ生気を取ってしまうんだがな。ここにいる限り、もう先は長くないだろう。」
先生は組んだ足に手を置き、小さく息を吐く。
「人間が誰もいない山奥にでも行けば、少しは寿命も長くなるだろうが……。そんな生に魅力は感じなかった。」
先生は床に座っている鋼介君を見ながら話を進める。
その横にいるチャコは、驚いたように目を開き、先生をじっと見つめていた。
「勇晴には申し訳ないが、この学校で暴走しても、勇晴がいれば俺を止められる。生徒に被害が出る事もないだろう。だったらここで色々な物と関わりながら生きていきたいと思ったんだ。」
先生はチラリと私の横に座っている勇晴君を見た後、もう一度鋼介君に視線を戻した。
鋼介君は話を聞き、苦しそうに顔を歪めている。
「なんで、言ってくれなかったんだ……。」
低く小さな声が漏れた。
「俺がバカみたいだろ……。兄貴の事、きらってずっと突っかかって……っ。」
鋼介君の床に置かれている手が見ていて痛くなるほど、グッと握りこまれているのがわかった。
唸るようにして出てくる言葉は後悔の言葉で……。
「兄貴がそんな気持ちで生きてるって知らなかった……俺、最低だ……。」
低く呟かれる言葉は本当に苦しそうだ。
先生はそんな鋼介君を見て、ギュッと唇を噛むと、真摯な目で鋼介君を見た。
「俺も鋼介が苦しんでいるのをわかってやれなかった。……すまない。」
先生の言葉に鋼介君がハッと視線を上げる。
鋼介君と先生の視線が合う。
同じ琥珀色の目は二人ともつらそうで……。
鋼介君はゆらゆらと揺れる目で先生を見ていたが、やがて苦しそうに視線を外した。
二人の雰囲気に引きずられるように、みんなの間に沈黙が落ちる。
鋼介君も先生も。
お互いの事を知らなかった事を後悔してる。
知っていたら、もっと違う態度を取れた、違う事が出来たはずなのにって。
私は二人を見た後、グッと奥歯を噛み締めた。
そして、小さく言葉を発する。
「……二人とも、ようやくお互いの事がわかったばかりじゃないですか。」
沈黙の中、私の声だけがポツリと響いた。
「今からです。……これから、いくらでも変えていける。」
そうだよ。二人なら新しく関係を作っていける。
ちゃんと向き合って生きていけるはずだ。
「私は……二人の事、ずっと前から知ってました。でも、知らないフリをしてた。二人が苦しんでるって知ってたけど、助ける事ができなかった。」
私は二人とは違う。
二人が悩んでる事を知ってた。
知ってたのに何もできなかった。
何もしなかった。
グルグルと巡る後悔に胸がズキズキと痛んだ。
それに耐えるようにそっと目を伏せる。
私はいつだって自分の事で精いっぱいだったから。
「勇晴君だって先生を滅しないといけないなんて、つらいよね。でも、私、それも仕方ないのかなって思った時もあって……。」
五度目の時。
友幸さんが教えてくれたけど、もういいやって思ってしまった。
勇晴君は強いから大丈夫なんだろうって。
『勇晴君は強い』。
その言葉で私と勇晴君の間に線を引いた。
勇晴君がそうやって線を引かれる事を寂しがってるって知ってたのに。
「私、弱くて……。だからもうがんばりたくなかった。」
それでも良かったのかもしれない。
諦めたっていい。
がんばらなくたっていい。
だって、その先にだって未来がある。
みんな、悩みながらも生きていくんだって知ってる。
「でも、私、欲張りだったみたいで……。やっぱりみんなの事を助けたいなって。一緒に楽しい事したいなって。」
そう。私、欲張りだった。
諦めが悪かった。
何度も時を繰り返して。
失敗して。
みんなと関わり合っていく中で、ようやくここまでこれた。
私は小さく息を吐き、伏せていた目を上げる。
そして、みんなを見回して、無理やりにふふって笑った。
「鋼介君。先生が体の事を話したのはね、先生を助ける方法が見つかったからだよ。」
こちらを伺うように見ている鋼介君に大丈夫、と頷く。
「でね、先生を助けるとね、鋼介君の悩みも解消しちゃうんだよ。」
すごいよね? って笑うと、鋼介君の横にいるチャコがおー! って声を上げた。
「なんかすごそう。」
「うん。陰陽師と妖雲の巫女で考えたんだ。」
「わー。豪華な響き。」
チャコがにこにこ笑って、すごいすごいって言ってくれる。
それだけで、なんだか空気が柔らかくなったようだ。
「じゃあさ、今日はそのためにここに集まったの?」
「うん。先生を助けるためにチャコと鋼介君の力が必要なんだ。」
「なるほどー。だから、先生が自分の事話したのかー。」
ははぁってチャコが頷く。
私はそんなチャコに笑顔で返すと、隣に座る勇晴君を見た。
勇晴君は私の意図に気づいたようで、小さく頷き、助ける方法を話し出す。
「あー、じゃあ、助ける方法を言うぞ。」
そうして、勇晴君は鋼介君の力と身体の関係の事や、私の能力、チャコの必要性を交えながら説明していった。
チャコと鋼介君は驚きながらも、真剣に聞いてくれる。
時折、私や友幸さんが加わって説明をした。
そして、二人はこれから何をするのかを理解したようだった。
「うん。なんかあれだね。みんな大変だったねー……。」
チャコが鋼介君、先生、勇晴君を順番に見て、うんうんと頷いた。
鋼介君は未だ複雑な心があるようで、眉間に皺を寄せたまま床の一点をじっと見ている。
その肩をチャコがトントンって叩いた。
「鋼ちゃん、あれ、『出来損ないの狐』。あれってさ、全然違うね。」
「……チャコ?」
鋼介君が不審げな顔でチャコを見る。
チャコほそれにえへへって笑って返した。
「だって、鋼ちゃんの力が少ないのってさ、きっと今日のためにあったんだよ。」
ねー、って笑うチャコに鋼介君は泣きそうな顔をする。
チャコはそんな鋼介君の髪をグシャグシャってかき混ぜた。
「鋼ちゃん、いつもお腹すいててしんどかったんだよね。わかるよー。お腹すくのってつらいよねー。」
私もつらいよーってムムッて眉を顰める。
そして、鋼介君の頭から手を離して、先生を見た。
「先生もさ、長生きできないって知ってて、つらかったですよね。なのに大人の余裕があって、ホントすごいです。」
尊敬しますよーって悪戯っぽく笑う。
「勇ちゃんも、幕引き役って大変だったね。強いっていうのも考えものだよねー。」
勇晴君を見て、うんうんって頷いた。
そして、三人の顔を見回してえへへって笑う。
「みんなそんなの気にしなくてすみます。やったね!」
チャコがもう大丈夫って笑うから、なんだかああ、そうなんだなって胸がギュッと苦しくなった。
チャコがみんなの背中を押してくれる。
悩んだり苦しんだりしてるみんなに楽になっていいんだって、助かろうって。
「善は急げで、はやくやってみようよー。」
チャコが立ち上がって、やる気満々で肩を回す。
勇晴君はフッと鼻で笑って、チャコを見た。
「チャコ、この方法はお前が一番危ない。いいのか?」
「いいよいいよー。理事長いればなんとかなりそうだし。」
チャコがね? って友幸さんを見る。
友幸さんはああ、と頷いて、それを受けたチャコが満足気に笑った。
「先生は長生きする。鋼ちゃんはお腹いっぱいになる。勇ちゃんは滅さなくていい。すごいよねー。バッチリだー。」
「うん……みんながいればきっとうまくいく。」
「よーし、じゃあ、がんばろー。」
チャコの声を合図に、早速、これまで考えていた事の実践に入った。
まずは先生の力をチャコに移す。
先生と私とチャコと勇晴君で輪になるように手を繋いだ。
先生からチャコへと力を移動させるケーブルが私。
勇晴君は二人の力を見ながら、補助してくれるらしい。
先生からの力を私を通して、チャコに少しずつ渡していくようなイメージで続けていく。
繋いだ手が熱い。
私自身は生温い何かが自分の中を通って行くような不思議な感覚だけだったが、チャコはとても苦しかったようだ。
初めのうちは深呼吸をしながら、落ち着いた様子だったチャコがだんだんと息が荒くなる。
チラリと見たチャコはギュッと目を瞑り、何かに耐えるように苦しそうにしていた。
そんなチャコの様子に湧き出てくる不安を必死で抑えて、先生の力をチャコに移す作業に没頭する。
しばらくすると、勇晴君から声がかかった。
「よし、名波。もういい。」
それを合図に力を移すのをやめる。
苦しそうにハッハッと息を吐くチャコが心配で、すぐに駆け寄りたい。
だが、友幸さんが私に向かって小さく頷き、チャコの肩にそっと手をあてた。
「落ち着いて。深呼吸してごらん。」
「……っ……はーっ」
チャコは大丈夫。
不安を振り切るように自分自身にそれだけ言うと、先生の力に集中する。
先生も突然に力がなくなったことで、力が暴走するかもしれない。
それを抑えるために、私の力を送り込んでいく。
「先生、どうですか?」
「ああ……。そうだな、なんだか体がすごく軽くなった。」
「なるほど。普通は力が無くなれば、体が重くなりそうなもんだが、九尾兄は余ってる力を抑え付けなくていい分、逆に体が軽くなったように感じるのか。」
先生が不思議そうに自分の体を確認しているのを見て、勇晴君が目を光らせた。
今、楽しくて仕方ないのだろう。
「勇晴君。早く、チャコを。」
放っておけば、いつまでも先生を見ていそうな勇晴君を引っ張ってチャコの元へ行く。
チャコはソファに膝を立てて蹲り、苦しそうに唇を噛んでいた。
「友幸さん、チャコは?」
チャコの横に座り、背中に手を置いている友幸さんに話しかける。
友幸さんは心配そうにチャコを見て、私に小さく頷いた。
「今、かなり力が暴れている。私も力を送ってその流れを整えているんだけど、苦しそうだね。」
「勇晴君っ。」
「チャコ、大丈夫か? 次は鋼介にその力を移す。その時にチャコの中で力を変換するから、今よりもっと苦しいと思う。」
「えー……これより、しんどいのやだなー。」
チャコがハーハーと必死で深呼吸をして、ゆっくりと話す。
「でも……この力がずっと入っててもしんどいしなー。……ん。大丈夫。多分、まだ限界じゃないから。」
チャコは目をしっかりと閉じたまま、それでも笑っているような声を出した。
私は勇晴君と目配せをして、うん、と頷く。
どちらにしてもしんどいのなら、早く終わらせるのが一番だ。
ソファに座ったままのチャコの手を取り、反対の手はチャコを心配そうに見ていた鋼介君の手を取る。
勇晴君もソファの前に屈み、チャコと鋼介君の手を取った。
そして、先ほど先生にやっていたのと反対の事をやっていく。
チャコの中を探り、先ほど先生から移動させた力を見つける。
それはまだチャコの中には吸収されず、塊としてそこにあった。
そして、それを鋼介君の力と同じものにするイメージを持ちながら、鋼介君に移動していく。
途中、ヒッとチャコから小さな悲鳴が漏れたけれど、それに気を取られないように必死で集中した。
鋼介君からも、うーッといううめき声のようなものが聞こえたが、それも思考の隅においやる。
「よし、もういいぞ。」
勇晴君の声がして、ハッと目を開けた。
ソファに座っていたチャコは目を閉じたままだが、見るからに顔が青い。
そして、そのままグタッとソファに横たわった。
「チャコっ。」
「あー……。」
チャコの手を握ったまま、チャコに近づくと、横にいた友幸さんがチラリと鋼介君を見る。
「こっちは後でも大丈夫。まずは鋼介を。」
「……っはい、そうですね。」
友幸さんがチャコの背中に手を置いたのを見て、頷いてその場を離れる。
そして、鋼介君の元へと行った。
鋼介君は立ち上がり、ハーハーと荒い息を繰り返している。
「鋼介君、ちょっと力を抑えるよ。」
一言断ってから鋼介君の手を取り、鋼介君の中で暴れている力を抑えていく。
いずれ鋼介君も力を抑えられるようになるだろうが、今はまだ慣れないためか、上手く制御できないのだろう。
私が力を抑えていくと、荒かった息がだんだんと戻って来る。
ただ、その琥珀色の目に白い部分はなく、妖としての性が如実に表れてしまっていた。
「鋼介。名波が力を抑えたのがわかったか?」
「……ああ。」
「お前はこれから一人でこれをやらなくちゃいけない。で、お前はこれから俺と修行に行くぞ。」
「あ?」
鋼介君の琥珀色の目がギラリと光る。
いつもの鋼介君の目とは違うその殺気を受けても、勇晴君は楽しそうに笑った。
「いいな、それ。ゾクゾクする。」
「……だまれ。」
ある程度まで鋼介君の力を抑えた後でそっと手を離す。
未だに鋼介君は白目が作れていないが、力を抑え過ぎても修行にならないと勇晴君にあらかじめ言われていたのだ。
「鋼介君。鋼介君はこれからが一番大変だと思う。」
負けないで、とその琥珀色の目を見つめる。
すると、鋼介君はふっとその目を優しく細めた。
「大丈夫だ、名波。俺は今、生きてきた中で一番調子がいい。」
「うん……良かった。」
私が眉を顰めながら笑うと、勇晴君がフッと鼻で笑う。
「じゃあその調子でさっさとその力を制御しろ。行くぞ。」
そして、身を翻して玄関へと向かう。
早速修行へ行くようだ。
「いや、でも、チャコが……。」
「ダメだ。鋼介がここで暴走したら、チャコも暴走するかもしれない。」
鋼介君がチャコを気にして、勇晴君を追えないでいると、勇晴君が振り返って鋼介君を見る。
「チャコが気になるなら、さっさと力を抑えろ。」
「……っ、わかった。」
勇晴君の言葉に鋼介君は一度眉を顰めて、大きく息を吐いた。
そして、何かを決心したように前を向き、勇晴君の後を追う。
「……がんばれー。」
二人の話を聞いていたようで、チャコが苦しそうに、でも精いっぱい声を出した。
「ああ、行ってくる。」
鋼介君はそれだけ言うと、勇晴君と二人で部屋を出て行く。
私は二人の背中を見送ると、ソファに横になるチャコへと近づいた。
ソファの前に屈みこみ、、力なくソファに置かれているチャコの手を握る。
「チャコ……大丈夫?」
「んー……ちょっとしんどい。」
「そっか、何か欲しい物ある?」
「あー……冷やしたいから濡れタオル欲しい。」
「わかった。」
私がタオルを取ってこようと立ち上がろうとすると、友幸さんがそれを制す。
「私が行ってくるよ。もう、力自体は落ち着いているから。」
そう言って、ソファから立ち上がった。
どうやらもう、友幸さんが力を送る必要はないらしい。
友幸さんがいなくなった場所に入れ替わりで先生が座る。
先生は力を抜く前からあまり変化は見られず、いつも通りに見えた。
「先生はなんともないですか?」
「ああ。さっきも言った通り、体が軽くなったぐらいだ。」
「……長生きできそー?」
チャコが少しだけ目を開けて、先生を見る。
それは一瞬だけで、目の色までは見る事ができなかった。
先生はそんなチャコの問いにああ、と頷く。
「なんだか生まれ変わったみたいだ。……陳腐だが、世界が輝いて見えるな。」
「そっかー……良かったですねー。」
チャコがふっと息を吐いた。
なんだかその言葉には元気が無い。
疲れている所為なのか、それとも別の感情なのか。
私には判断できないけれど。
でも、その言葉はなんだかとても寂しそうで……。
私と先生が何も言えなくなっていると、チャコがさっと私の手を外す。
そして、グィッと体を横にした。
ソファ背もたれの方に顔を向けて、私や先生には背を向けたような形になる。
「唯ちゃんはさー……すごいよ。」
そして、掠れたような小さな声でボソリと呟いた。
チャコのその小さな声を聞き逃さないように、チャコの声に耳を傾ける。
「私?」
「うん。唯ちゃんが……みんなを引っ張っていく。」
「でも、みんながいなかったら何もできなかったよ?」
「……うん。……それでも。」
唯ちゃんはかっこいいよ。
チャコが小さな声でポツポツと呟く。
なんだかその背中がすごく小さく見えて、チャコの背中にそっと手を置いた。
先生もきっと何かを感じたのだろう。
チャコの頭にそっと手を添える。
「俺はもう消えない。」
そして、ゆっくりと諭すようにチャコに話しかけた。
「これからもずっと生きていく。」
先生の声は強くて、優しい。
「お前も来い。待ってる。」
その声にチャコは小さく体を震わせて……。
ギュッと体を縮こまらせてしまった。
私の事も先生の事も見ないチャコ。
きっと今。
ぐらぐらに揺れているんだろう。
そんなチャコの背中をそっと撫でた。
もう少し。
あと少し。




