すべてを手に入れる9
友孝先輩、勇晴君と話した後、私は九尾先生と話すべく、化学準備室を訪れた。
ノックをして、失礼します、と扉を開ける。
九尾先生以外の先生は帰ったようで、中にいるのは九尾先生だけだった。
「名波か。どうした?」
先生はイスに座り、何か作業をしていたようで、机の上に書類が広がっている。
扉の前に立つ私を見ると、書類をサッとひとまとめにした。
私はそんな先生を見つめてふふっと微笑んだ。
「先生。先生を助けに来ましたよ。」
私の言葉に先生が目を瞬かせる。
三度目の時。
先生に消える運命なんだって告白された。
だけど、そんな先生に私は『助けて』って言いました。
助けて欲しかったのは先生の方だったはずなのに。
「名波?」
「話があるんです。いいですか?」
「わかった。入って来い。」
先生が事務机から離れ、化学準備室の隅にある二人掛けの合皮のソファへと私を促す。
そして、先生はソファの対面にあるパイプイスへと腰かけた。
……放課後にこの部屋で先生と二人になるのは久しぶりだ。
なんだか懐かしい。
「先生。先生は力と身体のバランスが悪くて、暴走してしまうんですよね?」
「……ああ、そうだ。勇晴から聞いたのか?」
「そうですね。」
本当は先生に教えてもらったんだけど。
私は困惑したような目で見つめてくる先生に、少し首を傾げて、曖昧に答えた。
そして、その琥珀色の目をじっと見つめる。
「私、妖雲の巫女です。力を与えるだけじゃなくて、抑える事もできるんです。」
先生が教えてくれた。私にはこんな力もあるんだって。
そして、一緒に訓練してくれた。
「私が先生と一緒にいればなんとかなるのかもしれないけど……でも、もっと根本的な事で先生を助けることができないかなって。」
そう。先生の力を抑えるだけなら、私が先生の傍にずっといればいいだけだ。
でも、私も先生もお互いを縛るような事は望んでないと思うから。
「陰陽師と妖雲の巫女で暗躍してました。――先生を助けたいって。」
琥珀色の目が驚きに見開かれる。
私はそれにふふって微笑んで答えた。
『勇晴君と私』って言えば良かったんだけど、あえて『陰陽師と妖雲の巫女』と言った。
だって、本当は友孝先輩も手伝ってくれたから。
先生と鋼介君には伝えない、と言っていたけれど、これぐらいならいいよね。
「いっぱい考えたんですよ? それで見つけました。鋼介君とチャコ。私と勇晴君がいれば、上手くいきそうなんです。」
みんながいれば助けられる。
きっとうまくいく。
私の話を聞きながらも、先生の目は見開かれたまま。
突然の話にまだ信じられない気持ちでいっぱいなのだろう。
何かを考えるようにゆらゆらと揺れている先生の目は琥珀色だ。
とても優しい色だけど、時折、ひどく寂しそうで……。
それは一緒に生きていけない事を知っている目だった。
私は唇をギュッと噛む。
遅くなって、ごめんなさい。
ずっと先生の事を助けに来れなかった。
私がチャコを助けてって言った時、自分の身を犠牲にしてまでチャコを助けようとしてくれたのに。
あの時、先生が私に詳しい話をしてくれなかったのは、私の事を考えてくれたからですよね。
先生から方法を聞いたら、きっと私が迷ってしまうから。
上手くいった後も、先生を止めなかった事を後悔してしまうから。
だから、すべてを一人で背負って、チャコを助けようとしてくれた。
チャコが式神をやめて、楽しく生きていけるようにって。
私がチャコと一緒に笑って生きていけるようにって。
「先生、いっぱい長生きしましょう。この世で一番強い妖だから、みんなよりずっと長生きできると思いますよ。」
先生があの時やってくれた事がヒントになって、式神の契約を破棄する方法もわかりました。
あともう少しでチャコの事も助けられそうです。
だから、次は先生も一緒に。
「……いっぱい楽しい事しましょう。みんなでずっと一緒に生きていきましょう。」
もう先生だけが犠牲にならなくたっていい。
私がチャコを絶対に助けるから。
――先生も助かって下さい。
先生の琥珀色の目をじっと覗きこむ。
「私達が考えた方法、聞いてくれますか?」
ゆっくりと先生が頷くのを待って、私は友孝先輩と勇晴君との話を先生にも話した。
鋼介君の力と身体のバランスがおかしいこと。
先生と鋼介君の力の質が同じということ。
私がいれば先生の力を鋼介君に移動できるということ。
その際、一度チャコに移さなければならないこと。
先生は真剣にそれを聞いていたが、私が最後まで言い終わると、小さく息を吐いて、右手で前髪をかき上げた。
夕日を受けて、先生の金色の髪がキラキラと輝く。
私はそれをじっと見ながら、先生へ言葉を続けた。
「鋼介君は先生が先が長くない事、知ってるんですか?」
「……いや、鋼介には言っていない。」
「そうですか……。」
やはり鋼介君は知らなかったんだ。
きっと先生が長くない事を知れば、これまでのような態度は取らないだろう。
知らないからこそ、劣等感や飢餓感に苛まれ、先生に反発していたんだろうから。
「どうして、鋼介君に教えなかったんですか?」
家族なのに。
言う、言わないはそれぞれが決める事だとは思う。
けれど、知らないまま先生が滅せられしまえば、鋼介君はその後、どれだけ後悔するだろう。
私が少しの非難を込めて先生を見ると、先生はバツが悪そうな顔をした。
そして、前髪をかき上げていた手を下ろし、フッと自嘲気味に笑う。
「格好悪いだろ。兄の方が力に負けて自我が無くなりそうになってるなんて。」
「……それが理由ですか?」
「……兄としては重大な問題だ。」
先生の言葉に驚いて、目を丸くする。
先生はそんな私の顔を見て、苦笑を浮かべた。
「鋼介に言っても解決するわけじゃないしな。気にされるのも疲れるだろ。」
そして、はぁと息を吐く。
「ただ……鋼介も力と身体のバランスが悪いなら、もっと早く言ってやれば良かったな。」
「そうですね……。先生も苦しんでるって知れば、鋼介君ももう少し楽だったかもしれませんね。」
「……言えないだろ。かっこつけてる兄が実は死にかけだぞ。」
「言って下さいよ……。」
先生の拗ねたような口調に思わず呆れたような声を出してしまった。
そして、まじまじと先生を見る。
サラサラの金髪は光を弾き、琥珀色の目は大人の余裕を感じさせる。
グレーのスーツは体にフィットしており、薄いブルーのシャツと細いネイビータイがとても良く似合っていた。
ふむふむと観察していると、先生が困ったように笑った。
それにふふって笑って返す。
「先生ってかっこつけだったんですね?」
チラッと上目遣いで見ると、先生はあー、と視線を天井に向けた。
「先生、かっこつけもいいですけど、少しはみんなに助けを求めてください。……みんな結構強いですから。」
「……そうだな。」
天井を見ていた視線が私に戻り、その目が優しく細まる。
私はそれに絶対ですよ? と上目遣いでチロッと先生を見た。
三度目の時。
私が弱かったから、先生は一人で背負ってくれた。
私、あの時よりは強くなったから。
先生一人がかっこつけなくても、私も少しは背負えると思います。
「先生を助けるためには鋼介君にもチャコにも先生の事は話さないといけません。」
「ああ。」
「私から言ってもいいんですけど……。多分、先生が直接二人に言った方がいいんじゃないかなって思うんです。」
先生の事を考えたら、二人に言わずに助けられる方法が良かったのかもしれない。
けれど、二人の力を借りないと先生は助けられないから。
先生の事情を話さなければならない。
それはきっと、先生にとっては勇気がいる事だろうと思う。
誰だって自分の弱味を話したくないはず。
私がじっと先生を見つめていると、先生は大丈夫だ、と頷いた。
「ああ、俺から話す。」
だから名波は気にするな、と先生は笑ってくれる。
こんな時でもやっぱり先生はかっこつけなんだなって思うと、ふふって笑いが漏れてしまった。
「今までずっとかっこつけてたのにすみません。」
「言うな、名波。」
「よりにもよって鋼介君とチャコに話さなくちゃいけなくなってすみません。」
「名波。」
先生がコチラをチラリと睨んで、やれやれと息を吐く。
私はそんな先生が面白くて、あははって笑ってしまった。
「先生って強くて優しくて、大人だなぁって思ってたんですけど、可愛い所もあるんですね。」
そうだよね。
先生だってまだまだ若いんだ。
きっと力が暴走するのだって怖くて仕方ないはずだ。
「良かったです。先生を助ける方法がわかって。……まだ、やってみないとわかりませんけど、もしダメでも他の方法を探しますから。」
「……すまない。」
先生が目を閉じて小さく息を吐く。
私はそれに曖昧に笑って答えると、一度先生から視線を外した。
そして、一度目を閉じた後、ゆっくりと先生と目を合わす。
「先生、チャコは先生と同じなんです。」
「友永が?」
「はい。チャコは……未来を見てないんです。」
そう。チャコは今を生きてる。
……今しか生きてない。
「……そうだな。俺と同じ目をしてる。」
先生も思い当たる所があるのだろう、小さく頷いて答えてくれた。
その琥珀色の目は強くて、優しい。
「だから、まずは先生が助かって下さい。」
その目を縋るように見つめてしまう。
「……チャコに未来を見せて下さい。」
また、頼ってしまってごめんなさい。
私がギュッと唇を噛むと先生がポンッて優しく私の頭を手を置いた。
「わかった。……俺と鋼介が先に進めばいいんだな。」
「はい。お願いします。」
「任せとけ。」
窓からの逆光を受けて、先生の金色の髪がキラキラと光る。
琥珀色の目が挑戦的に輝いた。
「まあ、俺は助けられるだけだけどな。」
そう、小さく付け加えた先生が面白くて、ちょっと笑ってしまった。




