すべてを手に入れる6
前世ってなんだろう。
輪廻転生があって、魂がぐるぐるといろんな物になりながら時を巡る。
チャコはハイキングに行ったって言ってたから、チャコの前世は人間だったのかもしれない。
チャコが前世の事を言った時に、もっと詳しく聞けばよかったんだけど、あの時はそんな事聞けなかった。
チャコの手がずっと震えていたから。
何かを怖がってた。
必死に強がって、山を登ろうとしてた。
チャコがあんなに動揺しているのは珍しくて……。
いつもなら答えてくれなかったと思う。
えへへって笑って誤魔化されてたはずだ。
動揺しているチャコを逃さず、ようやく聞き出せたのが前世の事だった。
それを聞いて、ようやくチャコが怯えている理由が少しわかった気がする。
前世を覚えているというのは、死ぬときの事を覚えているって事だ。
それってどんな気持ちだろう。
私には想像することしかできなくて……。
もっとちゃんとチャコに伝えられたらよかったのに、私は少ししか言葉をかけられなかった。
大丈夫だよ、怖くないよって。
精いっぱい伝えたつもりだけど、それが正しかったのかもわからない。
でも、チャコの心が少しだけ動いたような気がしたから。
私は私のするべき事をがんばろうって思う。
楽しく学校生活を過ごし、あっという間に夏休みが来る。
前は行くことができなかったプールにみんなで行った。
チャコと一緒のプールは本当に楽しくて……。
ずっといたいと思ったけど、私にはやらなくてはいけない事がある。
行かないでーというチャコに手を振って、一度家に帰った。
そして、制服に着替え、学校へ。
生徒会室には何人かいて、黙々と生徒会活動をした。
そうして、夕方までがんばっていると、生徒会室には私と友孝先輩だけが取り残される。
まだまだ沈みそうもない太陽が生徒会室を照らし、エアコンの風がそよそよとそよいだ。
「今日、みんなでプールに行ってきました。」
「プールに?」
「はい。すごく楽しかったですよ。」
私は机の上のプリントを片付けながら、友孝先輩に話しかける。
友孝先輩は驚いたように私を見た。
「でも、お昼過ぎにはここにいただろう? 今日ぐらい休めば良かったのに。」
「そうですよね。……でも、先輩と話さないといけないな、と思って。」
ボールペンを右の引き出しに戻し、プリントを入れたファイルを左の引き出しに入れる。
これで片付けは終わりだ。
きれいになった机の上に手を置いて、私はじっと友孝先輩を見た。
友孝先輩は口角を少しだけ上げて、こちらを見返す。
「私と話?」
「はい。……先輩って妖が好きですよね。」
「……ああ、そうだね。」
「私、今日、チャコと鋼介君と勇晴君と。四人でプールに行ってきました。」
友孝先輩はそれが何か? と表情を変えずに私を見ていた。
……でも、その瞳に炎が上がってる。
「チャコ、すごい楽しそうでしたよ。私が先に帰っちゃったから、今は男の子二人に囲まれてます。……いいんですか?」
「……何が?」
「鋼介君はチャコが好きですよ。たぶん間違いない。勇晴君はそんな事ないと思いますけど、チャコは勇晴君といると子供になったみたいに、悪戯ばっかりしてます。きっと一緒にいて楽しいんだろうなって思いますよ。」
「それで?」
「友孝先輩。いいんですか?」
もう一度、同じ言葉をかける。
友孝先輩の瞳に上がる炎をしっかりと見つめて。
「先輩の式神なのに、先輩が一緒じゃなくて。」
その言葉を言った瞬間、友孝先輩の目が見開かれる。
しかし、すぐにスッと細まり、口元に笑みを浮かべて楽しそうに私を見た。
「……チャコが言ったわけじゃないんだろう?」
「はい。チャコは言ってません。強情ですから。ちゃんと先輩の言う事を守ってますよ。式神として私と仲良くして、私が……妖雲の巫女が妖と仲良くなりすぎないように、自分が好かれるように気を配ってって。」
チャコと鋼介君の事を思い出して、ちょっと笑う。
無駄に近づいてみたり、悪戯っぽく笑ってドキドキするような事を言ってみたり。
その度に赤くなって狼狽する鋼介君はなかなか楽しい。
「……そこまで知っていて、なぜ狐に伝えない?」
「だって、鋼介君や先生に伝えても私にメリットがないですからね。」
小さく笑っている私に友孝先輩が射るような眼差しを送る。
私はそれを正面で受け止めて、更にふふっと笑った。
「先輩。私って嫌な女なんです。私ががんばって得た情報をどうして他の人に伝えなきゃいけないんですか? 鋼介君や先生が何か知りたいなら、チャコに直接聞いてみればいい。自分で動いて、自分で掴みとればいいんです。私はそれを応援したり手助けしたりしない。」
こうして口に出してみると、自分の嫌な部分が露骨に出てくる。
ああ、私って本当に嫌な女だなって、溜息をついて目を閉じたくなる。
でも、私はまっすぐ友孝先輩を見た。
だって、そんな私を選んだのは私自身だから。
「君は……いつから知っていた?」
「ずっとずっと前からですよ。」
ちなみに教えてくれたのは先輩ですよ?
友孝先輩を見つめたまま、口角だけ上げて笑う。
先輩の目には少しの困惑があって……。
「なぜ、チャコに言わない?」
「そんなの決まってますよ。」
なぜチャコに言わないのか、なぜ傍にいるのか。
「……だって仲良くなる前にそれを伝えたら、チャコが消えてしまう。計画が上手くいってないと知った先輩がチャコを学校から消してしまうから。」
四度目。初めて勇晴君と仲良くなったあの時。
チャコは夏休みにいなくなり、バレンタインまで姿を現さなかった。
何もできなかったあの時みたいなのはもう二度と繰り返さない。
「チャコはなんかおかしいな、と思ってる。でも、私には聞いてこない。先輩もまさか私が知っているとは思わなかった。だから、私が式神だと知っている事を言わずに、チャコと仲良くなりました。いっぱい楽しい事をして、いろんな人と関わってもらって。」
チャコが友孝先輩に私に近付けと言われているなら好都合だ。
それを利用すればいい。
私といるとどんなに楽しいか、チャコに思い知らせる。
「――私と一緒にいたいって思ってもらえるように。」
私はチャコと一緒に楽しい事をいっぱいやった。
私だけじゃ足りないかもしれないから、鋼介君も勇晴君も。先生も友幸さんもみんな巻き込んだ。
「チャコは今の場所が気に入ってると思います。少しずつ心を開いてくれてるって感じる事もあります。」
すぐに心を隠してしまい、人と向き合う事をしないチャコ。
ハイキングの時、ようやく少しだけ向き合えた気がした。
これから。ようやくチャコの心に手が届く。
「でも、このままじゃ、まだまだなんです。」
私はグッと目に力を入れて、友孝先輩を見た。
紺色の瞳は私を警戒するように揺れている。
「……先輩はずるい。」
「私がずるい?」
「そうです。先輩はずるいです。私達より先にチャコを見つけて、私達と出会う前にチャコを手に入れて。」
そうだよ。ずるいよ。
「私がチャコといっぱい楽しい事をして、チャコが私と一緒にいたいって思ったとしても。先輩が一言、『行くよ』って言えば、チャコは私からすぐに離れてしまいます。」
友孝先輩の命令は絶対だ。
どんなにあがいたところで、私は友孝先輩に勝てない。
「それは鋼介君でも先生でも。……勇晴君でも、友幸さんでも。初めから勝負になってない。先輩の不戦勝です。」
そう。チャコの一番は友孝先輩。
ずっと前から。
そして今も。
「だから私、先輩とチャコの契約を壊しますから。」
「……式神の契約は一生だよ。」
「そうです。一生です。」
その言葉。前に先輩から聞きました。
「でも知ってますか? チャコって今すでに二回目の生を生きてるらしいですよ?」
前世があるらしいですよ。
知らないでしょう? と言外に乗せて、ふふっと笑う。
「私はチャコをもう一度、生まれ変わらせます。」
式神の契約は一生。
だけど、先生が見せてくれて、勇晴君が考えてくれた。
チャコの体を消せばいい。
もう一度、チャコに新たな生を与えればいいんだ。
「……でも、その前に私がチャコを隠してしまえば、君たちには手も足も出ない。」
そうだ。先輩はもうチャコを手に入れてる。
チャコを抱えて、閉じ込めて。みんなから引き離せばいいだけだ。
友孝先輩のその言葉にも、私は目を逸らさない。
友孝先輩はそんな私を見て、苦しそうに顔を歪めた。
「チャコは私のものだ。」
紺色の瞳に炎がある。
激しくそれが燃えている。
私はその瞳を見つめて、グッと唇を噛んだ後、口を開いた。
「チャコは……私が助けます。」
なんてきれいな言葉の響きだろう。
だけど、私はその言葉が持つ汚さをもう知っている。
助ける、なんて字面だけ。
その実は友孝先輩からチャコを取り上げて、傷つける行為をするということだ。
誰かを傷つけて、自分の目的を果たす。
それで構わない。
この四年間、ずっとずっとそうしてきた。
チャコのためなら、他の人が傷ついたって構わない。
だって。
だって――
『チャコは私のものだ』
――私の心も、そう言ってる。
「先輩。私の目にも炎が見えますか? ……先輩と同じです。チャコを閉じ込めて、縛りつけて。チャコの気持ちなんか考えないで、ずっとそばにいて欲しい。」
汚いな。
嫌な女だな、私。
「私の力、かなり強くなりました。……本気で願えば、式神の契約ぐらい破棄できるんじゃないかって思うんです。」
今までは、自分の願いがわからなかったから。
時を遡る、なんて事をしてるくせに、チャコを奪いたい、なんて本気で思った事なんかなかった。
でも、今は違う。きっと心から願える。
式神から解放して、ずっとチャコが私の傍にいるようにって。
「でも、それじゃダメなんだって……。チャコの事はチャコ自身で決めるべきなんだって。」
そう。私が手を引っ張っていけるのは、山の頂上まで。
その後、チャコが誰と下りるかは、チャコが決める。
……私じゃない。
自分の言葉に自分で傷つき、胸がズキズキと痛んだ。
それに耐えながら、言葉を続ける。
「チャコは誰かの犠牲の上に立つのが嫌なんだと思うんです。」
チャコに生きて欲しくて、友孝先輩は自分を食うように言った。
でも、チャコはそれをせずに、自分が消える事を選んだ。
先生の時だってそうだ。
先生の身体で生きる事が出来たのに、チャコは先生と入れ替わって自分が眠る事を選んだんだ。
「チャコは今の生を楽しんでない。」
私は友孝先輩をしっかりと見た。
私の言葉で傷つく、その人を。
「……私には先輩の式神でいるチャコが幸せには見えない。」
私の言葉に友孝先輩はより苦しそうに顔を歪めた。
紺色の瞳の中に燃えていた炎が、暴風を受けたかのように激しく揺れている。
「先輩。私はチャコがちゃんと受け入れられるような形で、式神の契約を解除できる道を探します。」
チャコの悩みを聞いて。チャコが苦しんでいる事を聞いて。
チャコはどうしたいのか。何がしたいのか。
チャコの願いを聞くんだ。
そうしたらようやく、チャコがこの世界で生きてくれる気がするから。
「……先輩にはチャコの手を離して欲しい。」
ずっと掴んでいるその手を。
友孝先輩から離して欲しい。
「私、チャコにはずっと笑ってて欲しいんです。」
ひどい願いだ。
せっかく友孝先輩が手に入れた物なのに。
「だから、私は無理やり奪うような事はしません。……きっと、チャコは笑わないから。」
そうだ。無理やり奪うような事はしない。
友孝先輩が自発的にチャコの手を離すように促す。
――これが私の選んだ方法。
友孝先輩は私の言葉に顔を伏せて、右手で顔を覆った。
褐色の前髪がさらりと顔に落ち、影を作る。
この人を苦しめているのは私だ。
私がチャコへの想いを理解させて……。
それなのに、それを手放せと迫っている。
私は友孝先輩の顔をじっと見た。
私は目を逸らさない。
これが私の願った事だから。
「先輩、チャコに会いに行きましょう。」
イスに座っている友孝先輩に近づき、その左手をぎゅっと握る。
チャコ達にはプールが終わったら、友幸さんの家で待っていてくれるように頼んだ。
きっともう待ってくれている。
「ここで私達二人で勝手にチャコの事を話してますけど、チャコは私達がいなくてもふつうに楽しく過ごしてると思いますよ?」
驚いたようにこちらを見る友孝先輩にふふっと笑って、その手を引っ張った。
無理やり立たされたような形になった友孝先輩は動くこともせず、立ち尽くしている。
でも、私はそんな友孝先輩を気にすることなく、手を持ったまま歩き始めた。
「そんなチャコに、なんでよ、って思う時もあるんですけどね。……でも、チャコが楽しそうに笑ってたら、まあいいかって思っちゃいますから。」
「……強引だね。」
「仕方ないです。待ってるだけだと、逃げちゃいますからね。」
さあ、行きましょう、と戸惑う友孝先輩の手を引いて、友幸さんの家へと向かう。
そこにはチャコと鋼介君と勇晴君がいて、三人でゲームをしていた。
プールが終わった後、裏門から入り、私服のまま友幸さんの家にいたらしい。
まさか私が友孝先輩を連れてくるとは思わなかったのだろう。
三人ともとても驚いていた。
……まあ、勇晴君は呆れていると言った方が正しいかもしれないけど。
チャコと鋼介君と勇晴君はそのままソファへ。
私と友孝先輩は少し離れているダイニングテーブルのイスへと座った。
理事長の家が大きいから、LDKは広く、ソファのあるリビングと私達が座っているダイニングとでは別の空間のようだ。
ダイニングから見ると、ちょうど三人はこちらに背を向けているような形になる。
「友孝。よく見るんだよ。あの子を連れて来たのは君だ。」
キッチンで私達二人分のお茶を入れてくれていた友幸さんがお茶を置きながら、友孝先輩の前へ座る。
友孝先輩は、はい、と頷くと、じっとチャコの後ろ姿を見ていた。
チャコ達はサイコロを振って、ミニゲームをしながらスターを集めるゲームをしている。
最初は友孝先輩を気にしていたようなチャコだったのに、そのうちゲームに熱中し始めたようで、鋼介君や勇晴君とじゃれながら、楽しそうにしていた。
しばらく三人の後ろ姿を何も言わずに見つめ続ける。
……チャコ楽しそうだな。
先輩に美少女の笑みを浮かべてたのに、もう普通に笑ってる。
三人の後ろ姿は、掃き出し窓から入る夏の光を浴びてキラキラと光っていた。
「……チャコ、先輩の事忘れてるんですかね。」
「……だろうね。」
チャコのなんとも現金なその後ろ姿に、友孝先輩よりも私の方が苦い顔をしてしまう。
気にして欲しいわけではないけれど、もう少し美少女を維持するのかな、と思っていたのに。
「……プールで私にあんなに『行かないでー』って言ったのに、普通に楽しそうです。」
「……そうだね。」
「チャコってそういう所ありますよね。」
「そうだね……。」
私が仕方ないな、と小さく息を吐きながら言うと、友孝先輩も小さく息を吐いた。
そして、チャコの後ろ姿を見ていた目を離し、私の方を見る。
「そろそろ戻るよ。」
「はい。私も一緒に行きます。」
友孝先輩と一緒に三人の後ろ姿を見ていたのは三十分ぐらいだと思う。
きっと、友孝先輩がチャコの普段の姿を見るには十分な時間だったのだろう。
イスから立ち上がり、みんなと別れの挨拶をして、家を出た。
友孝先輩の後ろをついて行っていると、ふと、友孝先輩が足を止める。
そして、ゆっくりと振り返った。
「……君が式神の契約を解除する方法を探す事は止めない。」
私はその言葉に小さく頷く。
「チャコに学校をやめさせる事もしないし、チャコへの命令を変えることもしない。」
友孝先輩がその言葉に後、ぎゅっと唇を噛む。
そして、私を見ていた目をそっと逸らした。
「ただ……式神の契約を解除する方法がわかった所で、君の言う通りにするという約束はできない。」
「はい。十分です。」
……今は、それで。
友孝先輩が悩んで、少し進んでくれたのは本当だ。
初めから全てをしてもらえるとは思っていない。
「今は式神の契約を解除する方法も見つけてないですから。」
時間はあります、と告げれば、友孝先輩は目を伏せて小さく息を吐いた。
そして、体を生徒会室の方へ向けると、また歩き始める。
私はその背中を追いながら、小さく呟いた。
「まだ途中ですから……。」
夏の太陽はまだまだ落ちる気配はなくて。
蝉がうるさい中、友孝先輩と二人でグラウンドを歩いた。




