すべてを手に入れる4
生徒会が終わり、教室に戻ると、チャコがぶすっとした顔でイスに座っていた。
どうやら一緒に帰ろうと待ってくれていたようだ。
私が教室に入ると、むむっと顔を顰めたままで私を見る。
『私、怒ってるんですからねー』と言いたげなその表情がおもしろくて、ふっと笑みがこぼれてしまった。
「唯ちゃん! 笑いごとじゃないよ!」
「ごめん、ごめん。」
「まさか唯ちゃんに裏切られるとは思わなかったー。」
大変だったんだよ? と恨めし気にこちらを見る視線が可愛くて、余計に笑みが深くなる。
「ごめんって。それでさ、どうだった?」
「あー、なんか先生がカメラ貸してくれるって。」
「そっか、良かったね。」
「うん、なんか申し訳ないけど……ありがたいよねー。」
照れくさそうに笑うチャコの髪がサラリと揺れた。
カバンを持ち、イスから立ち上がったチャコと連れ立って教室を出る。
「ねね、九尾兄弟って仲が悪いんじゃなかったっけー?」
「うーん、どうなんだろ。今日はどうだったの?」
「そうだなー……なんか思ってたのと違う。」
うーんと首を傾げながら、チャコが言葉を続けた。
「鋼ちゃんはね、なんか不機嫌そうでちょっとした事で突っかかって行くんだよ。で、先生も先生で煽るような事ばっかり言うわけ。」
「うん。」
「でもさ、はたから見てたら……まあ、喧嘩するほど仲がいいっていうか。」
悩みながら話すチャコになるほど、と頷き返す。
きっと先生は鋼介君の事を嫌ってはいない。鋼介君だって先生を嫌いなわけではないんだろう。
ただ少しずつ行き違っている。
触れ合う時間が増えれば、共通の何かがあれば、二人の関係は変わると思う。
私が二人の関係を思い、真剣な顔をしていると、チャコは突然、えへへっと笑った。
「最初は適当に仲を取り持とうと思ったんだけど、だんだんめんどくさくなってねー。」
他人の兄弟喧嘩とかどうでもいいよね? と笑いながら、結構ひどい事を言う。
私はそんなチャコを見て、ぷっと笑いが漏れた。
「二人とも普通に仲良しに見えるんだよ。でも、いちいちうるさいし、話進まないし。」
はぁとチャコが息をつく。
「だからね、『兄弟っていいですね……。私にはそういうのできないから。』って、悲しく微笑みながら言ったんだ。」
深いブルーの目が悪戯っぽく輝く。
私はその目にうんうんと頷いた。
きっと、チャコのそれはすごく効果的だっただろう。
好きな子が自分たちのせいで悲しそうな顔をする。
私はその時を想像して、口が勝手に笑ってしまう。
鋼介君も先生もすごく焦ったはずだ。
「あー、その場面見たかったなぁ。二人とも焦ってた?」
「うん。それでようやく二人とも静かになったからね。お、これは効くなって思った。」
「チャコの悲しい微笑みとか最強だよね。」
「そうみたい。だからね、これから二人にはそういう感じに接しようと思う。」
「ん? どんな感じ?」
「仲良くしてくれないと、チャコ泣いちゃうってヤツ。」
「なにそれ。」
チャコの言い方が面白くて、あははって笑った。
ああ、手玉に取られてる鋼介君と先生、すごく面白いんだろうな。見てみたいな。
夕日を背に受けて歩く帰り道は、ずっと笑い声で溢れていた。
そうして、鋼介君や勇晴君とクラスで過ごし、先生と部活をする。
みんなと一緒にチャコと過ごしているとあっという間に時間がたった。
そして、最初の学校行事、クラスマッチだ。
「兄貴のクラスには絶対に勝つ!」
お揃いのクラスTシャツを着て、クラス全員で円陣組む。
みんなに気合を入れるように鋼介君が中心に向って叫ぶと、勇晴君がフッと鼻で笑った。
「すげー個人的な理由。」
「うるさい!」
「そうだよー。個人的でもいい! 九尾先生をぎゃふんと言わそう! そしてアイスを奢ってもらおう!」
勇晴君の突っ込みにチャコが大きい声を出す。
その即物的なかけ声に、円陣を組んでいるクラスメートが笑った。
「アイス奢ってもらえるの、写真部のヤツだけだろ。」
このクラスにはまったく利点がない、と勇晴君が突っ込む。
しかし、そんな勇晴君の言葉にチャコはふふんと笑って、クラスメートを見回した。
「なんと、表彰台まで行けば、うちの担任がジュースを奢ってくれるそうです!」
「いや、ジュースぐらいでやる気が出るヤツなんかいない。チャコだけだ。」
「そんな事ないよー。みんなだってジュース欲しいよねー?」
勇晴君の鼻で笑う対応にチャコがクラスメートをきょろきょろと見る。
クラスメートはそれに曖昧に笑ったり、ジュースいいよね、とか適当な言葉を口々に話した。
せっかく円陣を組んでいるのに、ぐだぐだになってきてる。
「あー! とにかく、負けるより勝つ方がいいだろ!」
そんな笑いが零れてしまう円陣を鋼介君が締め直す。
「勝つぞ!」
その言葉にみんなでおー! と声を出し、気合を入れた。
なんてことないクラスマッチだけど、みんなで声を出して、一つの事に向かっている感じが胸を高揚させる。
クラスメートは笑顔だったり、照れくさそうだったり、真剣だったり、めんどくさそうだったり色々だけど、心がいつもよりドキドキするのはきっと同じなんだろうと思う。
円陣を解散し、それぞれが自分の試合場所へと歩みを進める。
チャコは教室を出ていくクラスメートに、アイス! ジュース! と言いながら、発破をかけていた。
そんなチャコに鋼介君が近づいていく。
「チャコ、絶対勝てよ。」
「わかってるよー、鋼ちゃん。……こっちには唯ちゃんがいるからね。」
「名波?」
チャコの誇らしげな顔に不思議そうに鋼介君が私を見る。
私はそれに意味深な笑いで返しながら、二人に近づいた。
「私ってすごいからね。」
「そう、唯ちゃんってすごいから。」
私の言葉に、チャコが神妙に頷く。
「運動能力がすごいんだよ。……それに、ダメだって思ったら、Tシャツを胸の下で結んでもらってー。へそだしを……。」
「向こうの妖が名波に惹きつけられて、まともに動けなくなるのか。」
チャコの言葉に鋼介君がなるほど、と呟いた。
そして、私を真剣な顔で見る。
「もし、負けそうになったら――やれ。」
「……わかった。やる。」
私はその真剣な顔を見返しながら、うんと頷いた。
私やるよ。チャコのアイスとジュースのために!
「かっこいい! かっこいいよ、唯ちゃん! 歴戦の覇者みたい! ……わかった、私も!」
感動した顔のチャコが私もやる! とTシャツをめくりだす。
チャコの行動に鋼介君はぎょっとした後、途端に焦り始めた。
「っ、なんでだよ! なんでチャコが。」
「だって、唯ちゃん、一人にさせるわけには……。」
「いいからっ!」
とりあえず、今はやめろ! とチャコがめくろうとしていたTシャツを下に引っ張る。
チャコはそれに、えーと不満の顔を浮かべた。
「唯ちゃんがこんなにかっこいいんだよ? 私もかっこよくやらなきゃ!」
「チャコがやっても意味無いだろ! 」
「意味あるよ! 私だって結構かわいいからねー」
「そうだね。チャコはかわいいよね。」
二人のやりとりに、私はうんうんと頷く。
そこに勇晴君がやってきて、にやにやと笑った。
「そうだ。やれよチャコ。二人ともやればいい。俺は嬉しい。」
「何言ってんだ、お前……。」
あー! と髪をかき混ぜて、鋼介君が据わった目で勇晴君を見る。
勇晴君はそれを余裕の表情で見返す。
「ダメだ、とにかくチャコはダメだ。」
「えー。でも唯ちゃんだけにさせるわけには……。」
「わかったから! 名波もやるな! ……女子バスケが負けたっていい。俺達がその分、勝つから。」
うーと唸るように言葉を出し、ギッと勇晴君を睨む。
「いいか、サッカーは全勝する。」
「いや、無理だろ。二年も三年もいるんだ。」
「勝つ。お前が本気だせば、絶対勝てる。」
「……まあ、俺は強いからな。」
鋼介君の言葉に勇晴君はきらりと瞳を輝かせた。
そして、鋼介君は、行くぞ、と目を据わらせて、勇晴君とグラウンドへ向かう。
その背中は闘志に燃えていて……。
チャコと二人で顔を見合せて、あははっと笑った。
結局、クラスマッチは二年生、三年生がいる中で、総合で二位になった。
女子バスケはへそを出す事もなく一位に。男子サッカーも鋼介君と勇晴君のコンビが活躍し、一位になった。
そして、相変わらず、修行すればするだけ伸びていく私の能力により、女子リレーも一位だ。
もちろん、九尾先生のクラスには圧勝。
担任はチャコに急かされ、クラス全員分のジュースを奢らされ、九尾先生はなぜか写真部全員にアイスを奢らされていた。
今日はそんな楽しかったクラスマッチの反省会である。
前と同じように、男子の妖と人間の競技についての議論になり、私が妖リレーを提案する。
たちまち会議は盛り上がり、新競技についての話になった。
それだけ盛り上がった会議だけど、友孝先輩は相変わらず、あまり関わらない。
時間が来た所で手早く意見をまとめ、会議を解散させた、
夕焼けの中、開いていた窓を閉めながら、友孝先輩を見る。
今日の会議についての書類でも書いているのか、机に座って何かを書き込んでいた。
「先輩。妖リレー楽しみですね。」
ふふっと笑いながら話しかける。
友孝先輩は曖昧な笑いを浮かべて、私を見返した。
「妖リレーね……。まあ、来年本当にやっている可能性は低いと思うけどね。」
友孝先輩が私の頭を冷やすように、言葉を発する。
ああ……この感じ。懐かしいな。
『新しい事をするにはパワーが必要』
そういう事なんですよね、先輩。
「そうですよね。今の役員の人がもう一度役員をやってくれるとは限らないし、来年まで今の熱が持つとも思えないです。」
「……ああ。」
私の冷静な言葉が以外だったのか、友孝先輩は少し驚いたような顔をする。
その顔に私は悪戯っぽく笑った。
「でも、先輩。先輩は来年も生徒会長です。そして、私も役員やってます。やる気のありそうな役員の人には来年もやってもらえるように頼んでみます。」
だって、今日。こんなにも盛り上がったんだ。
みんな、妖のすごい所を見たいって思ってる。
妖だってすごい所を見せたいって思ってる。
妖って人間と違うんだな、すごいなって。
みんな知ってるだろうけど、それを体感できる物があったっていいと思うから。
「これから後一年ありますから。準備をしていけば、来年できると思うんです。」
クラスマッチの委員はこれが終わればほとんどやることはない。
もちろん今日で終わりだと思ったから、役員を引き受けてくれた人もいっぱいいると思う。
来年のために手伝って欲しいと言った所で、何人が手伝ってくれるかわからない。
でも、きっと、手伝ってくれる人もいると思うから。
「私、妖リレーやりたいんですよね。……どうしても。」
だから先輩。
一緒に新しい事、やりましょうよ。
じっと友孝先輩を見れば、先輩はスッと目を細める。
「……君がそこまで動いて、妖リレーをするメリットがあるだろうか。」
「メリットですか? ……ありますよ。」
友孝先輩の紺色の瞳が妖しく光った。
私はその瞳から目を逸らさず、ふふっと笑う。
「私、妖が大好きなんです。妖がみんなに応援されて、かっこよく活躍している所を見れるなら、それで十分です。」
そう。私がただかっこいい妖を見たいだけだから。
そんな私の答えを聞いて、友孝先輩が片方だけ口角を上げた。
そうだった。妖の事を話す時の友孝先輩はこんな感じだったな。
王子様のような笑顔とは違う、歪んだ笑み。
「妖を好き……か。変わってるね。」
その笑みを浮かべたまま、友孝先輩が冷たい色を乗せた声を出す。
それは極力感情を抑えたモノだったのだろう。
だけど、私はその紺色の瞳の奥に炎が上がっているのを見た気がした。
……私はその炎を知っている。
欲しい物があって、がんばって。
でも、全然報われなくて……。
こんな自分知りたくなかったって。
こんな気持ちならいらなかったって。
もういやだ、嫌いだって思うのに、手放すこともできなくて。
「……私と先輩は一緒ですから。」
「……私と君が?」
「そうですよ。だって先輩は妖が大好きですからね。……私よりもずっとずっと前から。」
私の言葉に友孝先輩が目を瞠る。
私はその瞳に笑いかけた。
だって、その瞳は私と同じだ。
「先輩ががんばってるの知ってますよ。友孝先輩はずっとがんばってる。」
でも、がんばってる方向がおかしくて、それで何回も失敗してる。
……ホント、私と一緒ですね。
「私、間違いとか失敗ばっかりなんです。……途中でがんばるのが嫌になったりもして。」
先輩、覚えてくれてるかな。
『私も、今はまだ途中なんです。きっと、友孝先輩もまだまだ途中なんです。』
あれから大分経ったけど。
私達まだ途中みたいです。
全然、結果出てないですよ。
おかしいぐらい失敗ばっかりで、ふふっと笑ってしまった。
話の途中で笑ってしまった私はちょっと変な子だと思うけど。
友孝先輩はじっとこちらを見たままだったから、その瞳に語り掛ける。
「一緒にがんばりましょう。」
これが最後になるように。
来年、笑って妖リレーができるように。
私の言葉に友孝先輩の紺色の瞳が見開かれた。
私はその瞳をじっと見返す。
友孝先輩の目の色はとてもきれいで、なんだか夜空みたいな色だなって思いながら。
どれぐらい見つめ合っていただろう。
窓から見える景色がオレンジから薄い紺色に変わった頃、ようやく先輩が口を開いた。
「……名波さんは不思議な人だね。」
「妖雲の巫女ですからね。」
友孝先輩の瞳の炎がゆっくりと揺れる。
私はそれを見ながらふふっと笑った。
友孝先輩はそれに困った様な笑みで返すと、ふぅと溜息をつく。
「陰陽師なのに、妖が好きなのか……。」
褐色の髪をかき上げながら、やれやれと呟いた。
『妖が好き』
その事はどうやら友孝先輩の心にカチリとハマったようだ。
しかし、時を繰り返す影響があるのか、一度目の時のような感情ではないらしい。
先輩はその事をもう知りたくなかったのかもしれない。
その気持ちは先輩を傷つけるだけなのかもしれない。
それでも私は……。
私は先輩を見て、悪戯っぽく笑った。
「大丈夫ですよ。勇晴君も妖が大好きですから。」
「……彼も?」
「そうですよ。『最強の陰陽師』が妖好きなんですから、友孝先輩が妖好きでもなんにも問題ありません。」
「なるほど。」
私の言葉に友孝先輩がははって笑う。
王子様然とした笑顔の上を行く、キラキラとした笑顔だ。
懐かしいな。
相変わらずの笑顔の前で、私は頬が熱くなるのを感じた。
「先輩。色々あると思いますけど、私、来年に向けてがんばります。」
「……そうだね。君ががんばるなら、私もがんばらないといけないね。」
「先輩はちょっとがんばりすぎかもしれませんけどね。」
「君もね。」
友孝先輩がきらきら笑う。
その紺色の瞳にはいまだに炎が揺らめいている。
きっと、私の瞳の中にも。
そんな自分を抱えながら、生きていくんだ。




