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「浮気したのは君が冷たかったから」と言われました。それとこれとは別でしょう?

作者: 百香スフレ
掲載日:2026/08/22

 アメリア・ハーグレイヴが、婚約者のノア・エヴァレットに違和感を覚えるようになったのは、三か月ほど前からだった。


「今日の放課後、一緒に帰らない?」

「ごめん。今日はちょっと用事があるんだ」

「そう。分かったわ」


 以前なら、それで終わっていた。


 ノアにも友人はいるし、アメリアより一学年下とはいえ、学院の二年生ともなれば忙しい時期もある。


 だから疑わなかった。


 その日の帰り道、中庭を通るまでは。


「ノア先輩、見てください。この花、とっても綺麗!」

「本当だ。ミレーヌの髪と同じ色だな」

「もう、そんなこと言われたら照れちゃいます」


 二人は楽しそうに笑っていた。


 ミレーヌ・コルベール。

 ノアより一年後輩の男爵令嬢だ。


「⋯⋯用事って、ミレーヌ嬢だったのね」


 翌日、アメリアはノアを尋ねた。

 するとノアは少し面倒そうな顔をした。


「彼女、勉強で困ってるんだよ。相談に乗ってただけ」

「でも、一緒に帰ろうって誘った時には、そう言わなかったでしょう?」

「わざわざ誰と会うかまで報告しないといけないの?」

「そういう意味じゃないわ。ただ⋯⋯」

「アメリアって、意外と嫉妬深いんだな」


 冗談っぽく笑われ、アメリアはそれ以上言えなくなった。————自分は、面倒な女なのだろうか。


 ノアは昔から優しい。

 困っている人を放っておけないところも、彼の長所だと思っていた。

 だから、信じることにした。


 それから一週間後。


 昼休み、二人が食堂で向かい合って座っているところを見た。


「最近、よく一緒にいるのね」


 アメリアが言うと、ノアはため息をついた。


「またその話?」

「責めているわけではないわ。ただ、二人きりで食事までしているから」

「友達と昼飯を食べたら浮気なの?」

「そうは言ってないでしょう」

「だったらいいじゃないか」


 さらに一週間後。

 ミレーヌの腕に、見覚えのないブレスレットがあった。


 ノアからの贈り物だった。


「誕生日だったからだよ」

「私の誕生日には、何もなかったわよね」


 口にした瞬間、自分でも嫌になった。


 プレゼントが欲しかったわけではない。

 ただ、悲しかった。


「それ、去年の話だろ?」

「⋯⋯そうね」

「いつまで言うんだよ」

「ごめんなさい」


 謝ったのはアメリアだった。

 それでも二人の距離は近づいていった。


 中庭では、ミレーヌがノアの腕へ抱きついていた。

 そのたびにアメリアが何か言えば、


「ただの友達だよ」


「ミレーヌは距離が近いだけ」


「信用してくれないの?」


 といった言葉を向けられ、最後には必ず、自分の方が悪いような気持ちにさせられた。


 だからアメリアは何も言わなくなった。


 そして、ノアから言われた。


「最近、冷たくない?」

「え?」

「前はもっと俺のこと気にしてくれてたじゃん」


 アメリアは言葉を失った。


「⋯⋯あなたが、私を嫉妬深いと言うから」

「だからって無視することないだろ」

「⋯⋯無視なんてしてないわ」

「してるよ。最近のアメリアと一緒にいても楽しくない」


 何を言えば正解なのか、分からなくなった。


 そして、その答えが出ないまま一か月が過ぎた。


 ある日の放課後——アメリアは忘れ物を取りに教室へ戻った。

 その途中、人気のない階段の踊り場から話し声が聞こえた。


「誰か来ちゃいますよ」

「少しくらい大丈夫だって」


 知っている声だった。


 覗かなければよかったのかもしれない。


 ノアがミレーヌの頬に手を添えて————そして二人は、キスをした。


「⋯⋯ノア」


 二人が飛び退く。


「アメリア!?」


 ミレーヌがノアの後ろへ隠れた。


 アメリアは不思議なくらい冷静だった。


「相談に乗っていただけだったのよね」

「これは⋯⋯」

「友達だったのよね」

「待ってくれ!説明するから——」

「何を?」


 ノアは黙った。


 やがて、観念したように息を吐く。


「⋯⋯俺が悪かったよ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸が少しだけ軽くなった。


 ようやく認めてくれた。

 そう思った。


「でもさ」


 続いた言葉に、アメリアは顔を上げた。


「こうなったのって、俺だけのせいなのかな」

「⋯⋯え?」

「最近のアメリア、ずっと冷たかっただろ」

「それは⋯⋯」

「ミレーヌは俺の話を聞いてくれたんだ。俺が辛い時も一緒にいてくれた」


 ノアは困ったような顔をした。


「アメリアがもう少し俺を大事にしてくれてたら、こんなことにはならなかったと思う」


 何も言えなかった。


「もちろん、キスした俺も悪いよ。でも俺だけが全部悪いみたいに言われるのは違うだろ?」

「⋯⋯⋯⋯」

「アメリアは俺より一つ年上なんだからさ。もう少し大人になってくれてもいいだろ?」


 アメリアは俯いた。


「少し、考えさせて」


 それだけ言って、その場を離れた。


 帰り道、なぜか本当に自分が悪かったのではないかと思った。


 最近、ノアに冷たくしていたのは事実だ。

 もっと優しくできたかもしれない。

 もっと彼の話を聞けばよかったのかもしれない。


「それで?」


 翌日の昼休み、親友のジュリエットはアメリアの話を最後まで聞いてから尋ねた。


「あなたが冷たかったら、他の女とキスしていいの?」

「⋯⋯え?」

「ノアに不満があったら、あなたも他の男とキスしていいってこと?」

「それは駄目でしょう」

「でしょう?」


 ジュリエットは呆れた顔をした。


「不満があるなら話し合えばいいの。それでも駄目なら別れればいい。どうしてその間に『別の女とキスする』が入るのよ」

「でも、私にも悪いところが」

「あるかもしれないわよ」


 意外な返事だった。


「恋人同士なんだから、アメリアにだって悪いところの一つや二つあるでしょうね」


 ジュリエットは紅茶を飲む。


「でも、それと浮気したことは別でしょう。理由がどうであれ、浮気した方がぜっっったいに悪いのよ」


 アメリアは黙った。

 あまりにも単純な話だった。


「⋯⋯そうよね」


 アメリアは、思わず笑ってしまった。

 ずっと絡まっていた糸が、一瞬でほどけた気がした。


 翌日、ノアが当然のように話しかけてきた。


「もう落ち着いた?」

「ええ」

「俺も悪かったよ。アメリアも悪かった。それで終わりにしよう」

「そうね。終わりにしましょう」

「うん。じゃあ——」

「婚約を解消しましょう」


 ノアの笑顔が消えた。


「⋯⋯は?」

「昨日、両親にも相談したわ。正式な手続きを進めます」

「待てよ。一度の過ちだろ?」

「一度?」


 アメリアは思わず笑った。


「三か月間、嘘をつかれていたのだけれど」

「でもキスしたのは一回だけだ!」

「回数の問題ではないわ」

「こんなことで婚約を解消するのかよ!」

「こんなこと、なのね」


 その一言で、最後に残っていた迷いも消えた。


「さようなら、ノア」


 婚約は正式に解消された。


 ノアはすぐにミレーヌと交際を始めた。


 アメリアは意外なほど平気だった。


 昼休みはジュリエットと食事をする。

 放課後は図書室へ寄る。

 休日には友人たちと街へ出る。


 ノアが誰といるのか気にしなくていい。

 嫌われないように言葉を選ばなくてもいい。


 その生活は、思っていたよりずっと楽だった。


 そして三か月後、学院で妙な噂を聞いた。


 ミレーヌが三年生の男子生徒とキスをしていたらしい。


 数日後、中庭で激しい口論が起きた。


「恋人がいるのに他の男とキスするなんて最低だろ!」


 ノアだった。

 向かいにいるミレーヌは、不満そうに頬を膨らませている。


「でも最近のノア、私に冷たかったでしょう?」

「は?」

「先輩は私の話をちゃんと聞いてくれたの」

「だからって浮気していい理由にはならないだろ!」

「私だけが悪いみたいに言わないでよ。ノアがもっと私を大事にしてくれてたら、こんなことにはならなかったんだから」


 ノアの口が止まった。


 アメリアは少し離れた廊下から、その光景を見ていた。


 うっかり目が合うと、ノアの顔から血の気が引いた。その数日後。


「アメリア」


 放課後、ノアが待っていた。


「⋯⋯俺が悪かった」

「そう」

「今さらだけど、分かったんだ。君がどんな気持ちだったのか」

「そう。分かってくれたのなら良かったわ」


 ノアの顔に、わずかな希望が浮かんだ。


「だったら、もう一度——!」

「でも」


 アメリアは穏やかに遮った。


「あなたが反省したことと、私がもう一度あなたを好きになることは、別の話でしょう?」


 ノアは何も言えなかった。


「それとこれとは別よ」


 かつて自分が理解できなかった、とても簡単なこと。


 今なら迷わず言える。


「さようなら、ノア」


 アメリアは振り返らなかった。


 今度こそ、本当に終わったのだから。

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― 新着の感想 ―
いるよね、なんだかんだ自分を正当化するやつ。 こういうやつは絶体反省なんかしない。 自分が悪かったと言っているのはただ寄りを戻したいがだけ。 本心は絶体に思ってない。
ノアは痛い目にあわないと浮気を繰り返すタイプっぽいから別れて正解。
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